Posted in 07 2014
Posted
on
バロネス・オルツィ『隅の老人【完全版】』(作品社)
ようやく『隅の老人【完全版】』を読み終える。バロネス・オルツィが残した隅の老人ものの短篇をすべて網羅した(つまり全作品を網羅した)文字どおりの完全版である。
元になったのは過去出版された三冊の短編集だが、これに単行本未収録の「グラスゴーの謎」を加え、計三十八篇が収録された。
そのボリュームゆえさすがに持ち運びはできなかったので、二日に一篇ずつぐらいのペースでぼちぼち読んできた一冊である。
小説だからまずは中身について言いたいところではあるが、何より本書が素晴らしいのは、やはり上に書いたように、隅の老人ものをすべて収録したことであろう。
これは世界で唯一の完全本であり、本国に先駆けてこうした形にできただけでも誇れることなのだが、それによってこれまで知られていなかった事実が確認できたことも高ポイント。
また、単にまとめただけではなく、収録を発表順に再編したり、挿絵を豊富に収録したり、全作品の解説があったりと、編集方針も大いに賞賛すべきである。
隅の老人については今さら言うまでもないだろうが、シャーロック・ホームズのライヴァルとして登場した名探偵の一人。〈A・B・C喫茶店〉の隅の席に座り、知り合いの女性記者に未解決事件の謎解きをして聞かせるのが毎回のパターンだ。なぜか話の合間に紐を結ぶ癖があり、紐をいじりながらさまざまな事件の謎を解いてゆくという趣向である。
エキセントリックな性格も名探偵には珍しく、語り手の女性記者とのやりとりも魅力の一つである。
ところで事件については、常に隅の老人が話して聞かせるというスタイルのため、「安楽椅子探偵の走り」という言われ方を昔からされてはいるが、実際に読んでみると本人は事件の裁判を傍聴したり、意外と行動的な面もあるため、「安楽椅子探偵には当たらないのでは?」という疑問の声もチラホラ上がっているらしい。
それでも結局は、他者からの伝聞による情報から推理を重ねていく手法なので、個人的には安楽椅子探偵でいいんじゃないかと思うけれど。確かに言葉の表面だけとらえると安楽椅子とは違うだろうけれど、安楽椅子探偵の本質は物理的に動いたかどうかではなく、自分自身で捜査や調査に乗り出さないことだと思うので。
まあ、そんな分類は正直どうでもよくて、この他者からの伝聞による推理を、すべて自分が話して聞かせるというのも本シリーズの大きな特徴である。
ホームズの例にも見られるとおり、読者からは探偵のキャラクターや個性が非常に望まれており、作者がこの形にこだわったのもやむを得ないところではある。ただ、探偵本人の語りにしたことで、どうしても物語が単調な印象になってしまうのがもったいない。
また、著者自身がドイル同様、歴史や人物への興味が大きかったためか、あまりトリックには重きを置いておらず、似たようなネタが多いのはご愛嬌。
ただし、作品のアベレージは決して低くない。これという大傑作はないけれども、非常に質が安定しており、クラシック探偵小説のファンであれば、まず期待を裏切られることはない。慌てて読まず、一篇ずつゆっくりと味わうのが吉だろう。
最後に収録作の一覧。
■『隅の老人』The Old Man in the Corner
The Fenchurch Street Mystery「フェンチャーチ街駅の謎」
The Robbery in Phillimore Terrace「フィリモア・テラスの強盗」
The Mysterious Death on the Underground Railway「地下鉄怪死事件」
The Theft at the English Provident Bank「〈イギリス共済銀行〉強盗事件」
The Regent's ParkMurder「〈リージェント公園〉殺人事件」
The Mysterious Death in Percy Street「パーシー街の怪死」
The Glasgow Mystery「グラスゴーの謎」
The York Mystery「ヨークの謎」
The Liverpool Mystery「リヴァプールの謎」
An Unparalleled Outrage「ブライトンの謎」
The Edinburgh Mystery「エジンバラの謎」
The Dublin Mystery「ダブリンの謎」
The De Gennevile Peerage「バーミンガムの謎」
■『ミス・エリオット事件』The Case of Miss Elliott
The Case of Miss Elliott「ミス・エリオット事件」
The Hocussing of Cigarette「シガレット号事件」
The Tragedy in Dartmoor Terrace「ダートムア・テラスの悲劇」
Who Stole the Black Diamonds?「誰が黒ダイヤモンドを盗んだのか?」
The Murder of Miss Pebmarsh「ミス・ペブマーシュ殺人事件」
The Lisson Grove Mystery「リッスン・グローヴの謎」
The Tremarn Case「トレマーン事件」
The Fate of the “Artemis”「アルテミス号の運命」
The Disappearance of Count Collini「コリーニ伯爵の失踪」
The Ayrsham Mystery「エアシャムの謎」
The Affair of the Novelty Theatre「〈ノヴェルティ劇場〉事件」
The Tragedy of Barnsdale Manor「〈バーンズデール〉屋敷の悲劇」
■『解かれた結び目』Unravelled Knots
The Mystery of the Khaki Tunic「カーキ色の軍服の謎」
The Mystery of the Ingres Masterpiece「アングルの名画の謎」
The Mystery of the Pearl Necklace真珠のネックレスの謎」
The Mystery of the Russian Prince「ロシアの公爵の謎」
The Mysterious Tragedy in Bishop's Road「ビショップス通りの謎」
The Mystery of the Dog's Tooth Cliff「犬歯崖の謎」
The Tytherton Case「タイサートン事件」
The Mystery of the Brudenell Court「〈ブルードネル・コート〉の謎」
The Mystery of the White Carnation「白いカーネーションの謎」
The Mystery of the Montmartre Hat「モンマルトル風の帽子の謎」
The Miser of Maida Vale「メイダ・ヴェールの守銭奴」
The Fulton Gardens Mystery「フルトン・ガーデンズの謎」
A Moorland Tragedy「荒地(ムーアランド)の悲劇」
元になったのは過去出版された三冊の短編集だが、これに単行本未収録の「グラスゴーの謎」を加え、計三十八篇が収録された。
そのボリュームゆえさすがに持ち運びはできなかったので、二日に一篇ずつぐらいのペースでぼちぼち読んできた一冊である。
小説だからまずは中身について言いたいところではあるが、何より本書が素晴らしいのは、やはり上に書いたように、隅の老人ものをすべて収録したことであろう。
これは世界で唯一の完全本であり、本国に先駆けてこうした形にできただけでも誇れることなのだが、それによってこれまで知られていなかった事実が確認できたことも高ポイント。
また、単にまとめただけではなく、収録を発表順に再編したり、挿絵を豊富に収録したり、全作品の解説があったりと、編集方針も大いに賞賛すべきである。
隅の老人については今さら言うまでもないだろうが、シャーロック・ホームズのライヴァルとして登場した名探偵の一人。〈A・B・C喫茶店〉の隅の席に座り、知り合いの女性記者に未解決事件の謎解きをして聞かせるのが毎回のパターンだ。なぜか話の合間に紐を結ぶ癖があり、紐をいじりながらさまざまな事件の謎を解いてゆくという趣向である。
エキセントリックな性格も名探偵には珍しく、語り手の女性記者とのやりとりも魅力の一つである。
ところで事件については、常に隅の老人が話して聞かせるというスタイルのため、「安楽椅子探偵の走り」という言われ方を昔からされてはいるが、実際に読んでみると本人は事件の裁判を傍聴したり、意外と行動的な面もあるため、「安楽椅子探偵には当たらないのでは?」という疑問の声もチラホラ上がっているらしい。
それでも結局は、他者からの伝聞による情報から推理を重ねていく手法なので、個人的には安楽椅子探偵でいいんじゃないかと思うけれど。確かに言葉の表面だけとらえると安楽椅子とは違うだろうけれど、安楽椅子探偵の本質は物理的に動いたかどうかではなく、自分自身で捜査や調査に乗り出さないことだと思うので。
まあ、そんな分類は正直どうでもよくて、この他者からの伝聞による推理を、すべて自分が話して聞かせるというのも本シリーズの大きな特徴である。
