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Covidは終わった。今こそ批判的思考力を取り戻そう

<記事原文 寺島先生推薦>
After Covid, we must embrace critical thinking again
Blind submission to authority has to stop, now that we are coming to the end of the pandemic
権威への盲目的な服従は止めなければならない。パンデミックの終わりに近づいている今こそ。

筆者:メモリー・ジョエル(Memoree Joelle)   
    立憲保守派の著述家。ロサンジェルス在住。

出典:RT
 
2022年2月23日
 
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年9月25日


© AFP / NOAH SEELAM
 

 私は大学1年生の時に学んだ最も貴重な教訓を決して忘れないだろう。その教訓を私に教えてくれたのは、ソ連から亡命してきた文学教授だった。「歴史上すべての専制的な政権には、重要な特質があった。それは、すべての知識を統制下に置くことだ。このことが彼らの成功には不可欠だったのだ。というのも、人々が手に入れることのできる情報を統制下におけないとしたら、人々を効果的に支配することはできないからだ」。その教授は何度も私に思い起こさせてくれた。「情報の自由の権利を手放せば、すべての自由はなくなってしまう。すべてをなくしてしまうのだ」と。その先の4年間の大学時代、この教訓は私の心から離れなかった。幸運なことに、私はその教訓を広げてくれるような素晴らしい数名の教授に出会うことができた。彼らが私に自由を確保する術を教えてくれたのだ。つまり自由になるためには、まずは考える方法をみにつけないといけない、ということだ。
 
 自由を手に入れ、守るためには様々な方法があるが、考え方がわからない限りは、自由が奪われた時点で気づくこともできない。私の教授が教えてくれた通り、「人間が自由になり、自由であり続けるために一人一人が認識しておかなければならないことは、その人が自分自身の考え方ができる能力と、すべての問題に関して批判的に思考できる能力を、個人として有していること」なのだ。真実であるか否かを気にせずに暗記した情報を吐き出せる能力では対応できない、ということだ。


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 自由主義国家においては、市民は公共の情報を入手し、知識を共有し、考え方を交流し、率直に議論を交わすことができる。これらのことこそ決定的な要素なのだ。というのも、主流言説とは食い違う考えを提起できるということは、哲学から物理学まで、すべての学問において、創造性や発明や前進の基盤となるからだ。人々が、迫害を恐れることなく、既存知識に疑問を呈し、新しい考え方を提起することが自由に行われている社会は繁栄する傾向にある。このような自由がなければ、パソコンも新興企業もこの世に生まれなかっただろう。医療や技術の進歩もなかっただろう。私たちは、専制的な国家に奉仕する従順な人材にすぎなかっただろう。例えば北朝鮮の人々と同じように。彼の国では、独立系メディアは禁止されていて、国民は一党支配、一人の将軍の支配のもとに置かれている。北朝鮮は、停滞と闇が終わることなく続く国である。本当にそうだ。
 
 米国においては、情報の自由や言論の自由は、長年当たり前のこととして保証されてきたが、次第にその自由はなくなりつつある。その責めを負うのは、ほかでもない私たち自身だ。もう何年も、私たち目をあけたまま眠っていて、「劣化している」としかいえない状況に急激に落ち込んでいる。

 こんなことになったのは、疑問に答えるときにグーグルに頼るようになってからだ。さらには、ネットフリックスを見ることに「どはまり」する気晴らしが、流行るようになってからだ。以前は人気だった「人間観察」に変わって、私たちは頭を低くしてスクリーン上の画面を凝視し、無意識のうちにいろいろなアプリをいったりきたりしている。我が国は、「受動的消費者」の国になってしまった。こうなればプロパガンダやマインドコントロールを使った国民操作など簡単にできてしまう。だから権力を手にしようとする人々が、頭角を現そうとするときに、人々を支配する機会を逃さまいとする様子を目にしても、驚くようなことではないのだろう。


