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探偵小説三昧

日々,探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすブログ


Posted in 03 2020

エイドリアン・マッキンティ『ザ・チェーン 連鎖誘拐(上)』(ハヤカワ文庫)

 新型コロナウイルスと季節外れの大雪でほぼ終日引きこもり。というか、これ以上積もると雪かきまでしなきゃならんなぁ。憂鬱。

 エイドリアン・マッキンティの『ザ・チェーン 連鎖誘拐』をとりあえず上巻まで読む。
 わが国ではショーン・ダフィ・シリーズの『コールド・コールド・グラウンド』で2018年(原書は2012年)に初めて紹介された作家だが、デビューはなんと1998年まで遡り、すでに二十作ほどの著作を発表している。ただ、人気が高まったのはショーン・ダフィ・シリーズを書き始めてからのようで、ハードボイルドやノワール系の作家にありがちだが、エイドリアン・マッキンティも徐々にエンタメ度を上げて、それと比例して人気も上がっていったタイプなのかもしれない。

 ザ・チェーン連鎖誘拐(上)

 管理人も『コールド・コールド・グラウンド』は気になる作品で、いずれ読もうとは思っていたが、それよりもさらに気になったのが『ザ・チェーン 連鎖誘拐』である。インターネット上での前評判も良かったのだが、何よりその設定が奮っている。
 主人公はシングルマザーのレイチェル。ある日、娘が誘拐されて、身代金を要求されるが、要求はそれだけではなかった。なんとレイチェル自身もどこかの子供を誘拐しなければいけないというのだ。レイチェルの娘を誘拐した犯人もまた、誘拐の加害者であり、被害者だったのだ。
 この誘拐システムのチェーンに組み込まれたレイチェルが、自らも誘拐に手を染めるところまでが上巻の主な流れで、息詰まる展開が続き、なかなか快調である。ただなぁ、個人的にミステリに求めるものが違うというか。エンタメだからこそ、というのはあるのだが。
 さて、下巻ではどうなりますことやら。


伊東鋭太郎『弓削検事の実験』(湘南探偵倶楽部)

 コロナの影響もあって仕事も落ち着かないのだけれど、この週末はついに東京都では外出自粛。ニュースを見ていると銀座も渋谷も浅草も結構店が閉まっていて、歩行者も相当減っているようだ。そんななか人が少ないだろうというのでパチンコ店には逆に長蛇の列ができているとのこと。それこそ密閉状況、隣の台とも近いし、おまけに年齢層もかなり高いようで、何をやっているのやら。自分だけが病気になるのならいいが、ウイルスを持ち帰っている輩も多いのではないか。


 そんなわけで本日は近所へ買い物に出たぐらいでおとなしく読書。といっても十数ページ程度の短編で、湘南探偵倶楽部さんから届いたばかりの伊東鋭太郎『弓削検事の実験』。
 T大学の研究室で起こった教授殺害事件を描く。事件発生時の状況から容疑者はごく限られているが、犯人の巧みな工作によって捜査は誤った方向へ。そのとき弓削検事は…‥。

 弓削検事の実験

 そもそも伊東鋭太郎って誰だ?という話なのだが、管理人も全然知らない作家で、おそらくアンソロジーとかでも読んだことはないはず。湘南探偵倶楽部さんの案内文、ネットや若狭邦男『探偵作家発見100』でなんとか情報をかき集めてみると。
 伊東鋭太郎は京都出身。明治34年生まれで享年昭和38年、つまり六十二歳で亡くなったことになる。本業はロシアやドイツ、フランス文学の研究者らしく、昭和初期にはかなりの翻訳を手がけており、ミステリ関係ではシムノンを多く訳しているのが目につく。
 その流れもあってかミステリの創作も手がけるようになるが、著者はもうひとつ別の顔も持っており、それが軍事外交の研究家としての顔である。ノンフィクションも書いているが、創作でもそちら方面の知識を活かし、スパイものや諜報ものが多いと思われる(タイトルから想像しただけで実際に読んだわけではないので念のため)。
 ちなみにそのときどきで複数のペンネームも駆使しており、道本清一郎、道本清一、伊東瑛太郎、伊東鍈太郎となかなかややこしい。