ホームズの例にも見られるとおり、読者からは探偵のキャラクターや個性が非常に望まれており、作者がこの形にこだわったのもやむを得ないところではある。ただ、探偵本人の語りにしたことで、どうしても物語が単調な印象になってしまうのがもったいない。
また、著者自身がドイル同様、歴史や人物への興味が大きかったためか、あまりトリックには重きを置いておらず、似たようなネタが多いのはご愛嬌。
ただし、作品のアベレージは決して低くない。これという大傑作はないけれども、非常に質が安定しており、クラシック探偵小説のファンであれば、まず期待を裏切られることはない。慌てて読まず、一篇ずつゆっくりと味わうのが吉だろう。
最後に収録作の一覧。
■『隅の老人』The Old Man in the Corner
The Fenchurch Street Mystery「フェンチャーチ街駅の謎」
The Robbery in Phillimore Terrace「フィリモア・テラスの強盗」
The Mysterious Death on the Underground Railway「地下鉄怪死事件」
The Theft at the English Provident Bank「〈イギリス共済銀行〉強盗事件」
The Regent's ParkMurder「〈リージェント公園〉殺人事件」
The Mysterious Death in Percy Street「パーシー街の怪死」
The Glasgow Mystery「グラスゴーの謎」
The York Mystery「ヨークの謎」
The Liverpool Mystery「リヴァプールの謎」
An Unparalleled Outrage「ブライトンの謎」
The Edinburgh Mystery「エジンバラの謎」
The Dublin Mystery「ダブリンの謎」
The De Gennevile Peerage「バーミンガムの謎」
■『ミス・エリオット事件』The Case of Miss Elliott
The Case of Miss Elliott「ミス・エリオット事件」
The Hocussing of Cigarette「シガレット号事件」
The Tragedy in Dartmoor Terrace「ダートムア・テラスの悲劇」
Who Stole the Black Diamonds?「誰が黒ダイヤモンドを盗んだのか?」
The Murder of Miss Pebmarsh「ミス・ペブマーシュ殺人事件」
The Lisson Grove Mystery「リッスン・グローヴの謎」
The Tremarn Case「トレマーン事件」
The Fate of the “Artemis”「アルテミス号の運命」
The Disappearance of Count Collini「コリーニ伯爵の失踪」
The Ayrsham Mystery「エアシャムの謎」
The Affair of the Novelty Theatre「〈ノヴェルティ劇場〉事件」
The Tragedy of Barnsdale Manor「〈バーンズデール〉屋敷の悲劇」
■『解かれた結び目』Unravelled Knots
The Mystery of the Khaki Tunic「カーキ色の軍服の謎」
The Mystery of the Ingres Masterpiece「アングルの名画の謎」
The Mystery of the Pearl Necklace真珠のネックレスの謎」
The Mystery of the Russian Prince「ロシアの公爵の謎」
The Mysterious Tragedy in Bishop's Road「ビショップス通りの謎」
The Mystery of the Dog's Tooth Cliff「犬歯崖の謎」
The Tytherton Case「タイサートン事件」
The Mystery of the Brudenell Court「〈ブルードネル・コート〉の謎」
The Mystery of the White Carnation「白いカーネーションの謎」
The Mystery of the Montmartre Hat「モンマルトル風の帽子の謎」
The Miser of Maida Vale「メイダ・ヴェールの守銭奴」
The Fulton Gardens Mystery「フルトン・ガーデンズの謎」
A Moorland Tragedy「荒地(ムーアランド)の悲劇」
Posted
on
連城三紀彦『黄昏のベルリン』(講談社文庫)
連城三紀彦の『黄昏のベルリン』を読む。
叙情溢れるミステリや男女の機微を描くことに定評ある著者が書いた国際謀略小説。その意外性もあったのか、1988年の文春ミステリーベスト10で見事1位に輝いた作品なのだが、恥ずかしながらこれが初読。
冒頭からして魅せる。
リオデジャネイロでは娼婦を殺害するハンスと呼ばれた男。ニューヨークの空港では裏の顔を互いに隠し、偽りの友情を演じる二人の男。東ベルリンでは愛する人に再会するため決死の覚悟で検問所を突破する若者。パリでは第二次大戦に思いを寄せる元ナチの老女。
そして東京。大晦日の夜、ホテルのバーで恋人を待つ画家の青木。だがその前に現れたのは恋人ではなく、謎のドイツ人女性エルザだった。青木の出自について語り始めた彼女の目的は?
一見なんの脈絡もなさそうなエピソードで幕を開ける物語は、やがてベルリンを舞台に、ある大きな陰謀の姿を炙り出してゆく。
いまでこそ一つに統一されたドイツだが、第二次大戦での敗北によって領土は分割され、長らく西ドイツと東ドイツに分かれた時代があった。とりわけ特殊だったのは首都ベルリンも西と東に分断され、文字どおり壁によって隔てられたことである。それは正に東西冷戦の象徴であり、資本主義と共産主義の対立を具現化したものでもあった。
一方で、ドイツはナチスとヒトラーを生んだ国でもある。ネオ・ナチなどという言葉もあるように、今でも密かに(あるいは大っぴらに)ナチズムを賞賛する人々もおり、何かと問題になることも少なくない。
先頃のワールドカップでみごと優勝し、そのパワーを見せつけたばかりのドイツではあるが、本書が書かれた二十五年ほど前までは、世界の火薬庫といっていいほどの、実にホットな場所だったのである。
そういうわけでひと頃のスパイ小説や謀略小説といえば、たいていは東西の対立を扱ったものかナチものという状況であった(ちょっと大げさだけど)。それだけ魅力的な素材だったということだが、読む前は若干の不安もないではなかった。なんせこれまで著者が書いてきたものとはあまりにもかけ離れている。
しかし、さすがは連城三紀彦。何の違和感もないどころか、きちんと自分流の謀略小説に落とし込んでいることにまず驚く。
ナチをテーマにした謀略小説ということで、察しのいいファンなら途中でネタは読めるかも知れない。しかし実は胆はそこではない。
いや、ミステリに免疫がない読者ならそれでも十分に破壊力はあるのだけれど、むしろミステリとしてのポイントは全体的な構図を鮮やかにひっくり返してみせることにある。著者の短篇ではしょっちゅうお目にかかる荒技だが、本作では注意を完全に別方向にそらされていたため、まったく油断していたころをガツンとやられる。実に巧い。
加えてミステリ読者をニヤリとさせる、某有名トリックも取り入れるところがまた憎い。普通にやられても単なる二番煎じで終わるところだが、舞台設定への組み込み方が秀逸で、ああ、このトリックはこの作品のために作られたのかと思わず勘違いしそうになるほど見事なのだ。
また、とりあえず謀略小説と書いてはいるが、実は本作は恋愛小説として読むことも可能だ。むしろ謀略小説の衣を借りた恋愛小説といっても良い。娯楽要素としての味つけとかではなく、きちんと恋愛を主題にしても読めるのである。
そして何より恐れ入るのは、この恋愛要素がなければ、本作はミステリとして成立しないということである。小説として十分に味わい深く、しかもその味わい深さゆえに、ミスリードが最大の効果を上げていると言えるだろう。
緻密なプロット、きめ細やかな描写力。蓋を開けてみればいつもながらのハイレベルな技術に裏打ちされた連城ミステリである。謀略小説と聞いて食わず嫌いの人もいるかもしれないが、やはりこれは読んでおくべきだろう。傑作。
叙情溢れるミステリや男女の機微を描くことに定評ある著者が書いた国際謀略小説。その意外性もあったのか、1988年の文春ミステリーベスト10で見事1位に輝いた作品なのだが、恥ずかしながらこれが初読。
冒頭からして魅せる。
リオデジャネイロでは娼婦を殺害するハンスと呼ばれた男。ニューヨークの空港では裏の顔を互いに隠し、偽りの友情を演じる二人の男。東ベルリンでは愛する人に再会するため決死の覚悟で検問所を突破する若者。パリでは第二次大戦に思いを寄せる元ナチの老女。
そして東京。大晦日の夜、ホテルのバーで恋人を待つ画家の青木。だがその前に現れたのは恋人ではなく、謎のドイツ人女性エルザだった。青木の出自について語り始めた彼女の目的は?
