はてなキーワード: パブリッシャーとは
チック・リット(英語: chick lit)は大衆小説のジャンルで、「個々の主人公の試練と苦難に焦点を当てた、ヒロイン中心の物語で構成されている」もののことを指す[1]。このジャンルは多くの場合、現代における「女性らしさ」の問題(恋愛関係や女性の友情、職場での問題など)をユーモラスで軽快な方法で取り扱っている[2]。
このジャンルが始まった当初、チック・リットの主人公は「独身、白人、異性愛者、イギリス人かアメリカ人の女性、20代後半から30代前半、大都市圏在住」である傾向が高かった[1]。このジャンルは1990年代後半に人気が出てきて、チック・リットの小説がベストセラーとなったり、チック・リットに特化した出版社ができたりした[3]。チック・リットの批評家の間では、チック・リットのジャンルの始まりはイギリスの作家キャサリン・アリオットのThe Old Girl Network(1994年)であり、チック・リットの「原典」として広く知られているヘレン・フィールディングの『ブリジット・ジョーンズの日記』(1996年)は、これにインスピレーションを受けたものであるということで合意している[4]。
"chick"は英語で「雛鳥」を意味し、転じてアメリカのスラングで「若い女性」を意味する。"lit"は"literature"(文学)の短縮形である。チック・リットの研究者は、この用語の初出は、1995年のクリス・マッツァ(英語版)とジェフリー・デシェルが編集したアンソロジーChick Lit: Postfeminist Fictionであるとしている。これは、マッツァとデシェルの「ポスト・フェミニストの作品を」という呼びかけに応えた22の短編小説を収録したものである[5]。1990年代半ばには、女性作家が女性読者のために書いたフィクションを指す言葉として、様々なメディアでこの言葉が使われるようになった。
この用語を、この用語が生まれる以前の同様の女性向け作品についても適用して、"chick lit in corsets"(コルセットを着たチック・リット)と呼ぶことがある[6]。また、このジャンルの要素と青春物語を組み合わせた、若い読者向けのチック・リットのことを"chick lit jr."(チック・リット・ジュニア)という[6]。
論争
チック・リットは、読者の間では非常に人気となったが、批評家の大半はこのジャンルを支持しなかった。『ニューヨーク・タイムズ』紙の書評において、アレックス・クジンスキー(英語版)はフィールディングの小説を特に非難し、「ブリジットは男に狂わされた無力感に浸っている哀れな姿であり、彼女の愚かさは言い逃れできない」と書いた[7]。作家のドリス・レッシングはこのジャンルを「すぐに忘れられてしまう」とし、ベリル・ベインブリッジ(英語版)は「泡のようなもの」(a froth sort of thing)と呼んだ[8]。編集者エリザベス・メリック(英語版)は、2005年にアンソロジーThis Is Not Chick Lit(これはチック・リットではない)を出版した[9]。メリックはこの本の紹介文の中で「チック・リットのお決まりのパターンは我々の感覚を麻痺させる」と主張した[9]。編集者ローレン・バラッツ=ログステッドは、メリックの本に対抗して2006年にThis Is Chick Lit(これがチック・リットだ)[10]を出版し、このプロジェクトは「怒りから生まれたものである」と述べた[10]。
このジャンルの作家たちは、その弁護に乗り出した。チック・リット作家のジェニー・コルガン(英語版)は、すぐさまレッシングとベインブリッジに反撃した[11]。『グッド・イン・ベッド(英語版)』(2001年)や『イン・ハー・シューズ(英語版)』(2002年)など数多くのチック・リット小説を著したジェニファー・ウェイナー(英語版)は、常にチック・リットを擁護した[12]。『スレート』誌2013年5月22日号では、『ウーマン・アップステアーズ(英語版)』(2013年)の著者である小説家クレア・メスード(英語版)が、女性の小説と主人公の好感度について語ったコメントに対する、ウェイナーの記事を掲載した[13]。ウェイナーはその記事の中で、商業小説、特に女性の商業小説に存在する偏見に疑問を投げかけた。ウェイナーは、『ニューヨーク・タイムズ』紙に"The Snobs and Me"を執筆するなど、チック・リットに対する人々の認識に挑戦し続けている[14]。この記事では、自分の作品を軽視する文化的風土の中で、自分の作品を信じようとする彼女の個人的な葛藤が綴られている[15]。
ダイアン・シップリー[16]などの他の作家もこのジャンルを擁護している。特に、フェミニストのグロリア・スタイネムがウェイナーの意見に共鳴し、女性の文学に対する偏見に注目しながら、自分たちがこの言葉を使っていること、そしてこの言葉が女性や女性の小説について何を語っているのかを問うよう人々に求めた[17]。
その後の状況
出版社がこのジャンルをプッシュし続けているのは、売上が高い状態が続いているからである。作品の市場性を高めようとして、この用語の様々な派生語が造語されてきた。
