Posted in 11 2007
なんと御歳九十になろうという土屋隆夫の新作が光文社から出た。『人形が死んだ夜』である。しかも通常の単行本だけではなく、デビュー作の『天狗の面』とカップリングした函入りの特別限定版まで出るという。
しかし権田萬治氏の解説を特別収録しているとはいえ、『天狗の面』は当然読んでいるし、ここはおとなしく通常版を買おうと書店に向かったときの話。
職場近くの某大書店では、入り口すぐのところに新刊の棚がある。けっこうミステリをいいポジションで扱ってくれて、新刊チェックには非常に助かっているのだが、本日も一目で発見。おお、あるある。棚に並んで燦然と輝く通常版&限定版。限定版はさすがに力の入った装丁である。だが、ここは我慢して通常版だ。すでに読んだ本、文庫で持っている本を、なぜわざわざハードカバーで買いなおす必要がある? 自分に言い聞かせながら、通常版に手を伸ばす。そのときであった、ふと限定版を見ると、何やら函の左隅に黒インクで印刷が。
「1000部限定特別セット版 0484/1000」。
ガーン。限定版はまさしく文字どおりの1000部限定だったのだ。しかもシリアルナンバー入りだよ。おまけに棚には限定版がその1冊しか残されていないではないか。その瞬間、限定版は管理人の手中にしっかりと収まっていたのだった。もはや一片の迷いもなし。
光文社の思うつぼにまんまとはまってしまった……。
しかし権田萬治氏の解説を特別収録しているとはいえ、『天狗の面』は当然読んでいるし、ここはおとなしく通常版を買おうと書店に向かったときの話。
職場近くの某大書店では、入り口すぐのところに新刊の棚がある。けっこうミステリをいいポジションで扱ってくれて、新刊チェックには非常に助かっているのだが、本日も一目で発見。おお、あるある。棚に並んで燦然と輝く通常版&限定版。限定版はさすがに力の入った装丁である。だが、ここは我慢して通常版だ。すでに読んだ本、文庫で持っている本を、なぜわざわざハードカバーで買いなおす必要がある? 自分に言い聞かせながら、通常版に手を伸ばす。そのときであった、ふと限定版を見ると、何やら函の左隅に黒インクで印刷が。
「1000部限定特別セット版 0484/1000」。
ガーン。限定版はまさしく文字どおりの1000部限定だったのだ。しかもシリアルナンバー入りだよ。おまけに棚には限定版がその1冊しか残されていないではないか。その瞬間、限定版は管理人の手中にしっかりと収まっていたのだった。もはや一片の迷いもなし。
光文社の思うつぼにまんまとはまってしまった……。
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渡辺啓助『クムラン洞窟』(出版芸術社)
渡辺啓助『クムラン洞窟』を読む。
幻想的で怪奇趣味に満ちた小説で知られる渡辺啓助は、1960年頃から、いわゆる秘境ものと呼ばれる作品を書き始めるようになる。だが、小説の執筆が減少し、創作活動の柱が詩や絵画にシフトするようになったのも同じくこの頃。結果的にこの時期の作品群すなわち秘境小説が、彼の小説としては最後期にあたることになるらしい。
本書はそんな後期の短編を集めた秘境小説集である。収録作は以下のとおり。
「クムラン洞窟」
「島」
「嗅ぎ屋」
「追跡」
「悪魔島を見てやろう」
「崖」
「シルクロード裏通り」
「紅海」
「逃亡者の島」
「探偵小説」という名称がまだ一般的であった頃、秘境小説の書き手といえば、橘外男を筆頭として、香山滋、小栗虫太郎らの名を忘れることはできない。本書を読むにあたって、やはり念頭にあったのは彼らの作品である。
ところが、本書『クムラン洞窟』を一読して驚いたのは、まずそのスマートな作風だった。書かれた時代が戦後も十年を過ぎ、あまり突飛な設定が受け入れられなくなったせいなのか、あるいは著者のもともと持っているスタイリッシュな文体のせいなのか。渡辺啓助のそれは、確かに秘境を舞台にしてはいるものの、単なるファンタジーではなく、より冒険小説的・犯罪小説的なテイストを取り入れており、なかなか現代的な作風として成立しているように思う。
秘境小説といえば、やはりその退廃的な世界観、ある種の熱病にうなされているかのような登場人物たちの言動、ねちっこい描写、要はエログロ(笑)……みたいなところを管理人は思い浮かべてしまい当初は若干の物足りなさも覚えたのだが、この怪しげなスパイ物みたいなノリはなかなか悪くない。秘境小説もなかなか奥が深いようだ。
気に入らない点もある。作風云々とは別の話になるが、各短編とももう少し長くした方がよかったのではないか、ということ。
というのも物語の背景となる史実、伝説、あるいは風土等の話をみっしり詰め込みすぎ、どうも説明的になることが多いのである。秘境そのものが主人公、というタイプの話であれば、短くとも雰囲気だけで押していくことは可能だが、本書で語られる物語にはしっかりした結構を備えたものが多く、それを物語るには、やや枚数が足りなかったように思える。
結論としては、以前に読んだ『怪奇探偵小説名作集2渡辺啓助集 地獄横町』に比べると、全体の満足度はやや落ちるが、それでも十分読むに値する作品集である。もしかすると秘境小説というものに興味がある人はまず本書を読み、気に入った人だけ香山や橘に進むとよいもしれない。進んでどうする、という気もするけれど(笑)。
幻想的で怪奇趣味に満ちた小説で知られる渡辺啓助は、1960年頃から、いわゆる秘境ものと呼ばれる作品を書き始めるようになる。だが、小説の執筆が減少し、創作活動の柱が詩や絵画にシフトするようになったのも同じくこの頃。結果的にこの時期の作品群すなわち秘境小説が、彼の小説としては最後期にあたることになるらしい。
本書はそんな後期の短編を集めた秘境小説集である。収録作は以下のとおり。
