fc2ブログ
探偵小説三昧

日々,探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすブログ


Posted in 04 2020

泡坂妻夫『亜愛一郎の逃亡』(創元推理文庫)

 泡坂妻夫の『亜愛一郎の逃亡』を読む。亜愛一郎シリーズの第三短編集にして、最終巻でもある。まずは収録作。

「赤島砂上(あかしまさじょう)」
「球形の楽園」
「歯痛(はいた)の思い出」
「双頭の蛸」
「飯鉢山(いいばちやま)山腹」
「赤の讃歌」
「火事酒屋」
「亜愛一郎の逃亡」

 亜愛一郎の逃亡

 『〜狼狽』『〜転倒』と続いたシリーズもこれでラスト。シリーズ作品の常として、どうしても後期の作品ほどレベルは落ちてしまうものだが、本短編集もやはり『〜狼狽』、『〜転倒』に比べると少々物足りなさを感じてしまう。とはいえ、それは著者自身の傑作と比べるからで、そういうフィルターを外せば決してレベルが低いわけではなく、十分に楽しむことができた。

 本シリーズの特徴として、キャラクターの魅力や言葉遊び、奇妙な謎と意外な真相など、いろいろなものがあるだろうが、三冊読んでより感じたのはロジックの妙。いや、ロジックというのとも少し違うか。なんというか亜の謎解きシーンが楽しいのである。
 『〜狼狽』の感想でも少し触れたが、まず“気づき”がいい。目の前で起こっている出来事について、亜は普通とは違う“何か”に気づき、その理由を考え、推理を巡らせてゆく。そして、最終的にはその出来事すべてが事件のうえで意味のあることばかりだったことを解明する。極端にいうと、すべての出来事が伏線であり、それを回収してみせるのである。もう、三巻目の本書収録作品ともなると、事件解決だけさらっとやってしまって、そのあとにじっくりと謎解き場面が始まる作品も多い。いかに著者が推理することを楽しんでいたかの証ともいえる。

 以下、作品ごとに簡単なコメントを。

 「赤島砂上」はヌーディスト島にやってきた闖入者の謎を解き明かす。のっけから奇妙な事件だが、実はほぼ事件らしい事件も起きず、いきなり真相が明らかになる構成が見事。ただ、材料は少なく、けっこう決定的な描写が序盤にあるので、勘のいい人は見破れるかも。

 「球形の楽園」は珍しくトリックで読ませる感じだが、ある人気作家の有名作品に先例があるのが惜しい。とはいえ先にも書いたように、亜の“気づき”がなかなかいい。

 亜シリーズはユーモラスな作品ばかりだが、「歯痛の思い出」は大学病院で展開するとりわけ愉快なストーリー。事件など何もないような状態からいきなり謎解きが始まるパターン、そのうえでの意外な真相という構成は強烈なインパクトを残す。

 山奥の湖に巨大な相当の蛸がいるという情報を聞き、やってきた記者が遭遇するダイバー殺害事件が「双頭の蛸」。トリックや推理のカギとなる写真の扱いが巧く、わりとちゃんとしたミステリなのだが(笑)、ところどころに挿し込まれる、記者がリアルタイムで書いていると思しき記事が楽しい。

 「飯鉢山山腹」は化石の発掘に同行した亜が、山中での車の転落事故に見せかけた殺人事件に巻き込まれる。アイデア自体はわかるのだが、現実的でない部分があって、本書中では落ちる一作。

 「赤の讃歌」は発想が素晴らしい。赤色に拘る画家の展覧会にやってきた美術評論家の玲子は、画家の作風の変化に納得がいかず、頭を悩ませていた。しかし、その秘密を見抜いたのは、何ら美術知識も持たないの亜愛一郎だった。これも“気づき”が秀逸。

 「火事酒屋」は本書中のベストか。火事好きの酒屋の主人とその夫婦、そしてたまたま居合わせた亜が火事騒ぎに巻き込まれる。チェスタトンの作風を喩えに出されることの多い亜シリーズだが、本作などはその筆頭かもしれない。お見事。

