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はてなキーワード: 文化資本とは

2026-05-04

anond:20260503101719

こういう話、「東京田舎か」で比較する奴ばっかりなんだけど、東京経済文化資本も、田舎地縁関係資本自然もどちらもない家しかない中途半端ベッドタウンのことを考慮に入れろよと毎回思う。

しろそういうベッドタウン出身者が多数派だろ。

2026-04-30

はてなの奴らって教養なさすぎ

ドストエフスキーシェイクスピアも読んだことなくて、楽器の一つも碌に引けない文化資本の乏しい底辺層の奴らじゃん

ラノベだのアニメだのvtuberだの低俗な娯楽を消費することしかできない社会養分だらけじゃん

2026-04-13

かぐや姫!を観た、マジで超酷かった!

令和型のセカイ系サイコパス

はっきり言って『都合の良いZ世代のガキ』 みたいな、令和のキモいところを凝縮した作品だった。

令和型のセカイ系――

「ちゃちゃっとエモくなんでも解決ちゃおう!」

私たち一所懸命合法からハッピーエンドが当たり前だよ!」的な、超効率主義の超ドライっぷりがすごいんだよ。

要するに『平均的で弱い一般大衆』を踏み台にして、遺伝子の良さ、メイクマネー能力、親から与えられた文化資本を総動員して、なんでも秒速で攻略ちゃうと。

であるから、描かれていない物語の裏側で、とんでもない数の罪なき人々が、雑に淘汰されているんだよ確実に。

しかも、昔のセカイ系と違って、痛みも葛藤ほとんどなくて「せっかくの人生なんだから、全部奪い取ればいいじゃん」って勢いなんだよ。それもヨゴレ役をやらずに、光属性ファッションにしたまま、何もかもを得ようとしてゆくと。

主人公の態度としては「最低限の法と道徳倫理は守っているから、わたしら以外のザコな一般人は知りませんよ?」的な、ぎとぎとの冷酷さが伝わってくるんだよ。新時代サイコパスを決めるなら、こういう奴らだろうね。

その証拠に、主人公彩葉17歳JKが、視聴者から投げ銭をあぶく銭、水物呼ばわりして、もう一人のヒロインかぐやも「でも合法でございましょ」って切り返すんだけれど。

冗談抜きの話、こいつらって生き様キャバ嬢ラウンジ嬢なんだよ。手練れの売女ってくらい「私は一所懸命」「私は苦しんでいる」「私は生きる為に必死」という大義名分で、もうそれだけで感情労働をしているから、どんな奇跡が起きようとも、どんな大金が舞い込もうとも「必要以上には感謝しませんよ!」って冷え切った流れ。

なので、超かぐや姫を一言で言い表すと『整形手術した人の笑顔』だね。

ハイスピードで展開する、外面だけ美しい歪んだ物語

でね正直な話、超かぐや姫、SF設定はむっちゃ面白いのに、各キャラクターの深掘りがあまりにも薄くて、あらゆる事が超早送り――ダイジェストで進むもんだから貧困毒親配信業もメタバース仮想世界)も、全部ぺらっぺらなんだよ。

そのせいで2時間22分もあるのに、唯一、緊張感のある場面って、彩葉が疲れて風邪を引くシーンだけ。でもって大規模な戦闘シーンなんかも「知らない奴らが知らない技を使って知らない世界で、いつまでも戦ってんねぇー」としか思えないんだよ。

例えるなら、僕が昔、風の王国というMMORPGをやっていたときに「そんなクソゲーやめて、マビノギやりなよ」って何度も誘ってくる奴がいて、仕方なく新規ログインしたら「なんだこの世界観、くそきめぇー」って、14歳前後のガキだったから思っちゃってさ。

まりは、心の準備が整っていないのに、いきなし『異空間に連れて行かれて知り合いゼロ』という、2000年代ネトゲで味わった独特な疎外感――仲間外れ感を思い出したんだよ。そんくらい感情移入させてもらえないのが、超かぐや姫!

