はてなキーワード: フィルタとは
男の場合は「周りのことなんか知るか、俺は俺のやりたいようにやるんだ」って感じ。
要は自分がやっていることが自己中心的で周りに迷惑をかけていることを理解したうえで、世間のルールに対して跳ねっ返りをしているケースが多い。
当然そういう奴は迷惑で、まぁ要はヤンキーだったり反社会的な人間だったりする。あいつらはルールを知らないわけではなく、ルールを守らないこと自体がアイデンティティなわけだ。
真面目にやるのはダサい、ルールを守ってるやつなんてキモい、みたいなそれ自体理解不能な思考をしている。
一方で女の場合は、周りに迷惑をかけているという事に全く気付いていない、もしくはそんな概念が存在するとさえ思っていない感じがする。
女って男に比べて社会性が高いと言うけれど、その女が言う社会というのはほんの数人程度の仲間内だけで完結している。だから仲間同士では(少なくとも表面上は)仲良くやるし、ルールというものが存在して守らなければならないという規範意識は持っている。
しかし一歩「他人」の世界に踏み込むと、もう彼女らにはその他人を「同じ社会を構成していて、ルールを共有しており、お互いに尊重し合うべき存在である」とそもそも認識できていないとしか思えない。
道幅いっぱいに広がって歩いて、向かいから誰か来ても避けようともしない。混んでいる場所で一瞬たりともスマホから目を離さずにのろのろと歩く。一旦邪魔にならないよう広い場所に出てから、みたいな思考が働いていない。
害悪度合いで言えば、あえてルールを積極的に破ろうとする一部の迷惑男の方が大きいのは間違いないだろう。度を越えた悪という意味で犯罪者や反社は圧倒的に男の方が多いのが事実だから。
しかし一方で、女性はその大半がそれぞれうっすらと自己中心的であるとしか思えないのだ。赤の他人の集団の中であっても周りに迷惑をかけずに責任感を持って行動する女性の方が珍しいとさえ思う。
恐らく大局的に考えて全体最適のためにそれぞれが少しずつコストを支払うという概念が女には存在していないのだろう。コストと言っても金の話じゃなくて、ほんのちょっと進路を変えて道を譲るとか、一瞬スマホから目を離して周りの状況を確かめるとかたったそれだけなんだが。
だから迷惑な男はそれだけを自分たちのいるところから排除すればそれで良いのだが、女は殆どがそんな連中だから「女」という属性の時点で排除しなければならなくなってしまう。
もちろん理想的には一人一人の能力や社会性等をきちんと深く調べて判断すべきなのだが、普通の人間社会においてそんな悠長にコストをかけることはできない。就活で学歴フィルタをかけるのと同じことだ。
シンプルな学問や仕事上の能力の違いとか社交性とかコミュニケーション能力とかじゃなくて、もっと根本的な行動原理の部分での社会性の差がそのまま男女の扱われ方の差になっているのではないか。
女はこれを読んで冷静に考えてどう思うのか、是非聞いてみたい。女から見て男の行動は逆にどう見えているのだろうか。
https://www.youtube.com/watch?v=TCBYrMVIVLA
これをオタクの友人とさっき見た感想。それから50分ぐらいでががーーって書いたので誤字脱字はすまん。
0:45~
文字で説明かよクソがっ!って文句言ったら友人「スターウォーズと同じやろにわか乙」って言われて落ち着く
1:31~
2:06~
スパイファミリー劇場版でアーニャがトイレするシーンの方がよほどすごい
これ劇場作品の冒頭かつWeb公開を想定したヒキの必要な場面だよな?
なんでこんなにしょぼいんだ?
ここでガッツリバレエの演技見せてバレエってすごい!!ってするほうがよくない?
主人公はバレエに見てトリップする異常体質だからって話なのか?
2:31~
2:45~
全部説明してくれる!親切!止め絵で全部会話文使って説明してくれる!
省エネ!まあ退屈!
