Posted in 03 2012
Posted
on
連城三紀彦『暗色コメディ』(幻影城)
連城三紀彦の長篇デビュー作『暗色コメディ』を読む。
今では幅広い作風を誇り、一概にミステリ作家とも言い切れない連城三紀彦だが、デビュー段階ではバリバリの本格派。だが彼の武器はそれだけではなく、確かな文章力や表現力の豊かさも同時に備えていた。
驚くべきことにこの長篇デビュー作においても、その実力はいかんなく発揮されている。
物語は四人の奇妙な体験で幕を開ける。デパートでもう一人の自分と浮気している夫を目撃する妻。トラックに飛び込み自殺したものの、そのトラックがなぜか消えてしまった絵描き。夫と暮らしながらも、その夫が事故で死んでいると思いこんでいる主婦。妻がいつのまにか別人とすり替わっていると信じ込む医者。
何が事実なのか、どこまでが狂気なのか。ありえない出来事を結びつける真実がおぼろげに浮かぶとき、また新たな悲劇が……。
ううむ、一発目の長篇でここまでやっていたのか。まったく恐れ入る作家である。
上で書いたように、本作では四つのエピソードが同時に進行する。常識では考えられない出来事が起こり、それぞれの主人公は(そして読者も)状況を理解できないまま次第に闇の奥底へと導かれていくのである。
やがて舞台にはある精神科の病院が登場する。何やらこの病院を中心に物語が集約されそうな気配を見せつつ、それでもなお着地点が見えてこないもどかしさ。そして募る不安感。この静かな煽りが巧いのである。ワッと驚かすのではなく、細かな疑惑を繰り返し重ねていき、これがボディブローのように効いてくる。
フランスミステリのサスペンスものではときどきお目にかかる手ではあるが、本作の場合、これを四つ同時進行させるから凄まじい。しかも連城三紀彦は心理描写が丁寧なのでよけいに効果的。酩酊感すら味わえる。
もちろん本書はホラーではないから、最後には合理的な解釈が待っているのだけれど、惜しむらくはその強引さであろう。っていうか、かなりの離れ技に挑戦しているせいで、あちらこちらに無理が出てくるわけである。
ネタバレになるため詳しくは書かないが、犯人がここまでする理由、あるいは読者相手の仕掛けという点では、納得できないところも少なくない。
また、探偵役が真相へ近づくための手段も意外にカタルシスがなく、この辺はもう少しドラマティックに展開してもよかったのではとも思う。終盤の流し方が実にもったいない。
というわけで傑作と断言するにはちょいと苦しい本書だが、緻密なプロットや数々の仕掛けは、力作というには十分すぎるほどであり、やはり一度は読んでおきたい一冊といえるだろう。何より著者のチャレンジ精神に脱帽である。
今では幅広い作風を誇り、一概にミステリ作家とも言い切れない連城三紀彦だが、デビュー段階ではバリバリの本格派。だが彼の武器はそれだけではなく、確かな文章力や表現力の豊かさも同時に備えていた。
驚くべきことにこの長篇デビュー作においても、その実力はいかんなく発揮されている。
物語は四人の奇妙な体験で幕を開ける。デパートでもう一人の自分と浮気している夫を目撃する妻。トラックに飛び込み自殺したものの、そのトラックがなぜか消えてしまった絵描き。夫と暮らしながらも、その夫が事故で死んでいると思いこんでいる主婦。妻がいつのまにか別人とすり替わっていると信じ込む医者。
何が事実なのか、どこまでが狂気なのか。ありえない出来事を結びつける真実がおぼろげに浮かぶとき、また新たな悲劇が……。
ううむ、一発目の長篇でここまでやっていたのか。まったく恐れ入る作家である。
上で書いたように、本作では四つのエピソードが同時に進行する。常識では考えられない出来事が起こり、それぞれの主人公は(そして読者も)状況を理解できないまま次第に闇の奥底へと導かれていくのである。
やがて舞台にはある精神科の病院が登場する。何やらこの病院を中心に物語が集約されそうな気配を見せつつ、それでもなお着地点が見えてこないもどかしさ。そして募る不安感。この静かな煽りが巧いのである。ワッと驚かすのではなく、細かな疑惑を繰り返し重ねていき、これがボディブローのように効いてくる。
フランスミステリのサスペンスものではときどきお目にかかる手ではあるが、本作の場合、これを四つ同時進行させるから凄まじい。しかも連城三紀彦は心理描写が丁寧なのでよけいに効果的。酩酊感すら味わえる。
もちろん本書はホラーではないから、最後には合理的な解釈が待っているのだけれど、惜しむらくはその強引さであろう。っていうか、かなりの離れ技に挑戦しているせいで、あちらこちらに無理が出てくるわけである。
ネタバレになるため詳しくは書かないが、犯人がここまでする理由、あるいは読者相手の仕掛けという点では、納得できないところも少なくない。
また、探偵役が真相へ近づくための手段も意外にカタルシスがなく、この辺はもう少しドラマティックに展開してもよかったのではとも思う。終盤の流し方が実にもったいない。
というわけで傑作と断言するにはちょいと苦しい本書だが、緻密なプロットや数々の仕掛けは、力作というには十分すぎるほどであり、やはり一度は読んでおきたい一冊といえるだろう。何より著者のチャレンジ精神に脱帽である。
Posted
on
エドワード・D・ホック『サイモン・アークの事件簿III』(創元推理文庫)
エドワード・D・ホックの『サイモン・アークの事件簿III』を読む。オカルト探偵サイモン・アークものの短編集第三弾。まずは収録作から。
The Witch Is Dead「焼け死んだ魔女」
Sword for a Sinner「罪人に突き刺さった剣」
The Weapon Out of the Past「過去から飛んできたナイフ」
The Sorceress of the Sea「海の美人妖術師」
Prisoner of Zerfall「ツェルファル城から消えた囚人」
The Way Up to Hades「黄泉の国への早道」
The Virgins of Valentine「ヴァレンタインの娘たち」
The Stalker of Souls「魂の取り立て人」
サイモン・アークはサタンを求めて世界中を旅するオカルト探偵。自称なんと二千歳というわけで、その設定自体はファンタジーや幻想小説のそれである。事件もまた怪奇性を帯びたものが多いが、本当に超常的な事件はほぼ皆無であり、アークがその真相を論理的に解決するという、実はまっとうな本格ミステリなのである。
当初は著者も、怪奇な謎が論理によって解決されるというスタイルをかなり意識していたと思うのだが、シリーズが長くなるとあまりその意味も薄れてきたせいか、後期の作品ほどわりと普通の謎解きミステリになってきたようだ。それが物足りないといえば物足りない。出来のいい作品は、やはり怪奇性と真相のギャップが見事だ。
ところでこのシリーズも三冊目、しかも著者の自選短編集なのでだんだん出来が落ちてくるのかと思いきや、初めから三冊予定だったらしく、質的には他の二冊とそれほど大きな差はない。残念ながらオオッと仰け反るほどのものはないけれど、安定したレベルではある。
印象に残ったのは、まず「焼け死んだ魔女」。それこそ上で書いたように、魔女の呪いという怪奇性と真相の対比が鮮やかである。雰囲気だけだったら「罪人に突き刺さった剣」も悪くないが真相が弱いのが残念。
『海の美人妖術師』は海底から現れる人魚の種明かしが好み。もうトリックとか錯誤とかではなく、ほとんどそのまんまである(笑)。
「黄泉の国への早道」は純粋に上手い作品。本書中ではこれがベストか。
なお、訳者の木村氏によると、ホックのサイモン・アーク自選短編集はこの三巻目で打ち止めだったらしいが、いいものがまだ残っているということで、木村氏チョイスで第四巻が出るらしい。
まあ、そんなことを言わずにどうせなら残りも全部出してほしいところだが(まだ2/3ほどが未訳のようだ)、もし質や売上げ云々で厳しいのであれば、ここはぜひ他のシリーズで目先を変えてもらっても大いにけっこうである(笑)。とりあえずレオポルド警視やジェフリー・ランドものはサクッと短編集が編めるだろうし、ギデオン・パロとかマイナー系もぜひ。