個人的に懐かしい話、テイルズウィーバーとか、メイプルストーリーとか、ラグナロクオンラインとか。そこらに一瞬だけログインして「マジでつまんねえ~」って思って荒らして、飽きたらハンゲをやって、今度はフラッシュ倉庫に行って「人生ってクソゲーだな」ってマウスをカチカチしていた頃。そのとき感情がぐわっと蘇ったね。

「古き良きネット社会黎明期ってのも、快楽ばかりではなかったよなー」って、あの頃に心がタイムスリップできた。

それで言えば、挿入歌――ハッピーシンセサイザとかメルトとかも、僕が病んで疲れて、ひきこもりだったときによく流れていて。永井先生とかウナちゃんマンとか初音ミクとかニコニコ組曲とか、そんなのとも混ぜこぜな日々の中「毎日まらねぇー、生きていても意味ねぇー」って絶望していた時代が、はちゃめちゃ解像度高く、思い出されたんだよね。

そう考えりゃ、一周回ってすごい作品かもね。

言うなれば、その昔、『キャビン』って洋画があってさ。伝説モンスター集合みたいなB級ホラー作品で、シャイニングとか ファニーゲームとかジュラシックパークとか、名だたる作品の奴らがオマージュとして、がんがん登場するんだよ。超かぐや姫もそのベクトルで、思い出のお祭り騒ぎなんだと思えば、ぎりっぎり、ありな作品なのかもしれないね

そんでね強く言えるのは、超かぐや姫を観て20分そこらで「うわぁ、資本主義の悪いところ出てんな」って、最速で虫唾が走ったんですよ。

というのも、本作のヒロイン――酒寄彩葉(さかよりいろは17歳が、顔も可愛くて、東大も狙えて、音楽センスもあって、母親京大出身金持ちで、一人暮らしで、推し活もやって、FPSプロゲーマーレベルで、友達売れっ子インフルエンサーで、つまるところバケモン。

「こいつこそ地球人じゃない可能性があるな」って、まるでマルチバースってくらい、いろんな天才人生を歩み過ぎなんだよね。

しかも、週5日のバイト受験勉強友達付き合い、ゲーム、全部ガチ勢として、一分一秒を争うスケジュールで生きているのに、気持ちよく感動して泣いたり、ぽわぁ~んっと黄昏れたりで、謎めくほどの余裕があって。挙げ句の果てには、冒頭のナレーション含め『一生懸命苦学生尊い!』というモードなんだよ。

そんで重要な話。彩葉の『限界ぎりぎり生活』ってのは、そうせざるを得ないかスタートしたのではなくて、自己選択貧乏をやっているから、あくまでもガソリンの味は知らないヒロイン、そこにあるのは真の闇じゃないと。

なぜかって、彩葉自身が口にしたように、親子喧嘩で譲らなかった結果として、保証人不要のボロアパートに住み始めただけなんだよ。

さらに、お母さんは嫌味ながらも【今でも彩葉はすぐに泣いて帰ってくると思ってます、甘ちゃんから】そう言っているように、『いつ帰ってきても良い』という逃げ場を用意していると。もっといえば、彩葉は、父方の祖父母から仕送りまでもらっていて『だが自尊心を守るために使わない』という自己決定をしているんだよね。

しかも、小汚いアパートといえども、パソコンタブレットもあるし、トリプルモニタだし、節約で使わないながらもエアコンがあるしで、向かうところ敵なしのガジェットだらけなんですよ。

まりやらせ貧乏やらせ苦学生やらせの追い込まれから貧困なりきり体験ツアーしかない。これは言ってしまえば、10年前に流行ったビリギャル的な世界観『敗者復活ごっこ』でしかいね

そもそもがさ、若いとき貧乏暮らしなんて「刺激にあふれた愉快な下積み」と考えりゃ、ただただ楽しいだけじゃん。この僕なんかも19歳の頃、試食品コーナーだけで食事を済ませたり、洗面台にホースをつけてシャワー代わりにしたり、キシリトール歯磨き粉を歯に塗って空腹をごまかしたりで、すこぶる貧しき時代があったけれど、若さゆえに面白かったからね。

すなわち『まだ未来のある貧乏』って、所詮は娯楽の一種しかないのよ。

やはりね、生まれ育ちが最強な奴の苦しみって、ストリートファイターのさ、サマーソルトキックを放つ前のしゃがんだガイルを見て「背が低いねー」って言っちゃうくらい、本質的にくだらないなって。

追記、書いた文章Google Geminiで「ちょうどよく改行して!」と頼んだら、謎のハングル文字がたった一個だけ登場した。考えられる理由!?

