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探偵小説三昧

日々,探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすブログ


Posted in 10 2011

大河原孝夫『ヤマトタケル』

 東宝特撮映画DVDコレクションから『ヤマトタケル』を観る。1994年公開で、監督は大河原孝夫。
 タイトルどおりヤマトタケルこと小椎命(オウスノミコト)を主人公に据え、日本神話をベースにした作品。題材そのものはやはり東宝特撮映画のひとつである1959年の『日本誕生』とほぼ同じ。

 ただし、『日本誕生』がヤマトタケルこと小椎命(オウスノミコト)の悲運ともいえる生涯を追う歴史映画として観ることができたのに対し、『ヤマトタケル』はツクヨミ変じる八岐大蛇を退治するエピソードをクライマックスに置き、完全な娯楽映画仕立てだから、その立ち位置は大きく異なる。しかも味つけはなんとスペースアドベンチャーだ(笑)。

 ヤマトタケル

 まあ、結論からいうと、ぶっちゃけかなり辛い映画である。当時の東宝は既に平成ゴジラシリーズを世に送り出しており、本作はそれと並ぶ、新たなる柱とすべく企画されたということだが、まあ、それなのになぜここまで安直な作りにしてしまったのか。

 着想自体は日本神話のSF的解釈ということなので、(使い古された手ではあるけれど)狙いとしては悪くもない。ただ、それを走らせるストーリーがあまりに貧弱。
 その昔、スサノオに封印され宇宙に流された邪神ツクヨミがなぜか地球に帰ってくるという。それを防ぐことができるのはヤマトタケルその人のみ。だがツクヨミは八岐大蛇に変身するため、まともに戦っては勝ち目がない。対抗するためには三つの光(三種の神器)を集めなければならないのだ、って安手のアニメかいな。

 『日本誕生』がそれなりに壮大なロケなどを敢行していたのに、こちらはほぼこぢんまりしたセットばかりで雄大さも感じられない。八岐大蛇も10メートルの造型もあったらしいが、悲しいかな撮り方がロングばかりで、そのダイナミックさがあまり映像に活かされているとは言いがたい。おまけに最後にはロボットが出てきて真っ向対決ですよ(笑)。
 ロボットといえば、天の白禽もほとんどロボットにしか見えないし、人間や神も目からビーム出して戦うし。いや、こういう演出も上手にやってくれれば全然OKなんだけど、特撮部分になったとたん急に幼稚な見せ方をするから困るんだよね。これが子ども向けならあんまり固いことはいいたくないんだが、ターゲットは大人だもんなぁ。

 ちなみにキャストには高島政宏に沢口靖子、宮本信子や藤岡弘、阿部寛、目黒祐樹、篠田三郎といったそれなりに豪華な面々。とはいえ当時の沢口靖子はバリバリのradish女優であり、痛々しさが先に立つ。主演の高島政宏らはましな方とはいえ、なんとも力の入らない演技に終始。唯一、藤岡弘の熱演のみ印象に残っている。

 特撮映画に対してはどんな駄作であろうとも基本的に愛をもって接している管理人だが、いや、これはダメでした(苦笑)。


ハインリヒ・フォン・クライスト『チリの地震』(河出文庫)

 ハインリヒ・フォン・クライストの短編集『チリの地震』を読む。収録作は以下のとおり。

Das Erdbeben in Chili「チリの地震」
Die Verlobung in St. Domingo「聖ドミンゴ島の婚約」
Das Bettelweib von Locarno「ロカルノの女乞食」
Der Findling「拾い子」
Die Heilige Cäcilie oder Die Gewalt der Musik「聖ツェツィーリエあるいは音楽の魔力」
Der Zweikampf「決闘」
「話をしながらだんだんに考えを仕上げてゆくこと」(エッセイ)
「マリオネット芝居について」(エッセイ)

