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探偵小説三昧

日々,探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすブログ


Posted in 04 2023

イバン・レピラ『深い穴に落ちてしまった』(創元推理文庫)

 イバン・レピラの『深い穴に落ちてしまった』を読む。150ページほどの短い小説だが、まあ、いろいろやってくれる。2017年に単行本で出たものの文庫化なので、まだ記憶に新しいところだとは思うが、作品の内容が内容なので、今回は核心に触れる可能性も高く、未読の方はなるべくご注意ください。

 深い穴に落ちてしまった

 ストーリーはいたってシンプル。森の奥にある深さ7メートルはあろうかという深い穴。そこで二人の兄弟が脱出する方法を考えている。水もなく食べ物もない状況の中、泥水で乾きを潤し、虫で飢えをしのぐ二人。手立てのないまま、やがて二人は精神にも変調をきたし始め……。

 基本的にはほぼこれだけのストーリーだ。ここがどこなのか、どうやって落ちたのか、説明は一切されない。穴の中でできるのは、二人で会話すること、食料となる虫を取ることぐらいだ。穴のてっぺんにはとても届かず、泥土で穴を掘ることも不可能。ただ、兄はとにかく体を鍛えることだけは続けている。二人にできることはあまりに少ないのだ。
 大半をそんな状態で過ごす二人が正気を維持できるはずもない。兄弟は少しずつ変調をきたし、とりわけ弟の壊れ方がやばい。ページ数は少ないけれど、全編穴の中だからとにかく密度が濃くて、徐々に壊れていく様子が実に生々しく、痛々しく描かれる。
 ということで、とりあえず普通に読めば、ある種の心理小説、サバイバル小説として堪能することはできるだろう。弟のセリフなど、一周回って哲学的ですらある。

 しかし、著者の狙いは実はそこではない。そういうエンタメの形をとりながらも、実はあるメッセージを作品に込めているのである。そういう意味では、帯などに書かれた「大人に捧げる寓話」、「現代版『星の王子様』」という読み方も出てくる。
 とにかく仕掛けがかなり多い。メッセージを込めたいがため、さまざまなギミックを盛り込んでくる。いくつか挙げてみると……

・章ナンバーが素数
・その数字に意味を持たせている
・作中に暗号が隠されている
(三つ目の暗号は、さすがに暗号があるといわれないかぎり気づかないけれど、その存在を知っていれば、解くことは意外に難しくはない。しかも、その答えが実は本書内に記載されている)

 上記の仕掛けは連動しているが、極端なことをいえば、ギミックに気づかなくても、意味がわからなくても、そして暗号が解けなくても問題はない。上でも書いたように、きちんと作品を読んでいれば答えは別の箇所に書いてあり、作品の本質を理解できるわけである。そこが親切設計でもあり、著者のあざといところでもある(笑)。

 ただ、これで終わっていれば傑作認定かなと思っていたのだが、そのメッセージが政治的なものであることにちょっと引っ掛かってしまった。こういうのはよほど上手にやらないと正義感がチープに感じられるし、興醒めしてしまうのである。
 本作もまさにその点で損をしている。せっかく「母親」の存在が効いているのに、著者のメッセージがそこにあっさりと答えを出してしまって、まるで幽霊の正体を昼間に見てしまった感じである。そういうメッセージを抜きにして、あくまで作品世界の中で読者に考えさせればむしろ幻想性が増し、より興味深い作品になったろうにと思う次第である。
 兄弟の苦悩をああいう形で見せられた後に、「実は……」とやられてもなぁ、というとわかってもらえるだろうか。


ウィンストン・グレアム『罪の壁』(新潮文庫)

 ウィンストン・グレアムの『罪の壁』を読む。
 著者は翻訳こそ何冊か出ているけれども、結局日本ではブレイクしなかった英国の作家である。しかしながら本国では五十冊以上の著作を出した人気作家で、本作はなんとCWAの第一回最優秀長篇賞受賞作。新潮文庫でスタートしたシリーズ「海外名作発掘 HIDDEN MASTERPIECES」のおかげでようやく陽の目を見たわけだが、リアルタイムで翻訳されていれば、もっといろいろ紹介されたかもしれない。それぐらいの力量はある作家だと思う。