 さて、話を「弓削検事の実験」に戻すと、こちらはスパイものではなく、密室ネタを中心にした純粋な本格仕立て。かの『新青年』が「新人十二ヶ月」という企画を始めた際、その一人として著者が選ばれ、本作が掲載された。
 まあ、短い話で登場人物も少なく、トリックもさほどではないけれど、推理や論理の展開はしっかりしており、案外楽しむことができた。
 何より気になったのは弓削検事の行動であり、決着のつけ方である。著者はロシア文学研究者でもあるのだが、そこかしこに『罪と罰』の影響を強く感じることができた。著者なりにアレンジした節が伺え、これはもっと長いものにするとより読み応えは出た気もするが、ただ、そうするとミステリとしては弱くなっただろうし、なかなか難しいところだ。
 ともあれ初・伊東鋭太郎作品ということで個人的には満足。

ピエール・ルメートル『わが母なるロージー』(文春文庫)

 ピエール・ルメートルの『わが母なるロージー』を読む。カミーユ・ヴェルーヴェン警部の登場する一作ではあるが、いわゆるイレーヌ、アレックス、カミーユの三部作には入らない番外的な中編である。

 パリ市内で爆破事件が発生した。まもなくジャンという青年が警察に出頭し、自分が犯人であり、カミーユ警部にだけ話をしたいと告げる。
 さっそく駆けつけたカミーユに、ジャンは恐るべき取引を持ちかけた。爆弾はあと六つが残されており、毎日9時に爆破する。それが嫌なら、殺人罪で勾留されているジャンの母親ロージーと自分に300万ユーロを渡し、オーストラリアへ無罪釈放させろというのだ。だがカミーユはジャンの真の狙いが別にあるのではと考えるが……。

 わが母なるロージー

 設定はすこぶる魅力的だ。爆弾のタイムリミットが迫る中、カミーユは犯人との心理的な闘いに挑むわけで、この二人のやりとりと爆弾の捜索が同時進行で描かれる。これが実に面白い.
 しかし、いかんせん短い。中編ゆえあまり書き込めなかったのはわかるが、本来であれば最低でもこの倍の分量で、みっちりと描いてほしかったところだ。

 心理描写というか登場人物の描き方もご同様。かなり魅力的な登場人物たちなのに、やはり分量的に物足りなさが残る。
 ジャンはもちろん、その母親であるロージーもまたクセのある女性で、事件の背景にはこの二人の関係性が見え隠れする。なんせロージーは殺人罪で拘留中。しかも被害者が●●というのだから恐れ入る。そればかりか捜査でさらに明らかになるロージーの過去は、カミーユたちを震撼させる。
 そんなロージーと逃亡しようとするジャンの気持ちがカミーユにはわからない。どこか悟りきった表情すら見せるジャンの心の奥底には何が流れているのか。ここが本作の大きなテーマにもなっているのに、それがいまひとつわかりにくい。描ききる前にラストを迎えてしまい、その結果としてジャンの動機や目的という肝心要のところまでがぼやけてしまう。
 設定もストーリーもキャラクターも面白く、非常にスリリングな物語なだけに、とにかくもったいないの一言である。

 なお、実はこれまでカミーユの登場する中編は、『Les Grands Moyens』と『Rosy et John』の二作あると思われていたのだが、実はこれどうやら同じ作品だったようだ。
 まず、2012年に『Les Grands Moyens』が刊行され、その後、『Rosy et John』と改題されて2014年に再刊と相なったらしい。
 というわけで、結局、これがカミーユ・シリーズ最後の作品ということになったのだが、ううむ、なんだか気持ち的には中途半端なので、ルメートルにはせめてもう一作だけカミーユで書いてもらえないものだろうか。


マーティン・エドワーズ『探偵小説の黄金時代』(国書刊行会)

 三連休というわけだが、新型コロナウィルスの影響やカミさんが実家へ帰っていることもあって、特に遠出することもなく。もっぱら仕事の調べ物をしたり、気になる作家の情報を集めたり、駅前の桜並木を見物にいったり、近場へ古本を買いにいったり、家の本を片付けたりして過ごす。それほど本を読めていないのはよくある話(笑)。

