はてなキーワード: 同級生とは
そもそも、読書といってもたくさん読むのはビジネス書なのか、ドキュメンタリーなのか、小説なのか
小説ならジャンルはハイファンタジーなのか、ホラーなのか時代小説なのかラノベなのか
私が中学生の時は電撃文庫の話で友達とむちゃくちゃ盛り上がり楽しかった
高校生になったらまるマにハマり、涼宮ハルヒの憂鬱のシリーズにハマり、同級生と本の感想を言い合って楽しかった
ラノベなら流行の人気作品があるから他人と話が合わせやすいかも
朝井リョウとかちょっとした社会現象になるくらい人気の作品があって
朝井リョウの小説ならチェックしてる人が多いから他人と話が合わせやすいかも(ちなみに私はインメガチャーチは図書館で何百人待ちを待ってる状況でまだ読めてない)
雨穴のホラーミステリー小説なら映画化もして話題になってるし他人と話が合わせやすいかも
流行を追わず、自分が個人的に気になってる本ばかり読んでたらいくら読書が好きでも読書家同士でも話が合わないんだよ
夫婦で、本棚を共有してお互い同じ本を読んで語れたら幸せだろうけども
私の夫は活字本を読まない
第二部 学び直せなかった一年
ここで、君に正面から語りかけたい。
たぶん君の中には、私に近い感覚が少しはあるはずだ。
なくてもいい。
あったとしたら聞いてほしい。
入学して最初の数週間、君は周りを見てこう感じるかもしれない。
「あれ、この人たち、思っていたほどすごくないな」
先輩たちがわいわい騒いでいる。
話の中身はたいしたことがない。
誰々が誰々を好きらしい、という話。
君はそれを聞きながら、心のどこかでこう思うかもしれない。
「俺はこんな話をするために東京に出てきたんじゃない」
その感覚は半分は正しい。
ただ、残りの半分について、私が二十年かけて学んだことを君に伝えたい。
雑談を飛ばして、いきなり大事な話だけをしようとする人間は、長い目で見ると誰とも何の話もできなくなる。
これは二十年後に私が痛感したことだ。
けれど十八歳の私は、これをまったく理解していなかった。
理解する気もなかった。
入学して一週間ほど経った頃、駒場のキャンパスで一人の同級生と話す機会があった。
名前は仮にKとしておく。
背が高く、髪を少し茶色く染めていて、笑うとき口を大きく開けた。
「サッカーをやってました。あと、文化祭の実行委員やってました」
それを聞いた瞬間、私はKにあまり期待しなかった。
あの私を退屈させた連中の、東京版だろう。
そう思った。
ところがKはよく話しかけてきた。
授業のあと、「飯行かない?」と私を誘った。
最初は断った。
二度目も断った。
三度目に、Kは少しだけ困った顔をして聞いた。
「お前、誰とも飯食わないの?」
私はそう答えた。
Kは少し笑った。
「ふうん。じゃあ、気が向いたら声かけて」
そう言って行ってしまった。
そのとき私は、自分がKに少しだけ優越感を持ったのを覚えている。
私は違う。
私は一人でも平気だ。
だから私のほうが強い。
そう思った。
これが間違いの始まりだった。
Kは、誰かと一緒にいないと不安だったのではない。
Kは、一緒にいる時間そのものを価値あるものとして認識する能力を持っていた。
そのことを、私は二十年後に理解した。
語学クラスでは、よく数人で集まって、課題のフランス語の和訳を持ち寄って見せ合っていた。
私は最初、その輪に入った。
けれど私の和訳はたいてい一番正確だった。
少なくとも私はそう思っていた。
私は指摘した。
「そこ、違う。主語はこっちじゃない」
Kは「あ、ほんとだ。サンキュー」と言ってすぐに直した。
それはいい。
問題はその次だった。
別の同級生、仮にMとしておく。
Mが読み上げた和訳も間違っていた。
私は同じように指摘した。
「Mも、そこ違う」