「クムラン洞窟」
「島」
「嗅ぎ屋」
「追跡」
「悪魔島を見てやろう」
「崖」
「シルクロード裏通り」
「紅海」
「逃亡者の島」
「探偵小説」という名称がまだ一般的であった頃、秘境小説の書き手といえば、橘外男を筆頭として、香山滋、小栗虫太郎らの名を忘れることはできない。本書を読むにあたって、やはり念頭にあったのは彼らの作品である。
ところが、本書『クムラン洞窟』を一読して驚いたのは、まずそのスマートな作風だった。書かれた時代が戦後も十年を過ぎ、あまり突飛な設定が受け入れられなくなったせいなのか、あるいは著者のもともと持っているスタイリッシュな文体のせいなのか。渡辺啓助のそれは、確かに秘境を舞台にしてはいるものの、単なるファンタジーではなく、より冒険小説的・犯罪小説的なテイストを取り入れており、なかなか現代的な作風として成立しているように思う。
秘境小説といえば、やはりその退廃的な世界観、ある種の熱病にうなされているかのような登場人物たちの言動、ねちっこい描写、要はエログロ(笑)……みたいなところを管理人は思い浮かべてしまい当初は若干の物足りなさも覚えたのだが、この怪しげなスパイ物みたいなノリはなかなか悪くない。秘境小説もなかなか奥が深いようだ。
気に入らない点もある。作風云々とは別の話になるが、各短編とももう少し長くした方がよかったのではないか、ということ。
というのも物語の背景となる史実、伝説、あるいは風土等の話をみっしり詰め込みすぎ、どうも説明的になることが多いのである。秘境そのものが主人公、というタイプの話であれば、短くとも雰囲気だけで押していくことは可能だが、本書で語られる物語にはしっかりした結構を備えたものが多く、それを物語るには、やや枚数が足りなかったように思える。
結論としては、以前に読んだ『怪奇探偵小説名作集2渡辺啓助集 地獄横町』に比べると、全体の満足度はやや落ちるが、それでも十分読むに値する作品集である。もしかすると秘境小説というものに興味がある人はまず本書を読み、気に入った人だけ香山や橘に進むとよいもしれない。進んでどうする、という気もするけれど(笑)。
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『ハヤカワミステリマガジン2008年1月号』
リニューアルした『ミステリマガジン』。ひととおり目を通してみたが、ぎりぎりのところで踏みとどまっているといったところか。
小説についてはやや国産ものの割合が高くなっており、企画物やエッセイでも国産作家を扱ったネタが多い。だが同時に「「新・世界ミステリ全集」を立ち上げる」みたいな海外物の企画も始まるなど、まさに一進一退(笑)。『ジャーロ』の例もあるので油断は出来ないが、まあ、もう少し様子を見ますか。
ただ、今回のリニューアルで最初に抱いた気持ちは変わらない。
「海外・日本を問わないミステリの総合誌へと変貌する」というと聞こえは良いが、売れない海外ミステリだけでは商売にならないから、てっとり早く国産の人気作家も入れて売上げを増やしましょうという、ということだ。
いや、別に商売を優先しても全然かまわないのだよ。っていうかむしろ当たり前のことだろう。ボランティアでやってるわけでもなし。こちらも同じ業界にいるので、そういう台所事情は理解できる。
ただ、その価値を自ら低めようとする方針変更が、海外ミステリファンたる管理人としてはまったく理解できないだけである。以前の日記でも書いたが、「それならそういう雑誌を作ればいいんじゃないの?」ということ。
昔から『ミステリマガジン』を贔屓にしているファンは、当然海外ミステリを読みたかったり、海外ミステリに関する情報を知りたいと思ってるんじゃないのか。そんな簡単にお家の事情で、看板雑誌の方針まで変えちゃっていいのだろうか。
方針変更、商売優先、大いにけっこう。ただ、今回のやり方は、読者との温度差があまりにありすぎる。
奥付や表紙を見てひとつ、気がついたこと。
今号から正式な雑誌名が、『ミステリマガジン』が『ハヤカワミステリマガジン』になった模様。これは何か意味があるのだろうか?
小説についてはやや国産ものの割合が高くなっており、企画物やエッセイでも国産作家を扱ったネタが多い。だが同時に「「新・世界ミステリ全集」を立ち上げる」みたいな海外物の企画も始まるなど、まさに一進一退(笑)。『ジャーロ』の例もあるので油断は出来ないが、まあ、もう少し様子を見ますか。
ただ、今回のリニューアルで最初に抱いた気持ちは変わらない。
「海外・日本を問わないミステリの総合誌へと変貌する」というと聞こえは良いが、売れない海外ミステリだけでは商売にならないから、てっとり早く国産の人気作家も入れて売上げを増やしましょうという、ということだ。
いや、別に商売を優先しても全然かまわないのだよ。っていうかむしろ当たり前のことだろう。ボランティアでやってるわけでもなし。こちらも同じ業界にいるので、そういう台所事情は理解できる。
ただ、その価値を自ら低めようとする方針変更が、海外ミステリファンたる管理人としてはまったく理解できないだけである。以前の日記でも書いたが、「それならそういう雑誌を作ればいいんじゃないの?」ということ。
昔から『ミステリマガジン』を贔屓にしているファンは、当然海外ミステリを読みたかったり、海外ミステリに関する情報を知りたいと思ってるんじゃないのか。そんな簡単にお家の事情で、看板雑誌の方針まで変えちゃっていいのだろうか。
方針変更、商売優先、大いにけっこう。ただ、今回のやり方は、読者との温度差があまりにありすぎる。
奥付や表紙を見てひとつ、気がついたこと。
今号から正式な雑誌名が、『ミステリマガジン』が『ハヤカワミステリマガジン』になった模様。これは何か意味があるのだろうか?
