Posted in 08 2015
昨日はつい飲み過ぎて本日は久々に二日酔い。それでも早めに起きて仕事に出るという嫁さんを車で駅まで送り、午前中は洗濯やら愛犬の散歩などなど。
午後からは西荻窪へ出かけ、盛林堂さんで予約しておいた三橋一夫の『コショウちゃんとの冒険』と『魔の淵』を購入。『コショウちゃんとの冒険』は盛林堂さんが私家版で発行しているものではあるが、それにしても三橋一夫の新刊が同時に二冊出るとは。いや、すごいこともあるもんだ。『コショウちゃんとの冒険』は500ページ越えの大ボリューム、一方の『魔の淵』はミステリ珍本全集の一冊で安心の日下印だし、どちらも読むのが実に楽しみ。
ちなみに盛林堂さんで二冊いっしょに買った人には森英俊氏による小冊子「三橋一夫ジュニア小説読本」がついてくる。販促活動としては正しい姿だし、嬉しいおまけではあるのだが、このボリュームなら『コショウちゃんとの冒険』に組み込んでくれてもよかったかな。気がつかずに『魔の淵』だけ別で買ってしまった人はどうしてもいるだろうしなぁ。
本日の読了本はまたまた先日の『近代日本奇想小説史 入門篇』つながりで、大御所、押川春浪の『險奇探偵小説 ホシナ大探偵 押川春浪ホームズ翻案コレクション』。
ちなみに本書も今日お邪魔したばかりの盛林堂さんの発行。いや、ほんと頑張ってますな。
さて押川春浪は日本SF小説の祖と称せられるが、その作品が武侠小説と呼ばれることもあるとおり、ストーリー展開や主人公の性格設定などはむしろ冒険小説のイメージが強い。その押川春浪があらびっくりホームズものの翻案小説を書いていましたというのが本書である。
収録作は以下の二篇。
「險奇探偵小説 ホシナ大探偵」
「武侠探偵小説 大那翁(ナポレオン)の金冠」
ベースになった作品は解説で触れられているが、「~ホシナ大探偵」の方は登場人物の設定やストーリーに至るまで、けっこう原作寄りで書かれている。
保科(ホームズ)が渡邊(ワトスン)の長靴からその日の行動を推理するなどいかにものシーンがあったり、翻案とはいえ押川春浪にこういう作品があったのかとそれだけでも楽しい。何より普通に面白く読めるというのがあっぱれ。まあ、それはコナン・ドイルの力も大きいんだけど(苦笑)。
片や「~大那翁の金冠」は二作分をミックスさせた上、登場人物の設定もかなり変更されていて、エピソードだけを借用したという感じだろうか。なんせ探偵役とワトスン役がフランスに渡ってパリ警視庁に探偵として雇われた日本人という設定なので、読んでいてもホームズ色はほとんど感じられない。
その分、逆に「~ホシナ大探偵」よりは著者らしさが存分に出ていて、最後にはSFになってしまうのが大らかというか何というか(笑)。
ま、予想以上に楽しめて満足の一冊でありました。
午後からは西荻窪へ出かけ、盛林堂さんで予約しておいた三橋一夫の『コショウちゃんとの冒険』と『魔の淵』を購入。『コショウちゃんとの冒険』は盛林堂さんが私家版で発行しているものではあるが、それにしても三橋一夫の新刊が同時に二冊出るとは。いや、すごいこともあるもんだ。『コショウちゃんとの冒険』は500ページ越えの大ボリューム、一方の『魔の淵』はミステリ珍本全集の一冊で安心の日下印だし、どちらも読むのが実に楽しみ。
ちなみに盛林堂さんで二冊いっしょに買った人には森英俊氏による小冊子「三橋一夫ジュニア小説読本」がついてくる。販促活動としては正しい姿だし、嬉しいおまけではあるのだが、このボリュームなら『コショウちゃんとの冒険』に組み込んでくれてもよかったかな。気がつかずに『魔の淵』だけ別で買ってしまった人はどうしてもいるだろうしなぁ。
本日の読了本はまたまた先日の『近代日本奇想小説史 入門篇』つながりで、大御所、押川春浪の『險奇探偵小説 ホシナ大探偵 押川春浪ホームズ翻案コレクション』。
ちなみに本書も今日お邪魔したばかりの盛林堂さんの発行。いや、ほんと頑張ってますな。
さて押川春浪は日本SF小説の祖と称せられるが、その作品が武侠小説と呼ばれることもあるとおり、ストーリー展開や主人公の性格設定などはむしろ冒険小説のイメージが強い。その押川春浪があらびっくりホームズものの翻案小説を書いていましたというのが本書である。
収録作は以下の二篇。
「險奇探偵小説 ホシナ大探偵」
「武侠探偵小説 大那翁(ナポレオン)の金冠」
ベースになった作品は解説で触れられているが、「~ホシナ大探偵」の方は登場人物の設定やストーリーに至るまで、けっこう原作寄りで書かれている。
保科(ホームズ)が渡邊(ワトスン)の長靴からその日の行動を推理するなどいかにものシーンがあったり、翻案とはいえ押川春浪にこういう作品があったのかとそれだけでも楽しい。何より普通に面白く読めるというのがあっぱれ。まあ、それはコナン・ドイルの力も大きいんだけど(苦笑)。
片や「~大那翁の金冠」は二作分をミックスさせた上、登場人物の設定もかなり変更されていて、エピソードだけを借用したという感じだろうか。なんせ探偵役とワトスン役がフランスに渡ってパリ警視庁に探偵として雇われた日本人という設定なので、読んでいてもホームズ色はほとんど感じられない。
その分、逆に「~ホシナ大探偵」よりは著者らしさが存分に出ていて、最後にはSFになってしまうのが大らかというか何というか(笑)。
ま、予想以上に楽しめて満足の一冊でありました。
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南洋一郎『吼える密林』(講談社少年倶楽部文庫)
『近代日本奇想小説史 入門篇』の影響で、さっそく一冊手に取ってみる。とはいえ、手持ちにすぐ読めるような明治時代の奇想小説などそうそうあるわけもないので、とりあえず昭和七年に『少年倶楽部』で連載された南洋一郎の『吼える密林』を試す。
昭和の作品ではあるが、本書も一応 『近代日本奇想小説史 入門篇』で触れられていた一冊だ。ただ、同書ではそれほど高い評価をされていなかったのが若干不安だったけれど、なんせ南洋一郎である。少年向け冒険小説のジャンルでは戦前から戦後に至るまで長きにわたって活躍した大家。管理人も子供の頃はポプラ社のルパン全集でたっぷりとお世話になったものだ。
本作はその南洋一郎の代表作である。Wikipediaによると昭和八年に刊行され、以来なんと七年間で百三十回の重版をしたという大ベストセラーらしいので、最初の不安も消し飛び、それなりに期待をして読んでみる。
ところがこれが辛かった。
ストーリーは非常にシンプル。アメリカの探検家ジョセフ・ウィルトンが友人のフランクと共にアフリカやボルネオ、マレー半島へと出かけ、現地で猛獣狩りをするという話である。
本作が凄いのは、本当にそれだけの話でしかないということで、冒険へ出かける前のエピソードとか後日談、サイドストーリーの類は一切抜き。大げさに言っているわけではなく、主人公と猛獣との戦いが延々描かれるという展開なのだ。発表媒体が少年誌であり、毎号、猛獣との戦いを描く必要があったのだろうが、それをまとめて読むのははさすがに辛く、正直百ページもいかないうちに飽きてしまった。
ライオンや虎、ワニといった定番?から、サイ、コブラ、オランウータン、クマ……中には大ダコとかアリまでいて実にさまざまな獣たちと戦ってはくれるし、ひとつひとつをとればなかなか迫力ある描写だ。酒を使った罠でオランウータンを捕らえるなど多少の工夫もある。しかしそれだけでは物語の膨らみに欠ける。やはり多少の人間ドラマによるアクセントでもないことには、とにかく単調なのである。
まあ、当時は今と違って猛獣の描写だけでも珍しく、十分価値があったと思うので、それは差し引かないと著者には不公平かもしれないが。
もうひとつ欠点を挙げておくと、これも時代ゆえ仕方ないところではあるのだが、主人公たちの目的が猛獣狩りをしたいという、ただそれだけによるのは厳しい。スリルやサスペンスのために獣を殺すというのは、今の時代の感覚ではさすがについていけない。
というわけで本作は内容的にも構成的にもあまりおすすめできる代物ではない。それでも読みたいと思う方は、講談社の少年倶楽部文庫版が比較的安価で入手可能である(もちろん古書で)。
昭和の作品ではあるが、本書も一応 『近代日本奇想小説史 入門篇』で触れられていた一冊だ。ただ、同書ではそれほど高い評価をされていなかったのが若干不安だったけれど、なんせ南洋一郎である。少年向け冒険小説のジャンルでは戦前から戦後に至るまで長きにわたって活躍した大家。管理人も子供の頃はポプラ社のルパン全集でたっぷりとお世話になったものだ。
本作はその南洋一郎の代表作である。Wikipediaによると昭和八年に刊行され、以来なんと七年間で百三十回の重版をしたという大ベストセラーらしいので、最初の不安も消し飛び、それなりに期待をして読んでみる。
ところがこれが辛かった。
ストーリーは非常にシンプル。アメリカの探検家ジョセフ・ウィルトンが友人のフランクと共にアフリカやボルネオ、マレー半島へと出かけ、現地で猛獣狩りをするという話である。
