はてなキーワード: いいんじゃないとは
地方出身の彼女の両親が、彼女のいとこの結婚式に合わせて東京に来た際に顔合わせをした。
おっとり穏やかな優しそうな両親で、彼女の雰囲気ともよく似ていて、婿入りする予定だった俺は一安心。
俺の両親も素敵な方たちだと喜んでたし、将来的に一人っ子の彼女の地元で暮らすつもりで話を進めていた。
俺は千葉出身なのだが、家族や友人とスキーに行くときは彼女の地元の県に行っていたし、その県に関してかなり好印象を持っている。
だから今年の年越し、彼女の実家の県にある大きな寺に参拝に行くついでに、彼女の実家に泊まることになった。
彼女は田舎で何も無い、本当にイオンぐらいしか無い、ほかは田んぼと畑だけだとよく言っていたが、近くに有名別荘地があるのを知っているし、アウトレットもスキーもある。
都心に比べればそりゃあ何も無いと言いたくなるかもしれないが、それがいいんじゃないか。
そう思ってた。
彼女の実家は確かに田んぼと畑に囲まれた家だったが、まず規模が違う。
家、でかいね、って言ったら、うちは分家だけど本家の三男だから〜と。
義父(予定)と家が広いという話をしたら、無駄に広いだけ、畑も田んぼも、無駄にあるだけ。
えっ、家、ここ以外にもあるんすか!?てか、田畑も貸し出してるってなに!?
見えてる範囲+αで田畑があって、それは農協経由で人に貸してるらしい。
家ってのも、分家がいらないと言った家を引き取り、人に貸したりしてるそうだ。
近くの有名別荘地にも別荘?ペンション?があるらしく、彼女が東京に出てからは使わないからって人に貸してるらしい。
今思えば、彼女も彼女の両親も、おっとり穏やかではなく、品があるっていうのが正しい表現なんだな。
今の会社は県内(彼女の実家の県)に本社があるから決めたんだよね、本社勤務になれば栄転だよ!
そう笑う彼女に曖昧に笑ったのは覚えてるが、まじで一人になると彼女の実家について思い出してとんでもねぇ精神状態になる。
つらい。
一人目なんだったらそういう食べ方する人を深く知ったらどうなのか確認してから切ってもいいんじゃない。
今切ったら、切らずに付き合ってただ労だったんだろうかとかずっと考えそうだし。
じゃあ別姓と創性が選べるにしたらいいんじゃない
まあ応じない限りは決定的なことは何も起きないわけだから、切り札は自分が握ってるってことで悠長に構えるように自分に言い聞かせるのがいいんじゃないかな
ウザいとは思うが、嫌われたり目の敵にされるよりはマシだし、それくらいの価値が自分にあるって左証だと喜んでみるとか…無理やりポジティブに捉えるのはどうだろう
こいつが叩かれているのは大人しめで恋愛経験少なそうな女子に対して、この程度なら自分でもイケるだろうと値踏みして近付こうとする発想なのに
ASD「だから」差別されているんだと思い込む人達の、認知の歪みが酷い。
問題なのは自分の魅力を上げるとかアプローチの仕方を考えるとかではなく、相手の弱みに付け込もんで狙おうとする卑怯な考え方だろ…。
仮にこいつが自称ASDではなく単なる自称陰キャや自称不細工だったとしても、全く同じ反応が返ってきただろうよ。
まーこいつだけなら釣りの可能性もあるけれど、引用に沸いてるのを見るとどうも本物も混じってそうだし。
不対電子
@electlone
我々ASDが陽キャで恋愛経験豊富な女に好かれるのはよほど顔が良くない限り難しいので、どっちかというと大人しめで恋愛経験少なそうな子で、かつ挙動や言動がぎこちないASD男を見下さないような優しそうな女の子にアプローチするのがいいんじゃないかと思ってる
そんな生産性のない悩みが一生の最大の悩みみたいな感じなんだったらこの先何の上がり目もないことだし死んだほうがいいんじゃないかな
もうええてwww
↓
はてブで俺もそんなもんとかそんなこと気にしないでいいとか恋愛至上主義がどうのこうのの擁護コメントつきまくってバズる
↓
もうええてwww
何回やんだよこの流れ
もうわっかったよ実家暮らしだと積立NISに全力できて資産形成成功できるのはw
