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探偵小説三昧

日々,探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすブログ


Posted in 01 2009

マイクル・コナリー『終決者たち(下)』(講談社文庫)

 三年振りにロス市警へ復帰したハリー・ボッシュ。配属されたのは未解決事件班で、久々にキズミン・ライダーとコンビを組み、十七年前に起きた少女殺害事件に乗り出す。当時は一般的でなかったDNA鑑定により、意外に事件解決が早いと思われた矢先のこと。肝心の証拠が警察内から消え失せ、しかも当時の捜査に上層部からの圧力がかかって迷宮入りになっていた事実まで判明する。因縁浅からぬロス市警副本部長アーヴィンとの確執も再燃するなか、ボッシュは再び己の信ずる正義を貫こうとするが……。

 終決者たち(下)

 マイクル・コナリーの『終決者たち』下巻読了。
 いやいや、まずは文句無し。一言で言うと実に端正な出来映えである。このシリーズに「端正」という言葉はあまり似つかわしくない気もするが、とにかく完成度は高い。そして意外にも事件以外の要素を極力排除し、ストレートな警察小説に仕上げている。

 先日の日記でも書いたように、ボッシュ・シリーズは『堕天使は地獄へ飛ぶ』(後で気がついたのだが、文庫版では『エンジェル・フライト』。なんで邦題変えたのかね?)までは、警察小説の装いはしているものの、根っこはあくまで正当派ハードボイルド。しかも事件と自己、社会の在りようがとことんシンクロする強烈な「怒り」の物語であった。ところが『夜より暗き闇』からは次々と新たな試みに着手し、しかも小説としての完成度をいっそう高めていくという離れ業を見せる。
 だが、ここで作者のコナリーはこれまでのシリーズをいったん清算し、さらに新たなステージへシリーズを昇華させようとしているように思える。

 その結果がすなわち『終決者たち』だ。
 まず今まで数々の苦悩や内省を続けてきたボッシュをとりあえず救済し、純粋に警察小説という枠内で勝負させているのが大きな特徴である。
 事件そのものはややダイナミックさに欠け、そこが若干物足りないところではあるが、事件のカギを握る人物を中心にして、当時の人間模様や社会を炙り出すところなどはさすがに巧い。また、以前ならばそこでボッシュの内面をもろにリンクさせていたところを敢えて抑え、横軸はあくまでシンプルに構成しているところがこれまでの作品と大きく異なる。
 とはいえ過去の事件を扱っていることや、加えて警察内部の問題も絡めてくる辺りは、縦軸だけとっても十分に職人芸で、その結構たるや一段と磨きがかかっている。「端正」と感じた所以である。
 なお、ラストの二つのエピソードは、ボッシュ・シリーズでは滅多に見られない類のもので、これがあるから読後感はすこぶるよい。「ボッシュ・シリーズで今後このような爽快感や読後感の良さを感じさせてくれることなどまずあるまい」と訳者が解説に記しているほどで、まあ、コナリーもえらい言われようだが(苦笑)、実際その可能性は高いだろう。
 新たなステージに向かうボッシュへの御祝儀というわけでもないだろうが、そういう点でも本作の位置づけはシリーズ中でも大きな意味を持つに違いない。


マイクル・コナリー『終決者たち(上)』(講談社文庫)

終決者たち(上)

 マイクル・コナリーの『終決者たち』をとりあえず上巻まで読了。お馴染みハリー・ボッシュ・シリーズの現時点での最新刊。まあ刊行されてからもう一年半近く経っているので、何を今さらではあるが。

