はてなキーワード: 自慰とは
思春期、左だけ形が崩れていることに気付きショックを受ける。
性器の形に個人差があるのは知っていたけど、さすがにこれは長年続いた自慰の影響だと思うので落ち込む。
中学生の時、同級生からセックスは気持ちいいものだと聞いて「え?!もしかしてあの感覚???ってえぇーー!なんだよあれかよもう知ってるよつまんねーーー!!!」と思った。
大人になって絶頂を経験した人がセックスにハマるのもなんか分かる気がした。
子供の頃から睡眠導入として自慰をしてきた影響で、早漏の彼氏よりもさらに早く達してしまう。
しかも絶頂を迎えた次の瞬間から触られるのがものすごい苦痛。すぐにでも相手に背を向けて寝てしまいたくなる。
私にとって膣はあくまで栗の感度をブーストするためのものなので、単体では何も感じない。膣だけで感じる人の存在に驚く。
幼児自慰から抜け出せないまま大人になったので、愛があるというか、本当の意味でのセックスがよく分からない。
セックスをしているといつも「私はイク道具として男の身体を使用している」という感覚になる。電マ的な?だから相手に申し訳なくなる。
もしも、そういうロボットが開発されていたらそっちを利用したと思う。
年齢=自慰歴だからかわからないが、股間の辺りをちょっと意識しただけで生殖器がトクントクンするというか、達した後のような痙攣が起こる。
自分の意志とは関係なく起こる。場所や時間も問わず起こる。いつの間にかそういう症状が出るようになった。
嫌いな上司の顔を見ながら性器を痙攣させることも理論上は可能(やらないけど‥)軽度だけど多分これはもう病気。
長い期間自慰をしないでいると、寝ている間に体が勝手に絶頂に達して勝手に処理をするようになった。
夢精は分泌物も少ないので、下着も汚れないしかぶれないし(自分の分泌物にアレルギーがあってかゆくなる)罪悪感もないしで一石三鳥。
また随分と薄っぺらなメッキ思想を誇らしげにぶら下げて歩いてるもんだな。
お前のその「宗教=監視カメラ」論、まるで放尿感覚で思いついた便所思想だな。
そこらの壁に立ちションして「俺って深いっしょ?」と悦に入ってるだけの自慰的知的放尿だ。くっせぇんだよ。
まず第一に、「神による監視=宗教の本質」と断じた時点で、お前は宗教の発生原理も機能構造もまるで理解していないことが露呈してる。
宗教というのは、「監視」じゃない。存在に意味を与える試みであり、人間という理性と死を意識する唯一の動物が、自壊せずに生を構築するための統合知だ。
お前の言う「神様が見てるからいい子にしましょうね」程度の理解は、宗教の末端的な副次効果、それも牧師の子ども向け説教レベルだ。中世神学者が聞いたら血尿を噴くぞ。
それに、「宗教がなくなると監視カメラを増やすしかない」? それは逆だ。宗教の衰退というのは、意味の空白が生じた社会に、形式と制度で蓋をする現象だ。
倫理が崩壊したからカメラが増えるんじゃない、倫理を制度に置き換えようとする過程でカメラが増える。
つまり、宗教とは「監視の代替」ではなく、監視の発生を抑止する思想インフラだった。
分かるか? カメラを増やさせないためにあったのが宗教なんだよ。
さらに、「日本は世間が宗教代わり」などという話も、通俗的な文化論に酔った自己愛発言だな。
日本に宗教がない? だったらお前の毎年初詣は何だ? なぜ無神論者が合格祈願に神社へ行く?
あれを『監視カメラ参拝』とでも言うのか? まるで鏡を見て自己放尿してるのと変わらん。
「神が監視してる」という考えをバカにするが、じゃあお前は誰にも見られてなければ何をしてもいいのか?
