はてなキーワード: ジオン軍とは
ガンダムのジオン軍とかスターウォーズの帝国軍みたいな組織でもいいかも知れん
あるいは『ランボー』『ダーティハリー』とか「あれは悪役じゃない」けどまあ暴力を使うキャラとかも含まれるかも知れん
こういう「悪」を指して「映画(創作物)の悪役から影響を受けるのは間違ってる!その創作物自体が悪を否定している!」みたいに先回りして批判する道徳家みたいな人を最近よく見かける
でも俺は何が具体的に悪いのかよく分からないんだよな
まあそれぞれの映画のテーマも違うし、またこういう映画の中で行われる行為やフィクションの規模が途方もないのでそもそも具体的に真似できんやろとか「それを言っちゃあおしめえよ」というのは省くんだけど
たとえば「ジョーカーに共感するな!」といっても、そもそもあれは現実に「ジョーカー的な人々」が先にいることが前提になってるんだよな
そんでもって別に映画館から現実に戻った今も別にテロとか企ててないけど
『アルジェの戦い』『戒厳令』みたいな映画を見て影響を受けて左翼になる奴もいていいだろうし
三島由紀夫や福田恒存の小説や戯曲読んで右翼になる奴もいていいと思ってるよ
そんで「じゃあAVやポルノ映画見てレイプ起こす奴いてもいいのか!」って言うやつもいるんだろうけど、社会問題に対する反応と全然別じゃんというのは置いといて、まあいいんじゃないのそれは
前述の「影響を受けるな」論の根源って、まとめてしまうと、「何かある派閥が映画・創作物によって盛り上がって、自分の生活を破壊しに来る」という想像から発せられてると思うんだけど
そんなん映画が無くても破壊されるんだし、そもそも社会問題を加速させたり放置させたり対処してなかったりするのは現実の(ジョーカーを批判する)「お前」な訳なんだし
それと最近、視聴者・消費者というかオタク側が「創作影響論」を頑なに避けてるのは良くないと思うんだよな
昔のいろんな映画監督の創作論読んだけど、端的に言って「影響を与えられない」方が悪いって表現ばかりだよ
ヤクザ映画見てヤクザになる奴もいるし、エロ漫画見てエロ事件起こす奴もいるかもしれませんね、それで?
「戦場のリアリズムを描いた」――。富野由悠季監督(84)が手がけたアニメ「機動戦士ガンダム」がテレビ放映されてから46年。これまで70以上のシリーズ作品が生み出され、その原典として今なお、愛され続けています。戦争体験から遠ざかった世代が大多数となった戦後80年、アニメなどフィクションを通して描かれる戦争はどう変わったのか。視聴者の意識は。〝最初のガンダム〟にこめた思いとともに、語りました。
――今年も、最新作「機動戦士ガンダム ジークアクス」が大きな話題を呼びました。富野さん以外が監督したものも含め、映像化されたものだけで70作品以上になります。時代ごとの新しいガンダムシリーズから入ったファンが、1979年放送の初代ガンダムを見るという流れができています。
本当に嫌な言い方なのですが、僕以降のガンダム作品は一切見ていません。作り手が違えば、他人が口をはさむのはよくないからです。ガンダムという作品が商品になってしまい、作家の立場からは何も言えなくなったのです。
ちょっと違うなと思う作品もあるし、逆に、ああ僕には作れないよねと思った作品もある。だから、ガンダム人気を支えてくれるための新作というのは認めるんだけれども、元の作品とは一緒にしてもらっちゃ困るというプライドもあります。
ガンダムは発表当時、人気がなくって、めちゃめちゃにへこんだ時期もあります。それが今、こうして親しまれているのはうれしいものです。
昔は「子どものもの」「絵空事」でしかなかったアニメという媒体を、考える材料として見てくれているというのは、うれしいですよ。だけど、困ったこともある。40年、50年経って、ガンダムというタイトルは残っても、原作者の名前というのは消えていくのも宿命なのです。そういう歴史的なところに足を踏み込んでしまった、というのはちょっと寂しいなとも思います。
――ガンダムで描かれた戦争の描写には、どんな思いを込めましたか?
ものすごく簡単です。子どもたちに、戦闘行為というのは乱暴な行為だからやってはいけませんよっていうことを分からせるということしかないですね。
ただ、当時の観客がそれを理解しているかと言ったら、ほとんど理解していないんです。それはもう仕方ないことで、理解してもらうのに20年、30年、かかるんだという覚悟はしていました。
独裁者をどう止められるのか
――長年のガンダムファンの一人として、かつては「ジオンにもジオンの正義がある」という捉え方が少なくなかったように思います。今、SNSなどを見ると、ジオン公国の独裁や大量殺戮(さつりく)に対して、批判的な見方が増えているように感じます。
僕の立場としては、良かったなと思っています。視聴者の年齢が上がってきて、みんなが勉強してきたんですよ。だってガンダムなんて46年前の話ですよ。かつてのアニメファンが成長して、大人になっていく中での理解が広まっていったのだと思います。
むしろ、僕が今、困ったなと思っているのは、実際問題として想像したときにギレン・ザビ(ジオン公国総帥)のような独裁者をどうすれば止められるのか、ということ。
作中ではザビ家内の権力闘争の結果、妹(キシリア)の手によってギレンが殺され、独裁体制は崩壊しましたが、現実はそう簡単にはいっていないでしょう?
暴力によらない、政治的な手段で独裁者を止めるにはどうすればいいか。その難しさを考えさせられているのが、ガンダムの真骨頂なのです。
――作中で描かれるジオンの設定を見ると、ドイツなど第2次世界大戦の枢軸国のイメージが重なります。設定の意図は?