 本書だけでなく、シリーズの掉尾を飾るのが「亜愛一郎の逃亡」。まあ、事件やトリックそのものは大したことがないけれど、亜がトリックを仕掛ける側に回ること、そして何よりフィナーレ的な作品として書かれていることが最大の特徴だろう。
 ここでシリーズの登場人物を総登場させたり(しかも幾人かは時の流れを感じさせる趣向まで)、亜の秘密や作品内で頻繁に登場してきた“三角形の形の顔をした洋装の老婦人”の正体も明かされる。おそらくシリーズ当初からこういうラストを考えていたのだろうなと思うと、つくづく著者の遊び心に驚嘆するしかない。


ヘレン・ウェルズ『エアポート危機一髪 ヴィッキー・バーの事件簿』(論創海外ミステリ)

 ヘレン・ウェルズの『エアポート危機一髪 ヴィッキー・バーの事件簿』を読む。
 論創海外ミステリの一冊だが、これはまた懐かしい名前である。ヘレン・ウェルズは主に1940年代から60年代にかけて、主にジュヴナイル、特に少女向けミステリで人気を集めた女流作家だ。日本でも看護婦探偵のチェリー・エイムスやスチュワーデス探偵のヴィッキー・バーのシリーズ作品がいくつか紹介され、管理人も小学生ぐらいの頃に読んだ記憶がある。

 こんな話。ヴィッキー・バーはフェデラル航空に勤めるスチュワーデスだ。しかし、スチュワーデスとして勤務するだけではなく、自分でも飛行機を操縦してみたい気持ちが強くなっていた。そんなとき、同僚のパイロットから自分の知り合いのパイロットがヴィッキーの故郷で飛行場を経営しているという話を聞く。
 ちょうど休みを利用して里帰りするところだったヴィッキーは、その飛行場経営者兼パイロットのビル・エイヴリーを訪ね、パイロットの教習を受けることになるが、それをきっかけに地元で起こりつつある陰謀に巻き込まれることになる……。

 エアポート危機一髪ヴィッキー・バーの事件簿

 日本で書かれたジュヴナイル・ミステリと海外(主に英米)のジュヴナイル・ミステリは意外に印象が異なる。あくまで個人的な印象なのだが、国産ものは読者の対象年齢をしっかり定め、文体や内容、登場人物の設定にいたるまで、バランスよくまとめている。一方、海外で書かれたジュヴナイルは主人公こそ子供にしているが、比較的、内容はそのまま大人向けでも通じるようなパターンが多い。
 これもあくまで想像に過ぎないが、日本では昔から小・中・高どころか、学年ごとに学習誌があるなど、非常に細分化された出版状況があって、それに合わせてジュヴナイルも書かれてきたことが大きな理由ではないか。また、英米の文化として、子供をなるべく子供扱いしないという考え方の違いも影響しているように思う。どちらがいいという話ではなくて、そういう環境や文化の違いが、日本と海外のジュヴナイルの違いとなって表われているように思うのである。

 本作もその例に漏れない。主人公のヴィッキーはスチュワーデスという仕事に就ているように、ジュヴナイルとしては珍しく大人の女性を主人公にしている。内容も田舎にある二つの飛行場のトラブルが背景にあり、子供向けにしてはなかなか現代的というか、本当に子供がこんな事件に興味を持ってくれるのかというほど渋いネタを扱っている。しかもプロットは予想以上に複雑だ。
 もちろん残酷な犯罪は登場せず(未遂はあるけれど、殺人までには至らない)、飛行機の操縦シーンを詳細に描写するなど、ジュヴナイルらしい工夫もたくさんあるけれど、基本的には普通に大人向けミステリとして楽しむことができることに感心する。ただ、本書自体は子供向けに発売したものではなく、論創海外ミステリとして大人向けに翻訳されているので、それが影響している可能性も大である。

 そういうわけでジュヴナイルとはいえ大人も楽しめるミステリではあるのだが、ミステリ本来の謎解き的な楽しみはあまりなく、冒険小説もしくはスリラーという面が強いので念のため。


泡坂妻夫『妖女のねむり』(創元推理文庫)