 こんな話。画家になる夢を諦め、今はアメリカで航空機メーカーに勤めるフィリップ。そんな彼の元に考古学者である兄・グレヴィルの訃報が届く。しかし、その死因はアムステルダムの運河で身投げしたことによる溺死であり、その原因は女性関係にあるという。兄の性格を誰よりも知るフィリップは、とても兄がそんなことで自殺するとは信じられず、アムステルダムへ向かう。そこでフィリップは兄の右腕として仕事をしていた男、兄に別れを告げた女性の情報を入手し、さらにイタリアへ向かう……。

 罪の壁

 ああ、これはもう実に、実にオーソドックスな英国の伝統的冒険小説ではないですか。犯罪小説やスリラーという見方もできるだろうけれど、これはもう、しっかり英国の冒険小説。
 欠点もあるのだが、基本的には騎士道精神に溢れ、まっすぐだけれど融通の効かない主人公(笑)。意外に多い心理描写、描写は落ち着いているけれど実は過激なアクション、適度なロマンスとサスペンスとユーモア……そういったものがいい具合にブレンドされ、どの特徴一つとっても決してでしゃばるところがないバランスの良さ、それが英国の伝統的冒険小説の必須条件である。
 もちろん、これらの要素が低水準であればどうしようもないわけで、こういうさまざまな要素を高いレベルで満たしているからこそのバランスの良さである。まさに上質な大人の暇つぶし。

 本作もそういう水準を見事にクリアしており、読み応えはあるのだが、ちょっとケチをつけるとすれば、ややおとなしすぎる嫌いはある。終盤でこそ熱いシーンもあるのだが、3/4ほどはかなり静かな展開で、最近の冒険小説と比べると、若干の物足りなさは否めない。描写が丁寧すぎるのが逆効果になっているところもあるだろう。
 ただ、書かれた時代を考慮すると、それは仕方ないところだろう。むしろ本作は現代的な英国冒険小説の走りとも言えるわけで、むしろ本作があればこそ、その後の冒険小説、たとえばディック・フランシスなどが登場したということもできる。

 強い刺激を望む向きにはちょい薄味かもしれないが、薄味ながら出汁はしっかり出ており、そんな上品な冒険小説でもある。決して読んで損はしないはずだ。


ポール・ケイン『七つの裏切り』(扶桑社ミステリー)

 ポール・ケインの『七つの裏切り』を読む。ウィリアム・F・ノーランやジョー・ゴアズ、ビル・プロンジーニといったハードボイルド界の大物たちが最もハードボイルドだと口を揃え、チャンドラーをしてウルトラ・ハードボイルドと言わしめた作家の短篇集である。作品数が少なく、唯一の長篇『裏切りの街』こそ文庫にもなっているが、これまで短編は雑誌やアンソロジーにしか掲載されておらず、我が国ではこれが初めての短篇集となる。

 七つの裏切り

Black「名前はブラック」
Red 71「“71”クラブ」
Parlor Trick「パーラー・トリック」
One, Two, Three「ワン、ツー、スリー」
Murder Done in Blue「青の殺人」
Pigeon Blood「鳩の血」
Pineapple「パイナップルが爆発」

 収録作は以上。本格ミステリほどではないけれど、ハードボイルドもその定義についてやいのやいの言われることがあるが、個人的にはまず文体、次にその内容ということになろう。具体的には、前者が心理描写のほとんどない簡潔で乾いた文体、後者では私立探偵やギャングといった冷酷非情でタフな人物たちが登場する物語といったところになる。といっても後者は結局なんでもよくて、別にミステリである必要すらない。もともとヘミングウェイが発祥という説もあるし、SFとりわけサイバーパンクとも相性が良い。早い話が解説で木村仁良氏も書いているとおりで、まずは文体が大事であり、それに内容が伴えば最高なのである。

 そういう意味で、ポール・ケインが多くの研究者や作家から評価されるのは十分納得できる。
 収録作の七篇はいずれも裏社会を舞台にしており、大抵はそこで何かの陰謀や犯罪が水面下で企てられている。主人公はふとしたきっかけで、あるいは初めから狙いがあって渦中に飛び込み、そこで波乱を起こすことで関係者を破滅へと招いていく。
 どれも一見ありきたりなストーリー。しかし、いつ爆発するかわからないというピリピリとした緊張感に痺れ、一癖も二癖もありそうな男女がギリギリのところで騙し合い、潰しあう駆け引きのスリルに酔える。おまけに意外に凝った真相も多く、殺伐とした物語なのに、実はカタルシスもかなり高いのだ。

