はてなキーワード: 保革とは
それデモいい
それデモいいと思える
故意だった
怖い 暗い 覚えてるの〜
犯しでしょ〜
総意って笑ってよ
わかれているのnear鉈の事ばかり
"防衛相、初訪沖で玉城知事との会談見送り 国と県の溝浮き彫りに"
一人になると考えてしまう
"基地問題で保革の対立が先鋭化しがちな県内政界で、党派を超えてまとめてきた原動力は「【私利私欲】を捨て、大局を見極め判断することだ」と強調"
あの時 私 忘れたらよかったの?
もう二度と戻れなくても
"... 二度と戻れない人も沢山いた。何という悲劇・しかし、更なる悲劇が沖縄の人々を襲うことになる。沖縄に駐留した米軍兵士の「軍紀は世界中の他の米駐留軍のどれよりも悪く、沖縄は米陸軍の才能のない者や、のけ者の体のいいハキダメ」(ジャーナリスト ..."
今は無料 a 鉈 a 鉈のことだけで
★あなたのことば借り
「鉈を貸して山を伐られる」(なたをかしてやまをきられる)の意味
https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/3949.php
"琉球王国が誕生する前は、沖縄本島は「南山(なんざん)」「中山 (ちゅうざん)」「北山(ほくざん)」の3つの国に分かれ争っていました。この頃を三山時代と..."
バカかどうか測る。
つまり、ばかり。
366日
ーーーーー
続き
『将棋×音楽 スペシャルコラボイベント 駒音に耳をすませて。』
か調布であったようだ。
https://x.com/cmf_pr/status/1804138179341291737
蒼い鳥弾いてくれました。
254=じこし=ニコし。
コロナによる医療崩壊を防ぐため医療関係者の児童の優先入所を検討するよう某都道府県から指示あった。是非やるべきだと俺は思ったよ。
でも、医療関係者と言っても医師看護師技師保健師ソーシャルワーカー事務員清掃員といろいろあるし病院だって精神科や泌尿器科といろいろある。
対象をどうするか。
各市の担当者から都道府県側に照会したが、とにかく市町村に一任するとの姿勢。
というか正直そこまで優先させたくない模様。
でも市町村には医療現場の具体的な状況なんて見えないんだから適切な線引きは不可能。
というか県内全域で感染蔓延してるのに市町村ごとに判断させるってどうなんだ。
当たり前だが県立病院の職員だって病院の所在地以外の他市町村から大勢通勤してるんだぞ。
http://www.jicl.jp/old/hitokoto/backnumber/20180702.html
松尾のIoTを駆使した協同組合による自主管理社会主義に一時期大きく関心を持っていたものではあるが、
今更ながら一新潟県民として、県政潮流の理解に誤りが見られるので色々突っ込みどころを挙げていこう。
初めに言っておくが、泉田裕彦は知事時代紙幣発行と消費増税を論じて「アクセルとブレーキを同時に踏むようなもの」と評するなど明らかなリフレ派だった。
円安誘導を目玉とするアベノミクスは、彼が最後まで自民との縁を切らなかった口実になっていたと言える。
まず、加茂は泉田の出身地である。地元の小池清彦市長は反原発派でもあり、
新潟日報の報道攻撃に一番最後まで抵抗していた人物であるため、後継格であった米山隆一の得票が高いのは極めて自然である。
共産のみの推薦であった福山和人の京都府知事選と比較しているが、池田千賀子の主たる推薦政党である社民党と(新潟は鳩山政権崩壊後も連立政権からの離脱に最も否定的だったなど右派的特徴があるとはいえ)世間一般の印象がどれが違うのか。
実は、この大型開発公共事業か地域密着公共事業かのスローガンは、前回の新潟県知事選挙での米山の言葉とほぼ同じである。それは、「公共事業のための公共事業の森候補か、人と暮らしのための公共事業の米山か」というものであった。
と紹介する。そもそも福山は新潟に倣って種子条例の制定を訴えるなど意識的に真似ていた。京都独自の戸別所得保障制度を作ることにも引き合いに出していた。
米山の公共事業観も知事時代の泉田をほぼ踏襲したものである。彼は大型開発に消極的で、原発で尖る自身への懐柔のため自民党県議の地盤でもある中小土建に利益の多いものを中心にしていたとされる。
原発に対する三つの検証というものが泉田県政を野党目線で整理したものという視点を踏まえ、特に東日本大震災以降の保革を超えた政策の系譜上これが池田に引き継がれているはずだ、と概ね考えることも可能だろう(それでも建設票を崩せたわけではないのだが)。米山県政は超少数与党であり、自民党時代(すなわち泉田時代)と予算編成方針を大きく変えることは出来なかった点もこれを傍証する。