一見なんの脈絡もなさそうなエピソードで幕を開ける物語は、やがてベルリンを舞台に、ある大きな陰謀の姿を炙り出してゆく。
いまでこそ一つに統一されたドイツだが、第二次大戦での敗北によって領土は分割され、長らく西ドイツと東ドイツに分かれた時代があった。とりわけ特殊だったのは首都ベルリンも西と東に分断され、文字どおり壁によって隔てられたことである。それは正に東西冷戦の象徴であり、資本主義と共産主義の対立を具現化したものでもあった。
一方で、ドイツはナチスとヒトラーを生んだ国でもある。ネオ・ナチなどという言葉もあるように、今でも密かに(あるいは大っぴらに)ナチズムを賞賛する人々もおり、何かと問題になることも少なくない。
先頃のワールドカップでみごと優勝し、そのパワーを見せつけたばかりのドイツではあるが、本書が書かれた二十五年ほど前までは、世界の火薬庫といっていいほどの、実にホットな場所だったのである。
そういうわけでひと頃のスパイ小説や謀略小説といえば、たいていは東西の対立を扱ったものかナチものという状況であった(ちょっと大げさだけど)。それだけ魅力的な素材だったということだが、読む前は若干の不安もないではなかった。なんせこれまで著者が書いてきたものとはあまりにもかけ離れている。
しかし、さすがは連城三紀彦。何の違和感もないどころか、きちんと自分流の謀略小説に落とし込んでいることにまず驚く。
ナチをテーマにした謀略小説ということで、察しのいいファンなら途中でネタは読めるかも知れない。しかし実は胆はそこではない。
いや、ミステリに免疫がない読者ならそれでも十分に破壊力はあるのだけれど、むしろミステリとしてのポイントは全体的な構図を鮮やかにひっくり返してみせることにある。著者の短篇ではしょっちゅうお目にかかる荒技だが、本作では注意を完全に別方向にそらされていたため、まったく油断していたころをガツンとやられる。実に巧い。
加えてミステリ読者をニヤリとさせる、某有名トリックも取り入れるところがまた憎い。普通にやられても単なる二番煎じで終わるところだが、舞台設定への組み込み方が秀逸で、ああ、このトリックはこの作品のために作られたのかと思わず勘違いしそうになるほど見事なのだ。
また、とりあえず謀略小説と書いてはいるが、実は本作は恋愛小説として読むことも可能だ。むしろ謀略小説の衣を借りた恋愛小説といっても良い。娯楽要素としての味つけとかではなく、きちんと恋愛を主題にしても読めるのである。
そして何より恐れ入るのは、この恋愛要素がなければ、本作はミステリとして成立しないということである。小説として十分に味わい深く、しかもその味わい深さゆえに、ミスリードが最大の効果を上げていると言えるだろう。
緻密なプロット、きめ細やかな描写力。蓋を開けてみればいつもながらのハイレベルな技術に裏打ちされた連城ミステリである。謀略小説と聞いて食わず嫌いの人もいるかもしれないが、やはりこれは読んでおくべきだろう。傑作。
Posted
on
トッド・ブラウニング『魔人ドラキュラ』
『事件記者コルチャック』収録の「ラスヴェガスの吸血鬼」を読んだせいか、吸血鬼ものの映画を観たくなってDVDの『魔人ドラキュラ』を引っ張り出す。
ブラム・ストーカーの原作を初めて映画化した作品で、1931年の公開。監督はトッド・ブラウニング。その後のホラー映画ブームを巻き起こした、数あるドラキュラ映画の元祖的作品でもある。
映画がヒットした要因はいろいろあるが、最大の功績はやはり主演ドラキュラ伯爵を演じたベラ・ルゴシによるところが大きいだろう。
東欧出身ということもあって訛りが強く、なかなか芽が出なかったベラ・ルゴシだが、ドラキュラがそもそも東欧はルーマニアの出。しかも本来は二枚目俳優ということで、ドラキュラは恰好のハマリ役であった。
しかもただ演じるだけではなく、その後のドラキュラ像を決定的にしたのも彼のお手柄だ。オールバックの髪型に、全身黒づくめの礼装にマントというスタイルは、今ではすっかりドラキュラのイメージとしてお馴染みだが、これはベラ・ルゴシが作り上げたスタイルで、原作のむしろワイルドな雰囲気をスマートでセクシーなものにアレンジした功績は大きい。
後のクリストファー・リーももちろんいいが、本作でのベラ・ルゴシは存在感が圧倒的で、これはもう彼のための映画といっていいのである。
さて、物語に目を向けると、もともと舞台で使われた脚本をそのまま映画にも流用したらしく、どうしても性急な感じは否めない。
原作があのとおり長大なものなので、いろいろと端折られるのは仕方ないが、場面によってはけっこう重要なことがセリフひとつで終わったり、伏線だろうと思っていたシーンやセリフが華麗にスルーされていたりと、時代を考えれば仕方ないかと思いつつも、やや納得はいかなかったりする。ドラキュラはミステリ同様お約束というかコードの多い物語で、それゆえに面白みが倍増するのだから、ここはきちんとやってほしかったところだ。
特にラストシーンのヘルシンク教授の思わせぶりなセリフからエンドマークへという流れは最高である(苦笑)。
その点、むしろ映像の方が時代を考慮してもなかなかの雰囲気を再現していて、まあ、これはモノクロだったり画質が悪いこともあるから、それが逆に粗を隠してくれている面もあるのだが、それでもドラキュラ城のシーンなどは外観、内部ともよくできたセットだなぁと感心せずにはいられない。
舞台のセットが反映されているのかどうかはわからないが、少なくとも参考にはされているだろう。
というわけで、いろいろと欠点もあるがホラー映画の重要な一ページである本作。ベラ・ルゴシの存在感も一見の価値はあるし、一度は観ておいて損はない。
ブラム・ストーカーの原作を初めて映画化した作品で、1931年の公開。監督はトッド・ブラウニング。その後のホラー映画ブームを巻き起こした、数あるドラキュラ映画の元祖的作品でもある。
映画がヒットした要因はいろいろあるが、最大の功績はやはり主演ドラキュラ伯爵を演じたベラ・ルゴシによるところが大きいだろう。
東欧出身ということもあって訛りが強く、なかなか芽が出なかったベラ・ルゴシだが、ドラキュラがそもそも東欧はルーマニアの出。しかも本来は二枚目俳優ということで、ドラキュラは恰好のハマリ役であった。
しかもただ演じるだけではなく、その後のドラキュラ像を決定的にしたのも彼のお手柄だ。オールバックの髪型に、全身黒づくめの礼装にマントというスタイルは、今ではすっかりドラキュラのイメージとしてお馴染みだが、これはベラ・ルゴシが作り上げたスタイルで、原作のむしろワイルドな雰囲気をスマートでセクシーなものにアレンジした功績は大きい。
後のクリストファー・リーももちろんいいが、本作でのベラ・ルゴシは存在感が圧倒的で、これはもう彼のための映画といっていいのである。
さて、物語に目を向けると、もともと舞台で使われた脚本をそのまま映画にも流用したらしく、どうしても性急な感じは否めない。
原作があのとおり長大なものなので、いろいろと端折られるのは仕方ないが、場面によってはけっこう重要なことがセリフひとつで終わったり、伏線だろうと思っていたシーンやセリフが華麗にスルーされていたりと、時代を考えれば仕方ないかと思いつつも、やや納得はいかなかったりする。ドラキュラはミステリ同様お約束というかコードの多い物語で、それゆえに面白みが倍増するのだから、ここはきちんとやってほしかったところだ。
特にラストシーンのヘルシンク教授の思わせぶりなセリフからエンドマークへという流れは最高である(苦笑)。
その点、むしろ映像の方が時代を考慮してもなかなかの雰囲気を再現していて、まあ、これはモノクロだったり画質が悪いこともあるから、それが逆に粗を隠してくれている面もあるのだが、それでもドラキュラ城のシーンなどは外観、内部ともよくできたセットだなぁと感心せずにはいられない。
舞台のセットが反映されているのかどうかはわからないが、少なくとも参考にはされているだろう。
というわけで、いろいろと欠点もあるがホラー映画の重要な一ページである本作。ベラ・ルゴシの存在感も一見の価値はあるし、一度は観ておいて損はない。
Posted
on
フィリップ・マクドナルド『狂った殺人』(論創海外ミステリ)
クラシックミステリの復刻ブームで、それまで全貌が掴めなかった作家の紹介がずいぶん進められてきたけれど、昔からの知名度の割にはもうひとつパッとしない作家がいる。まあ、あくまで個人的な印象になるが、フィリップ・マクドナルドがその一人。
これまで読んだ長篇には『鑢』『ライノクス殺人事件』『迷路』『Xに対する逮捕状』『エイドリアン・メッセンジャーのリスト』があるが、総じて狙いは面白いものの、それがなかなか結果に結びつかない。それどころか腰砕けに終わる作品も少なくない(なお、『フライアーズ・パードン館の謎』と『殺人鬼対皇帝』は積ん読中)。
つまらないわけではなく、過度な期待さえしなければその技巧を十分楽しめる作品群である。ただし、これだという決定的なホームラン級の作品がないことや、意外に完成度が低かったりで、黄金時代の一線級の作家に比べるとどうしても一枚落ちる感じは否めない。そのせいか、これまでもぼちぼちと紹介はされているのだが、いまひとつ世間の反応も煮え切らない感じである(苦笑)。
本日の読了本はそんなフィリップ・マクドナルドの『狂った殺人』。今までのイメージを覆せるかどうか、期待半分不安半分でとりかかったが……。