 それでもぼちぼち読み進めてきたノンフィクション『探偵小説の黄金時代』をようやく読了する。
 1930年、チェスタトンを会長として発足した英国ミステリ作家の親睦団体〈ディテクション・クラブ〉の歴史を軸に、作家たちの交流や活動を描いた大著である。
 著者はミステリ作家のマーティン・エドワーズで、日本ではあまり知られていないが、ディテクション・クラブや英国推理作家協会の会長も務める人物。会長就任以前から両団体で公文書保管役も務めていたということで、まさに本書を書くにあたってはうってつけの人物である。ただ、そういう経歴なのでてっきり英国ミステリ界の重鎮的存在だろうと想像していたのだが、なんとまだ(2020年3月時点で)六十五歳という若さである。六十五歳が若いかどうかは異論があるだろうが(苦笑)、そういう立場の人としては、ということでご了承くだされ。
※なお、マーティン・エドワーズについては海外クラシックミステリの同人誌「Re-ClaM」の第1号に詳しい。興味ある方はネットで検索してみてください。BOOTHでは電子版も発売されているようです。

 探偵小説の黄金時代
▲マーティン・エドワーズ『探偵小説の黄金時代』(国書刊行会)【amazon

 とにかく面白い。数々の文献やインタビューによって当時を再構築しているのだが、一人の作家の伝記を書くだけでも大変だろうに、本書は複数の作家を扱うばかりかディテクション・クラブという組織にスポットを当てているわけだから、その労力たるや。
 海外のクラシックミステリ好きならディテクション・クラブという存在ぐらいは知っているだろうが、それが実際のところどのような活動をしているのか、そこまで把握している人はそもそも少ないだろう。本作はそんな知っていそうで知らないディテクション・クラブの誕生前夜から黄金時代にかけての歴史を紐解いており、非常に興味深い。
 しかし、実はそれにも増して面白いのが、作家たちの交流やゴシップである。
 著名なミステリ作家なら伝記や評伝なども出版されており、その作家の生涯や作品の評価は知ることができるが、それらはいわば縦軸によるアプローチだ。本書ではそういった評伝だけではあまり知ることのできない作家同士の横への展開も多く語られており、それらのエピソードが作品に与える影響もフォローするなど、立体的な理解を得ることができるのが大きなポイントだ。

 内容が膨大なのでざくっとしか紹介できないけれど、当時の英国の時代背景、社会問題等がミステリに大きな影響を与えていることも再確認できるし、面白くてためになる一冊とはこういう本をいうのだろう。海外のクラシックミステリファンには、オススメを通り越して、もはや必携といってよい。

有馬頼義『リスとアメリカ人』(講談社)

 有馬頼義の『リスとアメリカ人』を読む。先日、読んだ『四万人の目撃者』に登場した高山検事と笛木刑事が再登場するシリーズの第二作。ちなみにこのコンビが登場する作品はもうひとつ『殺すな』があり、三部作となっている。

 まずはストーリー。銀座の一角にある古びたビルのなかに、政界の要人も頻繁に利用する深草診療所がある。建物こそ古いものの医療設備は最新、医師会の重鎮でもあった深草の評判は上々であった。そんな診療所にある夜、二人の男が現れ、診てほしい患者がいると、強制的に深草を車で連れ去ってしまう。
 連行先にいた患者を診た深草は愕然とした。それは紛れもなくペストの症状だったのだ。すでに深草を連行してきた男たちに感染している確率は高く、このまま彼らが行動すれば日本中が大惨事になる可能性もある。深草はその場から脱出しようとするが、無残にも射殺されてしまう……。
 一方、高山検事は深草が失踪したことを新聞記事で知る。自らも深草診療所を利用していた高山は気になったものの、笛木刑事が相談しにきた世田谷の発砲事件の疑い、そして新小岩でペストによる死者が出たことを知り、さまざまな対応を迫られてゆく。

 リスとアメリカ人

 『四万人の目撃者』のコメントでくさのまさんからオススメされたこともあって、さっそく読んでみたが、確かにこれはいい。
 検察・警察の地道な捜査という基本構造は『四万人の目撃者』とそれほど変わるわけではないのだが、今回は冒頭に深草医師の巻き込まれた事件を置くところがミソ。そのあと同時多発的に起こる医師失踪事件、発砲事件、ペスト騒動、読者にはこの三つにつながりがあることがわかっているわけで、そのつながりに高山検事らはどうやって気づくのかという興味が生まれ、ある種、変則的な倒叙ミステリのような面白さがある。
 ペストの感染ルートをたどる捜査についても実にスリリングだ。これはそれこそ最近の新型コロナウィルス騒ぎを彷彿とさせることもあって、題材そのものがセンセーショナルでよい。いわゆるどんでん返しやトリックとは無縁で、あくまで手がかりと推理を積み重ねる地味な本格ではあるのだが、そういう見せ方の巧さや素材の派手さによって、実に引き込まれる一冊となっている。

