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探偵小説三昧

日々,探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすブログ


Posted in 09 2011

ブリタニー・ヤング『ホームズは眠れない』(ハーレクイン文庫)

 ブリタニー・ヤングの『ホームズは眠れない』を読む。
 以前に洋泉社の『ロマンスの王様 ハーレクインの世界』の感想をアップしたとき、ポール・ブリッツさんがコメントで紹介してくれた本だが、これが長い読書人生で初のハーレクインである。

 こんな話。
 サマンサ・イングリッシュはボストンの女私立探偵。ある事件の調査でホテルの一室に侵入しようとしたが、なんと部屋を間違え、警察に突き出されてしまう。警察で訊問を受けようとした彼女の元へ現れたのが弁護士のピアス。サマンサを気に入っている、ある大金持ちの老女が派遣してくれたのだ。ピアスの自信満々の態度に、サマンサはムッとするものの、どこか惹かれるものを感じて……。

 ホームス#12441;は眠れない

 結局はハーレクインだから、どんなアプローチをしようがそのテーマはロマンス以外にありえない。要はその見せ方が実にいろいろあるということ。本書の場合はタイトルが『ホームズは眠れない』というわけで、ミステリ的な味つけでもっていくロマンス小説だ。
 ただし、「ホームズ」とは正直まったく関係はない。原題もそもそも『Far from Over』だし、内容的にもどちらかといえばスー・グラフトンのキンジー・シリーズやジャネット・ヴァノヴィッチのステファニー・シリーズに代表されるような女性私立探偵ものである。
 ちなみに「ホームズ」ってのは、作中で、主人公のサマンサがピアスに「ホームズ君」とからかわれることが由縁。それもせいぜい3回ぐらいなので、まあ、無理矢理な邦題ではある(苦笑)。

 肝心の中身の方だが、ネタとしては産業スパイもので、主人公のサマンサが犯行の証拠を突き止めるため、容疑者の身辺を探るといった展開。そこへ事件で知り合った弁護士のピアスが絡み、両思いながら身分や価値観の違いで結ばれるには至らない二人のロマンスが平行して描かれる。
 ロマンス小説といえども基本的にはミステリのスタイルを模しているため、けっこう普通に読めてしまった。というかロマンスに絡む描写を除けば、意外なほどミステリらしいストーリーなのである。ロマンスに絡む描写も、濡れ場なんてほとんどなくて、どちらかというと心理描写がメイン。だからそのあたりをサクッと流して読めば、下手なミステリを読むのとほとんど変わらない。逆にいうとハーレクインの読者は、このぐらいのロマンスでは物足りないのではないかと、いらぬ心配をしてしまうぐらいである。

 まあ、一作だけで断言するのもなんだが、やはりミステリとロマンスという両ジャンルは、意外に相性が悪くないようだ。実際、映画などではこの両者を上手くまとめているものなぁ。その辺りが本日の収穫ということで。


本多猪四郎『メカゴジラの逆襲』

 えーと、本日も「東宝特撮映画DVDコレクション」の感想をば一席(笑)。ここ最近のエントリー五本のうち四本が特撮映画ということで、すっかり「特撮映画三昧」に看板替え状態。言い訳させてもらうと、ここのところの関節痛で読書にあまり集中できないのが原因なんである。ま、読めてないわけではないので、明日はなんとか本の感想もアップする所存であります。


 で、本日のお題は1974年公開の『メカゴジラの逆襲』。前作で人気を博したメカゴジラを再登場させた続編である。

 ゴジラに敗れ、海底深くに沈んだメカゴジラ。その機体を調査していた潜水艇「あかつき号」が突如、消息を絶った。原因は怪獣チタノザウルスによる襲撃だったが、それはただの怪獣ではなかった。なんと人間が操っていたものだったのだ。十五年前、「自らが発見した恐竜を自由にコントロールする」という突拍子もない説を発表した真船博士。それが原因で学会を追放された博士は、自説を実証してみせると同時に、社会に対して恨みを果たそうとしているのである。
 だが、これは博士一人で為し得たことではなかった。博士に協力する怪しい集団の姿があったのだ。その集団こそ、前作でメカゴジラを使って地球征服を企んだブラックホール第3惑星人。彼らはメカゴジラの強化を図り、博士を利用していたのだ……。