本日は勤労感謝の日。祝日にまで勤労できることを感謝しつつ休日出勤(泣)。
古書店の街、神保町といえども休日は閉まっている店も多く、閑散としている。そんな中、神保町交差点でオリンピック誘致の署名運動をやっているのがいと哀れ。神保町は休日に人がいないんだから、もう少し場所を選べばいいのに。
『ミステリが読みたい!2008年版』にざくっと目を通す。
ううむ、さほど大きな期待はしていなかったのだけれど、ちょっと弱すぎるんじゃないかな。
もともとミステリマガジンの増大号(3月号ぐらいだったか?)でやっていたものを独立させたものだし、『このミス』のパクリというつもりはないが、これでは『このミス』から遊びのページを抜いただけという印象だ。むしろ、あちらの方が工夫は遙かに感じられる。
ただでさえ、対象となる期間を、変なところで区切ったり(なんと10月1日~翌9月30日という縛りである、おそらくは類書より先に出したいという理由だろう)、わざわざ雑誌の記事を独立させたりと、商売優先が目につきすぎる本なのだ。
後発なんだし、しかもミステリマガジンから派生しているのだから、せめて中身だけでもミステリ専門誌としての意地を見せてほしかったところだ。
唯一、企画らしい企画といえば、小鷹信光&原りょう&山本博によるハードボイルドをテーマとした鼎談。といってもこれも講演の再録なので、お手軽感は否めないが、語られている内容はさすがに面白い。とりわけ村上春樹の訳した『ロング・グッドバイ』を中心とした翻訳論は興味深い。お遊び企画は『このミス』に任せ、早川はやはり真面目にこの手の企画で勝負してほしいものである。
なお、先日の日記にも書いたが、海外部門ベスト10のうち、6作が早川の本というのはどうなんだろう。講談社の「文庫翻訳ミステリー・ベスト10」と同じ臭いが感じられて、何だかなぁという感想しか出てこない。しかも一位は掟破りのチャンドラー。これまでも普通に入手できた過去の大傑作を、新訳だからといってランキングの対象にするのも、正直、神経を疑ってしまう。
早川書房、本当に大丈夫か?
古書店の街、神保町といえども休日は閉まっている店も多く、閑散としている。そんな中、神保町交差点でオリンピック誘致の署名運動をやっているのがいと哀れ。神保町は休日に人がいないんだから、もう少し場所を選べばいいのに。
『ミステリが読みたい!2008年版』にざくっと目を通す。
ううむ、さほど大きな期待はしていなかったのだけれど、ちょっと弱すぎるんじゃないかな。
もともとミステリマガジンの増大号(3月号ぐらいだったか?)でやっていたものを独立させたものだし、『このミス』のパクリというつもりはないが、これでは『このミス』から遊びのページを抜いただけという印象だ。むしろ、あちらの方が工夫は遙かに感じられる。
ただでさえ、対象となる期間を、変なところで区切ったり(なんと10月1日~翌9月30日という縛りである、おそらくは類書より先に出したいという理由だろう)、わざわざ雑誌の記事を独立させたりと、商売優先が目につきすぎる本なのだ。
後発なんだし、しかもミステリマガジンから派生しているのだから、せめて中身だけでもミステリ専門誌としての意地を見せてほしかったところだ。
唯一、企画らしい企画といえば、小鷹信光&原りょう&山本博によるハードボイルドをテーマとした鼎談。といってもこれも講演の再録なので、お手軽感は否めないが、語られている内容はさすがに面白い。とりわけ村上春樹の訳した『ロング・グッドバイ』を中心とした翻訳論は興味深い。お遊び企画は『このミス』に任せ、早川はやはり真面目にこの手の企画で勝負してほしいものである。
なお、先日の日記にも書いたが、海外部門ベスト10のうち、6作が早川の本というのはどうなんだろう。講談社の「文庫翻訳ミステリー・ベスト10」と同じ臭いが感じられて、何だかなぁという感想しか出てこない。しかも一位は掟破りのチャンドラー。これまでも普通に入手できた過去の大傑作を、新訳だからといってランキングの対象にするのも、正直、神経を疑ってしまう。
早川書房、本当に大丈夫か?