本作が凄いのは、本当にそれだけの話でしかないということで、冒険へ出かける前のエピソードとか後日談、サイドストーリーの類は一切抜き。大げさに言っているわけではなく、主人公と猛獣との戦いが延々描かれるという展開なのだ。発表媒体が少年誌であり、毎号、猛獣との戦いを描く必要があったのだろうが、それをまとめて読むのははさすがに辛く、正直百ページもいかないうちに飽きてしまった。
ライオンや虎、ワニといった定番?から、サイ、コブラ、オランウータン、クマ……中には大ダコとかアリまでいて実にさまざまな獣たちと戦ってはくれるし、ひとつひとつをとればなかなか迫力ある描写だ。酒を使った罠でオランウータンを捕らえるなど多少の工夫もある。しかしそれだけでは物語の膨らみに欠ける。やはり多少の人間ドラマによるアクセントでもないことには、とにかく単調なのである。
まあ、当時は今と違って猛獣の描写だけでも珍しく、十分価値があったと思うので、それは差し引かないと著者には不公平かもしれないが。
もうひとつ欠点を挙げておくと、これも時代ゆえ仕方ないところではあるのだが、主人公たちの目的が猛獣狩りをしたいという、ただそれだけによるのは厳しい。スリルやサスペンスのために獣を殺すというのは、今の時代の感覚ではさすがについていけない。
というわけで本作は内容的にも構成的にもあまりおすすめできる代物ではない。それでも読みたいと思う方は、講談社の少年倶楽部文庫版が比較的安価で入手可能である(もちろん古書で)。
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横田順彌『近代日本奇想小説史 入門篇』(ピラールプレス)
横田順彌の『近代日本奇想小説史 入門篇』を読む。
本業はSF作家ながら、今ではすっかり明治文化や古典SF研究家としてのイメージが強くなった感のある横田順彌氏。本書も正しくその方面の一冊である。正統派の近代日本文学史には決して登場しない大衆小説、その中でもひときわ異彩を放つSF小説や奇想小説の数々にスポットを当て、その歴史や作品の内容に踏み込んでいく。
実は本書の前に、著者はすでに同じ内容の『近代日本奇想小説史 明治篇』という大著を上梓している。なんと日本SF大賞特別賞、大衆文学研究賞、日本推理作家協会賞を総なめにしたSFファン必携ともいえる恐るべき一冊なのだが、いかんせんボリュームや価格も恐るべきレベルとなってしまった。著者や版元もその点は気にしていたようで、それならお試し版はどうだろうという位置づけで生まれたのが本書らしい。タイトルに「入門書」とある所以である。
ただし、お試し版とはいえ、『~明治篇』を単に抜粋しただけとか、平易にまとめ直したという本ではない。著者がさまざまな雑誌等に発表した『近代日本奇想小説史』に関係する文章を収録したもので、重複はまったくない。また、『~明治篇』があくまで明治に絞って時間軸でまとめているのに対し、『~入門篇』はテーマ別に編まれており、時代も明治に限定せず戦後作品も扱っているという按配。つまり『~明治篇』を既に持っている人も楽しめるということらしい。
ということで、興味はあるけれどそこまでSFにどっぷりなわけでもない管理人のような輩にはむしろ好都合。買ってから少し時間がたってはしまったが、ようやく手に取ってみた次第である。
で、感想だが、入門編というから多少は軽く見ていたのだが、こりゃ充実の一冊である。その情報量たるやよくぞここまで集め、調べあげたものだと感心するのみ。
管理人も押川春浪ぐらいなら少しは読んだし、彼が日本SFの祖だということぐらいは知っていたが(実はどうやらそれも間違いらしいということが本書でわかるのだが)、いやほんと、明治時代にここまでSF小説や冒険小説が出ていたとは思わなかった。
さすがにこの本のために書かれた文章ではないから、同主旨の内容が重複するところはあるのだが、全体にはテーマに沿った内容で編まれているので、そこまで気にするほどではない。
参考までに目次を挙げておこう。
第一部 さまざまな角度から
日本SF英雄群像
古典SFに描かれた日本人の宇宙像
明治の冒険小説と民族解放思想
日本秘境冒険小説の発掘
少年スーパー・ヒーローの誕生と系譜
少年小説に見る悪漢・怪人・怪物たち
近代日本奇想小説史 番外篇 児童向け戦後仙花紙本の奇想小説
明治冒険雑誌とその読者たち 〈探検世界〉を中心に
〈新青年〉とSF 海野十三を中心に
幕間 古書収集の舞台裏
なぜ、古書なのか? ぼくの超私的古書収集論
第二部 個人研究
日本古典SFを見直す 杉山藤次郎とは何者か?
明治のSFと井上円了
押川春浪と〈日露戦争 写真画報〉
民間マルチ学者・中山忠直という人
海野十三の執筆媒体
『新戦艦高千穂』へのノスタルジック・アプローチ
当時はSF小説といっても確とした概念があるわけではなく、探偵小説やら冒険小説やら何やらが入り交じったカオスである。それでも上のように、英雄譚、宇宙をテーマにしたもの、戦記物、秘境冒険小説、少年小説、仙花紙、 〈新青年〉等々、さまざまなテーマを設けることで、何となく全体像を俯瞰できるのはありがたい。
引用や図版が多いのも○。いかんせん現在入手できる本はごくごく一部なので、その小説の雰囲気を掴むには、やはりある程度のボリュームの引用は必須だろう。このあたりさすが著者はツボを心得ているというか、たいていは今読むと厳しい本が多いはずなのだけれど、そこを上手く面白そうに紹介してくれる。文章も軽妙だし、いろいろな意味で読者に親切設計なのが嬉しい。
管理人のような探偵小説好きにとって見逃せない記事も少なくない。 日本ではもともとSFもひっくるめて探偵小説といっていた時期もあったぐらいなので、作家も当然かぶる。海野十三や蘭郁二郎などはその代表格だし、乱歩以前の探偵小説を語る際、黒岩涙香らとともにやはり押川春浪の名前は外せないのである。
とりわけ「児童向け戦後仙花紙本の奇想小説」、 「〈新青年〉とSF海野十三を中心に」、「海野十三の執筆媒体」あたりは要注目。仙花紙本ネタなど、普通に探偵小説のコラムとしても楽しめる。
ということで本書はSFファンのみならず、探偵小説好きにも積極的におすすめしたい一冊である。
唯一の欠点は、『~明治篇』を買いたくなるということぐらいか(笑)。
本業はSF作家ながら、今ではすっかり明治文化や古典SF研究家としてのイメージが強くなった感のある横田順彌氏。本書も正しくその方面の一冊である。正統派の近代日本文学史には決して登場しない大衆小説、その中でもひときわ異彩を放つSF小説や奇想小説の数々にスポットを当て、その歴史や作品の内容に踏み込んでいく。
実は本書の前に、著者はすでに同じ内容の『近代日本奇想小説史 明治篇』という大著を上梓している。なんと日本SF大賞特別賞、大衆文学研究賞、日本推理作家協会賞を総なめにしたSFファン必携ともいえる恐るべき一冊なのだが、いかんせんボリュームや価格も恐るべきレベルとなってしまった。著者や版元もその点は気にしていたようで、それならお試し版はどうだろうという位置づけで生まれたのが本書らしい。タイトルに「入門書」とある所以である。
ただし、お試し版とはいえ、『~明治篇』を単に抜粋しただけとか、平易にまとめ直したという本ではない。著者がさまざまな雑誌等に発表した『近代日本奇想小説史』に関係する文章を収録したもので、重複はまったくない。また、『~明治篇』があくまで明治に絞って時間軸でまとめているのに対し、『~入門篇』はテーマ別に編まれており、時代も明治に限定せず戦後作品も扱っているという按配。つまり『~明治篇』を既に持っている人も楽しめるということらしい。
ということで、興味はあるけれどそこまでSFにどっぷりなわけでもない管理人のような輩にはむしろ好都合。買ってから少し時間がたってはしまったが、ようやく手に取ってみた次第である。
で、感想だが、入門編というから多少は軽く見ていたのだが、こりゃ充実の一冊である。その情報量たるやよくぞここまで集め、調べあげたものだと感心するのみ。
管理人も押川春浪ぐらいなら少しは読んだし、彼が日本SFの祖だということぐらいは知っていたが(実はどうやらそれも間違いらしいということが本書でわかるのだが)、いやほんと、明治時代にここまでSF小説や冒険小説が出ていたとは思わなかった。
さすがにこの本のために書かれた文章ではないから、同主旨の内容が重複するところはあるのだが、全体にはテーマに沿った内容で編まれているので、そこまで気にするほどではない。
参考までに目次を挙げておこう。
第一部 さまざまな角度から
日本SF英雄群像
古典SFに描かれた日本人の宇宙像
明治の冒険小説と民族解放思想
日本秘境冒険小説の発掘
少年スーパー・ヒーローの誕生と系譜
少年小説に見る悪漢・怪人・怪物たち
近代日本奇想小説史 番外篇 児童向け戦後仙花紙本の奇想小説
明治冒険雑誌とその読者たち 〈探検世界〉を中心に
〈新青年〉とSF 海野十三を中心に
幕間 古書収集の舞台裏
なぜ、古書なのか? ぼくの超私的古書収集論
第二部 個人研究
日本古典SFを見直す 杉山藤次郎とは何者か?
