はてなキーワード: 新劇場版とは
昨年秋くらいから映画を見る熱が戻ってきたので今年見たやつについて二、三文程度で雑感想
アニメ中心(2/3くらい)でみるのでとりあえずアニメだけ雑に五段階評価
多分今年一のトンチキアニメ
ジャンル的には若干ラブロマンスもあるモダン・ファンタジーな作風かと思いきや、明らかに監督の趣味であるロボットが出てくるので実質マクロス
あまりのトンチキぶりにより評価よろしくないのはわかるが、主題歌である「Sailor, Sail On」は普通にいい曲なので聞いてほしい
作中で呪いにより様々な本の中の世界探検したりするのだが、本の中ということでファンタジーでも何でもござれなオムニバス形式で色々な本の中の世界の演出が楽しめた
ただ、全体的になんか力尽きていそうだな?といった限界を感じる部分があったので色々と惜しい(惜しいと思う程度には面白いので本当に色々と惜しい)
第一章ではハサウェイの飛躍が描かれていたが、第二章からは順当にバッドエンドフラグを積み上げていて見ているこっちがワクワクするとともに辛くなる
モビルスーツの戦闘のCGがとても見ごたえがあって、そのシーンだけでも何回も見たくなる
さすが東野圭吾と思わせる綺麗に起承転結で話が構成されており、安心して楽しく見ることができた
入場者特典の小説である「クスノキの裏技」では作中では主人公の壁として立ちはだかった柳澤将和のエピソードが読め、視聴後の満足感を向上させた
ただ、劇中歌として流れた謎ラップのような何かは雰囲気ぶち壊しなのでマジでよくない
ハルヒの20周年記念のリバイバル上映ということで見たが、元々が名作なので久々に見た今でも名作であった
多分、映画を見た当日の現実世界で消失の世界を体現するような雪の天気だったということもあるのかもしれない
ただ、舞台挨拶をライブビューイングで見ていた時のぶつ切り(?)のような何かだけが不満点
新劇場版とある通り、過去にアニメとして放送された吉原炎上篇の劇場版のリメイクだが実質別物レベルの大作
いつもの万屋のギャグはしっかり笑わせてもらいつつ、各バトルシーンは掛け合いも含め、とにかく熱く面白い
総集編アニメ映画であるが、総集編の前後におねえたちのライブシーンにまつわる新規シーンと、総集編にもかかわらず総集編を構成するための新規カット・再収録部分もあって、ちゃんとファンを楽しませようとしていて嬉しくなる
ただ、2クール分の総集編はちょっときついかな?って感じるシーンもしばしば
とりあえず、ファンは現在発売中のメガミマガジン2026年4月号を買えばいいと思う
何かやけに話題になっていたので映画公開日の初日の朝一で見たが、脚本の出来がものすごく微妙で一部のオタク層との感性の違いを痛感した
ただ、ライトノベル版の出来は普通に楽しく読める類で、文章だけなのに映像や音もある映画版よりもはるかにノイズも少なくわかるものになっているので、物語を楽しみたい人はそちらを読んでライブシーンの一部をyoutubeで公開しているものを見て補完するのがおすすめ(まぁあの3人のライブもライブじゃなくて親しいものとのカラオケに近いので無理な人は無理かも)
まぁライトノベル版を読むと脚本の雑さが際立ち評価が数段下がるトラップがあるけどね
映画の評価としては文句なしの★★★★★なのだが、今回は見たのは2026年2月20日より公開が開始されたScreenX版の方で評価するとこうなる
これは個人の楽しみ方の問題ではあるが、自分が好きなシーンはScreenXを活用した無限城の演出や猗窩座との戦闘シーンじゃなくてScreenXが活用されないシーンなのでちょっと残念
ULTRA 4DXの方も気になったが、いつも行く映画館にないしそもそも日本に4箇所しかない