『リファインリー29(英語版)』のライター、ローレン・ルヴァイン(Lauren Le Vine)は、2016年3月に"The Chick-Lit Books That Won't Destroy The Feminist Inside You"(あなたの中のフェミニストを破壊しないチック・リット本)と題して、女性が女性のために書いた8冊の本を紹介した[18]。ルヴァインは、女性を題材にした小説の文学的伝統には、時に、買い物に夢中になって夫とはぐれた女性が夫を探すという物語が含まれており、このような本はフェミニストの価値観と矛盾しているということを認識している。しかし、ルヴァインはヘレン・フィールディングの1996年の小説『ブリジット・ジョーンズの日記』を紹介する際に、「一人の女性が個人的な満足感(それは彼女にとって愛、キャリアの成功、身体の受容を意味する)を見つけようとすることにのみ焦点を当てた本であり、それはフェミニズム(どの波に乗っても)とは何かということである」と書いている[18]。
『パブリッシャーズ・ウィークリー』誌の編集者であるサラ・ネルソン(英語版)は、2008年に、チック・リットというジャンルの中で考えられるものの定義が、より完成度が高く、「成長した」ものになってきていると示唆している[19]。
2000年、『シドニー・モーニング・ヘラルド』は、女性読者を対象とした小説の新しいトレンドについて、次のように述べた。「ポスト・トーリー、ポスト・グランジの軽やかさの精神が、雑誌を読む女性やテレビを見る女性たちの間に広まっていった。この小説は、『チック小説』(chick fiction)または"chicfic"いう『出版現象』の誕生であり、主題、パッケージ、マーケティングによってすべてが統一されている。キャンディ・ブライトで、ピンクと蛍光色の重い表紙、『キャンディ・ブライト』なタイトルにより、簡単に消化しやすく、良い笑いを提供することをほのめかしている。そのような本は、雑誌の記事、小説や小説化されたもの、テレビと、自宅で一晩で消化できる快適な食べ物のハイブリッドとして市場に位置づけられている[20]。」
チック・リットは一般的に女性が主人公であり、プロットの中でその女性らしさが重要なテーマとなっている。ほとんどの場合で現代世界を舞台としているが、歴史上の時代を舞台とした作品もある。扱われている問題は、しばしば消費主義よりも深刻なものである。例えば、マリアン・キーズ(英語版)の『子持ちクレアの逆転勝利』(Watermelon)は、現代世界で母親であることに悩む主人公を描いている。宗教的なチック・リットの市場も成長している。他のタイプの大衆小説と同様に、著者や出版社は多くのニッチ市場をターゲットにしている[3]。主人公の民族、年齢、社会的地位、配偶者の地位、キャリア、宗教などは様々である。goodreadsでは、チック・リットは恋愛小説のサブジャンルとしては扱われていない。それは、チック・リットは、プロットに恋愛の要素が含まれていることもあるが、恋愛関係と同じくらいにヒロインの家族や友人との関係が重要であることが多いからである[21]。チック・リットのやや厳しいジャンルルールにより、チック・リットの作家が異なるジャンルに進出するのは難しくなっているが、チック・リットは歴史小説に結びつくこともできる。
女性作家の中には、自分の作品が「チック・リット」というレッテルを貼られるのを避けるために行動している人もいる。例えば、『ガーディアン』紙の2010年の記事によれば、ユーモア作家のD・J・コンネルは、自身の作品がチック・リットとされるのを避けるために、ペンネームを「ダイアン」から「D・J」というイニシャル表記に変更した[22]。コンネルは、女性名でユーモアを書くことは、自身の作品を危険にさらすことになり、チック・リットのレッテルが貼られた場合、その作品は真剣に受け取られないだろうと言った。別の例では、作家のルース・ギリガン(英語版)は、自身の作品がチック・リットとみなされることで、どのように一般の人々、エージェント、出版社から軽蔑されたかについて書いている[23]。ギリガンは、大学のキャンパスでの性的暴行についての小説で新しいスタイルを試したが、出版社は明るい花のような表紙を提示し、ギリガンはこれを失礼だと感じた。
名越スタジオといい型月といい、最近の「こだわり抜いた結果、パブリッシャーから愛想を尽かされる」流れ、本当に見ていてキツい。
もちろん、面白いものを作ってほしいよ。妥協したクソゲーを出せとは言わない。でも、ビジネスとして成立しないレベルでダラダラ作り続けて、最終的にパブリッシャーから切られるって、それはもうプロの仕事じゃなくて「高価な趣味」でしかないだろ。
名越はNetEaseからあれだけの資金を引っ張って、結局形にする前に「これ以上は無理」って判断されたわけだし、型月だって、いつまでも「同人上がりのノリ」で数年単位の延期を繰り返していいフェーズはとうに過ぎてる。
今のゲーム開発費が高騰してるのはわかる。でも、だからこそ「いつまでに、いくらで、何を出すか」という最低限の約束が守れないスタジオに、未来なんてない。
ユーザーだって無限に待てるわけじゃない。期待が冷める前に出す。予算内で収める。これ、社会人なら当たり前のことなんだけど、ゲーム業界の「大物」になると免罪符が出ると思ってるのか?