3:13~
薙刀おじおば出てくる
写真撮影、ロング、歩きながらのアップ、アップ、自己紹介とつながるけど
無意味にスケッチ落とした後のカットがハイアングルのロングだけど使用用途が不明すぎる
こういうのは状況説明とかキャラクター同士の距離感を見せるのに使うんだが、今いらんやろどっちも
事前のカットがわかりにくかったからこういう説明を入れたのだと思うけど、客を信頼してなさすぎるのか
ここまで、とにかく必要な情報のピースを紙芝居的につなげてるだけになってる。冒頭文字説明したことも含め、
とにかく導入は捨ててでも、すべての客に背景情報を叩き込むという強い意志を感じる。
ここから見えるのは、谷口はとにかく観客を信頼してないし、1から10まで説明しないとダメだと思ってる。
4:03~
壁掛け写真の前でヒロインが困惑みたいに見えて、実は左下の写真に気付いて注目してるカット。
クッソわかりにくい。これいる?
4:08~
スーパーオーバーアクトメガネが中心になってすごくすごく丁寧にいろいろ説明するシーン
4:32~
からの~パリの写真のアップ、ハイアングルのロングでヒロインが写真を凝視してることがわかる。
一番ゴミな部分。
これ入れて「10000 Years later・・・」みたいな演出なんだろうけど、だったら一旦建物の外のカット入れるんじゃなくて、
パリの写真のアップのところで、大人の会話の音のフォーカスを外して、パリに思いをはせる主人公の妄想カットでも入れろや
クッソベタだけど今のすげえテンポ悪い映像より一億倍マシだろ。客信頼してないならベタなカットの方がましだしな。
ていうかこのシーンずっとカメラが外にあって外部記録の羅列ばっかやってんのなんで?バレエ鑑賞のシーンでチープながらも主人公の内面にカメラ持って行けてただろ?
5:06~
手提げを取りに行って、薙刀ヒロインのラジオ体操を目撃するシーン
ここもダサい。
一目見て惹かれたってのはわかるけど、カメラはヒロインの肩越しから始まって、すぐに回転してヒロインのアップ、
そのあと舞台にカメラを戻してずーーーーーーーとロングで書いてる
まずいきなりアップでヒロインの顔映すな。俺らは薙刀ヒロインのラジオ体操しかみとらんのだが?何に惹かれたか教えろ。
で、ジブリ絵でやってるから余計そう思うんだけど、情報量が圧倒的に足りてない
ジブリであればこうしたロングショットでも、少女のスカートの裾の揺れや足元の重心移動あるいは舞台の木の床の質感とか
そこにそれがあるっていうリアリティをガッツリ描き込むけど、このシーンにはにはそうした情報量が圧倒的に足りてない。
ただの平坦な背景にキャラクターがバレエのまねごとをしてるだけって感じ。しかも3Dトレスっぽい退屈な作画。
5:48~
ここで挟む妄想シーン、4:32~で写真からのシーンに挟んでおけば、もっと自然なつながりになったのでは・・・?
なんでここなんだ。意味不明。
あとはまあ、わかりやすく女性差別書いてたりと退屈なシーンが続くので割愛
思ったのは谷口は本当に客を信頼してないんだろうなと思う。
ストーリーをすべて劇中で説明するし、退屈なシーンをガッツリ入れてでも状況説明を1-100まで全部やる。
フローチャート演出ここに極まれりという感じだし、わくわくするようなカットも映画的な呼吸も何一つない。
でもこれによって観客は物語をきちんと理解することができるし、物語の評価がSNSという作品と一段離れたところで、
観客というフィルタを通して行われる現状では、こうした作品の方があっているのだと思う。
自分ははてなブックマークにかなり依存している。その中で苦痛を感じていることが2点ある。
ひとつは「世の中」カテに重箱の隅をつついたようなジェンダーネタが結構な数あることだ。固有名詞で識別できる場合はフィルタで弾けるがそれ以外はインプットされてしまう。「性の商品化ゆるすまじ」「レイプセクハラ許すまじ」「女性の自己決定権妊娠被害で自分をあきらめない」は思想としてはわかるんだけども世界中のすみっこ記事からそれを必ず拾い出してきてホッテントリに入れる人達には閉口している。さらにその上で議論されるなんていうか定型のプロレスみたいなやりとりも苦痛だ(見ないけれども)ホッテントリに入るサイトも世界中のサイトからするととても限られているけれど、特に記事の品質が高いとかさすがプロメディアと唸るような話はすくない。特に朝日新聞。自分ははてブの記事で朝日新聞は嫌いになった。