 メカコ#12441;シ#12441;ラの逆襲

 ゴジラシリーズの第十五作にあたる本作は、昭和ゴジラシリーズの掉尾を飾る作品でもある。1954年に誕生し、一世を風靡したゴジラシリーズではあったが、マンネリ化、低予算、路線変更などの課題を克服することができず、遂に本作ではシリーズ最低の観客動員数を記録、シリーズ打ち切りと相成った。

 ただ、結果自体は残せなかったものの、低迷を打破すべく工夫や努力は為されており、注目すべき点は多い。何と言っても重要なのは、本作がさまざまな面で原点回帰を図ろうとしていたことか。
 とりわけ監督に本多猪四郎を復帰させ、音楽にも伊福部昭を起用した点は大きい。さらには群衆の避難シーンや自衛隊と怪獣の交戦シーンなど、いわゆる怪獣映画のキモともいえるシーンもしっかり押さえていること(驚くなかれこういう場面すらこの時期のゴジラ映画にはなかったのだ)。
 また、マッドサイエンティスト、真船博士の存在は重要だ。彼は言ってみればゴジラシリーズ第一作『ゴジラ』での芹沢博士と裏表のような関係である。第一作の『ゴジラ』で、科学への警鐘、戦争への警鐘といった部分を象徴していたゴジラは、芹沢博士という偉大な科学者の犠牲のもとに鎮魂される。一方、本作の真船博士は自らが第一作のゴジラのような存在である。人間の愚かさや弱さを具現化し、これを逆にゴジラが鎮めるという構図は絶妙である(皮肉ともいえる)。ましてや、その両博士を、どちらも平田昭彦が演じているとあっては、制作者たちのメッセージは明確である。

 不満点もあるっちゃある。一番やっかいだったのは、前作の『ゴジラ対メカゴジラ』の続編だというのに、同じキャストが違う役柄で出ていること。リアルタイムでは一年空いているから、まあ気にする人はほとんどいなかったんだろうけど、こちらは立て続けに観ているので混乱することしばし。特に平田昭彦とか大門正明のような主役クラスはほんと勘弁である。
 また、子供向け路線で顕著になってきた、怪獣のバトルシーンの長さも辛い。いつも思うのだけれど、こういう破天荒な物語だからこそ、よけい人間ドラマに気を遣うべきなのである。よい怪獣映画は、バトルシーンどころか怪獣の登場シーンすらも短く抑え、その分、効果的に用いている印象がある。初期の『ゴジラ』や『空の大怪獣ラドン』もそうだし、キングギドラも初登場時には数分しか出ていない。それなのにあのインパクトなのである。まあ、こういったところも、シリーズ凋落の原因のひとつかもしれない。

 とりあえず昭和ゴジラシリーズは、本作をもって終了。平成ゴジラ誕生まで、九年間の休眠となるわけであった。


福田純『ゴジラ対メカゴジラ』

 せっかくのシルバーウイークだが、特にあてもなく、っていうかそもそも原因不明の関節炎で、とても出かけるどころじゃないんだけど。と言いながら昨日はどうしても抜けられない仕事で休日出社。ヘロヘロで帰ってきて早々にダウンし、本日は家でひたすら休む(ただ、じっとしていると筋肉が強張って逆に痛みが増すから、これも実はよくないんだけどね)。

 で、寝ながら消化したDVDが、相も変わらずの「東宝特撮映画DVDコレクション」から『ゴジラ対メカゴジラ』。監督は福田純。公開は1974年。
 ロボットとしての造型はいまひとつながら、独特の魅力で、以後も多くのパターンで登場することになるメカゴジラが初登場する作品として知られている。

 沖縄海洋博会場の建設現場から古代の壁画が発見された。建設技師の清水敬介は考古学者の金城冴子に解読を依頼したところ、「大空に黒い山が現れる時、大いなる怪獣が現れ、この世を滅ぼさんとする。しかし赤い月が沈み、西から日が昇る時、2頭の怪獣が現れ人々を救う」という予言であることが判明する。冴子は予言の謎をより深く解明するため、現場で見つかったシーサー像を携えて考古学の権威、和倉博士の元へ訪れる。
 一方、敬介の弟の正彦は、沖縄玉泉洞で不思議な金属を発見した。物理学の宮島博士はこれを地球上に存在しない金属「スペース・チタニウム」であると断定する。
 そんなときゴジラが富士山の麓に出現。なぜか仲間であるはずのアンギラスと戦い、これを撃退した。しかも驚くべきことに、この現場からは、沖縄で発見されたものと同じ「スペース・チタニウム」が発見される。
 やがてゴジラが東京湾に再び出現。コンビナートを破壊するなか、なんとそこへもう一匹のゴジラが現れる。激突する二匹のゴジラ。だが一匹のゴジラの皮膚の下から表れたのは、金属の部品だった。宮島博士はこれを「スペース・チタニウム」を使用したサイボーグのゴジラであると断定。さらには壁画の予言とも関係があるとにらんだ和倉博士らも合流し、その秘密をさぐるべく一行は沖縄へ向かう。しかし、一行の行く手には怪しい影が忍び寄り……。