Mは少し顔を赤くして、「うん……」と言った。
Kが軽く笑いながら言った。
「お前、間違いの指摘の仕方、ちょっと冷たくない?」
私はKを見た。
「冷たい? 間違ってるから間違ってるって言っただけだろ」
「いやそうなんだけどさ。なんかこう、もうちょっと、『あ、ここ、俺もよくわかんないんだけど、こうじゃないかな?』みたいな感じ、ない?」
私は内心で軽蔑した。
出た。
「言い方」だ。
Kは内容で勝てないから、言い方の話に逃げている。
私はそう判断した。
その日から、その輪には行かなくなった。
数週間後、その輪がMを含めて続いていることを知った。
けれどMは、Kの輪の中で笑うようになっていた。
間違いを指摘されても、頭をかいて「あ、ほんとだ」と言うようになっていた。
Mは変わった。
私が変わらなかったのに対して。
私はMのことを軽く馬鹿にした。
妥協したのだと思った。
今になって思う。
妥協したのはMではなかった。
Mは学んだのだ。
私は学ばなかったのだ。
風の噂で聞いた。
実際、内容は真面目だった。
そこには二年生にSという先輩がいた。
Sは私とは違うタイプの賢い人だった。
判例を読むスピードは私と同じくらいだったが、議論のときの立ち回りがまったく違った。
まず、後輩や他の人の意見を聞く。
そして誰かの意見の中でいいところを見つけて、「それ、いいですね」と言う。
「○○さんが言ったところに加えて、こういう論点もあるんじゃないかと思って」
そう言った。
私はSのやり方を、最初ずるいと思った。
あれは自分の頭で考えていない。
人の意見に乗っかっているだけだ。
そう思ってSを軽く見た。
「Sさんの今の論理は、判例の射程を超えていると思います。○○判決はあくまで△△の場合に限った話で、これを一般化するのは無理があるんじゃないですか」
Sは私を見た。
少しの間、何も言わなかった。
「うん、たしかにそうだね。射程の問題は僕も気になっていた。じゃあ、君だったらどこまで一般化できると思う?」
私は答えた。
私の答えは、Sが言うべきだった内容をより精密にしたものだった。
Sは「それ、いいね」と言って、私の意見を議論全体に位置づけた。
私は勝った気がした。
サークルが終わったあと、別の三年生の先輩が私を呼び止めた。
「君さ、頭はいいよ。間違いなく。ただ、Sのこと、ちょっとなめてないか?」
「いえ、なめてはいないです」
「Sはね、あの場で君のために負けてくれたんだよ」
「Sは、あの場の議論をいいものにするために、自分の意見を引っ込めたんだ。君に花を持たせたんだよ。それはSがバカだからじゃない。Sのほうが、議論っていう場全体を見てるからだ」
私は不機嫌になった。
「いや、でも、内容としてSさんの最初の論理は間違っていました」
先輩はため息をついた。
「うん。まあ、そうかもしれない。でも君がこれから先、誰かと一緒に何かをやるなら、内容で勝つだけじゃ足りないよ」
私はその日、サークルをやめた。
正確に言えば、その日のうちにメールで退会の連絡をした。
理由は書かなかった。
二度とそのサークルには行かなかった。
夏休みに入る前、私はKにもう一度だけ会った。
Kは相変わらずにこにこしていた。
彼女もできたらしい。
私はその女子を、可愛いとも可愛くないとも特に思っていなかった。
Kが別れ際に言った。
私は笑って答えた。
「誰かに頼って、その誰かが間違ってたらどうするんだ?」
Kは少し考えた。
「うーん。そうしたら、一緒に間違えて、一緒に直せばいいんじゃないかな」
私はその言葉を軽くいなした。
心の中で、「だから、お前は二流なんだ」と思った。
一緒に間違えて、一緒に直す。
そんなことに付き合っている時間はない。
私は一人で、間違えずに進む。