明治のSFと井上円了
押川春浪と〈日露戦争 写真画報〉
民間マルチ学者・中山忠直という人
海野十三の執筆媒体
『新戦艦高千穂』へのノスタルジック・アプローチ
当時はSF小説といっても確とした概念があるわけではなく、探偵小説やら冒険小説やら何やらが入り交じったカオスである。それでも上のように、英雄譚、宇宙をテーマにしたもの、戦記物、秘境冒険小説、少年小説、仙花紙、 〈新青年〉等々、さまざまなテーマを設けることで、何となく全体像を俯瞰できるのはありがたい。
引用や図版が多いのも○。いかんせん現在入手できる本はごくごく一部なので、その小説の雰囲気を掴むには、やはりある程度のボリュームの引用は必須だろう。このあたりさすが著者はツボを心得ているというか、たいていは今読むと厳しい本が多いはずなのだけれど、そこを上手く面白そうに紹介してくれる。文章も軽妙だし、いろいろな意味で読者に親切設計なのが嬉しい。
管理人のような探偵小説好きにとって見逃せない記事も少なくない。 日本ではもともとSFもひっくるめて探偵小説といっていた時期もあったぐらいなので、作家も当然かぶる。海野十三や蘭郁二郎などはその代表格だし、乱歩以前の探偵小説を語る際、黒岩涙香らとともにやはり押川春浪の名前は外せないのである。
とりわけ「児童向け戦後仙花紙本の奇想小説」、 「〈新青年〉とSF海野十三を中心に」、「海野十三の執筆媒体」あたりは要注目。仙花紙本ネタなど、普通に探偵小説のコラムとしても楽しめる。
ということで本書はSFファンのみならず、探偵小説好きにも積極的におすすめしたい一冊である。
唯一の欠点は、『~明治篇』を買いたくなるということぐらいか(笑)。
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ケン・リュウ『紙の動物園』(新ハヤカワSFシリーズ)
ケン・リュウのSF短編集『紙の動物園』を読む。このタイミングで読むといかにもピース又吉氏の推薦にのったようで癪なのだが(苦笑)、本書はそれ以前からSFファンはもとよりミステリものの間でも評判になっていた本。管理人もとっくに買ってはいたのだが、ううむ、まさかこういうブレイクをするとは。まあ、買った本はさっさと読めってことですな。
まずは収録作。
The Paper Menagerie「紙の動物園」
Mono no Aware「もののあはれ」
To the Moon「月へ」
Tying Knots「結縄」
A Brief History of the Trans-Pacific Tunnel「太平洋横断海底トンネル小史」
The Tides「潮汐」
The Bookmaking Habits of Select Species「選抜宇宙種族の本づくり習性」
The Five Elements of the Heart Mind「心智五行」
Altogether Elsewhere, Vast Herds of Reindeer「どこかまったく別な場所でトナカイの大群が」
Ar「円弧」
The Waves「波」
Single-Bit Error「1ビットのエラー」
The Algorithms for Love「愛のアルゴリズム」
The Literomancer「文字占い師」
Good Hunting「良い狩りを」
さて肝心の中身だが、噂に違わぬ面白さであった。
ケン・リュウは中国出身。十一歳のとき家族とともに渡米し、ハーバード大学で文学とコンピュータを学んだ人物で、そういった来歴が作品にもストレートに顕れている。東洋と西洋の文化や宗教観の対立、伝統文化と最先端のテクノロジーの融合や衝突など、いろいろな素材を使ってそのような構図が繰り返し描かれ、そこから普遍的な真理を見出そうとする。
西洋人にとって珍しい(かつ魅力的な)素材を多用していること、また、それらをSFに絡めることで、一見新しさを纏ってはいるが、そのテーマは実際のところ非常にオーソドックスで特に目新しさはない。
ないのだけれど、それらの素材の調合の仕方や語りが絶妙なのである。常に過去と向きあっているような、感傷的でウェットなスタイルは、儚さを感じさせて実に美しい。
印象に残った作品はいろいろあるが、表題作の「紙の動物園」とラストの「良い狩りを」は別格という感じ。この二作が読めただけで元はとれた。
「紙の動物園」は正直、完成度は高くない。紙の動物を操ることの意義が不明瞭だし、ラストの手紙がストレートすぎる。それでもこの作品の持つ精神的な美しさとビジュアル的な美しさは捨てがたい。
「良い狩りを」も前半と後半のギャップが大きく、全体には荒っぽさが漂う。妖怪狩りをモチーフにしているが、妖怪ハンターと妖怪がまとめて西洋的なるものに取り込まれる切なさがなんとも。ただ、その取り込まれ方が秀逸すぎ。
なお、細かいところではあるが、作者の明らかに勘違いという思えるミス、特にアジア関係の表記に関していくつか見受けられた。こういう時代なのでもう少し精度には気を配ってもらいたいものである。
まずは収録作。
The Paper Menagerie「紙の動物園」
Mono no Aware「もののあはれ」
To the Moon「月へ」
Tying Knots「結縄」
A Brief History of the Trans-Pacific Tunnel「太平洋横断海底トンネル小史」
The Tides「潮汐」
The Bookmaking Habits of Select Species「選抜宇宙種族の本づくり習性」
The Five Elements of the Heart Mind「心智五行」
Altogether Elsewhere, Vast Herds of Reindeer「どこかまったく別な場所でトナカイの大群が」
Ar「円弧」
The Waves「波」
Single-Bit Error「1ビットのエラー」
The Algorithms for Love「愛のアルゴリズム」
The Literomancer「文字占い師」
Good Hunting「良い狩りを」
さて肝心の中身だが、噂に違わぬ面白さであった。
ケン・リュウは中国出身。十一歳のとき家族とともに渡米し、ハーバード大学で文学とコンピュータを学んだ人物で、そういった来歴が作品にもストレートに顕れている。東洋と西洋の文化や宗教観の対立、伝統文化と最先端のテクノロジーの融合や衝突など、いろいろな素材を使ってそのような構図が繰り返し描かれ、そこから普遍的な真理を見出そうとする。
西洋人にとって珍しい(かつ魅力的な)素材を多用していること、また、それらをSFに絡めることで、一見新しさを纏ってはいるが、そのテーマは実際のところ非常にオーソドックスで特に目新しさはない。
ないのだけれど、それらの素材の調合の仕方や語りが絶妙なのである。常に過去と向きあっているような、感傷的でウェットなスタイルは、儚さを感じさせて実に美しい。
印象に残った作品はいろいろあるが、表題作の「紙の動物園」とラストの「良い狩りを」は別格という感じ。この二作が読めただけで元はとれた。
「紙の動物園」は正直、完成度は高くない。紙の動物を操ることの意義が不明瞭だし、ラストの手紙がストレートすぎる。それでもこの作品の持つ精神的な美しさとビジュアル的な美しさは捨てがたい。
「良い狩りを」も前半と後半のギャップが大きく、全体には荒っぽさが漂う。妖怪狩りをモチーフにしているが、妖怪ハンターと妖怪がまとめて西洋的なるものに取り込まれる切なさがなんとも。ただ、その取り込まれ方が秀逸すぎ。
なお、細かいところではあるが、作者の明らかに勘違いという思えるミス、特にアジア関係の表記に関していくつか見受けられた。こういう時代なのでもう少し精度には気を配ってもらいたいものである。
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リチャード・カーチス『スクワーム』(サンケイノベルス)
リチャード・カーチスの『スクワーム』を読む。
先日、感想をアップしたジェームズ・ハーバートの『鼠』同様、動物パニックものの一冊だが、本作のネタはなんとミミズやゴカイである。動物パニックものというジャンル自体に既にB級臭が漂っているのに、肝心の動物がミミズともなるとゲテモノもいいところである。
小説の出来を云々する以前に生理的に受けつけない方も多いだろうが、実は世の中広いものでこういうものをあえて楽しむ人も少なくない。実際、本作は映画化され、日本でも公開されている作品なのである。
アメリカはジョージア州の田舎町フライクリーク。年頃の娘ジェリーは父を亡くし、妹と母の三人で暮らしている。ジェリーのこの夏の楽しみは、ニューヨークに住む恋人のミックが訪ねてくることだった。
ところがミックがやってくるという当日、町を嵐が襲った。切れた高圧線が地下に流れ、その作用で地下に潜む何百万というミミズが凶暴化し、地表に沸いてきてしまう。そんなこととは露知らず、ジェリーは幼なじみロジャーからトラックを借り、ミックを迎えにゆく。実はジェリーに想いを寄せていたロジャーはそれが面白くなく、静かに怒りをたぎらせていく。
一方、ジェリーと落ち合ったミックは、途中に立ち寄ったカフェで飲み物を注文するが、その中にミミズを発見する。店の人間に文句をつけるが、目を話した隙にミミズはいなくなっており、ミックは町の人間から誤解を受けたまま店をあとにする……。
『鼠』は都会を舞台にし、人間と鼠の真っ向勝負を描いていたが、本作の構図はまったく対照的。田舎町を舞台にした、あくまで局所的な物語である。ミミズの存在はなかなか表面化せず、危険は水面下からじわりじわりと忍び寄ってくる。全体的にはパニックものというより、ホラーや怪談に近いスタイルといえるだろう。
ミミズだけではストーリーを膨らませにくかったのか、ロジャーの存在を絡ませているのがポイントで、グロい描写を含め、意外にリーダビリティは高い。ミミズやゴカイが凶暴化する科学的根拠はもう少し理屈をつけてほしかったが、まあつけたからどうというものでもないんだが(苦笑)。
まあ、さすがに広くオススメはしないが、類を見ない内容だけに動物パニック好きなら押さえておきたい。
蛇足その一
この本が出た頃のサンケイノベルスはやたらホラー、特に動物パニックものを出していて興味深い。『スクワーム』や『鼠』以外にも『犬』『猫』『霧』なんてのがあるのだが、中身以前に当時の売れ行きが気になる。これだけ矢継ぎ早に出ていたのだか、らそれなりに人気はあったと思うのだが。
蛇足その二