 詳しい感想は下巻読了時ということにして、今日はこのハリー・ボッシュ・シリーズについて、思うことを少し記しておこう。
 今までの感想でもちらほらとは書いてきたのだが、個人的にはボッシュ・シリーズは『堕天使は地獄へ飛ぶ』でひとつのピークを迎え、それ以後は新たな方向性を求めて歩き出したような印象を持っている。
 乱暴に言うと、『堕天使は地獄へ飛ぶ』まではボッシュの内面と社会の矛盾をリンクさせた作品群。その骨太なテーマや語り口は現代のハードボイルドでは珍しいほどの「怒り」を表出するものであり、造りとしてはやや粗っぽいところも見られるが、非常に密度の濃いストレートな作品ばかりである。
 ところが『夜より暗き闇』以降になると明らかに作風は落ち着いたものに転化し、それまでの重苦しいほどの苦悩や葛藤はだいぶ薄れている。また、小説としての完成度はより高くなったものの、意外に変化球が多くなってきているのが目立つ。
 ボッシュとマッケイレブという二大キャラクターの共演による『夜より暗き闇』、憑きものが落ちたかのような新生ボッシュを感じ取れる『シティ・オブ・ボーンズ』、ナノテクノロジーをテーマにしたノン・シリーズの『チェイシング・リリー』、私立探偵ボッシュが活躍する『暗く聖なる夜』、それまでの各シリーズを総決算するかのような『天使と罪の街』。
 こうしてみると『夜より暗き闇』以後のコナリーは作品ごとに様々な試みを企てていることが明白で、しかもそれを恐ろしく高いレベルで成し遂げていることが伺える。
 その分、初期のようなボッシュの激しい「怒り」は減っているわけだが、ただ、ここまで高いレベルで作品を提供し続けているからには、初期のボッシュが良かったとかいう必要もないだろう。実は一時はそういう思いにとらわれたこともあったのだが、コナリー自身が意図してシフトチェンジを行い、挑戦を続けているわけである。しかも見事な結果を出している。これはもう一読者としては素直に待つしかあるまい。
 そういうことを感じたのも、本作『終決者たち』が、(上巻を読んだ限りでは)新たなステージを迎えそうな予感に満ちているからだ。下巻にどのような物語が待っているのか、シリーズがどのような局面を迎えるのか、これは期待するなという方が無理だ。
 あ、でもシリーズが終わるかも、という噂もあるんだよな。ううむ、どうなるんだ?


アーサー・ポージス『八一三号車室にて』(論創海外ミステリ)

 少し古いニュースになるが、昨年末に作家のドナルド・E・ウェストレイク、ヒラリー・ウォーの両氏が亡くなった。ウォーは12月8日、ウェストレイクは12月31日とのこと。両者とも大ホームランをかっ飛ばすようなタイプではなかったけれども、渋く安打を量産し、本格好きからハードボイルドや冒険小説のファンに至るまで幅広いミステリファンから支持されていたように思う。まさに職人と呼ぶにふさわしい作家だった。合掌。


 八一三号車室にて

 アーサー・ポージスの『八一三号車室にて』を読む。
 ポージスは主に(本国の)『エラリー・クイーンズ・ミステリマガジン』や『ヒッチコック・マガジン』を舞台に活躍した、短篇専門の作家である。本書は日本で初めて出版される作品集で、まずはその意義を称えたい。
 内容はというと大きく二部構成。第一部は<ミステリ編>と題し、オチを利かせたクライムストーリーがメイン。第二部は<パズラー編>というタイトルどおり本格がメインである。各十三編ずつの計二十六作を収録している。

 で、感想だが、<ミステリ編>にしても<パズラー編>にしても、オチやトリックはなかなか鮮やか。これだけの作品を収録しながらほぼ全作にトリッキーな趣向を凝らしているというのは、ある意味驚異的ですらある。ネット上での評判をのぞいてみても概ね好意的なものが多い。
 ただ、野暮を承知で書くと、作品のひとつひとつが短すぎてどうにも物足りない。もう余計なことはほとんど描写しないのである。先にも書いたようにネタ(オチやトリック)はいいのだが、とにかくそれを見せることだけが目的のようにも感じられ、そこに至る物語・演出が弱い。その結果として<ミステリ編>の各作品はまるでショートコント、<パズラー編>は推理クイズのような印象しか残らない。作品集が出たのは嬉しいけれど、こうしてまとめて読むと、逆に弱点が目立ってしまうのは皮肉なものである。
 パズラーが好きなら読んでおいて損はないレベルだとは思うが、それだけに惜しい。


ジェフリー・ディーヴァー『スリーピング・ドール』(文藝春秋)

 ジェフリー・ディーヴァーの『スリーピング・ドール』を読む。リンカーン・ライム・シリーズの『ウォッチメイカー』に登場したCBI捜査官キャサリン・ダンスを主人公にした、いわゆるスピンオフ作品である。