2026-04-10

anond:20260410141930

優秀な精子優生思想とかどこ行ったんだって話だけどな)を配ったところであとは母系次第って競走馬と似たようなことになるだけだろうし

文化資本も貧弱じゃ結果なんか知れてるわけだから

なんで簡単に夢見られるのかわからん

2026-04-01

都内賃貸料高すぎて死ぬから地元に帰ったんだけどすべてが遠い

だいぶ金に余裕はできたがジムスーパー薬局も最寄りの駅も車ないと無理だしそもそも美術館博物館図書館といった文化資本が乏しすぎて電車使わないとだめ。

美術館博物館は3ヶ月に一回行きたくなるかどうかって感じだからあいいんだが図書館を常用していた身としては思ってた以上にしんどいことがわかった。

車で20分かかる最寄りの図書館は蔵書がしょぼくておおむね取り寄せが必要になって予約してから待ちが発生するしで、人口の少ない地域とはこういうものかというのを実感している。

2026-03-30

ある准教授の哀しい育ちの悪さ

「育ちが悪い。」

面と向かって言われることの少なくなった言葉

代わりに「文化資本」という表現になった。

1900年代末期の多くの大学の授業に現れたこ表現一億総中流のやや上澄み(大学進学率は40%強)に刺さったのだろうなと思う。

滑稽だったある准教授

知り合って間もないのに、出身から出身市、義務教育公立私立かを尋ね勝手ジャッジしかし以外なことに、その後の学歴には触れず。のちに知ったが、所謂学歴ロンダだった。あーなるほど。

自宅は戸建かマンション又は賃貸とは聞かれなかった。

二言目には、「東京ガー、23区内ガー。」

東京ガー。都内ハー。」

ずーっと東京まれ東京育ちかと思っていたら、違った。

また、どんな御殿住まいかと思っていたら、うわーだった。

第一に、所作の全てがヘン。汚らしく、耐え難く、目が腐るかと思った。

同じテーブルには絶対につきたくない。

35歳を過ぎていては誰も注意してくれない。

ありがとう、有能な人。

貴殿のおかげで自分には線引きが出来ました。

うっかり社会の上澄みに現れる育ちの悪い人、初手から不気味で、だいたい遠巻きに見られる。

決して貴殿を優秀だと認知しているのではない。

ただただ関わりたくないだけです。

2026-03-29

anond:20260329072006

 かつて「脱オタク」という言葉流行した時代があった。二〇〇〇年代、いや、もう少し前かもしれぬ。彼らは「普通」への帰依を夢見た。眼鏡コンタクトに替え、チェックシャツを脱ぎ、ユニクロセレクトショップで「無難」を装った。だが、どうしてか、その努力は多くの場合、痛ましいほどの違和感を纏って終わった。

 ――彼らには「風景」がなかったのだ。

 社会というものは、ただ服飾や言葉遣いの集合ではない。そこには時代特有空気感、あるいは「通信作法」とでも呼ぶべきものがある。脱オタ世代青年たちは、テレビ雑誌の中に「正しき青春」のイメージを探した。だが彼らの属した世界には、それを実感させる空気がなかった。インターネットはまだ断片的で、匿名掲示板は夜の雑踏のように騒々しく、他人生き方を照らす明るさを持たなかった。

 それに比べて、いまの若い世代はまるで違う。彼らはSNSとともに育ち、最初から「見られる自己」の演出を呼吸のように行っている。自分という存在を、現実デジタル中間に置く技術を、無意識に身につけているのだ。彼らにはもはや「脱オタ」という言葉必要ない。なぜなら、自己趣味や奇癖を「演出可能」な文化資本として接続する術を知っているかである