正確には、二十年かけてようやく思い出せるようになった、と言うべきかもしれない。
ここで、君にもう一つだけ伝えたい。
私が地方の進学校で身につけた「一人で考えたほうが正しい」という認知は、地方の進学校の中ではたしかに事実だった。
私の周りには、私より速く正解にたどり着ける人間がいなかった。
集団で議論すれば、議論は私のレベルに引き下げられるか、私の意見が通らないかのどちらかだった。
しかし東京大学に来て、私の周りには私と同じか、私より速く正解にたどり着ける人間がたくさんいた。
その時点で、私は戦略を変えるべきだった。
もう一人で考えなくていい。
人と議論したほうが、自分一人で出せる答えよりいい答えが出る確率が高い。
人に頼っていい。
人に教わっていい。
人に「わからない」と言っていい。
けれど私は学び直さなかった。
なぜなら、地方で身につけた認知は、私を東大まで連れてきた成功体験だったからだ。
それを捨てることは、自分の人生を否定することのように感じられた。
変化を恐れた本当の理由は、たぶんこうだ。
だから勉強の戦い方を変えることは、自分そのものを失うことのように感じられた。
後になって考えれば、ただの臆病だった。
けれど当時の私は、自分が臆病であることにまったく気づいていなかった。
孤独に耐えられる、というのは強さではない。
ただの不器用さだ。
優三つの「優三つ」というやつだ。
一人でやれば結果が出る。
けれどその学年末、駒場の生協の前で、語学クラスのKたちが五、六人で集まって笑いながら写真を撮っているのを見た。
Kの隣にはMもいた。
Mは四月のときと比べて別人のように、いい顔で笑っていた。
私はその輪を遠くから見ていた。
その輪の中に入りたいとは思わなかった。
ただ、奇妙な感覚があった。
結婚式に呼んだり。
子供の話をしたり。
そう自分に言い聞かせた。
その夜、私は寮の自分の部屋で二年生の科目の予習を始めた。
ここで私は、君に最も伝えたいことの一つを書く。
地方の進学校から東大に行ったことの本当の不幸は、東大に行けたことではない。
もし通っていたら。
私は十二歳か十三歳のうちに、自分より賢い人間に出会っていただろう。
泣いたかもしれない。
けれど十二歳の私はまだ柔らかかった。
十二歳のうちに負けることは致命傷にならない。
十二歳の負けは回復する。
十二歳の負けからは、人に頭を下げることを学べる。
十二歳の負けからは、「わからないから教えて」と言うことを覚えられる。
私の認知の中で、「負ける」という選択肢が十八歳の段階ですでに消えていた。
そして十八歳で東大に入った瞬間、私は相対的に普通の人間になった。
けれど、そのときにはもう遅かった。
十八歳の私は、十二歳の私のようには柔らかくなかった。
私は上の人間に頭を下げるかわりに、上の人間を見ないことにした。
上の人間から学ぶかわりに、「あいつは要領がいいだけだ」と評価することにした。
これらは全部、私の防衛反応だった。
だから君がもし、地方から東京の大学に出てきたばかりでこれを読んでいるなら、聞いてほしい。
早く、負けてくれ。
自分より明らかにすごい人間に会ったら、嫉妬する前に頭を下げてほしい。
「教えてください」と言ってほしい。
それは君の性格を守るための救済だ。
天井を知らないまま二十代に入った人間は、たいてい私のようになる。
私のようになるな。
これは命令ではない。
お願いだ。
子供の頃、両親フルタイム共働きで、学校が終わったら鍵っ子として家に帰ってきて、道具を持って塾や習い事に行くような子供だった。
父は家にいないのが当たり前だったし、母からはいつも面倒ごとを起こすなみたいなオーラが出てた。
その頃、塾や習い事のない日やその時間までいつも入り浸っている同級生がいたのだが、母親がその子を極端に嫌ってた。