期待しております。
The Witch Is Dead「焼け死んだ魔女」
Sword for a Sinner「罪人に突き刺さった剣」
The Weapon Out of the Past「過去から飛んできたナイフ」
The Sorceress of the Sea「海の美人妖術師」
Prisoner of Zerfall「ツェルファル城から消えた囚人」
The Way Up to Hades「黄泉の国への早道」
The Virgins of Valentine「ヴァレンタインの娘たち」
The Stalker of Souls「魂の取り立て人」
サイモン・アークはサタンを求めて世界中を旅するオカルト探偵。自称なんと二千歳というわけで、その設定自体はファンタジーや幻想小説のそれである。事件もまた怪奇性を帯びたものが多いが、本当に超常的な事件はほぼ皆無であり、アークがその真相を論理的に解決するという、実はまっとうな本格ミステリなのである。
当初は著者も、怪奇な謎が論理によって解決されるというスタイルをかなり意識していたと思うのだが、シリーズが長くなるとあまりその意味も薄れてきたせいか、後期の作品ほどわりと普通の謎解きミステリになってきたようだ。それが物足りないといえば物足りない。出来のいい作品は、やはり怪奇性と真相のギャップが見事だ。
ところでこのシリーズも三冊目、しかも著者の自選短編集なのでだんだん出来が落ちてくるのかと思いきや、初めから三冊予定だったらしく、質的には他の二冊とそれほど大きな差はない。残念ながらオオッと仰け反るほどのものはないけれど、安定したレベルではある。
印象に残ったのは、まず「焼け死んだ魔女」。それこそ上で書いたように、魔女の呪いという怪奇性と真相の対比が鮮やかである。雰囲気だけだったら「罪人に突き刺さった剣」も悪くないが真相が弱いのが残念。
『海の美人妖術師』は海底から現れる人魚の種明かしが好み。もうトリックとか錯誤とかではなく、ほとんどそのまんまである(笑)。
「黄泉の国への早道」は純粋に上手い作品。本書中ではこれがベストか。
なお、訳者の木村氏によると、ホックのサイモン・アーク自選短編集はこの三巻目で打ち止めだったらしいが、いいものがまだ残っているということで、木村氏チョイスで第四巻が出るらしい。
まあ、そんなことを言わずにどうせなら残りも全部出してほしいところだが(まだ2/3ほどが未訳のようだ)、もし質や売上げ云々で厳しいのであれば、ここはぜひ他のシリーズで目先を変えてもらっても大いにけっこうである(笑)。とりあえずレオポルド警視やジェフリー・ランドものはサクッと短編集が編めるだろうし、ギデオン・パロとかマイナー系もぜひ。
期待しております。
Posted
on
ガイ・リッチー『シャーロック・ホームズ シャドウゲーム』
本日、『探偵小説三昧』が40万アクセスを達成いたしました。加えてすっかり忘れておりましたが、今月18日でブログをスタートして五年が過ぎたのでありました。ちなみに日記自体を書き始めてからは十年ということで、こんなに長く続けられるとは当時夢にも思いませんでした。これもひとえにご来訪いただいている皆様方のおかげと、心より御礼申し上げます。今後とも『探偵小説三昧』をご贔屓のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。
本日はワーナー・マイカル・シネマズむさし村山で、公開されたばかりの『シャーロック・ホームズ シャドウゲーム』を鑑賞。監督は前作同様、ガイ・リッチー。
本作では前作のラストで少しだけ顔を見せたホームズ生涯のライバル、モリアーティ教授が全面的に登場する。ヨーロッパの政情を混乱させ、莫大な利益を上げようとしているモリアーティに対し、ホームズは新婚旅行に出かけたはずのワトソン医師を巻き込み、さらには兄のマイクロフト、ジプシー一味とも協力して、モリアーティの野望を阻止しようとする、というお話。
まあ、聖典からはかなり遠いところにきたロバート・ダウニー・Jr版ホームズだが(笑)、いやほんと、これはこれで十分に楽しい。
正直、謎解きという要素はもうほとんど皆無に近くて、魅力のほとんどはキャラクターやアクション頼み。それでも前半のバタバタと思っていたシーンが実はけっこう伏線だったりして、それをラストで一気に回収するところなどはなかなか見事であった。
ただ、あれだ。製作者がどの程度意識しているのかわからないが、ホームズとワトソンの関係がまあ、何ともBL的で(笑)。特にワトソンの男っぽさ、活躍ぶりは前作以上で、ホームズの危機を救うことも一度ならず。そりゃホームズもたまらんだろうなぁ。とはいえ、それをツンデレで返すところがいかにもホームズではある(笑)。
聖典ありき、という人はしんどいだろうが、エンターテインメントとしては十分合格点。今後も楽しみなシリーズになってきたかな。
本日はワーナー・マイカル・シネマズむさし村山で、公開されたばかりの『シャーロック・ホームズ シャドウゲーム』を鑑賞。監督は前作同様、ガイ・リッチー。
本作では前作のラストで少しだけ顔を見せたホームズ生涯のライバル、モリアーティ教授が全面的に登場する。ヨーロッパの政情を混乱させ、莫大な利益を上げようとしているモリアーティに対し、ホームズは新婚旅行に出かけたはずのワトソン医師を巻き込み、さらには兄のマイクロフト、ジプシー一味とも協力して、モリアーティの野望を阻止しようとする、というお話。
まあ、聖典からはかなり遠いところにきたロバート・ダウニー・Jr版ホームズだが(笑)、いやほんと、これはこれで十分に楽しい。
正直、謎解きという要素はもうほとんど皆無に近くて、魅力のほとんどはキャラクターやアクション頼み。それでも前半のバタバタと思っていたシーンが実はけっこう伏線だったりして、それをラストで一気に回収するところなどはなかなか見事であった。
ただ、あれだ。製作者がどの程度意識しているのかわからないが、ホームズとワトソンの関係がまあ、何ともBL的で(笑)。特にワトソンの男っぽさ、活躍ぶりは前作以上で、ホームズの危機を救うことも一度ならず。そりゃホームズもたまらんだろうなぁ。とはいえ、それをツンデレで返すところがいかにもホームズではある(笑)。
聖典ありき、という人はしんどいだろうが、エンターテインメントとしては十分合格点。今後も楽しみなシリーズになってきたかな。
Posted
on
山下賢章『ゴジラvsスペースゴジラ』
休日に観だめしておいた東宝特撮映画DVDコレクションの感想など。ゴジラシリーズとしては二十一作目にあたる『ゴジラvsスペースゴジラ』。監督は山下賢章で、1994年公開作品。
前作で登場した対ゴジラ部隊Gフォースが、二つのプロジェクトを進めるという設定で幕が開く。ひとつはメカゴジラを凌ぐ強力兵器MOGERAの開発によってゴジラを倒そうとするMプロジェクト。もうひとつは超能力レディ三枝未希のテレパシーによってゴジラをコントロールしようとするTプロジェクトである。
現在は南太平洋のバース島で暮らすゴジラ、そして前作のベビーゴジラから成長したリトルゴジラ。そこでTプロジェクトが実行されようとしていた矢先、宇宙から巨大な怪獣が襲来する。GフォースはMOGERAで宇宙怪獣にあたるが……。
前作『ゴジラvsメカゴジラ』の感想でも書いたが、東宝は大人向けに始めた怪獣映画を、結局、子供やファミリー向けに合わせて内容をシフトするという愚を二度も犯すことになった。本作『ゴジラvsスペースゴジラ』でも軌道修正は叶わず、前作のベビーゴジラを相変わらず妙なタイミングで起用し、凶暴なゴジラとして復活したはずの平成ゴジラは、昭和ゴジラ同様、よき父親みたいな存在に成り下がってしまっている。しかも本作では、結果的に人間の味方のような形でスペースゴジラと戦う羽目になっているのも致命的。