明確に敵というのは分かりやすく作らなければいけないのですから、皆さんが知っている独裁体制を利用しただけです。
増えすぎた人口を移したスペースコロニーの中で、独裁国家を作る。自分たちは「棄民」である、地球には帰れないらしいという境遇になれば、やはり「反地球」の行動を起こすだろうという設定は見事にできたと思っています。
そうしてフィクションを描いたつもりが、20、30年もしないうちに、次の独裁者の誕生が現実になってしまいました。
ロシアやアメリカの現状や、中南米、アフリカ、中東各国の事例を見ても、今の国際政治は、アニメ以下でしょう。このまま、行き着く先まで問題のある政治家たちを是認していったらどうなるのか。
独裁者のような人間が大国を動かしている21世紀って、すごく変な時代でしょう。まさにポピュリズムが生み出したものだろうと思っています。
――今の世界情勢と、かつての大戦前夜を重ねてみる人もいるようです。
80年前を振り返った時に、ナチスのヒトラーという人も選挙で選ばれたんだという事はよく知るべきです。政治哲学者で思想家のハンナ・アーレントは著書「全体主義の起源」で、一般大衆のことを「群衆」「モッブ」と呼んでいます。独裁というのは、独裁者が1人で起こすわけではないのです。まず、独裁者を生み出す群衆がいて、その上に立って旗振り役ができるやつがトップに立つ。
日本の場合、真珠湾攻撃で開戦したときに著名人を含めて、かなりの人が「これで気が晴れた」みたいな言い方をしている。勢いにのって、国民までもが軍国主義化していた。僕は、これは新興宗教と同じだと思っています。
――朝日新聞を始め当時の新聞も、婦人会や在郷軍人会などの不買運動に屈して、筆を曲げてしまった。そして、戦争を賛美する論調になった新聞はよく売れ、新聞が軍部と一体化してしまったという負の歴史があります。
軍だけでなく、コモンセンスとしてものをしゃべることができるメディアでなくなったのです。昭和16(1941)年の段階で、すでにそうではなくなっていましたよね。一番汚いと思ったのは全滅を「玉砕」と言い換えるような、負け戦だと思わせない言葉づかいですね。戦艦大和を沈められても「世界最大の戦艦だった」と誇るような言葉づかいは、戦後もずーっと残っているのです。
軍事技術者だった父
――富野さんは終戦時3歳。父親は軍事技術者だったそうですね。
化学の技師でした。戦闘機の与圧服の開発などもしたみたいですが、一番は、ゴムを使った雨がっぱみたいなものを作らされていた。風船爆弾の気球を作る仕事もやらされていたようです。
父が戦後、何度か僕に言った言葉があります。国に裏切られた、と。あの戦争にもどこかで光明があるんじゃないかと思っていたらしい。きっと日本は勝つ、とすり込まれていたんですね。
働いていた神奈川県小田原市の工場の近くにも焼夷(しょうい)弾が落ちたことがあったのに、なんで日本が勝てると思ったんだろうか。不思議でしょうがないんだけど、その時代の日本を考えると、父が特別に軽率だったとは思えないですね。
――戦争そのものへの忌避感は持ちながらも、兵器やアニメの戦闘描写をかっこいいと感じるという人は少なくないと思います。私自身もそうです。この矛盾について考えていました。
民衆の支援で軍は成立しているんです。軍装の兵士が正しく起立している姿を見るとかっこいいじゃないですか。「死に装束」なのにかっこいい。戦死という悲劇すら美しく見せるためには、戦死者に対しては、礼を尽くさなければならない。「兵隊さんたちありがとう」と思わせる、そしていざとなった時に民衆が戦力になっていく構造は、有史以前からあったんですよね。
ガンダムでは、地球降下作戦を指揮したジオン軍のガルマ・ザビの戦死を、ギレンが国威発揚に利用するという描写を入れました。だから僕には痛切に分かることなんだけれども、平和時の一般の国民にはなかなか通じません。どうしてか。「アニメの話でしょう?」。それでおしまいなんですが、この感覚もまた当然のことだと思っています。平和なら、ね。
――戦後80年が経ち、「はだしのゲン」など、実際の戦争の被害を題材にした作品の描写が「残酷だ」と敬遠されることが増えています。ガンダムシリーズなどのフィクション作品でも「人が死ぬ描写が重い」と感じる人も多いようです。
ガンダムでは戦場のリアリズムを描きましたから、当然の感想だと思います。
作り手である僕自身も、敵だろうが味方だろうが、人が死ぬカットを作るのはものすごくつらいのです。絵空事だからって、笑っていられない。登場人物が命を落とす場面では、担当する声優の顔が見えるんです。
今のバトル漫画なんかを見ていると、リアリズムでは戦闘していないですよね。死ぬ寸前までいっても絶対死なないような。そういうものを見慣れている世代にとっては、リアルな戦争を描いた作品を見る気にはならないのでしょうね。
――戦争を知る世代がいなくなったとき、映像作品で今までと同じような戦争の描き方はできると思いますか。
架空の戦争としての物語はあるでしょう。でも、リアリズムで作るというきめの細かさを持った作品は出てこないでしょう。戦っているらしくしているだけで、それは戦争ではありません。
エンターテインメントでなければ客を呼べないと考えたとき、リアリズムを持って問いかけることは難しいだろうし、そういう視点を持った映画人がどれだけいるだろうかと。現に、飛んでくる弾丸やミサイルをかわすといった、シューティングゲームやアクション映画のような作品になっているでしょ?