 すべてをコントロールすることに執着を見せる殺人カルト教祖、ダニエル・ペル。彼はある富豪一家を惨殺したことで逮捕されたものの、刑務所からの脱獄を図る。捜査の指揮を任されたカリフォルニア州捜査官の《人間嘘発見器》キャサリン・ダンスは、持ち前のキネクシス分析を用い、一歩一歩ペルを追いつめてゆくが、ペルもまたその頭脳で捜査の手をすり抜けてゆく。果たしてペルの狙いは何なのか。惨殺された一家の唯一の生き残りの少女《スリーピング・ドール》がカギを握ると考えたダンスは、彼女から話を聞きだそうとするが……。

 スリーピング・ドール

 前作『ウォッチメイカー』の出来が素晴らしかったので、次はどうなることやらと要らぬ心配をしていたのだが、まったくの杞憂だったようだ。なんと『ウォッチメイカー』で重要な役割を果たしたキャサリン・ダンスを主役に持ってくることで、見事に自らの可能性を広げ、高水準をキープしてみせた。インパクトだけでいえば『ウォッチメイカー』に譲るものの、そのスピード感やどんでん返しの妙は健在だし、何よりキネクシス分析という要素が、物語の要所要所に彩りを添え、重要なアクセントになっている。
 言葉のかすかな抑揚であったり所作の変化であったり、人の言動からその心理を読み解くテクニックがキネクシス分析だ。ダンスはまさにその技術の天才であり、証人や容疑者から数々の真実を引き出していくシーンは、まさに見せ場の中の見せ場である。

 本作のもうひとつの読みどころは、主人公を巡るドラマが再びしっかりと描かれるようになったところ。実は最近のライム・シリーズではそこが物足りないのである。もちろんそこらへんのミステリよりは全然ハイレベルなのだが、四肢の麻痺という大問題を抱えるライムには、やはり事件とライム自身の密接な関わりがほしい。『ボーン・コレクター』がよかったのは、鑑識捜査の凄さやスピード感もさることながら、そういったドラマ性が高かったことも忘れてはならない。
 本作では主人公が代わったおかげで、シリーズもののように登場人物をさらっと流すこともない。家族とのやりとりや恋愛、仕事や同僚との関係が丹念に描かれ、しかもそれが単なる味付けでなく、事件の展開にも融合されている。おまけにカルト教祖の「ファミリー」とダンスの家族を対比することでテーマも明確に打ち出すという、いやはやお見事な手際である。

 『ウォッチメイカー』の後だけに、どうしても迫力という点では損をしてしまうが、読んで損をすることはまったくない。むしろディーヴァーを初めて読む人にもおすすめできる傑作である。


ロブ・コーエン『ハムナプトラ3 呪われた皇帝の秘宝』

 本日はDVDで観た『ハムナプトラ3 呪われた皇帝の秘宝』の感想など。最近やたらに映画の感想が多いのは、先日ぶっ倒れていたときにまとめて観ていたせいなのは秘密だ>いや、別に秘密じゃないが。

 ぶっちゃけ、これはつまらなかった。SF特撮系には過大な愛情をもって接しているので、そうそう辛いことは書きたくないのだが、いや、これはダメだろ(笑)。
 とにかく一見派手な映画なのだが、観ていてもひたすら退屈するのである。理由は明快で、とにかくシナリオがつまらなすぎ。皇帝の復活という設定が適当なら、永遠の命に関する秘密も適当、どうやってボス敵を倒すかという最大の難関も適当である。数組のカップルを登場させ、それを対比させることで一応はテーマらしきものを見せようとはしているが、こちらもあまりに薄っぺらすぎ。おまけに親子の愛情なども盛り込むからピントもぼける。
 映像にはそこそこお金をかけているようでまずまず見せるが、肝心のアクションはやはりいまいち。ジェット・リーを起用してこれはないよなぁ。
 今作では監督の変更があったわけだが、それも大きな原因なのか。ただ、一作目のヒット自体がそもそも想定外だったのだから(笑)、本来はこの程度のものなのかも。そろそろ打ち止めかな。


M・ナイト・シャマラン『ハプニング』

 DVDで『ハプニング』を観る。監督はあの『シックス・センス』のM・ナイト・シャマランなので、それなりに期待したいところなのだが、なんせこの監督さん、『シックス・センス』は大傑作といっていいとは思うが、その後はいい意味でも悪い意味でもシャマランらしさを出し過ぎているようで、いまひとつ評判がよろしくない。おかげでここ最近の『ヴィレッジ』や『レディ・イン・ザ・ウォーター』は結局スルーしたままなのだが、『ハプニング』はCMが巧かったせいで印象に残り、遅ればせながら視聴と相成った次第。

