Category: 神社仏閣教会
薔薇に短し躑躅に長し
昨夜は居酒屋のカウンターだったのですが、並んだ客たちも、ただ酔った所為だと感じる様な、ゆっくりした揺れでした、結構長く続きましたね。
先週の日曜日だから、24日。
ガストの朝飯を食べてから、国道48号関山街道で向かったのは此処。

旧西村山郡役所です。

旧東村山郡役所は、東京都東村山ではなく、天童にあるのですが、旧西村山郡役所があるのは、山形県寒河江市。

元々は市内中心部にあったものを、寒河江城跡と思われる丘の中腹に移設してありました。

明治11年竣工とありますので、東北地方の擬洋館の中でも、かなり初期のものでしょう。

朝早すぎて、中には入れません。
隣には、旧西村山郡会議事堂も移築してありました。どちらも左右対称ではありません。

こちらは明治19年竣工。

裏側は桜が多い展望公園になっています。さくらの丘。

まだ雪の残る月山が見えます。やはりこの角度からが一番月山の名に相応しいですね。

左手には朝日連峰。

爽やかな朝です。
寒河江はサクランボでも有名ですが、これは喰えそうにない大山桜。

さらに周辺は寒河江公園になっていて、東側の斜面が、東北一とも言われる、つつじ園になっています。

しかし遅すぎ、もうほとんど終わっていました。

船形山と蔵王連峰。

藤棚も終わり。

それでもわずかに残っている花を撮影しておきました。

写真は撮れませんでしたが、此処でも雉と間近に遭遇。

様々な種類のツツジが、デザインされて植えられているようで、満開の時はさぞ綺麗でしょう。

ただ染井吉野のように一斉に咲くわけはないので、来てみないとわからないな。
山吹色のツツジは珍しくないですか?

寒河江公園から車で10分ほど月山方向に走ると、慈恩寺があります。

初めてのお参り。
ここも若干早すぎたのですが、少し待って9時半に受付が始まりました。

慈恩寺は何度か火災によって、建物は江戸時代のものが多いのですが、仏像は平安時代や鎌倉時代のもの残っており、国宝級の重文も多数あります。

その中の秘仏が前の日から公開されていたのでした。

トップで入館というか、本堂に入ったら、山形新聞の情報紙の記者カメラマンがいて、それらしく仏像を覗きこんでいるところを撮影させて欲しいとの依頼。快く引き受けました。

堂内は撮影不可なので、画像はありませんが、隣の薬師堂に並んでいる、木造十二神将立像 8躯 附:木造十二神将立像 4躯(辰・午・未・申神)に一番感銘を受けました。触れる距離で眺められます。
後ろの4躯は、国立博物館や、海外にも遠征することがあるそうです。
※国立博物館のブログに画像がありました→こちら。

ウィキから。
慈恩寺(じおんじ)は、山形県寒河江市にある仏教寺院で現在は慈恩宗の本山。山号は瑞宝山。本尊は弥勒菩薩で脇侍として地蔵菩薩、釈迦如来、不動明王と降三世明王を配する国内でも珍しい五尊形式である。宗教法人としての登録名は「本山慈恩寺」。

創建当初弥勒菩薩を本尊、八幡大菩薩を鎮守として祭っていたが、時代の変化とともに法相宗、真言宗、天台宗を取り入れ、現在は天台宗真言宗兼学の一山寺院として慈恩宗を称する。

江戸時代には東北随一の御朱印地を有し、院坊の数は3ヵ院48坊に達した。修験による祈願寺として御朱印地を拝領していたため檀家を持たず、明治の上知令により一山は困窮し帰農する坊が続出した。現在は3ヵ院17坊を伝える。

伝承によれば、神亀元年(724年)行基がこの地を選び、天平18年(746年)聖武天皇の勅により婆羅門僧正菩提僊那が寺院を建立したのに始まるとされる。山号を寒江山とし大慈恩律寺と称した。

創建当時の姿を知るには今後の研究を待たねばならないが、天仁の再興以後の伽藍については文献等により垣間見ることができる。天仁の再興では釈迦堂、阿弥陀堂、丈六堂が築造され、続いて仁平の再建では妙楽院弥陀堂、鐘楼、講堂、宝蔵、二王門、中門、廻廊、温室などが築造されたという。これらは永正の兵乱(1504年)を経て全て焼失してしまっている。現在の伽藍は本堂を中心として東から阿弥陀堂、薬師堂、本堂、天台大師堂、釈迦堂の順番に並ぶ。

三重塔。

雅やかな仏像が並ぶ、すごいお寺でした。

仙台方向に戻ります。
酒屋源八の前を通りましたが、当然閉まっている時刻。買い物は道の駅河北で。
binkenさんのblogに、薔薇が咲き始めたとあったので、東沢バラ園によってみることに。