パブリッシャーに切られるのは「表現の自由が奪われた」んじゃなくて、「信用を使い果たした」だけ。いい加減、納期という概念を思い出してほしい。
まあ端的に言うとこっちが勝手に開発の舞台裏を邪推してしんどくなっているだけだ
本編DLCともに全クリしてる前提で書いてる ネタバレ踏みたくない人は読まないでほしい
昔からポケモンが好きで、何百時間もプレイしてきたしグッズも色々買い集めてる
その体験自体はまあまあツッコミどころもあれど楽しかった、のだが
とあるnoteかなんかで「DLCのシナリオに違和感がある、本来はカラスバじゃなくてガイがメインだったんじゃないか」って意見を見た
その直後は「ふーん」と思って流したが、「クリア後の『挑み続けよう』ミッションをクリアしなくてもDLCはプレイできる」って情報を得てから印象が変わってしまった
具体的に言うと「ユーザーの心理度外視でプレイ時間を引き延ばしたい利益主義チーム」と「ユーザーの体験とかシナリオとかを重視したいクリエイター」の競り合いを幻視するようになった
ところで自分はゲーム業界の、いわゆるクリエイターの端くれである
元請けではなく下請け クライアントの無茶ぶりに振り回される側
クライアントはパブリッシャーであり、会議で直接話すお相手はクリエイターではない
何が「おもしろい」のか、多分あんまりわかっていない(だから無茶ぶりをしてくる)
商品として欲しいのは「面白いゲーム」よりも「売れるゲーム」なので、まあ妥当ではある
それで、自分はZA(特にDLC)からこのクライアントみたいな勢力を邪推するようになってしまった
ZA本編クリア後のメインミッション、本当に重い 物量が重い 周回前提の作りをしている
そのやり口が、シナリオの面白さやゲームの手触りよりもユーザーのアクセス数を重視するクライアントのやり方にとても似ている
プレイさせ続けること、話題にさせ続けることが目的に見える 「ああ面白かった」で終わらせるのではなく
コンテンツの戦略としては正しい、が、いちユーザーいちプレイヤーでもある自分個人としては反感が強い
クライアント側からしたら「売れなきゃ元も子もないのに細部に拘泥するな」って感覚なのかもしれないが
DLC、本当は、「本編クリア時点でメインミッションがすべて完了しており、ガイ/タウニーの過去がすべて明らかになっている」ことを前提にしていたんじゃないか
だとしたらすごく通りが良い あのnoteの筆者が言及していた通り
会社の代表として指揮を執っていたなら、多分歪みでのバトルにも参加していなかったのだろう それを後からねじ込んだからあんな登場になっている
ガイ/タウニーの「相槌や茶々入れ以外の、意味のあるセリフ」がやたら少ないのも、カラスバの口調揺れが若干怪しいのも、作戦のネーミングセンスにも全部説明がつく
でも、「プレイ時間を引き延ばしたいから」という理由で過去の開示が先に引き延ばされた
その苦行じみた作業プレイをクリアした人間だけがDLCをプレイできる、とするのは流石にヤバい
ここで「過去が開示されるイベントの発生条件を緩和する」ではなく「DLCのメインキャラそのものを変更する」に舵を切った結果があのDLCなんじゃないか
まあ、大人の視点・クリエイターの視点でプレイする以上避けられないことではある
デモシーンとか「あ、これはゲーム内モデルそのままだな」とか「外注かなんかのリッチなやつだな」とか区分を意識するようになってしまったし
でも正直、開発の人らはすごいと思う
何がすごいって〆切を全く落としていないのが一番すごい えげつない数のローカライズがあるにもかかわらず
あれすごいんですよ本当に うちのプロジェクトなんか年単位で遅れて人とリソースを食い続けている 割と大手なのに
あとコンテンツ力が強いのとグッズ展開が強い、本当に頭が下がる
ポケモンは子供向けのコンテンツだから、発売を数年遅らせるだけで「ポケモンを遊んでいない層」が発生するのだと思う
そりゃあボイスなんて実装してられないよな
上で述べたような方向転換をあの規模のゲームにおいて行うと、まず間違いなく数か月以上の遅れが出る
収録がもう終わってた場合なんかもう最悪、というかセリフの変更はほぼ不可能
せいぜいが、矛盾するボイスをカットしてつじつまを合わせる程度だと思う
声優さんってお呼びするだけで予算が発生するんですよ スタジオに来ていただく時点でそうなる