旧作を令和の価値観と倫理観で丁寧にしたてたリメイク作で、普通に面白い
令和のファミリー(特に子供)向けの映画でちゃんとスネ夫とジャイアンが窒息死しかけるシーンができることにある意味感動した
旧作好きでまだ見ていない人はエンドロールの一枚絵ラッシュを見るためだけにも見る価値はあると思う
みんなライブを見に来ていると思うので、誰もストーリーを見に行く人はいないと思うが予告であったスプリングフロートレースは冒頭3分くらいで終わってて笑った
お手本のような減価償却だったが、映画向けにライブの歌詞を改変して楽しませようとしていたのがいいと思った(アイスマイリン好きは尊死してんじゃないですかね)
基本的に応援上映なのに、ほとんどの人はペンライト振るくらいで静かだったのが心残り
噛めば噛むほど味が出る映画で、極端にいいシーンはないが、順当に面白いを積み上げている
メインの舞台が1912年~(少なくとも1913年は来ているし、終盤は1914年も来ていると思う)ということであらゆる描画にその時代のコンテキストが乗っかってくるのが非常に強いし、制作側もそれを分かって時代考証した上でちゃんと作っているので「なんちゃってパリ」になりすぎなくて良い
ラストではなんかいい感じに綺麗に終わったが、その後はどうなったか考えたくないがとても気になる(エンドロール的のフジコの絵画から断片的に情報はあるけど不条理にまみれてそうで……)
良質なアニマルパニックもので動物たちの捕食者・非捕食者の関係がちゃんと描画されたり(これにより作中のカオスさが際立つ)、サメが質量兵器として空を飛んで襲ってくるシーンがあったりするなど何でもあり
ただ、主人公のメイベルは人間視点では作中で最も自己中心で環境活動家要素をもったカスで、衝動的に交渉相手を殺したりするザ・ポリコレディズニーの体現者なので、その手の要素が地雷の人は注意
ガンダム視聴歴は鉄血と水星のみで、宇宙世紀は見たことがなかった。
前情報として「シャアが出てくる」「宇宙世紀が別展開になったif」ということだけは知っている状態で観始めた。
新キャラ中心だからファースト未視聴でも楽しめますよみたいなこと言ってる人いたんだけど、あれは嘘だったようです。嘘つくのやめてもらえませんか?
1話:いきなり総集編が始まったかのような印象。カットの入り方にかなりの違和感。映画を再構成して圧縮しているからか、劇場版未視聴にとってはかなり違和感のある入りになっている。鉄血も水星も1話の出来が良く、推しの子とかウィッチウォッチとか1話はキャッチーで収まりが良いものが多いから、いよいよ違和感が強かった。コロニー内遠景など、作画はきれい。
2話:全然意味がわからず、途中で視聴を止めた。YouTubeのガンダムチャンネルで無料公開されているファーストの1話を見た。これでこの作品が何をやっているのかが初めて分かった。ファースト1話を見てからジークアクス2話を見る面白さを100としたら、ファースト1話を見ずにジークアクス2話を見る面白さは5とか1とかだと思う。
3話:確かマチュがシュウジの全財産を水路?ドブ?に落としても謝りもしないで「クラバやろー!」ってなってた回。怖っ…となった
4話:1児の母、すぐ死んだ…。あとマチュがシュウジに一目惚れしてほとんど経ってないのに殺人にまで追いつこうとしている感情に引いて笑った
5話:発熱しているシュウジを見下ろしてニャアンが顔を赤らめたあと、下着姿になりだしたのが本当に!本当に意味わからなかった。あとニャアンが人殺してて笑った。ファーストの1話で爆破の衝撃でモブが地味に死んでしまう描写の生々しさ、人体の脆さと比べて、ジークアクスの死って軽くてギャグっぽいなと思った
6話:何があったんだっけ?