本来だったら1957年の『地球防衛軍』以来37年ぶりに復活したモゲラを祝うべき映画のはずなのだが(いや、そうでもないけれど)、こちらも設定上いろいろ無理がありすぎて辛い。とりあえずあれで宇宙いっちゃだめでしょ。
加えてスペースゴジラの誕生した原因も気が狂っているとしか思えない説明がなされており、少しは相手を上手く騙そうという気はないのかと問い詰めたいくらいだ。ついでにいえば地球へ来た理由やリトルゴジラを捕まえた理由もほぼ意味不明である。
シナリオの粗は他にも非常に多いのだが、これ以上いちいち挙げるのは止めておこう。もう十分お腹いっぱいなのである。
百歩譲ってそれなりに派手な戦闘シーン(ただしビームの撃ち合いばかりなのも辛いっちゃ辛い)を評価できないこともないけれど、それならそれで戦闘を全面に押し出し、リトルゴジラのパートは一切なくしてほしかったところだ。
唯一、見どころとして挙げておきたいのは、人間ドラマの方。ゴジラ映画としては画期的だが、二組の男女の恋愛ドラマを加味しているのである。ただ、その演技やシナリオがあまりに時代がかっており、これはもしかしたらパロディか何かなのかと疑問に苛まれつつ観る羽目になったことも付け加えておきたい(笑)。
前作で登場した対ゴジラ部隊Gフォースが、二つのプロジェクトを進めるという設定で幕が開く。ひとつはメカゴジラを凌ぐ強力兵器MOGERAの開発によってゴジラを倒そうとするMプロジェクト。もうひとつは超能力レディ三枝未希のテレパシーによってゴジラをコントロールしようとするTプロジェクトである。
現在は南太平洋のバース島で暮らすゴジラ、そして前作のベビーゴジラから成長したリトルゴジラ。そこでTプロジェクトが実行されようとしていた矢先、宇宙から巨大な怪獣が襲来する。GフォースはMOGERAで宇宙怪獣にあたるが……。
前作『ゴジラvsメカゴジラ』の感想でも書いたが、東宝は大人向けに始めた怪獣映画を、結局、子供やファミリー向けに合わせて内容をシフトするという愚を二度も犯すことになった。本作『ゴジラvsスペースゴジラ』でも軌道修正は叶わず、前作のベビーゴジラを相変わらず妙なタイミングで起用し、凶暴なゴジラとして復活したはずの平成ゴジラは、昭和ゴジラ同様、よき父親みたいな存在に成り下がってしまっている。しかも本作では、結果的に人間の味方のような形でスペースゴジラと戦う羽目になっているのも致命的。
本来だったら1957年の『地球防衛軍』以来37年ぶりに復活したモゲラを祝うべき映画のはずなのだが(いや、そうでもないけれど)、こちらも設定上いろいろ無理がありすぎて辛い。とりあえずあれで宇宙いっちゃだめでしょ。
加えてスペースゴジラの誕生した原因も気が狂っているとしか思えない説明がなされており、少しは相手を上手く騙そうという気はないのかと問い詰めたいくらいだ。ついでにいえば地球へ来た理由やリトルゴジラを捕まえた理由もほぼ意味不明である。
シナリオの粗は他にも非常に多いのだが、これ以上いちいち挙げるのは止めておこう。もう十分お腹いっぱいなのである。
百歩譲ってそれなりに派手な戦闘シーン(ただしビームの撃ち合いばかりなのも辛いっちゃ辛い)を評価できないこともないけれど、それならそれで戦闘を全面に押し出し、リトルゴジラのパートは一切なくしてほしかったところだ。
唯一、見どころとして挙げておきたいのは、人間ドラマの方。ゴジラ映画としては画期的だが、二組の男女の恋愛ドラマを加味しているのである。ただ、その演技やシナリオがあまりに時代がかっており、これはもしかしたらパロディか何かなのかと疑問に苛まれつつ観る羽目になったことも付け加えておきたい(笑)。
Posted
on
マイクル・クライトン『パイレーツ ー掠奪海域ー』(早川書房)
マイクル・クライトンの『パイレーツ ー掠奪海域ー』を読む。2008年にクライトンが急死し、新作はこれでアウトと思っていたら、パソコンから未発表の遺作が発見されたということで出版された一冊。
もちろんすぐに買ってはいたのだが、例によって永らく積ん読のまま放置プレイ。先日、とうとう文庫化されてしまったため、そろそろ潮時と思って読み始めた。
舞台は海賊が跋扈する17世紀半ばのカリブ海。スペインの支配が多勢を占めるなか、ジャマイカだけはイングランドが植民地として統治していた。時のジャマイカ総督はスペイン船を襲撃し、財宝を奪いとる私掠行為を推進していたが、そのおかげでポート・ロイヤルの町は繁栄を極め、各国から無法者たちが集う町にもなっていた。
そんなある日、またしてもスペイン財宝戦の話が飛び込んできた。目標の船はスペイン領マタンセロス島に停泊しているという。マタンセロスは難攻不落の要塞島、これに挑戦を挑むのは不可能と思われた。だが総督からこの話を聞かされた腕利きの私掠船船長ハンターは、選りすぐりの猛者を集め、この無謀な闘いに乗り出してゆく。
亡くなるまでの二十年ほど、クライトンの創作的興味はかなりの比率でハイテクや世界レベルのトレンドといったところが中心だったように思う。それはITであったり、バイオテクノロジーだったり、企業のセクハラ問題だったりしたわけで、それを巧みなプロットに乗せて、ハラハラドキドキで一気に読ませてくれたわけだ。一応、科学社会への警鐘的な読み方はできるけれど、やはり単純にエンターテインメントとして優れていたことが一番の魅力だった。
ところが本作は意外や意外、ハイテクなどとはまったく縁のない世界に材をとり、波瀾万丈な冒険譚で勝負してきた。まあ、考えると初期にはいろいろなタイプのスリラーや冒険ものも書いているので、久々に初心に返るつもりだったのだろうか(こういう作品が結果的に遺作になったのも、何やら運命的ではある)。
ただし、材料は異なれど、その味つけはいつものクライトンである。
上でも書いたがまずはプロットの巧みさ。「次はどうなる」という徹底的に読者を引っ張る展開で、しかも半分は意表をつき、半分は予想に歩み寄って、とにかく読者を飽きさせないサービス精神と工夫が素晴らしい。本作でもマタンセロス攻略が最大のヤマ場かと思っていると、実はこれで半分。帰路の旅ではよりハードな、そしてよりトンデモな展開が待っているのである。
また、ハイテクとは縁がない世界とも書いたが、海賊ならではの論理的思考や科学的蘊蓄はたっぷりと披露されており、これもまた魅力のひとつ(主人公も実は知識人だったりする)。何を書いても、舞台がどれだけ変わっても、やっぱりクライトンはこういうのがとことん好きなのねと微笑まずにはいられない(笑)。
ところで未発表だったことからも想像できるように、本作はまだまだ推敲される可能性もあったようだ。
訳者あとがきによると、実際、粗もいろいろあるようだし、正直もっと書き込んでもらいたいパートもあるにはあった。これが完成形とは言えないだろうけれども、それでもトータルの出来は決して悪くない。最近の彼の長い作品より、むしろこちらをこそオススメしておく。
もちろんすぐに買ってはいたのだが、例によって永らく積ん読のまま放置プレイ。先日、とうとう文庫化されてしまったため、そろそろ潮時と思って読み始めた。
舞台は海賊が跋扈する17世紀半ばのカリブ海。スペインの支配が多勢を占めるなか、ジャマイカだけはイングランドが植民地として統治していた。時のジャマイカ総督はスペイン船を襲撃し、財宝を奪いとる私掠行為を推進していたが、そのおかげでポート・ロイヤルの町は繁栄を極め、各国から無法者たちが集う町にもなっていた。
そんなある日、またしてもスペイン財宝戦の話が飛び込んできた。目標の船はスペイン領マタンセロス島に停泊しているという。マタンセロスは難攻不落の要塞島、これに挑戦を挑むのは不可能と思われた。だが総督からこの話を聞かされた腕利きの私掠船船長ハンターは、選りすぐりの猛者を集め、この無謀な闘いに乗り出してゆく。
亡くなるまでの二十年ほど、クライトンの創作的興味はかなりの比率でハイテクや世界レベルのトレンドといったところが中心だったように思う。それはITであったり、バイオテクノロジーだったり、企業のセクハラ問題だったりしたわけで、それを巧みなプロットに乗せて、ハラハラドキドキで一気に読ませてくれたわけだ。一応、科学社会への警鐘的な読み方はできるけれど、やはり単純にエンターテインメントとして優れていたことが一番の魅力だった。