フルボイスのゲームはスケジューリングか予算のどっちかがすごい
ユーザーとして気になる点はあれど、同業者としては非常に尊敬している
だから、誰かしらを責めたいわけでは全くない ここに書いているのは全部ただの邪推でありお気持ちである
でも個人的には、ビジネス面の意図が一切介入していない、クリエイターが考えたシナリオをそのまま体験してみたかった
それだけが惜しいと思う
おわり
2時間以内の返品を本気で考えた初めてのタイトルになっていたはずだからだ。
自分の溜飲を下げるためだけにこのしょうもない長文を書いている。
内容としては、ツクールMZ製のごく一般的・平均的な一本道ノベル+ミニゲーム。
まあ話の筋は普通に面白いけど、面白いのはARG的にお出しされる業界裏話が露悪的だからで、特にゲーム性が面白いとか、ミニゲームが歯ごたえあるとか、そういうことはない。
ミニゲームパートからノベルパートに遷移する方法を探る辺りに少しゲーム性があるくらいだ。
だったらそこにフォーカスして20面くらい出してくれたほうがまだよかった。
エピローグを見るためには、ノベルパートとは直接関係ないポイントをクリックして得られる情報の中にあるパス群を探し、所定の場所で入力する必要がある。
それ以外に分岐も何もなく、ただただパスを探してノベルを周回する作業が発生する。
勘の良いプレイヤー、あるいは全てを隅々まで調べないと気がすまないプレイヤーなら一周で済ませられるだろうが、ちゃんと見つけにくい仕掛けも意図的に仕掛けられている。
表示速度がややゆっくりで、かつ速度変更できるコンフィグ画面もないので、イライラして連打しているとクリックポイントに気付いても触る前に次の画面に進んでしまう事故が発生する。
なぜイライラするのか、というともう一点、クリックポイントを探すべきノベルパートに行くためには、必ずミニゲームパートをやらなければいけないからだ。
このミニゲームパートが、クリアしてもクリア済みステージをスキップできないし、一応加速も出来るようだが大して早くならない。
前のステージにも任意で戻ることが出来ず、通過済みステージをリプレイ(し、そのシーンから遷移するノベルパートを再読)するためには、全5ステージのミニゲームを一度最後まで完走して、その後に表示されるステージセレクト画面に移動しなければいけない。
つまり、一つでも見落としたが最後、スキップできない5ステージを、ノベルパートに移行するフラグを踏まないよう注意しながら最後までクリアし、そこからまた任意のステージを選んで戻るということを繰り返しプレイしなければならない。
このミニゲームは作中で「嫌々作らされたクソゲー」ということになっているが、いくらクソゲーという体だからって本当にクソ仕様でお出しするバカがあるか。
そしてこのミニゲーム、「当時のPCゲーの再現」という側面も持っていて、その点においてグラフィック・ボイス共に非常に秀逸なのだが(一度何某かの情報サイトで見ることをおすすめする、買うのはおすすめしない)、その秀逸さ故に何度も見せられるとだんだんしんどくなってくる。
今の時代にまだこんなしんどい声色できる人いるんだ…と最初は笑ったが、後々幾度となく頭を抱える羽目になった。
令和やぞ。令和にコンフィグ画面無しで有償リリースってしていいんだ。
考えれば怪しい部分はいくつかあって、その中の一つに「SEにツクールMZデフォルト決定音が使われている」というのがあった。
これの何がいけないのかというと、ツクールMZのデフォルト決定音というのは由緒正しいSE素材で、古くはツクール2000でもRTPに採用されている、親の声より聞いたあまり音質の良くないSE素材にあたる(XP頃に一度不採用になったが、その後VXかVXAceあたりで復活したと記憶している)
個人的な持論として、こだわりのあるゲーム制作者であれば、まず効果音を独自のものにするのは最初の変更箇所の一つに数えられるものだと考えているのだが、もうとにかく好きでこのSE以外決定音に使うつもりは一切ない!だとか、何らかの意図なくツクールデフォルト決定音を採用している辺りで、このゲームに対してどのくらいこだわりをもって作られているのか、ある程度察するべきだった。
チープさの演出にしたってもうちょっとなんか、なんかあるだろ……!
当時の美少女PCゲーってもっとこう、ぷにぷにしたかわいいSEとかじゃないのか……!