 泡坂妻夫の『妖女のねむり』を読む。初期の傑作の一つとして挙げられ作品である。

 大学生の柱田真一は、古紙回収のアルバイトをしている最中に、樋口一葉のものと思われる一枚の反故を発見した。一葉の研究者によると、どうやらそれは一葉の未発表原稿ではないかという。そこで真一は反故の出所をたどるべく、上諏訪にある吉浄寺へ向かう。
 ところがその上諏訪で新一は奇妙な出来事に遭遇する。たまたま電車で知り合った長谷屋麻芸という女性から、二人はかつて悲恋の末に死んだ恋人たちの生まれ変わりだと告げられたのだ。初めは信じられなかった真一だが、麻芸の話を聞くうち、次第にそれを受け入れていく。だが、前世の二人の死には隠された秘密があり、その謎を解明しようと動いたとき、悲劇が起こる……。

 妖女のねむり

 これはまた初期作品のなかでもとりわけ異色作。なんせストーリーを貫くのは輪廻転生というテーマであり、ミステリというよりは幻想小説の雰囲気が濃厚だ。そんななか、物語は真一と麻芸の出会いによって転がり始め、前世の因縁をきっかけに深まってゆく二人の姿、そして前世の二人を襲った悲劇について聞き込みを続ける様子が描かれる。
 幻想小説なのかミステリなのか、どういうふうに物語を着地させるのか。ミステリ者としては、どうしてもそんな興味が先にきてしまうが、とにかく先がまったく見えない。しかも中盤で殺人事件が起こり、それがいっそう物語を混沌とさせる。
 そして最終的にはすべての伏線を回収し、論理的に謎を解き明かすという離れ業が披露される。そもそも発端だった一葉の原稿の件も、途中で放ったらかしになるので単なるきっかけ作りだったのかと思いきや、きっちりと種明かしをされる。輪廻転生や奇跡の類も然り。とにかく、まったく予断を許さない、著者ならではの騙しのテクニックが満載の一作である。

 また、個人的に強く印象に残ったのが犯人像。(ネタバレになるので詳しくは書かないが)たまにこの手の犯人の作品に出会うことがあるが、こういうのが一番インパクトがあり、好みである。

 少々ケチもつけておくと、真相が予想以上に複雑で、偶然性の強い部分もあるのが惜しい。真一の立場で読んでしまうと、ちょっとこれを解き明かすのは無理かなという感じではある。実際、しっかりした探偵役はおらず、関係者の告白で多くの事実が明らかになる。とはいえ犯人決め手の手がかり、輪廻転生や奇跡に関する部分の種明かしなどは著者ならではの鮮やかさで、巻き込まれ型の本格としては十分だろう。
 むしろ気になったのは、被害者に対して関係者がみな淡白というか、あまり悲しみが伝わってこなかったこと。これは登場人物が冷たいということではなく、著者の掘り下げが浅いという印象である。それこそゲームの駒的な扱いというか、後半は謎解きに集中しすぎて物語としての潤いが減ったようにも思う。前半の登場人物の描き方が丁寧だっただけにちょっと残念であった。
 ラストもかなり印象的なシーンのはずなのだが、そんな理由もあっていつもよりは説得力に欠ける感じであった。

 と、少し注文もつけてみたが、それでも本作の価値を落とすほどのものではない。泡坂妻夫を語るなら、やはり押さえておくべきであり、これもまた代表作のひとつといえるだろう。


オースティン・フリーマン『盗まれた金塊』(湘南探偵倶楽部)

 湘南探偵倶楽部さんが復刻している「知られざる短篇」シリーズからオースティン・フリーマンの『盗まれた金塊』を読む。かつて改造社が刊行した『世界大衆文学全集60 ソーンダイク博士』に収録された短編で、現状ではそこそこレアな一作。とはいえ国書刊行会から『ソーンダイク博士短編全集』が出れば新訳で読めるのだから、これで無理に読む必要はないのだけれど、まあ、当時の翻訳の雰囲気も気になって読んでみた次第。

