はてなキーワード: フランスとは
ガラピコぷ〜:チョロミーが作ったガラピコ(過去へ送ったロボット)。
新世紀エヴァンゲリオン:赤木リツコ博士によるスーパーコンピューターMAGI。
機動警察パトレイバー:西脇冴子による廃棄物13号など。
ジェニーはティーンロボット(My Life as a Teenage Robot):ノーラ・ウェイクマン博士によるXJ-9(ジェニー)。
ファイブスター物語:エルディアイ・ツバンツヒ設計のGTM(ゲートシオンなど)。
特捜ロボ ジャンパーソン:三枝かおるが完成・育成したジャンパーソン。
水星の魔女:プロスペラ・マーキュリー(エルノラ・サマヤ)によるガンダム・エアリアル。
Carbone & Silicium(フランス漫画):日本人女性科学者作成のアンドロイド。
われはロボット(アイザック・アシモフ):スーザン・カルヴィン博士。
8マン・インフィニティ:細川ユカリによるAI「サイバー」。
勇者警察ジェイデッカー:エヴァ・フォルツォイク(超AI基礎)。
上野さんは不器用(tugeneko):科学部部長・上野(天才マッドサイエンティスト)が各種発明品(自走式ロボット「ダッシュたん」、自身をモデルにしたガイノイド「ウエノ13号」など)
ドラゴンボール:ブルマの各種発明(ドラゴンレーダー、タイムマシンなど)。
ガンダムシリーズ:Sガンダム(センチネル)、F91、エアリアルなど女性開発者中心。GPシリーズ(ニナ・パープルトン、ルセット・オデビー)。
魔装機神サイバスター:ウェンディ関連。
清原なつの「アンドロイドは電気毛布の夢を見るか?」:女性科学者によるアンドロイド。
宇宙戦士バルディオス:エラ・クィンシュタイン。
パワーパフガールズ関連言及(ユートニウム博士は男性だが比較)。
シャングリラ・フロンティア:継久理創世(ゲームプラットフォーム・NPC関連)
ロックマンシリーズ:シエル(およびオリヒメ) — インフラ構築関連
魔装機神サイバスター:ウェンディ・ラスム・イクナート(開発者)
メタルギアシリーズ(特にピースウォーカー):AI部分の女性科学者
永久のユウグレ(2025年作品):王真樹トワサ(アンドロイド/AI第一人者)
マブラヴ オルタ:香月夕呼(オルタナティブ計画関連、新OSなど)
ウェンディ、大人になって:女性科学者が開発したAI(SFマーダーミステリー)
おばけのホーリー
Dr.カシオペア
「エリス&アメリア ゼリービーンズ」子猫型ロボ「ポジ」と「ネガ」
フランスのマンガですがマチュー・バブレの『Carbone & Silicium』は女性科学者(しかも日本人)が生み出したアンドロイドのお話です。
レビア・マーベリックが作った三種のAIことロボットのデューイ・バイクのヒューイ、コンピュータのルーイ。 サイレントメビウス
Megan
『ヒートガイ・J』のJ(おっさんアンドロイド)はファザコンの女性研究者アントニア(右から2番目)によって開発された。
緒山まひろ (おにいさんはおしまい)
アイアンマスク:ジャングルの王者ターちゃん
Dr. Catherine Halsey MasterChief HALOというゲームの主人公
ステップジュン 野々宮ジュンと吉之介
「アイの歌声を聴かせて」の芦森 詩音 女性科学者天野 美津子が開発
『プラレス3四郎』 吹雪今日子の桜姫。ルダ・ロドリゲスのジョロナなど
宇宙妖怪博士ゲルマと、彼女が作った大作少年のコピーロボット。(ジャイアントロボ)
That's イズミコ
めちゃっこドタコン
てくのぱにっくゆにばーす
宙に参る 宙二郎
『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』テガジューン;人間の女性により開発された自我を持つ生成AI。テガジューン自身も女性人格で自らも開発するので該当
『To LOVEる -とらぶる-』 ティアーユ博士と金色の闇
ヨコハマ買い出し紀行 子海石先生
五十嵐大介著ディザインズ。イルカのHAを設計した科学者がDr.ビクトリア
「大鉄人17」;巨人頭脳ブレインというコンピューターが作り出し、まんが版のブレインは女性人格
フェイト・テスタロッサ 母が娘のクローンを作製
「ウルトラマンZ」 M1号;イナバ・ルリという女性科学者が作り出した人工生命体
永久のユウグレのトワサ
Androidのユノ;エレメントハンターのエイミー・カー女史作製
「ナイト2000」の製作の中心人物の一人「ボニー.バーストゥ」女性技術者
猫夫人;高橋葉介『ライヤー教授の午後(ヨウスケの奇妙な世界 PART Ⅲ)』
空次郎(著) にゃこと博士
八頭司颯姫;X(CLAMP著)
小松左京『虚無回廊』