 何より、そういった魅力は文章に支えられている。簡潔でキレッキレの文体、心理描写もほぼないというのは、下手をすると説明不足にも思えるだろう。しかし、それは行動だけで彼らの気持ちを読むということでもあり、同時に行間も読むということである。乾いた文章に隠された内面を味わうことが、ハードボイルドを味わうということに通じるのではないだろうか。

 どれも堪能したけれど、あえて好みを挙げるなら「名前はブラック」と「“71”クラブ」。最初に続けて読んで、その世界観にあっという間に引き込まれる。ホラーのような怖さも味わえる「青の殺人」もいい。


アイザック・アシモフ『永遠の終り』(ハヤカワ文庫)

 アイザック・アシモフの『永遠の終り』を読む。
 SFミステリ読破計画の一環ではあるが、そもそも本作はアシモフの書いた唯一の「時間テーマ」の長篇ハードSFとして有名な作品である。
 ハードSFとは、SF作家の石原藤夫氏によると、「小説の "問題意識", "舞台設定", "展開", "解決"のすべてにおいて, 理工学的な知識に基づいた科学的ないしは空想科学的な認識や手法を生かしたものである。特にストーリーの展開と解決とが科学的論理または手法をもつ空想科学的論理によっていなければならない」としている。
 アシモフの作品も多くがそれに該当すると思うが、ちょっと言いかえると、今の科学技術をベースにして、世界観やテーマ、ストーリー展開も科学的かつ論理的にやり、それが実現可能ではないかと思わせるリアルさを備えたものがハードSFということになる。
 ここで肝となるのが「論理的」というところで、まさにこの点があるからこそ、ロジックを重要な要素とする本格ミステリと相性がいいのかもしれない。アシモフなんかは特にその傾向が強く、なかにはそういう議論ばかりやっている作品もあるほどで、それが本格ミステリの推理や謎ときにも通じ、ミステリ的な味わいが強くなるのだろう。

 永遠の終り

 前置きが長くなったjけれど、そんなわけでストーリーから見ていこう。
 未来の平和と安定のために、時空を行き来して過去を「矯正」する役目をもつ〈永遠人(エターニティ)〉。アンドリュう・ハーランは故郷を離れ、厳しい訓練と教育を受けて、ついに〈技術士〉として生きることになった。
 彼の最初の任務は482世紀の矯正だったが、その世紀で〈普通人〉ノイエスを愛するようになる。しかし、矯正を行うことはノイエスを失うことでもある。そもそも〈普通人〉と恋愛に陥ることがすでにタブーであり、ハーランは苦悩する。そしてとうとうある結論に行き着くが、そのとき彼はすでに大きな企みの只中に巻き込まれていた……。

 先に結論から書いておくと、これはやはり名作である。
 世界の安定のために、何千世紀にもわたる時代を観察し、将来に問題を起こしそうな事案があれば〈矯正〉するというアイデアが面白いし、そもそもそれって倫理的にどうよ?という問題もある。また、それを司る機関が実は盤石ではなく……というのも予想はできたけれど、では具体的にどういう事態に発展するかとなると、これはまったく予測外。
 アシモフはそんな時間の管理者たる組織の矛盾を晒すことで、人類の発展がどうあるべきか提議してくれるのである。人類の幸せのためには多少の個人の犠牲はやむをえない。ありがちなテーゼではあるが、それをひっくり返すきっかけになるのが、結局、主人公の色恋沙汰というのも皮肉で面白い。とはいえ、それも……。

 ただ、褒めておいてなんだが、とっつきは悪い(笑)。
 特に第一章は辛い。世界観もまったく把握できていないところに、オリジナルのSF用語が頻出し、しかも主人公のハーランがすでにある計画を実行し始めているところから幕を開けるので、正直、何がなんだかわからない。悲しいかな、個人的にはシーンをイメージすることすら難しかった。
 流れが変わるのは第二章に入ってからで、ここからハーランの半生が語られ、ようやくこの世界がどうなっているのか少しずつ理解できるようになる。中盤に入る頃にはハーランの目的もわかり、物語の方向もなんとなく掴めた気になって、俄然面白くなってくるのはこの辺りから。そして後半は、ハーランがすべてを賭けて挑んだ先にあるものがとてつもなく大きな企みであったことが判明し、さらに事態は二転三転する。そして、その種明かしが実にスリリングで、確かにミステリ好きにも楽しめる内容であった。

