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マルレーン・ハウスホーファー『壁』(同学社)
マルレーン・ハウスホーファーの『壁』を読む。十年ほど前に映画化もされ、日本では2016年に公開されて一部で話題になった作品の原作。サバイバル小説の傑作とは聞いていたので入手はとっくにしていたが、例によって長らく積んでしまい、それがこの度、著者の短篇集『人殺しは夕方やってきた』が出るという情報を見かけて、取り急ぎ消化してみた次第である(最近このパターン多し)。
ストーリーは実にシンプルである。従姉妹夫婦の山荘に誘われたアラフォー女性と思しき「わたし」が主人公。従姉妹夫婦が買い物に出かけた間に、狩猟小屋でぐっすりと眠った「わたし」はそのまま朝を迎えてしまう。ところがなぜか姉妹夫婦が帰った様子がない。不審に思った「わたし」が外を調べてみると、なぜか峡谷の途中から先へ進めなくなる。
そこには目に見えない透明の「壁」が存在し、外界とすべてを遮っていたのだ。やがて、壁は狩猟小屋のある峡谷を中心に取り囲むように存在していることや、壁の外ではすべての人や動物が死に絶えていることが明らかになる。「わたし」は途方に暮れつつも、壁の内側にいた動物たちと共に、生き延びようとする……。
▲マルレーン・ハウスホーファー『壁』(同学社)【amazon】
いやはや、これは凄い。とんでもない傑作ではないか。
SF的設定ではあるが、壁自体にはほぼ何の説明もないし、壁の外が絶滅している理由もほとんど触れてはいない。その辺りは序盤でサラッと片付けられ、あとはとにかく生きるために行動する主人公の暮らしと心情が描かれてゆく。小説としてはほぼ冒険小説、サバイバル小説なのである。
主人公は多少、アウトドアへの知識があるとはいえ、特にそういう生活に慣れているわけでもない。そんな彼女がどのように山荘にあるものを使って生き延びていくのか、そういったサバイバルの日々が実に細かく丁寧に描かれ、まったく飽きさせない。
ただ、それだけではサバイバルのマニュアルで終わってしまう。そこを補って小説としての深みを出しているのが、彼女の内面の描写、そして動物たちとの交流である。
隔絶された世界で一人で生きることは、サバイバルという要素がなくとも辛いことだろう。主人公は目の前の困難に対処していても、ふとしたことでかつての日常を思い出し、悩まされる。だが主人公は内省を経て、そういう弱さを乗り越えるメンタルの強さがある。というか、乗り切ることと引き換えに、己の心の中の何かをひとつ犠牲にしている感じも受けるのである。それが強くなるということならば、生きるというのはなんと悲しいことなのだろう。
ただ、そういう悲しみを癒すのが動物たちとの交流だ。犬、猫、牛。主人公とそれぞれの動物との関係性によって、主人公は友人や親といった役割を与えられ、それが彼女の人間性を維持している。非常にきめ細やかに描かれた主人公と動物たちとの交流が、実は本書最大の読みどころといっていいかもしれない。
結局、最後まで「壁」そのものの答えは一切与えられない。終盤である悲しい事件は起こるが、すぐにまたサバイバルの日常が戻ってくる。何やら無常感に通じるものもあり、サバイバル小説にありがちなラストの爽快感はまったくない。それでも心に深い爪痕を残す。本作は実にシンプルな小説ながら、実に奇妙な小説でもある。
野暮を承知であえて付け加えるなら、「壁」はやはり社会的、政治的な存在であり、外界の人や動物が死滅する状況もその結果なのだろう。その答え合わせを作中で一切行わない著者の思い切りの良さにも感心する。
ストーリーは実にシンプルである。従姉妹夫婦の山荘に誘われたアラフォー女性と思しき「わたし」が主人公。従姉妹夫婦が買い物に出かけた間に、狩猟小屋でぐっすりと眠った「わたし」はそのまま朝を迎えてしまう。ところがなぜか姉妹夫婦が帰った様子がない。不審に思った「わたし」が外を調べてみると、なぜか峡谷の途中から先へ進めなくなる。
そこには目に見えない透明の「壁」が存在し、外界とすべてを遮っていたのだ。やがて、壁は狩猟小屋のある峡谷を中心に取り囲むように存在していることや、壁の外ではすべての人や動物が死に絶えていることが明らかになる。「わたし」は途方に暮れつつも、壁の内側にいた動物たちと共に、生き延びようとする……。
▲マルレーン・ハウスホーファー『壁』(同学社)【amazon】
いやはや、これは凄い。とんでもない傑作ではないか。
SF的設定ではあるが、壁自体にはほぼ何の説明もないし、壁の外が絶滅している理由もほとんど触れてはいない。その辺りは序盤でサラッと片付けられ、あとはとにかく生きるために行動する主人公の暮らしと心情が描かれてゆく。小説としてはほぼ冒険小説、サバイバル小説なのである。
主人公は多少、アウトドアへの知識があるとはいえ、特にそういう生活に慣れているわけでもない。そんな彼女がどのように山荘にあるものを使って生き延びていくのか、そういったサバイバルの日々が実に細かく丁寧に描かれ、まったく飽きさせない。
ただ、それだけではサバイバルのマニュアルで終わってしまう。そこを補って小説としての深みを出しているのが、彼女の内面の描写、そして動物たちとの交流である。
隔絶された世界で一人で生きることは、サバイバルという要素がなくとも辛いことだろう。主人公は目の前の困難に対処していても、ふとしたことでかつての日常を思い出し、悩まされる。だが主人公は内省を経て、そういう弱さを乗り越えるメンタルの強さがある。というか、乗り切ることと引き換えに、己の心の中の何かをひとつ犠牲にしている感じも受けるのである。それが強くなるということならば、生きるというのはなんと悲しいことなのだろう。
ただ、そういう悲しみを癒すのが動物たちとの交流だ。犬、猫、牛。主人公とそれぞれの動物との関係性によって、主人公は友人や親といった役割を与えられ、それが彼女の人間性を維持している。非常にきめ細やかに描かれた主人公と動物たちとの交流が、実は本書最大の読みどころといっていいかもしれない。
結局、最後まで「壁」そのものの答えは一切与えられない。終盤である悲しい事件は起こるが、すぐにまたサバイバルの日常が戻ってくる。何やら無常感に通じるものもあり、サバイバル小説にありがちなラストの爽快感はまったくない。それでも心に深い爪痕を残す。本作は実にシンプルな小説ながら、実に奇妙な小説でもある。
野暮を承知であえて付け加えるなら、「壁」はやはり社会的、政治的な存在であり、外界の人や動物が死滅する状況もその結果なのだろう。その答え合わせを作中で一切行わない著者の思い切りの良さにも感心する。
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