著者のリチャード・カーチス Richard Curtisは、『ラブ・アクチュアリー』の監督や『ブリジット・ジョーンズの日記』の脚本を手がけるリチャード・カーティス Richard Curtis(ニュージーランド出身1956年生)とは、おそらく別人。
混同しているサイトもあるようだが、活躍する時代も微妙に異なるし、国籍もおそらく違う。何より作風が違いすぎる。ただ、いかんせん『スクワーム』のリチャード・カーチスの情報が少なすぎて断定はできない。ご存じの方がいたらご教示を請う。
先日、感想をアップしたジェームズ・ハーバートの『鼠』同様、動物パニックものの一冊だが、本作のネタはなんとミミズやゴカイである。動物パニックものというジャンル自体に既にB級臭が漂っているのに、肝心の動物がミミズともなるとゲテモノもいいところである。
小説の出来を云々する以前に生理的に受けつけない方も多いだろうが、実は世の中広いものでこういうものをあえて楽しむ人も少なくない。実際、本作は映画化され、日本でも公開されている作品なのである。
アメリカはジョージア州の田舎町フライクリーク。年頃の娘ジェリーは父を亡くし、妹と母の三人で暮らしている。ジェリーのこの夏の楽しみは、ニューヨークに住む恋人のミックが訪ねてくることだった。
ところがミックがやってくるという当日、町を嵐が襲った。切れた高圧線が地下に流れ、その作用で地下に潜む何百万というミミズが凶暴化し、地表に沸いてきてしまう。そんなこととは露知らず、ジェリーは幼なじみロジャーからトラックを借り、ミックを迎えにゆく。実はジェリーに想いを寄せていたロジャーはそれが面白くなく、静かに怒りをたぎらせていく。
一方、ジェリーと落ち合ったミックは、途中に立ち寄ったカフェで飲み物を注文するが、その中にミミズを発見する。店の人間に文句をつけるが、目を話した隙にミミズはいなくなっており、ミックは町の人間から誤解を受けたまま店をあとにする……。
『鼠』は都会を舞台にし、人間と鼠の真っ向勝負を描いていたが、本作の構図はまったく対照的。田舎町を舞台にした、あくまで局所的な物語である。ミミズの存在はなかなか表面化せず、危険は水面下からじわりじわりと忍び寄ってくる。全体的にはパニックものというより、ホラーや怪談に近いスタイルといえるだろう。
ミミズだけではストーリーを膨らませにくかったのか、ロジャーの存在を絡ませているのがポイントで、グロい描写を含め、意外にリーダビリティは高い。ミミズやゴカイが凶暴化する科学的根拠はもう少し理屈をつけてほしかったが、まあつけたからどうというものでもないんだが(苦笑)。
まあ、さすがに広くオススメはしないが、類を見ない内容だけに動物パニック好きなら押さえておきたい。
蛇足その一
この本が出た頃のサンケイノベルスはやたらホラー、特に動物パニックものを出していて興味深い。『スクワーム』や『鼠』以外にも『犬』『猫』『霧』なんてのがあるのだが、中身以前に当時の売れ行きが気になる。これだけ矢継ぎ早に出ていたのだか、らそれなりに人気はあったと思うのだが。
蛇足その二
著者のリチャード・カーチス Richard Curtisは、『ラブ・アクチュアリー』の監督や『ブリジット・ジョーンズの日記』の脚本を手がけるリチャード・カーティス Richard Curtis(ニュージーランド出身1956年生)とは、おそらく別人。
混同しているサイトもあるようだが、活躍する時代も微妙に異なるし、国籍もおそらく違う。何より作風が違いすぎる。ただ、いかんせん『スクワーム』のリチャード・カーチスの情報が少なすぎて断定はできない。ご存じの方がいたらご教示を請う。
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コリン・トレボロウ『ジュラシック・ワールド』
立川のシネマシティへ出かけ、『ジュラシック・ワールド』を鑑賞。本作はシリーズ四作目となるが、なんせ二作目、三作目へと続くシリーズの展開の仕方がいまひとつだったし、監督にもコリン・トレボロウという若手が起用されており、全体に不安要素満載。
しかし、腐ってもジュラシック・パーク・シリーズである。怪獣映画ファンとして一作目の衝撃は未だ忘れられず、新作が出るかぎりは観るしかないのである。
前作の事件から二十二年後。インジェン社を買収したマスラニ社は遂にジュラシック・パークをオープンへとこぎつけ、パークは毎日二万人が訪れる世界有数の観光地となっていた。しかし次々と新しいものを望むお客の声に応えるため、パークの責任者クレアは遺伝子操作によって新種の恐竜インドミナス・レックスを誕生させる。ヴェロキラプトルの訓練を試みるパークの管理人オーウェンは強く反対するが、クレアは聞く耳を持たない。案の定、インドミナスが脱走してしまい……という一席。
いつもながら恐竜の自然な動き、迫力ある映像には感心する。本作の見どころはほぼそこがすべてで、こいつらが思い上がった人間をばったばった食い殺してしまうのがカタルシスなのである。
科学やシステムですべてを制御できるといった甚だしい勘違い。結局は人間がコントロールするかぎり、科学やシステムに絶対はないのだという単純な事実があるわけで、恐竜たちはそれを思い上がった人類に教えてくれるわけである。まあ昔からある普遍のテーマではあるが、原発の現状とか安全保障関連法案の動きとか見ていると、全然他人事ではないわけだ。
ただ、そういう意味で少し気になったのは、食われるべき人間が食われていないぞという点か。勝手にDNAをいじくりまわした科学者たちは胚芽をもって全員逃げていったし(続編の伏線でもあるのだろう)、ヒロインも改心した感じはあるが、企業幹部としての責任はとてつもなく重大である。
おそらくこれは、本作において初めて主人公をパーク側の人間にした点が原因。テーマを若干曖昧にしたことは本作で最大のミスであり、単なる家族愛で最後を締めようとしたのはスピルバーグにしてはいささか杜撰である。
したがってシリーズ最高傑作という謳い文句はさすがに大げさ。そこそこ頑張ってはいるが、普通に楽しめる一本というところだろう。そもそもこのシリーズほど一作目から内容が変わらない映画も珍しいわけで(笑)、よほど設定を変えないことにはファーストインパクトを超えるのは無理な話なのだ。
なお、ラストの恐竜バトルは、怪獣映画ファンとしては理屈一切抜きで楽しめた。いろいろここにも指摘すべき点はあるのだが、まあここまで映像で見せてくれれば許す(笑)。
しかし、腐ってもジュラシック・パーク・シリーズである。怪獣映画ファンとして一作目の衝撃は未だ忘れられず、新作が出るかぎりは観るしかないのである。
前作の事件から二十二年後。インジェン社を買収したマスラニ社は遂にジュラシック・パークをオープンへとこぎつけ、パークは毎日二万人が訪れる世界有数の観光地となっていた。しかし次々と新しいものを望むお客の声に応えるため、パークの責任者クレアは遺伝子操作によって新種の恐竜インドミナス・レックスを誕生させる。ヴェロキラプトルの訓練を試みるパークの管理人オーウェンは強く反対するが、クレアは聞く耳を持たない。案の定、インドミナスが脱走してしまい……という一席。
いつもながら恐竜の自然な動き、迫力ある映像には感心する。本作の見どころはほぼそこがすべてで、こいつらが思い上がった人間をばったばった食い殺してしまうのがカタルシスなのである。
科学やシステムですべてを制御できるといった甚だしい勘違い。結局は人間がコントロールするかぎり、科学やシステムに絶対はないのだという単純な事実があるわけで、恐竜たちはそれを思い上がった人類に教えてくれるわけである。まあ昔からある普遍のテーマではあるが、原発の現状とか安全保障関連法案の動きとか見ていると、全然他人事ではないわけだ。
ただ、そういう意味で少し気になったのは、食われるべき人間が食われていないぞという点か。勝手にDNAをいじくりまわした科学者たちは胚芽をもって全員逃げていったし(続編の伏線でもあるのだろう)、ヒロインも改心した感じはあるが、企業幹部としての責任はとてつもなく重大である。
おそらくこれは、本作において初めて主人公をパーク側の人間にした点が原因。テーマを若干曖昧にしたことは本作で最大のミスであり、単なる家族愛で最後を締めようとしたのはスピルバーグにしてはいささか杜撰である。
したがってシリーズ最高傑作という謳い文句はさすがに大げさ。そこそこ頑張ってはいるが、普通に楽しめる一本というところだろう。そもそもこのシリーズほど一作目から内容が変わらない映画も珍しいわけで(笑)、よほど設定を変えないことにはファーストインパクトを超えるのは無理な話なのだ。
なお、ラストの恐竜バトルは、怪獣映画ファンとしては理屈一切抜きで楽しめた。いろいろここにも指摘すべき点はあるのだが、まあここまで映像で見せてくれれば許す(笑)。
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連城三紀彦『夜よ鼠たちのために』(宝島社文庫)
連城三紀彦の短編集『夜よ鼠たちのために』を読む。もとは新潮文庫で出たものだが長らく品切れ状態。いったんはハルキ文庫で三編をプラスして復刊されたが、何とまたもや品切れに。それが『このミステリーがすごい! 2014年版』の「復刊希望! 幻の名作ベストテン」で一位に輝いたことをきっかけに、宝島社が再度復刊したものである。
以下、収録作。
「二つの顔」
「過去からの声」
「化石の鍵」
「奇妙な依頼」
「夜よ鼠たちのために」
「二重生活」
「代役」
「ベイ・シティに死す」
「ひらかれた闇」
内容は相変わらずハイレベルである。軒並み傑作揃いの『戻り川心中』とまではいかないけれど、いくつかの作品はそれに匹敵するレベルで、満足度は非常に高い。
巻頭を飾る 「二つの顔」は掴みが素晴らしい。妻を殺害したばかりの画家に一本の電話が入る。それは警察からの電話で、あるホテルで画家の奥さんの死体が発見されたというのだ……。
登場人物が限られていることもあるが連城作品にしては比較的シンプル。そのため真相を予想しやすいところはあるが、冒頭の謎は魅力的だし、完成度も決して低くはない。
「過去からの声」は誘拐もの。警察を二年で辞めた青年が元の先輩刑事にあてた手紙というかたちをとっている。わざわざ手記というスタイルにしなくてもよい気はするが、内容自体はとてつもない。
それ単体でも十分いける仕掛けを、贅沢にも二つ重ねる大技が見事すぎて、連城三紀彦の誘拐ものといえば長篇の『人間動物園』があるが、個人的にはこちらのを推したい。本書中でも一、二を争う傑作。
