Posted in 08 2022
江戸川乱歩の生んだ名探偵・明智小五郎の活躍を、物語発生順にまとめた〈明智小五郎事件簿〉。その戦後編の二冊目にあたる『明智小五郎事件簿 戦後編 II 「化人幻戯」「月と手袋」』を読む。といっても実は戦前編が終わったときに、大人ものの長編だけでも続きを読みたくなり、『化人幻戯』はそのときに読んでしまっている。もちろん再読する手もあるのだが、まだ記憶が新しいので今回はパスし、久々の再読となる「月と手袋」の感想のみ残しておく。
※『化人幻戯』はこちらの感想をご参照ください。

さて、「月と手袋」だがこんな話。主人公のシナリオ・ライター北村は、あるとき知人の股野に呼び出される。股野は元男爵ながら、今では映画界のスキャンダルを利用して高利貸しを営む映画ゴロ。北村は股野の妻で元女優のあけみと不倫関係にあり、股野はそれをネタに慰謝料五百万を要求してきた。とてもそんな金は払えない北村は股野と口論になり、やがて掴み合いの乱闘の果てに、股野を絞め殺してしまう。
北村はその場を目撃していたあけみを説得し、強盗による殺害事件に偽装。一時は完全犯罪が成功するかに思われたが、なぜか一人の警部が馴れ馴れしく二人につきまとうようになる。そして、その裏には明智の存在があった……。
いわゆる倒叙もの。殺人を犯した主人公・北村の心理描写と、完全犯罪を警察&明智がどう崩していくかが読みどころである。
まず前者について見ていくと、戦前には同じく倒叙の『心理試験』という傑作もあるが、乱歩はこういうネチネチした心理描写がもともと得意な作家である。本作も花田警部に追い詰められていくあたりの焦燥感は生々しくていいのだが、突発的に起こった殺人のため、犯罪に至るまでの心理描写が物足りない。
実はこういう事態を北村は常々予想しており、そのために偽装工作もイメージどおり素早くできたという説明があるのだが、それなら余計に犯行以前の部分も掘り下げるべきだったろう。短篇ゆえに難しいところではあろうが。
一方、完全犯罪を警察&明智がどう切り崩すかという部分では、さらに苦しい。以前に読んだときは犯人の心理描写だけで十分満足していたのだが、今回久々に読んで気になったのが、警察&明智はどの時点で北村が怪しいと気づいたのか、ということ。刑事コロンボの例を見るまでもなく、倒叙における気づきは重要なポイントである。犯人はもちろん、読者も見落としてしまった犯行のミス、それを探偵が気づいて披露する面白さ、である。物語のラストで犯人が「どうして警部は僕が犯人だと思ったのか?」なんて聞いたりして、コロンボがそれにドヤ顔で答える場面などは最高の見せ場のはず。本作には悲しいかな、その気づきがない。
また、この事件では花田警部が語るように物証がない。そこで心理的に北村たちを追い詰める手に出るのだが、それは気づき、根拠、確証などがあるから許されるのであって(いや、本当はそれもあかんけどね)、これでは警察が犯人を殴って自白させるのと同じで、本格ミステリとしての意味が失われてしまう。
一見すると迫力もあるし悪くない作品なのだが、あらためて読んで少し残念な気持ちになった。
※『化人幻戯』はこちらの感想をご参照ください。

さて、「月と手袋」だがこんな話。主人公のシナリオ・ライター北村は、あるとき知人の股野に呼び出される。股野は元男爵ながら、今では映画界のスキャンダルを利用して高利貸しを営む映画ゴロ。北村は股野の妻で元女優のあけみと不倫関係にあり、股野はそれをネタに慰謝料五百万を要求してきた。とてもそんな金は払えない北村は股野と口論になり、やがて掴み合いの乱闘の果てに、股野を絞め殺してしまう。
北村はその場を目撃していたあけみを説得し、強盗による殺害事件に偽装。一時は完全犯罪が成功するかに思われたが、なぜか一人の警部が馴れ馴れしく二人につきまとうようになる。そして、その裏には明智の存在があった……。
いわゆる倒叙もの。殺人を犯した主人公・北村の心理描写と、完全犯罪を警察&明智がどう崩していくかが読みどころである。
まず前者について見ていくと、戦前には同じく倒叙の『心理試験』という傑作もあるが、乱歩はこういうネチネチした心理描写がもともと得意な作家である。本作も花田警部に追い詰められていくあたりの焦燥感は生々しくていいのだが、突発的に起こった殺人のため、犯罪に至るまでの心理描写が物足りない。
実はこういう事態を北村は常々予想しており、そのために偽装工作もイメージどおり素早くできたという説明があるのだが、それなら余計に犯行以前の部分も掘り下げるべきだったろう。短篇ゆえに難しいところではあろうが。
一方、完全犯罪を警察&明智がどう切り崩すかという部分では、さらに苦しい。以前に読んだときは犯人の心理描写だけで十分満足していたのだが、今回久々に読んで気になったのが、警察&明智はどの時点で北村が怪しいと気づいたのか、ということ。刑事コロンボの例を見るまでもなく、倒叙における気づきは重要なポイントである。犯人はもちろん、読者も見落としてしまった犯行のミス、それを探偵が気づいて披露する面白さ、である。物語のラストで犯人が「どうして警部は僕が犯人だと思ったのか?」なんて聞いたりして、コロンボがそれにドヤ顔で答える場面などは最高の見せ場のはず。本作には悲しいかな、その気づきがない。
また、この事件では花田警部が語るように物証がない。そこで心理的に北村たちを追い詰める手に出るのだが、それは気づき、根拠、確証などがあるから許されるのであって(いや、本当はそれもあかんけどね)、これでは警察が犯人を殴って自白させるのと同じで、本格ミステリとしての意味が失われてしまう。
一見すると迫力もあるし悪くない作品なのだが、あらためて読んで少し残念な気持ちになった。
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野呂邦暢『野呂邦暢ミステリ集成』(中公文庫)
ここ数年、中公文庫がミステリ・プロパーでない方面からミステリに関連するような作品を刊行している。ざっと挙げるだけでも、
野呂邦暢『野呂邦暢ミステリ集成』
野口冨士男『野口冨士男犯罪小説集 風のない日々/少女』
曽野綾子『ビショップ氏殺人事件 曽野綾子ミステリ傑作選』
中央公論新社/編『開花の殺人 大正文豪ミステリ事始』
中央公論新社/編『事件の予兆 文豪ミステリ短篇集』
ウィリアム・フォークナー『エミリーに薔薇を』
アントン・チェーホフ『狩場の悲劇』
井上靖『殺意 サスペンス小説集』
……といったところがあるのだが、これに加えて鮎川哲也や日影丈吉、橘外男、ポーといった完全なミステリ畑、さらにはミステリではないが吉行淳之介の『娼婦小説集成』、大岡昇平の『歴史小説集成』、長山靖生編纂のアンソロジーといった作品集もあったりして、まあなんとも唆るラインナップ。それまでの、いわゆる復刻ブームとは違った流れだとは思うが、この路線も負けないぐらい魅力的だ。ゆっくりとでいいので、ぜひ今後も続けてほしいものである。
そんな中から本日は『野呂邦暢ミステリ集成』を読んでみる。野呂邦暢は長崎県諫早市を拠点に活動した純文学畑の作家で、芥川賞も受賞している。以前に光文社文庫のアンソロジー『古書ミステリー倶楽部』で一作だけ読んだことがあるので、ミステリも書いていたことは知っていたが、こうして一冊にまとまるほどあるとは思わなかった。

「失踪者」
「剃刀」
「もうひとつの絵」
「敵」
「まさゆめ」
「ある殺人」
「まぼろしの御嶽」
「運転日報」
収録作は以上。
まず読んで驚いたのは、どれも普通にしっかりしたミステリ作品ばかりであること。なんせ純文学畑の作家なので、あくまでミステリの味わいを持った純文学的な作品が中心だろうと予想していた。ところが蓋を開ければ冒険小説から怪奇小説、本格までジャンルは幅広く、しかもそのジャンルならではのツボをちゃんと押さえている。言ってみれば、ただの息抜きや遊びとは違うぞ、という印象。
また、描写が基本的に丁寧で、特に心理描写は細やか。著者は「ミステリであっても人間をしっかり描くことを第一にしている」ということで、結果的にそれがミステリとしての品質にも繋がっている。以下、そういう意味で印象に残った作品の感想をいくつか。
巻頭の「失踪者」はそんな作品の代表である。北陸の小さな島で絶命した知人の調査をするうち、囚われの身となった主人公が島から脱出するというストレートな冒険小説。ネタとしては犬神信仰などを元にしているのだが、注目すべきはそのサバイバル描写で、著者の自衛隊経験が見事に生かされた佳作だ。中篇ほどのボリュームなので読み応えもあり、本書中でもベストの一作。
他では床屋の客の心理描写が秀逸な「剃刀」。何気ない日常の一コマも、見方を変えればその意味も一変する。凶器を持った人間の前で完全な無防備となる床屋のお客。そこに何がしかの悪意があったとしたら……という一席だ。
医師のところにきた患者の不思議な夢。だが医師はその夢に思い当たるところがあり……。オチは面白いが、途中の構成をもう少し整理したほうが、よりわかりやすくなったような気がする。
「運転日報」は婚約者の秘密を探る男の物語で、いってみればアリバイ破りもの。とはいえ、ここでもミステリの仕掛け云々よりは、男性の心理描写が肝だろう。それがラストの苦さをより活かしている。
なお、本書にはミステリ関係のエッセイも収録されているが、こちらもなかなか興味深い。上でも紹介したが、野呂邦暢は「ミステリであっても人間をしっかり描くことを第一にしている」という。それは文学寄りのミステリを描こうということではない(と思う)。これは著者の創作上での大前提なのであり、文学であろうがミステリであろうが、小説である以上、人間をしっかり描くのは当たり前のことだったのである。
その上で、ミステリとしては徹底した本格好きだったようだから、これまた面白い。
なんせ好きな作品は『Yの悲劇』、鮎川哲也の全作ということだし、「犯人が通産省の課長補佐というのは味気ない」や「見取図が挿入してあるのとないのとでは面白さに格段の差が生じる」という文章があったりして、もう普通のミステリ好きを通り越して、ガチの本格マニアである(苦笑)。
「本当らしさを作品に盛り込もうとして文学のリアリティーを失う」よりは、「とことん嘘をつくことで生じるリアリティーの方を尊重したい」という文章に至っては、どこの本格ミステリ作家のセリフかと思うほどだ(笑)。
ということで全体的には面白く読めたが、あえて指摘するなら、どこかにあったなというネタが多く、アイデアのオリジナリティという点ではやや弱さを感じた。まあ、そうはいってもミステリにおけるプロパーとそれ以外の作家の差が一番出るのがここだろうから、それは致し方ないのかもしれない。
野呂邦暢『野呂邦暢ミステリ集成』
野口冨士男『野口冨士男犯罪小説集 風のない日々/少女』
曽野綾子『ビショップ氏殺人事件 曽野綾子ミステリ傑作選』
中央公論新社/編『開花の殺人 大正文豪ミステリ事始』
中央公論新社/編『事件の予兆 文豪ミステリ短篇集』
ウィリアム・フォークナー『エミリーに薔薇を』
アントン・チェーホフ『狩場の悲劇』
井上靖『殺意 サスペンス小説集』
……といったところがあるのだが、これに加えて鮎川哲也や日影丈吉、橘外男、ポーといった完全なミステリ畑、さらにはミステリではないが吉行淳之介の『娼婦小説集成』、大岡昇平の『歴史小説集成』、長山靖生編纂のアンソロジーといった作品集もあったりして、まあなんとも唆るラインナップ。それまでの、いわゆる復刻ブームとは違った流れだとは思うが、この路線も負けないぐらい魅力的だ。ゆっくりとでいいので、ぜひ今後も続けてほしいものである。
そんな中から本日は『野呂邦暢ミステリ集成』を読んでみる。野呂邦暢は長崎県諫早市を拠点に活動した純文学畑の作家で、芥川賞も受賞している。以前に光文社文庫のアンソロジー『古書ミステリー倶楽部』で一作だけ読んだことがあるので、ミステリも書いていたことは知っていたが、こうして一冊にまとまるほどあるとは思わなかった。