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 低調が続いていたこの時期のゴジラ映画だが、本作はいろいろな好条件が重なって、少しは見られるものに仕上がっている。
 ひとつは本作がゴジラ誕生20周年を記念した映画であり、東宝もそれなりの作品にしたかっただろうということ。また、翌年に控えた沖縄国際海洋博覧会とのタイアップや前年公開の『日本沈没』の成功もあって、資金的に少し状況がよくなったこと。
 さらには、原作に当時SF界を牽引していた福島正実を迎えていたことも大きいだろう。
 上であらすじを少し紹介したが、さすがにこの時期の中ではダントツで複雑だし、それでいてわかりやすく面白い。物理学チームとしての流れ&考古学チームとしての流れ、二つのラインで見せるダブル主人公的な形があり、それが上手く融合している上に、事件の黒幕たる宇宙人の存在、それをマークするインターポールという組み合わせの妙。スパイアクション風物語にまとめられており、久々に大人も楽しめるレベルに仕上がっている。

 キャストも久々の東宝特撮登場となった小泉博や平田昭彦が熱演し、脇を岸田森や睦五郎、草野大悟といったしっかりした役者で固めているので、安心してみていられる(特に岸田森はイイ!)。あ、佐原健二のカメオ出演も嬉しい。

 なお、これはオタク的な読みになってしまうが、怪獣の存在が戦争や天災の象徴であるとすれば、本作は沖縄を舞台にしていることで、より特殊な意味合いを帯びてくる。沖縄で怪獣が暴れているのに自衛隊や米軍が一切登場していないこと、宇宙人の役回り、沖縄先住者らしき国頭天願の言動など、ちらほらと織り込まれているメッセージを読み解くのも本作ならではの楽しみ(?)といえるだろう。


ジェフ・リンジー『デクスター 闇に笑う月』(ヴィレッジブックス)

 ジェフ・リンジーの『デクスター 闇に笑う月』を読む。マイアミ警察鑑識チームの一員にして、連続殺人鬼でもあるデクスター・モーガンを主人公とするシリーズの第二弾。

 警察の一員と殺人者の二重生活を送るデクスターの前に、凄惨な事件が起こる。被害者は、死なない程度に全身のあらゆる部位を切り取られた状態で発見された。警察の猛者すら怖じ気を震うこの悪魔の所業に、デクスターだけは見たこともない手口に興味を覚える。やがて被害者と捜査関係者の意外な過去が明らかになり、デクスターは天敵ドークス刑事と協力して捜査にあたることになるが……。

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 設定があまりに奇抜だし、一作目『デクスター 幼き者への挽歌』で早くもウルトラCというか禁じ手(?)を使ったものだから、二作目は若干、危惧していたのだが、どうやら著者は無事に二作目のハードルも超えたようだ。
 デクスターも思わず興味をもつほどの強烈な犯行手口。デクスターの正体を疑うドークス刑事との駆け引き、恋人(デクスターにとっては偽装ではあるが)の子供たちとの新たな関係の始まりなど、縦軸横軸にいくつもの導線を張り巡らせて、まったく飽きさせることがない。このリーダビリティの高さはさすがである。
 正直、グロい描写だけは勘弁してほしいのだが、これもストーリーや世界設定上、ある程度の必然性があるので、悔しいが読むしかないのである(笑)。

 ただし、ラストだけは少しいただけない部分もあった。
 ひとつは犯人との決着のつけ方。犯人とデクスターの対決の盛り上げが実に素晴らしく、これはミステリとしての一線を越えるのかと思ったほどなのだが、あれ?というような形で終わったのがとにかくもったいない。いや、普通に予想できるラストでもあるのだが、それまでの犯人側が攻勢すぎたので、もっと強烈なラストを期待してしまったのが敗因か。
 もうひとつは、ドークス刑事との決着。これもそういう形であることを十分に予想できるのだが、まさか本当にそれをやるとは思わなかったというか。
 犯人とドークス。正直どちらの決着も安易な道を選んだな、という気はする。