ところが本作は意外や意外、ハイテクなどとはまったく縁のない世界に材をとり、波瀾万丈な冒険譚で勝負してきた。まあ、考えると初期にはいろいろなタイプのスリラーや冒険ものも書いているので、久々に初心に返るつもりだったのだろうか(こういう作品が結果的に遺作になったのも、何やら運命的ではある)。
ただし、材料は異なれど、その味つけはいつものクライトンである。
上でも書いたがまずはプロットの巧みさ。「次はどうなる」という徹底的に読者を引っ張る展開で、しかも半分は意表をつき、半分は予想に歩み寄って、とにかく読者を飽きさせないサービス精神と工夫が素晴らしい。本作でもマタンセロス攻略が最大のヤマ場かと思っていると、実はこれで半分。帰路の旅ではよりハードな、そしてよりトンデモな展開が待っているのである。
また、ハイテクとは縁がない世界とも書いたが、海賊ならではの論理的思考や科学的蘊蓄はたっぷりと披露されており、これもまた魅力のひとつ(主人公も実は知識人だったりする)。何を書いても、舞台がどれだけ変わっても、やっぱりクライトンはこういうのがとことん好きなのねと微笑まずにはいられない(笑)。
ところで未発表だったことからも想像できるように、本作はまだまだ推敲される可能性もあったようだ。
訳者あとがきによると、実際、粗もいろいろあるようだし、正直もっと書き込んでもらいたいパートもあるにはあった。これが完成形とは言えないだろうけれども、それでもトータルの出来は決して悪くない。最近の彼の長い作品より、むしろこちらをこそオススメしておく。
Posted
on
天野喜孝『天野喜孝 乱歩幻影画集』(復刊ドットコム)
先日、予約注文しておいた『天野喜孝 乱歩幻影画集』が届いた。
その昔、といっても八十年代後半だから三十年ほど前のこと。講談社から「江戸川乱歩推理文庫」が刊行された。今でもミステリマニアにはコレクション入門編みたいな扱いをされているから、ご存じの方も多いだろう。今でこそ光文社文庫版の全集もあり、当時に比べるとその価値もやや落ちてはいるが、貴重な作品も採られており(同時にいろいろな問題もあったのだが、それはまた別の話)、非常に人気の高い全集だったのだ。
本書はそんな「江戸川乱歩推理文庫」のカバー絵をまとめたものである。
イラストを描いた天野喜孝については今さら説明するまでもないだろうが、念のため書いておくと、もともとはアニメ制作会社のタツノコプロダクション出身。『タイムボカン』なんかも彼のキャラクターデザインである。イラストレーターとして独立後は、その繊細で妖艶なタッチを活かしSF誌などで活躍。ゲーム「ファイナルファンタジー」シリーズのキャラクターデザインで大きくブレイクし、広く一般にも知られるようになった。
彼が「江戸川乱歩推理文庫」のカバー絵を請けたのは、正に「ファイナルファンタジー」の仕事を手掛けているときのこと。この二つの大きな仕事を天野喜孝は同時に進めていたわけである。
さて肝心の内容だが、カバー絵を集めたものなので、基本的にはそれ以上でも以下でもない。とにかく大きな判型であの妖しい絵の数々を見せてくれるのだから、ひとまずの役目は果たしたといえる。
とはいえ、それだけではさすがに芸がないというわけで、プラスαもなかなか頑張っている。描き下ろしが二点にラフや未発表イラスト、著者インタビューがそれ。ただし、お値段やページ数を考えると、それでも正直きついかなぁというレベル。もちろん乱歩だけでなく天野喜孝に思い入れがあるかどうかで価値は変わるだろうが、個人的にはぎりぎりセーフぐらいか。
個人的注目はやはりインタビュー記事。これまで知らなかったエピソードもあり興味深い。それだけに見開き2ページ程度で終わらせず、せっかくだから全作品についてひと言ずつでもいいからコメントはほしかった。
インタビュー中で面白かったところでは、やはり制作秘話。天野喜孝の乱歩体験はごくごく一般的なレベルどまりで、子供の頃の少年ものや、大人になってからのテレビドラマのイメージがほとんど。装画を請けるにあたり、あらためてすべてを読む時間もないことから、完全に作品のタイトルだけでイメージを膨らませて描いたという。しかもイメージが定まらない場合、二種類の絵を描き最後にセレクトするということもやったそうだから、天野喜孝の制作におけるスタンスがうかがえて面白い。
上でも書いたように、本書にはそんな没になった絵も含まれているので、違いを比べてみるのも一興かと。
ちなみにカバー絵は描き下ろし。女装バージョンの小林少年である。
その昔、といっても八十年代後半だから三十年ほど前のこと。講談社から「江戸川乱歩推理文庫」が刊行された。今でもミステリマニアにはコレクション入門編みたいな扱いをされているから、ご存じの方も多いだろう。今でこそ光文社文庫版の全集もあり、当時に比べるとその価値もやや落ちてはいるが、貴重な作品も採られており(同時にいろいろな問題もあったのだが、それはまた別の話)、非常に人気の高い全集だったのだ。
本書はそんな「江戸川乱歩推理文庫」のカバー絵をまとめたものである。
イラストを描いた天野喜孝については今さら説明するまでもないだろうが、念のため書いておくと、もともとはアニメ制作会社のタツノコプロダクション出身。『タイムボカン』なんかも彼のキャラクターデザインである。イラストレーターとして独立後は、その繊細で妖艶なタッチを活かしSF誌などで活躍。ゲーム「ファイナルファンタジー」シリーズのキャラクターデザインで大きくブレイクし、広く一般にも知られるようになった。
彼が「江戸川乱歩推理文庫」のカバー絵を請けたのは、正に「ファイナルファンタジー」の仕事を手掛けているときのこと。この二つの大きな仕事を天野喜孝は同時に進めていたわけである。
さて肝心の内容だが、カバー絵を集めたものなので、基本的にはそれ以上でも以下でもない。とにかく大きな判型であの妖しい絵の数々を見せてくれるのだから、ひとまずの役目は果たしたといえる。
とはいえ、それだけではさすがに芸がないというわけで、プラスαもなかなか頑張っている。描き下ろしが二点にラフや未発表イラスト、著者インタビューがそれ。ただし、お値段やページ数を考えると、それでも正直きついかなぁというレベル。もちろん乱歩だけでなく天野喜孝に思い入れがあるかどうかで価値は変わるだろうが、個人的にはぎりぎりセーフぐらいか。
個人的注目はやはりインタビュー記事。これまで知らなかったエピソードもあり興味深い。それだけに見開き2ページ程度で終わらせず、せっかくだから全作品についてひと言ずつでもいいからコメントはほしかった。
インタビュー中で面白かったところでは、やはり制作秘話。天野喜孝の乱歩体験はごくごく一般的なレベルどまりで、子供の頃の少年ものや、大人になってからのテレビドラマのイメージがほとんど。装画を請けるにあたり、あらためてすべてを読む時間もないことから、完全に作品のタイトルだけでイメージを膨らませて描いたという。しかもイメージが定まらない場合、二種類の絵を描き最後にセレクトするということもやったそうだから、天野喜孝の制作におけるスタンスがうかがえて面白い。
上でも書いたように、本書にはそんな没になった絵も含まれているので、違いを比べてみるのも一興かと。
ちなみにカバー絵は描き下ろし。女装バージョンの小林少年である。
Posted
on
大河原孝夫『ゴジラvsメカゴジラ』
なかなか落ち着かなくて週末限定更新も覚束なくなっているが、本日は久々に終日ぼーっと過ごす。ま、こういうときはだいたいDVD消化というのがお約束で、ブツが東宝特撮映画DVDコレクションというのもパターンである。
さて、『ゴジラvsメカゴジラ』は1994年公開。監督は大河原孝夫、シリーズ通算二十作目、平成ゴジラシリーズとしては五作目にあたる。