なんとなくその名前から、東根市内にあると勘違いしていたのですが、村山市内でした。

バラ祭り期間中以外は無料公開。

しかしまぁ、当然といえば当然ですが、まだほとんど咲いていません。

咲いてないから無料なんです。

出入口のゲートも、あっちもこっちもフルオープン。

それでも早咲きのバラの前に、おじさんカメラマンがちらほら。

調べてみたら、前回来たのは、まつり終了後の、やっぱり無料になってからでした。

どんだけけちなんだか。

再び新緑の中、48号線で自宅に戻ります。

ちょうど正午に帰宅し、ラジオDEウォークをのんびり聴きました。
週末のショートドライブでした。
Category: ドライブ
ヒルクライムも道半ば
いろいろと催し物もあるみたいだし、沿線の人たちの笑顔も見てみたいし、乗りに行こうかと思っています。
仕事も外れたし。
先週の土曜日は例によって朝7時から仕事で昼前に終了。早めの半ドン仕事ですね。
手当がつくわけではないので、ボランティアかな。
抜群に天気が良かったので、山の彼方へ走ります。
しかし、まずは腹ごしらへ。

あとから思い出してみると、以前支倉碁石にあって移転した、舌つづみという店で、冷たいうどんを食べるイメージだったのですが、手前にある、山彼方と言う店に間違って入ってしまいました。

山形のシベールというお菓子屋さんが経営するお蕎麦屋さんで、だいたいケーキのお店の隣にあるようです。
名取のお店に入ったことがありました。

山彼方と書いて、やまがたと読ませる、古民家造りです。

メニューを見てうどんが無いので、やっと店を間違えたの気づきます。

それでも、美味しそうな品書き。

細打ちのもりそば大盛り税抜き810円+辛味大根100円。

ご馳走様でした。

蔵王を睨みながら、釜房大橋を渡ります。
舌つづみの移転先は、橋の先でした。

川崎の街をかすめ、すずらん峠を越えて、蔵王郷の別荘地帯と温泉街の間を走り抜けて、蔵王エコーラインへ。
新緑のトンネルの中をぐいぐい登って滝見台です。

駐車場は私だけ。
三段の滝。

刈田岳(ですよね?)と不動滝。

セミがもう鳴き始めていました、変わった鳴き声。たぶんこれです。
やはり空いている蔵王です。

風力+太陽光発電駆動の監視カメラが設置してありました。

さらに登ります。

峩々温泉へ曲がる道や、スキー場のホテル前を過ぎて、賽の河原の駐車場。賽の磧かな。

ここから先が、今年はまだ通行止めなんですね。

火山性地震のせいです。

当然徒歩登山ルートにもバリケードです。

エコーラインのルート。

車とバイク、10台位は来ていました。

エコーラインがこれでは、遠刈田温泉や山形蔵王温泉はたまったものではありませんね。

帰りには、不動滝の名の由来になっているお不動さんへ。

賽の河原にしても、滝見台や不動さん、今回は行けなかったけど駒草平とか、蔵王は観光地としてやはり地味ですね。

澄川の上流になる不動滝。

蔵王のお釜から流れだす濁川と遠刈田の街の近くで合流し、松川となって一目千本桜の上流で、白石川に合流します。

遠刈田の手前を左折して、国道457号、青根温泉ルートで帰宅しました。
暑かったこの日、もう完全に夏の気温です。

湿度が低いので、地中海の夏かな。
夏よりも好きな季節かも。
Category: 美味いもん
朝飯考
朝、喰うものがなくて、いつもならコンビニで、サンドウィッチかおにぎりでも買ってくるのですが、地元でちょっと朝散歩。

北三番丁公園に、黄色い花が咲いていました。何でしょう。

もちろん朝飯目当てではないのですが、二日町の旬菜味いちの前を通ってみました。

完全撤退ですね。移転しました云々の貼り紙はありません。
ビルの建て替えで移転したとかだったらいいのだけれど、テナント募集の貼り紙もあったりして、詳細はわかりません。乞う情報。