「失踪者」
「剃刀」
「もうひとつの絵」
「敵」
「まさゆめ」
「ある殺人」
「まぼろしの御嶽」
「運転日報」
収録作は以上。
まず読んで驚いたのは、どれも普通にしっかりしたミステリ作品ばかりであること。なんせ純文学畑の作家なので、あくまでミステリの味わいを持った純文学的な作品が中心だろうと予想していた。ところが蓋を開ければ冒険小説から怪奇小説、本格までジャンルは幅広く、しかもそのジャンルならではのツボをちゃんと押さえている。言ってみれば、ただの息抜きや遊びとは違うぞ、という印象。
また、描写が基本的に丁寧で、特に心理描写は細やか。著者は「ミステリであっても人間をしっかり描くことを第一にしている」ということで、結果的にそれがミステリとしての品質にも繋がっている。以下、そういう意味で印象に残った作品の感想をいくつか。
巻頭の「失踪者」はそんな作品の代表である。北陸の小さな島で絶命した知人の調査をするうち、囚われの身となった主人公が島から脱出するというストレートな冒険小説。ネタとしては犬神信仰などを元にしているのだが、注目すべきはそのサバイバル描写で、著者の自衛隊経験が見事に生かされた佳作だ。中篇ほどのボリュームなので読み応えもあり、本書中でもベストの一作。
他では床屋の客の心理描写が秀逸な「剃刀」。何気ない日常の一コマも、見方を変えればその意味も一変する。凶器を持った人間の前で完全な無防備となる床屋のお客。そこに何がしかの悪意があったとしたら……という一席だ。
医師のところにきた患者の不思議な夢。だが医師はその夢に思い当たるところがあり……。オチは面白いが、途中の構成をもう少し整理したほうが、よりわかりやすくなったような気がする。
「運転日報」は婚約者の秘密を探る男の物語で、いってみればアリバイ破りもの。とはいえ、ここでもミステリの仕掛け云々よりは、男性の心理描写が肝だろう。それがラストの苦さをより活かしている。
なお、本書にはミステリ関係のエッセイも収録されているが、こちらもなかなか興味深い。上でも紹介したが、野呂邦暢は「ミステリであっても人間をしっかり描くことを第一にしている」という。それは文学寄りのミステリを描こうということではない(と思う)。これは著者の創作上での大前提なのであり、文学であろうがミステリであろうが、小説である以上、人間をしっかり描くのは当たり前のことだったのである。
その上で、ミステリとしては徹底した本格好きだったようだから、これまた面白い。
なんせ好きな作品は『Yの悲劇』、鮎川哲也の全作ということだし、「犯人が通産省の課長補佐というのは味気ない」や「見取図が挿入してあるのとないのとでは面白さに格段の差が生じる」という文章があったりして、もう普通のミステリ好きを通り越して、ガチの本格マニアである(苦笑)。
「本当らしさを作品に盛り込もうとして文学のリアリティーを失う」よりは、「とことん嘘をつくことで生じるリアリティーの方を尊重したい」という文章に至っては、どこの本格ミステリ作家のセリフかと思うほどだ(笑)。
ということで全体的には面白く読めたが、あえて指摘するなら、どこかにあったなというネタが多く、アイデアのオリジナリティという点ではやや弱さを感じた。まあ、そうはいってもミステリにおけるプロパーとそれ以外の作家の差が一番出るのがここだろうから、それは致し方ないのかもしれない。
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ロス・マクドナルド『ブラック・マネー』(ハヤカワ文庫)
ロス・マクドナルドの『ブラック・マネー』を読む。リュウ・アーチャーものの長編としては十三作目に当たる。
こんな話。ロサンゼルス郡の郡境にある会員制リゾートクラブで、銀行理事の息子であるピーター・ジェイミスンから仕事の依頼を受けた私立探偵リュウ・アーチャー。
ピーターの話によると、婚約者ジニー・ファブロンが婚約を破棄し、フランス人の貴族と自称するマーテルという男の元へ去ってしまったという。ピーターはマーテルが犯罪者に違いないと主張し、マーテルの素性を明らかにしてほしいと依頼する。マーテルの素性がはっきりすれば、ジニーは自分の元に帰ってくるという考えだった。
しかし調査を始めたアーチャーは、ジニーの父がかつて不審なし死を遂げたことなどをはじめ、事件の背景には予想以上に複雑な事情があることを知る…‥…。

『運命』あたりから独自の作風を確立してゆくロス・マクドナルドは、次々と傑作を書くようになり、遂にはハードボイルドの一つの頂点ともいえる『さむけ』を発表する。その後は円熟期というか、安定したレベルで作品を発表し続けるもマンネリが顕著になり、1970年代に入る頃から衰えを見せ始めたといわれている。
本書の発表は1966年。『さむけ』から二年後のことであり、まさに円熟期の頃の作品。相変わらず複雑な設定ながら、アーチャーは丹念に関係者の言動を追い、その裏に秘められた動機や心情を解きほぐす。その積み重ねは事件解決への糸口となるだけでなく、アメリカの家庭に隠された闇をあばくことに通じ、読者に感銘を与えるのである。
本作では、序盤がマーテルという男の単なる素性調査であり、それはそれで読ませるが、やはり本当に面白くなるのは中盤以降、ジニーの父親の過去の不審死が物語の中心になってからである。例によってその事件は単なる点ではなく、線となってさまざまなトラブルにつながっており、これが明らかになっていく終盤の展開はさすがロスマクである。
ロス・マクドナルドが本格ミステリファンからも評価されるのは、事件の骨格を見事に隠しとおし、ラストの意外性を保つところが大きいと思うのだが、本作もそういう意味では評価に値する一作だ。
ただ、正直なところ『縞模様の霊柩車』、『さむけ』、『ドルの向こう側』と続いたうえでの『ブラック・マネー』はさすがに分が悪い。
意外性とか目眩しの部分が実は引っ掛かっているところで、ちょっと本筋のテーマや流れから外れている感じ。そこに落としてしまったかという気持ちの悪さがある(苦笑)。意外性はあるし、別に矛盾しているとか破綻しているとかそういう問題はないのだが、個人的にはなんとも座りの悪い真相に感じられるのである。まあ、他の作品と比べたら、という話なので、水準は十分にクリアしているのだけれど。
こんな話。ロサンゼルス郡の郡境にある会員制リゾートクラブで、銀行理事の息子であるピーター・ジェイミスンから仕事の依頼を受けた私立探偵リュウ・アーチャー。
ピーターの話によると、婚約者ジニー・ファブロンが婚約を破棄し、フランス人の貴族と自称するマーテルという男の元へ去ってしまったという。ピーターはマーテルが犯罪者に違いないと主張し、マーテルの素性を明らかにしてほしいと依頼する。マーテルの素性がはっきりすれば、ジニーは自分の元に帰ってくるという考えだった。
しかし調査を始めたアーチャーは、ジニーの父がかつて不審なし死を遂げたことなどをはじめ、事件の背景には予想以上に複雑な事情があることを知る…‥…。

『運命』あたりから独自の作風を確立してゆくロス・マクドナルドは、次々と傑作を書くようになり、遂にはハードボイルドの一つの頂点ともいえる『さむけ』を発表する。その後は円熟期というか、安定したレベルで作品を発表し続けるもマンネリが顕著になり、1970年代に入る頃から衰えを見せ始めたといわれている。
本書の発表は1966年。『さむけ』から二年後のことであり、まさに円熟期の頃の作品。相変わらず複雑な設定ながら、アーチャーは丹念に関係者の言動を追い、その裏に秘められた動機や心情を解きほぐす。その積み重ねは事件解決への糸口となるだけでなく、アメリカの家庭に隠された闇をあばくことに通じ、読者に感銘を与えるのである。
本作では、序盤がマーテルという男の単なる素性調査であり、それはそれで読ませるが、やはり本当に面白くなるのは中盤以降、ジニーの父親の過去の不審死が物語の中心になってからである。例によってその事件は単なる点ではなく、線となってさまざまなトラブルにつながっており、これが明らかになっていく終盤の展開はさすがロスマクである。
ロス・マクドナルドが本格ミステリファンからも評価されるのは、事件の骨格を見事に隠しとおし、ラストの意外性を保つところが大きいと思うのだが、本作もそういう意味では評価に値する一作だ。
ただ、正直なところ『縞模様の霊柩車』、『さむけ』、『ドルの向こう側』と続いたうえでの『ブラック・マネー』はさすがに分が悪い。
意外性とか目眩しの部分が実は引っ掛かっているところで、ちょっと本筋のテーマや流れから外れている感じ。そこに落としてしまったかという気持ちの悪さがある(苦笑)。意外性はあるし、別に矛盾しているとか破綻しているとかそういう問題はないのだが、個人的にはなんとも座りの悪い真相に感じられるのである。まあ、他の作品と比べたら、という話なので、水準は十分にクリアしているのだけれど。
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福岡市文学館、他/編『ミステリーの女王 夏樹静子と福岡』(福岡市文学館)
東京生まれながら、結婚後は夫の仕事の都合で福岡に転居し、福岡を舞台にした作品を数多く執筆したミステリ作家・夏樹静子。そんな彼女のガイドブックがこの三月に出ていたことをたまたま知り、慌てて書店で購入する。福岡市文学館などが中心となって編纂された『ミステリーの女王 夏樹静子と福岡』である。

