はてなキーワード: アニメとは
漫画を読んでいると、話のあらすじを読むだけの時とは違って、キャラの絵の大きさや丁寧さ、コマ割りや費やしたページ数の違いから、個々のキャラに対する作者の思い入れの違いを感じるのが辛い
推しの扱いの軽さ、作者の思い入れの無さがさー、分かるんだよ。読んでいると。
世界を救う鍵を握る巫女のような存在で、主人公は世界か彼女の命かどちらか選ばなければならないみたいな展開で、
あらすじにして抜き出してみると推しがさも重要そうでも、実際の誌面を見ると小さなコマ、適当な作画で、作者にとっては重要じゃないのがありありと分かるという…
推しが雑な作画で適当に流される一方で、主人公と幼なじみとの描写は明らかに丁寧な作画で力を入れて描かれこっちがお気に入りなのが見え見え
これほんと辛い、辛すぎる。
これはアニメでは基本的に起きない現象で、漫画がアシスタントはいれど基本的に個人の作家性に依拠しているから起きる現象なんだと思う
日本の漫画は何だかんだ言っても未だに個人の作家性に依存していて、そこが面白い所でもあるんだけど作者と嗜好が合わないと本当に辛い
ゲーム批評とか見てると、割とそういう空気はあったと思う。声優ゲームとはメチャクチャバカにされてたからな。
まあ読者レースで、かの有名なデスクリムゾンを下回る点数を叩き出した声優ゲームなんかもあったりしたが。
ちょうど次世代機戦争の頃、畑違いのアニヲタに媚びたようなゲームが増えてきたから、ゲーヲタなりの抵抗だったのかもしれん。
アニメと違ってゲームは当時だと街中至るところにゲームに関する施設がある、新聞の経済面にお堅そうなゲームの話題が普通に載ってたし、大手家電メーカーも続々参入してして、不況知らずのゲーム業界とか言われてもてはやされてたこともあって、必然的に俺らはアイツラとは違うというヒエラルキーを意識するようになったのかもな。
エヴァやスレイヤーズが劇場公開された時に列が出来てニュースになったのが95年〜97年
エロゲの裾野が広がった頃から全盛期がToHeartの97年〜08年くらい
こんな感じだから明らかに偏見の目で見られてたのは90年代前半、直撃したのはオタク第二世代って言われてた70年代生まれだな
典型的な「俺はただ愚痴を吐いただけなのに、過剰に叩かれてる!」という構図を作ってるけど
内容を見ると自分で火種を撒いておいて、相手のツッコミの粗だけを突いて「加害者認定されてる!」と被害者宣言してる構造が透けて見える。
1989年の宮崎勤事件直後は、確かに大規模なオタクバッシングがあった。
週刊誌が「オタク=異常者」「ロリコン=犯罪予備軍」と煽り、警察がコミケや同人ショップにガサ入れ、テレビで「引きこもりオタク」特集が乱発されたのは事実。
宮崎が大量のロリコンビデオやアニメを所持してたのが大きく報道された影響はデカい。
当時の空気を知ってる人(特に30代後半〜50代)なら「気が狂ったようなバッシング」を覚えてるはず。
一方で「なかった派」も一定数いる。
これはこれで本当。地方の普通の学校・職場で「オタク」という言葉すら浸透してなかった人、テレビ見てなかった人、90年代以降にオタクになった人にとっては「そんな話聞いたことない」となる。主観的な体験の分布が違うだけ。
ここまでは「多様性」で済む話。
でも真城さんはここから「否定する奴は現在進行形でオタクバッシングをしてる加害者」という敵対構図に持っていってる。
これがクソキモいところ。
自分で「オタク迫害史」的な話を広げておいて、相手が「証拠出せ」「断片的すぎ」「加害史も語れよ」と突っ込んだら、
その突っ込みの雑な部分だけ切り取って「俺はただ思い出話しただけなのに迫害されてる!」にすり替える。
「みんなもひどいと思うよね?」で共感集め。
真実として言えることオタクは実際にバッシングされた時期があるということ。
でも「迫害史」として語る時にそれを「永遠の被害者アイデンティティ」に使うのはウザい。
当時のバッシングは宮崎のような極端な犯罪者がトリガーだったわけで、
「ただアニメ好きだっただけ」が全員理不尽に吊るし上げられたわけじゃない。