「ニュータイプとは何か」今も
――ガンダムでは、優れた洞察力を持つ人類を指す「ニュータイプ」という概念を提示し、人が分かり合えるかもしれないという希望も描かれました。ファンの間では今でも、「ニュータイプとは何なのか」という話題で盛り上がります。
ニュータイプは、ガンダムの物語をきれいにまとめるための「方便」だったけれど、僕が一番困ったのは、ニュータイプになるための方法を、子どもたちにきちんと示すことができなかったこと。その意味では、敗北感がとても強い。それはまだ続いています。
新しいガンダムを作る気がまだあるかといえば、それは、ある。これだけ気にいらないガンダムがいっぱいあるんだから(笑)。
世界中の人間が一気にニュータイプになるかもしれないという楽しい作品が作れたらいいなと思っているけれど、それはアニメの中で考えるしかないことです。そう簡単に作れるとも思えない。やっぱり、アニメは難しいよ。
https://digital.asahi.com/articles/ASTBR2C33TBRPITB00JM.html
ホワイトベースは、地球連邦軍の重要戦略である「オデッサ作戦」に参加するためにヨーロッパ方面へ向かいました。この作戦は、ジオン軍の地球上における最大拠点の一つであるオデッサ基地を叩くための大規模なものでした。
長い旅路と戦闘によって損耗したホワイトベースには、補給や修理が必要でした。作戦参加の途上にあるベルファスト(イギリス近郊)などの連邦軍拠点に立ち寄っています。
ホワイトベースは、その圧倒的な戦果とガンダムの存在から、ジオン軍にとって非常に重要な目標となっていました。連邦軍はそれを逆手に取り、ホワイトベースをジオン軍の主力をおびき寄せるための「囮」として利用しました。直接南米のジャブロー(連邦軍本部)へ向かうよりも、世界各地を転戦してジオン軍の注意を惹きつけることが、戦略上重要視されたためです。
ジオン軍の厳しい監視下で、ホワイトベースのような目立つ艦が南米のジャブローに直行すれば、その位置を特定されるリスクが非常に高くなりました。ジャブローの位置が露見することは、連邦軍にとって致命的な事態を招きます。
大気圏突入時のシャアの妨害などにより、当初の計画から航路がずれた可能性もあります。その後は、マチルダ隊による補給を受けつつ、連邦軍の上層部の意図により、上述の「囮」としての役割を担いながら、世界各地のジオン軍拠点を巡るルートを進みました。
駄目なところ
・ジオン軍占領下宇宙とスタドラ地球を両立させるために必要な世界観構築が出来ていない。
・ゼロ時間×キラキラというアイディアにすぐに飛びつくが、そこから先を何も考えていない
・何度考えさせてもジオン軍がゼロ時間(サイバディ)を軍事転用しようとする展開にしたがる
・スタドラやGQのキャラを時折間違える。
・綺羅星☆!のフレーズに引きずられすぎてスタドラ本編にシリアス要素があることを理解しようとしない
やっぱAIって駄目だわ。
エレガントじゃない
食堂は薄暗く、寒々しい。連邦兵たちがそれぞれ配給された食事を黙々と食べている。メニューは「MRE (Meal, Ready-to-Eat) スタイル配給食」。乾パンとコンビーフがメインで、兵士たちの顔には疲れと不満がにじんでいる。
食堂の奥、厨房からは食器のガチャガチャという音と、タムラの鍋を振る音が聞こえる。
連邦兵A: (乾パンをかじりながら) うっめえ飯、食いてぇな…。
連邦兵B: 全くだ。こんなもんじゃ、ジオン相手に戦う気力も湧かねぇよ。
その時、厨房の扉が開き、白いコック帽をかぶったタムラが現れる。彼の周りだけ、どこか温かい空気が漂っているようだ。タムラは無言で、兵士たちの様子をじっと見つめている。彼の顔には、彼らが抱える不満を理解しているような、しかしそれだけではない、何か決意のようなものが浮かんでいる。
ブライト (声): 各員に告ぐ。ジオン軍の侵攻は激化している。補給物資の到着は遅延する見込みだ。食料の節約を徹底せよ。
兵士たちの間でため息が漏れる。タムラはそれを見て、静かに厨房へと戻っていく。
薄暗い貯蔵庫の中、タムラが一人で食料の在庫を調べている。缶詰、乾燥野菜、そして少量の冷凍肉。どれもこれも、見るからに乏しい。彼は頭を抱える。
タムラ: (独り言) これじゃあ、明日も同じメニューか…。兵士たちの士気が下がるのも無理はない。
彼の脳裏には、今日見た兵士たちの疲れた顔が焼き付いている。こんな状況でも、彼らが少しでも前向きに戦えるように、自分に何ができるだろうか。タムラは貯蔵庫の奥に目をやる。そこには、忘れ去られたように積まれた、凍り付いた巨大な魚の塊があった。南極で捕獲されたものだろうか。長期間放置されていたため、表面は霜で真っ白になっている。
タムラはそれに近づき、手に触れる。カチコチに凍っているが、その下に隠された生命の塊を感じ取る。彼の脳裏に、あるアイデアが閃く。それは、この極限の状況だからこそ、生まれる料理のイメージだった。
マチルダ (声): タムラ曹長、補給物資の件ですが、現状では期待薄です。申し訳ありません。
タムラ: (通信機を取り、静かに) 構いません。こちらも、なんとかしてみせます。
タムラは受話器を置き、再び凍った魚の塊を見つめる。彼の瞳には、静かな炎が宿っていた。
食堂には、いつもより早い時間から兵士たちが集まり始めている。彼らは、今日のメニューが一体何になるのか、不安とわずかな期待を抱いている。
厨房からは、いつもとは違う、しかしどこか懐かしい香りが漂ってくる。それは、温かい出汁の香りと、魚が焼ける香ばしい匂いだった。
タムラは額に汗をかきながら、巨大な鍋の前で黙々と作業している。彼は凍った魚を丁寧に解凍し、その身を惜しみなく使い、様々な料理を作り上げていた。魚のアラからは、じっくりと煮込んだ出汁を取り、その出汁で炊き込みご飯を準備している。魚の身は、一部を焼き魚に、一部は野菜と共に煮込み料理にしている。
タムラ: (独り言) 今日は、お前たちに故郷の味を思い出させてやる…。
その時、アムロの声が聞こえる。
タムラは満足そうに頷く。彼は一つ一つの料理に、兵士たちへの思いを込める。
食堂の扉が開くと、温かい湯気が立ち上り、芳醇な香りが兵士たちを包み込む。タムラが厨房から、巨大なトレイに乗せられた料理を運んでくる。
今日のメニューは、「南極魚の炊き込みご飯」「南極魚の塩焼き」「南極魚と野菜の煮付け」。
兵士たちの間にどよめきが起きる。凍える体に染み渡るような、温かく、そしてどこか懐かしい料理。
連邦兵B: 魚だ! 本物の魚だぞ!