あなたが独身こどおじでお金溜まってて不安も無ければ不満もなくて結婚とか子育てとか金使う趣味とか全部してなくて快適な日々過ごしてるのはwww
もしこれアラフォー越えてやってたらねえ、ほんとにやばいよ、心配したほうがいいよ人生、ほんとに
毎回同じような増田に俺は快適で満足に過ごしてるから増田も気にするなってコメントして毎回バズるって、どう生きたらそうなるの?っていう
まあアラサーだったらいいよ、アラサーだったら俺もそういう周りが結婚したり子供作ったりしていく中で自分の人生肯定したくていちいち主張しちゃうとかあると思うから
アラサーだったらね、それがあるんだけど、40歳越えて実家暮らしで独り身だから資産形成できてますとか言われても誰も何とも思わないから、マジで、ほんとに
このままだと多分50歳になっても実家暮らし中年独身でも俺は満足とか痴呆症みたいに言っちゃうからそれ、結構厳しいと思うよ、ほんとに
もうやめな、そろそろだよ もういいんじゃないの?いい加減やめどきだよ
indexでも買って、より賢い人たちや若い人たちが頑張っている様子を眺めるとかはどう?
オルカンとかだと、新興国が頑張っている様子とも見れるわけだし。
成長を見守る親のような、そしてお金が増えたり減ったりしながら、長期的には増えていく様子を眺めて楽しむのがいいんじゃないの。
ここ最近、長男の小学校受験について、いくつかの記事を書いた。準備の仕方や、親の関わり方、結果として何が起きたか。ひと通り書き終えたあとで、ふと立ち止まってしまった。
小学校受験をさせるきっかけは、妻からの問いかけだった。 「どうする?」と聞かれたとき、私は即答できなかった。振り返ると、私は人生の大きな決断を、だいたい他者からの問いによって始めている。これは余談だ。
私も妻も、小学校受験どころか中学受験の経験もない。それでも受験を選んだ背景には、自分自身の学生時代の経験がある。
私は高校から、首都圏のいわゆる進学校に入った。中学からの内部進学組に混ざる形で、今はもうそのできなくなってしまった高校からの入学だった。その学校は、毎年かなりの数の卒業生を難関大学に送り出している。私は最上位ではないが、世間的には「恵まれている」と言われる進路をたどり、職業人生も、少なくとも自分では幸運だと思っている。
その後の人生で、小学校から私立に通った人、名門私立中学出身の人、いわゆる社会階層の上位にいる人たちと接する機会も多かった。正直に言えば、そうした人たちに対して、羨望や嫉妬、劣等感を抱いたことも一度や二度ではない。
自分と同じようなコンプレックスを抱えながら、鼻息荒く、自己像を膨らませて生きている人たちもたくさん見てきたし、かつての自分もその一人だったと思う。 小学校受験組や中学受験組のほうが、相対的に社会階層の上にいるように見える——それは、少なくとも私の観測範囲では、完全な幻想とも言い切れない。
最近、SNSでは「多様な価値観に触れられるから公立でいい」という配偶者の言葉に反論する議論をよく見かける。それはだいたい、「首都圏の事情をわかっていない」というコメントとともに投稿されている。
そうした議論を眺めながら、自分の中にある古いコンプレックスが、静かに刺激されているのを感じていた。
それは私が都内といえどもいわゆる荒れている地域で育ち、常識から外れた価値観で生きて生きたこと、それを矯正する道のりでたくさん傷ついたことなどが思い出されたのだ。
羨望の眼差しを向けた人たちが歩んできた道に合流するのに自分が遠回りした分、子どもにはできるだけショートカットさせたい。
結局のところ、私は子どもに「自分が得られなかった経験」を与えたかったのだと思う。 自分が果たせなかったことを、子どもに託そうとした。 それはパターナリズムであり、自己投影であり、あまりきれいな動機ではない。
それでも、小学校受験を選んだ理由は、それだけではなかった。だからこのエントリを書いている。
たまたまの縁で、子どもたちはスポーツ色の強い幼稚園に通うことになった。その園では朝は走り込みがあり、年間を通して運動イベントが続く。親にも係活動など、相応の負担が求められる。