 チリの地震

 著者のハインリヒ・フォン・クライストは18世紀から19世紀にかけて活躍したドイツの劇作家にして小説家。
 と書いてしまうと、これがあまり正しくなくて、クライストは生前やることなすことがまったく上手くいかず、活躍というには程遠い人生を歩んだ。
 では単に不遇だったのかというと実はそんなこともなくて、ナポレオンを一人で暗殺するという野望をもっているなど、まあ、とにかくアレな人だったらしく、自業自得の部分もずいぶんあったようだ。挙げ句、愛人を拳銃で射殺し、その直後に自殺を遂げているというから、すこぶる強烈な個性の持ち主だったことは間違いない。しかも、そのときクライストわずか三十四歳。生涯をざっと聞くだけでも疲れる御仁である。

 そのクライストが残した小説はわずか八篇。ほとんどが叙事詩的作品で、地震やペスト、火災、暴動といった極限状況ばかりを選び、そのなかで本能を剥き出しにして対立する人々の悲惨な運命を描いている。ハッピーエンドなどはほとんど期待できず、不遇だった自分の人生の恨みを叩きつけるかのような内容である。構成などは粗いが、とにかくテンションが高い。

 例えば表題作の「チリの地震」は、牢獄に監禁されていた男が地震のおかげで脱走し、恋人のもとへ向かうというストーリー。やっとのことで愛する女性と再会するが、災害で暴徒と化した住民たちに惨殺されるという展開はひたすら酷い。
 いわゆる心地よい小説などは眼中になく、かといってパニック状態の人間心理を描こうとしているわけでもない。クライストの描く人はむしろデフォルメされており、神話的ですらある。そこでは個はそれほど重要ではなく、世界を動かしている何かしらの「真理」「運命」といったものにこそ興味が置かれているのだ。
 もしかするとクライストは、天変地異や人間の存在そのものを含め、万物を支配する仕組みをこそ知りたかったのかもしれない。

 なお、心理描写の類が非常に少なく、ほぼストーリーの展開のみが語られている文章も魅力的。内容は激しいけれど、描写はどこか淡々としており、しかも緊密なイメージ。この文章もまた本書の楽しみのひとつであり、難しいことを考えずにただただ語りに身を任せるのもよいだろう。


山下利三郎『山下利三郎探偵小説選I』(論創ミステリ叢書)

 寝る前にぼちぼち読んできた論創ミステリ叢書の『山下利三郎探偵小説選I』をようやく読了する。
 山下利三郎は戦前の探偵作家。アンソロジーで短篇をいくつか読んだことはあるはずだが、ほとんど印象に残っておらず、まとまった形で読むのはもちろん初めてである。まずは収録作。

「誘拐者」
「詩人の愛」
「頭の悪い男」
「君子の眼」
「小野さん」
「夜の呪」
「ある哲学者の死」
「裏口から」
「温古想題」
「第一義」
「藻くづ」
「模人」
「正体」
「規則違反」
「流転」
「素晴しや亮吉」
「愚者の罪」
「仔猫と余六」
「虎狼の街」
「亮吉何をする!」
「朱色の祭壇」
「「地球滅亡前」」

 山下利三郎探偵小説選I

 むむう、これは微妙だ(苦笑)。
 作風は思った以上に幅広く、本格ものからサスペンス、ユーモア、果てはSF風までものにする。だが何というか、ひとつひとつの作品にこれといった個性がなく、要は退屈な作品が多い。とはいえ松本泰あたりに比べるとはるかに探偵小説の体は成しているし、むしろ時代を考えれば頑張っている方だとは思うのだが、正直、何を目指していたのかがよくわからない。

 山下利三郎はかの江戸川乱歩が「二銭銅貨」で「新青年」にデビューしたとき、同時に掲載された日本人作家の一人でもある。本書にも収録されている「頭の悪い男」がその作品で、これはそこそこユーモラスで楽しめる方なのだが、「二銭銅貨」と比べてはさすがに分が悪い。結果的に乱歩の露払いを務めるような恰好になったわけで、利三郎自身はその半年ほど前、1922年に既にデビューを飾っていたわけだから、その心中は面白いはずもなかっただろう。
 不幸なことに、その後も利三郎と乱歩は同じ誌面を飾ることも度々だったらしく、技量の差はますます明らかになる。それが理由だったかどうかはともかく、利三郎はやがてメジャーな舞台からフェードアウトしていく。
 利三郎に対し、乱歩は「あなどりがたい」というコメントも残しているらしいが、これはさすがにリップサービスの類であろう。当時のことだから本格ミステリらしきものを書く作家などほとんどいない。そんななかで利三郎は苦戦しながらもなんとか形にはしていったわけで、乱歩なりのエールだったのかとも想像する次第である。