そもそも日本維新の会出身の米山が「反緊縮」の騎手に見えたかかなり疑問である。選挙戦当初の米山隆一の街頭演説は毎回ほぼ同じ内容であり、「公共事業をしないなんて嘘ですよ」とどこでも言っていた。建設業界に警戒されていたということなのだ。松尾は池田が小泉純一郎の応援を受けたことを批判しているが、そもそも米山は小泉チルドレンであったし、池田の出身労組である自治労は、維新の公務員削減路線を警戒して米山に対しては自主投票で望んでいた。公務員の人減らしは中小土建向け予算同様、泉田が自民をつなぎとめる重要政策でもあった。
何より、根本的に、去年の県知事選でも課題となった人口流出に悩む状況下で、35歳までの自覚的に政治的な層への浸透を図ることは有意義だが効果が薄いはずだ。
最後に、現在の新潟県、そして新潟市も、そのような状況下でも財政難に陥っている。にも拘わらず、公共事業予算の切り詰めは甘かった。泉田―米山―落選した池田の系譜を考慮する限り、リフレ派の「反緊縮」は、政治的にはその経済政策の中核をなす日銀を介した市中紙幣の強制増を第二次安倍政権への支持にすり替えられ、実際には「人々のための公共事業」へ、たとえば、森民夫・花角英世における大型クルーズ船誘致や建設予算充当などに対する緊縮路線と言うレッテルを張ることに奉仕している。不幸にも、これが結論である。
https://this.kiji.is/207438898890506241
情報提供の受付
https://www.jbaudit.go.jp/form/information/index.html
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51052?page=2
「二次創作」の愛国教育は、戦後社会に見られるひとつの伝統芸であり、サブカルチャーであり、この分野に詳しい者にとっては見なれたものである。
「戦前っぽいもの」のパッケージは、戦後長らくつづいた保革対立のなかで形成されたものである。
保守勢力(自民党文教族、文部省など)は、教育の荒廃が叫ばれると、かならず国旗掲揚、国歌斉唱、「教育勅語」の再評価、修身の復活などを主張してきた。
国旗国歌問題に火をつけた第三次吉田茂内閣の天野貞祐文相は、その嚆矢である。内藤誉三郎(文部事務次官→参議院議員→第一次大平正芳内閣の文相)のように、「天壌無窮の神勅」を学校で教えるべきだと主張した例もある。
教育機関で国民国家の歴史や意義を教えることは必要である。国民国家は、現在の国際政治の基本的な単位だ。これを否定するつもりはない。
グローバリズムの時代、国民国家というシステムをいかに無理なく保守・管理・運用していくか。政府への盲従や排外主義などの欠陥は認識しつつも、こうした問題に取り組んでいくことは欠かせない。
パッケージを丸呑みするかいなかの二者択一は、あまりに単純すぎる。
ナショナリズムはいつどこで芽生えるか →戦争で負けている側である。
あるいは学歴を誇る人間はいつ登場するか。→落ちぶれてそこしか砦がなくなった時である
東大卒のりょーすけさんなどは、もう道具として使う。ふつうはそういうものだ。
東大生かくあるべし、みたいなことを言い出すのはかなり痛い
今日ほど「君が代」に関する議論が劣化した時代はほかにないだろう。
「君が代」を歌うか、歌わないか。問題はあまりに単純に二分化され、歌えば保守・愛国であり、歌わなければ左翼・反日であると即断される。そしてこの単純な白黒図式に基づき、「愛国者」を自任する者たちが、気に入らない相手に食って掛かるしかも、驚くべきことに、この「愛国者」を自任する者たちの多くは、「君が代」の歴史や意味をロクに知らないのだ。「君が代」は、敵と味方を判別し、敵を吊るし上げるための単なる「踏み絵」と化している
「ネットモブ」が「ネット右翼」と呼ばれたために、その主張も「保守」や「右翼」のものと勘違いされてしまった。この結果、昨今のナショナリズムの「再評価」とあいまって、歴史的な経緯に詳らかではないネットユーザーのなかで、劣化した議論が急速に肥大化してしまった。
1890年2月、帝国議会の開会を直前に控え、地方の治安維持をつかさどる県知事(内務官僚)たちは、「文明と云ふことにのみに酔ひ、国家あるを打忘れた」自由民権運動を抑制するため、「真の日本人」を育成する国民道徳の樹立を求めた。
→とはいえ、当初の「教育勅語」の内容は、後世の文書などにくらべて、意外にも慎ましいものだった。
「日本は神の国であり、世界を指導する権利がある」などという大それた神国思想は、「教育勅語」のなかに見られない。これは、『国体の本義』(1937年)や『臣民の道』(1941年)などで、教育界に広められたものである。