■随筆 夏樹静子「福岡を、愛する。」
■「刊行に寄せて 真摯の人―夏樹静子、その多彩な作品の原点に迫る」山前 譲
■第1章 夏樹静子が歩いた街
・夏樹作品の中の福岡 博多駅/中洲/糸島/福岡空港/天神/城内~六本松/千代~馬出~箱崎
/若久~野間大池/西新~藤崎/室見~姪浜/西戸崎~志賀島
・MAP 夏樹作品と福岡
■第2章 写真で振り返る 夏樹静子クロニクル
・作家を夢見て/作家・夏樹静子の誕生/ベストセラーへの道
/次なる飛躍―海外翻訳/困難を越えて/新たな挑戦/ミステリーの女王
・岡本より子さん聞き書き「先生との出会いは、百貨店のYシャツ売り場」
・ゆかりの地
・深野治さんインタビュー「夏樹静子」がデビューした福岡時代
・エラリー・クイーンの俳句
■短編 「見知らぬ敵」
■随筆 「私の推理小説作法(抄)」
■第3章 夏樹静子と女たち
・夏樹ミステリー×現代女性史
・夏樹静子〈母と子〉の物語を読む―『蒸発』
■第4章 夏樹静子を語る
・「日本のクリスティ」の文業と功績」
・心優しきミステリー作家の素顔 岡崎正隆
・「椅子がこわい」の献辞は、宝物(マイ・トレジャー)
・戦後推理小説史における夏樹静子の作家的位置と国際性
■夏樹静子著作目録
目次を見ると大体の内容が理解できる。ミステリ作家・夏樹静子の作品を語る上で、大きなキーワードになるのが「福岡」と「母」、「女性」といったところであろう。社会派というイメージはそれほどないけれど、夏樹静子は常に社会問題に目を向け、作品にそれが生かされている。その時々でテーマは異なるだろうが、そういった時事的なネタとは別に、常にベースにあるのが「福岡」であり、「母」であり「女性」なのだ。
本書はそうした夏樹静子の特性を、さまざまな題材を通して紹介している一冊である。
とはいえ、そこまで難しいものではなく、あくまでガイドブックである。アプローチはわかりやすく、写真もかなり豊富に収録されており、夏樹静子という作家の全体像、人柄を理解するには十分な内容と言えるだろう。個人的にはエラリー・クイーンの片割れ、フレデリック・ダネイとの交流について書かれた記事やダネイの手紙などが興味深かった。昔、雑誌『EQ』でもそういう記事をよく見たが、考えるとここまでクイーンと親交があった日本人作家って他にいないのではないか?
惜しむらくは作家・夏樹静子についてのガイドブックとしては満足できるのだけれど、ミステリ作家・夏樹静子のガイドブックとしては、少々物足りないところもある。
たとえば作風の変遷であったり、分類であったり、全作品をミステリ的に俯瞰した解説、ボリューム的にもそこそこしっかりした解説が一つぐらいあった方がよかった。「夏樹静子著作目録」があるのはありがたいが、それと関連し、さらにはミステリ的理解を助けるような解説である。
管理人が知るかぎり、本書は夏樹静子についての初めてのガイドブックであり、良書であるとは思いつつ、そこだけ注文をつけておきたい。将来的に改訂版など作る機会があれば、ぜひ期待したいところである。
なお、夏樹静子自身の著作も短編と随筆が一つずつ載っている。短編「見知らぬ敵」は夏樹静子名義で初めて雑誌に発表した作品であり、かつ、福岡に転居して初めて書いた福岡を舞台にした作品という記念碑的な作品。
もちろん記念碑的な意味だけではなく、作品そのものも上質である。交換殺人ネタをさらに捻った形にしており、ラストでいつの間にか主役に躍り出る美也子にハッとさせられた。
ところで夏樹静子だけでなく、昭和に活躍した推理作家のガイドブックなど、どこか奇特な出版社さんがシリーズで出してくれないものかな。もちろんそう売れるとも思えないので渋るのは仕方ないけれど、昭和は推理小説も多く売れた時代だったし、出版社や印刷会社を支えてくれたはずである。せめて業績や生涯をきちんとまとめるぐらいの借りはあるのではないだろうか。
それにそういったガイドブックが最低各著者に一冊あれば、読者の広がりにも役立つだろうし、ミステリ業界として大きな文化的財産にもなる。なんなら日本推理作家協会とかが協力する手もあるし、いい企画だと思うんだけどな。

■随筆 夏樹静子「福岡を、愛する。」
■「刊行に寄せて 真摯の人―夏樹静子、その多彩な作品の原点に迫る」山前 譲
■第1章 夏樹静子が歩いた街
・夏樹作品の中の福岡 博多駅/中洲/糸島/福岡空港/天神/城内~六本松/千代~馬出~箱崎
/若久~野間大池/西新~藤崎/室見~姪浜/西戸崎~志賀島
・MAP 夏樹作品と福岡
■第2章 写真で振り返る 夏樹静子クロニクル
・作家を夢見て/作家・夏樹静子の誕生/ベストセラーへの道
/次なる飛躍―海外翻訳/困難を越えて/新たな挑戦/ミステリーの女王
・岡本より子さん聞き書き「先生との出会いは、百貨店のYシャツ売り場」
・ゆかりの地
・深野治さんインタビュー「夏樹静子」がデビューした福岡時代
・エラリー・クイーンの俳句
■短編 「見知らぬ敵」
■随筆 「私の推理小説作法(抄)」
■第3章 夏樹静子と女たち
・夏樹ミステリー×現代女性史
・夏樹静子〈母と子〉の物語を読む―『蒸発』
■第4章 夏樹静子を語る
・「日本のクリスティ」の文業と功績」
・心優しきミステリー作家の素顔 岡崎正隆
・「椅子がこわい」の献辞は、宝物(マイ・トレジャー)
・戦後推理小説史における夏樹静子の作家的位置と国際性
■夏樹静子著作目録
目次を見ると大体の内容が理解できる。ミステリ作家・夏樹静子の作品を語る上で、大きなキーワードになるのが「福岡」と「母」、「女性」といったところであろう。社会派というイメージはそれほどないけれど、夏樹静子は常に社会問題に目を向け、作品にそれが生かされている。その時々でテーマは異なるだろうが、そういった時事的なネタとは別に、常にベースにあるのが「福岡」であり、「母」であり「女性」なのだ。
本書はそうした夏樹静子の特性を、さまざまな題材を通して紹介している一冊である。
とはいえ、そこまで難しいものではなく、あくまでガイドブックである。アプローチはわかりやすく、写真もかなり豊富に収録されており、夏樹静子という作家の全体像、人柄を理解するには十分な内容と言えるだろう。個人的にはエラリー・クイーンの片割れ、フレデリック・ダネイとの交流について書かれた記事やダネイの手紙などが興味深かった。昔、雑誌『EQ』でもそういう記事をよく見たが、考えるとここまでクイーンと親交があった日本人作家って他にいないのではないか?
惜しむらくは作家・夏樹静子についてのガイドブックとしては満足できるのだけれど、ミステリ作家・夏樹静子のガイドブックとしては、少々物足りないところもある。
たとえば作風の変遷であったり、分類であったり、全作品をミステリ的に俯瞰した解説、ボリューム的にもそこそこしっかりした解説が一つぐらいあった方がよかった。「夏樹静子著作目録」があるのはありがたいが、それと関連し、さらにはミステリ的理解を助けるような解説である。
管理人が知るかぎり、本書は夏樹静子についての初めてのガイドブックであり、良書であるとは思いつつ、そこだけ注文をつけておきたい。将来的に改訂版など作る機会があれば、ぜひ期待したいところである。
なお、夏樹静子自身の著作も短編と随筆が一つずつ載っている。短編「見知らぬ敵」は夏樹静子名義で初めて雑誌に発表した作品であり、かつ、福岡に転居して初めて書いた福岡を舞台にした作品という記念碑的な作品。
もちろん記念碑的な意味だけではなく、作品そのものも上質である。交換殺人ネタをさらに捻った形にしており、ラストでいつの間にか主役に躍り出る美也子にハッとさせられた。
ところで夏樹静子だけでなく、昭和に活躍した推理作家のガイドブックなど、どこか奇特な出版社さんがシリーズで出してくれないものかな。もちろんそう売れるとも思えないので渋るのは仕方ないけれど、昭和は推理小説も多く売れた時代だったし、出版社や印刷会社を支えてくれたはずである。せめて業績や生涯をきちんとまとめるぐらいの借りはあるのではないだろうか。
それにそういったガイドブックが最低各著者に一冊あれば、読者の広がりにも役立つだろうし、ミステリ業界として大きな文化的財産にもなる。なんなら日本推理作家協会とかが協力する手もあるし、いい企画だと思うんだけどな。
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ピーター・スワンソン『アリスが語らないことは』(創元推理文庫)
ピーター・スワンソンの『アリスが語らないことは』を読む。まずはストーリーから。
大学の卒業式を間近に控えていたハリーは、父の訃報で帰省することになった。岸壁の遊歩道から足を滑らせ、r転落死したのだという。だが、警察の調べで転落の前に誰かに殴られた痕跡があることがわかり、殺人の疑いも浮上する。ハリーは残された継母アリスに父の様子を聞くが、アリスはなぜか詳しいことを話したがらない……。
話はアリスがまだ少女の時代に遡る。彼女はアルコール中毒の母親イーディスと暮らし、学校でも親しい友人はほとんどいない少女だった。やがてイーディスにジャックという恋人ができ、二人は結婚。しかし、イーディスの状況はますますひどくなり、ついにjは致命的な事故が起こる……。