『情念に燃える殺人ロボット』に登場するロボットのR.I.N.G。「事件記者コルチャック」内のエピソード
映画『SEOBOK/ソボク』
TEXHNOLYZEの義肢はドクと呼ばれる女医が製作
映画『リトル・ジョー』(Little Joe)2019年 「シングルマザーで植物研究者のアリスは「幸せになる香り」を放つ新種の植物を開発」
音楽を聴くAI 『舟歌』(新井素子・編『ショートショートドロップス』収録) 高野史緒著
『永久のユウグレ』
オーバーウォッチでオリーサを作ったエフィ・オラデレと、エコーやオーロラを作ったミナ・リャオ博士
アルディとリムシィ;『学戦都市アスタリスク』
『キノの旅』
ゾンビ:マッドサイエンティストネロ『血まみれスケバンチェーンソー』
『戦姫絶唱シンフォギア』 フィーネ
『フランケン・ふらん 』
『NHKスペシャル ニューウェーブドラマ ネットワークベイビー』
『パーフェクション』奥友志津子著
『Fire-Ball(ファイアーボール)』大友克洋 未来を支配するコンピュータのアトム
『IS 〈インフィニット・ストラトス〉』篠ノ之 束
『スカーレット・ウィザード』茅田砂胡著 ダイアナ・ローズ・スペンサー博士
『POCHI SCIENCE』韓国のWEBショートアニメシリーズに登場する女性型ロボット。少女マッドサイエンティストのポチ博士に作られた。
ディスガイアのサーズデイはジェニファーという女性科学者から生まれてますね
トリッカルのエレナが造ったネコ型戦闘ロボ「M.E.O.W」。
アイノ;『原神』
4.佛跳牆(中国・広東)
13.ローストビーフとヨークシャー・プディング(イギリス)
21.ガスチョ(スペイン)
43.ドーサ(南インド)
50.サテ(インドネシア)
51.ナシ・ルマ(マレーシア)
54.アドボ(フィリピン)
62.鰻の蒲焼(日本)
71.セビーチェ(ペルー)
87.オッソ・ブーコ(イタリア)
93.サムサ(中央アジア)
163. あんかけスパゲッティ(日本・愛知)
213. マフェ(西アフリカ)
216. ターメイヤ(エジプト)
225. ゴルメ・サブズィ(イラン)
237. ロティ(トリニダード・トバゴ)
250. フリターダ(エクアドル)
251. チュラスコ(ウルグア
つーか安いチリワインにありがちな焦げ臭いくらいの過剰樽香ってかなり人選ぶと思うんだけど
はてなにいるような50オーバーのおじさん世代ってとにかく濃けりゃうまいと思ってるからチリチリ言うんだよなあ
政治に関心を持っている人、特に政治についてメディアやSNSでよくバズっている人というのはその思想の左右を問わず政治オタクなので、「社会科に分類される正しい知識の量の多少で日本人全員を並べたとき真ん中の人が持っている知識の量」を見誤っているのでないかと思う。
実際どれくらいなんだろうね?
「パレスチナというのが外国の地名であることは分かる。なんか揉めているらしい。でもパレスチナがどこにあるかは知らない。カタカナだから中国ではないと思う。何で揉めているかも知らない。パナマというのが外国の地名であることは分かる。でもパナマがどこにあるかは知らない。カタカナだから中国ではないと思う。パラグアイというのが以下同文。パキスタンというのが以下同文。(え?!パレスチナとパキスタンって違うの?!)パリなら分かる。フランスの首都で、エッフェル塔がある所。フランスというのはヨーロッパにある国。ヨーロッパがどこにあるかは分かる。フランスがヨーロッパのどこにあるかはうろ覚え。パールハーバーって響きには聞き覚えがあるけど何だっけ?地名なの?パンムンジョム?聞いたこと無いけどタイ料理?」程度じゃないかなというのが俺の推測。
真ん中より下だと「パレスチナという言葉に聞き覚えがない」「地図でヨーロッパの位置を指ささせるとアメリカ」「パリという国があると思っている」「白人風のおしゃれで高級なファッションにつく接頭辞が"パリ"だと思っている」「白人はアメリカ人で黒人はアフリカ人」とか。
「パラオって日本語の国なんでしょ?」みたいなのも、パラオというのが国名であると認識できていてそれに関する情報をわずかでも知っているという点において真ん中よりは上なんじゃないかと思う。
アメリカとかイタリアとかイギリスとかオランダとかフランスとかドイツとかベルギーとかメキシコとかロシアとか
スペインとかデンマークとかポルトガルとかエジプトとかインドとかオーストラリアとかペルシャとかスウェーデンとか
ロシアとかアルジェリアとかナイジェリアとかブラジルとかスイスとかチリとかタイとか
フィンランドとかアルゼンチンとかルーマニアとかガーナとかベトナムとか
そういう国にいけばよくない?