「炎上ウォッチャー」で炎上ネタをまとめてアフィリエイト広告クリック流入を狙う人達やサイトもまだあるようだ。この手の人達も含めたフリーミアムエコシステムなのかもしれないけれどもう少しなんとかならないものかと思う。
増田がミクロな視点でイスラエルに批判的でパレスチナ住民に強く同情的で怒りから強い批判トーンで書いてるのは察した。
そんな相手にこういう書き方でよいのかわからないけど、思ってることをはっきり伝えると、俺はもっとマクロにこの問題を扱ってて「トロッコ問題」だと思っている。イランが走らせたトロッコの線路上に、イスラエルとパレスチナの両国民が縛り付けられている状態。ネタニヤフはその現場でレバーを引く役割を押し付けられた(あるいは自ら引き受けた)ただそれだけの男に見てる。ネタニヤフは自国民の利益のためならハマスとも握れるような極めて冷徹な判断力と強い思想があり、トロッコのレバーをイスラエル国民側に引くだけの力があった、そして歴史がその機会を与えただけだろうと思ってるよ。
これが現地の人々の苦境に対してひどく不適切なモノの見方ってのはわかるんだけど、正直に言って、現地のフィルタのない情報も持っておらず、親族や友人に被害が出たわけでもないという完全に第三者の俺は、この問題に関して軽々しく「善悪」をジャッジする立場にないという思いが強い。故にどちらにも心情的に味方することができないイライラもあって、それに蓋をするようにマクロな見方で訳知り顔でものを書くしかないなって思いがずっと気持ちの奥底にある。
こんなひどい行為の前に「判断できない」という無力感やイライラに蓋をするために、マクロな視点で訳知り顔をするしかないというのが、俺の本音なんだと思う。
セキュリティの勉強をしていて気づいたことがある。フィッシングメールの文体と外交の言葉って、ほぼ同じ構造をしている。
「早急にご確認ください」
この流れで人はリンクを踏む。最初の「大切なお客様」が効いてる。信頼感を先に与えると、後の要求に抵抗しにくくなる。心理的な先払いだ。
「友好国」って言葉もまったく同じ仕組みで動く。
正直に言うと、俺もこの言葉を見出しで見たとき、ちょっとだけ嬉しくなった。仲間って言ってくれてる、みたいな。気づいてから「あ、引っかかってる」って思ったけど、嬉しかったのは事実で、それが消えるわけじゃなかった。訓練受けてる人間でもそうなるんだから、そりゃ効くよ。
セキュリティ用語でいうとプリテキスティング。信頼できる存在のふりをして、情報や行動を引き出す手口。「IT部門です、パスワードを教えてください」が通じるのは、相手が「IT部門なら大丈夫」と思い込んでいるからで、その思い込みを作るのがプリテキスト、つまり前置きの嘘だ。
「友好国として日本に求めること」は完璧な文型をしている。友好国という前提を相手に飲み込ませてから要求を出す。受け手はその前提を検証する前に感情が動いている。
フィッシングメールはスパムフィルタに引っかかる。訓練を受けた人間は踏まない。でも「友好国」という言葉を検知するフィルタは社会に存在しない。むしろその言葉を見出しに使うことで、メディアがプリテキストを強化する側に回っている。俺もそこに乗っかった一人だ、さっき嬉しくなったんだから。
ソーシャルエンジニアリングで一番効くのは、攻撃だと気づかれないやつだ。それだけ。
・はてなブックマークのコメントで共感できる、なるほどなと思えるコメントが激減している
たとえばEVや再エネの話題など、科学的に正しくないデマコメントが増えた。「再エネで尖閣と北方領土と竹島は守れん」「高市はんようやっとる」みたいなコメ。典型的なおとしよりおじいさんムーブ。ちょっと前だと激しく嫌韓嫌中を煽ってた人達か。