 なお、主人公である高山検事と笛木刑事のコンビだが、この二人の立ち位置というか設定が、前作とはやや趣の異なっている点は気になった。気になったといってもマイナスの意味ではなく、よりキャラクターを強く打ち出したという点にある。
 特に高山検事は前作ではわりと常識的な、悪くいうとややステレオタイプの人物だったが、本作では関係者への感情移入がしばしば見られ、悩める検事のイメージが強くなっている。笛木刑事もそんな高山に戸惑うようなところも見られ、そんな二人の関係性も読みどころといえる。
 本格好きのなかにはそんな要素は不要と感じている人も多いようだが、管理人的にはむしろ好ましく、そういう点でも本作は『四万人の目撃者』を超える出来といっていいだろう。


藤原宰太郎、藤原遊子『改訂新版 真夜中のミステリー読本』(論創社)

 藤原宰太郎、藤原遊子『改訂新版 真夜中のミステリー読本』を読む。
 藤原宰太郎といえばミステリの著作もあるが、それ以上に有名なのは、やはりミステリのガイドブックであろう。ミステリのガイドブックは数々あれど、藤原宰太郎の手になる著作はとりわけライトで親しみやすく、何よりネタバレのオンパレードというのが最大の特徴である(苦笑)。
 初心者向けの本なのに平気でトリックや犯人のネタバレをやるものだから、その被害は甚大。管理人も氏の『世界の名探偵50人』とかで古典の名作を軒並みやられた記憶があるが、昭和のミステリファンであれば一度は被害者になった苦い記憶があるのではないか。

 真夜中のミステリー読本改訂新版

 本書はそんな藤原宰太郎が1990年にワニ文庫から出した『真夜中のミステリー読本』を元版とし、娘さんの藤原遊子が各種改稿して新版とした出された一冊。
 ミステリガイドブックとはいえ、そこまで系統立てて解説したものではなく、初心者がミステリにより興味を持てるよう、密室とか暗号とか合作とか、とにかくさまざまなテーマで書かれた雑学エッセイ集といったところ。ひとつひとつのエッセイもそこまで詳しいものではなく、ちょっとしたミステリファンならすでに知っていることばかりなのだが、取り上げている作家や作品は相当に幅広く、著者の研究熱心さには頭が下がる。
 まあ、その研究成果をネタバレとして容赦なく載せてしまうのは本書でも相変わらずなんだけれど(笑)。

 ただ、本書は改訂版ということで、元版に相当手を入れているらしい。注釈をつけることでネタバレもかなり減らしているようだし、新しい作品も取り上げられている。昨今の社会通念上まずい内容とか現役作家への気配りもされているようで、そういう危うい部分はごっそりカットされているようだ。
 ううむ、それはそれで元版の破壊力がだいぶ弱められているような気もするし、残念な感じもするのだが(笑)。

 まあ、正直、初心者向けガイドブックといいながら、初心者にはお勧めできない禁断のガイドブックである。むしろ藤原宰太郎のガイドブックのそういう特徴を熟知したミステリマニアが、笑って当時を懐かしむような、そんな一冊ではないかと思われる。
 なお、少しだけ注文をつけさせてもらうと、『真夜中のミステリー読本』というタイトルの割には、カバーイラストが“イングリッシュガーデンの柔らかな午後の日差し”といった雰囲気で、妙にアンバランスなのがなんとも。


都筑道夫『紙の罠』(ちくま文庫)

 都筑道夫の『紙の罠』を読む。初期にはいろいろと実験的なミステリを書いている都筑道夫だが、本格ミステリに限らず、ミステリのさまざまなジャンルにおいてチャレンジと研究を続けた作家である。本作は当時の日本ではまだ少なかった(今でも少ないけれど)ナンセンス・アクションに挑戦した一作。

 こんな話。紙幣印刷用紙が輸送中に強奪されるという事件が起こった。強奪犯の目的はその紙幣を使った偽札造りに間違いない。そう推理した近藤庸三は、贋造に必要な“製版の名手”の身柄を先に押さえてしまい、強奪犯たちに引き渡してひと稼ぎしようと思い立つ。
 しかし、そう考えたのは近藤だけではなかった。土方や沖田といった商売敵、そして強奪犯も動き出して……。