いろんなところのアンケート結果でも、大体赤と青が拮抗するものだね。若干青優勢が多いように思うけど、赤が多いところも少なくない。
拮抗するということは、結局のところ、人類の半分近くが死ぬ可能性があるということ。
そしてその半分は、各国均等に半分になるわけじゃなくて、国に寄っても差がでるであろうということ。
例えばだが、
全員生き残った中国と、9割いなくなった日本、難民しか残らないフランス、ドイツ。熱狂的なトランプ信者で構成されたアメリカ などが爆誕する可能性がある。
※個人的に、赤が論理的に正しいと理解するには、中学生程度の学力があれば可能だと思っている。なんで上から目線でドヤるのかわからないが。
まぁ日本が何割残るかわからないが、9割いなくなるっていうのは、中国が全員赤なら日本が全員青でも赤多数になるよっていうことね。なぜなら全人類が対象なので、周囲がどういう雰囲気だったとしても、今後の事は全く想像がつかない。
結局のところ、
青いボタンを押したら、自分が死ぬかどうかわからない。生き残ったらいつも通りの日常が戻る。
赤いボタンを押したら、周囲の誰がどの程度死ぬかわからない。生き残るのは確実だが、日常が続くかはわからない。
守りたいのは、命なのか、日常なのか。そういう差にも思えますね。
間違えて青を押してしまった幼児達の命を救うために、自分の命をリスクに掛けて青いボタンを押す人たちと、
自分の命を守ってどれだけ混乱するかわからない世の中の戦後処理をするという赤。
人生観は人それぞれだけど、死んだらそれで終わりだと思っている俺としては、どれだけめんどくさいかわからない戦後処理、おそらく仕事も何もかも変わるだろう、そして近しい人も大勢死ぬであろう、そんな戦後処理に追われる日々のために赤を押すほうがデメリットは大きいかな。
つまりは戦後処理がデメリット。赤を押したいと思っていても、青が多数派になる方がデメリットはない。
赤派でも青派でも、青が多数派になる方がデメリットが無いなー。
などと考えていた。
その上で赤いボタンを押すのであれば、まぁそれは個人の自由ですからね。なんせ青は全人類の半分まで、そんなチキンを受け入れ可能ですから。
グラスをくるくる回して、香りを嗅いで、「うーん、土っぽいですね」とか言うやつ。
でもコロナ中、家で飲む機会が増えて、なんとなくワインを飲み始めました。
最初は「外で飲めないし、家でちょっと気分を変えるか」くらいでした。
それが今では、こう思っています。
ワインは最強の食中酒です。
でも本当にすごいのは、ワインがあると料理が異様に美味しくなることです。
昔は意味が分かりませんでした。
「酸っぱいキャベツじゃん」
「なんで瓶詰めで売ってるの?」
「誰がそんなに食べるの?」
と思っていました。
ところが、ワインと一緒に食べた瞬間に全部変わりました。
うまい。
めちゃくちゃうまい。
なんだこれ。
肉が欲しくなる。
チーズが欲しくなる。
パンが欲しくなる。
気がついたら、馬鹿でかい瓶詰めの発酵キャベツを買っていました。
夜にワインを開けて、発酵キャベツを皿に出して、チーズを切って、ハムを並べる。
でも、ワインのすごいところは「いかにも合いそうなもの」だけじゃないんです。
ワインを飲みながら食べると、「これとこれ合うんじゃないか?」という遊びが始まります。
いわゆるマリアージュです。
昔はマリアージュとか言われると、少し鼻につく言葉だと思っていました。
でも今なら分かります。
本当にあります。
口の中で、食べ物とワインが合体して、単体ではなかった味になる瞬間があります。
食べ放題なんて、もう最悪です。
楽しすぎます。
そこにワインがある。
「これは赤か?」
「いや白か?」
「意外とスパークリングか?」
そして何より感動したのは、40過ぎても新しい味覚を美味しいと感じる力が自分に残っていたことです。
40を過ぎると、だんだん自分の好きなものが固定されてきます。
でも、ワインはその扉をこじ開けてきました。
軽い赤がうまい。
料理と合わせると、今までよく分かっていなかったものが急に美味しくなる。
自分の舌が、まだ変われる。
新しいものを美味しいと思える。
これはかなり嬉しかったです。
この二つだけでいいです。
ざっくり言うと、カベルネ・ソーヴィニヨンは濃くてしっかり。
肉に合う。
渋すぎない。
あと、値段もそんなにビビらなくていいです。
個人的には、1500円以上のワインを選べばだいたいうまいと思っています。
もちろん上を見たらキリがないです。
でも日常で楽しむなら、1500円〜3000円くらいでかなり幸せになれます。
分かりやすく美味しいです。
あと、モンテス。
あれもよかったです。
飲み始めの自分にはかなり衝撃でした。