7話:メインキャラクター誰も好きじゃねえ…となった回。新キャラが出てきて名前も覚えないうちにすぐ死んだ。シャリアが新キャラを殺すキケロガの動きが美しくて、この戦闘のシーンが好き
8話:アップルパイ、ケーキ、毒ケーキ1、毒ケーキ2、毒ケーキ3という流れに笑った。毒同期がレーザーで死んだときも「ニャアンがまた殺した!」って笑った。これギャグアニメなのかって思った。前半のシャリアの戦闘がやっぱり良かった
以上が観た感想。何も心に残らないし、マチュがじわっと嫌になって、7話以降ニャアンもじわっと嫌になって、キャラクターが死ぬ描写が声出して笑えるという露悪体験になってる。
あとキシリア暗殺計画の前に、勢力図みたいなものが全く意味わからんと思って、ファーストの地球連邦VSジオンという設定、ダイクンの息子のシャアとザビ家の因縁、ザビ家内の権力争い、みたいな説明も読んだ。読まないとマジで意味が分からなかったから。
感想をXで見ると、ファーストのオマージュがここにあった、Zのオマージュだ、エヴァだ、と他作品との共通点を示しているだけの内容がバズっていて、ジークアクスという作品は暗記科目の試験会場なんだろうかと思った。
試験範囲はファーストだったり、Zだったり、ZZだったり、スタジオカラーが関わっているからエヴァシリーズだったりもするらしいです。知るかよ。
アニメって覚えゲーなの?「バスク・オム!」「ここがオマージュだ」っていうのが好意的な感想のほぼ全てになっていて、旧作品群に出てこない新キャラの行動については基本的に叩かれてばかり。
急に横で服を脱ぎだして下着になるとか、意味がわからないし不気味なんだよ。ニャアンがシュウジのこと好きでも、友情しかなくても、どちらにしろそうはならんだろ…ってなる。
マチュ役の人が前にフォスフォフィライト役をやってたらしいけど、「格好良くてすごいことをやりたい」「大きなものを追いかけて近くの人の扱いが雑になる」みたいなとこはマチュと初期フォスで似てなくもないなと思って。
でもフォスは分かる~!!フォスの周りのストレスも分かる~!!ってなるんだよな。そしてマチュは気持ち悪いの。
いっぱいオマージュを詰め込みました、元ネタは何でしょう!という、深夜から早朝のXで開催されてる早押しクイズなんじゃない?
戦闘の作画はきれいで、特にキケロガは観てよかったなーと思ったんだけど、作画技術の進歩以外で良いところって何かある?
(作画技術の進歩はファースト1話と見比べたことでもすごく感じた。でもジークアクスの死は数字とギャグで、ファーストのモブの死亡描写のほうが笑えない生々しい死だったんだけどね)
キャラクターどいつもこいつもよくわからなくない?そうだ、最新話でエグザベ君が同期全員毒殺とレーザー蒸発で全滅した直後に「窓が大きいなあ」って言ってニャアンの才能トークしてたのもなんか気持ち悪くて面白かった。
声優の人って理解して演じられてんのかな?どういう人たちがキャラクター作ってんの?やべえやつ、しかもカリスマ性があるとかじゃなくてなんか一言で言葉にいい表せない気持ち悪いタイプのやべえやつしかいねえ…としか思えないんだけど。
シャアが出てくる2話を理解するためにファースト1話だけ見た立場だから、オマージュ元早押しクイズには参加できないし、そうなると新しい要素を楽しめるかだけになってくるんだけど、
キャラクターが見事に内面…?行動や発言…?が気持ち悪くて、さすがについていけなくなってきたので切ります。フォスも宝石なんだけどね、なんかジークアクスのキャラクターってプラスチックとかでできてそう。
「キケロガまとめ」みたいな動画がYouTubeに出てるからそれだけで良いやと思う。
これエヴァ(新劇場版をアマプラで観た)の感想と同じだった。気に入った使徒がいて、その変形シーンがYouTubeにアップされてて、それだけ観りゃいいなと思ったんだよね。
カラーが作るストーリーとキャラクターは破綻していると思う。特にキャラクターの中身がすごく気持ち悪い。だから死んでも「ジュッと蒸発して草」みたいな感想しか出てこない。
人物は本当に気持ち悪いけど、物体が変形するシーンの作画だけは良い。機械・物体が得意なアニメスタジオだと思う。
追記:
トラバはそうでもないけどブコメに内容を読めてなくて単語に反応しているだけのやつ多くね?