兵士たちは我先にと料理に群がる。一口食べると、彼らの顔には驚きと感動の表情が広がる。
連邦兵A: うめぇ…! こんな美味いもん、いつぶりだろうか…。
食堂には、すすり泣く声さえ聞こえる。彼らは、単に美味しいものを食べただけでなく、タムラの料理から、故郷の温かさや、忘れかけていた人間らしさを思い出していた。
アムロの声が聞こえる。
アムロ (声): タムラさん、このご飯、すごく美味しいです! ありがとうございます!
ブライト (声): タムラ曹長…見事だ。この食事は、我々の士気を大いに高めてくれた。
タムラは、兵士たちが美味しそうに食べる姿を見て、初めて口元に微かな笑みを浮かべる。彼は無言で、再び厨房へと戻っていく。彼の背中からは、料理人としての誇りと、兵士たちを支える決意が感じられた。
戦いは終わらない。だが、この極寒の地で、タムラ曹長の料理は、兵士たちの心に温かい灯をともし続けるだろう。彼の料理は、ただの食事ではない。それは、故郷であり、希望であり、そして、明日を戦い抜くための力なのだ。
約二年前、ガンダムの世界観の疑問について、こういうはてなを書いた。
https://anond.hatelabo.jp/20230213131546
簡単にまとめると、(宇宙世紀ガンダム世界のほぼ公式設定である)ジオンによる開戦冒頭以後の「数十億人虐殺」が作中で処理されてないのってめっちゃ不気味だし逆に作品の背景を空っぽにしてるよな、みたいな趣旨です。
で、今、ジークアクスという続編というか結果的に並行世界もの?が出た。「ジオンの実質的勝利から数年後」という、おー色々な答え合わせすんの?と。
俺はそれを飛ばし飛ばし視聴しながら、ネタバレ上等でいろんな視聴者の解釈も見ながら、
何かそういう空っぽな背景への「答え合わせ」があるんかな、あるんかな、と思ってたが、最後までなかった。何も。
ここではマチュがどうとかそういう話はしないが、何がハッピーやねん、と。
「設定遊び」は今後もどんどん加速していくんだろう。ガンダム世界という箱庭は、いびつな形だと思うけどますます広がったんだろう。
だが、「ジオンの実質的勝利から五年」というIF世界?を作ってもなお、「ロボットアニメで、何十億人死んだ横で、何か政治ゴッコこねくり回し描写をしている。ニュータイプ論みたいなオカルトも混ぜてる。ファンがそれを「リアル」とか言ってる」不気味さもますます広がった。
ザビ家悪玉説+ザビ家しみったれ説(ギレンが秘書と引きこもってるとか)みたいなの付け足された感じっぽいけど、
ザビ家にジオンが乗っ取られるとか以前に「ジオニズム」とかいう思想自体に大きな問題があってジオン軍人はみんな裏で毎日覚醒剤打たれてるレベルの狂人なんだろうなという思いが強まった。
前のはてなで「命の価値が違う世界なんだろ」みたいな反応があって、俺もまあ物語的にはそう解釈すべきなんだろうなと思ってたが、やっぱ違うな。二年越しになってしまったが。
ニャアンについて。
キシリアも飼い犬に噛まれたとしか言っていないので、軍は誰に撃たれたのか知らない。
ア・バオア・クーを消失させたのはキシリアの特命なので、ニャアンの責任ではない。
基本的にニャアンは人畜無害なので、ジオン軍としては放置が一番コストがかからない。
かなぁと思った。
最終話を見終わって、ゴミアニメという評価が自分の中で固まった。
単体でゴミならそれでいいんだが、過去作にまで泥をなすりつけてくるのがタチが悪い。
なぜこんなにゴミなのか?を考えていると一定考えがまとまったので掃き溜めに捨てておく。
根本的にジークアクス制作スタッフにはファーストガンダムへのリスペクトが欠けている。
ガンダムが好きではあるんだろうが、敬意を持った好きではない。
子供がガンプラを作った後、BB弾の的にして破壊するのに似ている。
造形がカッコいい、好き勝手に扱えるおもちゃが好きなだけで、作品に込められた思いや精神性にまでアプローチできていない。
誤解があるといけないのだが、自分は狂信的ガンオタというわけではない。
アラフォーでファーストリアタイ世代ではなく、スパロボから興味を持って宇宙世紀を一通り履修しただけの、ガンオタの中では薄めの人間だ。
ガンダム自体はうっすら好きで、話題になっていれば見るが、そうでなければ自分から追いかけたりはしない。
ジークアクスは劇場版ビギニングを見に行き、最初は期待を持った。
しかしTVシリーズが始まって徐々に期待はしぼんでいき、サイコガンダム回で若干テンションは上がったものの、その後の評価は無惨なまでの右肩下がりだった。