大事なのは、いきなり高級ワインに行かなくていいということです。
グラスも最初は家にあるやつでいいです。
まずはスーパーで1500円以上の赤か白を買う。
チーズを買う。
ハムを買う。
ポテチを買う。
それで飲む。
それだけでいいです。
たぶん、どこかの瞬間で「あれ?」となります。
「あれ、これ一緒に食べるとうまいな」
となります。
ワインは、酒単体の趣味というより、食事を拡張するアイテムです。
40過ぎて、こんな新しい楽しみが見つかると思っていませんでした。
だから言いたいです。
難しく考えなくていいです。
カベルネ・ソーヴィニヨンとピノ・ノワールだけ覚えればいいです。
1500円以上ならだいたいうまいです。
https://www.counterfire.org/article/what-the-butler-didnt-see-book-review/
リンジー・ジャーマンは、ジュディス・バトラーの新著『Who’s Afraid of Gender?』における議論と概念的混乱を検討している。
著者はまず、1970年代の女性解放運動期に、米国のマルクス主義人類学者イヴリン・リードが書いた「生物学は女性の運命か」という問いを引く。リードは、女性が母親であることを理由に、社会的役割を限定されるべきではないと論じた。同時に、資本主義社会における生物学や人類学は、性役割や女性劣等視に関する社会的前提を多く含んでいるとも批判していた。
今日、性とジェンダーをめぐる論争、とりわけトランスジェンダーをめぐる論争は、自然と文化、生物学と社会的態度、性とジェンダーの関係を再び問い直している。バトラーは、いわゆるジェンダー・アイデンティティ運動における中心的な学術的人物であり、ノンバイナリーを自認し they/them 代名詞を用いている、と著者は紹介する。
ただし、著者はバトラーの新著について、以前の著作よりは読みやすいとしながらも、「読みやすい」といっても相対的なものにすぎないと述べる。中心概念はしばしば曖昧で、「phantasm」という語が100回以上出てくる一方、バトラーが反対する立場への批判は十分ではない、という評価である。
著者の基本的批判は、バトラーが「ジェンダー」も「性」も明確に定義していないという点にある。バトラーは、自分が性の存在を否定しているわけではないと言うが、実際には性とジェンダーの「共構築」を語り、両者をほとんど完全に絡み合ったものとして扱っている、と批判される。
書評は次に、バトラーの本の多くが「容易な標的」に向けられていると述べる。ジェンダーは文化戦争の一部となっており、バトラーは右派や極右による「ジェンダー理論」攻撃を大きく扱っている。取り上げられるのは、ドナルド・トランプ、イタリア首相ジョルジャ・メローニ、ハンガリーのヴィクトル・オルバーン、ローマ教皇などである。
バトラーは、反ジェンダー運動が各国の選挙で強い影響を持っていると指摘する。ブラジル、コスタリカ、コロンビア、フランス、スイス、英国、スコットランド、エクアドル、ドイツ、ハンガリー、スペインなどが例に挙げられている。スペインの極右政党 Vox は「ジェンダー・ジハード」や「フェミナチ」といった表現を用いている、と紹介される。
著者は、こうした反動的勢力が個人的・性的平等を求める人々にとって脅威であることは疑いない、と認める。彼らは、法律を制定し、国家的差別を執行できる権力を持っているからである。彼らが守ろうとするのは、キリスト教的・異性愛的家族を中心に据えた、国家と結びついた保守的な性・生殖・家族モデルである。
しかし著者は、バトラーの分析が「なぜ今このような反動が起きているのか」を十分に説明していないと批判する。バトラーは「反 woke」の感情を、家父長制・異性愛規範・白人至上主義的秩序の喪失に対する心理社会的幻想として説明する。しかし著者は、これでは新自由主義資本主義の危機、脱工業化、生活水準の低下、反移民感情や人種差別の政治的動員、米国社会の軍事化・暴力化などの物質的条件が抜け落ちると述べる。
つまり、著者の立場では、反ジェンダー運動は単なる「幻想」や「心理的不安」ではなく、資本主義の危機と社会的荒廃のなかで生じている政治現象として分析されるべきだ、ということである。
著者によれば、バトラーは実質的に「性/ジェンダー」の区別を崩壊させている。性とジェンダーを同じものとして扱い、「性が文化的規範の枠内で捉えられるなら、それはすでにジェンダーである」と論じる。
著者はこれを、現実の身体的カテゴリーをイデオロギーへと作り替えてしまう議論だと批判する。性や生殖という現実からイデオロギーが生じるのではなく、逆にイデオロギーが性を作るかのように語っている、という批判である。