・いつまでも小学生の喧嘩みたいなフェミが!、アンチフェミが!、ミサンドリストが!ミソジニストが!下方婚!弱者男性!みたいなこと
痴漢が!レイプが!ストーカーが!男は信用できない!痴漢されるほうも隙がある!延々とやってる少数の?人達のノイズが邪魔すぎる。キーワードでフィルタしにくいので迷惑度高い。
・そもそもホッテントリ自体うんこみたいな内容が全然減らない。特に週末。朝日の取材の薄いかわいそうなおとぎ話エモ記事とか東京新聞の重箱の隅みたいな記事とか赤旗とか。「これはひどい」タグつけまくっている人とか。昔大学の門の前に赤ペンキ青ペンキで「日帝粉砕、三里塚へ3.29」みたいな誰が読んでいるのかわからない看板がずっと立っていたけどあんな印象。「辺野古が!」
・TogetterPosfieのうんこみたいなまとめも全然減らない。典型的な「ちょっと極端なことを言い切るとツッコミが入ってブクマが伸びる作戦」
いつまでやっているのか。これは表示されないようフィルタを設定しやすいからまだ対応できる。
・古株の?老舗の人達のはてなブログエントリが劣化している。年寄臭い愚痴みたいなよくわからないエントリが増えた。
・アニメ評論でさえ30年前にはそれなりに文化的に本質的な話も発展する業界のビジネス的な話題もあったとおもうけれど。なんかなろう系のテンプレ作品を切ったとか完走したみたいなどうでもいい話しかなくなってる。
つまり
内容 → 拡散
逆の説明: アルゴリズムが拡散する→拡散されたものだけ人が見る→だから「ウケているように見える」
つまり
拡散 → ウケているように見える
人間が見ているデータはすでにアルゴリズムによってフィルタ済みです。だから人気の原因を観察しているつもりでも、実際にはアルゴリズムが選んだ結果を見ているだけになる。
2. アルゴリズムが一部を優先表示する
3. 優先表示されたものだけ大量に見られる
4. その結果「いいね」が増える
5. 人はそれを見て「この絵がウケた」と判断する
の可能性がある。
もし同じ絵を
したら、Aのほうが人気に見える。内容が同じでも結果は変わる。
だからこの発言は、人気コンテンツを研究しても無意味。なぜならそれはアルゴリズムの選別結果だから。という、いわば観測データの内生性問題を指摘しているわけです。
経済学や推薦システムでは典型的な問題で、クリック率分析でも同じ罠が出ます。露出が増えたからクリックが増えたのか、クリック率が高いから露出が増えたのかが分離できない。
ユーザーがメルマガやリランキングを分析しているなら、これはかなり身近な構造です。推薦ログには必ず
が混入する。
少し皮肉な言い方をすると、SNSの人気研究の多くは「アルゴリズムの癖」を「人間の嗜好」と誤認している可能性があります。
アルゴリズムは本当に内容を評価しているのか、それとも拡散しやすい構造を選んでいるだけなのか。
この違いが、SNS文化がどんどん似た投稿ばかりになる理由につながってきます。
進化生物学でいう選択圧が、プラットフォーム側に存在しているわけです。コンテンツはその圧力に適応して変形していく。少し不気味な文化進化の実験場です。
性欲といふもの、若き日には空気のごとく身にまとひて、あらゆる景色に薄くかかれる霞のやうに思ひしを、ある日ふと、医師の処方せる薬を飲みてより、忽然とかき消えたりけることあり。
それまでは、街を歩けば、すれちがふ人の姿形を、知らず知らず品定めする目つき、
広告に映る肌色の多き写真を、わざと見ぬふりしつつ、心のどこかで気にかける心地、
仕事帰りの黄昏に、ふとスマホを取り出しては、いかがはしき画像の誘惑と、己が節度とのあはひに揺れ動く愚かしさ。
これらみな、「しかたなき人の性」と言へば聞こえはよし、実のところは、終日、犬に引かれたる散歩のごとく、性欲という綱を首にかけられ、あちらこちらと連れまはされてゐるに過ぎざりき。
ところが、ある持病にて、薬を替へられたる後のことである。
一週、二週と過ぎるうち、ふと気づけば、あの始終ざわめき立ちゐたりし胸の奥のざはざはといふもの、いつのまにやら声を潜め、
気の多き猿のやうに騒ぎ回ってゐた心の一隅が、しんと静まり返りたり。