理由を挙げていくと枚挙にいとまがないのだが、タイトル単体の欠点自体はまあいい。
100点満点のアニメなど存在しないし、嫌なら見なければいいだけだからだ。
だがジークアクスは宇宙世紀を餌に視聴者を釣っておきながら、その魅力自体をないがしろにする描写が多すぎる。
子供がガンプラをエアガンで撃つのは、まあ好きにすればいいが、公共放送でナンバリングを背負ってやるな。
いまさらこんなことを言うのは恥ずかしいが、ガンダムの大きな魅力はリアリティだと考えている。
スパロボのユニットはスーパー系・リアル系に大別されるのだが、このリアル系のはしりがガンダムだ。
間違えてほしくないのは、リアリティとは「リアルっぽさ」のことであって、「リアルである」ということではない。
現実的に考えると航空機や戦車形状のメカが戦うほうがリアルだが、それではおもちゃが売れない。
だから売り物になるロボットに戦わせるわけだが、ガンダム以前はそこに理由はなく「そのほうが面白いから」「そのほうがカッコいいから」以上ではなかった。
※自分が無知なだけで、ガンダム以前にそういうアニメがあったのかもしれないが。
そこをガンダムは「ミノフスキー粒子が~」「AMBACが~」とちゃんと設定を付けて、リアリティを増したことが画期的だったわけだ。
実際にはミノフスキー粒子なんて存在しないし、AMBACが本当に機能するかどうかはわからない。
ただそうやってリアル感を増していくことがガンダムの魅力のひとつであることは間違いないだろう。
※繰り返すが、自分が無知なだけで、ガンダム以前にそういうアニメがあったのかもしれない。
一番代表的なのはアクシズ落としの阻止だが、これも理屈はつけてある。
サイコフレーム搭載のモビルスーツに、強力なニュータイプが登場し、思念が集まるとサイコシールドという力場を形成されて既存の物理現象を覆すのだ。
これも嘘だが、ちゃんと理屈や伏線を張っているので宇宙世紀の一現象として受け入れられているわけだ。
シャアが仮面形態に変身する現象に理屈もクソもない。完全なファンタジーだ。
ガンダムの価値観の一つであるリアル感をゴミ箱に投げ捨てた瞬間だ。
11話の初見時あまりの衝撃に「もしかしてジークアクス世界はララァの作った仮想現実なのか?」と考察wしたのだが、最終話でそれも否定された。
「そのほうが面白いから」「そのほうがカッコいいから」それ以上の理由はない。
それってファーストガンダムが乗り越えようとした価値観じゃないの?
これもなんの理屈もクソもない。
単にプレッシャーで見かけ上大きく見えているだけかと思いきや、ご丁寧に「質量の増大が確認されます」なんて言わせてるし。
でもそれと巨大化はなんの関係もないよね?
「そのほうが面白いから」「そのほうがカッコいいから」それ以上の理由はない。
それってファーストガンダムが乗り越えようとした価値観じゃないの?(二度目)
細かいところでいうとまだまだある。
シャリア・ブルは最終的にエグザべの乗るギャンに捕獲されるわけだが、そこで「私を軍事法廷で裁け」と口にする。
この台詞はファーストガンダムのキリシアの「意義のあるものは法廷に申し立てい」と重ねたものだろう。
ジオン公国は独裁国家色が強いが、権力者がすべてを意のままにできるわけではなく、一定は法の統治が行き届いているという描写だ。
「さからうものは死けい!」という国家感は幼稚で現実的ではないし、これも宇宙世紀のリアル感を増すための表現だ。
その後のシャリアの描写はないが、EDでは仮面と軍服をまとった姿が描かれている。
考察wすると、シャリアはイオマグヌッソ戦で死んだことになっているのではなかろうか。
キシリアを狙った行為をジオン軍としては見過ごすわけにはいかない。
しかしシャリアはアルテイシア擁立の立役者で、強力なニュータイプパイロットだ。
戦死扱いにして身分を隠し、直属の秘密部隊として行動しているのではなかろうか。
だから正体を隠す必要があり、シャアのような仮面をつけていると推察される。
マチュと一緒に地球に降りてのんびりバカンス? 意外とジオン軍もお甘いようで・・・。
というかキリシアがっつり撃ってたよね? 周りの軍人もそれ知ってるよね?
粛清されたキリシア派子飼いのパイロットで、ア・バオア・クーを消失させた張本人でもある。
シャリアの境遇を考えれば、ニャアンが余生を送れる余地はないだろ。
ゼクノヴァできるNTだからってことを差し引いて、百歩譲ったとしても監禁生活がギリギリじゃないか?