 ま、少しケチはつけたが、トータルでは十分満足できた一冊。
 これで未読の翻訳は一作を残すのみだが、未訳はまだ三作ほどあるようだし、ヴィレッジブックさんはぜひ続きも出してほしいものである。


福田純『ゴジラ対メガロ』

 休みをとって原因不明の関節痛の検査に出かける。どうやらリウマチ自体は血液検査の結果、なくなったようだだが、それの親戚筋という疑いはあるようだ(苦笑)。医師によるとほぼこれではないかという見込みはあるようだが、決め手がないため、専門医に紹介状を書いてもらって最終的な診断を仰ぐとのこと。ううむ。
 喩えていえば、犯人は絞られてきたようだが状況証拠しかないため、警察からホームズへの紹介状を書いてもらって、真犯人を挙げてもらうようなものか>ちーがーうー。
 とりあえず鎮痛剤の種類も増やしつつ、日をあらためてまた検査。


 「東宝特撮映画DVDコレクション」から『ゴジラ対メガロ』を視聴。監督は福田純。公開は1973年。
 ゴジラシリーズの第十三作にあたる本作だが、いつも書いているようにこの時期のゴジラ映画は、低予算・子供向きをはじめとした数々の障害に苦しめられ、衰退の一途を辿っていた。
 そんな中でも制作スタッフは何とか新機軸を打ち出そうと努力はしていたわけだが、その姿勢こそ評価できても、結果そのものは惨憺たる有り様であった。

 こんな話。
 アリューシャン列島で行われた国際核実験は太平洋に大きな影響を及ぼした。海底の奥深く、人類がその存在すら知らないシートピア海底王国もまた、その被害から免れることはできなかった。シートピア人は報復のため、王国の守護神メガロを地上に出現させ、人類に対して攻撃を行う。
 一方、科学者の伊吹吾郎が研究を重ねてきた等身大ロボット「ジェットジャガー」が遂に完成のときを迎える。シートピア人はそのロボットに目をつけ、メガロの水先案内に利用しようとするが、息吹たちはジェットジャガーを取り戻して、メガロを倒すべくゴジラを呼びにいかせる。そしてジェットジャガーもまたメガロに対抗すべく巨大化。ここへシートピア人が援軍として呼び寄せた宇宙怪獣ガイガンも現れ、もうてんやわんや……という一席。

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 ストーリーを書いていても嫌になるくらいダメな一本。ゴジラシリーズのワーストを選べば、まず三本の指に入るであろうことは間違いない。
 本作ではシリーズ初となるロボット「ジェットジャガー」が登場するのだが、ジェットジャガーの存在自体を頭から否定するつもりはない。この頃の子供向け番組は変身ものロボットもので埋め尽くされ、東宝スタッフはその時流に乗ったといえる。
 だが、時間がないのか資金がないのか、その扱いは非常に適当でいい加減。ロボットが自分の意志を持ったり、巨大化するというのも全面否定するわけではなく、もう少しましなホラを吹いてくれよということ。

 シートピア海底王国が核実験に対して報復するというのも、ともすれば原点回帰という感じは受けるけれども、まあ、それだけ。人類とシートピア人の対比とか見せ方はいろいろあるはずなのに、人類は結局、シートピア人の存在すら知らないままで戦いを終える(主人公の科学者たちは除く)。人類や科学への警鐘とか、そういう言葉はもはやただのジャンル的な意味合いしか持たないのが悲しい。
 結局、ストーリーにはほとんどドラマがないため、怪獣の格闘シーンだけがダラダラ長いという弊害をも生み出し、グッタリしたままエンディング。

 ひとつだけ面白かったのは、カーチェイスのシーン。ホンダがタイアップしていたようで、クルマで階段や急坂を下ったり、プレハブに突っこんだり、意外に気合いの入ったつくりである。しかも全体の割合を考えると時間もかなり長め。
 妙な案配ではあるが、資金さえあればこれぐらいはいつでも撮れるんだという、スタッフの意地を感じた次第である(笑)。