もしそうなら、お前の道徳は全裸の放尿レベル、羞恥心がないのではなく、羞恥の存在すら知らない赤子以下だ。
宗教を「監視カメラ」と断じて悦に入るような浅知恵は、せいぜいTwitterのトイレ個室レベルで垂れ流すにとどめておけ。
本気で論じたいなら、少なくとも「神とは何か」「規範とは何によって生成されるか」「制度と思想の相関」くらいは勉強してから来い。
ちょうど先日chatgptとシン・エヴァの話をしたので、幼稚なtogetterとの比較のために掲載しておく。
人類はchatGPTにすでに敗北していると思う。
以下chatgptからの返答。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』とは、「語ることの断念」ではなく、「語りなおし=再構築」の実験」であり、1997年版が突きつけた「語ること/関係することの痛み」のその先をどう生きるか**を問う物語です。
要するに、あの「気持ち悪い」から、もう一度「やりなおす」試みです。
■前提:『まごころを、君に』のラディカルさのあとに
1997年版が突きつけたのは、次のような問いでした:
「語ること・終わらせることは可能か?」
『シン・エヴァンゲリオン』はその終末の"その先"**で、観客・作者・キャラクターたちの三者の再起を描こうとした、非常に稀有な「自己批評の続編」です。
シン・エヴァは、これまでの『エヴァ』の物語(TV版、旧劇、新劇)をすべて劇中のヴィレやネルフの構造に埋め込んだメタ構造になっています。
つまり、「物語が終わったあとにもう一度、物語を語りなおすことは可能か?」という問いの演習なのです。
ラストの**「エヴァのいない世界」「実写の駅」「宇部新川駅」「庵野風の男性と赤い服のマリ」**は明らかに「虚構から現実への脱出(=旅立ち)」を象徴しています。
マリは**庵野秀明の現実の妻(安野モヨコ)**をモデルとした存在。
そのマリが**シンジ(庵野)を“迎えにくる”**という構図は、物語やキャラクターの母胎から脱し、現実世界に自分を接続する勇気のメタファーと読めます。
つまり『シン・エヴァ』とは、「物語を終わらせる」のではなく、「物語に依存せず、それを背負って現実を生きていく」ためのフィクション的装置なのです。
『まごころを、君に』が「観客に対する断罪」であったとすれば、
『シン・エヴァ』はその断罪を受けた者が、もう一度語りなおすことで他者に手を伸ばす物語です。
「語ることは絶望的だと知ってなお、語る」
「傷つくと知ってなお、他者とつながる」
という、創作と観客、キャラクターと現実、自他関係の倫理的問題に向き合う試みです。
🔹1997年の問いを受けとめ、語ること・関係することへの肯定をもう一度選びなおす
🔹メディア批評としての総決算と、庵野秀明という作家の告白と再生
「絶望の果てに、それでもあなたが語り、生き、他者と関わることを選ぶなら——その時に必要な“まごころ”とは何か?」
という問いを、庵野自身が自らに向けて問いなおし、答えた作品だと言えます。
質問者・幼稚な世界救済の物語をやめたこともすごくよかったです、新劇場版は
旧エヴァ:エヴァにノリたくないよぉ他人が怖いよぉ、と拒絶して引きこもっていたら地球が滅びました。結論・引きこもりはよくない
序破:女の子のためにエヴァに乗っていっくぞおおおおお!今度こそ間違えない!