 ひとつ欲を言えば、主人公の性格がもう少し良ければ、より楽しめたとは思う。〈技術士〉というのがそもそも性格の良い人間には務まらないような職種なのだけれど、ハーランの場合、非人間的というより自分勝手なところばかりが目についてしまう。もう少し正直で明朗な性格であれば、よりストーリーとしては盛り上がるし、ノイエスとの悲恋も際立ったろうに。そこだけは残念だった。

 それにしても久々にアシモフのSFを読み、それがファウンデーション・シリーズやロボットシリーズなど、すべてのシリーズの起点となる作品だったということで、今度は物語の時系列でシリーズを読みたくなってしまうから困ったものだ。


ジェリイ・ソウル『時間溶解機』(ハヤカワSFシリーズ)

 SFミステリ読破計画を一歩進める。ものはジェリイ・ソウルの『時間溶解機』。1959年の本なので著者名はジェリイ・ソウル表記だが、今ではジェリイ・ソールとする方が一般的だろう。とはいえ著者の邦訳はすべて品切れもしくは絶版であり、すっかり忘れられた作家になってしまったので、どちらが一般的というほどのことでもないのだけれど。

 ただ、この作家、SF作家のかたわらチャールズ・ボーモントのゴーストや別名義で、『トワイライト・ゾーン』や『ヒッチコック劇場』、『アウター・リミッツ』といったテレビドラマの脚本も執筆しており、SFファンだけではなくミステリファンも覚えておいて損はない名前だ。
 先に挙げたSFドラマもそうだけれど、ガチガチのハードSFというよりはサスペンスやストーリー性を重視するタイプの作家であり、解説ではウールリッチばりの上手さがあるとまで激賞しているほどなのだ。

 時間溶解機

 まずはストーリー。男が目を覚ますと、そこはモーテルの一室。見も知らぬ女が横に寝ていたが、昨夜の記憶は一切ない。これはやらかしたかとばかり、男はモーテルから慌てて飛び出したが、何気なくショーウインドウに映った自分の姿を見て驚いた。そこには十歳ぐらいは老けてしまった自分の姿があったのだ。
 一方、モーテルに残された女は、慌てて部屋を出て行った人物が、まったく見知らぬ男だったことに衝撃を受けていた。自分はあの見知らぬ男と一夜を過ごしたのか? しかし、その記憶がまったく思い出せないどころか、彼女は大変なことに気がついた。部屋のカレンダーの日付が、彼女が眠りについた日付から十年も経過していたのである。いったい二人に何が起こったのか……。

 作風をウールリッチに喩える理由がよくわかった。記憶喪失を扱ったストーリーは当時の定番ともいえるネタであり、主人公たちがどうやって失われた時間を取り戻すのか、その間に起こった事件をどう解決するかというのがミソになる。普通はもっぱらサスペンス小説に使われるこのパターンを、著者はけっこう手慣れた感じで、SFとして用いている。
 内容は悪くない、記憶喪失テーマそのものは珍しくないものの、これをミステリではなくSF的解釈で解決しようとするからそれなりに新鮮で面白い。ストーリーもテンポよく展開するし、何より主人公の男女がしっかりと状況を把握し、考えてから行動するのが好ましい。おバカなキャラクターを主人公にすることでトラブルを発生させ、ストーリーを展開させるようなパターンが好きではないので、この設定は非常にストレスなく読めてよかった。

 ただ、実をいうと本作のSF的要素は、主人公たちの記憶喪失の原因でもある「時間溶解機」のみ。タイトルがそのままネタバレになっているわけだが、まあ、そういうSF的興味で読む本ではなく、主人公たちが事件を解決していくハラハラドキドキを楽しむ類の本なのでよしとしよう。
 そういう意味で本作は、SFミステリとは呼べるけれど、かなりミステリ寄りであり、「ハヤカワSFシリーズ」ではなく、「ハヤカワミステリ」で出すべき本だったような気がする。

 SFミステリとしては弱いし、サスペンスでもぶっちゃけウールリッチの域には及ばないかなと思うけれど、それなりの楽しさはある一冊だった。特にラストのエピソードはけっこう気が利いていてオシャレでありました。


連城三紀彦『黒真珠 恋愛推理レアコレクション』(中公文庫)