まずはストーリー。
英国の田園都市ホームデイルで一人の少年が殺害された。ほどなくして犯人と思われる人物から犯行声明が届く。警察を小馬鹿にしたその内容に関係者は苛立ちを隠せないが、やがて第二、第三の犯行が発生。スコットランドヤードから派遣されたパイク警視は犯人がホームデイルの住人だと考え、ある奇策を思いつくが……。
フィリップ・マクドナルドは初期こそ本格中心だったが、後期はサスペンス系を多く書くようになっていった。本作は1931年刊行なので、時期的には本格のタイミング。しかも無差別連続殺人のミッシング・リンクを扱っているのでかなり期待させるが、残念ながらアプローチは本格というよりサスペンスもしくは警察小説寄りである。
ただ謎解き要素は薄味ながら、住民の間に広がる恐怖、地元警察とパイクの微妙な関係性などが丹念に書き込まれ、リーダビリティはなかなか高い。
パイクが仕掛ける作戦もアイディアとしては悪くなく、今では似たようなトリックがいくつも思い浮かぶけれど、戦前にこの手を用いたのは素晴らしい。
しかしながら最後の最後でまさかの展開。いや、物語としてはちゃんと決着がついているのだけれども、動機について言及が一切ないという大どんでん返し。動機がないのではない。動機についての言及がないのである。ええと、これではミッシング・リンクの意味がないではないか。
まあ、作者本人はミッシング・リンクのつもりがなく、特殊な状況下でのサスペンスが書きたかった可能性もあるのだけれど、このやり場のないモヤモヤ感はどうしてくれる。そもそも子供を殺しておいて、それに対する説明もまったくないというのは、娯楽小説としてどうかと思う。
結論。傑作になりそこねた失敗作。
これまで読んだ長篇には『鑢』『ライノクス殺人事件』『迷路』『Xに対する逮捕状』『エイドリアン・メッセンジャーのリスト』があるが、総じて狙いは面白いものの、それがなかなか結果に結びつかない。それどころか腰砕けに終わる作品も少なくない(なお、『フライアーズ・パードン館の謎』と『殺人鬼対皇帝』は積ん読中)。
つまらないわけではなく、過度な期待さえしなければその技巧を十分楽しめる作品群である。ただし、これだという決定的なホームラン級の作品がないことや、意外に完成度が低かったりで、黄金時代の一線級の作家に比べるとどうしても一枚落ちる感じは否めない。そのせいか、これまでもぼちぼちと紹介はされているのだが、いまひとつ世間の反応も煮え切らない感じである(苦笑)。
本日の読了本はそんなフィリップ・マクドナルドの『狂った殺人』。今までのイメージを覆せるかどうか、期待半分不安半分でとりかかったが……。
まずはストーリー。
英国の田園都市ホームデイルで一人の少年が殺害された。ほどなくして犯人と思われる人物から犯行声明が届く。警察を小馬鹿にしたその内容に関係者は苛立ちを隠せないが、やがて第二、第三の犯行が発生。スコットランドヤードから派遣されたパイク警視は犯人がホームデイルの住人だと考え、ある奇策を思いつくが……。
フィリップ・マクドナルドは初期こそ本格中心だったが、後期はサスペンス系を多く書くようになっていった。本作は1931年刊行なので、時期的には本格のタイミング。しかも無差別連続殺人のミッシング・リンクを扱っているのでかなり期待させるが、残念ながらアプローチは本格というよりサスペンスもしくは警察小説寄りである。
ただ謎解き要素は薄味ながら、住民の間に広がる恐怖、地元警察とパイクの微妙な関係性などが丹念に書き込まれ、リーダビリティはなかなか高い。
パイクが仕掛ける作戦もアイディアとしては悪くなく、今では似たようなトリックがいくつも思い浮かぶけれど、戦前にこの手を用いたのは素晴らしい。
しかしながら最後の最後でまさかの展開。いや、物語としてはちゃんと決着がついているのだけれども、動機について言及が一切ないという大どんでん返し。動機がないのではない。動機についての言及がないのである。ええと、これではミッシング・リンクの意味がないではないか。
まあ、作者本人はミッシング・リンクのつもりがなく、特殊な状況下でのサスペンスが書きたかった可能性もあるのだけれど、このやり場のないモヤモヤ感はどうしてくれる。そもそも子供を殺しておいて、それに対する説明もまったくないというのは、娯楽小説としてどうかと思う。
結論。傑作になりそこねた失敗作。
Posted
on
ジェフ・ライス『事件記者コルチャック』(ハヤカワ文庫)
ジェフ・ライスの『事件記者コルチャック』を読む。
オールドファンならご存じだろうが、『事件記者コルチャック』とは1970年代に放映されたSFテレビドラマである。内容は極めてシンプル。冴えない中年新聞記者のコルチャックが毎回、不思議かつ怪奇な事件に遭遇するが、不屈の記者魂と行動力で事件の真相を突きとめるというものだ。
比較的新しい作品でいうと『X-ファイル』、古くは『ウルトラQ』のような内容を想像してもらえればほぼ間違いはない。
見どころはいろいろあるけれど、まずは主人公コルチャックのキャラクターだろう。私生活はだらしないけれど、一本筋の通った男が上司や警察とぶつかりながらも信念を貫き通す。むちゃくちゃベタだけれども、やはりこういう痛快さは魅力だ。
また、ノリ的にはライトなB級ハードボイルドといったところだが、これにホラー風味が加わるのがミソ。組み合わせの妙といってもよい。シリアスなホラー物ならいくらでも思いつくけれど、こういうライトな味つけでSFホラーを成立させたところが新鮮である。
シリーズの脚本陣にはリチャード・マシスンやロバート・ブロック、ビル・S・バリンジャーといったミステリファンにはお馴染みのライターが揃っているのだが、彼らの果たした役割は決して小さくないはずだ。
本書はそんなテレビドラマの原作本なのだが、実はちょっと成り立ちが複雑である。
本書には「ラスヴェガスの吸血鬼」と「シアトルの絞殺魔」という二つの作品が収められている。そのどちらも本シリーズではなく単発のパイロット版が元になっているのだが、「ラスヴェガスの吸血鬼」は紛れもなくジェフ・ライスの原作。この作品がTVプロデューサーの目にとまり、単発の長篇ドラマが作られた。そのときの脚本を担当したのが、あのリチャード・マシスンである。
そして「シアトルの絞殺魔」はリチャード・マシスンが書いたオリジナル脚本を、今度はジェフ・ライスがノヴェライズしたものである。
つまりTVドラマの原作とノヴェライズがカップリングされているわけで、しかもジェフ・ライスとリチャード・マシスンが相互に関与しているのが面白い。ここにはなかなか複雑な事情があるのだが、要は駆け出しライターのジェフ・ライスが著作権の問題で損をしたため、先輩のマシスンがフォローした結果なのである。このあたりの事情は解説に詳しいので、興味ある方はぜひそちらをどうぞ。
▲ジェフ・ライス『事件記者コルチャック』(ハヤカワ文庫)【amazon】
さて、話を肝心の中身に移すと、テレビ版の雰囲気をしっかり再現した物語となっている(当たり前と言えば当たり前だが)。テレビ版では追い切れない心理描写が多く盛り込まれているので、その分感情移入もしやすいのがいい。
ただ、そうはいっても、派手なアクションシーンなどを読むと、やはり基本的には映像向きの作品だなとは思ってしまう。「ラスヴェガスの吸血鬼」では吸血鬼と警官たちの格闘シーンがあるけれども、吸血鬼が肉弾戦で複数の警官と闘うシーンというのはおそらく初めて読んだはず。吸血鬼を扱っているとはいえ、上で書いたように、ノリはあくまでB級ハードボイルドというのが楽しい。
これでもう少し吸血鬼との決着のつけ方に工夫があるとか、ミステリ的な捻りがあるとなお良かったが、残念ながらそこまでの期待に応えてくれてはいなかった。
そういう意味では「シアトルの絞殺魔」の方が多少なりともテクニカルで、ここにジェフ・ライスとマシスンの差があるといえるだろう。
なお、本シリーズはジョニー・デップ主演で映画化の計画があるという。確かにコルチャックの頑固ながらも軽妙な感じというのは、ジョニー・デップに打ってつけかも。ちょっと楽しみ。
オールドファンならご存じだろうが、『事件記者コルチャック』とは1970年代に放映されたSFテレビドラマである。内容は極めてシンプル。冴えない中年新聞記者のコルチャックが毎回、不思議かつ怪奇な事件に遭遇するが、不屈の記者魂と行動力で事件の真相を突きとめるというものだ。
比較的新しい作品でいうと『X-ファイル』、古くは『ウルトラQ』のような内容を想像してもらえればほぼ間違いはない。
見どころはいろいろあるけれど、まずは主人公コルチャックのキャラクターだろう。私生活はだらしないけれど、一本筋の通った男が上司や警察とぶつかりながらも信念を貫き通す。むちゃくちゃベタだけれども、やはりこういう痛快さは魅力だ。
また、ノリ的にはライトなB級ハードボイルドといったところだが、これにホラー風味が加わるのがミソ。組み合わせの妙といってもよい。シリアスなホラー物ならいくらでも思いつくけれど、こういうライトな味つけでSFホラーを成立させたところが新鮮である。
シリーズの脚本陣にはリチャード・マシスンやロバート・ブロック、ビル・S・バリンジャーといったミステリファンにはお馴染みのライターが揃っているのだが、彼らの果たした役割は決して小さくないはずだ。
本書はそんなテレビドラマの原作本なのだが、実はちょっと成り立ちが複雑である。