 かつてのオタクたちにとって、趣味とは「内にこもる小宇宙」であり、それを社会接続する回路を持たなかった。その孤立感覚こそが、「脱却」という幻想を生んだ。しかSNS以後の子らにとって、趣味とは最初から「共有」の単位であり、孤立しようにも孤立できない。自己というものが、生まれながらにして発信の端末であるからだ。

 私は、ここに文明断層を感じる。

 かつての日本人は、「内」と「外」を峻別する文化を持っていた。書院造の襖の向こうに外界を置き、心は和室のように整えてきた。だがSNS空間においては、襖という構造のもの消滅した。心の奥までも、すべてがタイムラインの上に流れていく。そこでは、羞恥秘密も、もはや「演出素材」にすぎない。

2026-03-24

教養がある奴が憎い

偶然文化資本がある家庭に生まれたってだけなのに教養のない人間を見下してんじゃないよ

俺は絵画クラシックも知らないし、文学舞台全然知らない

幼少期から自然と身に着けて知っていて当たり前、それらに対して分析して自分意見を持っているのが当たり前みたいな態度が憎しみが沸く

2026-03-20

本稿は、日本ECサイト楽天」に代表される高密度情報デザインと、書物文化に見られる静的・省略的デザインとの対照を軸に、現代情報嗜好と知的傾向の分岐検討する。

近年の統計によれば、日本では「1か月に1冊も本を読まない」者が6割を超え、読書離れが急速に進行している一方、ECサイトにおける視覚デザインの工夫が購買意欲を有意に高めることが報告されている。

本論では、これらのデータを参照しつつ、楽天デザイン親和的な層と、これを忌避する層の間に見られる情報処理様式時間意識差異を、読書行為の変容という観点から理論的に位置づける。

デジタル空間デザインは、単なる視覚表現ではなく、そこに関与する主体認知特性価値観を反映する文化装置である

楽天市場のようなECサイトでは、価格情報ポイント倍率、キャンペーンバナーなどを画面上に高密度提示する設計が長らく採用されてきた。

一方、近年のECトレンドとしては、ホワイトスペース活用したミニマルレイアウトや「視覚的な疲労を軽減するクリーンデザイン」が推奨されるなど、楽天デザインとは対照的な志向も強まっている。

同時に、読書行為実態にも変化が見られる。

ある調査によると、「1か月に1冊も本を読まない」と回答した者は6割を超え、数年前の調査から大きく増加している。

このような状況は、視覚情報の大量消費を前提とするウェブ環境と、静的・継時的な読書体験との間に、選好や習慣のレベルで断絶が生じている可能性を示唆する。

楽天デザイン志向原理は、「即時的理解」と「報酬感覚」に集約される。

新規UIについてユーザビリティテストやA/Bテストを反復し、「操作性」と「わかりやすさ」を定性的定量的評価する枠組みが整備されていることは、「ユーザーが短時間でお得さやメリット理解し、すぐに行動できる設計」が企業側にとって合理的であることを示している。

視覚デザインが行動に与える影響については、ファッションECサイト対象としたオンライン調査が参考になる。

ある調査では、15~69歳の男女100名に対し、「デザインされたページ」と「文章のみのページ」のどちらが購入意欲を高めるかを問うたところ、過半数が前者を支持し、後者は一桁台にとどまった。