 盗まれた金塊

 ソーンダイク博士のもとに保険会社の重役が訪ねてきた。アフリカの採金会社から英国の宝石会社ミントン・ボウエル商会に送られた金塊の詰められた箱の中身が、いつのまにか鉛管にすり替わっていたのだという。金塊の箱は港から汽車に積まれたが、直行便がないため、ある小さな駅で積み替えのため一時保管していたとのこと。警察の話では、その駅ですり替えが行われたということだが……。

 事件そのものにそれほど面白みはなく、トリックも今となってはさすがに古臭いけれど、それを見破るソーンダイク博士の着眼点がよく、そこからの推理もいつもどおり論理的、科学的で本格の楽しさは満喫できる。ソーンダイクが冒頭で「人の話には主観が入るから、それを鵜呑みにしてはいけない。事実をしっかり量ることが大切だ」というような意味のことを言うのだけれど、まさにそれを実践した内容である。途中で船による追跡劇もあり、これもただの味つけに終わらせていなのが心憎い。
 ちなみにトリックが古臭いと書いたけれど、これ、子供向けの推理クイズとかでよく使われたネタであり、その先鞭をつけたというのであれば、むしろ、さすがオースティン・フリーマンというべきであろう。まあ、確かめたわけではないので、本作が二番煎じの可能性もあるけれど(笑)。

久生十蘭、二反長半『いつ また あう 完全版』(盛林堂ミステリアス文庫)

 『いつ また あう』は久生十蘭が少女雑誌『りぼん』に昭和三十二年に連載していた作品。しかし、十蘭が連載中に亡くなってしまい、そのあとを二反長半(にたんおさ なかば)が引き継いで完結したものだ。
 つまり本作は十蘭の遺作になるわけだが、より知られている十蘭の遺作としては『肌色の月』がある。『肌色の月』も連載中に十蘭が亡くなってしまった作品だが、こちらは残すところラスト一回分であり、しかもストーリーを十蘭から聞いていた夫人が仕上げた経緯があり、十蘭の作品といって差し支えないだろう。
 一方、『いつ また あう』は連載わずか二回分での中断である。作品としてはまだ序盤である。加えてそのストーリーがどうなるかは誰も知らされておらず、そういう意味で本作はほぼ二反長半の作品といっていいかもしれない。
 ちなみに二反長半についてはまったく知らなかったが、Wikiによると児童文学界の大家だったようだ。元教師で、戦時中から児童文学作家として活動をはじめ、1950年ごろからは子供向けの伝記なども多く手掛けている。

 さて、『いつ また あう』に話を戻そう。
 少年係の杉山刑事が日比谷公園を見回りしていたときのこと。ベンチに腰掛けている少女を見かけたが、その家族は姿を見せず、心配になった杉山刑事は警察署へ保護することにした。しかし、少女は一切口をきかないため帰る先もわからず、また、迷子の届け出もない。
 困った杉山刑事は少女を連れて都内のあちらこちらを巡り、何か少女の記憶に訴えるところがないか調査を開始した。しかし、羽田空港でちょっと目を離したすきに少女がいなくなってしまう……。

 いつまたあう完全版

 ううむ、口をきかない少女にどんな秘密が隠されているのかとか、暗躍する似顔絵描きの男の正体とか、謎の女性とか。ストーリーを引っ張ろうとする狙いはわかるのだが、どうも全体的に心踊らない。
 やはりプロットが弱いというか、導入自体はミステリアスだが、その後の流れや真相がいまひとつ。また、探偵役の杉山刑事はベテラン刑事らしいのだが、特に頭脳の冴えも見られず、おまけにミスも多い。結果、展開としては一歩進んで一歩下がるという状態の繰り返しで、バタバタしている割には物語が進行せず、なんとも盛り上がりに欠ける。ラストも急いでまとめた感がありありで、これはやはり二反長半にミステリや冒険小説のセンスが不足しているのだろうなぁ。

 ということで、この時代の子供向け探偵小説のなかでも低調な部類であり、残念としかいいようがない。とはいえ国書刊行会の『定本久生十蘭全集』にも十蘭執筆分しか収録されていないようなので、熱心な久生十蘭ファンであれば、やはり押さえておきたい一冊ではある。

佳多山大地『トラベル・ミステリー聖地巡礼』(双葉文庫)