むしろ「教育勅語」の内容はかなり抑え気味だった。たしかに、「我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ」「天壌無窮ノ皇運」など神話にもとづく記述もあった。だが、そこに掲げられた個々の徳目は現実的で、日常的な振る舞いに関するものが多くを占めた。
日本が日清戦争や日露戦争に勝利し、帝国主義列強の一角を占めるにいたって、かえって問題が指摘されるようになった。大国日本の国民道徳として、「教育勅語」はあまりに物足りないのではないかと注文がつきはじめた
→君主たるもの、特定の政治的、宗教的、思想的、哲学的立場に肩入れする言葉を使うべきではなく、またその訓戒も「大海の水」のごとくあるべきで消極的な否定の言葉を使うべきではない
また、井上は帝国憲法の起草者として立憲主義を尊重し、「君主は臣民の良心の自由に干渉せず」と述べて、「勅語」を軍令のように考える山県の構想も牽制した。
もちろん、自由民権運動対策が念頭にあったこともあり、独立自治などにつながる徳目が慎重に排除されていることは見逃せない。その一方で、その内容は、神国思想や軍国主義の権化のごとき過激なものでもなかった。
追加修正
西園寺公望は、明治天皇の内諾を得て、「第二の教育勅語」の起草に着手した。
1919年、『勅語衍義』の執筆者・井上哲次郎によって「教育勅語に修正を加へよ」という論考が発表された
この提言の背景には、同年に朝鮮で起きた三・一独立運動の衝撃があった。
結果的に、「教育勅語」の不足分は、ほかの詔勅の発布で補うかたちが取られた。1908年発布の「戊申詔書」、1939年発布の「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがそれにあたる。
1948年6月の衆参両院の決議では、「教育勅語等」として「教育勅語」だけではなく「軍人勅諭」「戊申詔書」「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがセットで排除および失効確認されている。これらの詔勅が一体的に理解されていた証左だ
「教育勅語」は、狂信的な神国思想の権化ではないが、普遍的に通用する内容でもなく、およそ完全無欠とはいえない、一個の歴史的な文書にすぎない。その限界は、戦前においてすでに認識されていた。
ググると革の栄養だの呼吸だの疲労だのエセ科学っぽい言葉が沢山並んでいるが大別すると革靴に塗るものは5種類。
油脂:保革油とも。革を柔らかくし、水分を保つ。塗りすぎると細かなひび割れの原因になるらしい。
顔料:色を付ける。黒なら黒を使うが、茶色など他の色の場合は革の色よりも少し薄目のモノを使う。
蜜蝋:革の表面に蝋で保護膜を作り、革本体を保護する。もしくは革の表面のでこぼこを蝋で埋め、なだらかにすることで鏡面磨きや傷の補修を行う。
それらの要素を複合した商品を革に塗る。
オイル:ミンクオイルなど。油そのものだが、ワセリンを多く含んでいるらしい。
乳化性クリーム:油と顔料。油性ワックスより水気がある。絵の具のよう。
デリケートクリーム:乳化性クリームより水分が多く、蝋が少ない、もしくは全く含まない。その名の通りデリケートな革に剥いている。
つまりオイル、乳化性クリーム、デリケートクリームを塗るだけで良い
使用によって汚れが付着したり、油が劣化すると皮を痛めるので半年に一回くらいはリムーバーやシャンプーで掃除する。
その「歳出カットだけ」「給与を下げたり文化事業への支出を削ったり」が、余人には出来なかったわけだが。誰でも出来るなら橋下でなくてももっと早くに誰かがやっていたはずだ。
で、何でできないかって、余所の知事とか今までの知事ってだいたい保革相乗りよな。自民党系の利権団体、非自民系の自治労、その他諸々利権のありそうなの「全部」に推薦されちゃあ、無駄と分かっていても結局何一つ削れなくなる。
橋下の強さは、自公支持に留めたところにある。非自民系の利権からはフリーハンドを得てるから自治労と正面から喧嘩できる=給与をカットできるし、自公の支持で給与カット条例を通すことも出来る。しかも支持に過ぎないから自民系の利権にもそこまで結びつきが強くないから事業支出も削れる。
これについた複数のブクマコメについて、書きたいことが100文字に収まりきらないのでここに書く。
>荻上式BLOG - 振り返りみれば「女性運動」の共感できなさ
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20070915/p2