 連城三紀彦の短篇集『黒真珠 恋愛推理レアコレクション』を読む。解説には「これがおそらく連城三紀彦最後の新刊」と書かれており、実際、書籍化されていない作品はもう短編がいくつかぐらいしか残っていないようだ。そういう状況で刊行される短篇集だから、本書もおそらく落穂拾い的なものかと思っていたが、これがどうしてどうして、十分に楽しめる短篇集であった。

 黒真珠

I 部
「黒真珠」
「過剰防衛」
「裁かれる女」
「紫の車」
「ひとつ蘭」
「紙の別れ」
「媚薬」

II 部
「片思い」
「花のない葉」
「洗い張り」
「絹婚式」
「白い言葉」
「帰り道」
「初恋」

 収録作は以上。I部は短篇、II部は掌篇という二部構成になっており、初期作品から晩年の作品までまんべんなく採られている。ただ、せっかくそういう作品が採られているなら、単純に表年代順に並べた方が作品の変遷などが理解しやすくなって良かったのではないかな。短篇・掌篇という二部構成が悪いとは言わないが、この分け方にあまり意味があるように思えなかった。

 まあ、編集方針はともかくとして、各作品は先に書いたように楽しめるものばかりである。連城三紀彦はミステリで作家生活をスタートさせ、途中で恋愛小説に移って一般層にもブレイクし、最後はまたミステリに戻ってきた。とはいえ連城のミステリはそもそも恋愛を扱ったものが多く、男女の恋愛模様の機微などが鮮やかに描写され、それがミステリ要素と綺麗に融合し、抒情性の豊かなミステリとして結実している印象である。
 逆に恋愛小説として書かれた作品の場合でも、直接的な犯罪を描いていないというだけで、普通にミステリとして読んでも楽しめるものが多く、あまりジャンルで敬遠したりする必要はないだろう。まあ管理人の読んだ範囲での感想なので、もしかするとバリバリの恋愛小説があるかもしれないが、それはそれとして(苦笑)。

 とりあえず短編中心のI部の作品だけ、簡単に感想をまとめておこう。
 まずは表題作の「黒真珠」。不倫中の女性が、不倫相手の妻から「夫と結婚してほしい」という奇妙な要求を告げられる。ドロドロした関係の上で繰り広げられる心理戦、それをサラッと美しくまとめる描写力がさすがである。
 「過剰防衛」は異常心理ものといってもよい。掌篇だが、その内容は長篇にだって膨らませられるほどの内容で、著者の気前の良さに感心する。
 「裁かれる女」は傑作。売れない女性弁護士のもとに突然現れ、殺人を告白して弁護を依頼する男。彼は女性弁護士の学生時代の同級生でもあったのだが……いわゆる密室劇で、男の狙いが何なのか、高まる興味をかわすかのように最後は背負い投げ〜、という逸品。そのまま一幕ものの芝居にしたら面白そう。
 「紫の車」は奇妙な味のサスペンス。不倫相手と旅行中の夫が、妻の交通事故死の連絡を受ける。妻は自分の不倫を疑っていたのではという疑念があった夫だが……。死んだ配偶者の知られざる一面を描く小説はいろいろあるが、著者ならではの構図の反転が妙。
 「ひとつ蘭」も傑作。旅館の若女将の前に現れたみすぼらしい年配の女性客。彼女は若女将の姑でもある女将の知り合いのようだったが、ただならぬ因縁があるようで、女将と会えずにほっとしているようだった。そして、いつしか若女将の悩みを聞き出していくのだが……。ほぼほぼ普通小説の体だが、この味わいでミステリ的なサプライズを用意してくるのが見事としかいいようがない。
 なお、「紙の別れ」だけは、この「ひとつ蘭」を読んだ後に読むように。最初は混乱するかもしれないが、この順番で読まないとちょっともったいない。
 「媚薬」は著連城作品らしさもありながら、ちょっと俗っぽい話。これはテレビだラマ向きか。

 それにしても、男性なのにこれだけ女性の側から艶っぽい不倫話ばかりを描き、それでいてトリッキーな話にまとめる技術には、毎度のことながら感嘆するしかない。II部の作品も短いながら楽しめるものばかりで、これはやはりおすすめである。


梶龍雄『若きウェルテルの怪死』(講談社ノベルス)