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 Covid期に人々が権威に対して手放しに従っている姿を目にし、私は大きな衝撃を受けた。そして私が多くの人々に気づいてほしかったことは、主流言説に疑問をはさむ権利をなくすことは危険であり、すべての自由が奪われる方向に滑り落ちていくのでは、ということだった。この2年間私が恐怖心を持って見てきたことは、かつては進歩的であると見なされ、言論の自由やインターネット上の自由を擁護していた人々が、異論の声を塞ぎ、SNS上から排除し、上からの情報抑制を強化することを求めていた姿だった。これらの人々が、お題目やプロパガンダ的なかけ声を唱え始め、「科学に従え!」と命じてきたのだ。彼らは科学を聖書扱いしていた。本当の科学とは、真の知識をずっと追い求めることのはずなのに。
 
 そんな「科学」など存在するわけがなく、科学とは従う対象ではなく、研究する対象だ。もちろん、科学的に結論に達した真実というものは存在する。例えば、重力の存在などがそうだ。しかし本当の科学というものは、懐疑主義を軽んじることを許さないものだ。たとえそれが非常に広く受け入れられている学説だとしても、だ。実際、何かに疑問を持ったり、つついてみたり、別の見方を探そうとしなくなった時点で、それは科学ではなくなる。恐怖や「排除されること」や政府からブラックリスト入りされることを恐れることなしに、疑問を持つことができないのであれば、それは明らかに科学ではない。そんな「科学」は、権威主義の片割れに過ぎない。だからといって常識となっている事実が間違っているとは言っていない。常識に到達する方法が問題なのだ。
 
 Covid-19に関わる強制措置を頭に置いてみよう。我が国の政府が、DDTと呼ばれる毒物を子供たちに振りかけさせたことがあった。そのときは、「こんな行為は危険だ」と考えれば、右翼の陰謀論者扱いを受けた。そのような誤解を解くには、「科学的に」疑問を持つことが必要だった。同様に、パンデミック期に実施されたロックダウン措置は、死者を減らすことにおいてほとんど効果がない、あるいは全く効果がなく(ジョンス・ホプキンス大学の研究による)、ただ社会や社会全体や経済に大きな損害を与えた(特に若年層には)だけだったことが明らかになっている。ロックダウン措置を終わらせ、その措置はおかしいと公言できるようになるには、公式見解に異論を唱えることを厭わない人々の努力が必要だったのだ。まずはこの先何が起こるのかについてどう考えればいいかを知るべきだったのだ。人から言われたことを受動的に受け入れて、何も手を出さないのではなく。


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 2020年のフォーブス誌の記事を私は決して忘れないだろう。その記事が私たちに警告していたのは、「独りよがりの研究を決してしないこと」だった。そんなことは専門家に任せるべきだ、というものだった。自分より詳しい人の方が詳しいのだから、というものだった。わかっていただきたいのは、「医学の学位や科学研究の長年にわたる経歴などどうでもいい」ということではないということだ。あるいは、「だれでも自称医師になれる」ということでもない。そうではなく私が言いたいことは、誰にでも研究に従事する権利があるということなのだ。疑問を尋ね、自分の進むべき道を決定する権利があるということなのだ。自分自身の身体のことならなおさらのことだ。自分の身体は個人の所有物だから、それを守る一番いい方法は、自分の身体を自由にし、もっと疑問をもつことだ。
 
 西側世界の多くの地域においては、まだ私たちには自由が残されている(もちろんそれを守るためにはより強く闘う必要はあるが)。その自由を使って、人間として進化し続けなければならない。そのためには、批判的に考えること、他者や自己について疑問を持つこと、そして人々と議論をもつことが肝要だ。知的好奇心を進捗させる努力を怠ってはいけないし、自称「専門家」が唱える教義に簡単にすがってはいけない。自分たちの代わりに、テック産業界や諸製薬会社の代表取締役たちや政治家(党は問わない)たちに考えさせたり、世論を持っていいのは誰で持ってはいけないのは誰かを決めさせたり、どんな情報なら読んでもいいのかを決めさせたりしてはいけない。それを許せば、私の恩師の教授が言った通りになる。「すべてが失われる」
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