>はてなブックマーク - 荻上式BLOG - 振り返りみれば「女性運動」の共感できなさ
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20070915/p2
>2007年09月17日 aozora21 ??社会 なににせよ支援はやり方によってはむしろ害であるのはどこでも散見できる。反対者、無理解層の共感を求めるなら感情に支配されない事だと思う。
aozoraさんの意見はいつも凄く解りやすくて共感できるのばかり。
でも「感情に支配されない事」の部分は、少し違うかも、と感じます。
感情がダメなのではなくて、それが本質ではなくて、悪意に支配されてしまったときが、終わりなのだと思う。
(seijotcpさんの場合で言うなら、『ドギ』、『教基法の本音』あたりのやりとりがモロにその典型です。)
悪意ではなく怒り、善意、同情?何でもいい。マジな思い。それこそが誰かの胸を打つのではないかと。
なんかこういうことガチで主張すると恥ずかしくはあるけど・・・(汗
>2007年09月16日 isnotit きみらが「1ドギ 2ドギ」とか言ってたのもだいぶキモいっつーか痛かったヨ!/この手の人たちはみんな自覚がないのね。直りはしない。
前半部分は確かにそのとおりだけど、後半部分は違うと思う・・・。
直りはしない、って言い方も随分(汗
>2007年09月16日 nessko なぜサヨは替え歌が好きなのか? しかし、何がしたいかわからない、とまでは思わないね。
左右保革は、ほんと 関 係 な い と思う。
替え歌とかそういうのは重要なポイントじゃなくて、そこにどれだけの悪意を込めてるかが問題なのだと思う。
あと、政治関係の替え歌は、たとえばニコニコ動画でも割とあって、(ニコ厨でサーセン!(´ω`;)
(ex.)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm663489 10分で参院選に行きたくなる ー組曲『ニコニコ動画』 選挙を歌ってみた
http://www.nicovideo.jp/watch/sm753930 10分で振り返る ー組曲『ニコニコ動画』 参院選開票verーを歌ってみた
http://www.nicovideo.jp/watch/sm589988 ■■■■が倒せない (※注、小沢さん+エアーマンネタ)
3つほど挙げるとこういう感じ。
ただ、こういう動画は、ネタ優先の悪戯心がほとんどで、悪意をあまり持ち合わせてないのね。
対象も、与党野党から泡沫まで、まんべんなくからかっていて、特に恣意性は見られない。
(※ニコニコ動画の住人はそのほとんどが無党派層だというのは、こういう点からもなんとなく判る。)
また、最近出た『自慰表明』とか『6年間ぐらいずっと閣下のターン』とかも、めちゃめちゃ低俗で下品すぎで激しくアホ丸出しwだけど、
メンタリティとしては“教科書に落書きしてる小学生”と似たような無邪気。少なくともタチが悪くはない。
なんていうか、上手く言い表すのは難しいけど、こんだけハチャメチャやっていながら、超えてはいけない一線を超える事がほとんど無いのです。
返信するね
短くするから許して
http://anond.hatelabo.jp/20070716231329
>今更だけど、何で自分のとこや相手のコメント欄じゃなくてここでやるの?
そういう忌憚ない意見が聞きたかったからなんだ。
2ちゃんに馴染んだ自分からすると、※欄は、他の人からの冷静なツッコミによる抑止作用が働きづらいゾーンに見える。
ツッコミは、「長い」「今北産業」のようなものでもいいし、あなたみたいな意図へのツッコミも歓迎。
悪意は本当に無いよ。匿名状態からのツッコミをぽこぽこ受けやすい状況にしてるのは、主として自分だけ。
相手は相手のゾーンに居ていい。
自分の発言を、『発言敷居を取り払ってなお、荒らしとかあげ足取りとかの悪意を向けられない』ぐらいのものにしておきたい。
あと
>「お前なんか相手にしない」
これは間違いなく違うよ。
相手にしまくってる。
本当にどうしようもない人とは関わり合いを持ちたくない。
優しい人には、懐きたくなる。
keya1984さん、inumashさん、Tezさんとか自分はそのあたりの人好きだけど、思想とかバラバラでしょ?
これも違うかな。
『嫌○○厨』全般に対して、それは違うんじゃない?と指摘しつつ、
感情の不毛なループにどういう発言で対処したらいいか、という方法論の提示です。
そこは長いけどkurotokageさんの※欄にも書いてるから、もし暇なら見て欲しいな。
暇ならでいい。ほんとに長いから・・・(汗