トリッキーさでは 「化石の鍵」も負けていない。父、母、娘の特殊な三竦みは恐れ入る。ただ、管理人のおばさんと息子がなんとなく事件にそぐわない感じでその分マイナスといったところか。
「奇妙な依頼」はプロットの勝利か。まあ、連城作品でしょぼいプロットなんてそうそうないけれど。
興信所の探偵の新たな仕事は妻の浮気調査だった。ところが尾行調査を始めた探偵にその妻が……。二転三転する状況のなか、まったく意外なところに最終的な着地点が設けられている。
表題作の「夜よ鼠たちのために」も凄い。 施設で育った少年は、同じ施設の友人に秘密に飼っていた鼠を殺されてしまう。少年は逆上して友人を殺そうとする が、周囲に取り押さえられ病院送りとなる。やがて退院した少年はすっかり矯正され、友人とも仲直りする。やがて少年は成長し、恋人と結婚し、家庭もできた のだが……。
実にトリッキーで思わず読み返したほど凝ったプロットに仕上がっている。ただ、読み直すと若干苦しい部分もあり。しかし、この切なさ。やるせなさも加味して、本書のベスト候補である。
「二重生活」は不倫関係とトリッキーさがミックスされた、いかにも連城三紀彦らしい作品。シンプルながら一気に構図を一変させるテクニックはさすがである。ラストに明かされる犯罪者の動機というか心理がまた凄くて、シンプルながらも見逃せない。
「代役」はなかなか奇妙な設定だ。俳優がある目的のために自分そっくりの男を探している。ようやくアメリカから呼び寄せた男に依頼したのは、なんと妻との不倫だった。しかも妻公認である……。
などと書くとただのエロ小説と変わりないのだが、もちろん俳優そっくりの男を探す理由があるわけなのだが、ここから物語が二転三転して読者をさらに煙に巻き、最終的な真相はさらに構図を逆転させるもので、いやはやお見事。
刑務所を出所した主人公は自分を裏切った弟分と愛人の元を尋ねるが……。
ヤクザ者を主人公にした犯罪小説風の「ベイ・シティに死す」はもちろん犯罪小説ではなく、むしろ叙情あふれる悲しい物語である。こんな渋いストーリーにトリッキーな要素を違和感なく練り込んでしまう、そのテクニックに驚嘆する。
「ひらかれた闇」は一転して、不良たちのたまり場で発生した殺人事件を扱う学園風ミステリ。なぜか彼らに慕われている若い女性教師が探偵役だが、いまひと つ世界観がずれている気がして好みではない。動機が肝なのだが、それを活かす世界観がいまひとつ構築しきれていない印象である。
正直、これは追加しなくてもよかったのではないか。
さて総括。『戻り川心中』にあって『夜よ鼠たちのために』にないのは、やはりロマンチズムの香りであろう。トリックと詩情が渾然一体となったそのスタイルは秀逸であり、連城作品の中でもそういうタイプの作品が管理人としては好みである。
本書でもそういう味わいのものが個人的には評価が高くなり、ベストは「過去からの声」、次点で「夜よ鼠たちのために」といったあたりか。
ともあれ 「ひらかれた闇」はやや辛いけれど、基本的には外れなし。間違いなくおすすめの一冊である。
以下、収録作。
「二つの顔」
「過去からの声」
「化石の鍵」
「奇妙な依頼」
「夜よ鼠たちのために」
「二重生活」
「代役」
「ベイ・シティに死す」
「ひらかれた闇」
内容は相変わらずハイレベルである。軒並み傑作揃いの『戻り川心中』とまではいかないけれど、いくつかの作品はそれに匹敵するレベルで、満足度は非常に高い。
巻頭を飾る 「二つの顔」は掴みが素晴らしい。妻を殺害したばかりの画家に一本の電話が入る。それは警察からの電話で、あるホテルで画家の奥さんの死体が発見されたというのだ……。
登場人物が限られていることもあるが連城作品にしては比較的シンプル。そのため真相を予想しやすいところはあるが、冒頭の謎は魅力的だし、完成度も決して低くはない。
「過去からの声」は誘拐もの。警察を二年で辞めた青年が元の先輩刑事にあてた手紙というかたちをとっている。わざわざ手記というスタイルにしなくてもよい気はするが、内容自体はとてつもない。
それ単体でも十分いける仕掛けを、贅沢にも二つ重ねる大技が見事すぎて、連城三紀彦の誘拐ものといえば長篇の『人間動物園』があるが、個人的にはこちらのを推したい。本書中でも一、二を争う傑作。
トリッキーさでは 「化石の鍵」も負けていない。父、母、娘の特殊な三竦みは恐れ入る。ただ、管理人のおばさんと息子がなんとなく事件にそぐわない感じでその分マイナスといったところか。
「奇妙な依頼」はプロットの勝利か。まあ、連城作品でしょぼいプロットなんてそうそうないけれど。
興信所の探偵の新たな仕事は妻の浮気調査だった。ところが尾行調査を始めた探偵にその妻が……。二転三転する状況のなか、まったく意外なところに最終的な着地点が設けられている。
表題作の「夜よ鼠たちのために」も凄い。 施設で育った少年は、同じ施設の友人に秘密に飼っていた鼠を殺されてしまう。少年は逆上して友人を殺そうとする が、周囲に取り押さえられ病院送りとなる。やがて退院した少年はすっかり矯正され、友人とも仲直りする。やがて少年は成長し、恋人と結婚し、家庭もできた のだが……。
実にトリッキーで思わず読み返したほど凝ったプロットに仕上がっている。ただ、読み直すと若干苦しい部分もあり。しかし、この切なさ。やるせなさも加味して、本書のベスト候補である。
「二重生活」は不倫関係とトリッキーさがミックスされた、いかにも連城三紀彦らしい作品。シンプルながら一気に構図を一変させるテクニックはさすがである。ラストに明かされる犯罪者の動機というか心理がまた凄くて、シンプルながらも見逃せない。
「代役」はなかなか奇妙な設定だ。俳優がある目的のために自分そっくりの男を探している。ようやくアメリカから呼び寄せた男に依頼したのは、なんと妻との不倫だった。しかも妻公認である……。
などと書くとただのエロ小説と変わりないのだが、もちろん俳優そっくりの男を探す理由があるわけなのだが、ここから物語が二転三転して読者をさらに煙に巻き、最終的な真相はさらに構図を逆転させるもので、いやはやお見事。
刑務所を出所した主人公は自分を裏切った弟分と愛人の元を尋ねるが……。
ヤクザ者を主人公にした犯罪小説風の「ベイ・シティに死す」はもちろん犯罪小説ではなく、むしろ叙情あふれる悲しい物語である。こんな渋いストーリーにトリッキーな要素を違和感なく練り込んでしまう、そのテクニックに驚嘆する。
「ひらかれた闇」は一転して、不良たちのたまり場で発生した殺人事件を扱う学園風ミステリ。なぜか彼らに慕われている若い女性教師が探偵役だが、いまひと つ世界観がずれている気がして好みではない。動機が肝なのだが、それを活かす世界観がいまひとつ構築しきれていない印象である。
正直、これは追加しなくてもよかったのではないか。
さて総括。『戻り川心中』にあって『夜よ鼠たちのために』にないのは、やはりロマンチズムの香りであろう。トリックと詩情が渾然一体となったそのスタイルは秀逸であり、連城作品の中でもそういうタイプの作品が管理人としては好みである。
本書でもそういう味わいのものが個人的には評価が高くなり、ベストは「過去からの声」、次点で「夜よ鼠たちのために」といったあたりか。
ともあれ 「ひらかれた闇」はやや辛いけれど、基本的には外れなし。間違いなくおすすめの一冊である。
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リチャード・S・プラザー『墓地の謎を追え』 (論創海外ミステリ)
タイトルがひどいなぁと思いつつリチャード・S・プラザーの『墓地の謎を追え』 を読む。ロサンゼルスで私立探偵を営むシェル・スコット・シリーズからの一冊。
論創海外ミステリからは既に同シリーズの『ハリウッドで二度吊せ!』が出ているが、基本的にはほぼ同様の代物で、アクションありお色気ありのサービス精神に富んだ典型的通俗B級軽ハードボイルドである。
こんな話。 シェル・スコットの事務所に若い女が訪ねてきた。失踪した兄ダニーの捜索依頼だ。さっそく調査を始めたスコットは、ダニーが麻薬に手を染めていたことを突き止めるが、同時にダニーの仲間も姿を消していたことを知る。やがて失踪の秘密が高級葬儀場の墓地にあることにたどり着くが、その前に現れたのは屈強なギャングと目を見はるほどのいい女だった……。
良くも悪くも主人公シェル・スコットのキャラクターで読ませるストーリー。身長185cm、体重95kgのボディに短めの銀髪、女には弱いが腕っ節はそれなりに強く、減らず口もお手の物もの。
もういかにも典型的な安手のハードボイルドの主人公であり、読者はスコットがやらかす騒動をただ笑って読んでいけばよい。そこにはチャンドラーあたりの深遠さはなく、読者への徹底したサービスに務める潔さだけがあって、正直それがすべて。
だから、本書を読んでトリックがしょぼいとか、登場人物の造型がなっとらんとか、ストーリーが薄いとか言ってはいけない。そもそもそういうものを望むような本ではないのだ。むしろ登場する金髪姉ちゃんはもうすこしセクシーでないと困るとか、人の死に方が足りないとか、そういうところにこそ注文をこそつけるべきである。
ただし、本書の場合はそういう注文をきちんとクリアしており、このジャンルにおいてはよくできた一冊といえるだろう。麻薬の禁断症状などの知識も満たせるプラスαもあり。
ただ、『ハリウッドで二度吊せ!』の感想でも書いたが、どう考えてもハードカバーで読むような内容ではない(笑)。
論創海外ミステリからは既に同シリーズの『ハリウッドで二度吊せ!』が出ているが、基本的にはほぼ同様の代物で、アクションありお色気ありのサービス精神に富んだ典型的通俗B級軽ハードボイルドである。
こんな話。 シェル・スコットの事務所に若い女が訪ねてきた。失踪した兄ダニーの捜索依頼だ。さっそく調査を始めたスコットは、ダニーが麻薬に手を染めていたことを突き止めるが、同時にダニーの仲間も姿を消していたことを知る。やがて失踪の秘密が高級葬儀場の墓地にあることにたどり着くが、その前に現れたのは屈強なギャングと目を見はるほどのいい女だった……。
良くも悪くも主人公シェル・スコットのキャラクターで読ませるストーリー。身長185cm、体重95kgのボディに短めの銀髪、女には弱いが腕っ節はそれなりに強く、減らず口もお手の物もの。
もういかにも典型的な安手のハードボイルドの主人公であり、読者はスコットがやらかす騒動をただ笑って読んでいけばよい。そこにはチャンドラーあたりの深遠さはなく、読者への徹底したサービスに務める潔さだけがあって、正直それがすべて。