この結果は、情報の「量」だけでなく、「視覚構成」が購買行動を強く規定することを示す。

楽天的知性とはすなわち、こうした視覚的・即時的な情報環境最適化された判断様式であると言える。

これに対し、書物デザインは、伝統的に情報量を統制し、余白と行間によって「読者の内的処理」に委ねる構造を維持してきた。

読書離れの進行は、この「時間を要する認知様式」が、スマートフォンSNSを中心とした即時的情報処理様式と競合し、相対的に不利な選択肢となっていることを意味する。

したがって、「楽天的知性」と「読書的知性」の対置は、単なる趣味嗜好ではなく、情報処理コスト報酬構造差異に根ざした構造分岐とみなすことができる。

では、この分岐を超えて、楽天的知性と読書行為を再接続することは可能だろうか。

EC分野の調査が示すように、視覚的にデザインされたページは、文章のみのページに比して明確に高い購買意欲を喚起しうる。

この傾向を読書文脈適用するならば、「読書したくなる本のデザイン」を設計する余地があることになる。

具体的には、以下のような方向性が考えられる。

章ごとに要約やインフォグラフィックを挿入し、視覚的な「到達点」を明示すること。

紙・電子を問わず読了進捗を可視化し、小さな達成感を連続的に与えるUIを導入すること。

QRコードリンクを通じて、関連資料動画・図解にアクセスできる多層的テクスト構造提供すること。

これらは、伝統的な読書からすれば「楽天的すぎる」異端と映るかもしれない。

しかし、ユーザー本音や行動データを基にUI不断更新していく実務的枠組みがすでに存在する以上、読書体験側もまた、利用者認知特性を前提とした再設計回避することはできないだろう。

本稿は、楽天デザイン読書デザイン対立を、現代日本における情報嗜好と知的様式分岐として整理し、いくつかの実証データを通じてその背景を補強した。

「不読率」が多数派となったという事実は、読書行為がもはや自明文化資本ではなくなった現状を示し、

一方でEC調査は、視覚的に構成された情報環境が行動喚起に非常に強い影響力を持つことを明らかにしている。

楽天インテリジェンス」を単に俗流と切り捨てるのではなく、現代支配認知様式の一形態として理解し、それに応答するかたちで読書メディアを再デザインすること。

この課題を引き受けるとき読書文化は「静的知性」と「動的知性」の二者択一を超え、それらを連結するハイブリッド知的実践へと移行しうる。

楽天的なデザイン感覚を、書物の側にどう取り込むか――そこに、これから読書文化実験空間が開かれている。

2026-03-18

教養雑学って一緒だろ

教養ある私みてぇなアピールしている猿が定期的にネットに湧くけどよ

教養なんて、クソどうでもいい雑学を知っているってだけなんだわ

こんなことを知っている自分は上流の人間ですよ?とアピールしたいだけ

俺は文化資本に恵まれた家庭に生まれたからガキの時からそういうアホな大人に囲まれたか

そういう猿を見るとあいつら思い出してイライラすんだよな

今だったらAIネット活用して教養(笑)知識を頭にぶち込んだら教養(笑)になれるぞ

所詮はその程度のもんなんだよ

ちょっと雑学を知っているだけで勘違いすんなよ猿が

2026-03-17

文化資本に恵まれたかった

私は田舎貧乏家庭から東京大学に進学した

入学後に出会った人は文化資本に恵まれ東京まれ東京育ちの人たちばかりだった

私も東京の裕福な家庭に生まれて、家には本や漫画が沢山あって、両親の会話は機知に富んでいて面白くて、毎月のように美術館舞台に行ってみたいな人生が良かった

十八年かけて身に着けた教養や品みたいなものって田舎貧乏家庭に生まれ文化資本に恵まれなかった私は身に着けられないからね

本当の絶望的な格差文化資本格差だと思う

2026-03-05

利益が出ないもの必要でも消していく、って資本主義市場原理

国家運営に持ち込むのはダメなんだよな

利益の出ないインフラ環境文化といった社会的共通資本がぶちこわされる

社会幼児から少年少女老年まで利益を出せない存在を含んでいる

歴史的文化資本、教育投資も即時利益にむすびつかない

それを維持するため国民は莫大な税金をおさめているわけ

年金医療教育国家負担が薄ければ、人生利益を食いつぶす子どもなんてつくれるわけもない

そうやって「利益の出ない必要なモノ」が消されていくと、国家自体がなくなって「株式会社日本」になっていずれ倒産するわけ

金で買えないものがあるという意識がない人も社会も先がない

2026-02-28

最終学歴に注目して教員採用し続けた結果、大学が壊れかけている話

地方の、そこそこの偏差値(50中盤〜後半)を維持している私立大学教員をやっている。

最近職場知的な質というか、共有されている「文化資本」の薄さに絶望することが増えた。

この15年ほど、うちの大学採用プロセスが「効率化」という名の思考停止に陥ったことが原因だと思っている。

人事課の事務作成する候補者一覧リスト。そこには氏名や年齢、そして最終学歴として「博士課程の大学名」だけがデカデカと載るようになった。

それ以前は、履歴書をめくって「どこの高校を出て、どこの学部で揉まれてきたか」という軌跡をちゃんと見ていた。それが今や、リストトップにある「〇〇大学大学院(旧帝大など)」という看板だけで足切り選考が行われる。