またもや壮絶な仕事週間に突入してしまった。それでも何とかブログを更新しているのは、早朝に帰宅して朝イチで書いているから。そのあと数時間だけ寝て午前中に出社するという我ながら無茶をやっております(笑)。
で、買いたい本もいろいろあったので、発作的に新刊書を大人買い。
『ミステリマガジン1月号』 遂にリニューアル。詳しくは後日にするとして、思ったほどには酷いことにはなっていなさそうで、ひと安心。
『ミステリが読みたい!2008年版』 早川書房版このミス。今までミステリマガジンで掲載していたものにベスト20をつけたもの。しかし海外部門ベスト10のうち、6作が早川の本というのは……。まあ、こちらの詳しい感想も後日ということで。
うう、全部コメントつけようと思ったが、猛烈な睡魔が襲ってきたので、あとはとりあえずタイトルのみ。
最相葉月/監修『星新一 発想工房へようこそ』(新潮社)
山本周五郎『山本周五郎探偵小説全集3 怪奇探偵小説』(作品社)
芦川澄子『ありふれた死因』(東京創元社)
ジョン・コリア『ナツメグの味』(河出書房新社)
シオドア・スタージョン『[ウィジェット]と[ワジェット]とボフ』(河出書房新社)
クリフォード・ナイト『ミステリ講座の殺人』(原書房)
ジェフリー・ディーヴァー『ウォッチメイカー』(文藝春秋)
ヘスキス・プリチャード『ノヴェンバー・ジョーの事件簿』(論創社)
ああ、スッキリした(笑)。
11/27追記
上の記事(下のコメントも)の『星新一 発想工房へようこそ』は、
『星新一 空想工房へようこそ』の間違いではとの指摘がありました。
まさにそのとおりでございます。ああ、恥ずかしい。
謹んで訂正ーー<(_ _)>
で、買いたい本もいろいろあったので、発作的に新刊書を大人買い。
『ミステリマガジン1月号』 遂にリニューアル。詳しくは後日にするとして、思ったほどには酷いことにはなっていなさそうで、ひと安心。
『ミステリが読みたい!2008年版』 早川書房版このミス。今までミステリマガジンで掲載していたものにベスト20をつけたもの。しかし海外部門ベスト10のうち、6作が早川の本というのは……。まあ、こちらの詳しい感想も後日ということで。
うう、全部コメントつけようと思ったが、猛烈な睡魔が襲ってきたので、あとはとりあえずタイトルのみ。
最相葉月/監修『星新一 発想工房へようこそ』(新潮社)
山本周五郎『山本周五郎探偵小説全集3 怪奇探偵小説』(作品社)
芦川澄子『ありふれた死因』(東京創元社)
ジョン・コリア『ナツメグの味』(河出書房新社)
シオドア・スタージョン『[ウィジェット]と[ワジェット]とボフ』(河出書房新社)
クリフォード・ナイト『ミステリ講座の殺人』(原書房)
ジェフリー・ディーヴァー『ウォッチメイカー』(文藝春秋)
ヘスキス・プリチャード『ノヴェンバー・ジョーの事件簿』(論創社)
ああ、スッキリした(笑)。
11/27追記
上の記事(下のコメントも)の『星新一 発想工房へようこそ』は、
『星新一 空想工房へようこそ』の間違いではとの指摘がありました。
まさにそのとおりでございます。ああ、恥ずかしい。
謹んで訂正ーー<(_ _)>
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楠田匡介『犯罪への招待』(青樹社)
河出文庫の『楠田匡介名作選 脱獄囚』は実に読み応えのある作品集だった。ただ残念なことに、もっと楠田匡介の本を読みたいと思っても、現役本はこれ一冊。比較的著書は多いのだが、一時期は完全に忘れられた存在となり、ここ数年の復刻ブームで人気が再燃したものの、過去の作品はみな絶版という状態なのである。
まあ人気が再燃したといってもあくまでミステリマニアの間の話であるから、この現状は仕方あるまい。困るのは古書人気がけっこう高くなってしまい、本を見つけること自体がまず大変だということ。あっても相当なお値段である。どこかから、また傑作集でも出ないものだろうか。
さて、本日の読了本『犯罪への招待』は、そんな楠田匡介の後期の一冊で、新聞記者の乾信一の活躍をまとめた中短編集。著者の作品のなかでは比較的に入手が容易なものだ。収録作は以下のとおり。
「殺人設計図」
「替えられた顔」
「アリバイを探せ」
「吊された美女」
「殺された男」
「殺人設計図」は本書で唯一の中編。石原慎太郎が作家デビュー時に流行らせた「太陽族」にスポットを当て、享楽に流される七人の若者たちの殺人計画を描く。本作のミソは二つ。ひとつは寸前で頓挫したはずの殺人計画がなぜか完遂されてしまい、そればかりか予想もしない第二の殺人まで起きるという点。互いに犯人ではと疑心暗鬼に陥る若者たちだが、真犯人は果たして……というストーリー展開が巧い。もうひとつは、やはりトリック。とにかく第二の殺人の方がトンデモ系で、まあ良識のある人なら顔をしかめること請け合いである。
「替えられた顔」は、乾夫妻が新婚旅行中に巻き込まれた事件を描く。しかも探偵役どころか被害者側だ。ネタがアレなので詳しくは書けないが、この手のトリックを本格風ではなくサスペンス風に仕上げるところが、二時間ドラマっぽい。舞台も温泉地だし。ただ、ちょっと展開がだれており、ハラハラ感はいまひとつ。
「アリバイを探せ」は犯人の証拠を突き止める手段がトンデモ系。しかもかなり強引な証拠であり、これが果たして法廷で通用するかどうかは疑問。ただ、最後の1ページで一気にけりをつける著者のけれん味がナイス(笑)。
「吊された美女」は、美人代議士が殺害され、国会議事堂の高塔に吊されるという、とてつもなくど派手なストーリー。しかも乾記者も容疑をかけられ、田名網警部も登場するという実に豪華な一編。しかし肝心のネタや設定がもう無理矢理すぎて、探偵小説としての評価は限りなく低い。