ううむ、またまたこのパターンであったか。
『そしてミランダを殺す』、『ケイトが恐れるすべて』と読んできたが、サスペンス小説としてはまあ面白いとは思うけれど、ミステリ的な仕掛けで評価されている現状はどうにも理解できない。
もちろんその仕掛けが素晴らしいものであれば何も言うことはないのだが、この著者が意図しているのは読者に対しての仕掛け、いわゆる●●トリックである。プロットだけ見れば普通のサスペンスを、語り手や時系列など取っ替え引っ替えすることで読者に対して目眩しをするわけだ。それは物語内や登場人物の預かり知らぬところでの仕掛けだから、管理人の好みもあるとはいえ、ミステリとしての感動や面白みはどうしても物足りなくなる。
また、その凝った構成にしても、現代と過去をある地点でつなげる意図は一応理解できるし、読者を驚かせるという意味では確かに効果的なのだが、それで貫徹すればいいのに、なぜか途中で第三の人物の視点などを挿入するなど、ブレも多い。とにかく見せ方を複雑にしたがるクセがあるのだろう。
『そしてミランダを殺す』あたりはまだ良かったが、『ケイトが恐れるすべて』、そして本作とだんだんダメになっていく印象だ。
ただ、ねちっこい心理描写などをはじめ描写は比較的うまいと思う。好青年ながら何処か冷めた感じのハリー、情緒不安定ながら意識の底では相手を絡め取ろうとする悪女アリスなど、主要登場人物のキャラクター作りは非常にいい。惜しむらくはハリーの父の掘り下げはちょっと弱い気がしたが、概ねサスペンスの盛り上げなども達者である。
著者にはそういう武器を活かし、もっとストレートなサスペンス、それこそよく比較に挙げられるハイスミスのような方向でチャレンジしてもらいたいものだ。
大学の卒業式を間近に控えていたハリーは、父の訃報で帰省することになった。岸壁の遊歩道から足を滑らせ、r転落死したのだという。だが、警察の調べで転落の前に誰かに殴られた痕跡があることがわかり、殺人の疑いも浮上する。ハリーは残された継母アリスに父の様子を聞くが、アリスはなぜか詳しいことを話したがらない……。
話はアリスがまだ少女の時代に遡る。彼女はアルコール中毒の母親イーディスと暮らし、学校でも親しい友人はほとんどいない少女だった。やがてイーディスにジャックという恋人ができ、二人は結婚。しかし、イーディスの状況はますますひどくなり、ついにjは致命的な事故が起こる……。

ううむ、またまたこのパターンであったか。
『そしてミランダを殺す』、『ケイトが恐れるすべて』と読んできたが、サスペンス小説としてはまあ面白いとは思うけれど、ミステリ的な仕掛けで評価されている現状はどうにも理解できない。
もちろんその仕掛けが素晴らしいものであれば何も言うことはないのだが、この著者が意図しているのは読者に対しての仕掛け、いわゆる●●トリックである。プロットだけ見れば普通のサスペンスを、語り手や時系列など取っ替え引っ替えすることで読者に対して目眩しをするわけだ。それは物語内や登場人物の預かり知らぬところでの仕掛けだから、管理人の好みもあるとはいえ、ミステリとしての感動や面白みはどうしても物足りなくなる。
また、その凝った構成にしても、現代と過去をある地点でつなげる意図は一応理解できるし、読者を驚かせるという意味では確かに効果的なのだが、それで貫徹すればいいのに、なぜか途中で第三の人物の視点などを挿入するなど、ブレも多い。とにかく見せ方を複雑にしたがるクセがあるのだろう。
『そしてミランダを殺す』あたりはまだ良かったが、『ケイトが恐れるすべて』、そして本作とだんだんダメになっていく印象だ。
ただ、ねちっこい心理描写などをはじめ描写は比較的うまいと思う。好青年ながら何処か冷めた感じのハリー、情緒不安定ながら意識の底では相手を絡め取ろうとする悪女アリスなど、主要登場人物のキャラクター作りは非常にいい。惜しむらくはハリーの父の掘り下げはちょっと弱い気がしたが、概ねサスペンスの盛り上げなども達者である。
著者にはそういう武器を活かし、もっとストレートなサスペンス、それこそよく比較に挙げられるハイスミスのような方向でチャレンジしてもらいたいものだ。
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スチュアート・タートン『名探偵と海の悪魔』(文藝春秋)
スチュアート・タートンの『名探偵と海の悪魔』を読む。前作『イヴリン嬢は七回殺される』がタイムループや人格転移を盛り込んだSFミステリということで、大いに評判になったものだが、個人的にはいろいろと納得できないところもあって、そこまで愉しめない作品だった。今作は海洋冒険ものということで、ガラッと内容を変えてきたことに驚いた。
こんな話。
時は十七世紀。東インド会社バタヴィア(今のジャカルタ)で総督を務める暴君ヤン・ハーンが、多くの財宝や家族、部下や兵を伴ってオランダへの船旅に出ようとしていた。会社の統轄機関である〈十七人会〉へ入会するためである。しかし、オランダへ向かう帆船ザーンダム号に乗客が乗り込んでいたときのこと、包帯で顔を覆った男が現れ、船と乗客の破滅を予言し、その直後、炎に包まれて謎の死を遂げる。
そして不吉な予言を証明するかのように、出帆したザーンダム号に次々と怪事件が発生する。あちらこちらで浮き上がる悪魔“トム爺”の印、存在しないはずの八隻目の船、提督が密かに積ませた“愚物”の消失……。
その一方、乗客や船員の間にもさまざまな因縁や人間関係が渦巻き、船は危機的状況にあった。そんな中、罪人としてオランダへ移送される名探偵サミー・ビップスの知恵を借り、なんとか事件を解決しようとするサミーの従者アレント・ヘイズの姿があった。

おお、これはいいぞ。詰め込みすぎ、作りすぎが裏目に出た『イヴリン嬢は七回殺される』と比べたら、こちらの方が断然愉しめる。
帯には「海洋冒険+怪奇小説+不可能犯罪」とあるが、まさしくそのとおり。最終的には本格ミステリとして着地はするのだが、ストーリーの根幹は海洋冒険小説、味付けに怪奇小説といったイメージである。
特に海洋冒険小説の部分がすこぶるよろしい。ケレン味が強い作家であることは前作でもわかるが、それが本作では自己満足に終わらず、読者の興味を引っ張るという、非常に真っ当な方向で表れている。際立つキャラクター、兵士と船員の対立、嵐の様子、孤島でのサバイバルなどなど非常にイキイキと描かれる。
そういった海洋冒険小説というだけでも十分に成立する面白さなのだが、そこへ怪奇小説の要素もぶち込んでくる。とはいえ時代が十七世紀だから、悪魔や呪いといった超自然的要素は普通に受け入れられていた頃だ。何の違和感もないどころか、海の怖さや船乗りたちを描くためには、むしろその手の要素は必須。『パイレーツ・オブ・カリビアン』などの例もあるように冒険小説と怪奇小説の親和性は非常に高く、より物語を盛り立てる。
ところが帯にも謳われているように、本作は紛れもなく本格ミステリである。あまりに怪奇現象や不可解な事件が起きるので、ともすると読んでいるうちに普通に怪奇冒険小説として終わるのかと錯覚してしまうほどだが、間違いなく本格ミステリとして決着する。その手際は実にお見事。
中には他愛もないトリックなどもあるけれど、それこそ十七世紀という時代、科学の力が絶対ではなく、電気がない暗闇が恐れられていた時代、悪魔や迷信が信じられていた時代である。そういう時代性をうまく利用して、決して無理のない(いや、多少は無理もあるけれど)謎解きものに仕立てている。
人によってはラストの謎解きが逆に白けてしまうという人もいるかもしれない。しかもそれまでの展開を思うと、予想をかなり上回るハッピーエンド。そのため、逆に余韻に欠ける嫌いがあると感じる人もいるだろう。
ただ、著者の狙いはあくまでミステリであり、そこに題材として海洋冒険小説や怪奇小説の要素を持ち込んだだけなので、その指摘はあまり正確ではない。著者のミスがあるとすれば、予想以上に海洋冒険小説や怪奇小説の部分が良すぎて、読者を混乱させてしまったところだろう(笑)。
ともあれ個人的には非常に満足。大いにスチュアート・タートンを見直す一作となった。
こんな話。
時は十七世紀。東インド会社バタヴィア(今のジャカルタ)で総督を務める暴君ヤン・ハーンが、多くの財宝や家族、部下や兵を伴ってオランダへの船旅に出ようとしていた。会社の統轄機関である〈十七人会〉へ入会するためである。しかし、オランダへ向かう帆船ザーンダム号に乗客が乗り込んでいたときのこと、包帯で顔を覆った男が現れ、船と乗客の破滅を予言し、その直後、炎に包まれて謎の死を遂げる。
そして不吉な予言を証明するかのように、出帆したザーンダム号に次々と怪事件が発生する。あちらこちらで浮き上がる悪魔“トム爺”の印、存在しないはずの八隻目の船、提督が密かに積ませた“愚物”の消失……。
その一方、乗客や船員の間にもさまざまな因縁や人間関係が渦巻き、船は危機的状況にあった。そんな中、罪人としてオランダへ移送される名探偵サミー・ビップスの知恵を借り、なんとか事件を解決しようとするサミーの従者アレント・ヘイズの姿があった。