初めは、それと気づかず。
ただ、あの手の広告を見ても、何とも思はぬ。
駅のホームにて、薄着の若き人の姿を見ても、「寒からう」とは思へど、「好まし」「近う寄らばや」といふ類の思ひ、起こらず。
夜、ひとり布団にもぐりても、手持ち無沙汰ではありながら、さりとて、昔のやうに強き衝動に突き動かされることもなし。
かくて、ある夜ふと、「あれ、そういへば」と思ひ当たりて、
その日より、世界の色合ひ、少しずつ変はりたり。
まず、街の景色。
往時は、すれ違ふ人を見れば、「美し」「さうでもなし」と、心中にて採点する癖やありしが、
その癖の、すっぽり抜け落ちたることに気づく。
人を見れば、ただ「赤きコートの人」「重たげな鞄を持つ人」といふばかりにて、「女」「男」と分かつ眼鏡が曇りたり。
かくなると、人混みは、求むべき狩場ならで、ただの群衆となり、
通勤路は、獲物を探す狩人の道ならずして、単なる行き帰りの道となる。
コンビニに入れば、雑誌コーナーの袋とじは、もはや私の敵にも味方にもあらず。
「ここに売り場面積を割くとは、商魂たくまし」と、商いの算盤を勘定するばかり。
あられもなき格好の表紙を見ても、「よくもここまで照明を工夫したものよ」と、写真としての構図に興味は行けども、
胸の内がかっと熱くなることはない。
かくのごとく、「性」のフィルタの外れし世界は、思ひのほか、平板にして、また澄みたり。
一つの欲の音量を絞れば、他の響きの、小さくして精妙なるもの、耳に届きやすくなるらし。
水のきらめき、冬の日の光に細かに砕けて、銀の粉を撒き散らせるがごとし。
「昔より、こんなに綺麗であったか」と、我ながら驚く。
ふと顔を上げれば、雲の切れ間よりすじを引いて射し込む光、
昼休み、いつもはスマホにて、安手な刺激を求めてスクロールし続けし時間も、
ふと、画面を伏せて、同僚の声を聞くに至る。
以前なら耳を素通りしてゐた、わずかな寂しさ、疲れの色が見え出づ。
性欲といふ、大きな渦のふき音が静まれば、
他人のささやかな心の揺れが、かえってよく聞き分けらるるものと知る。
かやうに記せば、「性欲なき境地こそ、さながら悟り」と思ふ人もあらむ。
されど、実のところは、かならずしも、さう楽観すべきにもあらず。
夜更け、部屋の灯りを落とし、布団に横たはれば、
それはそれで、「まだ生きてゐる」といふ手触りを、肉体から受け取ってゐたものなり。
今は、そのざわめきもなく、
掌を見つめれば、ただ血の通ふ器官としての手があるばかり。
「人は、何ゆゑに生きるや」といふ問いなど、
いささか、切実の度合ひを増す。
人の生は、さて、何を目的として続けらるべきや。
友と語れば笑ひも出づ。
それでも、「ただ、それらをしてゐる」以上の必然を感じ難い時がある。
かつては、欲望の火が、「とにかく前へ」と背を押してゐたものを、
今は、誰に押されるでもなく、惰性に任せて転がってゐる石のやうな気分も湧く。
性欲といへば、しばしば人を惑はし、身を滅ぼすものとして、
然れど、一切あらざれば、これはこれで、
味気なき飯のごとく、腹は満ちても、心のどこか、ひもじきを覚ゆ。
むかし兼好が、「あやしき家に生まれたる人の、身の程をわきまへず」など書きて人の愚かしさを面白がりしが、
今の我が身をふり返れば、「欲もまた、愚かさの一部にて、人を人たらしめる調味料なりけり」と、
少しばかり同情的に見直したくなる。
さればといって、薬を捨てて、元のざわざわに戻る勇もなし。
静かな湖面に、わざわざ石を投げ込むがごとき所業、年老いてからは、なかなかし難い。
それを考へることこそ、今の私に残された、新たな遊びともいへむか。
「欲に振り回されてゐた頃の眼は、もう少しぎらついてゐたか」と思ひ、
今は今で、少しく寂しげな、しかし、どこかあきらめを含んだ笑みを浮かべてゐる。
「人の一生、欲多きもまた可笑しく、
欲の減りゆくもまた、哀れにして、どこかをかし。」
かく思ひ直して、今日も薬を飲む。
その錠剤ひとつが、性欲の火だけでなく、
――などと書きつゝ、ふと気づけば、
文章に向かふこの執着も、別のかたちの「欲」に違ひなかりけりと、
ひとり苦笑するのであった。