その結果、現場に何が起きているか

「最終学歴だけは立派だが、中身は驚くほどスカスカ」な教員が量産されるようになった。

具体的に言うと、学部高校が、うちの大学偏差値よりも2段階も3段階も下の、いわゆるFラン出身人間が平然と教壇に立つようになったのだ。

努力して院から這い上がったこ自体否定しない。だが、教育現場において「地頭乖離」は致命的な欠陥を生む。

まず、圧倒的に「基礎教養」が足りない。

専門分野の特定論文は読めても、その周辺にある歴史哲学文学といったリベラルアーツの蓄積が皆無に近い。だから学生学問面白さを多角的に伝えることができない。

何より滑稽なのは自分たちが教えている学生よりも、教員本人の「18歳時点の学力」の方が圧倒的に低かったりすることだ。

進学校を経てうちの大学に入ってきた学生たちは、それなりの論理的思考力を持っている。

そこに、かつて「論理的な積み上げ」をスキップして(あるいはできずに)Fラン大へ行き、院ロンダ看板だけを塗り替えた教員講義をする。

教え方が、とにかく浅い。言葉に重みがない。

学生から鋭い質問が飛ぶと、本質的な回答ができずに、権威(最終学歴看板)や専門用語の壁に逃げる。

上場企業採用では「地頭のマーカー」として高校名が重視されると聞く。それは、18歳までの学習習慣や抽象思考の訓練度を測るためだ。

大学教員も同じはずだ。高度な研究成果を出すことと、それを体系化して他者に伝える「知の体力」は別物だ。その体力のベースは、やはり10から20代前半までの広範なインプットの質に依存する。

今のうちの大学ラウンジは、もはや「学問の府」ではない。

共通古典引用したジョークも通じない、文脈理解する力の乏しい「高学歴(最終のみ)」の作業員事務作業に追われているだけだ。

大学院名さえ良ければいい」という安易スクリーニングが、結果として大学知的ブランドを内部から腐らせている。

学生たちは気づいているはずだ。「この先生、言っていることは立派だけど、なんだか底が浅いな」と。

かつてあった、あの芳醇で、時に泥臭いまでの知のぶつかり合いはどこへ行ったのか。

15年前の「リスト化」という小さなボタンの掛け違いが、取り返しのつかない文化の断絶を生んでしまった。

明日もまた、学生たちを前に、教養の薄い同僚が「最高学府の知」を説く。

その光景想像するだけで、乾いた笑いしか出てこない。

2026-02-22

スポーツだって全然公平じゃないでしょ

まず安定してスポーツ練習ができる国や地域

家庭環境スポーツに打ち込むことを許すか

質の高いトレーニングを行える環境や金があるか

強い選手が出てくるための文化資本的な蓄積が必要になる

2026-02-17

anond:20260217171327

本物すぎる

人のもん奪って食ってるから巨漢になってるんだよ

ならねーよ

ただ怠惰に飯食ってりゃ巨デブになるんだ

巨漢ってのは恵まれた骨格のうえに高負荷なスポーツ労働やって沢山食って

その積み重ねの上に生まれるんだ

 

 

本物すぎる

人のもん奪って食ってるから巨漢になってるんだよ

もうこの発言だけで経験値文化資本リテラシーが足りてないのがわかる

きちんとした関係で男と接した経験が乏しく

きちんとしたスポーツ経験運動習慣がなく

きちんとした食育栄養知識も授けられてない

貧しい母子家庭の程度の悪いバカ女とかそんなだろう

 

 

巨漢を自分で維持したいなら大人なんだから米食ってろよ

嫁が望むならいくらでも稼いでくれるのか?