 紙の罠

 著者自身はナンセンス・アクションと表現しているが、意識しているのはアメリカ映画にあるようなスラップスティック・コメディ、すなわち体を張ったドタバタギャグ満載のコメディだ。それをミステリでやったのが本作である。
 本筋は一応、“製版の名手”を巡るギャング同士の抗争だが、ストーリーがどう転ぶかはそこまで気にする必要はなく、ほぼ全編にわたって盛り込まれたギャグを楽しめばよい。だから著者と笑いの質が合うか合わないかでずいぶん評価は変わるだろうなとは思う。

 とはいえ当時のスラップスティック・コメディをここまで日本風に落とし込んだ例はあまり見たことがなく、それだけでも一読の価値はあるだろう。ギャグ満載でありながらもどこかおしゃれなイメージを感じさせるこのテクニックは鮮やかだ。
 また、スラップスティック・コメディ云々とはいってもベースはミステリ。著者はその辺も抜かりなく、それこそ本格ミステリばりの意外な真相と推理シーンをラストにもってくるのはさすがである。

 なお、本作は近藤&土方シリーズとして二長編があり、先日、二作目の『悪意銀行』もちくま文庫で復刊したばかりである。こちらの感想もそのうちに。


ハリー・カーマイケル『ラスキン・テラスの亡霊』(論創海外ミステリ)

 ハリー・カーマイケルの『ラスキン・テラスの亡霊』を読む。著者は1950〜70年代にかけて活躍した英国の推理作家で、本邦初紹介の『リモート・コントロール』はD・M・ディヴァインを彷彿とさせるなかなかの佳作であった。本作はそれに続く邦訳第二弾(すでに第三弾の『アリバイ』も論創海外ミステリで刊行済み)である。

 まずはストーリー。人気スリラー作家クリストファー・ペインの妻、エスターが、ある夜、睡眠薬に仕掛けられた毒物によって死亡する。ただし、他殺事故か自殺か他殺なのかは判然としない。保険会社の依頼で調査にあたったパイパーは、関係者の聞き込みにまわるが、明らかになったのはペインを嫌う人物が多数いたこと、薬物を投与するチャンスも多くの関係者がもっていたことだった。しかも調査を進めるうち、エスターの死がペインの新作と酷似していたことも判明する……。

 ラスキン・テラスの亡霊

 ううむ。実はネットでの評判がいまいちだったので心配はしていたのだが。
 確かにトータルでは『リモート・コントロール』に比べると見劣りするだろうが、それなりに見どころは多く、ラストのサプライズも意表を突いて面白い。そこまで悪い作品ではないと思うがなぁ。

 とりあえず気になるところから挙げると、やはりストーリーのまとまりの悪さだろう。登場人物は決して多くないけれど、各自がみな嘘をつきまくるので、探偵役のパイパーがそのなかを右往左往する羽目になる。ところがパイパーはすでに事件の当たりがついているような節もあり、サクッと決め打ち展開するのかと思っていると、実はパイパーがけっこう内省的なタイプのうえ、関係者に感情移入してしまうところもあるなど、何かこうウダウダした流れでスッキリとは進まない。
 また、事件はひとつでは終わらず、第二、第三の悲劇も起こるのだけれど、こちらも意外と煽りが少なく、何かこちらが重要な情報を読み落としているのかという気分にもさせられる。
 全体に一本ピシッとしたところがないというか、物語の中心となる部分がわかりにくく、それがリーダビリティに悪影響を与えているのかもしれない。

 ただ、先に書いたようにいいところも少なくない。タイトルにもなっており、特に物語を混沌とさせる要因にもなっている“ラスキン・テラスの亡霊”という着想は好み。
 ラストも悪くない。やや唐突な感じではあるが、サプライズとしては十分だし、それこそ“ラスキン・テラスの亡霊”というタイトルにも沿っているのがお見事、
 上に欠点としてあげたストーリーも決して酷いというレベルではなく、登場人物とパイパーのやりとりは個々で見ればけっこう面白いし、物語に深みを与えてくれている効果もある。
 結局、『リモート・コントロール』が比較的後期の作品、対する本作は著者の初期作品ということもあって、単純に若書きゆえということではないだろうか。もう少しストーリーを整頓すれば、テーマや面白さがよりストレートに伝わり、世評はもっと上がったように思う。