「殺された男」はプロ野球の試合中に審判がナイフで殺されるという凄まじい設定の短編。しかも殺人のトリック以外にもうひとつ大きな謎を仕込んでいるが、このどちらもが腰砕けに終わり、本書中のワースト。
著者のもうひとつのシリーズ、田名網警部ものに比べてテイストは軽めで、まだ新婚といってよい乾夫妻の掛け合いなどはなかなか楽しい。ただ、一応、本格ミステリの体は為しているけれど、お得意の無理矢理機械的トリックもそれほど冴えは見られず、総じてあまりオススメするほどの作品集ではないので念のため。
まあ人気が再燃したといってもあくまでミステリマニアの間の話であるから、この現状は仕方あるまい。困るのは古書人気がけっこう高くなってしまい、本を見つけること自体がまず大変だということ。あっても相当なお値段である。どこかから、また傑作集でも出ないものだろうか。
さて、本日の読了本『犯罪への招待』は、そんな楠田匡介の後期の一冊で、新聞記者の乾信一の活躍をまとめた中短編集。著者の作品のなかでは比較的に入手が容易なものだ。収録作は以下のとおり。
「殺人設計図」
「替えられた顔」
「アリバイを探せ」
「吊された美女」
「殺された男」
「殺人設計図」は本書で唯一の中編。石原慎太郎が作家デビュー時に流行らせた「太陽族」にスポットを当て、享楽に流される七人の若者たちの殺人計画を描く。本作のミソは二つ。ひとつは寸前で頓挫したはずの殺人計画がなぜか完遂されてしまい、そればかりか予想もしない第二の殺人まで起きるという点。互いに犯人ではと疑心暗鬼に陥る若者たちだが、真犯人は果たして……というストーリー展開が巧い。もうひとつは、やはりトリック。とにかく第二の殺人の方がトンデモ系で、まあ良識のある人なら顔をしかめること請け合いである。
「替えられた顔」は、乾夫妻が新婚旅行中に巻き込まれた事件を描く。しかも探偵役どころか被害者側だ。ネタがアレなので詳しくは書けないが、この手のトリックを本格風ではなくサスペンス風に仕上げるところが、二時間ドラマっぽい。舞台も温泉地だし。ただ、ちょっと展開がだれており、ハラハラ感はいまひとつ。
「アリバイを探せ」は犯人の証拠を突き止める手段がトンデモ系。しかもかなり強引な証拠であり、これが果たして法廷で通用するかどうかは疑問。ただ、最後の1ページで一気にけりをつける著者のけれん味がナイス(笑)。
「吊された美女」は、美人代議士が殺害され、国会議事堂の高塔に吊されるという、とてつもなくど派手なストーリー。しかも乾記者も容疑をかけられ、田名網警部も登場するという実に豪華な一編。しかし肝心のネタや設定がもう無理矢理すぎて、探偵小説としての評価は限りなく低い。
「殺された男」はプロ野球の試合中に審判がナイフで殺されるという凄まじい設定の短編。しかも殺人のトリック以外にもうひとつ大きな謎を仕込んでいるが、このどちらもが腰砕けに終わり、本書中のワースト。
著者のもうひとつのシリーズ、田名網警部ものに比べてテイストは軽めで、まだ新婚といってよい乾夫妻の掛け合いなどはなかなか楽しい。ただ、一応、本格ミステリの体は為しているけれど、お得意の無理矢理機械的トリックもそれほど冴えは見られず、総じてあまりオススメするほどの作品集ではないので念のため。
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レン・ワイズマン『ダイハード4.0』
先日、天城一氏の訃報に接したばかりだというのに、今度はアイラ・レヴィンの訃報だ。11月12日に亡くなっていたらしいのだが、ううむ、気が滅入るのお。アイラ・レヴィンと言えば作品数こそ少ないものの、『死の接吻』や『ローズマリーの赤ちゃん』という大傑作を残した才人である。晩年の作品がかなりアレだっただけに、もうひと花咲かせてもらいたかったのになぁ。残念至極。
もう火曜になってしまったが、ちょっと遡って日曜に観たDVDのことなど。物は『ダイハード4.0』。
シリーズ第一作の『ダイハード』は、テロリストに占拠され外部から閉ざされた高層ビルを舞台にするという、一種の巨大な密室劇でもあり、その内部で必死に戦い抜く等身大の刑事という設定がこれまたいい味を出したアクション映画のひとつの到達点でもあった。ところがシリーズを重ねるにつれ、主人公はスーパーマン化し、魅力的な閉鎖空間という設定も手放してしまったこともあって、その魅力は半減もいいとこであったわけだが、本作『ダイハード4.0』は久々に楽しい作品に仕上がっている。
サイバーテロに関する作りが意外にしょぼく、相当にテキトーなシナリオだが、そこさえ目をつぶれば、さすがにアクションシーンはなかなかのものだ。ただ、こちらの予想を超えるアクションの連発とはいえ、もはやリアリティは欠片もなく、大作アクション映画というよりアクション映画のパロディ状態ではある(笑)。それが楽しめる人なら。
もう火曜になってしまったが、ちょっと遡って日曜に観たDVDのことなど。物は『ダイハード4.0』。
シリーズ第一作の『ダイハード』は、テロリストに占拠され外部から閉ざされた高層ビルを舞台にするという、一種の巨大な密室劇でもあり、その内部で必死に戦い抜く等身大の刑事という設定がこれまたいい味を出したアクション映画のひとつの到達点でもあった。ところがシリーズを重ねるにつれ、主人公はスーパーマン化し、魅力的な閉鎖空間という設定も手放してしまったこともあって、その魅力は半減もいいとこであったわけだが、本作『ダイハード4.0』は久々に楽しい作品に仕上がっている。
サイバーテロに関する作りが意外にしょぼく、相当にテキトーなシナリオだが、そこさえ目をつぶれば、さすがにアクションシーンはなかなかのものだ。ただ、こちらの予想を超えるアクションの連発とはいえ、もはやリアリティは欠片もなく、大作アクション映画というよりアクション映画のパロディ状態ではある(笑)。それが楽しめる人なら。