ツクール感をほぼ感じさせない作り込みで、常に背景のどこかしらに動きがあり、緊迫したシーンを盛り上げ飽きさせない仕掛けになっている。
それだけに、僅かなシーンで採用されているツクールMZデフォルトのマップ画面がチープさを際立たせている。
ぶつかるだけでイベントが発生するキャラクターが狭いマップに詰め込まれているせいで操作性も最悪。
そういうシーンといえばそうなんだけど、作中人物に対しての理不尽をプレイヤーへの理不尽と同一化するな。
エンディングには申し訳程度に取ってつけたようなトリックがあったりするが、いきなりの上に薄すぎてそっかぁ…としかならなかった。
それをやりたいなら最初から匂わせておいて、最後に「やっぱりね!」ってプレイヤーに思わせてくれよ。頼むよ。
こんな見えてる地雷になぜ引っかかったのかというと、PRに限りなく力が入っていたからだ。
イベント出店時のブースは見栄えするように作られており、SNSも活発で非常に力を込めて制作していることのアピールを繰り返し行っていた。
あるイベントでは持ち歩き用のタイトル入りショッパーを配布するなど、もうお誕生日壁席大手サークルみたいな動きを堂々としていたからだ。
だから、「これはインディーの中でも触っておいたほうがいいタイトルなのかな……」という気分にさせられた。
これがPRの力であり、人間は簡単に広告で騙されるという愚かさの証明になっている。
みんな同じような感想を抱えているのか、それともARGとしての今後の展開を期待して口を噤んでいるのかは分からない。
総じて、ARGで、人間関係のドロドロがテーマで、こんな凡作に収めることが出来るのか。という驚きが強い。
ゲーム中から見つけられるXの関連アカウントも、思わせぶりなPOSTと写真がいくつか上がっているだけで、特に動きは見られない。
いったい何がしたかったのか、それとも今後大きな動きがあるのか。それを期待する熱はとうに失われている。
おそらく、自分自身はこの制作陣のゲームは二度と買わないと思うし、なんならパブリッシャーの今後の動きも全てスルーしてしまいたい考えになっている。
そして問題だと思うのは、「インディーゲー売りたかったらイベント出展!ウィッシュリスト数稼ぎ!」と声高に叫ばれている中、自分は「イベントに力入れてるタイトルは広告詐欺なんちゃうか??」という疑念を抱いてしまったことだ。
インディーゲーム自体がそろそろ、面白い奴が面白いことをやっている時期が過ぎて、面白くない奴が面白い奴の真似事をし始めたのか……?という疑問を抱く。某ニコニコ動画で何度も見た懐かしい流れだ。もうこの後は全く面白くもない有象無象が荒らして情報商材屋が暴れてスパムとAIにまみれ、面白い奴は別のところでまた別のことを始めるんだろうか。
以下回答
ゲーム機メーカーが「自社ハードウェア事業を終息」し、「自社ソフトを他社プラットフォームに供給する」という方針転換を行う場合、経営・ブランド・技術・収益面などで多面的なリスクやデメリットが生じます。以下に体系的に列挙します。
🧩 1. 経営・戦略面のリスク
■ (1) 収益構造の変化による利益率低下
- 自社ハード販売による利益(ハード本体・周辺機器・ライセンス料など)が消滅。
- 他社プラットフォームでは、**販売手数料(例:30%前後)**を支払う必要があり、**利益率が大幅に低下**。
- 「プラットフォーム料」によって価格戦略の自由度も制限される。
■ (2) 成長ドライバー喪失
🎮 2. ブランド・マーケティング面のリスク
■ (1) ブランド価値・アイデンティティの喪失
- 「ハード+ソフト一体の体験」を提供していたブランドが崩壊。
- 消費者にとって「唯一無二のゲーム体験」を失う。
- 長年築いた「プラットフォームブランド」(例:PlayStation、Switchなど)が**事実上消滅**。
■ (2) 既存ユーザーの離反・不信感
■ (3) 販売チャネルの再構築コスト
⚙️ 3. 技術・開発面のリスク
■ (1) 技術力・開発ノウハウの空洞化
■ (2) 他社プラットフォームへの依存度上昇
💰 4. 経済・契約面のリスク
■ (1) ロイヤリティ・手数料負担
- プラットフォーム運営会社(例:Sony, Microsoft, Nintendo, Valveなど)に販売手数料を支払う。
- サブスクリプションサービス(例:Game Pass)に参加する場合、**収益分配の条件交渉が不利**になる可能性。
■ (2) 価格政策の制約
🧠 5. 組織・人材面のリスク
■ (1) 人員削減・士気低下
■ (2) 開発体制の再構築コスト
🧩 6. 市場・競争面のリスク
■ (1) 差別化困難
■ (2) 他社との関係悪化の可能性
🕰️ 7. 過渡期の移行リスク
✅ 総括
観点 主なリスク・デメリット 経営 利益率低下、成長鈍化 ブランド 独自性喪失、ユーザー離反 技術 ハード技術衰退、他社依存 組織 人員整理・士気低下 市場 差別化困難、競争激化