さらに著者は、これは「馬車を馬の前に置く」ようなものだと言う。社会的要因が生物学的要因を完全に上書きできるかのように見えるが、それは経験的に誤りである。人間は200年生きることはできないし、食物と水を必要とし、種の再生産は生物学的事実である。人類の存続は、圧倒的には男女の性的関係に依存してきた、というのが著者の主張である。
著者は、性とジェンダーについて語る際には、自然的事実とそれに付与される社会的構築との関係を論じることができると認める。しかし、自然的事実そのものが存在しないかのように扱うのは観念論である、と批判する。
また、バトラーがスポーツをめぐる議論で、男性思春期だけでは偉大なアスリートにはなれず、テニスコートへのアクセスや個人トレーナーの存在も関係すると論じている点について、著者は「それは論理の飛躍だ」と批判する。階級的不平等があることは事実だが、それは身体的性差の問題を消すものではない、という趣旨である。
著者は、社会的構築が幼少期から始まることは認める。子どもが「男の子」「女の子」と告げられた瞬間から、服装、興味、教育機会、性格などについて多くの社会的期待が付与される。しかし、それは性という自然的事実を消すものではなく、物質的要因とイデオロギー的要因が密接に絡み合っていることを示すだけだ、と述べる。
著者は、バトラーが『ドイツ・イデオロギー』のマルクスとエンゲルスを引用しているにもかかわらず、その要点を誤解していると批判する。マルクスにとって、思想は人間の物質的生活過程から生じる。観念やイデオロギーは現実を補強することはあるが、現実から切り離されて現実そのものを作るわけではない、というのが著者の理解である。
著者は、バトラーが「phantasm」とマルクス=エンゲルスの「phantoms」を似たものとして扱っているようだが、それは違うと述べる。バトラーの議論は、人が自分でそう考えれば何者にでもなれるかのような前提に近づいており、これはマルクス主義的唯物論からは遠い、と批判する。
マルクスとエンゲルスは、人間が自然に働きかけ、食物や住居などの生存手段を獲得する過程を通じて歴史が発展し、観念も変化すると見た。人間は自然の一部であり、単なるイデオロギー的構築物ではない。したがって、ポストモダン理論に合わないからといって、この見方を時代遅れとして退けるのは、社会発展の理解を放棄することだ、と著者は述べる。
著者は続いて、マルクス主義的な家族論を説明する。初期の「原始共産制」社会には、性別間に一定の素朴な平等があり、女性の母性役割を理由とする差別は必ずしも存在しなかった。しかし、余剰富の蓄積、階級の成立、支配階級の財産を守る国家装置の形成、財産継承を保証する家族構造の成立によって、女性抑圧が階級社会の特徴となった。エンゲルスはこれを「女性の世界史的敗北」と呼んだ、とされる。
資本主義のもとでは、家庭と職場の分離が明確になり、家庭内の無償労働は有償労働から切り離され、劣ったものと見なされるようになった。資本主義的搾取の規律は、家庭と職場の分離、個人化、ヒエラルキー、同調性に適した家族を必要とした。そこには性的同調性も含まれ、女性と子どもは男性に従属し、性は結婚内の生殖のためのものとされた。
この観点から著者は、LGBT抑圧の根源は、核家族の規範への挑戦と見なされる点にあると説明する。したがって、それは家族制度と女性抑圧に結びついている。著者は、この歴史的唯物論的な家族分析は、バトラーに見られるポストモダニズムや多くのジェンダー理論よりも優れており、同時に一部ラディカル・フェミニストの生物学的決定論や実証主義よりも優れている、と主張する。
著者は、女性の再生産における役割は中心的だと述べる。女性は人類の再生産に不可欠であるだけでなく、資本主義体制における労働力の再生産、つまり養育・ケア・社会化・教育にも深く関わっている。家族は次世代の労働者を比較的低コストで育成するため、経済的・社会的役割を果たす。
女性が母親であること自体が不利益でなければならない自然的理由はない。しかし、それが資本家階級に利益をもたらす社会的・経済的理由は多く存在する、というのが著者の主張である。
この過程において、性は現実であり、大多数の人々は生物学的に明確に男性または女性である、と著者は述べる。例外的に曖昧なケースはあるが、それは性発達の差異であり、「インターセックス」という連続的スペクトラムがあると示唆するのは誤りだ、という立場である。
一方で、性が社会的にどう組織されるかは変化しうる。たとえば、2024年の英国の家族形態は、20世紀初頭の男性稼ぎ主モデルとは異なる。しかし共通しているのは、家庭内労働の多くを依然として女性が担い、家庭外のケア、料理、清掃などの社会的再生産労働も、低賃金で女性が多く担っているという点である。