歩いて近場で朝食可なのは、結局いつものファミレス。
平日の朝6時台なので、いろんな人種が来ています。近くの葬祭場から来た礼服の方々も。

タダで読売新聞が読めるガスト北四番丁店です。

スクランブルエッグ&ソーセージセット。どっちもおかわり自由のスープBARとドリンクBAR付きで税抜き499円。

このあとコーヒーも二杯飲んで腹いっぱい。
カメラ持ってぶらぶら帰り道。
いつもの街だと写欲も起きません。
帰宅したらベランダの方から、ホーホーホッホー。

ドバトのペアです。巣作りの季節かな。

この後もずっと様子をうかがっている様子。どうしましょうね。

こちらは日曜日の朝。
6時前かな。山形の方へ出かける前に、これまたときどき寄ってみる、Joyful宮城インター店。

前回山形方面へ出かけた時に、朝飯を食いっぱぐれたので、この日は安全パイ。
これは朝食メニューなんですけど、新発見。

還暦を迎えると、昼でも喰える。
こんなのもありました。朝飯にはちょっとね。

かなり空いています。

七種の和朝食、ドリンクバー付きで税抜き490円+味噌汁を豚汁にチェンジ90円。

やっぱり材料は中国産だったりするのだろうなぁ。

私にとってはヒジョーにジュージツした朝飯になります。

来年からは昼飯にもなるのか。

いいかも。
朝がガストで昼はジョイフルね。
次回暇な朝は、定禅寺通の方へ朝飯処を探しに行ってみます。
Category: 祭りだワッショイ
これが一番お祭りらしいのかな
閖上朝市、瑞鳳殿を回り一旦帰宅してから、この日も歩いて街へ。
仙台青葉まつりの二日目は、本まつりと呼ばれます。
ちょうど正午ごろ、定禅寺通りに行ってみたら、先ほど瑞鳳殿前で見送った、五葉山鉄砲隊と再会。

どうもこの国分町通とのスクランブル交差点でぶっ放すようです。

勇壮、すごい音です。

SP-100EEの連写モード。連射か?




しかし、超望遠レンズ付きだから、あまり期待はしていなかったのですが、結構綺麗な絵が撮れるなぁ、オリンパス。
腹が減ってきたので、途中で昼飯に。

友人が蕎麦にしようというので、国分町通のやぶ家に入ろうと思っていたのですが、間違ってワンブロック手前の、丸松に入ってしまいました。

かき揚げ天ざる、880円。

和風ファミレスのまるまつと同系列なんですね。円筒形のかき揚げです。大毒。

食後は、東二番丁通に出ます。仙台で一番広い、片側4車線の通り、イーグルスや弓弦くんのパレードも、この通りで行われました。
まずは甲冑姿の武者行列に続いて、青葉神社の神輿渡御。

こちらは、せんだい杜の都親善大使。要はミス仙台なんですけど、いつからか名前が変わりました。男でも応募できるのかな。

本まつりのメーンは、山鉾巡行です。
ウィキによれば、運行される山鉾は11台で、そのすべてが仙台市近辺の企業または団体によって運行されている。本まつり当日に東二番丁通り、定禅寺通りを巡行するほか、開催週の水曜日から一番町のアーケード街に展示されている。サイズはそれぞれ異なり、全長は5.2 - 6.2メートル、全高6メートル前後、重量5.5 - 8トンである。
まずは仙台市。

政宗公山鉾 (仙台観光コンベンション協会):毎年、仙台市長、仙台・青葉まつり協賛会会長(仙台商工会議所会頭)、仙台市議会議長が搭乗する山鉾。飾りには、仙台市の市章のもとになっている伊達家家紋の三引両紋があしらわれている。平成元年(1989年)制作。

唐獅子山鉾 (勝山企業):火伏せ、悪魔払い、息災延命を祈祷する唐獅子を載せて巡行する山鉾。平成元年(1989年)制作。

結婚式場も経営している、市内の日本酒の蔵元。

トイレに行ってる間に行っちゃったのは、御神船山鉾 (仙台水産):三陸の海の幸を仙台にもたらす船と、鹽竈神社の海渡りに使われた御神船をモチーフに作られた山鉾。平成元年(1989年)制作。

これはエビスビールじゃないよ。

恵比寿山鉾 (藤崎):七福神の一人で漁業と商売繁盛の神様、恵比寿像を乗せて巡行する山鉾。得可主屋(えびすや)の屋号を名乗って創業し、奥州仙臺七福神・藤崎えびす神社が屋上に鎮座する地元百貨店・藤崎が運行する。昭和63年(1988年)制作。

間にすずめ踊りも通ります。

七福大太鼓山鉾 (七十七銀行):かつて仙台の城下町に時刻を告げたという大太鼓にちなみ、直径2.2mの七福大太鼓を載せた山鉾。平成元年(1989年)制作。

私の大事なお給金が振り込まれるところです。
もう窓口を訪れることも殆ど無いので、知っているお嬢さんはいません。

雅山鉾 (JR東日本):大崎八幡宮をイメージさせる桃山様式調の装飾が施された山鉾。昭和63年(1988年)制作。

なんか、良い雰囲気。

乗るならこの雅山鉾だな。

王様が乗っている、大鯛山鉾(阿部蒲鉾):巨大な鯛の飾りと山鉾の周りの網に取り付けられたたくさんの絵馬が特徴の山鉾。昭和63年(1988年)制作。

そしてうちの若手も引っ張ってます、大黒天山鉾 (報道六社): 五穀豊穣の神様・大黒天の像を載せた山鉾。河北新報、東北放送、仙台放送、ミヤギテレビ、東日本放送、FM仙台の仙台に本社を構える六社の報道機関によって運行される。昭和63年(1988年)制作。