なに自由手に入れてんだよ。
シャリアの描写を正とするなら、ニャアンの描写がおかしいし、その逆も然り。
「そのほうが面白いから」「そのほうがカッコいいから」それ以上の理由はない。
それってファーストガンダムが乗り越えようとし(三度目)
富野監督は昔「絵空事でものを考えている人たちが大嫌い」という発言をしている。
当時は老害が苦言を呈しているわ、ぐらいの感想しかなかったが、振り返ってみるとあんたが正しかったよ。
アニメ業界を支えるべきトップクリエイターがいまさらガンダムをおもちゃにして絵空事を語っているのが滑稽だし、それを「ドライブ感」とかいって褒めやしているファンも同様だ。
はー、クソ。
マチュやニャアンがシュウジに惹かれるのよりも、アムロやシャアがララァに惚れる方が理解出来ねーよ。
だって1stガンダム41話のアムロとの対話の中でのララァの台詞これだぞ?
なぜ、なぜ今になって現れたの?なぜ? なぜあなたはこうも戦えるの? あなたには、守るべき人も、守るべきものもないというのに。
アムロがサイド7を追われた父親が酸素欠乏症になったのもジオン軍のせいなのになんでこんな他人事?
アムロもシャアも親や故郷をなくして傷付いた経験があるのにこんな女に惚れるか普通?
それがニュータイプ何たらのせいならば、マチュやニャアンがシュウジに惚れたのも同じなんだろ。納得しろ。
寧ろシュウジの方が特にマイナスな事は言ってこないから理解しやすさはララァよりは上だよ。
こと主役の恋愛に関しては1stもジークアクスもどっちも受け入れるか、1stもジークアクスもどっちも駄目かしかないと思う。1stはいいけどジークアクスは駄目ってのは神格化して変なフィルターがかかっているだけ。
に見えるという話。
第2話:シャアとシャリアブルが酌み交わすのは シャトー・ラフィット・ロートシルト。
第6・7話:シムス・アル・バハロフ大尉がシャリアブルに手渡したのはオーパス・ワン。
どちらも、かつて「世界金融を牛耳った」と語られるロスチャイルド家が醸造する銘柄です。イスラエルに批判的な一部左派の中には「ロスチャイルド家のワインは口にしない」と宣言する人もいる中で、本作ではジオン側で同じ家のワインが"二度"も重用されています。
2. 地球殲滅兵器「イオマグヌッソ」の開発責任者――レオ・レオーニ博士
第9・10話に登場。作中では戯画的ともいえるユダヤ系の顔立ちで描写されています。
参考:https://www.gundam.info/feature/gquuuuuux/character/49/
名の由来は、絵本『スイミー』で有名な実在のユダヤ人作家"レオ・レオーニ"。彼はダイヤモンド商の家に生まれ、若き日に未来派芸術とファシズムの接近から距離を置いた経歴を持ちます。
その名前を冠した人物を“地球殲滅兵器”の責任者に配置することで、原爆開発に関与したユダヤ人科学者やアインシュタインを連想させる構図になっています。
実在のレオ・レオーニは、世界三大奇書の一つとされる 『平行植物』(並行世界の植物を描いた本)の著者でもあります。
ジークアクス世界が「正史とは別の並行世界」として描かれている点と、この書名の“平行”モチーフが重なるのも、制作側の意図的なリンクと考えられるでしょう。
以上のように、
――といった複数の演出が重なり、「ユダヤ人(イスラエル)が人類絶滅を企てる」かのような読解を誘発しているように思えてしまうのです。
両軍ともに武装解除されるほど決定的な終わり方をしてないし、かと思えば連邦軍もジオン軍も地球含めた地球圏全域にいる
マチュは緑のおじさんの鉄砲玉かな?
マチュがかわいそう、という意見もあるけど、俺は全然思わないなあ。
何かバカな女がガンダムパチった結果、違法バトルで小金稼いで、好きな男と地球に行きたいから仲間の金庫を襲って強盗してエッホエッホ → ジオン軍に捕まりました、としか。
見事な泳がせ具合、と。
後、主人公としての魅力に欠けるのよね……何か感情だけで生きているとか。
特に一番見損なったのが7話の空調機(意味深)がコロニーで暴れている時なんですよ。
歴代人気主人公がガンダムに乗って戦っているシーンを比較すると……
アムロ「サイド7でザクが暴れやがって!! これがガンダム? ええい、このスイッチだっ!!」
カミーユ「ホンコンシティでサイコガンダムが暴れている? サイコガンダムを退治しに行かなきゃ!!」
ジュドー「ダブリンの街ボロボロだけど、サイコガンダムMK.IIが現われた? 倒さないと!!」
キラ「コロニーが危ない!! 何だこのひどいプログラムは!! カタカタカタ、ターン!! ナイフしかないや!! ええい、取り敢えずあのジンに刺しちゃえ!!」
マチュ「シュウジと地球に行くためにアンキー達の金庫から金盗もう。アンキー五月蠅いから発砲しちゃおう。鞄に紙幣を入れてエッホエッホ」
どんなシナリオにするのか悩むじゃねーかw
寧ろ再現してくれw
別に無理に戦えっていうわけじゃあないんだけど、何か違うんだよなあ……まああの回自身今ひとつなんですが。
あの回でもっと容赦なくサイコガンダムが暴れ回って、サイド6をめちゃめちゃにして義憤に駆られてジークアクスで立ち向かっていたのならともかく……と。
カミーユなんかよく「MK.IIパチってMPにバルカン斉射して「ザマあないぜっ!!」って喜んでいるアレな主人公」というのはあるけど、そこに至るまである程度理由が表現されているのよね……
カミーユという名前が女っぽいということで馬鹿にされやすいからそれに対する反発、ティターンズのジェリドに馬鹿にされてタコ殴りにされて、というのはあるけど、そこにはティターンズへの怒りなどある程度ストーリーが描かれているわけで。
そこから自分の感情を暴走させながらも、世界を良くしようと偽名のグラサン男(仮名:某氏「ニュータイプのなり損ないが!」)を「修正」しながら戦っているから支持されるわけであって。
ジュドーも根底には「妹のリィナの出来がいいから、山の手の学校に通わせてやりたい」というのがあるから、致命的なまでに酷いことはしない。
Ζガンダムパチろうとしたけど、まあなし崩しにアーガマに乗ってΖΖで戦う事になるわけで。
まあ弁当を落とした時のファのビンタが堪えたからだろうというのもあるだろうけど。
あの後シンタとクムが落ちた弁当を集めようとしているのがより一層……
キラに関しても「コロニー壊されて超ヤベー!! 友人を救いたいんだ!!(カタカタカタ、ターン」なわけで。
(この際「本気になったらサイがボクに敵うわけないだろ!」は置いておこう。友人の彼女を寝取る(2回も!!)というややアレな人格だがwやはりNTRは滅ぼさなくてはならない、青き清浄なる世界のために!!)