福田純『電送人間』

 「東宝特撮映画DVDコレクション」から、1960年公開、福田純監督による『電送人間』を観る。『美女と液体人間』『ガス人間第一号』などと同じ、いわゆる変身人間シリーズの一本である。

 お化け屋敷で殺人事件が発生した。死因は銃剣による刺殺。だが多くの客が周囲にいたはずなのに、犯人の姿は目撃されていなかった。捜査を続ける警察、そして新聞記者の桐岡。やがて桐岡は現場に残されたクライオトロンという物質から物体電送を研究する仁木博士の存在に行き着く。一方、警察は、同じく遺留品の認識票などを手がかりに捜査を進めるが……。

 電送人間

 特撮重視ではなく、雰囲気で見せるSF怪奇スリラーといったほうが適切な作品か。後のテレビドラマ『怪奇大作戦』を彷彿とさせるところはあるにせよ、復讐に燃える男が人格破壊の後に……という筋書きは意外に単調で、いまひとつのめり込みにくい。『ガス人間第一号』あたりと比べると、電送人間の怖さがあまりないのが原因かもしれない。

 一般人にもアピールできる点としては、主演の新聞記者、片桐を、なんと鶴田浩二が演じていること。
 当時、既に売れっ子だった鶴田浩二がよくこんな映画に出たなと言う気もするが、これが監督二作目だった親友の福田純のため、というのが定説らしい。
 とはいえ鶴田浩二はこの頃スランプに陥っていたらしく、しかも自身の扱いをめぐって相当東宝とは上手くいってなかったようで、東宝が無理矢理この映画に出させたという可能性もある。ま、真相は知らぬが、鶴田浩二はこの映画の直後ぐらいに東宝を飛び出しているので、やはりいろいろと裏ではあったのだろう。

 それに比べると電送人間は中丸忠雄が好演して、存在感はなかなかのものである。
 ただ、せっかくの評価を上げたというのに、こちらも相当この役はお気に召さなかったようで、次の『ガス人間第一号』のオファーは蹴ってしまったらしい。その結果、中丸忠雄はしばらく東宝をほされたというから、ううむ、こちらもいろいろ大変である。

 下手をするとそういう裏話ばかりが面白そうな『電送人間』。
 実際、『美女と液体人間』や『ガス人間第一号』と比べても出来はいまいちなんだけど、なんだかんだいいながら、鶴田浩二が出ている特撮映画、という一点だけでも観る価値ありと個人的には思っている。ほんとかよ(笑)。


ザック・スナイダー『エンジェル ウォーズ』

 『エンジェルウォーズ』をDVDで視聴。『300 〈スリーハンドレッド〉』、『ウォッチメン』といった話題作を送り続けているザック・スナイダー監督の2011年公開作。公開前は当然のように話題沸騰。ザック・スナイダーに言わせると「マシンガンを持った『不思議の国のアリス』」というから、これは観るしかないではないか。
 ところがふたを開けてみるとけっこう評判が芳しくなく、出来に関しては賛否両論。いつのまにか公開も終わっている始末である。そうなると、かえって気になるのが人の性。DVD落ちを首を長くして待っていた作品である。


※本作を語ろうとすると、シナリオの性質上、どうしてもネタバレのリスクをはらみます。できるだけ留意はしますが、以下、ネタバレでもかまわん、という人だけお読みください。


 ジャンル的にはダークファンタジーといえるだろうか。内容はシンプルながら、それほど理解しやすい作品ではない。その理由として、3つの大きな世界が入れ子構造になっていることが挙げられる。

 まずは現実世界。時代ははっきりしないが、どうやら1950年代あたり。エミリー・ブラウニング演じる主人公のベイビードールが、養父に虐待され、挙げ句は妹殺しの罪を着せられて精神病院に幽閉されてしまう。5日後にはロボトミー手術を執行される……という状況。
 二つ目の世界は、いわばベイビードールが現実から逃避するために作り上げた世界。やはり幽閉された世界ではあるが、そこは精神病院ではなく娼婦館。5日後にはある大物クライアントがベイビードールを買いにくるという。ベイビードールはその前に娼婦館から脱出しなければならない。彼女は4人の娼婦とチームを組み、脱出に必要な地図や鍵など5つのアイテムを探し求めるが……。
 三つ目の世界は、娼婦館でベイビードールがダンスを踊る際に展開されるファンタジー世界。ベイビードールのダンスは蠱惑に満ち、見る者すべてを魅了する。その間に娼婦たちはアイテムを入手しようとするのだが、そのシーンはすべてダークファンタジーとしてイメージされる。ナチスや巨大な侍、ドラゴンなど、近未来的ロボットなど、様々な設定と敵が待ち受けるなか、ベイビードールたちはマシンガンや日本刀を手に、壮絶で華麗なバトルを披露する。