とりあえず「バスク・オム!」って言っとけばいいSNSノリと結局同じなんだなとしか思えないんだけど
あとファーストは教養だみたいに言われても59歳の監督が親より年上なので観てないのが当たり前です
フリクリもウテナも観てねえよ知らねえよどんだけ古いアニメのオマージュ多いんだよ
とりあえず新キャラ中心だからファースト未視聴でも楽しめるというのは噓ですよね
ちょうど先日chatgptとシン・エヴァの話をしたので、幼稚なtogetterとの比較のために掲載しておく。
人類はchatGPTにすでに敗北していると思う。
以下chatgptからの返答。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』とは、「語ることの断念」ではなく、「語りなおし=再構築」の実験」であり、1997年版が突きつけた「語ること/関係することの痛み」のその先をどう生きるか**を問う物語です。
要するに、あの「気持ち悪い」から、もう一度「やりなおす」試みです。
■前提:『まごころを、君に』のラディカルさのあとに
1997年版が突きつけたのは、次のような問いでした:
「語ること・終わらせることは可能か?」
『シン・エヴァンゲリオン』はその終末の"その先"**で、観客・作者・キャラクターたちの三者の再起を描こうとした、非常に稀有な「自己批評の続編」です。
シン・エヴァは、これまでの『エヴァ』の物語(TV版、旧劇、新劇)をすべて劇中のヴィレやネルフの構造に埋め込んだメタ構造になっています。
つまり、「物語が終わったあとにもう一度、物語を語りなおすことは可能か?」という問いの演習なのです。
ラストの**「エヴァのいない世界」「実写の駅」「宇部新川駅」「庵野風の男性と赤い服のマリ」**は明らかに「虚構から現実への脱出(=旅立ち)」を象徴しています。
マリは**庵野秀明の現実の妻(安野モヨコ)**をモデルとした存在。
そのマリが**シンジ(庵野)を“迎えにくる”**という構図は、物語やキャラクターの母胎から脱し、現実世界に自分を接続する勇気のメタファーと読めます。
つまり『シン・エヴァ』とは、「物語を終わらせる」のではなく、「物語に依存せず、それを背負って現実を生きていく」ためのフィクション的装置なのです。
『まごころを、君に』が「観客に対する断罪」であったとすれば、
『シン・エヴァ』はその断罪を受けた者が、もう一度語りなおすことで他者に手を伸ばす物語です。
「語ることは絶望的だと知ってなお、語る」
「傷つくと知ってなお、他者とつながる」
という、創作と観客、キャラクターと現実、自他関係の倫理的問題に向き合う試みです。
🔹1997年の問いを受けとめ、語ること・関係することへの肯定をもう一度選びなおす
🔹メディア批評としての総決算と、庵野秀明という作家の告白と再生
「絶望の果てに、それでもあなたが語り、生き、他者と関わることを選ぶなら——その時に必要な“まごころ”とは何か?」
という問いを、庵野自身が自らに向けて問いなおし、答えた作品だと言えます。
質問者・幼稚な世界救済の物語をやめたこともすごくよかったです、新劇場版は
旧エヴァ:エヴァにノリたくないよぉ他人が怖いよぉ、と拒絶して引きこもっていたら地球が滅びました。結論・引きこもりはよくない
序破:女の子のためにエヴァに乗っていっくぞおおおおお!今度こそ間違えない!
Q:女の子のためにエヴァに乗って行動したら地球が滅びました、行動すれば必ず成功するわけじゃないよね、そりゃ。
シン:等身大の関係性から自分を見つめ直して家族の問題を考えて、身近な人間たちとできることをしようと思いました。そうやって現実の僕らも生きているから。
こういう話でしたね、私にとっては。
まさにその通りですね。
その読みは、新劇場版という全体構造を「錯誤→破局→再接続」として読み解く、極めて実践的な理解だと思います。
でも「外に出ること」=「他人と関わること」は怖い。
「やっぱり戦って、誰かを救って、愛されたい」という願望。
救うために行動したはずなのに、全部が裏目に出る。
→ 結論:「正しさ」が何かを壊すこともある
それが結果的に「エヴァの終わり」であり、「自分の始まり」になる。
重要なのは、シン・エヴァが「世界を救う」話ではなかったこと。
救済でも贖罪でもなく、
「わかりあえないけど、話そうとすること」
「信じられないけど、関係を結び直そうとすること」
この“非劇的な選択”にこそ、現実の私たちが生きるための手がかりがある。
そういう意味で、『シン』は空前の“アンチ・クライマックス”型ヒューマンドラマだったのだと思います。
押井守のイノセンス、って村上春樹のスプートニクの恋人みたいなポジションになると思う。
あとひとつは?