 「トクマの特選!」が今月は『若きウェルテルの怪死』を復刊するというので、手持ちの中から掘り出してひと足お先に読んでみる。

 こんな話。若手編集者の“私”は、上野近辺の小さな飲み屋で金谷という老人と知り合いになり、ある時、若い頃に推理小説になりそうな体験をしたと聞かされる。その頃の日記があるというので、“私”はさっそくそれを読ませてもらったが……。
 ということで、本編では金谷青年が語り手となり、ある事件の顛末が語られる。金谷は当時、仙台にあった
旧制二高に入学し、寮生活を送っていた。特に親しくしていたのは同級生の掘分、そして掘分の下宿先である大平先生の一家や知人であった。ところがある日、掘分の自殺事件が起こり……というのが序盤の展開だ。

 若きウェルテルの怪死

 著者の青春ミステリは多いけれども、とりわけ旧制高校やその時代を舞台にした作品は傑作が揃っており、本作もなかなか悪くない。
 掘分の死の背後にあるものは何か。時代ゆえの思想や政治的な問題が見え隠れするものの、それは作品に厚みを与えつつも、実は著者の狙うところではないだろう。むしろ素直に、複雑な時代に生きた若者の葛藤や悩みを描くことに著者の目は注がれているのではないか。
 主人公の金谷は旧制高校の生徒には珍しく、意外にノンポリ系で、しかも純朴さがまだ残っている。そんな彼が時代の波に洗われ、次第に社会の裏を知り、大人になっていく様子(けどなりきれない)が鮮やかに描かれ、梶龍雄の巧さを再認識させてくれる。

 謎解きミステリとしては、他の旧制高校シリーズに比べると、やや落ちるかもしれない。
 青春ミステリではあるけれど、登場人物に学生は意外に少なく、歴史学者の大平一家を中心にした上流階級と労働者、官憲などさまざまな立場、思想の人々が登場する。そして表面だけではわからない各人の正体が少しずつ明らかになり、物語の展開によって徐々に排除されていくため、ミステリとしてはどうしても先が読みやすくなってしまうのである。
 構図的にはもともとシンプルなので、本格ミステリという観点では少し物足りなさが残った。

 だが先に書いたように、不穏な時代を生きる青年を描いた青春ミステリとしては悪くない。ストーリーとしては動きもあって面白く読めるし、主人公も変に熱血的・政治的なキャラクターに設定されていないため(それがもどかしいところでもあるのだが)、読者としては共感しやすい。何より主人公の設定がストーリー的にうまく機能している。この主人公だからこそ、このストーリーが生きたという感じである。
 ラストのちょっとしたサプライズも後味がよく、読んで損はない一冊。カジタツファンであればもちろん必読である。

 なお、日記の部分と金谷老人の補足部分が一行空きぐらいで流されるのは、けっこう紛らわしい。文体が変わるとはいえ、最初はちょうど詩まで挿入されたりするものだから、うっかり日記のつもりでしばらく読んでしまったよ(笑)。復刻される徳間文庫では罫線入れるとか、多少何か処理されていると親切かも。まあ、原作の形を崩すわけにはいかないから、それは無理な注文か。


エヴァン・ハンター『暴力教室』(ハヤカワ文庫)

 エヴァン・ハンターの『暴力教室』を読む。映画化もされている有名な作品だが、これが恥ずかしながら初読である。
 言うまでもなくエヴァン・ハンターはエド・マクベインの別名義。むしろハンター名義の方で先にブレイクしており、そもそもこっちが本名である。
 不思議なのは『暴力教室』でようやく名前の売れたハンターなのに、あえてマクベイン名義で87分署を書いたことだ。『暴力教室』と87分署の第一作『警官嫌い』の刊行時期はけっこう近いので、『暴力教室』が売れるかどうかは関係なく、既に『警官嫌い』が別名義で出ることは決まっていたのかもしれない。あるいはマクベイン名義は87分署をはじめとするミステリ用、ハンター名義は主に普通小説用みたいな路線を決めていたのか、それとも出版元との契約上の絡みでそもそも別名義で出す必要があったのか。まあ、ハンターは若い頃からいくつかペンネームを使っていたらしいので、そこまで深い理由はないのだろうけれど。

 暴力教室

 そんなことはともかく『暴力教室』。まずはストーリーから。
 ニューヨークの実業高校に赴任してきた新人教師リチャード・ダディエ。希望を胸に教職を選んだ彼だったが、現実は厳しいものだった。差別やいじめ、暴力が蔓延し、始業式の日には新任女性教師が生徒に襲われそうになる始末だ。とてもまともに授業を行えるような状況ではなかったが、ダディエはそれでも生徒の心を開こうと働きかけていく……。