著者は、自然と文化の関係は複雑だが、女性の生物学的役割に色づけられていると述べる。女性だけが出産できるという事実に、女性はより養育的で、自己主張が弱く、特定の仕事に向いているといったイデオロギー的前提が付随する。こうした前提は、生物学とは無関係で、社会関係に由来するにもかかわらず、労働市場における女性の不利益を補強する。
妊娠、授乳、更年期、月経など、女性抑圧において生物学的要因はなお大きな役割を持つ。社会主義社会であれば、それに伴う圧力や不利益の多くを取り除けるかもしれない。しかし資本主義のもとでは、女性はそれらの要因に個人的に対処することを求められ、その結果として不利益を被る、と著者は論じる。
著者は、バトラーが「子どもを産まない女性もいる」「閉経後の女性もいる」「さまざまな理由で子どもを持てない女性もいる」といった例外を挙げることで、女性抑圧に生物学的要素があるという議論を無効化しようとしている、と批判する。しかし、それは成り立たない。個々人の状況にかかわらず、家族における女性の中心的役割、出産・養育者としての役割が、女性抑圧を規定しているというのが著者の主張である。
著者は、バトラーの議論が女性抑圧という特定の問題を、より広い「ジェンダー抑圧」の一部として矮小化していると批判する。性差別を禁じる平等法も、バトラーにおいては、本人の性ではなく、ジェンダーや社会的前提に関わるものとして扱われる。著者はこれを、現実のカテゴリーである性をイデオロギーへと作り替える主観的観念論だと見る。
また著者は、バトラーが、女性専用空間や、レイプ・家庭内暴力から逃れるためのシェルターなど、フェミニストが闘ってきた現実の問題を軽視していると述べる。バトラーは「TERF」批判の章で、キャスリーン・ストックや J.K.ローリングを中心に攻撃するが、同様の懸念を持つ多様な個人や組織を十分に扱っていない、と著者は批判する。
著者は「TERF」という語を侮辱的かつ誤解を招くものだと述べる。それは、ジェンダー・アイデンティティ理論に批判的な人を信用失墜させ、議論を沈黙させる効果を持つという。著者は、反トランスの人々は存在し、それは間違っているとしつつも、左派や社会主義の立場にありながらバトラー流のジェンダー理論に納得していない女性たちがいることを強調する。
そのような人々まで、極右やファシストの側に客観的に立っていると見なすのは馬鹿げている、と著者は述べる。人種差別の分析にもさまざまな立場があるように、性とジェンダーの分析にも複数の立場がありうる。トランスの権利を支持し、あらゆる差別に反対することと、バトラーの理論全体を受け入れることは同じではない、という主張である。
著者は、ラディカル・フェミニズムについても、男性暴力や男性からの分離を強調しすぎ、女性抑圧への階級的対応を弱めていると批判する。しかし同時に、家庭内暴力、レイプ、女性の客体化と従属化の文化が深刻であることは認める。こうした問題は、女性解放運動によって政治問題化されたが、十分な資源や関心は向けられてこなかった、と述べる。
特に著者が不快に感じた箇所として、バトラーが女性刑務所や女性専用空間におけるレイプや性的暴行への恐怖を過小評価している点が挙げられる。バトラーは、男性看守による女性囚人へのレイプがすでに存在することや、レイプが必ずしもペニスによるものに限られないことを指摘する。しかし著者は、圧倒的多数の暴力は男性から女性に向けられており、レイプの大多数は男性がペニスを用いて行うものだと述べる。そのため、多くの女性が男性や男性身体に恐怖を抱くことには根拠があり、それを見下したり退けたりしてはならない、と主張する。
著者は、バトラーの理論が抽象的で、階級と抑圧の関係を十分に扱っていないと批判する。バトラーは「女性とは何か」を理解するには、グローバルかつ多言語的に考える必要があると述べるが、著者は、文化的差異だけでなく、物質的生活の現実も見なければならないと言う。
たとえば、フィリピンやスリランカの女性たちは、自分の子どもを残して海外へ行き、清掃やケア労働に従事することがある。こうした女性たちは、受け入れ国の労働者、女性・男性、黒人・白人、性的指向やジェンダーに
2026年春、短期間に複数の情報漏洩炎上が相次いだ。西日本シティ銀行の行員による顧客情報の流出、病院・学校・大手企業での内部資料の露出——いずれもSNSアプリ「BeReal」が引き金となった事案だ。