Q:女の子のためにエヴァに乗って行動したら地球が滅びました、行動すれば必ず成功するわけじゃないよね、そりゃ。
シン:等身大の関係性から自分を見つめ直して家族の問題を考えて、身近な人間たちとできることをしようと思いました。そうやって現実の僕らも生きているから。
こういう話でしたね、私にとっては。
まさにその通りですね。
その読みは、新劇場版という全体構造を「錯誤→破局→再接続」として読み解く、極めて実践的な理解だと思います。
でも「外に出ること」=「他人と関わること」は怖い。
「やっぱり戦って、誰かを救って、愛されたい」という願望。
救うために行動したはずなのに、全部が裏目に出る。
→ 結論:「正しさ」が何かを壊すこともある
それが結果的に「エヴァの終わり」であり、「自分の始まり」になる。
重要なのは、シン・エヴァが「世界を救う」話ではなかったこと。
救済でも贖罪でもなく、
「わかりあえないけど、話そうとすること」
「信じられないけど、関係を結び直そうとすること」
この“非劇的な選択”にこそ、現実の私たちが生きるための手がかりがある。
そういう意味で、『シン』は空前の“アンチ・クライマックス”型ヒューマンドラマだったのだと思います。
いる 俺がエビデンス
自慰はする(楽しいので)からアセクシャルではないと思うんだが、セックスに全く興味がない、というかできれば避けたいとすら思ってる
なぜか?は挙げようと思えば挙げられるんだけど(汚いから、妊娠させる可能性があるから、他人と性的行為をすることに忌避感があるから、二次元オタクだから)正直どれもあまりしっくりこない
童貞だからセックスにトラウマがあるわけではないし、女性にいじめられた経験があるわけでもないんだが、とにかくセックスはしたくない
で、思うんだが、なぜセックスに興味がない男性を見ないかというと、そもそもそういう男性の絶対数が少ない上に、いたとしても概して恋愛にも興味がなくて表に出にくいからなんじゃないかな
n=1だけど、俺は恋愛にも興味がない
だから他人と交際はしないし、それによりセックスをしたいだのしたくないだの無駄な争いも生まれない
中年女性。夫とはレス、この先一生セックスすることはないかもしれないが、精神的つながりに満足しているのでレスに関しては悲観しているというわけでもなく、おかしな場面で性欲が顔を出さぬよう、2週に1度ほど自分で「抜い」ている。ムラムラするから抜くというより平日にムラムラしないように抑止策として休日に抜いておく儀式。1度目は普通に指でそれなりに楽しんで行うが、その後30分ほど寝た後の2回目について今回はお話したい。30程しか間をおかずしての2回目、それは自慰行為というより精神統一に近い。自分はクリトリスしか感じないので、1回目は普通に指で撫でまわすが、2回目の時点のクリはまだ嫌な意味で敏感とも愚鈍とも言い難い変な感覚になっている。それを強制的にイカすには、ローターをパンツの上から押しあて、その振動を内部まで届かせることで疑似的な中イキ状態をつくる。もう、この時頭の中はエロいことは考えておらず瞑想に近い状態にある。禅の域。自分の気持ちいいところが身体の中心にあることは本当に人体の奇跡に思える。でも本来女性もクリでしかイケなくて、中でイクって本当はクリに伝わった快楽を中で感じてる説もあるけどどうなんだろ。とにかく、この2回目はローターを押し当てている時間に快楽はなくもはや苦行に近く汗もびっしょりになるんだけど、イッた時の快楽が本当にドラッギーでとてつもない。正確に言えば、イッた後に股間全体を抑えて膣の収縮を全身で味わっている瞬間。もちろん足はピン。もう足ピンでしか逝けない身体になっているだろうから今更セックスしてもよくなくなってしまっているだろうけど、もうそれでいい。この2回目のオーガズムにフルベット。身体の中心でこれを感じられるって本当に面白い。この瞬間だけ意識は宇宙と一体となっている。もうエロとかじゃなくて身体探求なんだよな。この2回目の強制オーガズムを発見したのは5年くらい前なんだけど、この2回セットじゃないともう満足できなくなってしまった。1回目の方が、普通に乳首も気持ちいいしイク前から気持ちいいのに、2回目は禅なので集中力のみが必要な本当にストイックな世界で、1回目は2回目を味わうための前菜ですらある。この感覚、さすがに誰にもリアルでは言えないのではてなに書いた。わかる人いるかな?