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ダニエル・ペナック『片目のオオカミ』(白水社)
土曜をかなりだらだらと過ごしたためけっこう体力も回復。本日は何となく目覚めもよかったので、御岳山まで紅葉見物。見頃にはまだ気持ち早い感じだったが、それなりに命の洗濯を済ませる。ただ、茶屋で食った昼のカツ丼だけは死ぬほど不味かった……。
以前にダニエル・ペナックという作家の『人喰い鬼のお愉しみ』という本を読んだことがある。これがなかなか面白い小説で、一応はユーモア・ミステリという謳い文句で発表された作品なので、まあ面白いのは当たり前なんだけれど、本質がミステリとは別のところにある印象。独特のクロスオーバー感というべきか、あまりジャンルに囚われない作風がなんともいえない味を醸し出す。日本でも白水社という版元から出たのも頷ける話だ。
本日読んだ『片目のオオカミ』は、そんな作者が書いたジュヴナイルで、これがやはり一癖もふた癖もある作品であった。
動物園で出会った片目のオオカミとアフリカと名乗る少年。オオカミは人間に傷つけられた過去を持ち、生きる気力すら失っている。アフリカはそんなオオカミの心を溶かし、やがて一人と一匹はそれぞれの物語を語りあう。そして物語が終わったとき……。
表面的には動物と人間の触れあいを描いている。それはイコール人と自然との共生であり、環境の保護であり、友情と愛などを描いているということであろう。本作が児童文学であることを考慮すると、非常にわかりやすいテーマではある。
だが実際に読んでみると、本作がそんなに単純なものではないことがすぐにわかる。上で書いた主題にしても、無理矢理に紋切り型にはめただけの話で、ストーリー展開はいわゆる動物文学や児童文学とはやや離れたところにある。オオカミの話はそれでもだいぶストレートだが、アフリカの話になるとアイロニーも多く含んでいるし、なかなか刺激的な構成と語り口だ。
正直、ジュヴナイルとはいっても、これはかなり高度な物語である。ペナックという作家、只者ではありません。
以前にダニエル・ペナックという作家の『人喰い鬼のお愉しみ』という本を読んだことがある。これがなかなか面白い小説で、一応はユーモア・ミステリという謳い文句で発表された作品なので、まあ面白いのは当たり前なんだけれど、本質がミステリとは別のところにある印象。独特のクロスオーバー感というべきか、あまりジャンルに囚われない作風がなんともいえない味を醸し出す。日本でも白水社という版元から出たのも頷ける話だ。
本日読んだ『片目のオオカミ』は、そんな作者が書いたジュヴナイルで、これがやはり一癖もふた癖もある作品であった。
動物園で出会った片目のオオカミとアフリカと名乗る少年。オオカミは人間に傷つけられた過去を持ち、生きる気力すら失っている。アフリカはそんなオオカミの心を溶かし、やがて一人と一匹はそれぞれの物語を語りあう。そして物語が終わったとき……。
表面的には動物と人間の触れあいを描いている。それはイコール人と自然との共生であり、環境の保護であり、友情と愛などを描いているということであろう。本作が児童文学であることを考慮すると、非常にわかりやすいテーマではある。
だが実際に読んでみると、本作がそんなに単純なものではないことがすぐにわかる。上で書いた主題にしても、無理矢理に紋切り型にはめただけの話で、ストーリー展開はいわゆる動物文学や児童文学とはやや離れたところにある。オオカミの話はそれでもだいぶストレートだが、アフリカの話になるとアイロニーも多く含んでいるし、なかなか刺激的な構成と語り口だ。
正直、ジュヴナイルとはいっても、これはかなり高度な物語である。ペナックという作家、只者ではありません。
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ヘンリー・ウエイド『議会に死体』(原書房)
ヘンリー・ウエイドの『議会に死体』を読む。
とある地方都市の市庁舎を激震が走る。こともあろうに議場で殺人事件が発生してしまったのだ。被害者は直前の議会で徹底的に市政を批判し、不正を追及すると宣言した議員。攻撃的な性格のため敵は多かったが、殺害時間に市庁舎を出入りした人間は限られている。指揮を執ることになった新任の警察本部長は、地方政治故の特殊な状況や人間関係に頭を悩ませ、スコトランドヤードに助けを要請する……。
(もしかしたら今回ちょっとネタバレっぽいところがあるかもしれません)
『塩沢地の霧』以来、久々のウエイドである。ウエイド作品は出来不出来のムラがなく、どれも安心して読めるのが大きなアドヴァンテージ。
だが本作は議会政治を扱っていることから、ちょっと不安もあったのだが(個人的に政界や財界を舞台にした本格が好きではないのだ、スパイ小説とか謀略小説とかならいいんだけど。なんか変?)、もうまったくの杞憂であった。正に英国の本格探偵小説を代表する作風であり、地味ではあるが、いつもどおり豊かで上質の味わいが楽しめる。
それを最大に感じられるのが、やはり語りの巧さ、描写の巧さであろう。持って生まれた才能か、とにかく他のミステリ作家が苦労しているハードルをやすやすとクリアしており、だからこそ地味な展開であろうとも読者を退屈させることなく引き込んでゆく。