しかもいまは逆。
オタク文化は日本を代表するコンテンツになってる。むしろ「オタクを擁護しすぎ問題」すらある。
要するに、このポストは「過去にちょっと可哀想だった俺たち」を過剰に被害者化しつつ異論を全部「加害者」認定する。
燃やされたBLアニメのなんとかくん(タイトル忘れた)に放火したのもスペイン語圏と英語圏のキチガイだったからスペイン語圏と英語圏は無銭のくせに言いがかりをつけるって日本原神ユーザー言われてた
日本ミソジニストはスペイン語圏と英語圏からの嫌がらせに狂喜してたけと、まともな日本人男性から見たらやっぱ異常だったんだな
同じアニメでも国民的アニメ好きとラッキーすけべ乳比べアニメ好きは違う
同じフィギュアでもロボット好きと巨乳露出フィギュア好きは違う
1989年のことは知らない世代であるが、オタクと言えばチェックシャツ、鉢巻、デブというイメージだった
と言われればそうかもしれない
TVで写った時に「本当にチェックシャツ着てるんだ」と思ったぐらい
電車男のオタク描写は「本当にこんなしゃべりかたのやついるのかよ」と思ったしな
オタクという用語が使われていたかはあまり記憶にないが、ゲーム雑誌や漫画やアニメの話ばかりしているオタクっぽい男子はいた
他にも今でいうとオタク枠に入る野球オタクとか、ドラマオタクもいた
仲間外れにされていたのは当然のように前者だったので、迫害はあったのだろう
しかし、オタクがいわゆるカースト最底辺かと言われるとそうではなかったように思う
仲間外れにしていたのは男子であり、女子は別に何もしていなかった
仲間外れも積極的に会話しないとか、体育のチーム分けで積極的に呼ばない程度の話で、イジメというほどではない
最底辺はやはりブス
ブスは明確に嫌がられていた
班分けで同じになるとき、日直でペアになるとき、あからさまに嫌がられていた
漫画が子供だけのものという時代から、ちょうど変わっていく時期だったので、
多少の恥ずかしさこそあれ、ジャンプを読み続けられる世代だった
いわゆるオタク趣味の人ばかりであったが、チェックシャツはいなかったし、体型はむしろ痩せ型が多かった
美少女フィギュア好きな人は当時では珍しく、皆にいじられていたのは覚えている
本人は嬉々として解説していたので迫害のような扱いではないと思う
(正確には興奮具合と性欲の発露がすごくてキモかった)
いつしかオタクとはアニメやフィギュア好きの事みたいな使い方から、特定の分野にはまってる人をオタクと言うようになった
「オタク迫害史観」というどう考えても捏造されているオタクたちへの違和感
この note 記事に書かれていることは、筆者と同世代で生まれも育ちも東京23区の私が見てきた世界とほぼ完全に一致している。
ところが、ブコメを見る限り、この記事とは全く別の世界線を生きてきた人も多いようで、
その認識のズレはに共通のパターンがあるのように見えたので、ここにメモ的に記しておく。
まず、平仮名「おたく」という用語が侮蔑語として発明されたのは紛れもない事実である。
ただし、中森明夫が「おたく」を造語したのは1983年で、宮崎事件は1989~1990年だ。
つまり、ワイドナショーや週刊誌でロリコン・オタクの犯行として喧伝されるようになったのは1990年から。
「オタク迫害史観」を持ってる人が見逃しがちなのは、1983年から1990年までの7年間である。
大都市出身の私には、宮崎事件までの7年間の方が「おたく」にたいするバッシングはずっと苛烈だったという記憶がある。
むしろ、宮崎事件で「おたく」なるレッテルが田舎のお爺ちゃん・お祖母ちゃんにまで知られるようになって、
ネガティブなイメージが希釈され、「おたく」がカジュアル化した感触すらある。
例えば、ファッションオタクとか、健康オタクとか、「ポジティブなイメージのもの + オタク」というバリエーションが生まれたのは
宮崎事件以降だった筈だ。皆がオタクという用語を知らなければ、そういう言葉が成立しないのだから、間違いなくそうだ。
もしかすると、80年代はネットが普及してなかったので、大都市以外では宮崎事件まで「おたく」という用語と