正直、楽ではない。でも、その負担を引き受け、子どもが毎朝走っている姿を見ていると、自分の中で眠っていた何かが刺激される。 「自分も、もう一度なにかに本気で向き合ったほうがいいんじゃないか」 そんな気持ちになる。
長男はサッカーにのめり込んだ。土日は一緒にボールを蹴るようになり、気づけば親子でかなり真剣になっていた。没頭する姿を見るのは、純粋にうれしかった。
小学校受験の半年間も、子どもにはそれなりの負荷をかけたが、同時に、親である自分も本気で考え、没頭した。「どうすれば、この短期間で合格に近づけるか」。久しぶりに、時間を忘れて考える経験だった。
結果として合格したが、進学先の小学校でも努力が求められるのは明らかだ。それを良しとするかどうかは価値観次第だが、少なくとも私は、「努力する」「没頭する」「それによって意図でず成果が積み上がる」という感覚を、早くから体験すること自体には価値があると思うようになった。
このように振り返ると、小学校受験を選んだ動機は決して純粋ではなかった。コンプレックスも、自己投影も、間違いなくあった。
でもその過程で、親子ともに「没頭する感覚」に救われた部分が確かにあったと思う。
今では、どれか一つが本当の理由だったとは思っていない。やり抜くうちに、理由は少しずつすり替わり、深層では「何かに本気で向き合う時間」そのものを、親のほうが欲していたのかもしれない。
乱暴に一言でまとめるなら、小学校受験は、没頭して成果を出す感覚を思い出させてくれた機会だった、ということになる。
ただし、この整理が唯一の正解だとは思っていない。 この文章も、誰かを説得するためではなく、自分自身への説明として書いた。
いわゆる優しい人と付き合った
穏やかで、優しくて、私のことが好き
本人も変えたいと言ってる(これは本当に私から言ったわけではなく、向こうから言ってきた)
だからこういう服が似合うと思うよ〜とか、髪はこうした方がいいんじゃないとか、痩せるのにはご飯からだからあすけんやったら?私もやってるよ!とか言ってきた
何も変わらん
服はもう本当に店行ってその場で買わないとだめ
髪はかろうじて他の人にも言われて家での白髪染めだけした(美容院に行ってくれ!)
体型は本当〜〜〜に変わらない
本当に酷いこと言ってる自覚あるんだけど、優しくて好きだけど性的には本当に見られない
何で付き合ってるんだって思うかもしれないけど、優しい人しか人として好きになれないからです
もっとイチャイチャしたいと言ってくるんだけど(そりゃそうだよなと、思う)だったらもうちょっと気をつけて欲しいよ〜とも思ってしまう
ただ、これに関して強制するのは悪だし...
よく悪いやつを好きになる女が悪い!っていうけど、優しい人と付き合うとこういう感じになるんだよな、と思った
せめて努力がみられたらいいなと思うけど、、、でも中身は好きなんだよなあ
体力もなく、月一回は必ず調子の悪くなる身体をやってると、社会進出したい同性の気持ちはあんまり分からないというのが本音なんだけど、そんなにみんな平等に取り扱って欲しいのかなって最近思ってる
強い人は強い人、弱い人は弱い人で、区分けして公正に下駄履かせるほうがいいんじゃないかなって
なんなら税金で強い人は強いままでいられないように、弱い人には支援して弱さを丸めるように、相続とか何やらで調整してるわけだしね
地方住みなんだが、朝の情報番組で東京中心の天気予報流すの違和感しかない
関西圏の地方住みだからこの天気予報に何の意味があるのか全然分からない
行きもしない所の天気予報を何で見ないといけないのかってなる
ラヴィットやサンシャインもそう
天気予報だけでなくどこかのグルメに行きます!となっても大抵東京やその近郊のどこかでとにかく関西圏に住んでる以上全く当てにならないのよね
予算編成の問題とか系列局のしがらみとかもあるのかもしれないけど
普段行かない地域、それも関西から遠距離にある東京ないし関東圏の天気予報やグルメを率先して流してくる情報番組に価値性を見出せない
これで大きな地震や台風になった時に関東圏の心配をするんだけど関西に全く無関係の時にいつもそのニュースが流れる度に関西では何も起きてないよ?