 バタバタしていた一週間が終わり、ようやく週末の休みである。管理人の勤める会社でもテレワークが始まったが、まあ、いきなり全員がテレワークできるはずもない。そもそもテレワークが不可能な業務もあるわけで。それでもこのご時世、できるかぎりは新型コロナウイルスへの対応に務めるべく、関係者への通知、機材の調達やセキュリティの準備を幹部連中でまとめあげ、いよいよ本格的にスタートする。まあ、各種問題も出てくるのだろうけれど、とりあえず社会的責任はなんとか果たそう。

 そういうわけであまり読書も進まず、軽いものでお茶を濁す。佳多山大地の『トラベル・ミステリー聖地巡礼』である。
 ベースになっているのは「小説推理」で連載していた「トラベル・ミステリー探訪」で、著者自身の趣味であるミステリーと鉄道を融合させたエッセイ集。作品の舞台になっている“事件現場”を訪ね、そのミステリーを紹介するというものだ。トラベル・ミステリーの楽しさを紹介した本は意外にないので、このジャンルのファンには間口を広げる意味では悪くない一冊といえるだろう。

 トラベル・ミステリー聖地巡礼

 トラベル・ミステリーといってもこれでなかなか幅広く、著者はトラベル・ミステリーを大きく二つのタイプに分けている。まずは鮎川哲也に代表されるような、列車や交通機関が犯罪に利用される(アリバイ工作など)本格タイプのもの。もうひとつは内田康夫に代表される、主人公や探偵が旅先などで事件に遭遇するというもので、別名、旅情ミステリー。
 ミステリマニアには言わずもがなのことだが、前者は“トラベル”という要素がミステリーの根本的な部分に直接関わるからいいのだけれど、後者はあくまで“トラベル”が味付けに終始しており、ミステリーとしてはかなり薄味である。しかしながら、かつてのトラベル・ミステリーの大流行の中心になったのはこちらであり、これまた当時流行した二時間サスペンスドラマの原作にも多く用いられた。今でいう“にわか”ミステリーファンも急増し、硬派なマニアはこういう状況を苦々しく思っていたようで、トラベル・ミステリーを一段低くみる風潮もあったと思う。『このミステリがすごい!』の座談会における「リーグが違う」発言も、そんな流れから出たのだろうと邪推する次第である。
 もちろんすべてのトラベル・ミステリーが二つのタイプにハッキリ分かれるわけではなく、実際はその中間的な作品も多く、たとえば西村京太郎などは両タイプにまたがる存在といえるだろう。

 ちょっと話はそれてしまったが、かつてはこういう時代もあったということで、今ではトラベル・ミステリー蔑視もほぼなく(と思うが)、法廷ミステリーとか警察ミステリーとか、一般的な特徴を示すジャンルとしてとらえてよいだろう。
 著者も本書ではその辺にこだわりなく幅広い作品を取り上げ、時代も新旧取り混ぜている。ただ、その結果、純粋なトラベル・ミステリーとは言い難い作品も見受けられる。また、ネタバレなしと著者は書いているが、けっこう内容に踏み込んだ話も多く、基本的には取り上げられている作品を読んでからの方が楽しめるだろう。
 ということで聖地巡礼エッセイも悪くないのだけれど、上でも書いたようにトラベル・ミステリーを紹介した本は意外にないので、著者にはぜひ次は本格的なトラベル・ミステリーのガイドブックを書いていただきたいものだ。


ノエル・ヴァンドリ『逃げ出した死体』(ROM叢書)

 同人系というか私家版というか、とにかく最近はクラシックミステリに出版社以外が大いに参入して、えらい勢いである。管理人もこのジャンルは大好物なので、出るものはとりあえず片っ端から買っているのだが、この二週間だけでも、デュ・ボアゴベ『乗合馬車の犯罪』、コナン・ドイル『二重唱 時折の合唱付き(上)』、城崎龍子『ハルピンお龍行状記』、香住春吾『地獄横丁』、ビーストン『戦後未収録作品集』、伊東鋭太郎『弓削検事の実験』、オースティン・フリーマン『盗まれた金塊』が届いた。時代は令和だというのにとんでもないことである。