もし本当にMicrosoftがXBOX販売から撤退したら、こういうリスクを織り込んだうえでそれでも決断せざるを得なかった、という事なわけだ。
Webメディアやアドテクノロジーに携わる身として、Yahoo!ニュースに導入された「全画面広告」には大きな衝撃を受けた。
これまで広告掲載に慎重な姿勢を貫いてきたYahoo!が、ついにこの一線を越えたのである。私は、Yahoo!がこれで引き返せない"修羅の道"に足を踏み入れたのではないかと考えている。
これまでに複数のWebメディアにて、マネタイズ、編集、ディレクション業務などに従事してきた。「やれることはなんでもやる」をモットーに、コンテンツ編集からGoogle Ad Managerの設定まで幅広く手がけている。こうした複合的な業務経験を持つ人材は、業界でも珍しいだろう。Yahoo!ニュースには記事提供元としても関わってきた経験がある。
Yahoo!ニュースで導入された「全画面広告」とは、インタースティシャル広告やインステとも呼ばれる広告形式である。記事を読もうとしてページを遷移すると、画面全体に大きく表示される広告のことだ。現在はPCでのみ実装されており、スマートフォンでは確認していない。
この全画面広告は、現在パブリッシャー(媒体運営社)にとって目を背けることのできない重要な収益源となっている。数年前にGoogleが全画面広告の導入を推奨して以来、媒体社は恐る恐るながらも導入し、通常の広告枠よりも高い収益性を実感してきた。
その収益性の高さには明確な理由がある。第一に、画面を大きく占有するため視認性が極めて高い。第二に、クリック率が高い。これには閉じるボタンの誤タップも含まれるが、それでも数値として結果が出ているのが現実だ。
Googleはその後、発展型とも言える「オファーウォール」もプッシュしている。これは全画面広告に加えて「コンテンツを見たければ15秒間広告を視聴してください」という仕組みである。この手法も圧倒的にシェアを拡大している。媒体社にとって、ユーザーエクスペリエンスの悪化は承知の上だが、収益性の高さを無視することはできない現実がある。
重要なのは、全画面広告の収益性の高さに比例して、通常のディスプレイ広告における収益性が年々低下し続けている点である。歯止めがきかない状態と言ってよい。
従来、1枠あたりのCPMが下がった場合、媒体社は「広告枠数を増やす」「広告サイズを大きくする」「ヘッダービディングなどでより多くの入札者を接続し、収益機会を拡大する」といった対策を講じてきた。純広告は頻繁に獲得できるものではなく、一時期話題となったクッキー規制対応の確定ID活用なども、状況の変化により現在は下火になっている。
そうした中で、全画面広告は「最後の砦」なのである。これ以上大きいサイズの広告は基本的に表示できない。ユーザー体験は悪化するものの、媒体社には「10年前に嫌がられていた下部オーバレイ広告も、今では市民権を獲得している」という実体験がある。つまり、「批判されても継続すれば、やがてユーザーは慣れる」という考えが根底にある。
事実として、国内のニュースメディアのほとんどで、オーバレイ広告も全画面広告も導入されている。
しかし、Yahoo!ニュースが導入に踏み切った意味は、他の媒体とは根本的に異なる。
Yahoo!ニュースはこれまで、圧倒的なページビュー数を誇りながらも、広告を増やすことに一貫して慎重な姿勢を崩さなかった。記事中広告は掲載せず、オーバレイ広告も一定の位置までスクロールしないと表示されないなど、他社ポータルサイトよりも明らかに意図的なブレーキをかけていた。
そのYahoo!ニュースが、PCのみとはいえ全画面広告を導入したのである。
この背景には、いくつかの要因が考えられる。
まず、収益性向上への切実な必要性である。広告市場の競争激化により、従来手法では十分な収益確保が困難になっている可能性がある。
次に、コンテンツ戦略との関係である。「1記事100円程度の価値しかないコンテンツは誰も購入しない」という現実がある。SNS発のいわゆる「こたつ記事」に対してヤフーコメントで「こんな記事でよいのか」という批判が集まることもあるが、結局こうした記事が最も読まれている。媒体社も掲載を減らさず、Yahoo!側も実質的な規制をかけていない。「どうせこの程度の記事なら、全画面広告で収益化してしまおう」という開き直りがあるのかもしれない。
さらに、Yahoo!広告としての事業判断も影響していると推測される。Yahoo!の全画面広告パフォーマンス(クリック率など)は非常に優秀で、アイモバイル、GMOなどのSSP(サプライサイドプラットフォーム)を介した媒体社への導入がここ数年で急激に増加していた。今年に入って条件をさらに緩和し、プッシュしている状況もある。「自社商品が他社で収益を生んでいるのだから、自分たちの媒体で活用しない手はない」という社内での議論があったと想像される。