 校内暴力を何とか改善しようと闘う若い男性教師の物語。今となっては東西問わず手垢がつきまくったテーマだし、1950年代という少し古い作品なのだが、なめてかかるとエラい目に遭う。
 それこそ校内暴力のタイプが根本的に日本と異なるのだろう。当時のアメリカの差別や貧困、ギャングといった社会問題が背景にあり、暴力や不良生徒のレベルが強烈である。陰湿さとかは日本の最近のいじめなどの方がそれはそれでエグいのだが、当時のアメリカの非行はもっと単純だけれど、そのままギャング予備軍とでもうべきストレートな怖さがある。クラス中の非行生徒を立ち直らせるという行いは、一介の教師の手に余るものであり、教育の範疇を超えたものなのだ。
 そんな過酷な状況を描く著者の筆力がすごい。87分署シリーズとはまた違ったベクトルというか、凝ったところはないけれど、もっとシンプルで辛口。
 正直、救いのなさと重苦しさに、今回は読む手が途中でかなり止まった。掘り下げが強烈なことに加え、一歩進んで二歩下がるというような、主人公に襲いかかる苦悩の波がとにかく堪えるのである。
 ラストは主人公の努力が一応は報われた形で終わり、ひとまずホッとはできるものの、実はこれが決して終わりでないことは自明の理だろう。これはあくまで一時的な勝利であり、生徒や教師のの将来はまだまだ混沌としているのだ。だが、それでも、この小さな希望の灯りがあるからこそ、人は前に進もうとするのだろう。
 決して楽しい物語ではないけれど、ハンター=マクベインの代表作と言われる理由は確かにある。

 なお、本作はまったくミステリではないので念のため。


ロス・マクドナルド『一瞬の敵』(ハヤカワミステリ)

 ロス・マクドナルドの『一瞬の敵』を読む。ロスマク読破計画一歩前進。これでラスト四冊、創元の短篇集を入れると残り五冊となった。
 まずはストーリーから。

 私立探偵リュウ・アーチャーの元に舞い込んだ新たな依頼は、銀行でPR部長を務めるキース・セバスチャンからのものだった。十七歳になる娘のサンディが不良の青年デイヴィと共に姿をくらませたというのだ、しかもショットガンと銃弾も無くなっているという。
 アーチャーはサンディの友人から、彼女が「死にたい」と漏らしていたこと、デイヴィの住んでいるところを聞き出し、さっそくデイヴィの家へ向かうが……。

 一瞬の敵

 これは濃いなあ。アーチャー・シリーズの後期作品をより煮詰めたような作品で、当時アメリカで大きな問題となっていたBroken Familyをテーマに、夫婦関係や父と子、母と子、家族諸々の複雑な人間関係を徹底的にえげつなく描いている。
 しかも、それぞれの家族問題には裏があり、本格顔負けのトリッキーな展開と意外な真相。ネタがてんこ盛りだが、そのくせボリュームはいつもより少ないせいで、いろいろな面で味つけが濃くなり、結果として疾走感や酩酊感が半端ないのである。

 ただ、正直なところ、少しやりすぎ、詰め込みすぎの感は否めない。『さむけ』『縞模様の霊柩車』あたりの代表作に比べると、完成度でやや落ちる。特にデイヴィは中心人物の一人だが、過去の事件は興味深いのに人間的な掘り下げが甘く、ちょっと物足りなさが残る。
 その分、といってはなんだが、サンディについては力が入っており、これは著者のプライベートな部分、すなわち娘の問題がストレートに反映されているからだろう。サンディの体験は非常に痛ましいものだが、そんな娘をどう扱っていいのか途方に暮れるばかりの父キースに対し、サンディが最後に僅かながら見せる仕草に、微かな希望を見出せて少し安心する。

 ということで、ロスマク後期の特徴をいつも以上に煮詰めた本作。欠点も多少あるけれど、好きな人にはたまらない一作といえるだろう。




ジョエル・タウンズリー・ロジャーズ『恐ろしく奇妙な夜』(国書刊行会)