近年に頻発するゴジラ災害に対応すべく、国連はG対策センターおよび対ゴジラ部隊Gフォースを設置して、対策兵器の開発や研究に専心していた。そして開発されたのが、究極の対ゴジラ兵器メカゴジラである。かつて未来人によってもたらされたがゴジラと共に海底に沈んだメカキングギドラを引き揚げ、そのテクノロジーを解析、利用したのである。
そんな頃、ベーリング海のアドノア島で翼竜と思しき卵の殻や、孵化していない卵が発見される。さっそく調査に向かった調査隊だが、そこへラドンとゴジラが現れ、調査隊は命からがら卵を入手して脱出する。やがて持ち帰った卵からゴジラザウルスが生まれ……というお話。
平成ゴジラシリーズの特徴のひとつとして、ストーリーがすべて繋がっていることが上げられる。世界観も時間軸も共有されているわけで、どうしてもあとの作品ほど過去の設定が加味されていくため、初見の人には理解しにくい個所が多くなるのが欠点である。
特にシリーズを通してキーウーマンとなる超能力レディ三枝未希の存在や、G対策センターやGフォースといった組織については、ほぼ前提として話が進められるだけに厳しいところである。しかも本作ではメカキングギドラなんてものまで加わるので、なんのこっちゃという人もさぞや多かろう。それをプロローグ的にあたまで解説するわけだから、導入として盛り上がりに欠けること夥しい。
そもそも平成シリーズは全般的に評価が低いわけだけれど、とにかくシナリオが全体的に弱いのが最大の原因だろう。本作では冒頭も弱いが、ベビーゴジラ(ゴジラの赤ちゃん、ただし実の息子とかではない)の設定も残念のひと言。
ゴジラのベビーという存在を打ち出し、「命」をテーマにしたといえば聞こえはいいが、わざわざ巨大な怪獣を使ってそんなことを訴える必要もあるまい。間口を広げて新たなファンを開拓しようというのはわかるが、昭和シリーズでやった過ちを見事に繰り返すところが理解不能である。特にベビーゴジラに関しては、その数ヶ月前に角川映画が同様のテーマで『REX 恐竜物語』を公開しており、パクリ疑惑もあったほどだ。
あと、ラドンが久々の登場だが、これが見事なまでのかませ犬。ゴジラとラドンの闘いはけっこう貴重なので、そういう意味では興味深いのだが、それもラストのラドンとゴジラの関係性で帳消し。あれだけドンパチやりながら最後に身を挺してゴジラを救うシーンなんて唖然とするのみ。しかも前作『ゴジラvsモスラ』でのモスラとバトラと同じパターンではないか。
『ゴジラ』や『ゴジラvsビオランテ』あたりはまだ見れるが、平成シリーズ、だんだんきつくなるなぁ(泣)。
さて、『ゴジラvsメカゴジラ』は1994年公開。監督は大河原孝夫、シリーズ通算二十作目、平成ゴジラシリーズとしては五作目にあたる。
近年に頻発するゴジラ災害に対応すべく、国連はG対策センターおよび対ゴジラ部隊Gフォースを設置して、対策兵器の開発や研究に専心していた。そして開発されたのが、究極の対ゴジラ兵器メカゴジラである。かつて未来人によってもたらされたがゴジラと共に海底に沈んだメカキングギドラを引き揚げ、そのテクノロジーを解析、利用したのである。
そんな頃、ベーリング海のアドノア島で翼竜と思しき卵の殻や、孵化していない卵が発見される。さっそく調査に向かった調査隊だが、そこへラドンとゴジラが現れ、調査隊は命からがら卵を入手して脱出する。やがて持ち帰った卵からゴジラザウルスが生まれ……というお話。
平成ゴジラシリーズの特徴のひとつとして、ストーリーがすべて繋がっていることが上げられる。世界観も時間軸も共有されているわけで、どうしてもあとの作品ほど過去の設定が加味されていくため、初見の人には理解しにくい個所が多くなるのが欠点である。
特にシリーズを通してキーウーマンとなる超能力レディ三枝未希の存在や、G対策センターやGフォースといった組織については、ほぼ前提として話が進められるだけに厳しいところである。しかも本作ではメカキングギドラなんてものまで加わるので、なんのこっちゃという人もさぞや多かろう。それをプロローグ的にあたまで解説するわけだから、導入として盛り上がりに欠けること夥しい。
そもそも平成シリーズは全般的に評価が低いわけだけれど、とにかくシナリオが全体的に弱いのが最大の原因だろう。本作では冒頭も弱いが、ベビーゴジラ(ゴジラの赤ちゃん、ただし実の息子とかではない)の設定も残念のひと言。
ゴジラのベビーという存在を打ち出し、「命」をテーマにしたといえば聞こえはいいが、わざわざ巨大な怪獣を使ってそんなことを訴える必要もあるまい。間口を広げて新たなファンを開拓しようというのはわかるが、昭和シリーズでやった過ちを見事に繰り返すところが理解不能である。特にベビーゴジラに関しては、その数ヶ月前に角川映画が同様のテーマで『REX 恐竜物語』を公開しており、パクリ疑惑もあったほどだ。
あと、ラドンが久々の登場だが、これが見事なまでのかませ犬。ゴジラとラドンの闘いはけっこう貴重なので、そういう意味では興味深いのだが、それもラストのラドンとゴジラの関係性で帳消し。あれだけドンパチやりながら最後に身を挺してゴジラを救うシーンなんて唖然とするのみ。しかも前作『ゴジラvsモスラ』でのモスラとバトラと同じパターンではないか。
『ゴジラ』や『ゴジラvsビオランテ』あたりはまだ見れるが、平成シリーズ、だんだんきつくなるなぁ(泣)。
Posted
on
ロス・トーマス『暗殺のジャムセッション』(ハヤカワミステリ)
久々にロス・トーマスを読む。以前は頻繁に翻訳も出ており年末ベストテンでも常連の人気作家だったが、1995年に亡くなってからはそれもパッタリ。本日の読了本『暗殺のジャムセッション』は2009年、十三年ぶりにポケミスで翻訳された一冊となる。
冷戦時の西ドイツでスパイ戦に巻き込まれたマッコークルだったが、今では帰国して恋人フレドルと結婚、ワシントンで「マックの店」を経営する身だった。そこへ突然重傷を負って転がり込んできたのが、かつての相棒パディロ。彼はアフリカのある一味から首相暗殺計画を依頼されたが、それを断ったため、トラブルとなってアメリカへ脱出してきたのだ。だが一味はパディロとマッコークルのことを調べ上げており、マッコークルの妻フレドルを誘拐してパディロに暗殺を強要する。パディロとマッコークルはこの難局を打破すべく、ある計画を練り上げるが……。
▲ロス・トーマス『暗殺のジャムセッション』(ハヤカワミステリ)【amazon】
いやあ、やはりロス・トーマスは巧い。ハードボイルドというかスリラーというか、まあジャンル名なんてどうでもいいんだけど、この手の作品を久々に読んだこともあって、余計に満足度高し。ロス・トーマス作品の魅力は何といっても、そのキャラクターによるところが大きいんだけど、意外にひねくれたプロットもお得意で、単なるドンパチアクションで終わらないストーリー展開も見逃せない。
本作でも、強要された暗殺計画をどうやって失敗させ、かつフレドルを救うか、というなかなかに悩ましい問題が横たわっているにもかかわらず、作者はここに凄腕の犯罪者を複数絡め、裏切り合戦も展開させる。誰が味方でどいつが敵か? そして暗殺計画の行方は? はたまたフレドルの運命やいかに? この複雑なドラマが見どころである。
前述のごとくキャラクターも立っている。主役コンビはもちろんだが、彼らをサポートするチームの面々、ハードマンやマッシュあたりの人物像が絶妙。とりわけ会話は絶品で、基本的には殺伐としていてクールなやりとりなのだけれど、そこかしこにくすぐりを忍ばせていて、その匙加減がいい。
ただ、いかんせん分量に比して登場人物が多すぎるせいか、どのキャラクターも万全というわけにはいかない。例えばアフリカの一味などは全体的にちょっとイメージが弱い気はするし、パディロに思いを寄せるヒロインも描写が浅い。
まあ、登場人物が多い云々ではなく、これがデビュー三作目ということで単純にまだ未熟なだけなのかもしれない。デビュー作の『冷戦交換ゲーム』も読んでいるのだが、さてあちらはどの程度のものだったか?