だから、本書を読んでトリックがしょぼいとか、登場人物の造型がなっとらんとか、ストーリーが薄いとか言ってはいけない。そもそもそういうものを望むような本ではないのだ。むしろ登場する金髪姉ちゃんはもうすこしセクシーでないと困るとか、人の死に方が足りないとか、そういうところにこそ注文をこそつけるべきである。
ただし、本書の場合はそういう注文をきちんとクリアしており、このジャンルにおいてはよくできた一冊といえるだろう。麻薬の禁断症状などの知識も満たせるプラスαもあり。
ただ、『ハリウッドで二度吊せ!』の感想でも書いたが、どう考えてもハードカバーで読むような内容ではない(笑)。
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E・S・ガードナー『レスター・リースの冒険』(ハヤカワ文庫)
E・S・ガードナーといえば圧倒的に弁護士ペリイ・メイスンものが有名だが、他にもいろいろなキャラクターを残している。本日の読了本『レスター・リースの冒険』も、そんなガードナーの生んだキャラクターの一人、義賊レスター・リースが活躍する中編集である。
The Candy Kid「キャンデイーだまし」
Something Like a Pelican「鵜をまねるカラス」
Monkey Murder「モンキー・マーダー」
Lester Leith, Impersonator(別題A Thousand to One)「千ドルが一ドルに」
収録作は以上。
ほぼパターンは決まっていて、毎回、下男(実は警察の潜入スパイ)のスカットルが新聞の犯罪記事をリースに見せるところから幕を開ける。リースはそこから事件の真相を見抜き、解決に乗り出していくのだが、面白いのはここから。リースは事件解決に動きつつも、最後にはちゃっかり犯人の盗んだ物を奪い取ってしまうのである。警察と犯人の裏をかいていく手口が見せ場であり、一見、意味不明のリースの行動が最後に種明かしされるという趣向が楽しい。
などと書いてはみたものの、ミステリ的にどうのというより、やはり本作はキャラありき。盗む相手は常に犯罪者に限られ、奪った金品は慈善事業に寄付、おまけに高身長でスマートかつハンサムな青年という設定は、まあベタではあるが、人気が出そうな要素は残らず詰め込みましたという感じでむしろ潔い。
ガードナーがペリイ・メイスンで大ヒットを飛ばす前、まだパルプ雑誌で短篇を書き散らかしている時代に発表されたシリーズということだが、こういうパターンを確立させた方が書く側も量産がきくし、読者も安心して楽しめるということなのだろう。
気になったのは、どれも中編のせいか手軽な読み物の割には中途半端にボリュームがあって、ストーリーがややだれ気味なこと。作品の性質上もう少し短く締めてくれたほうが良かった気はする。
とはいえガードナーらしく作品ごとのムラが少ないのはさすが。突出したものはないが、ユーモアもいい味つけで、ひまつぶしには恰好の一冊である。
The Candy Kid「キャンデイーだまし」
Something Like a Pelican「鵜をまねるカラス」
Monkey Murder「モンキー・マーダー」
Lester Leith, Impersonator(別題A Thousand to One)「千ドルが一ドルに」
収録作は以上。
ほぼパターンは決まっていて、毎回、下男(実は警察の潜入スパイ)のスカットルが新聞の犯罪記事をリースに見せるところから幕を開ける。リースはそこから事件の真相を見抜き、解決に乗り出していくのだが、面白いのはここから。リースは事件解決に動きつつも、最後にはちゃっかり犯人の盗んだ物を奪い取ってしまうのである。警察と犯人の裏をかいていく手口が見せ場であり、一見、意味不明のリースの行動が最後に種明かしされるという趣向が楽しい。
などと書いてはみたものの、ミステリ的にどうのというより、やはり本作はキャラありき。盗む相手は常に犯罪者に限られ、奪った金品は慈善事業に寄付、おまけに高身長でスマートかつハンサムな青年という設定は、まあベタではあるが、人気が出そうな要素は残らず詰め込みましたという感じでむしろ潔い。
ガードナーがペリイ・メイスンで大ヒットを飛ばす前、まだパルプ雑誌で短篇を書き散らかしている時代に発表されたシリーズということだが、こういうパターンを確立させた方が書く側も量産がきくし、読者も安心して楽しめるということなのだろう。
気になったのは、どれも中編のせいか手軽な読み物の割には中途半端にボリュームがあって、ストーリーがややだれ気味なこと。作品の性質上もう少し短く締めてくれたほうが良かった気はする。
とはいえガードナーらしく作品ごとのムラが少ないのはさすが。突出したものはないが、ユーモアもいい味つけで、ひまつぶしには恰好の一冊である。
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大河内常平『九十九本の妖刀』(戎光祥出版)
戎光祥出版の「ミステリ珍本全集」から大河内常平の『九十九本の妖刀』を読む。
ミステリ珍本全集は知る人ぞ知る怪作・珍作を出してくれる稀有な叢書。そのレア度やトンデモ度の高さは言うまでもないことだが、だからといって魅力はそれだけではなく、大阪圭吉や橘外男の作品など、絶版になっていたのが不思議なくらいの佳作も少なくない。
そこにいよいよ大河内常平の登場である。戦前・戦後にデビューした多くの作家が復刻ブームにのって紹介されてきたが、これまで大河内常平だけは一冊も紹介されていなかった。したがってレア度は文句なし。
嬉しいのはネットでのレビュー等をのぞいてみると、中身も意外に期待できそうなこと。通俗的ながらもバラエティに富んだ作風であり、とりわけ刀剣の鑑定家という一面を活かした作品は要注目である。まあ全体的にはB級であることは想像に難くないが、ぜひスペシャルなB級であってほしいと読み始めた。
収録作は以下のとおり。編者・日下三蔵氏のお気に入りでもある長編の「九十九本の妖刀」、「餓鬼の館」を収録し、その二編がともに刀剣ものということで、短編もすべて刀剣ものでまとめた構成となっている。
PART 1 九十九本の妖刀
「九十九本の妖刀」
「安房国住広正」
PART 2 餓鬼の館
「餓鬼の館」
PART 3 単行本未収録短篇集
「妖刀記」
「刀匠」
「刀匠忠俊の死」
「不吉な刀」
「死斑の剣」
「妖刀流転」
「なまずの肌」
まず長編からいこう。「九十九本の妖刀」は岩手県を舞台にした伝奇ミステリである。
東京から岩手にやってきたドサ回りのストリップ一座の五人。彼らは北上山脈の山づたいに町々を巡回していたが、その途中で彼らの後を尾けてくる怪しい老婆の姿に気づく。老婆を気にしつつも山道を進む一行だったが、男たちが飲み水を探している間、荷物の番をさせていた二人のストリッパーたちが消えてしまう。 男たちは五日間も山中を彷徨い、ようやく人里にたどり着いて警察に届け出るが、依然としてストリッパーたちは見つからず、唯一の手がかりは謎の老婆だけだった。
そんなとき捜査線上に浮かび上がったのは、十年間に同地で起こった凄惨な女性殺害事件だった……。
うわあ、これは凄いわ。日本刀をテーマにした伝奇ミステリとは聞いていたが、まさかこういう話だとはまったく予想していなかった。前半はあくまでミステリの形をとっているし、真相にしても特に超自然的な要素などはまったくないのだが、ここまで日本刀を軸にして話を膨らませるとは恐れ入る。
こんな着地点をいったい誰が予想できようか。日本刀にかける熱量が高すぎるゆえか、その魅力や魔力を際立たせるためだけに、わざわざ凄惨な描写や恐るべき真相を用意したとしか思えないほどである。
B級を通り越して、あちらの世界にいってしまっている感もあるが、それでもリーダビリティは異常に高く、後半の怒涛の展開はまったく目が離せない。
良識あるミステリファンにはちょっとおすすめできる代物ではないが、いやあ管理人的には全然OKである。
もうひとつの長編「餓鬼の館」も伝奇小説。ただし、こちらは「九十九本の妖刀」ほどミステリタッチではなく、より正統的な伝奇スリラーといった趣である。
時は戦時中。とある将校が赴任先で用意された屋敷へ引っ越してくるところから幕を開ける。しかし、実はその屋敷、地元民から化け物屋敷と噂される曰くつきの屋敷であった。
ある日のこと、屋敷から古文書が見つかり、たまたま将校が持ち合わせていた日本刀についての由来が書かれていた。それによると、その刀は数々の生体を試し切りした、これまた曰くつきの日本刀であったことがわかる。
やがてそんな因縁が招き寄せたか、数々の変事が屋敷で発生する……。
おおお、こっちも凄いぞ。伝奇小説の完成度としては「九十九本の妖刀」以上である。
今でいうホラーに近いイメージで、むちゃな真相ではあるのだが、オーソドックスな恐怖の盛り上げ方、正邪の対立の構造がはっきりしているなど、物語自体はど真ん中のストレート。また、日本刀に関わる因縁が鍵とはいえ、いろいろなエピソードをたたみかけてくるので、なかなか先を予想させないのもいい。
決して文章がうまい作家ではないのだが、熱の高さが勢いを与えているというか、物語を加速させているといった感じだ。
ただ、笑えるのは「九十九本の妖刀」と「餓鬼の館」の真相が意外に似ていたりして、二作収録してくれたのは実にありがたいのだが、あまり続けて読むべきではない(苦笑)。
これだけで十分お腹いっぱいなんで、短編はさらっと。
かつて講談社から刊行された単行本『九十九本の妖刀』に収録されていた「安房国住広正」は、なんと密室ものである。もちろんこれにしても日本刀が重要なファクターになっており、日本刀に造詣の深い著者にしか書けない一作だろう。
ただ、それだけでは終わらせない妙な味もあって、これは比較的広くおすすめできる作品といえる。
それに比べると、「PART 3 単行本未収録短篇集」に入っている方は正直それほどのレベルではない。印象に残っているものはまず「妖刀記」。日本刀がただの武器でなく、日本人の精神性につながるものであることを強く感じさせ、これは悪くないだろう。
「刀匠忠俊の死」はラストのオチがいまひとつでミステリとしては凡作だが、刀匠と弟子のドラマで読ませ、刀匠の蘊蓄も興味深い。
ということで短篇はやや消化不良だが、長編のインパクトは十分すぎるほどあって、すっかり大河内常平のファンになってしまった。
わざわざ古書を探す気はないが、長編はまだまだ残っているので、できればぜひとも二巻目を組んでもらいたいものである。
ミステリ珍本全集は知る人ぞ知る怪作・珍作を出してくれる稀有な叢書。そのレア度やトンデモ度の高さは言うまでもないことだが、だからといって魅力はそれだけではなく、大阪圭吉や橘外男の作品など、絶版になっていたのが不思議なくらいの佳作も少なくない。