 こうして説明すると何となくご理解いただけるとは思うのだが、これを説明らしい説明がないままに映像として見せられると、なかなかに最初は戸惑う。相互の関係が掴みにくく、もたもたしているうちに少女たちのバトルが始まって、印象に残っているのは結局そちらばかりということになりかねない。
 とはいえ、なに、それでも全然かまわない。このモヤモヤはラストに近づくにつれて晴れていくし、三つの世界の関係も自ずと理解でき、本作のテーマも明らかになる。この腹にストンと落ちる感じが実に気もちよい。
 こういう入れ子構造をもった作品では、他に『インセプション』とか『マトリックス』などがすぐ思い浮かぶが、理屈なんかはこれらの映画の方がしっかりしているけれど、見せ方や相互の世界の在り方は本作も全然負けていないし、ラストへの繋げ方などは上回っているのではないか。


 と、まあ、こんな感じでシナリオについて真面目そうに語ってみても、本作の最大の魅力がやはり映像にあることは否定のしようがない。若い女性がセーラー服を着て太腿もあらわに大剣で敵をなぎ倒す、といった絵面は日本のアニメやゲームではお馴染みのシーン。それを海外の旬の女優さんたちが、しっかりとトレーニングを積んだ上で徹底的にセクシーかつ華麗に披露する。
 ビジュアルも凝っていて、モノトーンチックに落とし込んだり、スローやカット割りも多用して、非常にスタイリッシュでクールに決めてみせるのである。正直、これだけのために観ても損はないぐらいだが、まあ、ここは個人的な嗜好も入ってくるので保証の限りではない(笑)。

 ちなみに、それらを演じる女優がまたいい。何でも主役のベイビードールに最初キャスティングされていたのは、エミリー・ブラウニングではなくアマンダ・サイフリッドだったそうだ。確かに小悪魔的魅力をもつアマンダも悪くはないんだけれど、最終的にはエミリー・ブラウニングで大正解だったのではないか。
 主人公ベイビードールがもつ精神の不安定さ、脆さ、危うさ、エロさといった要素はエミリー・ブラウニングならではのものだ。誤解をおそれずにいうと白痴美というやつだが、それをここまで見事に演じるエミリー・ブラウニングの力は並ではない。バトルシーンも凄いのだけれど、とりわけダンス前の恥ずかしげというかアンニュイというか、ああいう表情は決して美人タイプじゃない彼女だからこそ活きるのかもしれない。


 ザック・スナイダーが照れも恥ずかしげもなく、自分の好きなものを思い切り詰め込んだ厨二的映画という向きもあるようだが、ううむ、もともと小説や映画を含め、芸術なんてそんなものでしょ。それが生活などなどのためにいろいろとアレンジやコントロールが必要になってくるわけで。
 そもそも本作は決してそんな好き勝手に作ったバカ映画ではない。ビジュアルやバトル優先ゆえのストーリー的ツッコミどころはいくつかあるけれど、完成度は正直高い。冒頭のシーンも引きこまれるし、以後もメリハリの効いた展開が鮮やか。
 アイテム探しというストーリーを称してゲーム的という人もいるようだが、それはあたっているようで違う。アイテム探しは、神話や民話における基本的な構成要素のひとつで、ゲームなどもそれを踏襲しているに過ぎないのである。多重世界で見せ方をややこしくしている分、メインストーリーはシンプルに、という考え方もできるだろう。

 とにかく、これはやはりザック・スナイダーの魅力満載の一本。少なくとも男の子なら一度は観るべきである。


『本当におもしろい警察小説ベスト100』(洋泉社MOOK)

 いつのまにかジワジワと警察小説がブームになりつつあるようで、とうとう『本当におもしろい警察小説ベス100』というガイドブックまで出てしまった。
 版元は洋泉社。この出版社はサブカル系に強い印象があるのだが、近年はミステリ関係でも『図説 密室ミステリの迷宮』や『宮部みゆき全小説ガイドブック』とか『京極夏彦全小説ガイドブック』とか、割とこまめにガイドブックを出している。
 『図説 密室ミステリの迷宮』は実際に買って読んだことがあるが、なかなか好感の持てる作りだったし、そもそもミステリガイドブック好きの管理人としては、おそらく本邦初であろう警察小説のガイドブックを見逃す手はないってんで、さっそく購入と相成った。