本書には「ラスヴェガスの吸血鬼」と「シアトルの絞殺魔」という二つの作品が収められている。そのどちらも本シリーズではなく単発のパイロット版が元になっているのだが、「ラスヴェガスの吸血鬼」は紛れもなくジェフ・ライスの原作。この作品がTVプロデューサーの目にとまり、単発の長篇ドラマが作られた。そのときの脚本を担当したのが、あのリチャード・マシスンである。
そして「シアトルの絞殺魔」はリチャード・マシスンが書いたオリジナル脚本を、今度はジェフ・ライスがノヴェライズしたものである。
つまりTVドラマの原作とノヴェライズがカップリングされているわけで、しかもジェフ・ライスとリチャード・マシスンが相互に関与しているのが面白い。ここにはなかなか複雑な事情があるのだが、要は駆け出しライターのジェフ・ライスが著作権の問題で損をしたため、先輩のマシスンがフォローした結果なのである。このあたりの事情は解説に詳しいので、興味ある方はぜひそちらをどうぞ。
▲ジェフ・ライス『事件記者コルチャック』(ハヤカワ文庫)【amazon】
さて、話を肝心の中身に移すと、テレビ版の雰囲気をしっかり再現した物語となっている(当たり前と言えば当たり前だが)。テレビ版では追い切れない心理描写が多く盛り込まれているので、その分感情移入もしやすいのがいい。
ただ、そうはいっても、派手なアクションシーンなどを読むと、やはり基本的には映像向きの作品だなとは思ってしまう。「ラスヴェガスの吸血鬼」では吸血鬼と警官たちの格闘シーンがあるけれども、吸血鬼が肉弾戦で複数の警官と闘うシーンというのはおそらく初めて読んだはず。吸血鬼を扱っているとはいえ、上で書いたように、ノリはあくまでB級ハードボイルドというのが楽しい。
これでもう少し吸血鬼との決着のつけ方に工夫があるとか、ミステリ的な捻りがあるとなお良かったが、残念ながらそこまでの期待に応えてくれてはいなかった。
そういう意味では「シアトルの絞殺魔」の方が多少なりともテクニカルで、ここにジェフ・ライスとマシスンの差があるといえるだろう。
なお、本シリーズはジョニー・デップ主演で映画化の計画があるという。確かにコルチャックの頑固ながらも軽妙な感じというのは、ジョニー・デップに打ってつけかも。ちょっと楽しみ。
Posted
on
ユージーン・ルーリー『原子怪獣現わる』
もうすぐハリウッド版『ゴジラ』が公開されるが、前評判や予告を見る限りでは日本版ゴジラ映画の世界観やシステムをかなり踏襲しているようで、なかなか期待できそうだ。とりあえず早く観たいぞ。
そんなゴジラ熱を少し静めるために、オリジナルの『ゴジラ』に影響を与えたとされているユージーン・ルーリー監督の『原子怪獣現わる』をDVDで鑑賞する。公開は1953年(日本では1954年)。
こんな話。北極海で行われた米軍の核実験により、太古の世界から眠りについていたリドサウルスという恐竜が目覚めてしまう。リドサウルスは海流にそって移動し、漁船を襲って南下を続ける。だが、恐竜に襲われてかろうじて生き残った証人たちの話を誰も信じようとはしなかった。
そんななか、北極海でかろうじて生き延びたトム博士は、考古学の権威ユルソン教授を説得して、遂にリドサウルスの調査隊を組織させる。だがその調査のさなか、ユルソン教授が海底でリドサウルスに襲われて命を落とす……。
正に古典中の古典。特撮の巨匠レイ・ハリーハウゼンが本格デビューした映画だとか、原作はあのレイ・ブラッドベリの「霧笛」だとか、内容に関係ないところでもポイントは多いため、とにかく語りたくなる映画である。
しかも後発のモンスター映画にいろいろと影響を与えたといわれる作品だけあって、ツボを押さえた作りはさすがのひと言。ホラー映画の定石に沿った恐怖感の煽り方、人間ドラマの組み立てなど、怪獣が出現しなくとも全然成立するぐらい構成がしっかりしているのである。もちろんSFX映像的に時代は感じさせるけれども、怪獣映画のファンなら観ておいて損はない。
なお、確かに共通点はいくつかあるし、多少の情報は入っていた可能性はあるが、『ゴジラ』に影響を与えたという話はかなり怪しいところである。『原子怪獣現わる』の価値は上に書いたように十分認めたうえで、やはり『ゴジラ』はその水準を軽く上回っている。あらためて『ゴジラ』のクオリティーを確認した次第である。
そんなゴジラ熱を少し静めるために、オリジナルの『ゴジラ』に影響を与えたとされているユージーン・ルーリー監督の『原子怪獣現わる』をDVDで鑑賞する。公開は1953年(日本では1954年)。
こんな話。北極海で行われた米軍の核実験により、太古の世界から眠りについていたリドサウルスという恐竜が目覚めてしまう。リドサウルスは海流にそって移動し、漁船を襲って南下を続ける。だが、恐竜に襲われてかろうじて生き残った証人たちの話を誰も信じようとはしなかった。
そんななか、北極海でかろうじて生き延びたトム博士は、考古学の権威ユルソン教授を説得して、遂にリドサウルスの調査隊を組織させる。だがその調査のさなか、ユルソン教授が海底でリドサウルスに襲われて命を落とす……。
正に古典中の古典。特撮の巨匠レイ・ハリーハウゼンが本格デビューした映画だとか、原作はあのレイ・ブラッドベリの「霧笛」だとか、内容に関係ないところでもポイントは多いため、とにかく語りたくなる映画である。
しかも後発のモンスター映画にいろいろと影響を与えたといわれる作品だけあって、ツボを押さえた作りはさすがのひと言。ホラー映画の定石に沿った恐怖感の煽り方、人間ドラマの組み立てなど、怪獣が出現しなくとも全然成立するぐらい構成がしっかりしているのである。もちろんSFX映像的に時代は感じさせるけれども、怪獣映画のファンなら観ておいて損はない。
なお、確かに共通点はいくつかあるし、多少の情報は入っていた可能性はあるが、『ゴジラ』に影響を与えたという話はかなり怪しいところである。『原子怪獣現わる』の価値は上に書いたように十分認めたうえで、やはり『ゴジラ』はその水準を軽く上回っている。あらためて『ゴジラ』のクオリティーを確認した次第である。
Posted
on
水谷準『水谷準探偵小説選』(論創ミステリ叢書)
論創ミステリ叢書から『水谷準探偵小説選』を読む。町医者"瓢庵"を主人公にした捕物帖のシリーズからセレクトした傑作選である。
なんだ捕物帖か、などと言うなかれ。瓢庵捕物帖は本格探偵小説としても成立するだけの内容をもったシリーズであり、食わず嫌いをするにはちょっともったいない。
そもそも捕物帖といってもその内容は意外に幅広い。痛快な娯楽ものから人間ドラマを描いた人情もの、あるいは江戸そのものの姿を描こうとするものまで実にさまざま。そして、そのひとつに本格探偵小説としての捕物帖があり、瓢庵捕物帖は正にそれに該当する。
解説で当時の作家(水谷準、横溝正史、野村胡堂、城昌幸ら)による捕物帖座談会の様子が紹介されているが、そこで水谷準は自ら本格探偵小説としてシリーズを書いていることを認めているし、そればかりか一堂で探偵小説の経験がない時代物系の作家の捕物帖は面白くないとまでぶちあげている(笑)。
ことほどさように探偵作家は捕物帖を探偵小説の一種として捉えているわけで、一般の認識とは一線を画しているのが興味深い。
さて、そこで水谷準の瓢庵捕物帖。まずは収録作から。
「稲荷騒動」
「銀杏屋敷」
「女難剣難」
「暗魔天狗」
「巻物談議」
「般若の面」
「地獄の迎ひ」
「ぼら・かんのん」
「へんてこ長屋」
「幻の射手」
「瓢庵逐電す」
「桃の湯事件」
「麒麟火事」
「岩魚の生霊」
「青皿の河童」
「按摩屋敷」
「墓石くずし」
「丹塗りの箱」
「雪折れ忠臣蔵」
「藤棚の女」
「初雪富士」
「にゃんこん騒動」
「月下の婚礼」
「死神かんざし」
瓢庵捕物帖の最大の特徴はもちろん本格探偵小説としての骨格を備えていることなのだが、とりわけ意識したのがチェスタトンのブラウン神父シリーズだという。
水谷準は探偵小説に必要なものとして、謎解き興味はもちろんだが、それに加えてユーモアだと考えていた。それは単なるギャグとかではなく、社会批判や文明批判の精神を取り入れたもので、そのお手本にしたのがチェスタトンだったようだ。
得てしてユーモアは独りよがりになりがちで、作者が匙加減を間違えると読むのが辛くなってくるものだが、本作は江戸という設定がオブラートとして効いているため、多少の誇張された表現などがむしろ心地よい。
文明批判などと難しく考えなくとも、飄々とした瓢庵先生と香六や豆太郎といったレギュラーメンバーとのやりとりも普通に楽しめる。
もうひとつの大きな特徴は、なんと横溝正史の人形佐七を借用していることである。
瓢庵が町医者という立場だから、それとは別に刑事役が必要だったとか、ブラウン神父の主要登場人物の設定を借用したとか、これまた説はいろいろあるようなのだが、わざわざ他の作者の探偵を借りる理由にはなっていない。
詳細は不明だが、ただ読者にしてみれば、佐七の起用は楽しい試みである。瓢庵が探偵役のときもあれば佐七がメインを務めるときもあるなど、横溝正史に失礼のないようバランスを考えている節もうかがえる。それが内容の変化にもつながっていて結果としては悪くない。
全体的にみるとムラの小さい非常に安定した短編集で、予想以上に楽しく読める。既刊の瓢庵もの四冊の短篇集から佐七が登場するものすべて、短編集未収録の二篇、出来の良い物を集めた傑作選なので、まあ、これでつまらなかったら、それはそれで困るが(苦笑)。