おお、これはいいぞ。詰め込みすぎ、作りすぎが裏目に出た『イヴリン嬢は七回殺される』と比べたら、こちらの方が断然愉しめる。
帯には「海洋冒険+怪奇小説+不可能犯罪」とあるが、まさしくそのとおり。最終的には本格ミステリとして着地はするのだが、ストーリーの根幹は海洋冒険小説、味付けに怪奇小説といったイメージである。
特に海洋冒険小説の部分がすこぶるよろしい。ケレン味が強い作家であることは前作でもわかるが、それが本作では自己満足に終わらず、読者の興味を引っ張るという、非常に真っ当な方向で表れている。際立つキャラクター、兵士と船員の対立、嵐の様子、孤島でのサバイバルなどなど非常にイキイキと描かれる。
そういった海洋冒険小説というだけでも十分に成立する面白さなのだが、そこへ怪奇小説の要素もぶち込んでくる。とはいえ時代が十七世紀だから、悪魔や呪いといった超自然的要素は普通に受け入れられていた頃だ。何の違和感もないどころか、海の怖さや船乗りたちを描くためには、むしろその手の要素は必須。『パイレーツ・オブ・カリビアン』などの例もあるように冒険小説と怪奇小説の親和性は非常に高く、より物語を盛り立てる。
ところが帯にも謳われているように、本作は紛れもなく本格ミステリである。あまりに怪奇現象や不可解な事件が起きるので、ともすると読んでいるうちに普通に怪奇冒険小説として終わるのかと錯覚してしまうほどだが、間違いなく本格ミステリとして決着する。その手際は実にお見事。
中には他愛もないトリックなどもあるけれど、それこそ十七世紀という時代、科学の力が絶対ではなく、電気がない暗闇が恐れられていた時代、悪魔や迷信が信じられていた時代である。そういう時代性をうまく利用して、決して無理のない(いや、多少は無理もあるけれど)謎解きものに仕立てている。
人によってはラストの謎解きが逆に白けてしまうという人もいるかもしれない。しかもそれまでの展開を思うと、予想をかなり上回るハッピーエンド。そのため、逆に余韻に欠ける嫌いがあると感じる人もいるだろう。
ただ、著者の狙いはあくまでミステリであり、そこに題材として海洋冒険小説や怪奇小説の要素を持ち込んだだけなので、その指摘はあまり正確ではない。著者のミスがあるとすれば、予想以上に海洋冒険小説や怪奇小説の部分が良すぎて、読者を混乱させてしまったところだろう(笑)。
ともあれ個人的には非常に満足。大いにスチュアート・タートンを見直す一作となった。
『レヴィンソン&リンク劇場 突然の奈落』を読む。「刑事コロンボ」を産んだ名コンビ、リチャード・レヴィンソン&ウィリアム・リンクによる短篇集の第二弾である。
Suddenly, There Was Mrs. Kemp「ミセス・ケンプが見ていた」
Operation Staying-Alive「生き残り作戦」
The Hundred-Dollar Bird’s Nest「鳥の巣の百ドル」
One for the Road「最後のギャンブル」
Memory Game「記憶力ゲーム」
No Name, Address, Identity「氏名不詳、住所不詳、身元不詳」
Small Accident「ちょっとした事故」
The End of an Era「歴史の一区切り」
Top-Flight Aquarium「最高の水族館」
The Man in the Lobby「ロビーにいた男」

いわゆる奇妙な味の短編と違い、誰が読んでも素直に驚かされるところが最大の売りだろう。軽めのテイストでスッと話に入っていくことができ、キレイにオチを決めてくれる。どの作品をとってもムラのない安定したレベルなのもお見事だ。
『レヴィンソン&リンク劇場 皮肉な終幕』の感想でも少し書いたが、本書でも犯罪者を主人公にしたサスペンスが多く、刑事コロンボ誕生前夜といった雰囲気が楽しい。さすがに探偵vs犯人という対決の構図こそないけれど、犯罪が何らかの事情(ミスや偶然)によって失敗するところに面白みがある。ただ、そういうパターンを予想していると、その反対に犯罪者の勝利に終わる物語があったりして、これがなかなか油断できない。
基本的にはどれも楽しく読めたが、主人公の自身の裏付けが最後に明かされる「ミセス・ケンプが見ていた」、エリンやダールを彷彿させるギャンブルものだが味わいはよりライトな「最後のギャンブル」、記憶力というキーワードの活かし方が秀逸な「記憶力ゲーム」、何となくジャック・リッチーを思い出す犯罪小説「氏名不詳、住所不詳、身元不詳」、珍しくホラーの雰囲気で読ませる「最高の水族館」、ラストの一行で主人公の本当の物語を明かす「ロビーにいた男」あたりが好み。
なかでも一番驚いたのは「ちょっとした事故」。最初に読んだときは何か重大な部分を読み飛ばしたかと思い、改めて再度読み直したほどである。これはミステリとして読み始めるとまったく別物のスリルを味わえ、それはそれでまた面白いのだが(笑)、やはり単なる青春小説として読んだ方が腹に落ちるだろう。
ちなみに本書で〈レヴィンソン&リンク劇場〉は一応、完結となるようだが、作品はまだ残っているようだし、なんなら脚本という手もある。ぜひ第三弾、第四弾にも期待したい。
Suddenly, There Was Mrs. Kemp「ミセス・ケンプが見ていた」
Operation Staying-Alive「生き残り作戦」
The Hundred-Dollar Bird’s Nest「鳥の巣の百ドル」
One for the Road「最後のギャンブル」
Memory Game「記憶力ゲーム」
No Name, Address, Identity「氏名不詳、住所不詳、身元不詳」
Small Accident「ちょっとした事故」
The End of an Era「歴史の一区切り」
Top-Flight Aquarium「最高の水族館」
The Man in the Lobby「ロビーにいた男」

いわゆる奇妙な味の短編と違い、誰が読んでも素直に驚かされるところが最大の売りだろう。軽めのテイストでスッと話に入っていくことができ、キレイにオチを決めてくれる。どの作品をとってもムラのない安定したレベルなのもお見事だ。
『レヴィンソン&リンク劇場 皮肉な終幕』の感想でも少し書いたが、本書でも犯罪者を主人公にしたサスペンスが多く、刑事コロンボ誕生前夜といった雰囲気が楽しい。さすがに探偵vs犯人という対決の構図こそないけれど、犯罪が何らかの事情(ミスや偶然)によって失敗するところに面白みがある。ただ、そういうパターンを予想していると、その反対に犯罪者の勝利に終わる物語があったりして、これがなかなか油断できない。
基本的にはどれも楽しく読めたが、主人公の自身の裏付けが最後に明かされる「ミセス・ケンプが見ていた」、エリンやダールを彷彿させるギャンブルものだが味わいはよりライトな「最後のギャンブル」、記憶力というキーワードの活かし方が秀逸な「記憶力ゲーム」、何となくジャック・リッチーを思い出す犯罪小説「氏名不詳、住所不詳、身元不詳」、珍しくホラーの雰囲気で読ませる「最高の水族館」、ラストの一行で主人公の本当の物語を明かす「ロビーにいた男」あたりが好み。
なかでも一番驚いたのは「ちょっとした事故」。最初に読んだときは何か重大な部分を読み飛ばしたかと思い、改めて再度読み直したほどである。これはミステリとして読み始めるとまったく別物のスリルを味わえ、それはそれでまた面白いのだが(笑)、やはり単なる青春小説として読んだ方が腹に落ちるだろう。
ちなみに本書で〈レヴィンソン&リンク劇場〉は一応、完結となるようだが、作品はまだ残っているようだし、なんなら脚本という手もある。ぜひ第三弾、第四弾にも期待したい。
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森咲郭公鳥、森脇晃、kashiba@猟奇の鉄人『Murder, She Drew Vol.3 Connect with Fiends and the World around You on Fredric Brown』(饒舌な中年たち)
森咲郭公鳥、森脇晃、kashiba@猟奇の鉄人の三氏によるミステリ同人誌〈Murder, She Drew〉シリーズの三作目、『Murder, She Drew Vol.3 Connect with Fiends and the World around You on Fredric Brown』を読む。
世間は『Carr Graphic Vol.1 Dawn of Miracles』に注目している頃だろうし、なんで今頃これかと思われるだろうが、実は本書発売当時、完全に予約を入れ忘れて未入手だったのである。それが『Carr Graphic Vol.1 Dawn of Miracles』予約時にダメもとで聞いてみたところ、なんと在庫があるというではないか。ということで遅ればせながらようやく入手できたものである。めでたしめでたし。

さて、毎回、事件の舞台となる町や建物といった現場をイラストで描き起こし、さらにマニアが三人であーだこーだ感想を言いあう〈Murder, She Drew〉だが、その三冊目はフレドリック・ブラウンを取り上げている。しかも柱はエド&アム・ハンター・シリーズ。
ううむ、相変わらず扱うテーマがいいところを突いている。一回目はエドマンド・クリスピン、二回目は巨匠ディクスン・カーの歴史もの。海外ミステリファンなら一冊ぐらいは読んでいるあたりを取り上げつつ、でもなかなか全作読破しているマニアはいない辺りというか。しかも商業出版されている評論やガイドの類がほぼないところというのもいい。管理人もブラウンは一応十冊近くは読んでいるが、エド&アム・ハンター・シリーズは『アンブローズ蒐集家』しから読んでいないという体たらく。いや、一応全部持ってはいるんですが(苦笑)。
あと言うまでもないことだが、この〈Murder, She Drew〉シリーズは単純にレベルが高い。絵も文も含めて実力的にはプロに匹敵する方々、それでいてマニアならではの遊びやアホなギャグ(褒めてます)を織り交ぜる、かつ作品&作者の長所短所を織り混ぜ、出版社やプロの書評家ではちょっと言いにくいところまで抉ってくる。そのバランスが商業誌に真似できないところギリギリで成立してて実に楽しい。
また、三人というのは大きな武器で、一人がけなしても一人が褒めるという具合に、こういう部分もどこまで意図しているかは不明だが、一応配慮はされているように思う。
ということでフレドリック・ブラウンの長編ぐらいはやはり全部読んでおこうかな、いつになるか知らんけど。
世間は『Carr Graphic Vol.1 Dawn of Miracles』に注目している頃だろうし、なんで今頃これかと思われるだろうが、実は本書発売当時、完全に予約を入れ忘れて未入手だったのである。それが『Carr Graphic Vol.1 Dawn of Miracles』予約時にダメもとで聞いてみたところ、なんと在庫があるというではないか。ということで遅ればせながらようやく入手できたものである。めでたしめでたし。