そこにいよいよ大河内常平の登場である。戦前・戦後にデビューした多くの作家が復刻ブームにのって紹介されてきたが、これまで大河内常平だけは一冊も紹介されていなかった。したがってレア度は文句なし。
嬉しいのはネットでのレビュー等をのぞいてみると、中身も意外に期待できそうなこと。通俗的ながらもバラエティに富んだ作風であり、とりわけ刀剣の鑑定家という一面を活かした作品は要注目である。まあ全体的にはB級であることは想像に難くないが、ぜひスペシャルなB級であってほしいと読み始めた。
収録作は以下のとおり。編者・日下三蔵氏のお気に入りでもある長編の「九十九本の妖刀」、「餓鬼の館」を収録し、その二編がともに刀剣ものということで、短編もすべて刀剣ものでまとめた構成となっている。
PART 1 九十九本の妖刀
「九十九本の妖刀」
「安房国住広正」
PART 2 餓鬼の館
「餓鬼の館」
PART 3 単行本未収録短篇集
「妖刀記」
「刀匠」
「刀匠忠俊の死」
「不吉な刀」
「死斑の剣」
「妖刀流転」
「なまずの肌」
まず長編からいこう。「九十九本の妖刀」は岩手県を舞台にした伝奇ミステリである。
東京から岩手にやってきたドサ回りのストリップ一座の五人。彼らは北上山脈の山づたいに町々を巡回していたが、その途中で彼らの後を尾けてくる怪しい老婆の姿に気づく。老婆を気にしつつも山道を進む一行だったが、男たちが飲み水を探している間、荷物の番をさせていた二人のストリッパーたちが消えてしまう。 男たちは五日間も山中を彷徨い、ようやく人里にたどり着いて警察に届け出るが、依然としてストリッパーたちは見つからず、唯一の手がかりは謎の老婆だけだった。
そんなとき捜査線上に浮かび上がったのは、十年間に同地で起こった凄惨な女性殺害事件だった……。
うわあ、これは凄いわ。日本刀をテーマにした伝奇ミステリとは聞いていたが、まさかこういう話だとはまったく予想していなかった。前半はあくまでミステリの形をとっているし、真相にしても特に超自然的な要素などはまったくないのだが、ここまで日本刀を軸にして話を膨らませるとは恐れ入る。
こんな着地点をいったい誰が予想できようか。日本刀にかける熱量が高すぎるゆえか、その魅力や魔力を際立たせるためだけに、わざわざ凄惨な描写や恐るべき真相を用意したとしか思えないほどである。
B級を通り越して、あちらの世界にいってしまっている感もあるが、それでもリーダビリティは異常に高く、後半の怒涛の展開はまったく目が離せない。
良識あるミステリファンにはちょっとおすすめできる代物ではないが、いやあ管理人的には全然OKである。
もうひとつの長編「餓鬼の館」も伝奇小説。ただし、こちらは「九十九本の妖刀」ほどミステリタッチではなく、より正統的な伝奇スリラーといった趣である。
時は戦時中。とある将校が赴任先で用意された屋敷へ引っ越してくるところから幕を開ける。しかし、実はその屋敷、地元民から化け物屋敷と噂される曰くつきの屋敷であった。
ある日のこと、屋敷から古文書が見つかり、たまたま将校が持ち合わせていた日本刀についての由来が書かれていた。それによると、その刀は数々の生体を試し切りした、これまた曰くつきの日本刀であったことがわかる。
やがてそんな因縁が招き寄せたか、数々の変事が屋敷で発生する……。
おおお、こっちも凄いぞ。伝奇小説の完成度としては「九十九本の妖刀」以上である。
今でいうホラーに近いイメージで、むちゃな真相ではあるのだが、オーソドックスな恐怖の盛り上げ方、正邪の対立の構造がはっきりしているなど、物語自体はど真ん中のストレート。また、日本刀に関わる因縁が鍵とはいえ、いろいろなエピソードをたたみかけてくるので、なかなか先を予想させないのもいい。
決して文章がうまい作家ではないのだが、熱の高さが勢いを与えているというか、物語を加速させているといった感じだ。
ただ、笑えるのは「九十九本の妖刀」と「餓鬼の館」の真相が意外に似ていたりして、二作収録してくれたのは実にありがたいのだが、あまり続けて読むべきではない(苦笑)。
これだけで十分お腹いっぱいなんで、短編はさらっと。
かつて講談社から刊行された単行本『九十九本の妖刀』に収録されていた「安房国住広正」は、なんと密室ものである。もちろんこれにしても日本刀が重要なファクターになっており、日本刀に造詣の深い著者にしか書けない一作だろう。
ただ、それだけでは終わらせない妙な味もあって、これは比較的広くおすすめできる作品といえる。
それに比べると、「PART 3 単行本未収録短篇集」に入っている方は正直それほどのレベルではない。印象に残っているものはまず「妖刀記」。日本刀がただの武器でなく、日本人の精神性につながるものであることを強く感じさせ、これは悪くないだろう。
「刀匠忠俊の死」はラストのオチがいまひとつでミステリとしては凡作だが、刀匠と弟子のドラマで読ませ、刀匠の蘊蓄も興味深い。
ということで短篇はやや消化不良だが、長編のインパクトは十分すぎるほどあって、すっかり大河内常平のファンになってしまった。
わざわざ古書を探す気はないが、長編はまだまだ残っているので、できればぜひとも二巻目を組んでもらいたいものである。
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マーティン・キャンベル『007 ゴールデンアイ』
先日観たDVDの感想をひとつ。おなじみ007シリーズから第十七作目の『007 ゴールデンアイ』である。前作から六年もの沈黙の後、1995年に公開された作品で、ジェームズ・ボンド役は五代目ピアーズ・ブロスナンにバトンタッチされた。
本作はボンド役だけでなく、キャストや設定が一新されたことでも知られている。制作者や監督が替わり、Mは女性に変更。話全体の流れもティモシー・ダルトン・ボンド登場以前にリセットされている。
大幅な変更となった理由もいろいろあるようだが、制作やキャスティングの事情といったところに加え、冷戦の終結などボンド映画をとりまく世情が変わったことも大きいだろう。同時代のアクション映画に比べ007シリーズが古さを感じさせるのはムーア・ボンドの後半あたりからけっこう言われていたことなので、コンテンツを再生すべく刷新を図ったというところか。
結果、リニューアルは見事に当たり、内容的にも最新のアクション映画として甦り、興行的にも大成功を収めた一本となった。
さてストーリー。オープニングの舞台はまだ崩壊する前のソ連である。時期的には1980年代後半といったあたりか。ボンドはソ連の化学兵器工場爆破の任務を受け、006ことアレックと共に侵入する。しかしアレックはソ連側のウルモフ大佐の銃弾に倒れ、工場破壊という任務は成功するものの、ボンドはやむなく飛行機で脱出する。
それから9年。ソ連は既に崩壊し、ロシアでは「ヤヌス」という犯罪組織が暗躍していた。ボンドはヤヌスの一員であるゼニアをマークしていたが、彼女は対電磁波装甲を施したNATOの最新鋭戦闘ヘリ・タイガーを奪って逃走する……。
実は本作をちゃんと観るのはこれが初めてだったりするのだが、まずまず楽しめる作品ではあった。
上で書いたように製作者たちの意気込みはけっこう感じられ、特にアクションシーンではそれが顕著だったように思う。オープニングのロープでの下降シーン、街中での戦車を使ったカーアクション、お馴染みの飛行機でのアクションなど、見どころは少なくない。
また、ピアーズ・ブロイスナンのボンドも若々しく、個人的にはもっと無骨なボンドの方がイメージなのだが、まあ、制作サイドが長年オファーを送っていただけのことはあって、実に正統派二枚目のスマートなボンドである。
もう少し気を配ってほしかったのはストーリー。今さら007シリーズにそれを求めるか?という声も聞こえてきそうだが、本作ではボンドの盟友006が敵に寝返るという設定であり(ネタバレごめん)、その友情や愛国心、裏切りなど、いくらでも描き方はあると思うのだが、これがまあもったいないことに、ちょっと観客を驚かせたいぐらいの扱いに終始しており、薄っぺらいことこの上ない。
シリーズにいつも言えることだが、こういうアプローチが大作ながらも大傑作とならない原因のような気がする。実はミッション・インポッシブルにも影響を与えた作品らしいのだが、いろいろな点で抜かれているよなぁ。
本当の意味での路線変更は、やはりダニエル・クレイグ・ボンドの登場まで待たなければならなかったのか。
本作はボンド役だけでなく、キャストや設定が一新されたことでも知られている。制作者や監督が替わり、Mは女性に変更。話全体の流れもティモシー・ダルトン・ボンド登場以前にリセットされている。
大幅な変更となった理由もいろいろあるようだが、制作やキャスティングの事情といったところに加え、冷戦の終結などボンド映画をとりまく世情が変わったことも大きいだろう。同時代のアクション映画に比べ007シリーズが古さを感じさせるのはムーア・ボンドの後半あたりからけっこう言われていたことなので、コンテンツを再生すべく刷新を図ったというところか。
結果、リニューアルは見事に当たり、内容的にも最新のアクション映画として甦り、興行的にも大成功を収めた一本となった。
さてストーリー。オープニングの舞台はまだ崩壊する前のソ連である。時期的には1980年代後半といったあたりか。ボンドはソ連の化学兵器工場爆破の任務を受け、006ことアレックと共に侵入する。しかしアレックはソ連側のウルモフ大佐の銃弾に倒れ、工場破壊という任務は成功するものの、ボンドはやむなく飛行機で脱出する。
それから9年。ソ連は既に崩壊し、ロシアでは「ヤヌス」という犯罪組織が暗躍していた。ボンドはヤヌスの一員であるゼニアをマークしていたが、彼女は対電磁波装甲を施したNATOの最新鋭戦闘ヘリ・タイガーを奪って逃走する……。
実は本作をちゃんと観るのはこれが初めてだったりするのだが、まずまず楽しめる作品ではあった。
上で書いたように製作者たちの意気込みはけっこう感じられ、特にアクションシーンではそれが顕著だったように思う。オープニングのロープでの下降シーン、街中での戦車を使ったカーアクション、お馴染みの飛行機でのアクションなど、見どころは少なくない。
また、ピアーズ・ブロイスナンのボンドも若々しく、個人的にはもっと無骨なボンドの方がイメージなのだが、まあ、制作サイドが長年オファーを送っていただけのことはあって、実に正統派二枚目のスマートなボンドである。