『刑事コロンボ/攻撃命令』

 『刑事コロンボ/攻撃命令』を観る。通算四十四作目。コンプリートボックスを買って、全作をぼちぼちと順番に観てきたのだが、いよいよこれがラス前。感慨もひとしお、と言いたいところだが、DVD化されてない新シリーズも含めて正に完全版の『コンプリートブルーレイBOX』が12月に出るので心中複雑(苦笑)。

 『攻撃命令』はこんな話。
 心理学者のエリックは、自分の妻と浮気をした友人チャーリーの殺害計画を企てる。それは自分で飼っている愛犬のドーベルマンを使った手口だった。あらかじめ病院でアリバイを作り、そこからエリックの自宅を訪ねているチャーリーに電話をかけ、電話に出たチャーリーに、あるキーワードを言うよう誘導するというもの。実はこのキーワードこそドーベルマンに発言者を襲わせる攻撃命令になっていたのだ。不幸な事故に思えた事件だが、捜査を始めたコロンボはすぐにいくつかの不審な点に着目する……。

 コロンボがラストで言うように、事件としては簡単で手がかりを残しすぎか。そもそも状況証拠からもう容疑者はチャーリー以外にあり得ない。名犯人であれば、そこは当然承知のうえで、完璧なアリバイやトリックを築き上げて容疑をはね返してもらいたいわけである。だからこそコロンボの捜査や推理、さらには逆トリックがより活きてくる。本作はそういうシリーズの根本的な部分が弱く、せっかくの犯人役ニコル・ウィリアムソンも少々もったいない(映画でホームズを演じた経験もある人なのに)
 コロンボもいつもより余裕があるというか、謎解きシーンではビリヤード台にいろいろ仕掛けている始末。ただし逆トリックならともかく、ああいう演出はコロンボに似合わない、というか、ふざけすぎの感が強くて好みではない。

 ただ、傑作と比べては確かに分が悪いもけれど、言葉を操る専門家としての心理学者、ストーリーの背景にある映画や『市民ケーン』へのオマージュなど、設定には楽しめる要素も多い。いろいろ割り引く点はあるにせよ、ミステリドラマとしては普通に楽しめる範囲なので念のため。


松本清張『松本清張短編全集10空白の意匠』(光文社文庫)

 『松本清張短編全集10空白の意匠』を読む。昭和三十四年から三十六年にかけて書かれたものが中心である。まずは収録作。

「空白の意匠」
「潜在光景」
「剥製」
「駅路」
「厭戦」
「支払い過ぎた縁談」
「愛と空白の共謀」
「老春」

 松本清張短編全集10空白の意匠

 珍しいことに歴史物や社会派は少なめ。強いていえば恋愛や老いをテーマにしたものが多く、ある意味ではいつも以上に松本清張の情念が爆発しているように感じられた。以下、印象に残った作品の感想など。

 表題作でもある「空白の意匠」は地方新聞広告部長の末路を描いた、いわば企業小説。様々な軋轢のなかで苦しみもがく主人公の姿は、洒落にならないぐらいの真実味をもって迫り、権力構造や中間管理職の悲哀云々という紋切り型の表現では、なかなかこの息苦しさは伝えられない。

 続く「潜在光景」は、平凡なサラリーマンの不倫話。もちろんただの痴情のもつれといった程度で終わるはずもなく、不倫相手の子供が自分に懐かない苛立ちが徐々にクローズアップされ……だが実は、という一席。捻りも語りも一級、本書のイチ押し。

 「剥製」は人生の終焉をテーマにした作品。ぶっちゃけそれほど成功しているとは思えないアンバランスな構成だが、清張流の奇妙な味とでもいおうか。

 以上、「空白の意匠」「潜在光景」「剥製」の三作を読めるだけで十分元は取れるのだが、ちょっと面白いところでは「支払い過ぎた縁談」も挙げておきたい。著者自らO・ヘンリイを意識したという作品だが、確かに清張には珍しく、オチで読ませる。ただ、文章はいつもの清張独特のねちっこい語りなので、いうほどの爽快感はない(苦笑)。