さて、毎回、事件の舞台となる町や建物といった現場をイラストで描き起こし、さらにマニアが三人であーだこーだ感想を言いあう〈Murder, She Drew〉だが、その三冊目はフレドリック・ブラウンを取り上げている。しかも柱はエド&アム・ハンター・シリーズ。
ううむ、相変わらず扱うテーマがいいところを突いている。一回目はエドマンド・クリスピン、二回目は巨匠ディクスン・カーの歴史もの。海外ミステリファンなら一冊ぐらいは読んでいるあたりを取り上げつつ、でもなかなか全作読破しているマニアはいない辺りというか。しかも商業出版されている評論やガイドの類がほぼないところというのもいい。管理人もブラウンは一応十冊近くは読んでいるが、エド&アム・ハンター・シリーズは『アンブローズ蒐集家』しから読んでいないという体たらく。いや、一応全部持ってはいるんですが(苦笑)。
あと言うまでもないことだが、この〈Murder, She Drew〉シリーズは単純にレベルが高い。絵も文も含めて実力的にはプロに匹敵する方々、それでいてマニアならではの遊びやアホなギャグ(褒めてます)を織り交ぜる、かつ作品&作者の長所短所を織り混ぜ、出版社やプロの書評家ではちょっと言いにくいところまで抉ってくる。そのバランスが商業誌に真似できないところギリギリで成立してて実に楽しい。
また、三人というのは大きな武器で、一人がけなしても一人が褒めるという具合に、こういう部分もどこまで意図しているかは不明だが、一応配慮はされているように思う。
ということでフレドリック・ブラウンの長編ぐらいはやはり全部読んでおこうかな、いつになるか知らんけど。
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ディーパ・アーナパーラ『ブート・バザールの少年探偵』(ハヤカワ文庫)
ディーパ・アーナパーラの『ブート・バザールの少年探偵』を読む。インドのジャーナリストとして、インドの貧困や教育、宗教紛争などの問題を取材してきた著者が初めて書いたフィクションである。
それだけでも十分に興味深い本ではあるが、もう一つトピックがあって、昨年、邦訳が出た時点では帯にMWA最優秀長篇賞にノミネートされていたと記載があったのだが、どうやらその後、見事MWA最優秀長篇賞を受賞したようだ。MWAが絶対というわけではないが、お墨付きとしてはなかなか強力で期待できそうだ。
ちなみにこの年はMWA最優秀長篇賞に六作がノミネートされており、そのうち既にリオチャード・オスマン『木曜殺人クラブ』、クワイ・クァーティ『ガーナに消えた男』、アイヴィ・ポコーダ『女たちが死んだ街で』がハヤカワ文庫やポケミスで邦訳されている。さらには九月にキャロライン・B・クーニー『かくて彼女はヘレンとなった』もポケミスで発売予定だ。
ひと昔前までは邦訳も数年遅れが普通だったけれど、こういうところはずいぶん改善されているようだ。といってもすべて早川書房なので、他の版元が手を出さない理由が少し気になるけれど。ロイヤリティの問題なのか、はたまたスピード感等の問題なのか。どうなんだろう?

それはともかくとして『ブート・バザールの少年探偵』である。
インドのバスティと呼ばれるスラム街で、両親と姉の四人で暮らす九歳の少年ジャイ。ある日、クラスメイトの少年が行方不明になるが、もともと不法占拠した場所で暮らしているバスティの住人に対し、警察はまっく協力的ではない。それどころかあまり警察を煩わせると、スラム街ごとブルドーザーで撤去されることにもなりかねない。
家がなくなることを心配したジャイは、友人のパリ、ファイズと共に探偵団を結成。行方不明のクラスメイトを捜索することにしたが……。
すごいな、これは。
子供の目を通しているから表現は全般的にユーモラスで、殺伐とならないようフィルターはかけているのだが、描かれているインドの実態はとてつもなく悲惨である。こういう状況はドキュメンタリーやノンフィクションなどで一応知っているつもりだったが、フィクションとはいえ500ページを超えるボリュームでインドの状況を切々と描かれると、これはなかなかのダメージ。
上でも書いたように著者はそちら方面専門のジャーナリストだし、まさに今インドが抱えている問題をより広く知らしめたいと考え、ミステリという形を採用したのだろう。本書の肝はまさしくそこにあるし、その試みは十分に成功している。近年、インドについては数学に強いとか、ロシアとの関係だとかが強調され、大国のイメージが強くなってきているが、国民の大半は以前の暮らしのままであり、近代化が誰のためのものだったのか非常に考えさられる。
ただし、ミステリとしてはかなりの薄味である。
著者が元々ミステリとは関係ないところでの専門家であり、それを武器にミステリ作家としてデビューするケースは決して少なくない。ただ、その場合でも、皆さん、けっこうミステリという部分もしっかりと作り込んでくるのが普通だ。本作はそういうミステリ的部分を、潔くバッサリとカットしている。
なるほど一応は少年探偵ものという設定であり、彼らの調査活動がメインに描かれはするが、それはあくまで表面的にストーリーを回すためだけのものだ。そこにトリックはもちろんのこと、推理の面白さや真実が少しずつ明らかになるというミステリ的要素すらほぼない。ミステリを期待して読み始めた人も、投げっぱなしのラストにショックを受けるかもしれない。
だが九歳の子供の語りだからこそ大人には伝わりにくい事実がある。その子供ゆえ見えない真実が一体なんなのか、そこを推測するという魅力がミステリ要素に取って変わるのである。
まあ、そうはいっても一般的なミステリを期待していると、やはり肩透かしの感は拭えないだろう。
しかしながら、それは作品のせいというより売り方のせいもあるだろう。
確かにミステリ的には弱い作品ではある。そもそも著者は初めからガチガチのミステリを書くつもりはなかったのだろうし、昨今、この手のミステリとは言い難いミステリが増えているのも事実。
だから出版社には読者のことも考えて、売り方にはやはり配慮してもらいたいなとは思う。できれば本書もハヤカワ・ミステリ文庫ではなく、『ザリガニの鳴くところ』のようにノンレーベルの単行本で勝負した方が良かったのではないだろうか。せっかくの良書なのだから、それを望んでいる読者にちゃんと届いてほしいなと思う次第である。
それだけでも十分に興味深い本ではあるが、もう一つトピックがあって、昨年、邦訳が出た時点では帯にMWA最優秀長篇賞にノミネートされていたと記載があったのだが、どうやらその後、見事MWA最優秀長篇賞を受賞したようだ。MWAが絶対というわけではないが、お墨付きとしてはなかなか強力で期待できそうだ。
ちなみにこの年はMWA最優秀長篇賞に六作がノミネートされており、そのうち既にリオチャード・オスマン『木曜殺人クラブ』、クワイ・クァーティ『ガーナに消えた男』、アイヴィ・ポコーダ『女たちが死んだ街で』がハヤカワ文庫やポケミスで邦訳されている。さらには九月にキャロライン・B・クーニー『かくて彼女はヘレンとなった』もポケミスで発売予定だ。
ひと昔前までは邦訳も数年遅れが普通だったけれど、こういうところはずいぶん改善されているようだ。といってもすべて早川書房なので、他の版元が手を出さない理由が少し気になるけれど。ロイヤリティの問題なのか、はたまたスピード感等の問題なのか。どうなんだろう?

それはともかくとして『ブート・バザールの少年探偵』である。
インドのバスティと呼ばれるスラム街で、両親と姉の四人で暮らす九歳の少年ジャイ。ある日、クラスメイトの少年が行方不明になるが、もともと不法占拠した場所で暮らしているバスティの住人に対し、警察はまっく協力的ではない。それどころかあまり警察を煩わせると、スラム街ごとブルドーザーで撤去されることにもなりかねない。
家がなくなることを心配したジャイは、友人のパリ、ファイズと共に探偵団を結成。行方不明のクラスメイトを捜索することにしたが……。
すごいな、これは。
子供の目を通しているから表現は全般的にユーモラスで、殺伐とならないようフィルターはかけているのだが、描かれているインドの実態はとてつもなく悲惨である。こういう状況はドキュメンタリーやノンフィクションなどで一応知っているつもりだったが、フィクションとはいえ500ページを超えるボリュームでインドの状況を切々と描かれると、これはなかなかのダメージ。
上でも書いたように著者はそちら方面専門のジャーナリストだし、まさに今インドが抱えている問題をより広く知らしめたいと考え、ミステリという形を採用したのだろう。本書の肝はまさしくそこにあるし、その試みは十分に成功している。近年、インドについては数学に強いとか、ロシアとの関係だとかが強調され、大国のイメージが強くなってきているが、国民の大半は以前の暮らしのままであり、近代化が誰のためのものだったのか非常に考えさられる。
ただし、ミステリとしてはかなりの薄味である。
著者が元々ミステリとは関係ないところでの専門家であり、それを武器にミステリ作家としてデビューするケースは決して少なくない。ただ、その場合でも、皆さん、けっこうミステリという部分もしっかりと作り込んでくるのが普通だ。本作はそういうミステリ的部分を、潔くバッサリとカットしている。
なるほど一応は少年探偵ものという設定であり、彼らの調査活動がメインに描かれはするが、それはあくまで表面的にストーリーを回すためだけのものだ。そこにトリックはもちろんのこと、推理の面白さや真実が少しずつ明らかになるというミステリ的要素すらほぼない。ミステリを期待して読み始めた人も、投げっぱなしのラストにショックを受けるかもしれない。
だが九歳の子供の語りだからこそ大人には伝わりにくい事実がある。その子供ゆえ見えない真実が一体なんなのか、そこを推測するという魅力がミステリ要素に取って変わるのである。
まあ、そうはいっても一般的なミステリを期待していると、やはり肩透かしの感は拭えないだろう。
しかしながら、それは作品のせいというより売り方のせいもあるだろう。
確かにミステリ的には弱い作品ではある。そもそも著者は初めからガチガチのミステリを書くつもりはなかったのだろうし、昨今、この手のミステリとは言い難いミステリが増えているのも事実。
だから出版社には読者のことも考えて、売り方にはやはり配慮してもらいたいなとは思う。できれば本書もハヤカワ・ミステリ文庫ではなく、『ザリガニの鳴くところ』のようにノンレーベルの単行本で勝負した方が良かったのではないだろうか。せっかくの良書なのだから、それを望んでいる読者にちゃんと届いてほしいなと思う次第である。
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栗田信『双頭の鬼』(湘南探偵倶楽部)
先日の『銀座不連續殺人事件』に続いて湘南探偵倶楽部さんの新刊をもういっちょ。栗田信の『双頭の鬼』である。

かつては猫の目正平として知られた大泥棒、緒方正平。現役を退いで貴金属商を営む身だが、暗黒街での顔の広さや鋭い頭脳は健在で、今では警察の知り合いもちょくちょく事件の相談にくるという、知る人ぞ知る存在である。
その正平の元にやってきたのは古屋刑事。最近、東京で噂されている「蜘蛛男」、二つの頭と八本の手足がついているという、その奇怪な容姿の蜘蛛男を目撃したというのである。その時はまったく古屋刑事の話を信用しなかった正平だが、翌日、新聞には蜘蛛男による最初の犯罪の記事が載っていた……。
栗田信らしさ全開の怪奇探偵小説である。双頭の鬼=蜘蛛男というキャラクターがすべてだと思うのだが、乱歩のように二十面相の変装とかではなく、文字どおりの怪人というのが恐れ入る。
それは設定やストーリーなども同じで、何らかのトリックや仕掛けかがあるのだろうと思っていると、ほぼストレートなネタでいやはやなんとも(苦笑)。事件も相当なものだが、犯人の設定がとにかく無茶である。
そういう作品なので、しかもグロな描写もあるから、とても人様にオススメできるような作品ではない。ただ、最初の警察と蜘蛛男のやりとりや、終盤の正平と蜘蛛男のやりとりなど、見せ場の描写がけっこう達者だし、ラストでヒューマンドラマに仕立ててしまうところなども悪くなく、ついつい面白く読んでしまう(笑)。
いろいろな意味で復刊の難しい作家だろうが、個人的にはもっと読んでみたいものだ。