 本日の読了本は、そんなマニアックなミステリ同人誌の老舗「ROM叢書」から、ノエル・ヴァンドリの『逃げ出した死体』を読む。
 ノエル・ヴァンドリは1930年代を中心に活躍したフランスのミステリ作家である。当時のフランスミステリとしては珍しいことにガチガチの本格志向であり(いや、今でも珍しいけれど)、密室や不可能犯罪ものが多いという。聞きなれない作家ではあるが、ミステリ批評家ロラン・ラクルブによる密室ミステリのガイドブックに取り上げられるなど、邦訳が期待されていた作家でもある。

 まずはストーリー。
 深夜のこと。カドヴァンと名乗る男が「人を銃殺した」と警察に出頭した。警官はカドヴァンが殺したというグレシーの家に向かうが、血痕は残っていたものの、不思議なことにグレシーの死体は消え失せていた……。
 捜査を担当したマルティニェのもとへ、さらなる奇妙な事件が舞い込んだ。サポローという男が自殺をしたらしいが、またしても死体が消え失せているというのだ。しかも、グレシーを殺したので自殺するという書き置きが残されていた。マルティニェはローラン予審判事とともに推理を巡らすが……。

 逃げ出した死体

 いやあ、驚いた。初めてノエル・ヴァンドリの作品を読んだわけだが、ここまで本格作家だとは思わなかった。しかもけっこうな高品質で。本当にこんな作家がフランスにいて、今まで紹介されなかったのが実に不思議である。これは本国フランスでも似たような状況らしくて、解説によると今でも本国のマニアがこぞって探す作家らしい。もちろん作品がつまらなかったら、ただのマニアの酔狂で終わるのだが、いま読んでも十分に面白いのである。

 まずは殺人と自殺、ふたつの事件の死体が消え失せ、さらには殺人事件の方には二人の人間が犯行を認めているという導入の妙。まったく意味がわからない状況だというのに、関係者に聞き込みを進めるとどいつもこいつも嘘や隠し事をしている始末。どうやら事件の裏には痴情や遺産相続など、さまざまな事情があるようなのだが、それらがもつれにもつれ、おまけに“狐”と名乗る謎の人物から密告が相次ぎ、マルティニェ警視とローラン予審判事はこの難事件をあーだこーだと推理合戦を闘わせる。
 真相を突き止めるという職業的な使命とは別に、ときには相手を負かしたいという人間的な部分も見せながら繰り広げる二人のやりとりが実に楽しい。裏の事情が複雑すぎて正直、途中で何度もページを戻って読み直すこともけっこうあったりとか、嘘だらけの関係者に対して警察のツッコミが甘すぎるとか、気になるところも多々あるのだけれど、まあ、本作の楽しさを著しく損なうものではないのでよしとしよう(苦笑)。

 実は一番残念だったのはラスト。シリーズ探偵のアルー予審判事はローラン予審判事と入れ替わる形で登場するが、出番が短くて本作だけではまだ魅力を感じるところまではいかなかった。
 また、アルーの指摘で一気に事件は解決に向かうのだが、その指摘は至極もっともなもので、これに気づかない捜査陣がだらしない。
 意外性はまずまずあるので不満というところまではいかないが、やや惜しい感じもあり、こうなったら、ぜひ他の作品も読んでみたいものだ。その際はぜひ密室もので。

エイドリアン・マッキンティ『ザ・チェーン 連鎖誘拐(下)』(ハヤカワ文庫)

 エイドリアン・マッキンティの『ザ・チェーン 誘拐連鎖』読了。
 上巻では「チェーン」、すなわち子供を誘拐された親が次の誘拐を自分たちで成功させないと子供が帰ってこないという誘拐システムに取り込まれた主人公の姿を描いていたが、下巻では「チェーン」を管理する犯人の正体、そして主人公たちの反撃を描いている。

 ザ・チェーン連鎖誘拐(下)