こうした炎上が起きるたびに、日本社会は「個人の意識の問題」として処理する。当事者を叩き、企業が謝罪し、「再発防止を徹底する」という定型文が出て、やがて忘れられる。しかし同種の事案が繰り返されるという事実が、この処理の仕方そのものの失敗を示している。
本稿で問いたいのは、なぜ日本でだけこれが繰り返されるのか、という点だ。そしてその答えを、「管理の不在」と「私刑による補完」という逆説的な構造に見出したい。
まず前提として確認しておきたいのは、BeRealの仕様が特別に危険というわけではない、という点だ。
確かにBeRealは1日1回のランダム通知から2分以内に即投稿を求める設計であり、「考える時間を奪う」という批判はある程度妥当だ。しかしBeRealには「Late投稿」という機能があり、通知を無視して後から投稿することも可能である。反射的に投稿しなければならない強制力はない。
より根本的な問題は、職場での私物スマホの扱いにある。BeRealがなくても、スマホを持ち込める環境と撮影を思いとどまらせる仕組みがなければ、同種の事故はInstagramでもTikTokでも起きる。実際、今回の炎上事例を見ればNTT東日本の事案ではInstagramのストーリーズも同時に問題になっている。
BeRealは問題の「引き金」ではあっても「原因」ではない。この区別が重要だ。
同様の事例が海外ではほとんど問題化していない。BeRealはフランス生まれで欧米でも普及していたが、職場での情報漏洩炎上として報じられた事例は見当たらない。なぜか。
最も説得力のある説明は、欧米の機密情報を扱う職場では私物端末の持ち込み自体が物理的・規則的に制限されているという点だ。GDPRをはじめとする法的枠組みが組織に厳格な情報管理を義務づけており、「個人の意識」に依存する前に環境が設計されている。
翻って日本の銀行営業店では、顧客の氏名や営業目標がホワイトボードに書き出され、新卒行員がスマホを手にしたままそれを日常的に目視できる。この環境設計の時点で、情報漏洩のリスクはすでに内在している。BeRealの通知はそのリスクを偶発的に顕在化させたに過ぎない。
問題が日本に集中する理由は、日本の組織が情報管理を「システム」ではなく「個人の自覚」で担保しようとしてきたことにある。
なぜ日本の組織はシステムによる管理を怠ってきたのか。ここに日本型雇用の構造的な問題がある。
情報セキュリティの基本原則に「最小権限の原則(Principle of Least Privilege)」がある。その人の業務に必要な情報にしか触れさせない、という考え方だ。これを実装するには、誰がどの情報にアクセスすべきかを職務ごとに定義する必要がある。
ところが日本の新卒一括採用は、職務を定義する前に人を採用する。「この仕事のためにこの人を雇う」ではなく「この会社のメンバーとして雇う」という発想なので、権限の範囲が職務に紐づかない。全員が同じスタートラインに立つという建前が、権限設計を不可能にしている。
加えて、同じ採用プロセスを経た全員が同じ水準のリテラシーを持つという暗黙の前提がある。実際にはリテラシーは個人差が大きく、職種・業務内容によって求められる判断能力も異なる。「研修で周知する」という対応は一見平等に見えて、実態はリテラシーの低い人間に高度な自己管理を要求するという無理な設計だ。
均質に扱うことが、かえってリスクを生む。これが「悪い意味での平等」の正体である。
ここで本稿の核心に入る。
日本の組織が情報管理をシステムで担保しない一方で、問題が起きたときに機能するのがネット上の「私刑」だ。クローズドなSNS投稿のスクリーンショットが瞬時に拡散され、特定班による個人情報の発掘、実名・顔写真の晒し、SNSアカウントの掘り起こしが組織的に行われる。
これは国家や企業による「上からの監視」ではない。市民が市民を監視・制裁する「横からの相互監視」だ。
逆説的なのは、この相互監視が組織の管理不全を補完する機能を果たしているように見える点だ。組織がシステムで防げなかったことを、事後的にネット民が制裁するという構造が出来上がっている。企業は謝罪文を出して幕引きし、当事者個人がネットの私刑を受ける。組織の設計責任は問われないまま、個人だけが燃やされる。
欧米では問題が起きても法的手続きで処理されるのに対し、日本ではネット上の私刑が事実上の社会的制裁として機能する。上からの管理が緩いほど、横からの監視が過剰になる——この逆説が、日本のSNS炎上に繰り返し見られる構造だ。
この構造が持つ最大の問題は、制裁の重さが行為の重さと全く釣り合わない点だ。
今回の当事者たちが受けた被害——実名・顔写真のデジタルタトゥー、過去のSNS投稿の全掘り起こし、勤務先・住所の特定、無期限の晒しと嘲笑——は、新卒の若者が「反射的にスマホで撮影して投稿した」という行為に対して著しく不均衡である。