かつては猫の目正平として知られた大泥棒、緒方正平。現役を退いで貴金属商を営む身だが、暗黒街での顔の広さや鋭い頭脳は健在で、今では警察の知り合いもちょくちょく事件の相談にくるという、知る人ぞ知る存在である。
その正平の元にやってきたのは古屋刑事。最近、東京で噂されている「蜘蛛男」、二つの頭と八本の手足がついているという、その奇怪な容姿の蜘蛛男を目撃したというのである。その時はまったく古屋刑事の話を信用しなかった正平だが、翌日、新聞には蜘蛛男による最初の犯罪の記事が載っていた……。
栗田信らしさ全開の怪奇探偵小説である。双頭の鬼=蜘蛛男というキャラクターがすべてだと思うのだが、乱歩のように二十面相の変装とかではなく、文字どおりの怪人というのが恐れ入る。
それは設定やストーリーなども同じで、何らかのトリックや仕掛けかがあるのだろうと思っていると、ほぼストレートなネタでいやはやなんとも(苦笑)。事件も相当なものだが、犯人の設定がとにかく無茶である。
そういう作品なので、しかもグロな描写もあるから、とても人様にオススメできるような作品ではない。ただ、最初の警察と蜘蛛男のやりとりや、終盤の正平と蜘蛛男のやりとりなど、見せ場の描写がけっこう達者だし、ラストでヒューマンドラマに仕立ててしまうところなども悪くなく、ついつい面白く読んでしまう(笑)。
いろいろな意味で復刊の難しい作家だろうが、個人的にはもっと読んでみたいものだ。
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大河内常平『銀座不連續殺人事件』(湘南探偵倶楽部)
大河内常平の短編「銀座不連續殺人事件」を読む。湘南探偵倶楽部さん発行の小冊子。

銀座で小さな商売をやっている嵯峨根から、相談に乗ってくれと呼び出された毎朝新聞の社会部記者、青木。どうやら地元でみかじめを取られているヤクザから、拳銃を無理に売りつけられて困っているという話だった。だが持っているだけでもトラブルの種だといい、嵯峨根は思い切り良く川に拳銃を投げ捨ててしまう。
ところが後日、その拳銃を返してくれと再びヤクザが絡んできて嵯峨根は窮地に陥ってしまう。さらには嵯峨野のパトロンが日比谷公園で射殺されてしまい……。
安手のハードボイルド的設定、文章もそれに応じたタッチなので、正直あまり期待しないで読み始めたが、終盤は意外や意外、しっかりと謎解きを絡めて着地している。まあ、トリック(というほどのものではないけれど)はそれほど大したものではないが、プロットは割とよくできていて最後まで面白く読めた。
ただ、一つだけ前半でピンとこない記述があって、これは誤植なのか元々そうだったのか知りたいところではある。

銀座で小さな商売をやっている嵯峨根から、相談に乗ってくれと呼び出された毎朝新聞の社会部記者、青木。どうやら地元でみかじめを取られているヤクザから、拳銃を無理に売りつけられて困っているという話だった。だが持っているだけでもトラブルの種だといい、嵯峨根は思い切り良く川に拳銃を投げ捨ててしまう。
ところが後日、その拳銃を返してくれと再びヤクザが絡んできて嵯峨根は窮地に陥ってしまう。さらには嵯峨野のパトロンが日比谷公園で射殺されてしまい……。
安手のハードボイルド的設定、文章もそれに応じたタッチなので、正直あまり期待しないで読み始めたが、終盤は意外や意外、しっかりと謎解きを絡めて着地している。まあ、トリック(というほどのものではないけれど)はそれほど大したものではないが、プロットは割とよくできていて最後まで面白く読めた。
ただ、一つだけ前半でピンとこない記述があって、これは誤植なのか元々そうだったのか知りたいところではある。
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藤雪夫『藤雪夫探偵小説選 II』(論創ミステリ叢書)
『獅子座』で知られる著者が、1950年代に単独で書いた作品をまとめた作品集の第二巻、『藤雪夫探偵小説選 II』を読む。まずは収録作。
「青蛾」
「黒い月」
「C‐641」
「遠い春」
「暗い冬」
「紅い宝石」
「星の燃える海」
「ロケットC‐64」
「虹の日の殺人」
「七千九百八十年」
「ジュピター殺人事件 発端篇」

真摯に本格ミステリを追求し、かつ小説としても読み応えのあるものをと苦心していた著者。本書収録の作品も傾向としては大きく変わることなく、謎解きの物語でありながら、その中で人間をできるかぎりきちんと描こうとしている姿勢がよい。すべてが成功しているわけではないが、クロフツを参考にしているという方向性や作風も好ましく、個人的にはシリーズ探偵の菊地警部が意外なほど多く登場しているのも嬉しいところである。
「遠い春」、暗い冬」、「紅い宝石」、「虹の日の殺人」あたりがその類の作品で、ちょっと場違いなトリックが入っていたり、ネタのめ込み過ぎが相変わらず気になるものの、真面目な作風が本当に心地よいのである。
「星の燃える海」は長篇『獅子座』の原型となった中篇。これはさすがに力作で、個人的には整頓された『獅子座』のほうが好みではあるけれど、「星の燃える海」の熱量は半端ではなく、こうして読める形になったのが実にありがたい。
「青蛾」と「黒い月」は著者には珍しい軽いサスペンスもの。そこまでのネタではないが悲哀を感じさせるラストはやはり著者ならではだ。特に売れないミステリ作家を描いた後者は切ない。
ちょっと驚いたのはSFが収録されていることだ。「C‐641」、「ロケットC‐64」、「七千九百八十年」の三編だが、推理小説に比べるとさすがにこちらの出来は苦しい。テーマはどれも人類滅亡ばかりで、落としどころも雑。どういう経緯でSFを書いたのかは不明だが、科学的知識などの細部はともかく、SF的な知識やセンスが身についていないまま書いたような感じなので、もしかすると編集者に請われるままに無理やり捻り出したのかもしれない。
なかでも「C‐641」は列車消失から始まるので、ホワイトチャーチの「ギルバート・マレル卿の絵」みたいな話かと思ったが、まさかの重力操作による犯罪。もうストーリーもネタも無茶苦茶で、著者の作品のなかでも飛び切りの怪作といっていいだろう。
「ジュピター殺人事件 発端篇」は合作の担当分のみ収録したものだが、全体の構想を自分なりにまとめたエッセイも載っているのがナイス編集であある。
「青蛾」
「黒い月」
「C‐641」
「遠い春」
「暗い冬」
「紅い宝石」
「星の燃える海」
「ロケットC‐64」
「虹の日の殺人」
「七千九百八十年」
「ジュピター殺人事件 発端篇」

真摯に本格ミステリを追求し、かつ小説としても読み応えのあるものをと苦心していた著者。本書収録の作品も傾向としては大きく変わることなく、謎解きの物語でありながら、その中で人間をできるかぎりきちんと描こうとしている姿勢がよい。すべてが成功しているわけではないが、クロフツを参考にしているという方向性や作風も好ましく、個人的にはシリーズ探偵の菊地警部が意外なほど多く登場しているのも嬉しいところである。
「遠い春」、暗い冬」、「紅い宝石」、「虹の日の殺人」あたりがその類の作品で、ちょっと場違いなトリックが入っていたり、ネタのめ込み過ぎが相変わらず気になるものの、真面目な作風が本当に心地よいのである。
「星の燃える海」は長篇『獅子座』の原型となった中篇。これはさすがに力作で、個人的には整頓された『獅子座』のほうが好みではあるけれど、「星の燃える海」の熱量は半端ではなく、こうして読める形になったのが実にありがたい。
「青蛾」と「黒い月」は著者には珍しい軽いサスペンスもの。そこまでのネタではないが悲哀を感じさせるラストはやはり著者ならではだ。特に売れないミステリ作家を描いた後者は切ない。
ちょっと驚いたのはSFが収録されていることだ。「C‐641」、「ロケットC‐64」、「七千九百八十年」の三編だが、推理小説に比べるとさすがにこちらの出来は苦しい。テーマはどれも人類滅亡ばかりで、落としどころも雑。どういう経緯でSFを書いたのかは不明だが、科学的知識などの細部はともかく、SF的な知識やセンスが身についていないまま書いたような感じなので、もしかすると編集者に請われるままに無理やり捻り出したのかもしれない。
なかでも「C‐641」は列車消失から始まるので、ホワイトチャーチの「ギルバート・マレル卿の絵」みたいな話かと思ったが、まさかの重力操作による犯罪。もうストーリーもネタも無茶苦茶で、著者の作品のなかでも飛び切りの怪作といっていいだろう。
「ジュピター殺人事件 発端篇」は合作の担当分のみ収録したものだが、全体の構想を自分なりにまとめたエッセイも載っているのがナイス編集であある。
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ヴォルフガング・ヒルデスハイマー『詐欺師の楽園』(白水U ブックス)
ヴォルフガング・ヒルデスハイマーの『詐欺師の楽園』を読む。正直よく知らない作家なのだが、昨年、白水Uブックスで刊行されたときに、設定が面白そうなので買っておいた一冊。
語り手は金持ちの芸術品蒐集家のおばに引き取られた“私”アントンは、十五歳で絵に興味を持ち、自分でも絵を描き始める。だが完成した絵が不謹慎な題材だったため、おばからは不興をかうが、屋敷を訪ねていたおじのローベルトはその才能を見抜き、絵の勉強を続けるよう激励する。
ところが、このローベルトこそプロチェゴヴィーナ公国のレンブラントとも称されるアヤクス・マズュルカをでっちあげ、世界中の美術館や蒐集家を手玉にとった天才詐欺師であり天才贋作家であった。
十七歳になったアントンはローベルトの本を訪れるが……。