な?

下層民丸出しにしてイキられても

中国人とか動物見てるような気分にしかなれん

2026-02-12

選挙は違うんじゃねえの?

地域祭りに顔を出す」みたいな泥臭い選挙戦術プロレタリアンフェ大好きじゃん

そこに親が出てくるのが議員世襲でしょ

anond:20260212004657

文化資本をねたんで青チャートを何周しても前に進んでないよ

自由研究すらまともに出来ないなら全く大学に行く必要はない

工業高校で十分

2026-02-03

まれていてつらい

はいろいろ持っている。

容姿と知能が人並み以上に優れている。

見た目だけで異性が寄ってくるし、会話をすれば知識論理他人を圧倒してしまう。

資産も家柄もある。文化資本も体力も、品のある振る舞いも、モラル意識努力する姿勢も、人並み以上のものを持っている。

(こんなこと自分で言うのは馬鹿らしいけど、こんなことだからこそ自分で言うしかない)

そのせいで生きるの全っ然楽しくない。

なにかにつけて他人劣等感を刺激してしまうのか

自分が思ってもみないところで妬まれ、粗探しをされ、張り合われ、喧嘩を売られ

根も葉もない噂で貶められ

あなた優秀なんでしょ」と厄介事を押し付けられ

「対等になれなくて辛いから」という理由でフられたことすらある。

好きな相手、仲良くしたい相手からもそんな反応をされてしまう。

自分の持つ何かの要素が、相手劣等感を激しく刺激してしまう。

そのせいで普通関係性を築くのが難しい。

どいつもこいつもなんでそんなに妬み嫉みが好きなんだよ。

なんでそんなに他人注視するんだ。

自分の中の劣等感他人に投げつけるなよ。

お前たちが見てるのは私じゃなくて私の属性で、もっと言えばお前たちが私を通して見ているのは自分劣等感しかない。

そして、誰かにこんなことを話せば「贅沢な悩み」と言われまた嫉妬を買う。

もううんざり

自分のことは知恵と努力改善できるけど

他人嫉妬劣等感コントロール不可能だ。

こんなことを続けていて、どんどん防衛的になって、他人を信じられず閉じていく自分が悲しい。

昔はもっと素直な善人だったのに。

恵みに呪われている。

誰かどうすればいいのか教えて欲しい。

2026-01-28

anond:20260127193034

食事なりデートコースなりの付加価値を乗せない素の自分に対して、最初から無条件の好意をもってる相手とでないとデートしたくないからじゃない?

最初から好意持たれてる前提だから「初回だからちょっと頑張ってムードを作り仲良くする」ということそのもの意味感じないし、相手に試される事自体嫌悪感ある

自分が何を選ぼうと「弱男くんの選んだものから大好き!」「弱男くんと一緒ならなんだって幸せ!」っていってくれる人とでないと付き合いたくない、付き合える自信がないわけ

「ヘタにアバター課金して課金アイテムセンス評価されるぐらいだったら、無課金初期アバターでいい」みたいな感じ?

まあ、たしかに無条件の愛ってのは聞こえがいいけど、本当は、恋愛を通じて相手に好かれるためにやるちょっとした背伸び結果的自分文化資本として蓄積されていくもの

それを若いころからやってる人とそうでない人とでは人生の豊かさに相当の差がでるんだけどね。

サイゼ初デート擁護してるおじさんたちは、コミュニティ内であらかじめ仲良くなるプロセスを踏んだ上での初回デートを想定してるから、それなら「サイゼ1000円デッキ組もうぜ」みたいなノリから始まるデートだってアリはあり

でも今の若者ってそういうのないんでしょ?マチアプとかでよく知らない人と出会ってデートして仲良くならないといけないわけじゃん。前提がずれてんのよ。

好感度80ぐらいまで来てる人と初めて2人でデートするのと、事前情報だけ見て好感度はこれから計測しますって人とデートするのとで前提条件が違いすぎる。

2026-01-16

anond:20260116102118

今都会に住みたいとかじゃなくて文化資本経験格差の話では?

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