問題をさらに複雑にするのは、この制裁に終わりがないという点だ。法的な手続きであれば時効があり、処分には上限がある。しかしネット上の私刑には期限がない。検索すれば半永久的に出てくる。「デジタルタトゥー」という言葉はまさにこの永続性を指している。
一方で、組織側の責任——スマホを持ち込める環境を放置したこと、権限設計を怠ったこと、教育をOJTに丸投げしたこと——は「再発防止に努める」という一文で免責される。個人が過剰に燃え、組織が軽く済む。この非対称性は偶然ではなく、構造的に生産されている。
BeRealが照らし出したのは、アプリの危険性でも当事者の愚かさでもない。「管理をシステムで行わず個人の自覚に委ね、失敗した個人を私刑で燃やす」という日本社会の処理構造だ。
この構造が維持される限り、引き金がBeRealであろうと次の何かであろうと、同じことは繰り返される。そして繰り返されるたびに、誰かの20代が終わる。
いや、逆だよ。少なくとも「腐敗」って観点では、日本は年々、良くなってきている。
トランスペアレンシー・インターナショナルの腐敗認識指数では、一番日本の得点が低いのは1998年。当時の調査対象国85カ国中、日本は25位でG7最下位。ボツワナより下にランクされていた。
ポイントは年々上がっていっており、現在は調査対象181カ国中18位。イギリスやオーストリア、フランス、ベルギーより順位が上。
まあ、「俺はトランスペアレンシー・インターナショナルより詳しいんだ」って言うなら何も言わんけどさ(ちなみにこの団体の幹部には、フランス国立経営大学院の教授とか、英国副首相の補佐官とか、米国国際貿易局の顧問とかが関わってる)
1936年末、日本の脱退宣言によりワシントン条約は失効し、海軍休日は終わりを告げた。
以後第二次世界大戦に至るまでの数年間は無条約時代と称され、各国とも新たな建艦競争にひた走ることになる。
日本は自主的かつ適正な国防所要兵力標準として戦艦12隻、航空母艦10隻以下を定め、海軍国防所要兵力整備十年構想に基づいて軍拡を開始した。
1937年の第三次海軍軍備補充計画では戦艦2隻、航空母艦2隻等66隻を建造している。この時点で日本は、過度の建艦競争を予想していなかった。
しかし対抗するアメリカは、経済恐慌からの立て直しの一環として建艦計画もその主要な柱の一つとしており、日本に数倍する建艦をスタートさせた。
1934年の第一次ヴィンソン案こそ条約保有枠を満たす程度の比較的小規模なものだったが、1938年に無条約時代最初の計画として成立した第二次ヴィンソン案は海軍力25%増強を謳い、戦艦3隻と航空母艦1隻等の増強を決めた。
既存計画と合計するとその規模は日本の4倍にも達するものであり、想定以上に過激な反応を見た日本は新たな対抗手段を求められた。
1939年、当初予定から1年繰り上げて第四次海軍軍備充実計画が策定され、戦艦2隻、航空母艦1隻等80隻の建造を開始した。
この計画ではアメリカの建艦に互することの困難さを認める兆候が早くも現れており、量的な対抗は不可能と考えられ始めていた。
だがアメリカは手を緩めなかった。
折から第二次世界大戦が勃発したこともあり、1940年の第三次ヴィンソン案ではさらに海軍力25%増強を目指した。
当案は議会の査定で11%増強に抑制されたが、それでも戦艦2隻と航空母艦3隻等を追加するもので、対抗上日本も第五次海軍軍備充実計画の策定で戦艦3隻、大型巡洋艦2隻、航空母艦3隻等第三次と第四次を合計したものにほぼ等しい大計画を立案し1942年からの着手を目指した。
そして1940年7月、ドイツのフランス攻略を受けて発表された最大の建艦計画が日本を震撼させた。
両洋艦隊法、スターク案と呼ばれた同計画は戦艦7隻、大型巡洋艦6隻、航空母艦18隻など216隻、海軍力実に70%増強を目指すもので、当時の連合艦隊総力に匹敵するという膨大な計画は、もはや日本の追随をまったく許さなかった。
対抗案として1944年スタートの第六次海軍軍備充実計画が検討され、戦艦4隻、大型巡洋艦4隻、航空母艦3隻などの建造を構想してはいたが、第五次計画の実現さえ危ぶまれる情勢の中、その実現はほとんど不可能と思われた。
急速に開き始めた日米間の戦力差(1943年時点で対米5割、44年時点で同3割まで戦力比が低下しまったく勝ち目はなくなるとされた)に危機感を抱いた日本では、
戦力比が優位なうちに開戦を目指す論が勢いを増し始める。
着手時期の関係で1941年には一時的に日米戦力比は対米8割を超えるまでに改善すると見込まれていたからで、一連の流れは太平洋戦争開戦の少なくとも一因を担ったと評されている。