コーネル・ウールリッチ『非常階段』(白亜書房)

 仕事が忙しいのと謎の関節痛(いや、もう謎ではなくなっているけれど)のせいで、最近は週末ぐらいしかブログの更新もできないのが無念である。あと数週間はこの状態が続きそうでいやはやなんとも。

 そんな状況が影響しているのかしていないのか。最近はミステリらしいミステリを読んでいないことに、ふと気がついた。ああ、これではいかん。こういうときは初心に帰って古典じゃ古典じゃということで、久々にウールリッチに手を出してみた。白亜書房から生誕100年記念として刊行されたウールリッチ傑作短編集全6巻の最終巻『非常階段』である。
 ただし第6巻ではなく別巻扱い。というのも、本書だけはこれまでの門野集氏による翻訳ではなく、稲葉明雄訳による傑作集になっているからだ。
 そもそもこのウールリッチ傑作短編集は、ウールリッチの研究家として知られる門野氏が編纂し、訳したものである。その門野氏がこれまたウールリッチの先輩訳者として有名な稲葉明雄氏に敬意を表し、あえて最終巻を稲葉訳でまとめたものらしい。おかげで最終巻は下の収録作を見てもわかるように、大変豪華な作品ばかりになっている。そのおかげで再読率は100%なんだけれど(笑)。

The Night I Died「私が死んだ夜」
The Humming Bird Comes Home「セントルイス・ブルース」
Goodbye, New York「さらば、ニューヨーク」
Face Work「天使の顔」
Men Must Die「ぎろちん 」
The Case of the Talking Eyes「眼」
The Boy Cried Murder「非常階段」

 非常階段

 収録作はすべて再読なので今更驚きはないのだが、それでもどれも十分に楽しく読めるのはさすがウールリッチ。ミステリだからサスペンスも効かせるし、洒落たオチもつけはするけれど、もともとそれほどトリッキーな作風ではないウールリッチの短編群。それがなぜ今読んでもこれほど面白いのか。

 ミステリだからもちろん犯罪はある。加えてウールリッチの短編に欠かせないのは愛のドラマだ。男女の愛もあれば親子の愛もあり、その形や結末もさまざま。犯罪が起きたから愛が深まるのか、愛があったから犯罪が起きたのか。主人公たちはほぼ例外なく不幸な境遇に身を落とし、その"よすが"は愛しかない。しかし、そんな境遇だからこそ、その"よすが"もまた移ろいやすい。小さな幸せでいいと願っているはずなのに、なぜか彼らは自分自身を裏切り、そしてさらに転落していく。
 ウールリッチはそんなほろ苦いドラマを、ときにはクールに、ときには皮肉に描く。感情移入はさせるけれど、いつも読者を少しだけ上に置き、誌面という安全地帯から主人公たちの末路を味わわせる。このスタンスが絶妙なのだ。そういう意味でのマイ・フェイヴァリットは「さらば、ニューヨーク」。
 ただし、その一方で、たまにあるハートウォーミングな短編がいっそう心に染むケースもある。こちらのおすすめは断然「眼」。何度読んでも思わず目頭が熱くなってしまいます、これは。


J・G・バラード『殺す』(創元SF文庫)

 少し前に文庫落ちしたJ・G・バラードの『殺す』を読んでみる。
 単行本での刊行当時はバラードが書いたミステリということでそこそこ話題になり、気になっていた本ではある。最近ではすっかりご無沙汰だが、中高の頃はけっこうSFも読んでいて、バラードの本はそれ以来かもしれない。

 こんな話。
 ロンドンの高級住宅地において、住人三十二名が惨殺されるという事件が起こる。殺されたのはすべて大人。しかも残されたはずの十三名の子供たちについては何の痕跡もなく、すべて行方不明となっていた。犯人も、子供の居場所も、事件の目的すらわからぬまま時は過ぎ、内務省は事件の分析を警察で精神医学の顧問を務めるドクター・リチャーズに依頼する。
 リチャーズは現場を訪れ、かつての幸福なはずだった現場やビデオを見てまわるうち、ある一つのことに気づく……。