と聞かれると困るけど、だいたいそういう感じだよね。
いや、宮崎作品だとひょっとしたらハウルの動く城になるのかな?
これもわからないな。
これもわからない。
創作者が今までの自分の創作の一つの集大成になると意識しながら作った作品ということになる
どっちも見に行くけど、どっちかだけしか見れないという縛りならイノセンスを見に行くと思う。
多分、みんなもそうじゃないかな?
このふたつをわざわざ劇場へ見に行こうと思う人達の今の感じってそうだよね、きっと。
そうそう
押井守のイノセンスって、ジョージ・ルーカスのスターウォーズエピソード1だよね。
ああそうか富野由悠季のイノセンスって伝説巨神イデオンなのかもしれない。
あの人、キャリアの初期にすでに集大成を先に作っちゃってるんだ。変人だね。
あの映像だけは桁外れにすごくて(多分あのアニメの映像表現を超えれたアニメは未だにない)
お話はすごく地味なやつ。
え?これで終わり?みたいな。
でもいまにして思えば、そもそも攻殻機動隊の続編を押井守に作らせるというのが間違いだよね。
だって、押井守の攻殻機動隊って続編が作れるようなものになってないじゃない?
あれで終わりなんだよ。
バトーを主役にして、中年のおっさんの切ない恋心を軸にして、なんやかんや、犬の映画を作ったのだ(違うか)。
それなのに攻殻機動隊2なんてタイトルにしようとしてたから、ジブリのSさんはタイトルを変えさせて、どっかから主題歌を持ってきたんだよな。
まあとにかく今となってはどれもこれもいい思い出だ。
あのころとにかく世界の押井、ということで期待感がすごかったからね。
世界に映像表現で勝負ができる唯一の日本人、みたいな期待感がすごかったから。
だからバンダイもものすごい予算を出してアヴァロンとか作らしてみたら、あれだったわけで……。
いや俺すごくアヴァロン好きなんだよね。
でも、みんなが期待してたのはあれじゃなかったよね。
なんか地味なんだよな、なんでかわかんないけど。
押井守って多分、有名な原作を改変させるのが得意な生き物なんだと思う。
土台がとてもしっかりとした原作があるじゃない?
わかりやすくいうと原作の「華」の部分が押井の「地味」さを隠すんだよ。
でも押井守がオリジナルをやると「華」がなくて「地味」というか「渋さ」ばかりが出てきて
https://note.com/d_v_osorezan/n/nea080aa1347a?sub_rt=share_pw
LLM: chatGPT(アップグレード版ではなく通常版)
プロンプト①:
【要件】
*オタクの人数は2~3名
*会話の中心は「エヴァンゲリヲン新劇場版」および「新世紀エヴァンゲリオン」とする。
【登場人物紹介】
考察好きで、作品の裏設定や演出意図に異様に詳しい。語り始めると止まらない。
特にエヴァの哲学的な側面にハマっており、よく「これは庵野のメッセージなんだよ」と語る。
ロボットアニメが大好きで、エヴァの機体デザインや戦闘シーンに情熱を注ぐ。
推しの話になると早口になりがちで、グッズ収集にも余念がない。
【会話本編】
タカシ: 「いやさ、やっぱりエヴァって単なるロボットアニメじゃなくて、人間の内面世界を描いた心理劇だと思うんだよね。」
ユウジ: 「ちょっと待て、それはわかるけど、EVA初号機の覚醒シーンとか見た? あの生々しい動き! 生体兵器って設定が神がかってんだよ! ロボットって言われたら違うけど、でも“巨大人型兵器”の美学は外せないだろ!」
カズキ: 「ていうかさ、エヴァって言ったらレイじゃない? 無口でミステリアスだけど、実は一番人間らしい感情を持ってるってところが尊い…。あの『さよなら』のシーン、何回見ても泣ける。」