これは楽しい。実に壮大なホラ話である。
序盤こそ語り手のアントンの奔放な成長過程を追うが、やがて自身が成長し、焦点がローベルトに移ると俄然面白くなる。序盤も悪くはないのだけれど、そこはやはり露払い。ローベルトにおいては基本的に頭は良いし、実行力も度胸もある。当然ながら趣味もよい。問題なのは良心の部分だけなので(笑)、小国とはいえ国王や閣僚を相手にしてもまったく恐れを知らず、相手を言いくるめてはどんどん望みをかなえていく。そして、やがては国ぐるみの大イカサマを成就させる。この中盤がとにかく痛快だ。
そんな興味深いローベルトの活躍だが、「祇園精舎の鐘の声〜」などという言葉もあるように、その栄光は永久に続くわけではない。
後半、再び語り手アントンが表に出てくると、物語は一つの終焉=ローベルトの凋落に向かって進みだす。これまた予想外の展開でそれも面白いのだが、欲をいえば語り手アントンもせっかくの天才画家なのだから、ラストはアントンが活きる形で決着をつけてほしかったところだ。終わってみると語り手の立ち位置が今ひとつハッキリせず、そこが惜しいといえば惜しい。
ただ、本作は詐欺を題材にしているとはいっても、その手段自体を楽しむコンゲーム小説の類とは異なるので念のため。メインとなるのはあくまで芸術や権威というものに対して弱い人間への強烈な皮肉であり、ブラックなユーモアである。
非常に心地よい小説なのだけれど、そういう毒も一緒に感じることで、より味わいは深くなる。いつまでもこういうのを楽しめる読者でありたいものだ。
語り手は金持ちの芸術品蒐集家のおばに引き取られた“私”アントンは、十五歳で絵に興味を持ち、自分でも絵を描き始める。だが完成した絵が不謹慎な題材だったため、おばからは不興をかうが、屋敷を訪ねていたおじのローベルトはその才能を見抜き、絵の勉強を続けるよう激励する。
ところが、このローベルトこそプロチェゴヴィーナ公国のレンブラントとも称されるアヤクス・マズュルカをでっちあげ、世界中の美術館や蒐集家を手玉にとった天才詐欺師であり天才贋作家であった。
十七歳になったアントンはローベルトの本を訪れるが……。

これは楽しい。実に壮大なホラ話である。
序盤こそ語り手のアントンの奔放な成長過程を追うが、やがて自身が成長し、焦点がローベルトに移ると俄然面白くなる。序盤も悪くはないのだけれど、そこはやはり露払い。ローベルトにおいては基本的に頭は良いし、実行力も度胸もある。当然ながら趣味もよい。問題なのは良心の部分だけなので(笑)、小国とはいえ国王や閣僚を相手にしてもまったく恐れを知らず、相手を言いくるめてはどんどん望みをかなえていく。そして、やがては国ぐるみの大イカサマを成就させる。この中盤がとにかく痛快だ。
そんな興味深いローベルトの活躍だが、「祇園精舎の鐘の声〜」などという言葉もあるように、その栄光は永久に続くわけではない。
後半、再び語り手アントンが表に出てくると、物語は一つの終焉=ローベルトの凋落に向かって進みだす。これまた予想外の展開でそれも面白いのだが、欲をいえば語り手アントンもせっかくの天才画家なのだから、ラストはアントンが活きる形で決着をつけてほしかったところだ。終わってみると語り手の立ち位置が今ひとつハッキリせず、そこが惜しいといえば惜しい。
ただ、本作は詐欺を題材にしているとはいっても、その手段自体を楽しむコンゲーム小説の類とは異なるので念のため。メインとなるのはあくまで芸術や権威というものに対して弱い人間への強烈な皮肉であり、ブラックなユーモアである。
非常に心地よい小説なのだけれど、そういう毒も一緒に感じることで、より味わいは深くなる。いつまでもこういうのを楽しめる読者でありたいものだ。
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野口冨士男『野口冨士男犯罪小説集 風のない日々/少女』(中公文庫)
私小説や徳田秋声の評伝などで知られる野口冨士男の『野口冨士男犯罪小説集 風のない日々/少女』を読む。書名のとおり、長篇「風のない日々」と短篇「少女」の二作を収録している。
野口冨士男については名前こそ知っていたものの、これまでまったく読んだことのない作家。しかし、副題に「犯罪小説集」とあり、解説を見ると井上ひさしをして「上質のサスペンス小説である」と言わしめているぐらいだから、これはやはり読んでおくべきかと手に取った次第。

まずは「風のない日々」。
判で押したように平凡な毎日を過ごす青年・秀夫。出自こそ恵まれなかったが、気の良い親類に引き取られ、平凡ながらそれなりに平和に暮らしていた。身の程も弁えているから高望みはせず、それでも三流ながら銀行に就職できた。結婚も一度は失敗したが、それも当人たち以上に妻の親類に原因があったため。思ったほどの疵にもならず、すぐに再婚もできて、平々凡々に暮らしていた。だが……。
以上が主なストーリーである。この平凡な人生を淡々と、かつ克明に描いているのがミソだろう。それこそ給料明細や一日の出費、朝のルーティンから夫婦生活に至るまで、詳細に綴られる。秀夫の性格もまた人生同様に大人しく控えめであり、思うところも時にはあるが、そこまで拘りも見せず、人並みの欲望はあっても収入や時代の空気がそれをなかなか許してくれない。
まさに「風のない日々」なのである。だが、風がないから最高だとはならない。人間の暮らしには多少のそよ風ぐらいはないと息苦しい。著者がうまいのはそういう無風状態の平凡な暮らしの描写を積み重ねることで、逆に何か悪いことが起こるのではないかという予感を、読者に少しずつ植え付けてくることだ。確かにこれは上質のサスペンスである。
そして唐突に悲劇は訪れる。いや、実は唐突なのではない。秀夫と光子の夫婦は基本的に平凡で善良な人間だが、二人の心の中にあるのは、それこそ風を起こしたくない、できれば平穏に暮らしたいという気持ちである。しかし、それが二人のコミュニケーションを阻害し、ボタンのかけ違いを少しずつ積み上げていく。そしてある日、それは一線を越える。
あまりに呆気ない出来事だったが、秀夫の人生で起こった最大の事件。ところが秀夫はそんな事態に対してもいつものように覇気なく淡々と対処するしかない。それがあまりに悲しい。
と、ここまでで終われば、本作は一つの犯罪が起きるに至った経緯をノンフィクションのように再現した作品と言えるだろう。ところが最後の最後、ラスト三行によって、本作の印象はガラリと変わってくる。
その三行によって、本作が人の心の闇や不思議を描いただけではなく、むしろ社会や時代の闇や不思議を描いた物語であったことを知らされるのである。
逆説的になるけれども、ラストの事件を衝撃的に見せたいから、それまでの日常を平凡に描いたのではない。事件が起きたからこそ、平凡な毎日の正体が明らかになるのである。野口冨士男、恐るべし。
「風のない日々」が良すぎたので影はどうしても薄くなるが、「少女」も実は悪くない。こちらは少女を誘拐した青年が逃避行の末に逮捕されるという内容で、今読むとロリコン系の誘拐事件などが連想されるが、ちょっと趣きは違う。常識やモラルに捉われない恋愛小説とでもいうか、いわゆるストックホルム・シンドローム的な側面も備えつつ、男女の交流を描いている。
それにしても先日読んだ葉山嘉樹もそうだが、まだまだ未読の凄い作家はいるものだと嘆息した一冊。本当に読書は終わりはないねえ。
野口冨士男については名前こそ知っていたものの、これまでまったく読んだことのない作家。しかし、副題に「犯罪小説集」とあり、解説を見ると井上ひさしをして「上質のサスペンス小説である」と言わしめているぐらいだから、これはやはり読んでおくべきかと手に取った次第。

まずは「風のない日々」。
判で押したように平凡な毎日を過ごす青年・秀夫。出自こそ恵まれなかったが、気の良い親類に引き取られ、平凡ながらそれなりに平和に暮らしていた。身の程も弁えているから高望みはせず、それでも三流ながら銀行に就職できた。結婚も一度は失敗したが、それも当人たち以上に妻の親類に原因があったため。思ったほどの疵にもならず、すぐに再婚もできて、平々凡々に暮らしていた。だが……。
以上が主なストーリーである。この平凡な人生を淡々と、かつ克明に描いているのがミソだろう。それこそ給料明細や一日の出費、朝のルーティンから夫婦生活に至るまで、詳細に綴られる。秀夫の性格もまた人生同様に大人しく控えめであり、思うところも時にはあるが、そこまで拘りも見せず、人並みの欲望はあっても収入や時代の空気がそれをなかなか許してくれない。
まさに「風のない日々」なのである。だが、風がないから最高だとはならない。人間の暮らしには多少のそよ風ぐらいはないと息苦しい。著者がうまいのはそういう無風状態の平凡な暮らしの描写を積み重ねることで、逆に何か悪いことが起こるのではないかという予感を、読者に少しずつ植え付けてくることだ。確かにこれは上質のサスペンスである。
そして唐突に悲劇は訪れる。いや、実は唐突なのではない。秀夫と光子の夫婦は基本的に平凡で善良な人間だが、二人の心の中にあるのは、それこそ風を起こしたくない、できれば平穏に暮らしたいという気持ちである。しかし、それが二人のコミュニケーションを阻害し、ボタンのかけ違いを少しずつ積み上げていく。そしてある日、それは一線を越える。
あまりに呆気ない出来事だったが、秀夫の人生で起こった最大の事件。ところが秀夫はそんな事態に対してもいつものように覇気なく淡々と対処するしかない。それがあまりに悲しい。
と、ここまでで終われば、本作は一つの犯罪が起きるに至った経緯をノンフィクションのように再現した作品と言えるだろう。ところが最後の最後、ラスト三行によって、本作の印象はガラリと変わってくる。
その三行によって、本作が人の心の闇や不思議を描いただけではなく、むしろ社会や時代の闇や不思議を描いた物語であったことを知らされるのである。
逆説的になるけれども、ラストの事件を衝撃的に見せたいから、それまでの日常を平凡に描いたのではない。事件が起きたからこそ、平凡な毎日の正体が明らかになるのである。野口冨士男、恐るべし。
「風のない日々」が良すぎたので影はどうしても薄くなるが、「少女」も実は悪くない。こちらは少女を誘拐した青年が逃避行の末に逮捕されるという内容で、今読むとロリコン系の誘拐事件などが連想されるが、ちょっと趣きは違う。常識やモラルに捉われない恋愛小説とでもいうか、いわゆるストックホルム・シンドローム的な側面も備えつつ、男女の交流を描いている。
それにしても先日読んだ葉山嘉樹もそうだが、まだまだ未読の凄い作家はいるものだと嘆息した一冊。本当に読書は終わりはないねえ。