 ある朝突然、ニューヨークのセントラル・パークで集団自殺が発生。しかもそれは凄まじい早さで東海岸一帯に広まってゆく。高校の理科の教師エリオットは妻や同僚とともに、安全だと思われる田舎へ脱出を図る。テロによるガス攻撃か、はたまた新種のウイルスか。逃走を続ける人々を追うかのように、その脅威は田舎へも広がっていく……。

 発端は魅力的で演出も悪くない。人々へ自殺病が広がると同時に、恐怖の連鎖も広がる、その見せ方が巧い。もちろん自殺の様々な形を見せてゆくところなどは、ストレートなB級ホラーのノリで、これはこれでもう単純に怖いのだが、本当に怖いのは何が起きているかわからず、ひたすら逃げまどうしかないという部分。この「何が起きているかわからない」という曖昧模糊な状態が、より恐怖を演出する。
 さらにいえば、この曖昧模糊とした状態をいかにクリアにするかが、物語を引っ張る原動力につながってゆく。つまり人々は逃げ惑いながらも、そこに何らかの法則性を見出し、恐怖を恐怖でなくそうと努力する。これはそのまま映画を鑑賞しているこちら側のカタルシスにも通ずるわけで、おお、これはまんまミステリにも当てはまることだな。
 で、シャマラン監督がやっちまったのは、このカタルシスの部分をことのほかさらっと流してしまったことだ。そりゃ納得しない人も出るだろう(苦笑)。
 とはいえ最低限の説明は物語内でされているので、個人的にはこれでも全然あり。『クローバーフィールド』然り。『宇宙戦争』然り。映画に何を求めるかでこういった作品は大きく評価も分かれるのは致し方ないところだろう。


太宰治『文豪ミステリ傑作選 太宰治集』(河出文庫)

 松本清張が生誕百年ということで話題になっている。出版社ではいろいろな企画もスタートしているようだが、実は他にもけっこう生誕百年の作家がいることをご存じだろうか? 純文学畑では埴谷雄高や中島敦。ミステリでは『船富家の惨劇』で知られる蒼井雄などがそう。
 だがもう一人、忘れてはならない作家がいる。清張に匹敵するだけのネームバリューをもつ1909年生まれの作家とは、そう、太宰治だ。
 すでにさまざまな自治体でイベントが立ち上がり、『斜陽』も映画化されたりと(公開は今年の5月予定)いろいろな動きがあるなか、おそらく誕生月の六月にはこの騒ぎもピークを迎えることになるはず。小畑健の表紙にした『人間失格』の売上げが数倍になったというエピソードもまだ記憶に新しいが、これでまた太宰治がブームになるのだろうか?

 文豪ミステリ傑作選太宰治集

 さて、本日の読了本は、そんな太宰治のミステリをまとめた『文豪ミステリ傑作選 太宰治集』。まずは収録作から。

「魚服記」
「地球図」
「雌に就いて」
「燈籠」
「姥捨」
「葉桜と魔笛」
「愛と美について」
「誰も知らぬ」
「清貧譚」
「令嬢アユ」
「恥」
「日の出前」
「女神」
「犯人」
「女類」

 谷崎潤一郎や佐藤春夫ならいざ知らず、太宰治ってミステリ書いてたっけ? そんな疑問を持つ人も多かろう。実際のところ太宰治がミステリに興味があったなどという話は聞いたことがなく、本書に含まれているのも、せいぜいが幻想小説であったり、多少なりともオチを利かせたものであったり、犯罪や死を扱った物語というところである。いやあ、正直これをミステリ傑作選として売るのは詐欺だろう(笑)。

 ただ作品自体に罪はない。単品でみると興味深い作品もちらほらあり、以下、印象に残った作品&感想など。
 「魚服記」や「清貧譚」は民話をベースにしたもので幻想小説といってよいだろう。「魚服記」はいわゆる変身譚。もの悲しい津軽のイメージが鮮烈。逆に「清貧譚」は変にハートフルで、全然太宰っぽくないところが面白い。
 「燈籠」はちょっと怖い。恋に狂った女の一人称は怖い。
 「葉桜と魔笛」は本書でもっともミステリっぽい作品かも知れない。基本は叙情的な作品なのだが、ミステリ的な捻り、幻想小説的なラストと盛りだくさん。横溝正史の若い頃の作品っぽい。
 「愛と美について」はいったい何なんだろう(笑)。個性的な五人の兄妹が順番に物語を作ってゆくという話で、太宰治がこういうものを書いていた、という話のネタだけでも読んでおきたい。
 「令嬢アユ」も他愛ない話だけれど、令嬢の正体を明かす部分が少しミステリ的ではある。
 「恥」は太宰版『ミザリー』。ユーモラスではあるが、女性一人称がやはり少し怖さを感じさせる。
 「日の出前」はラスト一行のインパクト。
 「犯人」は太宰ミステリとしては一番アンソロジーに採られる作品かも(でもミステリじゃない)。最後のオチは正直必要性を感じないけれど、犯人の逃避行はもう少し長めの形で読んでみたいと思った。