逆に関西で何かあった時テロップ流すだけで関西の事だからとスルーするのね
NHKだったら一応関西の系列局に切り替えてくれるけど朝の民放は東京のテレビ局だらけだからなのか中継すら関西のテレビ局に繋げないよね
いるの?関西に関係のない東京の情報番組って必要?東京の天気予報やグルメばかり流すテレビ番組なんていらないですよ
人間社会のシステムとして相続があるから男の名前を引き継ぐようになってるんだけど
名前の問題ってどういうところで男性が苗字を変えたほうがいいと思う?
この世にいる人間は全員女性から埋まれて来てるから名前を引き継ぐ必要なんかないんだよね
遺産相続もイブまで遡って他人の財産も自分に相続権があるなんて
家系図が男系なのは相続ができる人間社会を構成するのに男性を基準にしないと
女性を基準に家系図をつくると途中でやたら増えたり飛び越えて分岐ができたりして
途中で始まった家系が織田家なのか徳川家なのか訳が分からなくなる
遺伝子の混ざり具合で半分が織田で半分が徳川だから徳田家にしようみたいにできたらいいけど
伝承や口伝で地域の人が過去をしっている分だけで系統を管理したら
島国で他の国の人間の流入が少なかったから戸籍がたどれるというのはたぶん
日本と北限の地域の国くらいだろうと思うし、陸がつながってる国は自分の先祖がだれかとか
他の国も一応男の親からの名前をミドルネームにつかったり、なんとかビッチとかマックなんとかみたく
そうしないと最低限、自分の親すら辿れなくなる
移民とか外国人の流入とか、人間を存在してる頭数だけで管理するとなると
相続をなくして財産は全部国の管理下にあるとしたりするならむしろもう苗字とかいらなくなるんだよね
そうなると何が不便かって「相続したもの」がなくなるから伝統や積み重ねた技術が失われるんだよね
趣味が結果を残さなかったら意味ないじゃんってはてブが最近あったけどあれがまさにそれ
音楽家の親の子供が音楽するようになるのは引き継いでいるものがあるから
政治家みたくそれでいいのかって所もあるけど、結局結果をうまない趣味から始まって仕事になって
それが家業みたくなって継がれるようになることでより洗練された技術になることもある
人間のスペックはすごいから生まれた時から役割分担してそのために教育して生きていくって
そんな社会になったら系統とか相続とかいらなくなるから苗字とか名前とかってどうでもよくなる
社会が決めた農家にうまれたら農業するしかないし、簿記をすると役割を与えられたら簿記をするためだけに生まれてきて死んでいくしかない
そう社会に決められるのがよいなら名前なんかどうでもいいってことになる
今の日本の教育制度のようにたくさんのジャンルをまとめて詰め込んで
芽が出たものを伸ばせばいいじゃんて思う人もいるとおもうけど
平均点の最低限をみんなやってそこでどんぐりの背比べが才能の差ってなると
神童が聖人してただの人になったかなしい話のひとつやふたつ聞いたことあるとおもうし
思い出してあげてほしい
全部が平均点しかでない巨大な共産的な国家みたいなことになるのは結果がでてるから
参考になるとおもうんだよ
親がピアノを買ってくれなかったらピアノをすることなんてないし野球に興味がないと練習することもない
そうする役割だとして社会にきめられて、じゃあそれが結果をうまなかったら社会にどうされるのかって
共産的な方向性の国のこれまでがどうなのかみればなんとなく雰囲気は伝わるんじゃないかな
実際の現在の日本はそういうものが失われていって機械で即時生産できる消耗品がメインの産業みたいに
途上国の多くがなぜそうなってるのかみたいな方向に逆進的にいってるそれが個人レベルの幸福なら
それでもいいんじゃないかと思うけど、島国にっぽんが国際社会で高い位置に経済的にあったのは
まだ家制度みたいな男系みたいな相続と継続があったからなんだよね
それは文化で、いまその文化がかたくるしいからもっと自由でフランクな南国みたいな