子供心に極端に嫌うのが不思議だったんだけれど、多分、あの子も放置子だったんだろうな。
親としては自分のことを棚に上げてちゃんとしている親を演じたいのに、
放置子がかくまわれているとどうしても、ちゃんとしてない子供みたいに見えるのが嫌だったんだろうな。
もちろん、放置子に家のリソースをいろいろと使われるのも嫌だったんだろうけど。
東京出身の東大生の多くが、体感で俺らの同級生で言うと日東駒専ぐらいの頭の感じなんだよね、頑張ってるけど、って。
大学進学率が最低レベルのところと最高のところを比較したらそんな感じになんのかと。
よくわからんがそんなもんなのかな。
私は幼い頃から言語化が苦手だった。親や同級生に「なぜ?」と聞かれる度にモゴモゴして、その反動なのか「自分はわかっている」と思い込む為に大好きな映画、漫画、音楽、ファッションといったカルチャーを吸収した。
大学卒業後入社した会社では広報、クリエイティブ全般を担当することになったが、ほとんどの人が上澄みで物事を判断しており、優秀とされているディレクターや営業の人選やチョイスは明らかにダサかった。
数年前だがローンチしたある物のデザインがクソのまま世に出てしまい、全く注目はされなかったけど「草」というツイートを見かけた時にはとても恥ずかしくなった。
先陣を切って事業を回す人にこそ「センス」を身に着けてほしい。
わかる人にはわかる。
で、自分は一を聞いて十を知ったようになって、合理的な判断ができていると思わないでほしい。
ここで重要なのはセンスがあるから優れているとかダサいから劣っているのではなく、あなたが「センス」を身につければもっとよくなる。うわべだけのかっこよさや、経歴が凄そうだから外部の人間に委託するみたいな誤った判断をする。
と長々と書いたけど全然言語化できなかったから、AIに諸々ぶちこんだらきちんと補足してくれた。
それを利用して営業とディレクターと飲みに行って酒の力を借りて話したら思いのほか好感触で、自分には対話が欠けていたなと反省。
彼らは彼らで常に人とコミュニケーションを取って全体を俯瞰して見ている。
でも決定権を握っているような人にセンスがある人は少ないの事実だし、そのセンスの無さが様々な企業の様々な炎上を生み出しているし、クソみたいなコンサルが信じられない位会社から金をもらっている。
SundayIsEveryday えっ、これ増田側が悪いの?普通行くし、逆の立場(妻の同級生の家族ぐるみの集まり)でも行く。妻が行かなかったとしても、子どもを参加させないのはどうなの?これ避けてたら家族ぐるみのお付き合いできないのでは。https://b.hatena.ne.jp/entry/4786828036887093570/comment/SundayIsEveryday
増田は俺の心の拠り所。
ここには俺と同じような人がたくさんいる。
ここでは上から目線でアドバイスもマウントも、良い奴のふりをして自己啓発したり、心に寄り添った励ましもできる。
ここでは何にでもなれる。自由になれる。
誰も俺のことを知らないし、知ることもできない。
それが心地良い。
止めとけばいいのに同級生のSNSアカウントを調べてしまった。
みんな大人になっている。
https://anond.hatelabo.jp/20260421150739#
財力?高校にいたとき同級生からisoもらったりしてるからそれやってるだけよ。
dorawiiより
あと数年で50歳になる女なんだけど、最近同級生の友達の老いに対するヘイトがすごい
彼女は見た目が若々しい年齢不詳な感じのタイプなんだけど、会うたびに「肌のたるみがー」とか言ってる
いやたるむよそりゃ。もうすぐ50だよ?!