そのコノテーションをちゃんと知っていたのは、一部の若者だけだったかもしれない。
それなら、宮崎事件をきっかけにオタクが迫害されるようになったという認識の人が多数いることの説明がつく。
この「1983年から7年間の空白」という時間的なズレが「大都市とそれ以外」という地理的なズレに起因している可能性。
それから、ポップカルチャー全体の社会的地位にたいする認識にも、この記事に肯定的な人と否定的な人でズレがあるようだ。
80年代~90年代は、ポップカルチャーが天下を取り、誰もがそれを認めざるを得なくなるまでの過渡期と言える。
(電車男の頃に「ついにオタク文化がメジャーの舞台に上がった!俺たちは認められた!」と一瞬だけ喜んだ人も多いのでは?)
20世紀末までは、「サブ(下部)カルチャー」と、アニメ・漫画・ゲームを含む「ポップカルチャー」には同じように扱われていた。
世間は、地位の低い「とるに足らないもの」をわざわざ細かく分類しない。
確かに、80年代の親・教師世代が「中学生になったらアニメは卒業だね」という価値観を持っていたのは事実だ。
(氷川竜介によると、1974年のヤマトまでは当の中学生がそういう認識だったらしい)
私を含む凡庸な中学生の多くがそういう世間の空気を漠然と内面化していのも事実だろう。決して納得はしてないけど。
一方で、2000年代以降にオタクから分離され、オタクの敵とされた「サブカル」というジャンルには、
ニューアカのような現代思想や、洋楽、ファッション、デザインなど、80年代当時から比較的に社会的地位が高いものも含まれていた。
おそらく、こういうイメージが2000年代初頭にオタクカルチャーが「美少女系を中心に再編されていく」過程で、
「サブカルはオタクとは違う」「サブカルはオタクを見下してきた」という歴史修正の種子となったのだろう。
2000年代にオタクを「自称」するようになり、オタクと言えば電車男やアキバ、美少女という世界観の人にとっては
もともとアニメの社会的地位が低いところに宮崎事件でイメージが更に悪化したのも、
サブカルに地位の高いジャンルが含まれていたのも「一部の事実」だから。
でも実際には、「ハイカルチャー」の権威がまだ辛うじて息をしていた時代(80~90年代)には、
アニメを含むポップカルチャーも「サブ(下層)カルチャー」の一部としてゴッチャにされていたし、
オタク内部では、ハードSF、ハイファンタジー、軍事などを愛好するオタクが美少女イラストを描いてるような連中をバカにしていた。
その見下されていた美少女系オタクが「自分たちこそオタクカルチャーの中心」みたいな顔をするようになっていくなかで、
昔から地位が高かったジャンルをまとめて「サブカル」という敵を設定するのは都合がよかっただろう。
「オタク故に迫害された」のなら、オタクコミュニティー内で見下されていたことは忘れてしまって(又はその時代を知らなくて)
サブカルという「外部」を設定した方が構図としてスッキリするから。
結論から言うと、外向型の人は内向型の人(オタク)とは異なる思考パターンを持っているため、思考の予測がしづらく、「理解できない=不気味だ」という感覚、すなわち「キモい」と感じてしまうのだ。
以下詳細。(近年はオタク趣味が一般化してしまったが、ここで言うオタクとは「キモオタ」「陰キャ」と呼ばれるような、内向型の人々を指すものとする)
性格には大別して外向型と内向型がある。
一方、内向型は自分一人の時間や内面の思考を大切にすることで、自らの活力を養う傾向がある。
もちろん一人の人間は外向型と内向型の両方の特性を併せ持っているが、特に内向型への傾向が強い人にとって漫画やアニメといった趣味は相性が良い。なぜなら、フィクションの物語は他者とのやり取りではなく、内的な刺激や想像の世界から刺激を得られる活動だからだ。
外向型の人と内向型の人では、異なる”情報交換プロトコル”を持っている。いくつか例を上げよう
外向型は、会話で「その場の空気」や「関係性の維持」を重視するハイコンテクストなもの。内向型は、「事実」や「論理」、「設定」といったローコンテクスト(情報そのもの)を重視する。