 国書刊行会で再開された〈奇想天外の本棚〉だが、当初に発表されていた第一期作品でもとりわけ気になっていたのが本書、ジョエル・タウンズリー・ロジャーズの『恐ろしく奇妙な夜』である。理由はいうまでもなく、いったい何を読ませてくれるのだろうという作品への期待から。
 古くは『赤い右手』、最近では同人出版ながら『死の隠れ鬼』という中短篇集があり、どちらも面白いという言葉ぐらいでは済まされない、非常に個性的な探偵小説であった。これは果たして著者の狙いなのか、それとも無意識に書き殴った結果なのか、どうにも判然としないところがあるのだが、その混沌としたところがとてつもなく魅力的だったのだ。

 恐ろしく奇妙な夜

The Little Doll Says Die!「人形は死を告げる」
The Hanging Rope「つなわたりの密室」
The Murderer「殺人者」
Kiliing Time「殺しの時間」
Two Deaths Have I「わたしはふたつの死に憑かれ」
Night of Horror「恐ろしく奇妙な夜」

 収録作は以上。
 本書は日本オリジナル編集の中短篇集で、本格ミステリありサスペンスありSFありのバラエティ豊かなラインナップ。これまでの邦訳作品同様、ロジャーズならではの味わいがどの作品にも濃厚で、実に面白く読むことができた。
 とにかく最初は何が起こっているのかわからない。多くの作品は事件の只中から始まって、主人公が誰かもはっきりしないし、その主人公が被害者なのか探偵なのか犯人なのか、そういうこともわかりにくい。おまけに時系列の入れ替え、思わせぶりな描写、恐怖を煽るような描写を多用するハイテンションな文体などなどが、さらに混乱をエスカレートさせる印象である。
 しかし、これらが結局ロジャーズの武器であり、読者を惑わすためのの一手なのだと、本書を読んで改めて思うようになった。元々のアイデアがまず秀逸なのだが、ロジャーズはそれをどういう形で見せればより効果的なのかを考えており、その結果としての数々の演出なのだ。
 ただ、そういう仕掛けや狙い、演出は良いのだが、実際にそれを文章に落とし込む技術が荒っぽい。それがわかりにくさに直結しているのではないか。とはいえ、そのわかりにくさがまた変な魅力になっているのが困ったところである(笑)。
 以下、作品ごとに簡単なコメント。

 「人形は死を告げる」は戦争から帰還した夫が、妻の行方を探す物語。土産に持って帰ってきた人形が暗示するものは何か、見つかりそうで見つからない妻に、主人公は気楽なものだが、読者としては不吉なイメージしかなく、そうなれば著者の思うツボである。

 「つなわたりの密室」は以前にアンソロジー『密室殺人コレクション』で既読だが、ロジャーズのクセがわかった今回の方が全然楽しめた。シンプルな作りにしてもそれなりに面白い作品なのだが、とにかくストーリーの捻り方が強烈で、そのため序盤のわかりにくさが酷く、評価の分かれるところだろう。個人的には嫌いではない。

 「殺人者」もなかなかいい。妻の死体の前で茫然とする主人公。その場を去ってしまおうとするが、そこへちょうど現れたのが保安官補が主人公に質問するというシンプル設定。普通に考えれば、主人公が犯人で警部補からどうやって逃げるかというサスペンスを連想するところである。しかし、心理や事実を明確にしないまま会話が展開するため、主人公が犯人なのか犯人でないのか読者の混乱は必至。果たして……というところで披露するオチがお見事。

 「殺しの時間」は作家志望の青年の物語。犯罪小説の雑誌編集長宛に原稿を送ったところ、その編集長が現れたが……というストーリーはありがちだが、編集長が現れる前のアパートでのトラブルがミソ。ちょっと偶然要素が強すぎるので、コントみたいな印象を受けてしまうのが惜しい。

 「わたしはふたつの死に憑かれ」は珍しくも本格ミステリの味わい。ラジオ局でミステリドラマの脚本を手がける主人公は、上司に呼び出され、今日の放送には投稿されたものを使うと通達される。その原稿を読んだ主人公は驚愕した。その内容が、自分が子供の頃に遭遇した事件とそっくりだったからである。事件を思い出した主人公は。原稿にどこか違和感を抱くのだが……。

 「恐ろしく奇妙な夜」はSFモンスターもの。災害全体を描かず、一市民のエピソードだけで切り取る手は最近でこそ多くなったような気がするが、当時はけっこう珍しかったのではないか。物語性は低いけれども、独特の迫力はこのスタイルならではだろう。


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ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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