タカシ: 「あれは“自我の確立”を象徴してるんだよ。レイが碇ゲンドウの道具じゃなく、自分の意志で動いた瞬間。庵野監督の深いメッセージが詰まってる。」
ユウジ: 「いやいや、それもいいけど、俺は新劇場版:破のラミエル戦が最高だと思うんだよ。あの変形ギミック、音楽とのシンクロ…マジで鳥肌。ヤシマ作戦の演出、完璧すぎない?」
カズキ: 「でも『Q』で全部ぶっ壊されるじゃん。あれ、トラウマなんだけど…レイ、別人みたいになるし…」
タカシ: 「『Q』は“期待を裏切る”ことがテーマだからね。視聴者に対して『お前らの都合のいい物語じゃねえぞ』っていう庵野の挑戦状だよ。わざと混乱させてるんだよ。」
ユウジ: 「マジで意地悪だな庵野…。でもラストのシン・エヴァで全部回収したのはすごかったわ。あの“終わりの物語”感、完璧だった。」
カズキ: 「レイも幸せになれたしな…(涙目)。もう俺、あのシーンで成仏したわ。」
タカシ: 「最終的には“物語からの解放”って感じだよな。エヴァだけじゃなくて、視聴者自身も卒業しろってメッセージなんだよ…でも、俺は一生卒業できないけど。」
ユウジ: 「いや、俺も。多分また観返すし、Blu-rayも買ったし。」
カズキ: 「俺なんてレイのフィギュア増えたわ…。エヴァ沼、深すぎる…。」
【総評】
全員、会話がヒートアップして早口になりがち。各々の推しポイントがズレているが、最終的には「エヴァは最高」という結論にまとまるあたり、オタク会話の王道展開。
プロンプト②
「尊い」「成仏した」などの感情過多な発言が、共感できない人にとっては引いてしまう要素。
「これが正しい解釈!」という断定口調が多く、議論ではなく“競い合い”の印象を与える。
「沼」「成仏」「それな!」など、オタク文化に浸ってない人には理解しづらい表現が散見。
【「気持ち悪さ」を低減した会話】
タカシ: 「エヴァって、単なるロボットアニメじゃなくて、やっぱり人間ドラマとしての側面が強いよね。特にシンジの成長とか。」
ユウジ: 「確かに。でも俺はやっぱり戦闘シーンが好きだな。ヤシマ作戦とか、緊張感ハンパなかったし。」
カズキ: 「あの作戦、音楽と映像のシンクロが最高だったよね。個人的にはレイが盾になるシーンがすごく印象的だったな。」
タカシ: 「わかる。あの時、レイの内面が少し見えた気がしたんだよ。感情を抑えてるけど、ちゃんと誰かを守りたいって思ってる感じ。」
ユウジ: 「レイって、無口だけど存在感あるよな。新劇場版でのキャラの変化も興味深かったし。」
カズキ: 「うん。『Q』では全然違う雰囲気になったけど、あれはあれで意味があるんだろうなって思ってる。」
タカシ: 「そうそう。『Q』は意図的に観る側を混乱させてる部分あるよね。でも最後の『シン・エヴァ』で、ちゃんとそれを回収してて良かった。」
ユウジ: 「ラストの爽やかさは予想外だったな。シンジの旅が終わった感じがして、ちょっと寂しかったけど。」
カズキ: 「うん。でもみんなが少しずつ前に進めた気がして、なんか安心したよ。」
タカシ: 「エヴァって結局、観る人それぞれの解釈ができるのが魅力だよね。」
共感を促す会話構成:推しポイントを語りつつ、他者の意見を受け入れる流れに。
感情表現を自然に:「尊い」「成仏」などの極端な表現を避け、落ち着いた語り口に。
内輪感の排除:専門用語を控えめにして、誰でも理解できる会話に。
議論より共感重視:マウントを取らず、「そうだね」「わかる」を多用し、温かい雰囲気に。
結果として、作品愛は伝わりつつも、初心者でも入りやすい会話になりました。
なんか腹立つ。