 本当に面白い警察小説ヘ#12441;スト100

 ま、なんせタイトルが『本当におもしろい警察小説ベスト100』なので、警察小説のベスト本紹介以外の何ものでもない。これに人気作家のインタビューや対談、識者による座談会、警察小説の簡単な歴史などを絡めた、ごくごくオーソドックスな作りである。全体のボリュームもそこそこあるし、これから警察小説に親しもうかなという人には、まず十分な内容だろう。
 個人的にはもう少し海外物の比率を高くしてもらいたいところだが、ま、これは需要を考えると仕方ないか。

 ちょっと気になったのは、「警察小説」の定義。
 2ページの「introduction」で書かれているが、警察の一員たる「個人」に焦点を当てているのは意外な感じがした。管理人としてはどちらかというと「組織としての動き」に焦点を当てた物語を思い描いていることもあって、この認識の違いは妙である。警察小説はいつのまにそんな読まれ方がメインになったのだ?
 まあ、そもそも本書は「警察小説」の間口をかなり広くして紹介している感がある(なんせ松本清張の『点と線』、エルロイの『ブラック・ダリア』、ポーターの「ドーヴァー」シリーズも、みーんな警察小説に入れてるのだ)。狭義の警察小説で語ると、どれもこれも警察小説とはいえなくなるし、まあ、ガイドブックという性格上、それもやむを得なかったというところか。

 ちなみに前述の「introduction」ではこんな前文がある。

「本書でいう警察小説とは、
 著者が次の三カ条を
 心のどこかにきちんと置いて書いたことが
 読者として感じられる小説である。」

 要するに、読む者がそう思えば、それは警察小説であると。ううむ、そんな(苦笑)。


ウィリアム・ブリテン『ストラング先生の謎解き講義』(論創海外ミステリ)

 8月末日、水曜のことだが、夕方頃から体の節々に痛みが走り出した。これまでも四十肩とか左膝の痛みとか、年相応にガタはきていたのだが(苦笑)、これがシャレにならないくらい全身が痛み出して、その日は何とか帰宅したものの寝ているのも辛く、翌日は自力で歩けないくらいになってしまう。しょうがないので会社は休み、嫁さんにクルマで送ってもらって近所の大病院へ向かう(このクルマの乗り降りだけでも大変)。
 でまあ内科で血液検査やらレントゲンの後、翌日には整形外科でも検査(ちなみに車椅子にも初めて乗った)。鎮痛剤のおかげで、今日辺りからようやく痛みが引いてきたのだが、いや、それにしてもきつかった。足が痛くて歩けないのというのはけっこう想像できると思うのだけれど、肩や手首、指の関節も同時に痛いと、自分でシャツが脱げないとか、靴下がはけないとか、顔を洗えないとか、歯を磨けないとか、まあ不便極まりない。動くと痛いのでじっと寝ていても、体がこわばって次に動くときが猛烈に痛い。もう最悪である。
 実は今回の症状の前に、高熱が出たりしていろいろと伏線はあったのだが、面倒なのでそれは省略。とりあえず病名がまだ判明していないのが気がかりだが、既にいくつか候補はあるようで、この辺は血液検査の結果待ちだそうな。ううむ、リウマチとかは勘弁してほしいんだけどな。
 まあ季節の変わり目、皆様もくれぐれもご自愛ください。



 さて話題は変わって、本日の読了本。ウィリアム・ブリテンの『ストラング先生の謎解き講義』である。
 探偵役は著者の経歴を生かした高校教師のストラング先生。勤務先のオルダーショット高校では科学全般を教える老教師だが、ある事件をきっかけに素人探偵に手を出すようになり、数々の不可能犯罪に挑んでゆく。収録作は以下のとおり。