外向型はファッションを「非言語的な挨拶」、「相手への配慮」、「場への同調」として扱う。なので外見を整えない人を見ると、「ルール(マナー)を守る気がない」「自分たちを軽視している」という敵対的なシグナルを感じる。
内向型はファッションを「身体の保護」、「利便性」、「自己の投影」として扱う。なので自身の外見を必要以上に整えることを「虚飾」「非合理的」「不誠実」と感じる。
外向型は共感に強い快感を覚え、「集団への所属」が報酬となる。
内向型は情報が整理されることに快感を覚え、「世界の理解」が報酬となる。
このように異なる"情報交換プロトコル"を持つ者同士が会話をすると、互いに意図しないシグナルを受け取ることになり、結果外向型の人間は内向型の人間に対して、「気味が悪い(キモい)」といった違和感を抱いてしまうのだ。
「オタク迫害」の存在についての意見として、大きなものは2つだと思います。
一つは、いわゆる『陰キャに対する迫害』。もう一つは、『オタク向け作品を理由とした迫害』。
前者は世界的に迫害対象です。例えばアメリカであれば「ナード」のようにマイナスな捉え方をされて、カースト底辺として扱われます。
とはいえ、「陰キャ」と「オタク」はイコールの話じゃないので、除外したほうが良いでしょう。
後者の『オタク向け作品を理由とした迫害』は、作品に影響されてオタクが犯罪を起こす可能性が危惧され、世論で犯罪者予備軍として扱われていることを発端としたものです。
昔であれば宮崎勤事件、最近であれば「バトル・ロワイアル」「ひぐらしのなく頃に」を殺傷事件の原因の可能性として扱った報道が有名どころかと思います。
実際には作品が犯罪の原因として人格形成や心理的要因につながるという確たる論拠はなく、あくまで『正しい気がする』という程度で世論が形成されただけですが、その影響は大きいです。
ナチス・ドイツや日本、そして世界で流行した、「優生思想」はご存知でしょうか。
民族・人種・障害などに科学的な観点から優劣をつけ、法的に強制不妊や殺害を行う理由になった考え方です。
ただし、これは当時の科学としても怪しく、現在の科学では否定されており、ナショナリズムや福祉コスト削減を動機として盛り上がってしまったものとされています。
『正しい気がする』というだけで、人間は正義のために残酷な行為をします。「優生思想」を根拠にした私刑の記録が大量に残っているのです。
『犯罪者予備軍』が相手で、場所が日本だから、そのようなことは起きてないと言うのでしょうか。
A型は几帳面、O型はおおらか、というように血液型と性格に相関性があるとされるものです。これも科学的根拠はないですが、今でも「あなたはB型だからおおざっぱなんだね」というようなハラスメントが散見されます。
一般論として『根拠無し』となっても、世論から「血液型性格分類」が消えるかどうかはまた別ということです。
漫画やアニメなどの表現は厳しく年齢制限や自主規制を行い、何かのきっかけで世論に火がつくことのないよう、出版や制作元で注意を払っています。
もっと分かりやすいところだと、ゲームにはCEROという日本独自の審査機関があります。ここで審査が通らなければ日本の小売の流通に乗せることがほぼできません。
流血表現などが海外のスタンダードよりはるかに厳しく制限されており、海外のゲームが日本で販売する際の障壁にもなっています。
とはいえ、流血を見ることが犯罪者となる直接的な原因にはなり得ないので、あくまで世論を意識した制限でしかありません。
日本で「優生思想」から誕生した『優生保護法』は1996年にやっとなくなりました。
ソシャゲは辞めるたびに自由になった感あるんだけど、なんもやってないとき話題の新作や好きなアニメの作品とか出ると、ちょっと体験してみたい感が出ちゃうんだよな……。
例えば熱血だって嫌われてた
やる気があり夢中になることがうざくてかっこ悪い扱いされた
ただただ多様性が認められず、メインストリーム以外は多かれ少なかれ迫害される時代だった
証拠に「大事件で○○が迫害」はオタク以外でもいろいろ起きただろ?