これらは推測に過ぎないが、的外れではないだろう。Yahoo!の言い分としては「ユーザーシェアの多いスマートフォンでは表示していない」「ユーザーあたりの表示回数はコントロールしている」「品質の低い広告クリエイティブは除外している」といった反論が出てくるはずだ。つまり、ユーザーと事業者双方の妥協点を探っているということである。
また、GoogleにもYahoo!にも、プラットフォーマーとしてのジレンマがある。広告事業とメディア事業を両方手がけている以上、自社メディアは自社広告商品の格好の実験場でもある。
象徴的な出来事として、今年初めにGoogleのあるチームが媒体社に対して「広告が占めるスペースが多すぎるため、ペナルティを課す」という強気の警告を出した。しかし並行して、全画面広告やスマートフォン画面の50%近くを占有する「折りたたみ式オーバレイ」の導入を推奨するなど、非常に困惑するダブルスタンダード状態となった。
Yahoo!の場合、全画面広告のパフォーマンスの良さが他媒体での実績として明確に示されている以上、「自社だけ導入しない」という判断は社内政治として成立しなかったのだろう。Yahoo!ニュースこそが、日本屈指の広告媒体なのだから。
しかし、ここ数年の他媒体の状況を見れば明らかなように、全画面広告を一度導入してしまうと、それを停止するのは非常に困難である。目に見えて収益性が向上するため、その売上を失ってまでユーザー側に歩み寄るのは現実的ではない、という意見が必ず出てくる。
週刊誌のウェブサイトやデイリースポーツなどを見れば、全画面広告に限らず「広告を適切に間引く」ことがいかに困難かが理解できる。もはやコンテンツが見えない状態になっている媒体も少なくない。権威あるメディア、例えばNumberWebのようなサイトでも、全画面広告は欠かせない収益源となっている。
これはまさに、引き返せない修羅の道である。一度この道に足を踏み入れると、ユーザビリティが最優先される世界ではなく、「広告をいかにユーザーに馴染ませ、表示頻度を調整するか」という発想が支配的になる。
個人的には、スマートフォンでもYahoo!ニュースに全画面広告が表示される日は、そう遠くないと感じている。
無料でユーザーが閲覧できるWebメディアの運営を成立させるには、広告やアドテクノロジーが必要不可欠であることは紛れもない事実である。しかし、収益追求の果てにある「節操のなさ」は、もはや天井知らずの状況に近づいているのかもしれない。
Yahoo!ニュースの全画面広告導入は、単なる一企業の戦略変更ではない。日本最大級のニュースプラットフォームによる「ユーザー体験よりも収益性を優先する」という明確な意思表示なのである。この選択が業界全体に与える影響を、我々は注意深く見守る必要がある。
自戒の念も込めて、この現状に一石を投じたい。
なぜ? 楽天Koboに「読み放題サブスク」がない理由 「一部の国で提供も、日本未提供」の事情 CEOが語る
https://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/2508/03/news022.html
この点について、Rakuten Koboのマイケル・タンブリンCEOは、「著者にとって有益であり、かつ読者にとっても魅力的であるという適切なバランスを見つけることが重要だ」との考えを述べた。読み放題というモデルは、読者にとってはコストパフォーマンスが高く、興味の幅を広げるきっかけにもなるが、パブリッシャー(※)側が十分な収益を得られなければ、コンテンツの継続的な提供は難しくなる。無料や定額でコンテンツをばらまくだけでは、持続可能なビジネスにならないという認識があるのだ。
特徴としてはやっぱり数学をきちんと勉強してきている、コンピュータエンジニアリング/サイエンスをしっかりやってきている人材が豊富
日本のインディー界隈は特に計算領域が弱くてアイデアの実現に四苦八苦している印象があるけど、
先に上げたエリアは確かな技術に裏打ちされたタイトルが日本に比べて豊富である。
あとビジネス領域でも欧州の企業は助成金をしっかりとるとか、パブリッシャーと契約したりして事業継続性を高めている報告もよくしているが、
日本だとあまりそういうアピールは聞かない(表に出してないだけかもしれないけど)
昨今はインディーズタイトルでも5か国語10か国語対応は当たり前で日本語でプレイできるタイトルも多い。
ウィッシュリストに一定その言語を話す人がいればすぐに翻訳エージェントに案件投げたり、オープン翻訳サイトを立ち上げてボランティアを募ったりする
総じて言えるのはゲームを作ることが目的でなく、ゲームを通じてビジネスをより大きく成立させようという意識が強いのかもしれんな。