 ちょっと思ったのは、本作のテーマともいえる“ラスキン・テラスの亡霊”の存在や、悩める探偵パイパーの心理、関係者に延々とちょっかいを出し続ける捜査などをみるに、これって本格ミステリというよりネオハードボイルドとかに近いなあということ。
 著者はそれこそ別名義でハードボイルドも書いた作家なので、初期作品たる本作は、まだ著者のやりたいことが明確に分離できていなかったのではないだろうか。本格、ハードボイルド双方の作品を原作発表順に紹介してもらえると、その変遷も理解できるとは思うが、論創社さん、どうでしょう?
 まあ、作品数が多いうえ、後期ほど面白い作品が多いという話なので、ちょっと無理な相談かとは思うが(苦笑)。


ウィルキー・コリンズ『ウィルキー・コリンズ短編選集』(彩流社)

 ウィルキー・コリンズといえば英国ヴィクトリア朝時代の人気作家だが、ミステリファンには『白衣の女』や『月長石』の作者としておなじみだろう。特に『月長石』は英語で書かれた初の長篇ミステリということで、その歴史的価値はもちろんだが、何より小説として楽しめるので、ミステリファンなら一度は読んでおいたほうがよい。意外なほどサクサク読めることに驚くはずだ。
 とはいえ、なんせあの分厚さである。持ちにくいだとか、途中で飽きたらどうしようとか、腰が引ける人も少なくないはず。そこで、そんな人にオススメなのが、今回ご紹介する『ウィルキー・コリンズ短編選集』である (なんだか通販番組みたいな書き出しになってしまった)。

 ウィルキー・コリンズ短編選集

The Diary of Anne Rodway「アン・ロッドウェイの日記」
The Fatal Cradle: Otherwise the Heart-Rending Story of Mr. Heavysides「運命の揺りかご」
Mr. Policeman and the Cook「巡査と料理番」
Miss Morris and the Stranger「ミス・モリスと旅の人」
Mr. Lepel and the Housekeeper「ミスター・レペルと家政婦長」

 収録作は以上。短編が五作と、それほどのボリュームではないので、『月長石』とは違って、手軽にコリンズの魅力を味わうことができる。
 ではコリンズの魅力とは何か、ということになるのだが、まずはストーリー作りの上手さ。本書収録の作品は短編ゆえ、それほど複雑なプロットではないけれど、こう書けば盛り上がるというツボを心得ているというか、アイデアをストーリーに落とし込む技術がお見事。加えて活き活きとしたキャラクターの描写がある。特に女性の描き方がうまくて、ハッピーエンドでもバッドエンドでもヒロインの姿はどれも印象に残る。
 もちろん今の目でみるとベタな印象も受ける作品もあるし、ごくオーソドックスなものではあるが、19世紀半ばでこのお話作りの上手さはさすがである。しかも新訳で読みやすいこともあり、古さも感じさせない。

 以下、各作品のコメントを簡単に。
 「アン・ロッドウェイの日記」は下宿屋で暮らす貧しい娘・アンの冒険譚。同じ下宿屋で共に暮らす友人が、ある夜、頭を打って運ばれ、そのまま息を引き取ってしまう。彼女が持っていた布切れをもとに、アンは友人が何物かに襲われたのではないかと考え、その犯人を捜そうとするが……。
 サプライズまでは期待できないが、サスペンス小説としての体裁はけっこうしっかりしており、何より日記を通して描かれるヒロイン・アンの健気な姿勢、心情が印象的だ。

 航海中の船内での赤ん坊取り違え事件を描いたのが「運命の揺りかご」。
 語り手が取り違えられた赤ん坊の一人というのも珍しいが、決してシリアスにせず、あえてユーモラスに悲劇を描いている。一応、バッドエンドなんだろうけれど、怒りながらも達観したような語り手の嘆き節がまた面白い。

 「巡査と料理番」は本書中、一番ミステリらしい作品。
 ある夜のこと、下宿屋の料理番の娘が、下宿人のある夫人が夫を刺し殺したといって警察に駆け込んでくる。しかし、捜査は行き詰まり、やがて出世を夢見る主人公の巡査一人だけが黙々と捜査を続けていくが、いつしか料理番の娘と巡査は愛し合うようになり……。
 サスペンスもあり、ちょっとシムノンを連想させるかのような味わい。余韻も含めて個人的にはもっとも気に入った一作。

 一転して「ミス・モリスと旅の人」はユーモラスなラブロマンス。
 ある港町で家庭教師をするミス・モリスは、見知らぬ男性と出会い、双方とも密かに好印象を抱くのだが、プライドの高さと恥ずかしさのため、そのまま別れてしまう……。
 いわばツンデレヒロインを主人公にしたラブコメであり、「アン・ロッドウェイの日記」のヒロインとは別の意味で印象に残る。コリンズは本当に女性の描き方が巧い。