ガンダムの主人公って、基本的に自分の感情を元に動きながらも、それを正しい方向に向けていこうとガンダムに乗るから支持されるんだと思うのよ。
(あー……Hサウェイ(仮名)さんは取り敢えず置いとこう。続編マダー?)
まあガロードの場合はティファを、フリーデンの面々を守りたい、という感情でやっている側面多いが……
マチュにはそれがないんだよな……「地球行きたい、シュウジ、お金、クラゲになりたい、キラキラ!!」と……
ジュドーみたいに生活がかかってないから、生活費や学費は両親が健在でお小遣いとかも心配しなくてもいい、という恵まれた環境なんだよな……自分の欲望のためだけに、と。
何かそういう意味で俺の中では既に「(マチュは)もうどうなってもいいや」。
まあ正直な話俺の中ではジークアクスはシャリア・ブル、ジオン系の話ともう切り替えている。
その辺しか魅力がないんだよなあ……
マチュは上に話した通りだし、シュウジは一体何がしたかったのかわけわからんまま退場だし、ニャアンはまだありそうだけど、正直このメインのはずの3人に魅力がないんだよなあ……
緑のおじさんのやりたい放題(Beginingでのシャアとの絡み、ランド・ムーバーで空からエグザベ君救出、キケロガ無双、マチュをシャロンの薔薇探しパシリに使う等)の方が面白いんだが。
後、2話がピークだったと思う。
8話の前半部分も。
それと何かキラキラといえば何やってもいい、と思ってないか、と。
某ガンダムで「取り敢えずサイコフレーム光らせれば何やってもヨシ!!」というのと同じ感覚でキラキラ乱用しすぎじゃあありませんか、と。
ああいう超常パワーなんていうのはラストの方に1回か2回程度を入れる程度がいいのに、もう最近では何回も入れてインフレさせて、というのはガンダムとしてはどうなのよ、と。
0080や0083ではそういうのは基本的になくって、ガンダムって基本的にそういう通常戦力的な物がメインで、だと思うのよ。
もうなんか「サイコミュとサイコフレームと言えば何やっても許されるヨシ」という勘違いをした某ガンダムを作ったのはかなりどうかと思わないでもない。
ガンダムって
「連邦が正しいかジオンが正しいかについては議論があるものの、間違いなくザビ家はクソ」
で全視聴者が一致するかと思いきや、何故かそうでもないのが怖いとこなんだよな
いやマジでなんで?
ジオン軍の一般兵には擁護の余地があったとしても、ザビ家には肯定する要素ゼロじゃない?
よりによってザビ家の一番の被害者であるシャア(キャスバル)を推す人達でさえも、何故かザビ家連中と慣れ合わせようとするのがさらに怖い
当人が言ってもいない事であれこれ勝手に決め付ける一方で、何故あれだけ再三に渡って主張しているザビ家嫌いは尊重してやらないのか
キャラデザが描いた漫画のORIGINで諸悪の根源のデギンが変に美化されていたのに納得がいかないし
大学の時にファーストの劇場版三部作を観たことがきっかけで、以来ガンダムを愛している。
アニメに興味はある方だったけど、正直ロボットアニメという存在を舐めていた。
でも劇場版を観てぶっ飛んだ。
こんなに重くて、生々しくて、苦しくて、それでいて面白いアニメがあるのかと…!!
だが勘違いしないでほしいのは、作中のモビルスーツ戦やら政治はその表象に過ぎないということ。
何よりファーストが凄かったのは、戦時下の人間がきちんと描かれてることだった。
アムロの恐怖、カイの弱さ、セイラの決意。シャアの矛盾すら含めて、全員が極限状態の人間だった。
そして戦争が日常と地続きにあって、その中で人が死ぬという現実が、観ている側の胸に重く残った。
それからというもの宇宙世紀からアナザーまで、全部とは言わないがかなりのシリーズを観てきた。
正直、賛否両論ある作品もある。でも、それでもそれらはガンダムだったと思う。
なぜなら、どれも戦争とは何か?といったことや、人が死ぬとはどういうことか?というテーゼに、それぞれの形でちゃんと向き合っていたからだ。
で、だ。
最近の話だが、そんな俺がものすごく楽しみにしていた新作がある。
そう、ジークアスだよ。
聞いた瞬間、テンションは上がったよ。ファーストの世界観の作品を今やるのか!って正直とてもワクワクした。
一年戦争後の混乱を描くらしいとか、あの時代の再解釈だとか、事前情報だけでかなり熱が上がった。
……で、観た。観たよ。
はっきり言おう。
あれは、ガンダムじゃない。
一年戦争の直後、まだまだ血が生々しくこびりついてるはずの時代だ。
にもかかわらず、キャラクターたちはみんな戦争を知らない顔をしてる。
誰もが戦場にいるのに、そこにあるはずの死の予感がまるで感じられない。
まるで遊んでるかのように綺麗な顔してた。
嫌な予感はしたんだよ。序盤から。
ジオン軍人なのに絶対領域見せつける女が居てさ、もうね、呆れてしまって何も言えなかった。
主人公の緊張感も皆無。
初戦で汗かいてたし、緊張感あったじゃん!なんて言う奴もいるかもしれない。
でも違うんだよ。
あれは頑張ってる顔であって、死にたくない顔じゃない。
あれは本気で死に怯えながら、それでも生きるために戦ってたんだ。
それでいて誰かが死ぬとネットで「まさか死ぬとは思わなかった」とか抜かすんだろ?