捕物帖にありがちなキャラクターありきというだけでなく、謎の提示があり、それをきちんとロジカルに落とし込んでいく。しかも河童や幽霊、麒麟といった物の怪の謎を多く扱っているのもいい。これも現代物でやりすぎると馬鹿馬鹿しくなるところだが、捕物帖であればすんなり成立するのが便利。
ときとして推理が閃きに頼りすぎたり、新鮮なトリックや仕掛けがあるわけではないという弱さもあるが、各種要素が意外なほどバランスよくまとまっていて、読み物としては十分なレベルだろう。論創ミステリ叢書のなかではおすすめの一冊。
なんだ捕物帖か、などと言うなかれ。瓢庵捕物帖は本格探偵小説としても成立するだけの内容をもったシリーズであり、食わず嫌いをするにはちょっともったいない。
そもそも捕物帖といってもその内容は意外に幅広い。痛快な娯楽ものから人間ドラマを描いた人情もの、あるいは江戸そのものの姿を描こうとするものまで実にさまざま。そして、そのひとつに本格探偵小説としての捕物帖があり、瓢庵捕物帖は正にそれに該当する。
解説で当時の作家(水谷準、横溝正史、野村胡堂、城昌幸ら)による捕物帖座談会の様子が紹介されているが、そこで水谷準は自ら本格探偵小説としてシリーズを書いていることを認めているし、そればかりか一堂で探偵小説の経験がない時代物系の作家の捕物帖は面白くないとまでぶちあげている(笑)。
ことほどさように探偵作家は捕物帖を探偵小説の一種として捉えているわけで、一般の認識とは一線を画しているのが興味深い。
さて、そこで水谷準の瓢庵捕物帖。まずは収録作から。
「稲荷騒動」
「銀杏屋敷」
「女難剣難」
「暗魔天狗」
「巻物談議」
「般若の面」
「地獄の迎ひ」
「ぼら・かんのん」
「へんてこ長屋」
「幻の射手」
「瓢庵逐電す」
「桃の湯事件」
「麒麟火事」
「岩魚の生霊」
「青皿の河童」
「按摩屋敷」
「墓石くずし」
「丹塗りの箱」
「雪折れ忠臣蔵」
「藤棚の女」
「初雪富士」
「にゃんこん騒動」
「月下の婚礼」
「死神かんざし」
瓢庵捕物帖の最大の特徴はもちろん本格探偵小説としての骨格を備えていることなのだが、とりわけ意識したのがチェスタトンのブラウン神父シリーズだという。
水谷準は探偵小説に必要なものとして、謎解き興味はもちろんだが、それに加えてユーモアだと考えていた。それは単なるギャグとかではなく、社会批判や文明批判の精神を取り入れたもので、そのお手本にしたのがチェスタトンだったようだ。
得てしてユーモアは独りよがりになりがちで、作者が匙加減を間違えると読むのが辛くなってくるものだが、本作は江戸という設定がオブラートとして効いているため、多少の誇張された表現などがむしろ心地よい。
文明批判などと難しく考えなくとも、飄々とした瓢庵先生と香六や豆太郎といったレギュラーメンバーとのやりとりも普通に楽しめる。
もうひとつの大きな特徴は、なんと横溝正史の人形佐七を借用していることである。
瓢庵が町医者という立場だから、それとは別に刑事役が必要だったとか、ブラウン神父の主要登場人物の設定を借用したとか、これまた説はいろいろあるようなのだが、わざわざ他の作者の探偵を借りる理由にはなっていない。
詳細は不明だが、ただ読者にしてみれば、佐七の起用は楽しい試みである。瓢庵が探偵役のときもあれば佐七がメインを務めるときもあるなど、横溝正史に失礼のないようバランスを考えている節もうかがえる。それが内容の変化にもつながっていて結果としては悪くない。
全体的にみるとムラの小さい非常に安定した短編集で、予想以上に楽しく読める。既刊の瓢庵もの四冊の短篇集から佐七が登場するものすべて、短編集未収録の二篇、出来の良い物を集めた傑作選なので、まあ、これでつまらなかったら、それはそれで困るが(苦笑)。
捕物帖にありがちなキャラクターありきというだけでなく、謎の提示があり、それをきちんとロジカルに落とし込んでいく。しかも河童や幽霊、麒麟といった物の怪の謎を多く扱っているのもいい。これも現代物でやりすぎると馬鹿馬鹿しくなるところだが、捕物帖であればすんなり成立するのが便利。
ときとして推理が閃きに頼りすぎたり、新鮮なトリックや仕掛けがあるわけではないという弱さもあるが、各種要素が意外なほどバランスよくまとまっていて、読み物としては十分なレベルだろう。論創ミステリ叢書のなかではおすすめの一冊。
Posted
on
『江戸川乱歩の迷宮世界』(洋泉社MOOK)
洋泉社MOOKから出た『江戸川乱歩の迷宮世界』に軽く目を通してみる。江戸川乱歩の生誕120周年にあわせて、 乱歩の人と作品を紹介したガイドブックである。
巻頭は二つのテーマをピックアップ。ひとつは文字どおり乱歩の蔵出し本を写真で紹介する「幻影城に眠るお宝「乱歩本」大公開」、もうひとつは作品に登場する美女たちをイラストでまとめた「乱歩作品を彩る美女図鑑」である。
そして本編は大きく二部構成。第一部は「日本探偵小説を牽引した大乱歩の素顔」と題し、評論家や作家らのエッセイとインタビューをまとめたもの。そしてメインと思われる第二部が「乱歩ワールドの迷宮〜全小説114作品徹底詳解〜」という構成である。
全体的にはこれから乱歩を読もうとか読み始めたばかりの人をフォローするガイドブックと思っていいだろう。したがって本書でなくてはという情報はほとんどない。まあ、乱歩についてはこれまでにもさまざまな評論やガイドが出ていることもあるし、今さらこの手の本に新情報を期待するほうが間違いである。
となると、見るべきポイントは類書と差別化できる切り口の独自性か。巻頭の「乱歩作品を彩る美女図鑑」は悪くない企画で、イラストでヒロインを見せるアプローチが新鮮。いかんせんイラスト・テキスト共にボリュームが少ないのが残念だが、思い切ってこれだけで一冊作っても面白いのではないだろうか。それこそ萌え系でまとめる手もありかと。いや、むしろゲーム化して「乱これ」とか。まあ、売れなくても責任はとれませんが(苦笑)。
使い勝手はまずまず。ガイドブックという性質上、もっと検索性を高めるなどの工夫がほしかったけれども、乱歩のすべての小説をこういう手軽な形でまとめて紹介してくれるのはありがたい。乱歩に興味を持ち始めた人が次のステップに進むための道標として使うには悪くない一冊だろう。
巻頭は二つのテーマをピックアップ。ひとつは文字どおり乱歩の蔵出し本を写真で紹介する「幻影城に眠るお宝「乱歩本」大公開」、もうひとつは作品に登場する美女たちをイラストでまとめた「乱歩作品を彩る美女図鑑」である。
そして本編は大きく二部構成。第一部は「日本探偵小説を牽引した大乱歩の素顔」と題し、評論家や作家らのエッセイとインタビューをまとめたもの。そしてメインと思われる第二部が「乱歩ワールドの迷宮〜全小説114作品徹底詳解〜」という構成である。
全体的にはこれから乱歩を読もうとか読み始めたばかりの人をフォローするガイドブックと思っていいだろう。したがって本書でなくてはという情報はほとんどない。まあ、乱歩についてはこれまでにもさまざまな評論やガイドが出ていることもあるし、今さらこの手の本に新情報を期待するほうが間違いである。
となると、見るべきポイントは類書と差別化できる切り口の独自性か。巻頭の「乱歩作品を彩る美女図鑑」は悪くない企画で、イラストでヒロインを見せるアプローチが新鮮。いかんせんイラスト・テキスト共にボリュームが少ないのが残念だが、思い切ってこれだけで一冊作っても面白いのではないだろうか。それこそ萌え系でまとめる手もありかと。いや、むしろゲーム化して「乱これ」とか。まあ、売れなくても責任はとれませんが(苦笑)。
使い勝手はまずまず。ガイドブックという性質上、もっと検索性を高めるなどの工夫がほしかったけれども、乱歩のすべての小説をこういう手軽な形でまとめて紹介してくれるのはありがたい。乱歩に興味を持ち始めた人が次のステップに進むための道標として使うには悪くない一冊だろう。
Posted
on
V・L・ホワイトチャーチ『ソープ・ヘイズルの事件簿』(論創海外ミステリ)
今週は仕事で東京国際ブックフェアをのぞいてきた。といっても実はブックフェアはついでで、仕事に関係あるのはむしろ併催されている電子出版EXPOやクリエイターEXPO、キャラクター&ブランド ライセンス展、コンテンツ制作・配信ソリューション展などの方。
これらはこの数年で同時開催されるようになってきた展示会だが、今や本家のブックフェアの方が完全に食われている感じである。業界全体の勢いの差があるのはもちろんだが、出版系は見せ方とか熱意とか、こういう場での努力が足りないのではないか。本を並べてポスター貼って終わりというブースが多くて、ううむ、ああいう出展にどれほどの意味があるのか。
このところ変なミステリが続いたから、オーソドックスそうなものということで、ヴィクター・L・ホワイトチャーチの『ソープ・ヘイズルの事件簿』を手に取る。
著者のホワイトチャーチは二十世紀初頭に活躍したミステリ作家(本業は聖職者)。もちろんその時代のミステリ作家の常として、ホームズを避けて通ることはできず、ホームズのライヴァルの一人となるソープ・ヘイズルという探偵を生み出している。
ソープ・ヘイズルは非常な資産家で働かなくても生活できる優雅な身分。余暇はすべて趣味の書籍収集と鉄道にあてている。とりわけ鉄道に関しては趣味の域を超えており、鉄道会社がダイヤ改正に知恵を借りるほどだという。