もう少し気を配ってほしかったのはストーリー。今さら007シリーズにそれを求めるか?という声も聞こえてきそうだが、本作ではボンドの盟友006が敵に寝返るという設定であり(ネタバレごめん)、その友情や愛国心、裏切りなど、いくらでも描き方はあると思うのだが、これがまあもったいないことに、ちょっと観客を驚かせたいぐらいの扱いに終始しており、薄っぺらいことこの上ない。
シリーズにいつも言えることだが、こういうアプローチが大作ながらも大傑作とならない原因のような気がする。実はミッション・インポッシブルにも影響を与えた作品らしいのだが、いろいろな点で抜かれているよなぁ。
本当の意味での路線変更は、やはりダニエル・クレイグ・ボンドの登場まで待たなければならなかったのか。
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ジェームズ・ハーバート『鼠』(サンケイノベルス)
暑い夏はやっぱりホラーですかということで、ブロックに続いてジェームズ・ハーバートの『鼠』を読んでみる。
カバーにはSF長編小説などと謳っているが、中身はいわゆる動物パニックもの。SFというよりはホラーといったほうが適切なのだが、当時はホラーという言葉自体が定着していなかったのでやむなくSFという呼称を使ったのだろう。
ストーリーはあって無きがごとし。ロンドンを舞台に人間と巨大な人食いネズミの戦いを描く物語である。 まあ、基本ゲテモノなので、好きな人しか読まないだろうが、これがなかなか悪くない。
序盤はネズミが人を襲うようになっていく過程を、様々なエピソードで語っていく。そのいくつかのエピソードに登場する人物の中から、一人のジュニア・ハイスクールの教師にスポットが当てられ、やがてその教師を中心に物語が回っていくという仕組み。また、前半は忍び寄る恐怖でサスペンスを煽り、後半はネズミとの戦いをスリル満点に描くという結構である。
シンプルなネタだけにどれだけ小説として膨らませられるかがポイントなのだが、著者は本作がデビュー作であるにもかかわらず、実にこの辺りをうまく処理していて、上のような構成の妙に加え、物語のスピード感、端役への細かな設定(このへんキングと似ている)、終盤のどんでん返しやラストのくすぐりもしっかりツボを心得ていて、心憎いかぎりである。
最近の動物パニックものと比べると科学的考証部分の味付けが薄く、社会的メッセージ(自然破壊とか、ですな)もとってつけたようなレベルなので、これだけ褒めていても結局B級であることは隠しようもないのだが(苦笑)、動物パニック好きとしては押さえておきたい一品である。
ちなみに映画『ジョーズ』の大ヒットをきっかけにして一大ブームを巻き起こした動物パニックというジャンルだが、動物パニックをネタにした映画や小説はもちろんその前から存在しており、本作が書かれたのも1974年(『ジョーズ』公開は1975年)である。『ジョーズ』の二番煎じを狙ったわけではないというのは、著者の名誉のためにも記しておこう(笑)。
カバーにはSF長編小説などと謳っているが、中身はいわゆる動物パニックもの。SFというよりはホラーといったほうが適切なのだが、当時はホラーという言葉自体が定着していなかったのでやむなくSFという呼称を使ったのだろう。
ストーリーはあって無きがごとし。ロンドンを舞台に人間と巨大な人食いネズミの戦いを描く物語である。 まあ、基本ゲテモノなので、好きな人しか読まないだろうが、これがなかなか悪くない。
序盤はネズミが人を襲うようになっていく過程を、様々なエピソードで語っていく。そのいくつかのエピソードに登場する人物の中から、一人のジュニア・ハイスクールの教師にスポットが当てられ、やがてその教師を中心に物語が回っていくという仕組み。また、前半は忍び寄る恐怖でサスペンスを煽り、後半はネズミとの戦いをスリル満点に描くという結構である。
シンプルなネタだけにどれだけ小説として膨らませられるかがポイントなのだが、著者は本作がデビュー作であるにもかかわらず、実にこの辺りをうまく処理していて、上のような構成の妙に加え、物語のスピード感、端役への細かな設定(このへんキングと似ている)、終盤のどんでん返しやラストのくすぐりもしっかりツボを心得ていて、心憎いかぎりである。
最近の動物パニックものと比べると科学的考証部分の味付けが薄く、社会的メッセージ(自然破壊とか、ですな)もとってつけたようなレベルなので、これだけ褒めていても結局B級であることは隠しようもないのだが(苦笑)、動物パニック好きとしては押さえておきたい一品である。
ちなみに映画『ジョーズ』の大ヒットをきっかけにして一大ブームを巻き起こした動物パニックというジャンルだが、動物パニックをネタにした映画や小説はもちろんその前から存在しており、本作が書かれたのも1974年(『ジョーズ』公開は1975年)である。『ジョーズ』の二番煎じを狙ったわけではないというのは、著者の名誉のためにも記しておこう(笑)。
ロバート・ブロックの『予期せぬ結末3 ハリウッドの恐怖』を読む。ジョン・コリア、チャールズ・ボーモントに続く扶桑社ミステリー版異色作家短編集の第三弾である。
収録されているのは、初訳作品に加え、これまで我が国の雑誌やアンソロジーでしか収録されていなかった作品ということで、お得度もなかなか。でもそれって要は落ち穂拾い的な作品集なんじゃないのという不安も無用。内容的にもお得度は高い。
Method for Murder「殺人演技理論」
That Old Black Magic「奇術師」
The Cloak「マント」
The Plot Is the Thing「プロットが肝心」
Skeleton in My Closet「クローゼットに骸骨」
The Deadliest Art「殺人万華鏡」
Terror over Hollywood「ハリウッドの恐怖」
The Seal of the Satyr「牧神の護符」
Change of Heart「心変わり」
Floral Tribute「弔花」
I Kiss Your Shadow「影にあたえし唇は」
The Movie People「ムーヴィー・ピープル」
収録作は以上。上で書いたように十分満足出来る内容で、どれを読んでも安心して楽しめる。
もちろん今となっては古さを感じさせるものもあるし、単なるショックの度合いでは昨今のホラーに一歩譲るが、じわじわくる怖さ、ノスタルジックな雰囲気はブロックならではの味わいだろう。
何よりブロックの短編がいいのは、そこはかとなく漂うユーモアである。狙った笑いではなく、不気味な話であっても、全体的にユーモラスな雰囲気が練り込まれているイメージ。怖さとユーモアが溶け込むことで、独自の世界が構成されている。
お気に入りはけっこう多いが、まずは巻頭の「殺人演技理論」。ミステリ作家が、自作に登場する殺人鬼が現実に現れるという事態に直面し……というミステリ作品。
「奇術師」はどこかで読んだようなネタだが、これもブロックが走りなのだろうか。これもミステリの佳品。
「マント」は、仮装パーティ用に入手した古びたマントを羽織った主人公の運命を描く。盛り上げ方が秀逸。
「クローゼットに骸骨」はブロックお得意の精神医学ネタ、しかも倒叙ミステリ。個人的にはこれは怖いです。
「牧神の護符」は真っ向勝負のホラー。これに関してはユーモアの欠片もなく、ストレートにぐいぐい押していく。
「心変わり」はノスタルジーを押し出しつつもラストでぞっとさせる一品。この後味をいいと思うか悪いと思うか。
「影にあたえし唇は」は秀逸。事故で死んだはずの妻の「影」が枕元に現れたと告げる男の話だが、ホラーとミステリの融合としては非常に理想的な按配で、個人的にはこれが本書中のベスト。
ところで、この「予期せぬ結末」シリーズだが、残念ながら本書で中断している模様。この後、再開の目処が立っているのかどうか気になるところである(それともこれで完結?)。
収録されているのは、初訳作品に加え、これまで我が国の雑誌やアンソロジーでしか収録されていなかった作品ということで、お得度もなかなか。でもそれって要は落ち穂拾い的な作品集なんじゃないのという不安も無用。内容的にもお得度は高い。
Method for Murder「殺人演技理論」
That Old Black Magic「奇術師」
The Cloak「マント」
The Plot Is the Thing「プロットが肝心」
Skeleton in My Closet「クローゼットに骸骨」
The Deadliest Art「殺人万華鏡」
Terror over Hollywood「ハリウッドの恐怖」
The Seal of the Satyr「牧神の護符」
Change of Heart「心変わり」
Floral Tribute「弔花」
I Kiss Your Shadow「影にあたえし唇は」
The Movie People「ムーヴィー・ピープル」
収録作は以上。上で書いたように十分満足出来る内容で、どれを読んでも安心して楽しめる。
もちろん今となっては古さを感じさせるものもあるし、単なるショックの度合いでは昨今のホラーに一歩譲るが、じわじわくる怖さ、ノスタルジックな雰囲気はブロックならではの味わいだろう。
何よりブロックの短編がいいのは、そこはかとなく漂うユーモアである。狙った笑いではなく、不気味な話であっても、全体的にユーモラスな雰囲気が練り込まれているイメージ。怖さとユーモアが溶け込むことで、独自の世界が構成されている。
お気に入りはけっこう多いが、まずは巻頭の「殺人演技理論」。ミステリ作家が、自作に登場する殺人鬼が現実に現れるという事態に直面し……というミステリ作品。
「奇術師」はどこかで読んだようなネタだが、これもブロックが走りなのだろうか。これもミステリの佳品。
「マント」は、仮装パーティ用に入手した古びたマントを羽織った主人公の運命を描く。盛り上げ方が秀逸。
「クローゼットに骸骨」はブロックお得意の精神医学ネタ、しかも倒叙ミステリ。個人的にはこれは怖いです。
「牧神の護符」は真っ向勝負のホラー。これに関してはユーモアの欠片もなく、ストレートにぐいぐい押していく。
「心変わり」はノスタルジーを押し出しつつもラストでぞっとさせる一品。この後味をいいと思うか悪いと思うか。
「影にあたえし唇は」は秀逸。事故で死んだはずの妻の「影」が枕元に現れたと告げる男の話だが、ホラーとミステリの融合としては非常に理想的な按配で、個人的にはこれが本書中のベスト。
ところで、この「予期せぬ結末」シリーズだが、残念ながら本書で中断している模様。この後、再開の目処が立っているのかどうか気になるところである(それともこれで完結?)。