例えば本作では、容疑者はごく限られた人物に絞られ、状況もかなり限定されている。ちょっとスレたマニアなら、ある程度は結果を想定できてしまうのだが、それでも興味深く読めるのは捜査側、容疑者側ともに際だった個性(だが突飛ではない)を描いているから。しかもその個性がただの味つけに終わっていないのが、また巧いところなのだ。こういう性格の人物だからこそ、こういう結果に至るのだという、この説得力。それは終盤の謎解きでより鮮明になり、この一見ゆったりした物語が、実は隙のない構成であることが理解できるわけである。
また、動機にしても名誉、金銭、愛憎など、容疑者によってさまざまであり、各人の人生をおぼろげにあぶり出してみせる手際が鮮やかだ。
もちろんただ小説が上手いというわけではなく、本格としての企みも十分に備えており、このバランスの良さなくしてはウエイドは語れない。
再三、地味といいながらも、本作では現場の見取り図やアリバイ表、ダイイング・メッセージなどの本格コードをきっちり盛り込んだうえ、犯人のみならず真の探偵役は誰かという結構まで備えるサービスぶり。そして、ラスト1行でのサプライズ。逆に言うと、ここまでやっても地味だと言われるウエイドもいい迷惑だ(笑)。まあだからこそウエイドの作品は今でも評価されるのだろう。
各出版社には、ぜひ今後とも翻訳を続けてもらいたいものである。
とある地方都市の市庁舎を激震が走る。こともあろうに議場で殺人事件が発生してしまったのだ。被害者は直前の議会で徹底的に市政を批判し、不正を追及すると宣言した議員。攻撃的な性格のため敵は多かったが、殺害時間に市庁舎を出入りした人間は限られている。指揮を執ることになった新任の警察本部長は、地方政治故の特殊な状況や人間関係に頭を悩ませ、スコトランドヤードに助けを要請する……。
(もしかしたら今回ちょっとネタバレっぽいところがあるかもしれません)
『塩沢地の霧』以来、久々のウエイドである。ウエイド作品は出来不出来のムラがなく、どれも安心して読めるのが大きなアドヴァンテージ。
だが本作は議会政治を扱っていることから、ちょっと不安もあったのだが(個人的に政界や財界を舞台にした本格が好きではないのだ、スパイ小説とか謀略小説とかならいいんだけど。なんか変?)、もうまったくの杞憂であった。正に英国の本格探偵小説を代表する作風であり、地味ではあるが、いつもどおり豊かで上質の味わいが楽しめる。
それを最大に感じられるのが、やはり語りの巧さ、描写の巧さであろう。持って生まれた才能か、とにかく他のミステリ作家が苦労しているハードルをやすやすとクリアしており、だからこそ地味な展開であろうとも読者を退屈させることなく引き込んでゆく。
例えば本作では、容疑者はごく限られた人物に絞られ、状況もかなり限定されている。ちょっとスレたマニアなら、ある程度は結果を想定できてしまうのだが、それでも興味深く読めるのは捜査側、容疑者側ともに際だった個性(だが突飛ではない)を描いているから。しかもその個性がただの味つけに終わっていないのが、また巧いところなのだ。こういう性格の人物だからこそ、こういう結果に至るのだという、この説得力。それは終盤の謎解きでより鮮明になり、この一見ゆったりした物語が、実は隙のない構成であることが理解できるわけである。
また、動機にしても名誉、金銭、愛憎など、容疑者によってさまざまであり、各人の人生をおぼろげにあぶり出してみせる手際が鮮やかだ。
もちろんただ小説が上手いというわけではなく、本格としての企みも十分に備えており、このバランスの良さなくしてはウエイドは語れない。
再三、地味といいながらも、本作では現場の見取り図やアリバイ表、ダイイング・メッセージなどの本格コードをきっちり盛り込んだうえ、犯人のみならず真の探偵役は誰かという結構まで備えるサービスぶり。そして、ラスト1行でのサプライズ。逆に言うと、ここまでやっても地味だと言われるウエイドもいい迷惑だ(笑)。まあだからこそウエイドの作品は今でも評価されるのだろう。
各出版社には、ぜひ今後とも翻訳を続けてもらいたいものである。
天城一さんが亡くなったことをたった今ネットの情報で知る。享年88歳、死因は肺炎ということだから、大往生といっていいのだろうか。ここ数年で素晴らしい著作が三冊も出たことで、探偵小説における使命を全うした、そんなイメージの最後である。いろいろ思うことはあれど、まずは合掌ーー。ご冥福をお祈り申し上げます。
書店をのぞいてビックリ。なんと創元推理文庫から、ナンシー・ドルー・シリーズの『古時計の秘密』が出ているではないか。
一ヶ月ほど前からこの本が出ること自体は知っていたのだが、まさかこれがあのナンシー・ドルーものだとは、不覚にもまったく気づかなかったよ。ガキの頃はキャロリン・キーンという著者名より、ナンシー・ドルーというブランドで読んでいたからなぁ。
いや、それにしても創元でナンシー・ドルーを読める日が来るとは。しかも第一作、実に1930年の作品だよ。管理人と同じように感慨に浸っている人が、おそらく全国で数千人はいるとは思うのだが、果たして今後、創元はオリジナルの全56作をすべて出してくれるのだろうか? ぜひ達成して欲しいものだが。
一ヶ月ほど前からこの本が出ること自体は知っていたのだが、まさかこれがあのナンシー・ドルーものだとは、不覚にもまったく気づかなかったよ。ガキの頃はキャロリン・キーンという著者名より、ナンシー・ドルーというブランドで読んでいたからなぁ。
いや、それにしても創元でナンシー・ドルーを読める日が来るとは。しかも第一作、実に1930年の作品だよ。管理人と同じように感慨に浸っている人が、おそらく全国で数千人はいるとは思うのだが、果たして今後、創元はオリジナルの全56作をすべて出してくれるのだろうか? ぜひ達成して欲しいものだが。
ううむ、仕事のおかげで、すっかり読書もブログの更新も滞ってしまった。とりあえず先週末にようやくひと山越えたので、またぼちぼち感想をアップしていきます。でも月末にはまた修羅場を迎える予感。