 プロット作りの巧さがもっとも発揮されているのは「ミスター・レペルと家政婦長」か。
 資産家の独身紳士レベルは、伯父の屋敷を訪れたとき、門番の娘スーザンと知り合い、彼女のフランス語の勉強を手伝うことになる。そんなレベルに対してスーザンは恋心を抱くものの、鈍いレベルはスーザンの気持ちに気づくこともない。一方でスーザンに対して恋心を抱いたのが何とレベルの親友ロスシー。しかし、ロスシーは財産がないため結婚には踏み切れないでいた。そんなロスシーの悩みを知ったレベルは、病気が悪化したこともあり、ロスシーに奇妙な提案をするのだが……。
 と、ここまでなら三角関係をネタにしたロマンス小説で終わるのだが、それだけでも十分楽しめるところに、タイトルにある“家政婦長”が絡めでくるのがミソ。

 というわけで予想以上に楽しめる一冊。コリンズの魅力を再確認する意味でもよいし、入門書としてもOK。ううむ、長年積んでいる臨川書店の『ウィルキー・コリンズ傑作選』もそろそろ読むべきか。


ニコラス・オールド『ロウランド・ハーンの不思議な事件』(ROM叢書)

 ニコラス・オールドの短編集『ロウランド・ハーンの不思議な事件』を読む。かの海外ミステリ同人誌〈ROM〉が別冊として発行していたROM叢書からの一冊。ちなみに本誌〈ROM〉の休刊にともなって、ROM叢書も終了したと思っていたが、こちらは本書で再スタートすることになったようで、非常に喜ばしいかぎりである。

 さて、まずは著者の紹介から。とはいっても、ニコラス・オールドについてはほとんど情報がなく、かろうじて本名Amian Lister Champneysと生年没年がわかっている程度らしい(これすら最近判明したとのこと)。
 ミステリとしての著作も本書のみのようで、ほかには詩集が二冊ほど出ているだけのようだ。当然ながらおそらくは本業のかたわら執筆をしていたと思われる。

 ロウランド・ハーンの不思議な事件

The Windmill「風車」
The Collector of Curiosities「珍品蒐集家」
The Lost City of Lak「失われた都市ラク」
Potter「ポッター」
Black and White「黒と白」
The Red Weed「赤い草」
Ol Mr. Polperro「ポルペーロ老人」
The Two Telescopes - I. The Unending Road「二本の望遠鏡Ⅰ 終わりなき道」
The Two Telescopes - II. The Law and the Telescope「二本の望遠鏡Ⅱ 法律と望遠鏡」
The Two Telescopes - III. The Vengeance of the Stars「二本の望遠鏡Ⅲ 星々の復讐」
The Man with Three Legs「三本足の男」
The Monstrous Laugh「巨人笑い」
The Mysterious Wig-Box「謎の鬘箱」
The Invisible Weapon「見えない凶器」
The Attempted Disembowelment of John Kensington「ジョン・ケンジントン割腹未遂事件」
Double or Quits「オール・オア・ナッシング」
The Sin of the Saint「聖者の罪」

 収録作は以上。明晰な推理で難事件の謎を解く名探偵ロウランド・ハーンと、その相棒であり記録者でもある“私”のコンビが活躍する短編集である。本書が書かれた時代や作品の設定などをみれば、一応はホームズのライヴァルとして位置づけてよいのだろう。
 ただ、ソーンダイク博士や思考機械、隅の老人といった正統派のライヴァルの活躍に比べると、ロウランド・ハーンの活躍はかなりぶっ飛んでいる。いや、ハーンがぶっ飛んでいるのではないな。ぶっ飛んでいるのはあくまで事件のほうだ。ネットで少し感想を見てみると、チェスタトンが弾けたときの作品を喩えにあげている人がいたが、確かにそれっぽくはある。
 犯人がそもそも変人ばかりで、常識では計り知れない主義や思考があり、彼らなりの論理でもって犯罪に走るのである。だから普通のミステリだと、誰が犯人か、どのように犯行を為しえたのか、というパターンが主軸になるところを、本書ではそれらよりももっと手前の段階、そもそもいったい何が起こっているのか、という謎でもって展開する。しかも解き明かされる真実が予想の斜め上をいったりするわけで、そういう意味ではハーンが何に着目して真相にたどり着いたかという興味も読みどころだ。