自分で嘆くだけだったらまだいいんだけど、最近芸能人に対してもその調子で「これは老けすぎだよね」とかLINEで画像を送ってくる
しょうがなくないか?日本人だったらまあ若く見えて女性として魅力的に見えるのなんて一般人なら40代前半くらいまでが限界だと思う
見た目を職業としていてスーパー課金しているのなら若くも見えると思うけど、そうでないのなら50近いなら普通に誰でも老けてるよ
同級生がエロ動画に出演していることが判明。確認の為、友人とニヤニヤしながら見るつもりだったが、あまりにも本当に同級生で、喋ったりLINEしている同級生かつ友人が太り気味の男と行為をしていた。
小学生の頃は先生側のソフトで操作を一切受け付けなくなってるときにctl+alt+dltでそれを回避して見せるだけで同級生はパソコンに詳しいと思ってしまう。
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20260501132603# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCafQrXQAKCRBwMdsubs4+ SDUSAQDPFEm88ikJFyQj1V1bCOFldqQ6E96CqKpcda80Ob1ONwEA3PegqwI0duJd aBLL2b2kHpScIrzEPtuE1Gv2DVGpEQA= =ma0Q -----END PGP SIGNATURE-----
小学校の頃も黒人の同級生はいたけど人種で国籍なんてわからんもんな
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20260501105917# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCafQI9gAKCRBwMdsubs4+ SBPuAQDJRDCpYHUtiqPgUPNjyTcErRrvdsmaDQhsuFhSMSEoCQEA04eAqrB9gwfC Pim4cik+7Myu9gGLyTvFvzr+E3cL+g4= =6P/2 -----END PGP SIGNATURE-----
https://x.com/taichinakaj/status/2049477739670102518
女の生きづらさは、「若い女」の価値が高すぎるせいで、それが実質「通貨」になっていることからも生じてるんだよな。つまり、『若い女Pay』である。
あらゆるコストの支払いを『若い女Pay』に依存してしまう。これは、ちょうどクレカで登録したサブスクのようなもので、使用者には「使っている自覚がない」んだよ。無意識なんだ。自動引落なんだ。
これは売春や、そのほか直接的な性的サービスにかぎらない。じつは『若い女Pay』というのは、顔の偏差値が40以上、かつ30代前半以下の女には、永続魔法のように効果が持続し続けている。
『若い女Pay』を、ただ持って見せるだけで入れる部屋がある。空港における『プラチナ・カード』みたいなものだね。
特別なことは何もせずとも、男は無料で受けられないサービスを、なんか無料で受けられるようになっている。あるいは、割引がなされたりする。それは『奢り奢られ論争』のように、認知できるものだけではない。そのほとんどは、気付かないほどしずかに、水面下でおこなわれている。
それが、老化と同時に「若い女Pay安」に陥る。つまり、価値がさがる。満足に支払いができなくなる。するともちろん、手に入るサービスがへっていく。
今まで当たり前に入れていた、タダで酒やら食い物やらが貰える、景色がよくて静かなデカいソファのある部屋に入れなくなる。いままでVIP待遇だったのに、急にブラックリスト入りしたみたいになる。
あの小汚いおじさんとおなじように、急に冷たいイスに座らされる。そりゃあ、不満にもなるわな。
でも、どうしてそんなことになったのか分からない。なぜなら、『若い女Pay』を使ってきたことを自覚しづらいから。
突如、いままで取り巻いていた「当たり前の文明」が消滅する。あたり一面がサバンナと化す。体力も能力もないのに、とつぜんのサバイバル生活が始まる。
30歳のイエネコが、急に野良に放たれるんだから、そりゃあ、生きづらいし、不満よな。
もしもさ。16歳の子供に「限度額なしのクレジットカード」を持たせて、自由に買い物させていたら、そのあとどうなると思う?