ちなみに原作の刊行は1967年。そんな古さはまったく感じさせない楽しい一冊であることは間違いないのだが、同じ早川書房から刊行されている後期の作品は、よりハイレベルのものが揃っている。気になる方はそちらから読んでもいいかもしれない。
冷戦時の西ドイツでスパイ戦に巻き込まれたマッコークルだったが、今では帰国して恋人フレドルと結婚、ワシントンで「マックの店」を経営する身だった。そこへ突然重傷を負って転がり込んできたのが、かつての相棒パディロ。彼はアフリカのある一味から首相暗殺計画を依頼されたが、それを断ったため、トラブルとなってアメリカへ脱出してきたのだ。だが一味はパディロとマッコークルのことを調べ上げており、マッコークルの妻フレドルを誘拐してパディロに暗殺を強要する。パディロとマッコークルはこの難局を打破すべく、ある計画を練り上げるが……。
▲ロス・トーマス『暗殺のジャムセッション』(ハヤカワミステリ)【amazon】
いやあ、やはりロス・トーマスは巧い。ハードボイルドというかスリラーというか、まあジャンル名なんてどうでもいいんだけど、この手の作品を久々に読んだこともあって、余計に満足度高し。ロス・トーマス作品の魅力は何といっても、そのキャラクターによるところが大きいんだけど、意外にひねくれたプロットもお得意で、単なるドンパチアクションで終わらないストーリー展開も見逃せない。
本作でも、強要された暗殺計画をどうやって失敗させ、かつフレドルを救うか、というなかなかに悩ましい問題が横たわっているにもかかわらず、作者はここに凄腕の犯罪者を複数絡め、裏切り合戦も展開させる。誰が味方でどいつが敵か? そして暗殺計画の行方は? はたまたフレドルの運命やいかに? この複雑なドラマが見どころである。
前述のごとくキャラクターも立っている。主役コンビはもちろんだが、彼らをサポートするチームの面々、ハードマンやマッシュあたりの人物像が絶妙。とりわけ会話は絶品で、基本的には殺伐としていてクールなやりとりなのだけれど、そこかしこにくすぐりを忍ばせていて、その匙加減がいい。
ただ、いかんせん分量に比して登場人物が多すぎるせいか、どのキャラクターも万全というわけにはいかない。例えばアフリカの一味などは全体的にちょっとイメージが弱い気はするし、パディロに思いを寄せるヒロインも描写が浅い。
まあ、登場人物が多い云々ではなく、これがデビュー三作目ということで単純にまだ未熟なだけなのかもしれない。デビュー作の『冷戦交換ゲーム』も読んでいるのだが、さてあちらはどの程度のものだったか?
ちなみに原作の刊行は1967年。そんな古さはまったく感じさせない楽しい一冊であることは間違いないのだが、同じ早川書房から刊行されている後期の作品は、よりハイレベルのものが揃っている。気になる方はそちらから読んでもいいかもしれない。
Posted
on
フェルディナント・フォン・シーラッハ『罪悪』(東京創元社)
昨年、『犯罪』で注目を浴び、年末のミステリランキングではどれも上位にくいこんだフェルディナント・フォン・シーラッハ。その彼の第二短編集が早くも登場。本日の読了本は『罪悪』である。
Volksfest「ふるさと祭り」
DNA「遺伝子」
Die Illuminaten「イルミナティ」
Kinder「子どもたち」
Anatomie「解剖学」
Der Andere「間男」
Der Koffer「アタッシュケース」
Verlangen「欲求」
Schnee「雪」
Der Schlüssel「鍵」
Einsam「寂しさ」
Justiz「司法当局」
Ausgleich「清算」
Familie「家族」
Geheimnisse「秘密」
最初に書いておくと、本書は前作『犯罪』に優るとも劣らない傑作である。もう、相変わらずの凄さ。こんなものを早々に読んでしまっては、今年のランキングがつまらなくなりそうでそれぐらい素晴らしい。
上でミステリランキングを賑わせた、とは書いてみたけれど、シーラッハの作品はどれも犯罪を扱っているものの、いやゆる一般のミステリとはずいぶん趣が異なる。
その興味は謎解きやスリル等からは相当離れたところにあって、例えば犯罪が孕んでいる価値であったり、人間が罪を犯すに至ったきっかけであったり、あるいは繰り返し犯罪をおかす人の性(さが)であったり。そういった運命としか言いようのない激流に呑まれてしまった人たちの姿を描いてゆく。
一応は著者の体験した物語という体をとり、語り手もいるのだが、これまた恐ろしいほど気配を殺した語り手であり、淡々と、そして簡潔に事実を述べていく。逆にこれが物語のもつ悲しさやおかしみを際だたせる効果をもつ。
本作は『罪悪』というタイトルがついているように、犯罪の中でも「罪」という側面に重きを置いた作品が多い。犯人が捕まらないまま物語が終わるものも珍しくなく、それによって「罪」のもつ意味合いをより考えさせるという結構。
ただ、著者が作風を確立しすぎたというか、ちょっとわかりやすい内容が増えてしまって、前作のようなどうしようもない不安感を味わえる作品は少し減ったか。そこが物足りないと言えば物足りないけれど、まあ、これで文句をいっては、それこそ罰が当たるか(苦笑)。
Volksfest「ふるさと祭り」
DNA「遺伝子」
Die Illuminaten「イルミナティ」
Kinder「子どもたち」
Anatomie「解剖学」
Der Andere「間男」
Der Koffer「アタッシュケース」
Verlangen「欲求」
Schnee「雪」
Der Schlüssel「鍵」
Einsam「寂しさ」
Justiz「司法当局」
Ausgleich「清算」
Familie「家族」
Geheimnisse「秘密」
最初に書いておくと、本書は前作『犯罪』に優るとも劣らない傑作である。もう、相変わらずの凄さ。こんなものを早々に読んでしまっては、今年のランキングがつまらなくなりそうでそれぐらい素晴らしい。
上でミステリランキングを賑わせた、とは書いてみたけれど、シーラッハの作品はどれも犯罪を扱っているものの、いやゆる一般のミステリとはずいぶん趣が異なる。
その興味は謎解きやスリル等からは相当離れたところにあって、例えば犯罪が孕んでいる価値であったり、人間が罪を犯すに至ったきっかけであったり、あるいは繰り返し犯罪をおかす人の性(さが)であったり。そういった運命としか言いようのない激流に呑まれてしまった人たちの姿を描いてゆく。
一応は著者の体験した物語という体をとり、語り手もいるのだが、これまた恐ろしいほど気配を殺した語り手であり、淡々と、そして簡潔に事実を述べていく。逆にこれが物語のもつ悲しさやおかしみを際だたせる効果をもつ。
本作は『罪悪』というタイトルがついているように、犯罪の中でも「罪」という側面に重きを置いた作品が多い。犯人が捕まらないまま物語が終わるものも珍しくなく、それによって「罪」のもつ意味合いをより考えさせるという結構。
ただ、著者が作風を確立しすぎたというか、ちょっとわかりやすい内容が増えてしまって、前作のようなどうしようもない不安感を味わえる作品は少し減ったか。そこが物足りないと言えば物足りないけれど、まあ、これで文句をいっては、それこそ罰が当たるか(苦笑)。
Posted
on
オーガスト・ダーレス『ソーラー・ポンズの事件簿』(創元推理文庫)