 結論からいうと、個人的にはいまひとつ乗れなかった。
 理由はいろいろあるのだが、根本的なところは誘拐システムというアイデアに無理がありすぎるところか。
 確かにアイデアとしては面白いし、ストーリーもスリリング。まあ、客観的にみれば受ける作品だとは思う。本書の解説にもあるとおり、著者はそれまで書いていたショーン・ダフィ・シリーズが評価されている割にはまったく売れず、作家廃業というところまできていたようで、そこにドン・ウィンズロウやエージェントのアドバイスを受け、最初からヒット狙いで書いたのが本書だという。
 その結果としてハリウッド映画的な味つけ濃厚な一作に仕上がったのだが、アイデアありきが強すぎて、そのほかのいろいろな部分がおざなりになっているというか。
 
 詳しく見ていくと、まずはチェーンというシステムがそこまで上手く回らないだろうという点。脅迫と恐怖という二重のストレスにさらされている一般人が、果たしてここまで誘拐を完遂できるだろうかという素朴な疑問である。実際、作中の登場人物たちも幾度となくポカをしており、その手段はあまりにも危うい。一回や二回ならまあ何とかなるかもしれないが、何十組の親たちが誘拐に成功するとは到底思えない。チェーンにもう少し説得力を持たせてほしかったというのが率直なところである。
 また、登場人物たちが幾度となくポカをしているのにもかかわらず、そこはかなりのご都合主義で乗り切るのも個人的には興醒め。エンターテインメントとして、これぐらいのご都合主義はまあ許容範囲ではあるのだけれど、ネタがシリアスなだけに、ハリウッド映画レベルの展開はちょっと違うのではないかと感じる。
 これは誘拐犯であり被害者でもある人々はもちろんだが、チェーンの管理者たちも同様だ。これだけのシステムを運営している割には意外に脇が甘い部分もあり、このレベルでこれだけの犯罪を維持してきたことが疑問である。
 最後は子供の扱い。被害者として子供を扱うなら、やはりそれなりの覚悟と信念をもって、しっかりしたテーマのもとで掘り下げて描写してほしい。あくまで個人的な見解ではあるが、ミステリはあくまで娯楽なので、単に話を盛り上げるためだけに子供をダシに使ってほしくない。本作はその意味でバランスが崩壊している。

 ということで繰り返しにはなるけれども、本作は着想自体は素晴らしいし、上手い作家だとは思うのだが、上記の点で無理や納得できないところがあり、常に不愉快な読書となってしまった。ネットの情報をみるとショーン・ダフィ・シリーズは真逆な雰囲気でもあるので、できればそちらも試してみたい。


« »

04 2020
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

ツリーカテゴリー
'; lc_cat_mainLinkPart += lc_cat_groupCaption + ''; document.write('
' + lc_cat_mainLinkPart); document.write('
'); } else { document.write('') } var lc_cat_subArray = lc_cat_subCategoryList[lc_cat_mainCategoryName]; var lc_cat_subArrayLen = lc_cat_subArray.length; for (var lc_cat_subCount = 0; lc_cat_subCount < lc_cat_subArrayLen; lc_cat_subCount++) { var lc_cat_subArrayObj = lc_cat_subArray[lc_cat_subCount]; var lc_cat_href = lc_cat_subArrayObj.href; document.write('
'); if (lc_cat_mainCategoryName != '') { if (lc_cat_subCount == lc_cat_subArrayLen - 1) { document.write(' └ '); } else { document.write(' ├ '); } } var lc_cat_descriptionTitle = lc_cat_titleList[lc_cat_href]; if (lc_cat_descriptionTitle) { lc_cat_descriptionTitle = '\n' + lc_cat_descriptionTitle; } else if (lc_cat_titleList[lc_cat_subCount]) { lc_cat_descriptionTitle = '\n' + lc_cat_titleList[lc_cat_subCount]; } else { lc_cat_descriptionTitle = ''; } var lc_cat_spanPart = ''; var lc_cat_linkPart = ''; lc_cat_linkPart += lc_cat_subArrayObj.name + ' (' + lc_cat_subArrayObj.count + ')'; document.write(lc_cat_spanPart + lc_cat_linkPart + '
'); } lc_cat_prevMainCategory = lc_cat_mainCategoryName; } } //-->
ブログ内検索
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
ブロとも申請フォーム
月別アーカイブ