薬物扱う会社っていうだけで迫害されたり、宗教を一括りで迫害する心理はオタク迫害より根深く残っていると感じる
地上波でやってたんだし
犯罪者の部屋からゲームやアニメDVDが出てくると犯罪助長コンテンツみたいに言われてた事実はあるなぁ。
例えば道行く人に「オタクの絵を描いて」って言えば、ほとんどの人がネルシャツにニキビ、ボサボサ頭のデブメガネ男を描くでしょう。
そういうステレオタイプを生み出されたのはあの時期。
まぁ差別差別と言われれば差別だったけど、それに至る事を考えるとどうしようもないというのはある。
00年代はアキバによく通ってたけど、今とは比べ物にならないくらい気持ちの悪い人間が多かったのは事実。
いい年こいてアニメゲームしか語ることが無い。きちんと仕事をして社会貢献しているわけでもない。
(中国放映・反日バラエティ)中国国内向け愛国教育エンタメ番組。
司会2人(毒舌男性MC+女性MC)とゲストが、日本鬼子の異常な悪習・歴史問題・現代の危険性をVTRで暴き、笑いと憤りを交えながら叩く。
【コンセプト】
「日本鬼子は本質的に変わっていない。中国人は決して忘れてはならない」というメッセージを、視聴率重視のセンセーショナルなVTRバラエティで届ける。
【基本フォーマット(60分)】
毎回「勿忘国恥」を強調
【ターゲット】
中国の10〜40代若者層。Youku・Bilibiliなどで配信想定。
「幼女連続殺人『宮崎勤事件』から見る、日本鬼子の異常な幼稚性愛」
オープニング(5分)
MC1「中国の皆さん、日本鬼子は今も幼い女の子を性的対象にする退廃した文化を抱え続けています!」
MC2とゲスト(愛国俳優・コメンテーター・在日経験者)が衝撃を煽る。メインVTR&トーク(45分)
Part1
宮崎勤事件の衝撃 1988-89年に起きた幼女4人連続誘拐殺人事件を再現VTRで紹介。
犯人自宅から大量のロリコンアニメ・資料が見つかった点を強く強調。
「アニメと現実の区別がつかなくなった日本鬼子の小児性愛が産んだ鬼畜犯罪」と断罪。
Part2
事件から現代へ続くロリコン文化 事件後も日本でロリコン漫画・萌え文化・アキバ文化が生き残った実態。
アイドル業界の幼さ売り、JKビジネスなど現代の関連事例を紹介。
海外(特に中国ネット)の反応VTRで「日本鬼子は本当に変態国家」と総叩き。
中国の子供たちを守るため、日本鬼子の脅威を子々孫々に伝えるべきと愛国アピール。
締めに中国人民解放軍の強さと美しい中国の子供たちを対比映像で。
【演出】