オーガスト・ダーレスといえば怪奇小説の書き手として知られているが、同時に怪奇小説の専門出版社「アーカム・ハウス」を興したことでも有名だ。その理由がラヴクラフトの本を出したいためだったというから、正に怪奇小説のために生まれてきたような人である。
その一方で、彼はシャーロック・ホームズの愛好家でもあった。そちら方面の成果として有名なのが、「プレイド街のシャーロック・ホームズ」の異名をもつソーラー・ポンズのシリーズである。
本日の読了本はそのポンズの活躍をまとめた『ソーラー・ポンズの事件簿』。まずは収録作から。
The Adventure of the Lost Locomotive「消えた機関車」
The Adventure of the Aluminum Crutch「アルミの松葉杖」
The Adventure of the Circular Room「丸い部屋」
The Adventure of the Man with the Broken Face「顔のつぶれた男」
The Adventure of the Missing Tenants「消えた住人」
The Adventure of the Retired Novelist「一人暮らしの小説家」
The Adventure of the Norcross Riddle「沼地の廃墟」
The Adventure of the Sotheby Salesman「サザビー村のセールスマン」
The Adventure of the Late Mr. Faversham「ファヴァシャム教授の失踪」
The Adventure of the Lost Holiday「好ましからざる人物」
The Adventure of the Seven Sisters「七人の娘」
The Adventure of the Paralytic Mendicant「半身不随の乞食」
The Adventure of the Tottenham Werewolf「トットナム村の狼男」
このシリーズが面白いのは、ソーラー・ポンズがいわゆる「シャーロック・ホームズのライヴァル」の一人であるにもかかわらず、ソーンダイクや思考機械、隅の老人のように、ホームズに対抗するだけのオリジナリティを持っていなかったことにある。というのも、本シリーズは、徹底的にホームズを模倣したパスティーシュ作品なのだ。
そもそもこれを書いた動機が、ホームズの連載が終了したことで、その続きをどうしても読みたかったかららしい。ラヴクラフトに対してもそうだが、相当にオタク気質というか、自分でも著作活動をやっているのに他の作家の熱烈ファンになってしまうというのが何とも微笑ましい。
ただ、確かに全体の雰囲気、主人公の設定などは聖典そっくりで(まあ、シャーロキアンでもないので細部がどうとかはわからないけれど)、そこは流石である。
とはいえ、本家に比べるとサプライズの面では落ちるし、トリックとかもそれほど注目できるレベルではない。物語のありようを似せることだけに注力しすぎというか、どうしてもミステリとしてまとめるのに精一杯で、面白さはおいてけぼりになってしまっている。まあパロディ的な面白さはあるけれど。
ダーレスは器用な作家だと思うが、全体的にはそれが裏目に出ているような印象であった。
その一方で、彼はシャーロック・ホームズの愛好家でもあった。そちら方面の成果として有名なのが、「プレイド街のシャーロック・ホームズ」の異名をもつソーラー・ポンズのシリーズである。
本日の読了本はそのポンズの活躍をまとめた『ソーラー・ポンズの事件簿』。まずは収録作から。
The Adventure of the Lost Locomotive「消えた機関車」
The Adventure of the Aluminum Crutch「アルミの松葉杖」
The Adventure of the Circular Room「丸い部屋」
The Adventure of the Man with the Broken Face「顔のつぶれた男」
The Adventure of the Missing Tenants「消えた住人」
The Adventure of the Retired Novelist「一人暮らしの小説家」
The Adventure of the Norcross Riddle「沼地の廃墟」
The Adventure of the Sotheby Salesman「サザビー村のセールスマン」
The Adventure of the Late Mr. Faversham「ファヴァシャム教授の失踪」
The Adventure of the Lost Holiday「好ましからざる人物」
The Adventure of the Seven Sisters「七人の娘」
The Adventure of the Paralytic Mendicant「半身不随の乞食」
The Adventure of the Tottenham Werewolf「トットナム村の狼男」
このシリーズが面白いのは、ソーラー・ポンズがいわゆる「シャーロック・ホームズのライヴァル」の一人であるにもかかわらず、ソーンダイクや思考機械、隅の老人のように、ホームズに対抗するだけのオリジナリティを持っていなかったことにある。というのも、本シリーズは、徹底的にホームズを模倣したパスティーシュ作品なのだ。
そもそもこれを書いた動機が、ホームズの連載が終了したことで、その続きをどうしても読みたかったかららしい。ラヴクラフトに対してもそうだが、相当にオタク気質というか、自分でも著作活動をやっているのに他の作家の熱烈ファンになってしまうというのが何とも微笑ましい。
ただ、確かに全体の雰囲気、主人公の設定などは聖典そっくりで(まあ、シャーロキアンでもないので細部がどうとかはわからないけれど)、そこは流石である。
とはいえ、本家に比べるとサプライズの面では落ちるし、トリックとかもそれほど注目できるレベルではない。物語のありようを似せることだけに注力しすぎというか、どうしてもミステリとしてまとめるのに精一杯で、面白さはおいてけぼりになってしまっている。まあパロディ的な面白さはあるけれど。
ダーレスは器用な作家だと思うが、全体的にはそれが裏目に出ているような印象であった。
Posted
on
ジョナサン・リーベスマン『世界侵略: ロサンゼルス決戦』
来週、ちょっとした資格の試験を受けるため、本日は自宅でのんびりと受験勉強。で、早々に飽きてきたため(苦笑)、昼飯がてら新刊書店で二冊ほど買い物。
ひとつは新訳で登場したセバスチアン・ジャプリゾの『シンデレラの罠』。「私はこの事件の探偵であり、証人であり、被害者であり、犯人なのです」という、煽りまくりのキャッチが秀逸なフランスミステリの古典だが、その割にはたぶん読んでる人は少ないはず。
まあ、フランスミステリは心理描写や思わせぶりな描写が地の文で入ってくることも多く、基本的に読みやすいとはいえないので、仕方ないところもあるだろう。それがアルテの翻訳でも知られる名手、平岡敦の訳で蘇るのだからこれは買い。食わず嫌いの方はこの機会にぜひどうぞ。