あるベテランゲーム開発者が「Game Passは業界を潰しかねない」と提唱して議論勃発。“ほかと共存できない”ビジネスモデルとして
そんなColantonio氏はユーザーの問いかけに返答するかたちでGame Passについての持論を展開。「Game Passは持続不可能なビジネスモデルであり、10年ほど(正確には8年間)マイクロソフトの“無限の資金”によって支えられながら業界にダメージを与え続けてきた」と主張。そしてGame Passが他のビジネスモデルと共存できるとは思えないとして、「他のビジネスモデルをすべて潰すか、撤退するかのどちらかになるだろう」との考えを伝えている。つまりGame Passがこのまま勢いを伸ばせば、買い切り型の従来のビジネスモデルなどは存続できないと考えているようだ。
また、続く返信で同氏は現状のGame Passについて「あまりにもお得なサービスなのでゲーマーだけが好んでいる」とも言及。とはいえ、ゲームへの悪影響が表れたときに、「最終的にはゲーマーでさえもGame Passを嫌いになるだろう」との見解を伝えている。具体的にどのような影響があるかは説明されていないものの、Game Passが独占状態となった際の市場を憂慮しているわけだろう。Game Passというビジネスモデルが業界に与える影響について、かなり批判的に見ている様子だ。
また直近ではRaccoon Logicの共同設立者兼クリエイティブディレクターであるAlex Hutchinson氏が海外メディアGamer Social ClubのインタビューにてGame Passについて言及。数年前まではGame Passへの提供で潤沢な契約金が提供されていたものの、最近では大型IPではない限りあまり大きな額は支払われなくなっていると伝えている。そしてこのまま発売初日に作品を提供する構造が続けば、パブリッシャーのいないスタジオは深刻な打撃を受けることになるだろうと警鐘を鳴らしていた(関連記事)。
Xboxの元幹部が警鐘「ハードウェアは死んだ」のか?岐路に立つゲーム戦略の行方
フライヤー氏は自身のYouTubeチャンネルで、「個人的には、Xboxハードウェアは死んだと考えています」と断言しました。その根拠として、Microsoftが最近発表したASUS製の携帯PC「ROG Ally」やMeta社のVRヘッドセットといった、外部企業とのハードウェア連携を挙げています。これらを自社開発・製造からの「緩やかな撤退」と見ており、「Xboxには意欲、あるいはハードウェアを自社で出荷する能力が失われたように見えます」と述べ、事業の終焉を示唆していると指摘しました。
また、現在のXbox戦略についても「混沌としている」と批判。「Xbox Anywhere」のスローガンを「中身のないマーケティング」と切り捨て、最終的な狙いは全ユーザーをサブスクリプションサービス「Game Pass」に誘導することにあると見ています。
さらに、「次世代のヒット作はどこにあるのか。25年後にXboxを気にかける人はいるのか」と問いかけ、過去の成功に依存する現状へ強い危機感を示します。Game Passは強力なサービスですが、そのためにハードウェアという柱を失ってよいのか、と彼女は疑問を呈しています。
まぁそもそもUBIの時価総額自体が、今はひどい状態になってて絶好調の日本のパブリッシャーとは比べ物にならない。
若干調子を落としてるように見えるスクエニですらUBIの5~6倍はある。
そもそもUBIはここ10年くらい糞みたいなゲームか過去のあまりにもまるっきり焼き直しみたいなゲームしか出せなくなってどうしようもなくなってる。
直近でもスターウォーズのゲームで大失敗とか、スカルアンドボーンズってゲームで開発に何年もかけてやばいほどの開発費かけたのに全然稼げてないって言われてる。
まぁかようにアサクリシャドウズだけが原因じゃないんだけど、直近でも20%近く株価が下落したのはアサクリシャドウズも大きな要因の一つ。
というのも、スカルアンドボーンズもそうだけど、アサクリシャドウズは売上本数公開してないんよね。
UBIって自社でサブスクサービスもやってて、そこに加入してるとアサクリシャドウズを遊べたりする。
そのプレイヤー数を発表に使ってて300万人のプレイヤーとか言ってんのよ。
まぁちょっと考えりゃわかるが、サブスクには他のゲームも混じっててアサクリシャドウズ単品で売れたときと比べても稼げる額は微々たるもので大した額じゃない。
それで決算で本当の売上本数出すんじゃないかと期待されてたけど、全く出さなかったわけ。
それで「ああ、売れてねぇんだな」って見透かされちゃったわけよ。
プレイヤー数って最近サブスクサービス増えてきたからちょくちょくそれで公表するゲームとか増えてきた。
例えば和ゲーならデスストランディングも2000万人プレイヤーとは言ってる。
でもデスストですら当初500万本以上売れたってはっきり言ってんのよね。