 馬鹿馬鹿しさと紙一重の作品も多く、なかにはやや古びたネタの作品もあるが、とにかくこのチャレンジ精神というか、遊び心が捨てがたい。まあ、スレた読者向け、という感じは否めないけれど(苦笑)、けっこうな珍品を読ませてもらったという満足度は高く、結果、個人的には十分楽しめた。
 気に入ったものを挙げるなら、ベストは三つの死体の因果関係が秀逸な「風車」、次いで野生動物商を舞台にした犯罪をめぐる「ポッター」、貧乏人ばかりを狙う連続盗難事件「二本の望遠鏡」あたりか。

 なお、上で短編集とは書いたが、各題名の前に実は第一章、第二章……とナンバリングがされているので、連作短編といったほうが適切かもしれない。とはいえ基本的には独立した作品ゆえ、どこから読んでも問題はないのだが、他の作品に登場した人物が他の作品にもちらりと(ときにはドサッと)顔を出したりすることもあるので、そういう意味では一応、順番に読んだ方がおすすめである。

有馬頼義『四万人の目撃者』(中公文庫)

 昭和の古いところをぼちぼちと読み進めているけれども、本日は有馬頼義の『四万人の目撃者』。1958年の作品である。いうまでもなく有馬頼義は直木賞も受賞した中間小説の実力派作家。ミステリも多く残しており、本作では日本探偵作家クラブ賞も受賞している。

 プロ野球のペナントレースも終盤に近づく九月。セネタースの四番打者・新海清はスランプに陥っていたが、その日の試合で最近の不調を吹き飛ばすような快打を放つ。ところが球場にいた四万人の観客・関係者の目前で、三塁に向かっていた新海の体が崩れ落ち、そのまま息を引き取ってしまう。
 死因については心臓麻痺と思われた。だが、たまたま観戦に来ていた高山検事は、その死に釈然としないものを感じ、半ば強引に死体を解剖にまわすことにする。その結果、新海は毒殺されたらしいということがわかり、高山検事は笛木刑事とともに捜査を開始する……。

 四万人の目撃者

 著者の代表作でもあり、確かに読ませる。先日読んだ佐賀潜の『華やかな死体』もそうだが、本作でも検事が主人公。その検事と笛木刑事のコンビの地道な捜査がやはりストーリーを引っ張ってゆく。
 ただ、『華やかな死体』が徹底的に地味な印象を受けたのに比べると、本作は舞台がプロ野球、また、犯人側からの挑発なども盛り込まれるなどサスペンスの度合いも高めで、リーダビリティはこちらがかなり上である。

 しかし、それらの点も悪くないのだが、本作で一番注目したいポイントは別にある。
 それは通常のミステリと異なり、犯行の内容がはっきりしないまま、捜査が進んでゆくということ。たとえば毒殺らしいということはある程度確かだが、その毒の正体がわからない。毒がわからないので、どのような状況で毒が仕込まれたかもわからない。当然、犯人のアリバイも確かめようがない。犯人の動機もわからなければ、容疑者もかなりの段階まではっきりしない。中盤辺りまではそういう曖昧模糊とした状況に包まれている。
 登場人物もそう。新海の妻・菊江。新海の亡き後、チームの四番打者を期待される矢後選手。菊江の妹で矢後の恋人・長岡阿い子。戦時中に新海の部下であり、いまは新海の経営する喫茶店を任されている嵐鉄平。新海と知り合い、職を世話された保原香代。胡散臭い人物もそれなりにいるのだが、これがまた中盤過ぎまではどう怪しいのかがはっきりしない。
 要は事件そのものが存在したかどうかがはっきりしていない。高山検事はあることをきっかけに新海の死が他殺ではないかと怪しむのだが、これらの状況を果たしてどのように打開するのか、そしてそのために捜査や推理をどう積み重ねていくのか、そんな過程が読みどころといえるだろう。
 正直、ミステリとしては少々かったるいところもあるのだが、最後にあらゆる疑問が一本の線にまとまるところはよくできており、野球好きなら一層楽しめるはずだ。

 ・蛇足その1
 タイトルだけ見ると衆人環視の中での不可能犯罪みたいな感じもあるので、ついつい本格を期待してしまいがちだが、そういう作品ではないので念のため。

 ・蛇足その2
 本作は著者の代表作だが、残念ながら新刊で読めるものはないようだ。ただし、過去にはけっこうな数の出版社から発売されており、古本では容易に入手可能である。


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プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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