手前でとれる成果だけ自分のぶんだけまかなっておければほおっておいてもらえるとストレスフリーで楽
ゆるい滅亡みたいな感じが迎合されてるみたいだから流行っているのだと思うけど
なんかそういうのちゃんと真面目に考えてる人がいたら
建てたのは去年の秋頃。
ただしサイズは一回り小さい。うちの庭に公園のスケールを持ち込むと、確実に邪魔になるからだ。
なぜ東屋なのかと聞かれると、実のところ自分でもはっきりしない。ただあの場所が子供の頃から好きで、ずっと惹かれていた。
定年してから、ホームセンターに行く回数が増えた。別に何かを作る予定があるわけでもないのに、工具売り場や木材コーナーをうろうろしてしまう。コメリ、カインズ、ビバホーム。この三つを回るだけで半日が潰れる。現役の頃なら考えられない時間の使い方だ。
東屋を作ろうと思ったきっかけは、そのビバホームの屋外資材売り場だった。ウッドデッキ用の柱材が立て掛けられていて、値札を見ると「杉 四寸角 3,000mm 9,800円」と書いてある。正直、高いと思った。六本必要だから、柱だけで約六万円になる。
最初は「三寸五分角でもいいんじゃないか」と思って、値段を比べた。一本7,200円。差額は一本2,600円、六本で15,600円。結構な差だ。でも現物を触ってみると、明らかに太さと重さが違う。公園の東屋を思い出して、ここをケチると一気に頼りなくなる気がした。結局、四寸角にした。
床材はSPFの2×6材。これは比較的安い。一本1,480円。反りが少ないものを選ぶのに時間がかかった。屋根材も悩んだ。ガルバリウム鋼板にすると一気に値段が跳ね上がる。見積もりを出してもらったら材料だけで7万円を超えた。今回はアスファルトシングルにした。1束3,500円を3束。防水性もそこそこ。見た目も悪くない。妥協点としてはちょうどいい。
最初は全部自分でやるつもりだった。束石を置いて、簡易的に固定すればいいと思っていた。でもネットで調べると「風で揺れる」「数年で歪む」という話がいくらでも出てくる。
結局、基礎だけはプロに頼んだ。地元の外構業者に電話して、現地を見てもらった。
「六カ所ですね。30センチ角、深さ40センチで打ちましょう」
即答だった。こちらが迷っていると、
「DIYでやる人もいますけど、腰やりますよ。あと水平出し、これ一番大事です」
と言われた。
見積もりは、基礎工事一式で58,000円。正直、安くはない。だがコンクリートの材料費と、失敗した場合のやり直しを考えると納得できる金額だった。柱脚金物の位置も、ミリ単位で調整してくれた。
工事当日、職人二人が来て半日で終わらせた。穴を掘り、砕石を入れ、型枠を組み、コンクリートを流し込む。自分が一週間かかりそうな作業を淡々と片付けていくのを見て、金を払う価値はここにあると思った。
基礎が固まってからは、自分の作業だ。柱を立て、梁を組む。水平器の泡を何度も確認する。ここでズレると屋根が全部おかしくなる。インパクトドライバーを持つ手には緊張があったことを今でもよく覚えている。
屋根を組み終えた時点で、もう達成感はかなりあった。床もベンチもまだなのに、そこそこの場所に見える。屋根があるだけで、人は勝手に用途を想像するらしい。
作業期間は実質10日ほど。腰が痛い日は休んだし、雨の日はやらなかった。防腐塗料は最初ケチって一度塗りにしたが、結局全部塗り直した。塗料代が追加で8,000円。最初からやっておけばよかった。
完成後、総額を計算してみた。
木材、金物、屋根材、塗料、基礎工事。全部合わせて、だいたい26万円。安くはない。だが公園にある東屋を一基設置する工事費を考えると、桁が違う。
天気が良く暖かい日には毎朝ここでコーヒーを飲む。昼は本を読む。夕方は何もせずにぼぅと座っているだけのこともあるが悪くない。たまに野良猫といった珍客も訪れる。
決して安くない買い物であったが後悔は一切ない。幼少期の夢をこの歳になって叶えることになったが、その満足感は計り知れない。
うちの庭の東屋は美しい。今度近くを立ち寄ることがあれば、是非とも一目見てほしい。