もう一冊は『この謎が解けるか? 鮎川哲也からの挑戦状!1』。タイトルからだとミステリクイズ集あたりを連想しそうだが然にあらず。これはラジオやテレビの推理ドラマのシナリオ集。
この手の作品集が出るミステリ作家なんて片手で数えるぐらいしかいないと思うのだけど、鮎川哲也もついにそうした作家の一人になったということか。しかもこれ「1」だから、次もあるということだよね。ファンとしては嬉しいかぎり。
なお、版元はおなじみ出版芸術社。価格を抑えるためだろうが、これまでの同社の鮎哲本と違ってソフトカバー、判型も小さめである。ま、それはいいんだけど、カバーと背のデザインはもう少しなんとかできなかったかなぁ。派手にしたいのか渋くしたいのか、方向性が見えない上に視認性悪すぎである。せっかくの新刊なのに……。
書店のあとはDVDのレンタルショップに立ち寄り、ジョナサン・リーベスマン監督の『世界侵略: ロサンゼルス決戦』を借りてさっそく視聴。
なぜかこの数年、ハリウッドではやたらと人気のあるエイリアン地球侵略もの。いい加減、観る側も飽きそうだが、管理人のような特撮ファンは毎度懲りずに観てしまうわけである。
ストーリーはいたってシンプル。ある日突然、謎の未確認飛行物体が地球に飛来し、中から出現した異星人が世界中の大都市を一斉に攻撃する。各国の都市が次々と陥落するなか、ロサンゼルスではナンツ二等軍曹をはじめとする海兵隊の一行が、警察署に取り残された民間人を救助するため出発することになった……。
悪くない。
人類vs異星人というSF設定ではあるが、そのテーマや演出、手法はほぼ戦争映画のそれである。ぶっちゃけ荒唐無稽なのは異星人という部分だけで、それ以外は普通の戦争映画となんら変わりはない。
それをより鮮明にしてくれるのが、ハンディカメラを多用したドキュメンタリー仕立ての見せ方。『クローバーフィールド』などでも使用されたが、あちらは本当にハンディカメラという設定だったけれど、こちらはあくまで効果優先。加えて戦争そのものの描き方も局所的かつリアル志向なので(死体の扱いとか)、その臨場感や息苦しさはなかなかのものだ。
ただ、リアル志向とは書いたが、後半に入ると、主人公たちが敵を倒さなければならないという必要性があるため、それはかなり犠牲になる。敵の弱点の見つけ方とか、司令部への攻撃とか、どんどんムリヤリ感が強くなっていくのは残念。作品の良さを自ら消すとは何とももったいない限りだが、これがハリウッドの呪縛というやつか。
なお、この手の映画への批判としてよくある、兵士の勇気や愛国心などを強調されることについては、今さらどうこう言うつもりはない。根底を流れるのはおなじみ”アメリカ万歳”だとしても、そのテーマ自体に非があるとは思わない。それは一面では真実でもあるし、自国で公開される娯楽映画として爽快感を求めることは、決して無下にはできない要素だろう。
むしろ海兵隊の各人に割り当てられたドラマ、例えば退役寸前のベテランと新米指揮官の微妙な関係などは、もっと掘り下げてほしかったところだ。アクションを削るわけにはいかないのだろうが、尺的には他のエピソードも中途半端になってしまうし、ちょっともったいない。
かようにいろいろ残念なところもある映画なのだが、とりあえずすごく真面目に作っているのが伝わってくるのはマル。決して退屈することはないし、濃密な二時間は保証できる。
ひとつは新訳で登場したセバスチアン・ジャプリゾの『シンデレラの罠』。「私はこの事件の探偵であり、証人であり、被害者であり、犯人なのです」という、煽りまくりのキャッチが秀逸なフランスミステリの古典だが、その割にはたぶん読んでる人は少ないはず。
まあ、フランスミステリは心理描写や思わせぶりな描写が地の文で入ってくることも多く、基本的に読みやすいとはいえないので、仕方ないところもあるだろう。それがアルテの翻訳でも知られる名手、平岡敦の訳で蘇るのだからこれは買い。食わず嫌いの方はこの機会にぜひどうぞ。
もう一冊は『この謎が解けるか? 鮎川哲也からの挑戦状!1』。タイトルからだとミステリクイズ集あたりを連想しそうだが然にあらず。これはラジオやテレビの推理ドラマのシナリオ集。
この手の作品集が出るミステリ作家なんて片手で数えるぐらいしかいないと思うのだけど、鮎川哲也もついにそうした作家の一人になったということか。しかもこれ「1」だから、次もあるということだよね。ファンとしては嬉しいかぎり。
なお、版元はおなじみ出版芸術社。価格を抑えるためだろうが、これまでの同社の鮎哲本と違ってソフトカバー、判型も小さめである。ま、それはいいんだけど、カバーと背のデザインはもう少しなんとかできなかったかなぁ。派手にしたいのか渋くしたいのか、方向性が見えない上に視認性悪すぎである。せっかくの新刊なのに……。
書店のあとはDVDのレンタルショップに立ち寄り、ジョナサン・リーベスマン監督の『世界侵略: ロサンゼルス決戦』を借りてさっそく視聴。
なぜかこの数年、ハリウッドではやたらと人気のあるエイリアン地球侵略もの。いい加減、観る側も飽きそうだが、管理人のような特撮ファンは毎度懲りずに観てしまうわけである。
ストーリーはいたってシンプル。ある日突然、謎の未確認飛行物体が地球に飛来し、中から出現した異星人が世界中の大都市を一斉に攻撃する。各国の都市が次々と陥落するなか、ロサンゼルスではナンツ二等軍曹をはじめとする海兵隊の一行が、警察署に取り残された民間人を救助するため出発することになった……。
悪くない。
人類vs異星人というSF設定ではあるが、そのテーマや演出、手法はほぼ戦争映画のそれである。ぶっちゃけ荒唐無稽なのは異星人という部分だけで、それ以外は普通の戦争映画となんら変わりはない。
それをより鮮明にしてくれるのが、ハンディカメラを多用したドキュメンタリー仕立ての見せ方。『クローバーフィールド』などでも使用されたが、あちらは本当にハンディカメラという設定だったけれど、こちらはあくまで効果優先。加えて戦争そのものの描き方も局所的かつリアル志向なので(死体の扱いとか)、その臨場感や息苦しさはなかなかのものだ。
ただ、リアル志向とは書いたが、後半に入ると、主人公たちが敵を倒さなければならないという必要性があるため、それはかなり犠牲になる。敵の弱点の見つけ方とか、司令部への攻撃とか、どんどんムリヤリ感が強くなっていくのは残念。作品の良さを自ら消すとは何とももったいない限りだが、これがハリウッドの呪縛というやつか。
なお、この手の映画への批判としてよくある、兵士の勇気や愛国心などを強調されることについては、今さらどうこう言うつもりはない。根底を流れるのはおなじみ”アメリカ万歳”だとしても、そのテーマ自体に非があるとは思わない。それは一面では真実でもあるし、自国で公開される娯楽映画として爽快感を求めることは、決して無下にはできない要素だろう。
むしろ海兵隊の各人に割り当てられたドラマ、例えば退役寸前のベテランと新米指揮官の微妙な関係などは、もっと掘り下げてほしかったところだ。アクションを削るわけにはいかないのだろうが、尺的には他のエピソードも中途半端になってしまうし、ちょっともったいない。
かようにいろいろ残念なところもある映画なのだが、とりあえずすごく真面目に作っているのが伝わってくるのはマル。決して退屈することはないし、濃密な二時間は保証できる。