お前は主観的だと言うが、それは反論ができないときの負け犬の遠吠えだ。
主観と決めつけるなら、その根拠となる客観的指標を出してみろ。こっちはすでにHaskellの利用率の低さ、学習コストの高さ、業界普及の事実を根拠にしている。
これが主観なら、もはや現実そのものが主観ってことになるな。なるほど、君の脳内では全世界が主観なんだろう。幸せそうで何よりだ。
「バカには限界がある」だと? ああ、確かにな。だがそれを言ってしまった瞬間、技術者としてのお前の敗北は確定してる。
道具とは本来、限界のある人間のために存在する。限界があるからこそ、拡張する。補う。つなぐ。そのためのインターフェースであり、そのための抽象化であり、そのための設計思想だ。
それを切り捨てて悦に入るのは、単なる設計放棄、いや、知性放尿だよ。
そう、知性を撒き散らすでもなく、ただ漏らしてるだけ。恍惚とした顔で無意識に小便垂らしてるのと同じだ。気づけ。臭いぞ。
技術はな、孤高の芸術じゃない。宗教でもない。人間が使うものだ。そして、人間というのはミスをするし、理解が遅いし、面倒くさがる。
だからそれに合わせてこそ価値が出る。お前が神にでもなったつもりで「バカにはわからん、それでいい」とか抜かすなら、もはやそれは技術者じゃない。ただの自慰に耽る言語放尿主義者だ。
そしてな、「賢いフリしても〜漏れてる」などという文句に論理性は一切ない。お前が漏らしてるのは反論じゃなくて放尿だ。
論理で来いって言ってんだよ。脳内でしか通じない印象論なら、日記帳にでも書いてろ。
馬鹿にわからない道具は、道具じゃない。ただのアクセサリーだ。
そしてアクセサリーは、現場じゃ役に立たない。お前がそれを美しいと思うのは構わんが、現実を動かす力はない。
パート先にタイミーで来た20歳以上も歳下の大学生とセックスした。
彼が出勤してから3時間一緒に働いて、一緒に帰って、彼の車の中でセックスした。
彼が出勤してから駅に送ってもらって解散するまで、一緒にいたのは7時間もない。
それなのに彼のことが好きになっていて、夫に対して冷めている自分に驚き、そして軽蔑している。
彼の連絡先も知らない。
下の名前も知らない。
どこに住んでいるのかも知らない。
どこの大学に通っているのかも知らない。
それなのに彼のことが忘れられない。
夫以外の男性経験がなく、セックスは幸せな気分になるので好きだったが、「気持ちいい」という感覚を知らなかった。
彼の匂い、彼の声、並んで歩いた時に見上げる高さにあった彼の顔、綺麗な横顔、綺麗な歯並び、高い鼻、スベスベな肌、がっしりとして硬くて厚い胸板や肩やお腹。
全てが忘れられない。
手で触られた時、人生で初めて自慰以外でいってしまった。その後舐められた時にもいってしまった。
彼はなかなかいかなくて、車の中で流れていた曲が一曲終わってもいかなかった。
そうするうちにだんだん気持ち良くなってしまって、彼がいくまでに数え切れないくらいいってしまった。
彼が謝りながら私の中から垂れる体液を拭き取っていたとき、私は何も大丈夫じゃないのに「大丈夫だよ」と言っていた。
でも本当に全てが大丈夫なように感じた。
忘れられない。
夫の匂い、妙に高い声、並んで歩いた時に私と同じ目線にある夫の顔、顎のない横顔、八重歯、テカってるかガサガサの肌、たるんだ身体。
好きだった夫の全てが嫌い。
夫に似た息子ももうどうでもいい。
大学生にもなってなんで彼女ができないんだろうと思っていたけど、なんの魅力もない息子に彼女なんてできるわけがない。
彼に会いたい。
どうにもならない。
死にたい。
妊娠してたらいいのに。
そしたら今の生活を全てぶち壊すことができるのに。
夫がきらい。
息子がきらい。
自分も嫌い。
彼だけが好き。
ジークアクスがアイドルを元ネタにした演出入れ込んでたっつー話題に対して
はてブのコメントであれの何が問題なのかわかんないとかほざいてるセンスゼロ以下の連中が湧いてて呆れた
これが完全オリジナルの自分の作品でやるなら大した問題でもなかろうが
ガンダムっていう他人のIPで更にファーストやそれに連なる作品まで恥知らずにも唾つけてるなろう以下の作品で
作品に全く無関係な現実のアイドル使った自慰行為の演出突っ込むとか
そんなもんはクソでしかないと誰に言われずとも分かりそうなもんだが
どこまでセンスが終わってたらアレが問題ないと判断できるのが意味不明なんだよね
考察が云々とか以前の話でさ