つまり、「多くのものが当たり前に手に入る生活」をさせて、それを30歳になった途端に、「はい、もうダメ〜」と取り上げてしまったら、そりゃあ「......ワタシ...セカイ....ハカイスル...!!」となるに決まってる。
幸いなこと(?)に「男」には価値がない。マジでない。ほんとうにない。ないです。危機感持ったほうがいい。いや、持っても仕方ない。ないんだもん。
でも、そのおかげで男は「欲しいもの」にしっかりと対価を支払う。そういう、コスト意識がある。価値がないからこそ、価値を提供する。そういう意識があるんよな。価値がないから。ほんとうに。
女がゲーム中盤以降で詰みやすいのは、何をどこまで「若い女pay」で購入してきたのか、それが不明瞭なまま生活していく構造の中にもあるんよ。あとで明細みてビックリするタイプの。
そもそもこの経済社会は、「若い女を買いたい、価値のない男」が、その支払いのために経済をぶん回して出来てるわけだ。いい大学を出て、いい稼ぎを得たら、いい家に住んで、いい服をきて、いい車に乗れば、もしかしたらモテるかもしれない。(モテないけど。)ダメなら、女を買えばいい。
そもそも、そういう経済競争の先には「売春と賭博とパワハラ」以外には何も用意されてない。だから、男が経済をやり、女を金で買い(結婚や、モテを含めて)、女は上手に若い女Payを利用し、結婚で事業ごとバイアウト、が最適解になっているわけだな。
そう考えると、飢えた男の欠乏感で経済が回ってるうちは、生物的に満たされた女が経済の主役になるのは難しいだろうな。
これまで8000人に奢られた経験からいうと、やはり「女の生きづらさ」は、男の生きづらさとは別のベクトルなんよな。だから、どっちのほうが辛い、なんて勿論いえない。
「生きづらさ」とは、手に入らない苦しみだけではないからね。手に入りすぎる虚しさもある。男なら、みんな知ってるだろ。プロアクションリプレイで最強ポケモンをつくった同級生の鍵っ子を羨ましがるのはあまりに幼稚じゃん。つまらんやろ。すぐ飽きるやろ。そんなん分かりきってることじゃん。男ならな、たまご厳選、からのジグザグマ乱獲、正の字を手書きメモだろうが。たまに数えたか分かんなくなる。それくらいでいいんだよ。人生ってのは。
女の話にもどるけどさ。「そもそも欲しくないものを、まるで『好意で買って頂いた』かのようにして買い与えられる」という若い女Payの自動お節介決済も、女性の生きづらさを助長しているわけだ。
いま多くの女性が「いやいや、そんなもん、欲しくもないよ」と叫んでいる。男はいいよな、って。鍵っ子は帰る家を羨むし、帰る家のあるやつは鍵っ子のゲーム機を羨むものだ。
とはいえな。ないものはないし、あるものはある。そうだろ。だからさ、現実的な部分と、うまく折衷するしかないよな。男も女も。ポケットモンスター 虚無/ 無限 くらいのもんよ。どちらも地獄。みんなちがって、みんなクソだよ。
プロ奢ラレヤー🍣
@taichinakaj
10年間フォロワーに奢られて暮らしてます。 奢りたいひとは「奢りたい」とLINEして→ https://lin.ee/aFXo5bT 。 👇8000人に奢られたついでに結婚相談所もやってます
SNSやデジタルコンテンツは、男女間の相互理解を困難にし、対立を深める多角的な影響を与えています。主な影響は以下の通りです。
SNSの普及により、極端で有害な異性の言動が可視化されやすくなったことが、若い世代の異性観に影響を与えています。
現実の異性との交流よりも、商品化・美化されたデジタルコンテンツに依存することで、感性が歪む可能性が指摘されています。
対立やトラブルを避けるため、デジタル技術を介して「同性との交流」や「ソロ活」へ逃避する動きが加速しています。
SNS上の発言が自動翻訳されて拡散されることで、対立が国内にとどまらず国際的な問題として認識されるようになっています。
このように、SNSやデジタルコンテンツは、異性の「負の側面」を強調して見せると同時に、現実のコミュニケーションを代替・歪曲することで、男女の心理的な距離をさらに広げる役割を果たしています。