久々の読了本は、パトリシア・ウェントワースの『プレイディング・コレクション』。なんとなくタイトルが謀略小説っぽくてかっこいいけれど、実は単に「ブレイディングさんの収集品」なんだよな(笑)。
それはともかく、こんな話。
歳の頃は五十半ば、中背で痩せ形、常に編み物をしているその女性を見て、誰が私立探偵などと思うだろうか。しかしながらミス・シルヴァーは、知る人ぞ知る名探偵として、警察にも一目置かれる存在である。
そんな彼女の前へ現れたのが、有数の宝石コレクションを持つルイス・ブレイディング。彼は自分のコレクションを保管する屋敷に、何か不吉なことが起こるのではという不安を胸に、ミス・シルヴァーのもとへ相談に訪れたのだ。だが話を聞いたミス・シルヴァーは、まるで災難を招くかのようなブレイディングの行動を諫め、依頼を拒否する。
それから二週間後、ミス・シルヴァーの言葉どおり、ブレイディングに災難が降りかかった。銃によって何者かに殺害されてしまったのである……。
ミス・シルヴァーの設定や風貌から当然思い起こされるのがミス・マープル。ところが世に出たのはミス・シルヴァーの方が二年ほど先輩らしく、日本ではほとんど無名ながら、海外では大変に人気のあるシリーズとのこと。近年では再評価の機運も高まっているらしい。
なるほど、確かにミス・シルヴァーという異色の探偵像は面白い。犯行現場の設定や怪しい登場人物がうようよしているところも定石通り。物語全体も大変読みやすいうえに適度なロマンスも加えつつ、非常に安心して楽しめる物語という印象である。コージーとして人気があったのも頷けない話ではない。
だが不満もけっこうある。
まずは話が長すぎること。長くてもそれなりの興味で引っ張るとかストーリー上の必要性を備えていればいいのだが、緊張感やサスペンスに乏しいこともあって、いまひとつ乗れない。とりわけ殺人が起きるまでの前半にはかなり退屈してしまった。ただ、個人的にコージー独特のまったり感が好きじゃないこともあるので、余計にそう感じたのかもしれない。ここは人によって意見が分かれるところであろう。
もうひとつ気になったのは、視点のぶれ。当初、ヒロインと思われた女性が、物語が進むにつれだんだん影が薄くなってしまい、途中からどうでもいい立場に追いやられるのはいかがなものか(まあ最後にはまた盛り返しはしますが)。
かといって後半は探偵役のミス・シルヴァーの捜査が中心なのかというとそれほどのこともなく、なんとなく焦点が定まらないまま場面が流れてゆく。上で前半が退屈と書いたが、後半は後半で登場人物の扱いに一貫性が無く、非常にちぐはぐな印象を受けてしまった。そのせいで同じ人物でも初めと終わりでずいぶん印象が異なってしまうのは明らかにマイナス点だろう。
著者の実力を本書だけで語るのは少々乱暴だが、これが代表作というのであれば、ううむ個人的には次はないかも。
久々の読了本は、パトリシア・ウェントワースの『プレイディング・コレクション』。なんとなくタイトルが謀略小説っぽくてかっこいいけれど、実は単に「ブレイディングさんの収集品」なんだよな(笑)。
それはともかく、こんな話。
歳の頃は五十半ば、中背で痩せ形、常に編み物をしているその女性を見て、誰が私立探偵などと思うだろうか。しかしながらミス・シルヴァーは、知る人ぞ知る名探偵として、警察にも一目置かれる存在である。
そんな彼女の前へ現れたのが、有数の宝石コレクションを持つルイス・ブレイディング。彼は自分のコレクションを保管する屋敷に、何か不吉なことが起こるのではという不安を胸に、ミス・シルヴァーのもとへ相談に訪れたのだ。だが話を聞いたミス・シルヴァーは、まるで災難を招くかのようなブレイディングの行動を諫め、依頼を拒否する。
それから二週間後、ミス・シルヴァーの言葉どおり、ブレイディングに災難が降りかかった。銃によって何者かに殺害されてしまったのである……。
ミス・シルヴァーの設定や風貌から当然思い起こされるのがミス・マープル。ところが世に出たのはミス・シルヴァーの方が二年ほど先輩らしく、日本ではほとんど無名ながら、海外では大変に人気のあるシリーズとのこと。近年では再評価の機運も高まっているらしい。
なるほど、確かにミス・シルヴァーという異色の探偵像は面白い。犯行現場の設定や怪しい登場人物がうようよしているところも定石通り。物語全体も大変読みやすいうえに適度なロマンスも加えつつ、非常に安心して楽しめる物語という印象である。コージーとして人気があったのも頷けない話ではない。
だが不満もけっこうある。
まずは話が長すぎること。長くてもそれなりの興味で引っ張るとかストーリー上の必要性を備えていればいいのだが、緊張感やサスペンスに乏しいこともあって、いまひとつ乗れない。とりわけ殺人が起きるまでの前半にはかなり退屈してしまった。ただ、個人的にコージー独特のまったり感が好きじゃないこともあるので、余計にそう感じたのかもしれない。ここは人によって意見が分かれるところであろう。
もうひとつ気になったのは、視点のぶれ。当初、ヒロインと思われた女性が、物語が進むにつれだんだん影が薄くなってしまい、途中からどうでもいい立場に追いやられるのはいかがなものか(まあ最後にはまた盛り返しはしますが)。
かといって後半は探偵役のミス・シルヴァーの捜査が中心なのかというとそれほどのこともなく、なんとなく焦点が定まらないまま場面が流れてゆく。上で前半が退屈と書いたが、後半は後半で登場人物の扱いに一貫性が無く、非常にちぐはぐな印象を受けてしまった。そのせいで同じ人物でも初めと終わりでずいぶん印象が異なってしまうのは明らかにマイナス点だろう。
著者の実力を本書だけで語るのは少々乱暴だが、これが代表作というのであれば、ううむ個人的には次はないかも。