 殺す

 一応はミステリ仕立ての本書だから、文庫化した時点で、創元推理文庫ではなく創元SF文庫としてしまったのが、実は最大のネタバレではないか(笑)。ついでにいうとカバー写真もあまりいただけないぞ(笑)。
 てのは冗談としても、本書をミステリとして読み解くと、さほどのものではない。ある意味コミュニティともいえる閉鎖的高級住宅地において、住民がまるまる惨殺され、子供がすべて消え失せるという大事件である。作中でもあらゆる可能性が挙げられてはいるが、すれたミステリマニアなら、「なぜその線を追求しない」という疑問はすぐに出てくるはずで、実際、真相はそのとおりでもある。

 ただ、物理的には可能でも、あまりに現実的ではない真相なのは確か。要はなぜそんなことが起こってしまったのか、重要なのはその動機であり、バラードの真意ももちろんそこにある。
 人が羨むほどの成功を収めた者たち。その家族が安心して暮らせる、セキュリティ等の徹底的に完備された閉鎖的高級住宅地。彼らはそこで絵に描いたような幸福を手に入れているはずだったが、いったい何が間違っていたのか。ポイントはここだ。

 本書で残された謎は多く、バラードの危惧はより拡散していくようにも思える。これは大いなる物語の序章に過ぎないのかもしれないのだ……と、思ったら、解説でも触れているように、いろいろ姉妹作が出ている模様。これは読んでみたいな。


折口信夫『文豪怪談傑作選 折口信夫集 神の嫁』(ちくま文庫)

 謎の関節痛もようやく小康状態。病名も決まって(暫定的だけど)、鎮痛剤とは別の薬を飲み始めたのだが、とりあえず効果が出始めている感じ。日によって痛みのムラはあるが、一時期ほどの酷さはなくなってひと安心である。ま、まだ通勤電車で立ちっぱとかはきついし、朝はやっぱり痛みのレベルが違ったりとか、全然油断はできないんだけれど。


 ちくま文庫の『文豪怪談傑作選 折口信夫集 神の嫁』を読む。柳田国男と並ぶ日本民俗学の巨人、折口信夫の怪談アンソロジーである。「稲生物怪録」から「巻返大倭未来記」までが小説や脚本、以降は主に論考の類という構成。

「稲生物怪録」

「死者の書(抄)」
「神の嫁」
「むささび」
「生き口を問う女」
「生き口を問う女(続稿)」
「とがきばかりの脚本」
「巻返大倭未来記」

「夏芝居」
「お岩と与茂七」
「涼み芝居と怪談」
「寄席の夕立」
「もののけ其他」
「お伽及び咄」
「雄略記を循環して」

「盆踊りの話」
「鬼の話」
「河童の話」
「座敷小僧の話」
「信太妻の話」
「餓鬼阿弥蘇生譚」
「小栗外伝」
「水中の与太者」

「水中の友」
「鏡花との一夕」
「平田国学の伝統(抄)」
「遠野物語」

 文豪怪談傑作選折口信夫集神の嫁

 すごく大雑把な印象ながら、柳田国男はフィールドワークによって基礎を築き、日本民俗学を体系的にまとめた人というイメージがある。一方の折口信夫はそれを継承しつつ、「まれびと」という概念を打ち出し、それに拠って日本文化、古代研究にアプローチした人といったところ。真逆とはいえないまでも、彼の手法はまずイメージありきで、どちらかというとセンス優先の人といった印象なのである。
 そんな折口信夫の怪談集(ま、半分以上は論考だけど)だけに、やはり創作ものに関しての文学味は、柳田国男のそれより強いように感じる。異界や人外に向けられた興味が論考の果てに創作という形でも残されたのは、やはり柳田國男にはない資質であろう。未完のものが多いのは残念だが、こうした形で折口信夫の怪談的作品をまとめて読めるのは便利だ。

 マイ・フェイヴァリットはやはり「死者の書」で決まりか。抄録ではあるが、死者の目覚めから始まる語り、「したしたした」とか「のくっ」とか独特の擬音の使い方など、ファクターだけでなくその文体にも魅力が満載。中公文庫から確か完全版が出ているはずなので、これは読むしかないな。


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プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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