本書はそんなヘイズルの活躍するシリーズ短編集であり、同時に鉄道ミステリ集でもある。要はヘイズルがその鉄道知識を活かして難事件を解決するという趣向だ。
これだけ専門性のある探偵というのは当時では珍しく、それだけでも興味深いのだが、これまではなぜか乱歩が紹介した「サー・ギルバート・マレルの絵」が知られる程度。これでようやく全貌がわかるわけで、ほんと論創社はよくがんばっておるなぁ。
なお、本書はシリーズ以外の作品も多く含まれている。下の収録作にある「ピーター・クレーンの葉巻」から「盗まれたネックレース」までがソープ・ヘイズルもの、「臨港列車の謎」以下がノン・シリーズである。
Peter Crane's Cigars「ピーター・クレーンの葉巻」
The Tragedy on the London and Mid-Northern 「ロンドン・アンド・ミッドノーザン鉄道の惨劇」
The Affair of the Corridor Express「側廊列車の事件」
Sir Gilbert Murell’s Picture「サー・ギルバート・マレルの絵」
How the Bank Was Saved「いかにして銀行は救われたか」
The Affair of the German Dispatch-Box「ドイツ公文書箱事件」
How the Bishop Kept His Appointment「主教の約束」
The Adventure of the Pilot Engire「先行機関車の危機」
The Stolen Necklace「盗まれたネックレース」
The Mystery of the Boat Express「臨港列車の謎」
How the Express Was Saved「急行列車を救え」
A Case of Signalling「鉄道員の恋人」
Winning the Race「時間との戦い」
The Strikers「ストの顛末」
The Ruse That Succeeded「策略の成功」
これは悪くない。鉄道ミステリというと真っ先に頭に思い浮かぶのが、時刻表を使ったアリバイ崩しあたりだろうが、本書では手を変え品を変え、意外なほどバラエティに富んだ内容で楽しませてくれる。
トリックの質だけを問うならそれほどのものではないのだが、なんせどれもこれも鉄道を利用するトリックという前提があるため、いま読んでもそれなりに物珍しく、オリジナリティは評価できる。
また、パズルに終始するのではなく、それこそホームズばりに冒険小説風に読ませる作品があるのも高ポイント。おそらくワンパターンに陥らないようにという著者の工夫なのだろうが、こういう読者視点を意識しているのはさすがだ。
全体的な物語としてのまとまり、雰囲気なども非常に好ましく、派手なサプライズさえ期待しなければ、古き良き時代のミステリとしておすすめできる一冊。
これらはこの数年で同時開催されるようになってきた展示会だが、今や本家のブックフェアの方が完全に食われている感じである。業界全体の勢いの差があるのはもちろんだが、出版系は見せ方とか熱意とか、こういう場での努力が足りないのではないか。本を並べてポスター貼って終わりというブースが多くて、ううむ、ああいう出展にどれほどの意味があるのか。
このところ変なミステリが続いたから、オーソドックスそうなものということで、ヴィクター・L・ホワイトチャーチの『ソープ・ヘイズルの事件簿』を手に取る。
著者のホワイトチャーチは二十世紀初頭に活躍したミステリ作家(本業は聖職者)。もちろんその時代のミステリ作家の常として、ホームズを避けて通ることはできず、ホームズのライヴァルの一人となるソープ・ヘイズルという探偵を生み出している。
ソープ・ヘイズルは非常な資産家で働かなくても生活できる優雅な身分。余暇はすべて趣味の書籍収集と鉄道にあてている。とりわけ鉄道に関しては趣味の域を超えており、鉄道会社がダイヤ改正に知恵を借りるほどだという。
本書はそんなヘイズルの活躍するシリーズ短編集であり、同時に鉄道ミステリ集でもある。要はヘイズルがその鉄道知識を活かして難事件を解決するという趣向だ。
これだけ専門性のある探偵というのは当時では珍しく、それだけでも興味深いのだが、これまではなぜか乱歩が紹介した「サー・ギルバート・マレルの絵」が知られる程度。これでようやく全貌がわかるわけで、ほんと論創社はよくがんばっておるなぁ。
なお、本書はシリーズ以外の作品も多く含まれている。下の収録作にある「ピーター・クレーンの葉巻」から「盗まれたネックレース」までがソープ・ヘイズルもの、「臨港列車の謎」以下がノン・シリーズである。
Peter Crane's Cigars「ピーター・クレーンの葉巻」
The Tragedy on the London and Mid-Northern 「ロンドン・アンド・ミッドノーザン鉄道の惨劇」
The Affair of the Corridor Express「側廊列車の事件」
Sir Gilbert Murell’s Picture「サー・ギルバート・マレルの絵」
How the Bank Was Saved「いかにして銀行は救われたか」
The Affair of the German Dispatch-Box「ドイツ公文書箱事件」
How the Bishop Kept His Appointment「主教の約束」
The Adventure of the Pilot Engire「先行機関車の危機」
The Stolen Necklace「盗まれたネックレース」
The Mystery of the Boat Express「臨港列車の謎」
How the Express Was Saved「急行列車を救え」
A Case of Signalling「鉄道員の恋人」
Winning the Race「時間との戦い」
The Strikers「ストの顛末」
The Ruse That Succeeded「策略の成功」
これは悪くない。鉄道ミステリというと真っ先に頭に思い浮かぶのが、時刻表を使ったアリバイ崩しあたりだろうが、本書では手を変え品を変え、意外なほどバラエティに富んだ内容で楽しませてくれる。
トリックの質だけを問うならそれほどのものではないのだが、なんせどれもこれも鉄道を利用するトリックという前提があるため、いま読んでもそれなりに物珍しく、オリジナリティは評価できる。
また、パズルに終始するのではなく、それこそホームズばりに冒険小説風に読ませる作品があるのも高ポイント。おそらくワンパターンに陥らないようにという著者の工夫なのだろうが、こういう読者視点を意識しているのはさすがだ。
全体的な物語としてのまとまり、雰囲気なども非常に好ましく、派手なサプライズさえ期待しなければ、古き良き時代のミステリとしておすすめできる一冊。
Posted
on
輪堂寺耀『十二人の抹殺者』(戎光祥出版)
戎光祥出版でスタートした「ミステリ珍本全集」の二巻目、輪堂寺耀(りんどうじよう)の『十二人の抹殺者』を読む。
『本格ミステリ・フラッシュバック』でも紹介されたレア中のレア長篇『十二人の抹殺者』に加え、単行本未収録の中編『人間掛軸』まで収録したスペシャルお買い得版である。
解説でも詳しく書かれているし、既にもろもろの情報がネットには溢れているのだが、このブログは管理人のメモ代わりでもあるので、まずは作者についてまとめておくと、著者の輪堂寺耀は本名、九谷巌雄。昭和二十年代を中心に、尾久木弾歩、東禅寺明などのペンネームでも活躍した探偵小説作家である。
ただし、尾久木弾歩の正体については、当初、戦後の探偵小説誌「妖奇」の発行人、本多喜久夫ではないかと推測されていたらしい。その理由として、「妖奇」にいくつかの作品を発表していたこと、また、本多喜久夫(ほんだきくお)を逆さまに読むと尾久木弾歩(おくぎだんぽ)となることである。
ただ、どうやら本多喜久夫は新人無名の作家の作品を雑誌掲載するとき、勝手に尾久木弾歩というペンネームで載せていたことがあったようで、輪堂寺耀の作品も本人が知らないうちに尾久木弾歩名義で掲載されたことがあったようだ。
解説には探偵小説の有名なコレクター若狭邦男氏による著者インタビューが収録されており、ようやくこのあたりの事情が明らかになっているのだが、それでも不明な点はまだ残されており、すべてが明確になる前に著者が亡くなってしまったことが非常に残念である。
さて、問題の中身である。なんせ「珍本全集」の一冊であることから、読む前の期待と不安はなかなかのものだ。とりあえずこのレア本が読めるというだけで元はとったも同然なのだが、それでもやはりつまらないよりは面白い方がいいに決まっている。
広島市のはずれ、同じ敷地内に隣接する結城家と鬼塚家があった。親戚同士の両家では、鬼塚家の郁夫と結城家の節子が婚約しているものの、その陰では複雑な人間関係があり、それぞれの思惑が交錯していた。
そんな両家のもとへ不審な年賀状が届く。そこには「謹賀死年」や「恐賀新年」、「死にましてお芽出とう」といった、死を予告するかのような文面ばかりが綴られていた。
悪質な冗談と思いきや、やがてこの予告どおりに家族が一人また一人と殺害されてゆく。警察の捜査も難航するなか、病気療養中だった探偵、江良利久一が現れるが……。
いやあ、噂どおりの珍本怪作。
