Category: 空花鳥風月雲
世紀末の事始め
昨日の17:18は、ちょうどニュースサブで夕方ニュースの準備中。
5分後にはネットニュースをぶった切って特別番組に。
結局最大震度5弱でしたが、震度4の地域が、北は釧路から西は信州までと、広範囲を揺らした大きな地震でした。
また、牡鹿半島では1mの津波観測。
3.11の被災地では、現在海沿いで暮らす人は殆どいないと思われますが、津波は50cmでも大の男を押し流すことを考えると、とても危険な地震でした。
様子見で何時もよりは3時間ほど帰宅が遅くなりました。
先日友人夫妻が、茨城の方へキャンプツーリングに行ったと聞き、水戸に住んでいた頃の画像を復習。
こんな写真を発掘しました。
おとなり栃木県は、ツインリンクもてぎサーキットです。
英語のツインと独逸語のリンクをくっつけた不思議なネーミング。
インディーカーレース用のオーバルコースと、一般レース用のコースがあるのでこの名前がついたのですが、他にもカート用、ダートラ専用、ジムカーナ用のコースがある大規模なレース施設です。
車が走っている画像が残っていないので、この日は何かサーキットのイベント日でしょう。
朝早く入ると駐車場が無料だった記憶があります。
そしてこの日、生まれて初めて、バルーンフェスを見ることができたのでした。
1999年11月3日。
記録によれば正午テイクオフ。
ここには立派な自動車博物館がありますから、きっと午前中はそこを見学していたのでしょう。
この日のバルーンフェス、競技だったのか、ただのお披露目だったのかは覚えていませんが、押入れを探せば当時のパンフが出てくるでしょうから、またレポートします。
夜まで居れば、バルーンイリュージョンというイベントも見れたはずなのですが、画像がないので見なかったのでしょう。
イイ天気でしたが、画像はそれなりですね。40万画素がデジカメの主流だった頃ですから。
銀塩写真も何枚か発見したのですが、どうも望遠レンズを持っていかなかった様子。
ちょっと東北大のバルーンと似たデザイン。
先日見た岩出山のバルーンたちとは、大きな違いもないようですから、それだけ進歩がない乗り物ということなんでしょう。
良いですね。このイベントは現在も毎年開かれているようなのですが、なんと岩出山バルーンフェスと日程がかぶっていますね。
ということは友人夫妻が奥久慈を走っていた日にもバルーンが飛んでいたのかな。
この画像は当時年賀状に使ったと思います。
そうだ、今年の年賀状も考えないと。
上の画像を撮影したカメラ、実はこれです。
1999年秋発売の、SONY Digital Handycam DCR-PC100。
私が最後に買ったビデオカメラというか、デジタルムービー。
ここにメモリースティックを入れれば、デジカメとしても使えるのです。
普通にシャッターを押して撮影もできるし、撮影した動画から静止画を切り出すこともできます。当然か。
レンズはバリオゾナーですね。
こんな時代もあったのです。
ということは、動画もどこかに残ってるのか。
再生できるのでしょうか。
おまけ
5分後にはネットニュースをぶった切って特別番組に。
結局最大震度5弱でしたが、震度4の地域が、北は釧路から西は信州までと、広範囲を揺らした大きな地震でした。
また、牡鹿半島では1mの津波観測。
3.11の被災地では、現在海沿いで暮らす人は殆どいないと思われますが、津波は50cmでも大の男を押し流すことを考えると、とても危険な地震でした。
様子見で何時もよりは3時間ほど帰宅が遅くなりました。
先日友人夫妻が、茨城の方へキャンプツーリングに行ったと聞き、水戸に住んでいた頃の画像を復習。
こんな写真を発掘しました。
おとなり栃木県は、ツインリンクもてぎサーキットです。
英語のツインと独逸語のリンクをくっつけた不思議なネーミング。
インディーカーレース用のオーバルコースと、一般レース用のコースがあるのでこの名前がついたのですが、他にもカート用、ダートラ専用、ジムカーナ用のコースがある大規模なレース施設です。
車が走っている画像が残っていないので、この日は何かサーキットのイベント日でしょう。
朝早く入ると駐車場が無料だった記憶があります。
そしてこの日、生まれて初めて、バルーンフェスを見ることができたのでした。
1999年11月3日。
記録によれば正午テイクオフ。
ここには立派な自動車博物館がありますから、きっと午前中はそこを見学していたのでしょう。
この日のバルーンフェス、競技だったのか、ただのお披露目だったのかは覚えていませんが、押入れを探せば当時のパンフが出てくるでしょうから、またレポートします。
夜まで居れば、バルーンイリュージョンというイベントも見れたはずなのですが、画像がないので見なかったのでしょう。
イイ天気でしたが、画像はそれなりですね。40万画素がデジカメの主流だった頃ですから。
銀塩写真も何枚か発見したのですが、どうも望遠レンズを持っていかなかった様子。
ちょっと東北大のバルーンと似たデザイン。
先日見た岩出山のバルーンたちとは、大きな違いもないようですから、それだけ進歩がない乗り物ということなんでしょう。
良いですね。このイベントは現在も毎年開かれているようなのですが、なんと岩出山バルーンフェスと日程がかぶっていますね。
ということは友人夫妻が奥久慈を走っていた日にもバルーンが飛んでいたのかな。
この画像は当時年賀状に使ったと思います。
そうだ、今年の年賀状も考えないと。
上の画像を撮影したカメラ、実はこれです。
1999年秋発売の、SONY Digital Handycam DCR-PC100。
私が最後に買ったビデオカメラというか、デジタルムービー。
ここにメモリースティックを入れれば、デジカメとしても使えるのです。
普通にシャッターを押して撮影もできるし、撮影した動画から静止画を切り出すこともできます。当然か。
レンズはバリオゾナーですね。
こんな時代もあったのです。
ということは、動画もどこかに残ってるのか。
再生できるのでしょうか。
おまけ