クリストファー・ノーラン『ダークナイト』

 もう散々っぱらあちらこちらで語られているので、今さらすぎるのだが、ようやく『ダークナイト』を観た。そう、バットマンの映画第六作、新シリーズでいえば『バットマン ビギンズ』に続く第二作目の作品。
 もともとその重く暗い世界観で他のアメコミ・ヒーローものとは一線を画すバットマン・シリーズだが、最初の四作はまだ試行錯誤の印象も強かった。しかし『バットマン ビギンズ』の成功で、そのスタイルは完全に決定づけられた。メッセージ性の強さ、ダークなコミックの世界観そのままの再現、シリアスなドラマ、凝りに凝ったシナリオ等々。
 渡辺謙の出演シーンやヒマラヤでの修業時代など、日本ではどうしても厳しい受け取られ方をする部分もあったが、トータルでは十分な出来であった。意地悪な言い方をすると、思わぬ拾い物をしたという印象で、これはそこまでシリーズの質が落ち込んでいた証しでもある。
 とにかく『バットマン ビギンズ』でシリーズは新たな局面に入った。
 そして『ダークナイト』。

 いや、確かに騒がれるだけの作品だ。シリーズ中では文句なしのNo.1だし、そもそもドラマとしてもかなりのハイレベルである。
 前作『バットマン ビギンズ』の長所をそのままパワーアップしたといえばわかりやすいだろう。
 よく言われるのは、バットマンとジョーカーのもつ相似性であったり、善悪に対する根源的な問いかけであったりというメッセージの部分。まあ、非常に深読みができるテーマなので、多くの人がメッセージ性を長所に挙げるのは十分理解できる。
 また、役者の演技も見事というほかない。これもよく言われることだが、ヒース・レジャー演じるジョーカーは確かに凄い。ジャック・ニコルソンの重荷によくぞ耐えた。
 だが個人的には、本作の最大の見どころは、細部まで固められた構成にあると考える(若干、盛り込みすぎの嫌いはあるが)。
 まあ、これも既に多くは語られたことばかりなのだが、本作はそもそもアメコミをベースにしたSF特撮アクションものである。それを意外なまでにバトルとアクションを抑え、逆に人間の心理やサスペンスでヤマ場をもってくるところなど、シナリオと演出のレベルは尋常ではない。
 特にオープニングの銀行強盗シーンはのっけからゾクゾクした。強盗同士が淡々とつぶし合うところ、反撃するイカレた銀行員、そして最後に残った強盗と倒れた銀行員の会話の上手さ。ここまで一気に気持ちを持っていってくれるオープニングはそうそうない。このレベルのエピソードがそれこそラストまで綿々と連なるので、もう飽きるわけがないのである。

 今年最初の一冊はいまひとつだったけれど、最初の一本は上々な滑り出しである。満足。


宮田亜佐『火の樹液』(幻影城)

 新年早々、風邪とじんま疹のダブルインパクトで完全にダウン。じんま疹は年末ぐらいからやや再発気味だったのが、今週の火曜頃から急速に悪化し、最終的にはほぼ全身に発生という最悪の状況。木曜あたりは試合後のボクサーのように顔が腫れ上がる始末である。同時に水曜頃から風邪をこじらせて三十八度の高熱が二日ほど続き、もうヘロヘロ。今日になってようやく腫れも熱もひき、少し動けるようになったのだが、まだ予断は許さない状況ゆえ、この週末もほとんど自宅で休養の予定。
 どちらもハッキリした原因はなく、体力が低下しているときに徹夜や深酒、ストレス、気候の変化等で一斉にスイッチが入ったのではという病院の話だったが、ううむ、年末はそれなりに休んで万全のはずだったんだがなぁ。