基本的には古き良き本格探偵小説の衣をまとっている作品である。ただし、著者があまりに本格魂に溢れすぎているため、本格探偵小説の備えているエッセンスが極端なまでにデフォルメされてしまって、とんでもなくバランスを欠いた作品となってしまった。
例えば、限定された場所で九件の連続殺人が起き、その多くが不可能犯罪というミステリなど、普通の作家はまず書かない。
二つ三つまではいいだろう。しかし、同じ敷地内の二軒の屋敷でこれだけの殺人事件が起きるという状況は、普通はありえない。そもそも警察が厳重な警戒にあたるはずだし、家族もいったん家を離れそうなものだ。
また、どろどろした人間関係が事件のベースにあるのはよいとして(むしろ、これも本格ミステリにはお約束みたいなところなのだが)、こちらも必要以上にややこしくしすぎている嫌いがあり、いっしょに暮らしている親戚家族なのに平気で「あいつが怪しい」とか警察に証言するなど、どうにもやりすぎの感が強い。
本格探偵小説としては、まずまずコードに沿ったスタイルではあるのだが、度を超すとむしろサスペンスが笑いに転じてしまうという悪しき見本であろう。連続殺人を書くのは全然かまわないけれど、そこまでやるのなら、それなりのリアリティがほしいところだ。
ただ、著者がやりたかったことは十分理解できる。連続殺人に不可能犯罪、屈折した人間関係など、クラシックミステリ好きには堪えられない設定である。しかもひとつの犯罪ごとにトリックの解明をやってくれるという構成なので、本格の割にはテンポもよく、物語を引っ張る力は意外に強い。
肝心のトリック自体はいまひとつなのだけれど、逆密室とか他殺的自殺的他殺とか作中でマニアックなアプローチをしていたり、そのトリックを解明する過程の推理合戦的なところも面白く、最終的にはフーダニットで引っ張るところも悪くない試みだ。
まあ、探偵自身は物語半ばで真相に気づいている旨をのたまうのだが、決め手がないとか言って明らかにせず、そうこうしているうちにさらに犠牲者が増える一方というのはいただけない。これも本格探偵小説の悪しき風習といえるだろうが、探偵が臭わすのはいいとしても、その後の被害者が多すぎである。「おまえ、本当は気づいてなかったんちゃうんか」と思わずツッコミたくなること請け合い。この探偵の使命感というか責任感というのはどうなっているのかはなはだ疑問である。
このように欠点の多い小説ではあるが、昭和初期の本格探偵小説のムードに酔いたいという人であれば、意外に楽しめることもまた確か。要素事態は紛れもなく本格のコードに沿ったものであり、ツボは間違いなく突いているといえる。
といっても、あくまで幻の作品を読んでみたいというディープな人に限った話であり、とても一般のミステリファンにおすすめできる代物ではないけれど(苦笑)。
中篇の『人間掛軸』も同じく江良利久一を探偵役とし、連続殺人を扱った一作。
こちらは犠牲者が掛軸のような状態で殺害されているという、ビジュアル的にも派手な展開であり、コンパクトにまとまっている分、実は『十二人の抹殺者』 よりも読ませる。メイントリックにアレを使うなど、ガッカリするところもあるのだが、雰囲気は『十二人の抹殺者』に勝るとも劣らない。
なお、あえて蛇足と言わせていただくが、実は本書でもっともいただけなかったのは、著者の倫理観というか偏見の部分である。特に遺伝などについては時代性を考慮しても痛い描写が多く、かなり不愉快な部分。
長らく幻の作品だったのは、出来云々よりその部分に問題があったからではないかと思った次第である。
『本格ミステリ・フラッシュバック』でも紹介されたレア中のレア長篇『十二人の抹殺者』に加え、単行本未収録の中編『人間掛軸』まで収録したスペシャルお買い得版である。
解説でも詳しく書かれているし、既にもろもろの情報がネットには溢れているのだが、このブログは管理人のメモ代わりでもあるので、まずは作者についてまとめておくと、著者の輪堂寺耀は本名、九谷巌雄。昭和二十年代を中心に、尾久木弾歩、東禅寺明などのペンネームでも活躍した探偵小説作家である。
ただし、尾久木弾歩の正体については、当初、戦後の探偵小説誌「妖奇」の発行人、本多喜久夫ではないかと推測されていたらしい。その理由として、「妖奇」にいくつかの作品を発表していたこと、また、本多喜久夫(ほんだきくお)を逆さまに読むと尾久木弾歩(おくぎだんぽ)となることである。
ただ、どうやら本多喜久夫は新人無名の作家の作品を雑誌掲載するとき、勝手に尾久木弾歩というペンネームで載せていたことがあったようで、輪堂寺耀の作品も本人が知らないうちに尾久木弾歩名義で掲載されたことがあったようだ。
解説には探偵小説の有名なコレクター若狭邦男氏による著者インタビューが収録されており、ようやくこのあたりの事情が明らかになっているのだが、それでも不明な点はまだ残されており、すべてが明確になる前に著者が亡くなってしまったことが非常に残念である。
さて、問題の中身である。なんせ「珍本全集」の一冊であることから、読む前の期待と不安はなかなかのものだ。とりあえずこのレア本が読めるというだけで元はとったも同然なのだが、それでもやはりつまらないよりは面白い方がいいに決まっている。
広島市のはずれ、同じ敷地内に隣接する結城家と鬼塚家があった。親戚同士の両家では、鬼塚家の郁夫と結城家の節子が婚約しているものの、その陰では複雑な人間関係があり、それぞれの思惑が交錯していた。
そんな両家のもとへ不審な年賀状が届く。そこには「謹賀死年」や「恐賀新年」、「死にましてお芽出とう」といった、死を予告するかのような文面ばかりが綴られていた。
悪質な冗談と思いきや、やがてこの予告どおりに家族が一人また一人と殺害されてゆく。警察の捜査も難航するなか、病気療養中だった探偵、江良利久一が現れるが……。
いやあ、噂どおりの珍本怪作。
基本的には古き良き本格探偵小説の衣をまとっている作品である。ただし、著者があまりに本格魂に溢れすぎているため、本格探偵小説の備えているエッセンスが極端なまでにデフォルメされてしまって、とんでもなくバランスを欠いた作品となってしまった。
例えば、限定された場所で九件の連続殺人が起き、その多くが不可能犯罪というミステリなど、普通の作家はまず書かない。
二つ三つまではいいだろう。しかし、同じ敷地内の二軒の屋敷でこれだけの殺人事件が起きるという状況は、普通はありえない。そもそも警察が厳重な警戒にあたるはずだし、家族もいったん家を離れそうなものだ。
また、どろどろした人間関係が事件のベースにあるのはよいとして(むしろ、これも本格ミステリにはお約束みたいなところなのだが)、こちらも必要以上にややこしくしすぎている嫌いがあり、いっしょに暮らしている親戚家族なのに平気で「あいつが怪しい」とか警察に証言するなど、どうにもやりすぎの感が強い。
本格探偵小説としては、まずまずコードに沿ったスタイルではあるのだが、度を超すとむしろサスペンスが笑いに転じてしまうという悪しき見本であろう。連続殺人を書くのは全然かまわないけれど、そこまでやるのなら、それなりのリアリティがほしいところだ。
ただ、著者がやりたかったことは十分理解できる。連続殺人に不可能犯罪、屈折した人間関係など、クラシックミステリ好きには堪えられない設定である。しかもひとつの犯罪ごとにトリックの解明をやってくれるという構成なので、本格の割にはテンポもよく、物語を引っ張る力は意外に強い。
肝心のトリック自体はいまひとつなのだけれど、逆密室とか他殺的自殺的他殺とか作中でマニアックなアプローチをしていたり、そのトリックを解明する過程の推理合戦的なところも面白く、最終的にはフーダニットで引っ張るところも悪くない試みだ。
まあ、探偵自身は物語半ばで真相に気づいている旨をのたまうのだが、決め手がないとか言って明らかにせず、そうこうしているうちにさらに犠牲者が増える一方というのはいただけない。これも本格探偵小説の悪しき風習といえるだろうが、探偵が臭わすのはいいとしても、その後の被害者が多すぎである。「おまえ、本当は気づいてなかったんちゃうんか」と思わずツッコミたくなること請け合い。この探偵の使命感というか責任感というのはどうなっているのかはなはだ疑問である。
このように欠点の多い小説ではあるが、昭和初期の本格探偵小説のムードに酔いたいという人であれば、意外に楽しめることもまた確か。要素事態は紛れもなく本格のコードに沿ったものであり、ツボは間違いなく突いているといえる。
といっても、あくまで幻の作品を読んでみたいというディープな人に限った話であり、とても一般のミステリファンにおすすめできる代物ではないけれど(苦笑)。
中篇の『人間掛軸』も同じく江良利久一を探偵役とし、連続殺人を扱った一作。
こちらは犠牲者が掛軸のような状態で殺害されているという、ビジュアル的にも派手な展開であり、コンパクトにまとまっている分、実は『十二人の抹殺者』 よりも読ませる。メイントリックにアレを使うなど、ガッカリするところもあるのだが、雰囲気は『十二人の抹殺者』に勝るとも劣らない。
なお、あえて蛇足と言わせていただくが、実は本書でもっともいただけなかったのは、著者の倫理観というか偏見の部分である。特に遺伝などについては時代性を考慮しても痛い描写が多く、かなり不愉快な部分。
長らく幻の作品だったのは、出来云々よりその部分に問題があったからではないかと思った次第である。