Mr. Strang Gives a Lecture「ストラング先生の初講義」
Mr. Strang Takes a Field Trip「ストラング先生の博物館見学」
Mr. Strang Lifts a Glass「ストラング先生、グラスを盗む」
Mr. Strang Finds an Angle「ストラング先生と消えた兇器」
Mr. Strang Hunts a Bear「ストラング先生の熊退治」
Mr. Strang Discover the Bug「ストラング先生、盗聴器を発見す」
Mr. Strang Under Arrest「ストラング先生の逮捕」
Mr. Strang Picks Up the Pieces「ストラング先生、証拠のかけらを拾う」
Mr. Strang, Armchair Detective「安楽椅子探偵ストラング先生」
Mr. Strang Battles a Deadline「ストラング先生と爆弾魔」
Mr. Strang Buys a Big H「ストラング先生、ハンバーガーを買う」
Mr. Strang Unlocks a Door「ストラング先生、密室を開ける」
Mr. Strang and the Lost Ship「ストラング先生と消えた船」
Mr. Strang and the Purloined Memo「ストラング先生と盗まれたメモ」

 ストランク#12441;先生の謎解き講義

 先日読んだ『ジョン・ディクスン・カーを読んだ男』は、探偵小説のパロディという形式をとった本格物だったが、こちらはオリジナルの名探偵ストラング先生を起用した本格物。総じてホックのサム・ホーソーン・シリーズなどを連想させるカラッとしたパズラーだが、こちらは学校が舞台ということもあってか、血なまぐさい暴力事件をほとんど扱わないのが特徴だろう。
 『ジョン・ディクスン・カーを読んだ男』の感想で、ロジックやトリックをそこまで求めたものではなく、全般的にはオチ優先の軽い読み物、なんてことを書いたのだが、こちらもテイストはほぼ共通である。

 ただ、世評的には地味だとか言われているシリーズらしいが(海外で単行本化されていないのもそのため?)、ストラング先生のキャラクターが意外にしっかり確立していて、予想以上に面白く読めた。
 何と言っても、小説や映画によく出てくるような熱血タイプとか型破りなタイプの先生ではなく、事実を事実として受け止め、そのうえで公平な判断を下すというキャラクター設定がいい。変に生徒をかばうこともなく、その犯した行為で対応する。だからこそ逆に生徒からの信頼も厚くなるという寸法。まあ、現実はこれほど上手くもいかないだろうが、物語の味つけとしてはなかなか新鮮だ。

 『ジョン・ディクスン・カーを読んだ男』同様、相変わらずクイズみたいな作品もあるけれど、印象的な作品も多い。個人的には「ストラング先生と消えた兇器」、「ストラング先生、証拠のかけらを拾う」あたりがお好みだが、まあ、これらもクイズっぽいちゃあクイズっぽいんだけどね。
 ま、こういうのは目くじら立てずに読むのが吉かと。


陳舜臣、他『神戸ミステリー傑作選』(河出文庫)

 河出文庫のミステリー紀行シリーズから『神戸ミステリー傑作選』を読む。文字どおり神戸を舞台にしたミステリーのアンソロジー。まずは収録作から。

高木彬光「黒い波紋」
千代有三「痴人の宴」
森詠「真夜中の東側」
三枝和子「街に消えた顔」
      梅雨のトア・ロード
      秋風メリケン波止場
島尾敏雄「石像歩き出す」
眉村卓「須磨の女」
陳舜臣「幻の不動明王」

 神戸ミステリー傑作選

 このシリーズは割と短めの作品が収録されているイメージがあったが、本書はけっこうボリュームのある短篇が多い。ただ、残念ながらボリュームに反比例して、出来は全体的に低調である。

 注目作品としては、まず千代有三「痴人の宴」。神津恭介をチラッとかませてみるなど遊び心はあるけれど、トリックのインパクトがそれを上回らない。
 森詠「真夜中の東側」は雰囲気のあるハードボイルドだが、ラストの御都合主義が強くて残念。きれいにまとめすぎたか。
 文学畑からは三枝和子、島尾敏雄というところが要注目。どちらも日常からちょっと踏み外したような感のある不思議な味わいをもつ幻想譚。だが悲しいかな小粒だよなぁ。とはいえ、まさかこのシリーズで島尾敏雄が読めるとは思っていなかったので、個人的にはお得感あり。
 ちなみに島尾敏雄『死の棘』を未読の方は、騙されたと思って読んでいただきたい。下手なサイコサスペンスが裸足で逃げ出す怖さである。

 最後に重箱の隅だけど、童謡『赤い靴』を作中であげている作品が二つほどあったのが気になった。これ、由来については諸説あるようだけど、神戸にはまったく関係ないよね? 横浜と混同したかな?


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09 2011
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プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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