ジークアスはファーストを踏襲するなら、そこにある“命の重さ”まで引き継げよ!!
だいたい、設定も甘い。
あの時代に生きてるなら、誰だって一年戦争を肌で感じてるはずだ。
そういう傷を抱えている顔をしてないんだよ、全員が。
どんなにアクションが良くても、撃ち合いに意味がなければただの演出でしかない。
爆発も光も、命を背負ってなければ、ただのエフェクトに過ぎない。
それが無いガンダムなんて、ただのロボットアニメに過ぎない。ガンダムである必然性はない。
でも“っぽい”だけじゃダメなんだよ。
魂が無い。
昨今はアイドルがどうとか、こうとか騒いでるけど問題はそこじゃねぇだろ!!
断言する。
名前がガンダムでも、フォントが同じでも、同じ宇宙が舞台でも。
戦争と死と、人間の愚かしさと誇りを描けてなきゃ、それはただの影だ。
あれは、
ガンダムじゃない。
地球に赴いた3バカは「敗戦」したとは思えないほどの復興と発展を遂げた大地を見る
連邦は思い上がったスペースノイドへの懲罰戦争を再度実施するべく態勢を整えており、3バカはついでで拘禁されそうになりニャアンは現地で射殺され退場
残った2バカはサラミスを強奪しガンダム(なぜか2機に増えている)とともに宇宙に脱出
衛星軌道上には連邦軍の大艦隊が展開しており、これを妨害しようとするもガンダム(白い)に妨害されて撤退
連邦軍は月面都市や各コロニーに進撃し、サイド6も標的にされる
イズマは連邦軍に毒ガスを流し込まれ親も同級生もジャンク屋も全滅
復讐のためにサイド3を攻撃中の連邦軍艦隊を攻撃するも、これ幸いとジオン軍はまとめて攻撃
謎の力でその攻撃を跳ね返すも、知ったこっちゃない連邦軍は攻撃を続け挟み撃ちに
あると思います
ずっとガンダム好きだったガノタ(ガンダムオタク)だけどガンダム完全に見限った。
ビルド系や外伝を除けば最後に面白いと思ったのダブルオーまで遡らなきゃいけない。
特にGのレコンギスタは富野監督の新作をリアルタイムで見られることにワクワクしながら見始めたのに本当にガッカリした。
鉄血のオルフェンズとか最後まで見たのを心底後悔するくらい憤慨したしその経験を踏まえて水星の魔女は3話くらいで見るの止めた。
ジークアクスについてはエヴァと庵野監督嫌いだから0話切りした。
あんなのアニメにするくらいならGガンダムの外伝をOVAでやってくれた方が余程嬉しいわ。
そもそも最近のガンダムは監督達がガンダムの面白さを理解していないのが分かる。
ガンダムの面白さってみんなハッキリ言わないけど要はデスゲーム的な殺し合いの面白さと武力で思想が対立する相手をやっつける爽快感、弱者が強者に一矢報いて散っていく滅びの美学でしょ?
カミーユがMP相手にバルカン乱射したりネーナがリア充相手にビームライフル発射したシーンとかみんな脳汁出るくらい気持ちよかったでしょ?
そういう感覚や思考を社会にバッシングさせないようにキラやキオの不殺思想みたいなのでオブラートに包んで披露してるのがガンダムでしょ。
ジオン軍が人気なのもドズルやビッターやガトーみたいなカッコいい敗者が勝者に一矢報いる爽快感があるからでそれを如実に表したのがIGLOOでしょ。
ジークアクスでジオンが勝った世界を描いたって聞いてずっこけたよ。
ケリィさんやノイエンビッターが死なずに生き残って勝ったらカッコよくないじゃん。
要はガンダムって言うのはアメコミ映画のジョーカー1をロボットアニメとして描いた作品なんだよ。
本格的にギャング化して富裕層の住む街や金持ちの船を襲って略奪殺戮しまくるようなのを鉄血に求めてたワケ。
水星とかネタバレ知識しか無いけどジョーカー的なポジションの女の子が学校破壊しまくって悪として書かれてしかも負けるんでしょ?
そうじゃないんだよ、そういうのを書くならIGLOOみたいにカッコよく悲劇のヒーローとして書かないと。
ジークアクスなんて絶対オタクへの説教パートが始まるのが目に見えてるから見ない。
自分が好きなガンダムがシリーズを重ねる度に劣化するのが本当に辛くてZ以降やSEED以降は認めないと言う古参ファンの気持ちがようやくわかった。