 火の樹液

 というわけで、更新もぼちぼち再開。
 今年、最初の読了本は、宮田亜佐の『火の樹液』である。明らかに『本格ミステリ・フラッシュバック』や『幻影城の時代 完全版』の影響であるな(苦笑)。まずはストーリーから。

 富岡大衆食堂のオーナー、富岡貞五郎。いまや名誉欲と性欲にしかこだわりのないこの俗な老人のもとへ、橋梁学の権威である桑長教授から面会希望の連絡があった。名誉欲に胸膨らませて約束の場所へ赴いた富岡だったが、そこで知らされたのは、かつての同僚の死であり、そしてかつて彼らが関与したある秘密についての脅迫めいた話であった。やがてその富岡も謎の死を遂げ、K時事新報の若手記者、宮口がフィアンセと共に事件の謎を追う……。

 本書は幻影城ノベルスの一冊だが、『幻影城』とはそもそもかつての名作を復刻・紹介する目的で誕生した探偵小説専門誌である。もちろん乱歩の書いた評論集からまんま拝借したものだ。その雑誌『幻影城』もやがて新人作家を輩出するようになり、泡坂妻夫、連城三紀彦、栗本薫、竹本健治らといった錚々たるメンバーが世に出ることになる。そして宮田亜佐もまた『幻影城』から生まれた作家の一人だ。
 前置きが長くなってしまったが、幻影城に対するそれらのイメージが強すぎてか、本書『火の樹液』を端正な本格ものだと思っていたのは、我ながら不覚であった。
 出だしこそ悪くない。富岡というただの成り上がりに思えた男が、実は元刑事であり、同僚や検事らを巻き込む何かの陰謀に荷担していたらしいことを、読者は早々に知らされる。やがて命を狙われると確信した富岡は防衛策に走るが、その甲斐なく犯人の毒牙にかかってしまう。そして始まる警察の捜査、記者の取材……。
 妙な感じになるのはこの辺りからで、探偵役となる記者、宮口の調査が進むと、次第に汚職をテーマとする社会派っぽく変化する。そのくせダイイングメッセージなどといういかにも探偵小説的なセリフまで飛び出し(そのくせネタはひどい)、やがて宮口のフィアンセまでが調査に協力する展開となってからはますます雲行きがあやしくなって、最終的な着地点ときたら……という具合。
 著者の他の長篇を読んだことがないので、あくまで本書を書いた時点で、という話になるが、とにかく長篇をまとめるほどの力量がないのではないか。それぐらい方向性や風味のハッキリしない作品だ。おまけに時系列や場面転換もギクシャクしている。事件の真相や著者の得意分野を考慮すると、自ずとコンセプトはハッキリしているはずなのに、それを活かす適切な手段を用いていないというイメージ。全体的に軽快な語り口も、本書に関してはもっと抑えた方が、ラストの余韻を活かすためにも良かったはずだ。

 考えたら、本書が傑作であれば、もっと知られているはずなので、この程度の出来なのも致し方あるまい。駄作とまではいかないが、わざわざ古書店で大枚はたいてまで読むほどの作品でないことは確かだ。『幻影城』に関係するものは何でも読んでおきたい、という方であれば。


謹賀新年

 新年明けましておめどうございます。
 今年最初の更新となりますが、ブログ的には大して変わり映えもなく、適当に探偵小説やミステリ、その周辺書などをだらだら読んで、相も変わらずレビューもどきをアップしていく所存でございます。どうぞ今年もご贔屓のほど宜しくお願いいたします。

 あ、変わり映えしないとは書いたが、プロフィールの画像だけはちょっと変えてみた。ホームズの格好をしたテディベア(といってもこれはそのミニチュアだが)ですな。小さいけれど、ちゃんとパイプと虫眼鏡まで持っている。一応でかい画像も載せてみる。↓

 テディ・ホームズ1

 テディ・ホームズ2

 我が家では、相方が昔からテディベア好き、こっちはミステリ好きだから、折衷案的なグッズとしていつのまにかけっこうな数のホームズ・ベアが集まったのだが、そもそもどちらもヨーロッパでは人気のあるジャンルで、ミックスしたグッズもそれなりに種類が豊富なのである。
 なかにはマイクロフト・ベアという珍品?もあるので、気が向けばそのうち紹介してみたい。

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プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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