毎年新人が引くのですが、私は旧人で入社したせいか、引いたことがありません。
来年は還暦なので、参加してみたいものです。

囃子山鉾 (NTT東日本):能や狂言など幅広い芸能を好んだ政宗にちなみ、この山鉾の上を舞台に多くのお囃子方が乗り込み笛や太鼓を演奏する。昭和63年(1988年)制作。

これが一番可愛い。

政宗公兜山鉾 (日専連仙台):政宗の兜をモデルとした装飾が施された山鉾。政宗の正室・愛姫(めごひめ)が12歳で伊達家に嫁いだことにちなみ、公募によって選ばれた小学6年生の愛姫役が搭乗する。2007年現在最も新しく、大きい山鉾。平成7年(1995年)制作。

青葉駒山鉾 (菓匠三全):郷土玩具の日本三銘駒の一つである木の下駒を載せた山鉾。平成元年(1989年)制作。

萩の月山鉾ですね、十一基全部観られたようです。

あとは、若い子たちのすずめ踊り。

大学生かな。

過去記事リンクです。2012年、2008年。
Category: 美味いもん
助けられたり助けたり

日和山です。

少しづつ嵩上げ工事が始まっていますが、この土台だけの平野に、本当に人々は戻ってくるのでしょうか。

ただ、朝市に来る人や車の数は、相変わらず驚くべきものがあります。

あの日、津波は日和山の上2mに達しました。
この最近建てられたモニュメントの先の高さまで。

街は復活して欲しいのですが、どうなんでしょう。
朝市は、日曜と祝日の朝6時から10時まで。

ここで朝飯を食べるために、来たのでした。
そうしたら海外青年協力隊の若者たちが、ネパール支援活動中。

何故か記念撮影をしてもらい、こちらからも支援させていただきます。
こういう頼もしい若者たちが、これからの日本を支えてくれるのでしょう。

いつもはメープルハウスで海鮮丼系なんですが、この朝は友人の希望で、炉端焼き(って言うか、これ)。

こんなふうに食材を提供しているお店が、トングや牡蠣のこじ開け道具も貸してくれるし、醤油だれは使い放題?

相席で、焼きます焼きます。朝7:50。

炭火なのでかなりの火力、あっという間です。
おにぎりか何か、って言ったらこのお店では、海鮮チャーハンを作ってくれてました。炒めたて。

椅子がないので、ちょっと落ち着かない朝飯ではありました。
未だに車は入れませんが、歩いて初めて、広浦橋を渡り、対岸というか外洋側に向かいます。

サイクルスポーツセンターなどがあった場所ですが、今は完全な更地です。
看板に復興工事費用が書いてありました。

美しい砂浜です。

投釣りしている人も。

友人と昔、祖師ヶ谷大蔵から小田急線と国鉄を乗り継いで、大磯に釣りに行ったのを思い出しました。

弟が相模大野の乗り換えで、眠ってて乗り過ごした時かな。
橋の北側がかつて朝市が開かれていた漁港のようです。

震災前には訪れたことがなかった私のような来客もあるのだから、復活の希望はあるのだと思いたい。
こちらは今の朝市が開かれる南側。

仙台周辺の皆さん、日曜の朝は、閖上朝市で朝食を。
メープルハウスのイートインスペース、来るたびに店が一軒ずつ増えてるような。

詳しくは過去記事で、前回、前々回。

アイスコーヒーを一杯、テラス席で。

その後は買い出しです。
野菜と、鮪、朝飯用のパン。

上はカレーパンでした。
自宅に戻る途中、青葉まつりの開始までは時間がありそうだったので、瑞鳳殿に寄って見ました。
そうしたら、本物の武将隊が石段を降りてきます。

青葉まつりで演武を行う伊達の鉄砲隊が、政宗公の御霊屋に詣でていたのでした。

もうちょっと早く来ていれば、出陣式の口上が聞けたのに。

それでも御霊屋を見学。

涅槃門。

歴女たちに、ボランティアガイドのお父さんが熱心に説明しています。

さらに石段を登って唐門をくぐると、独眼竜が眠る瑞鳳殿です。

美しい桃山様式。

伊達の美ですね。

これからも仙台を護ってください。

七夕ライトアップの様子はこちら。

こちらは独眼竜息子が眠る、感仙殿。

基本的に瑞鳳殿と同じ様式なんですが、デコレーション部分の面積が少なめです。

その隣に。

独眼竜孫の、善應殿。

立派です。米沢の上杉家廟所と比べてみてください。

隣の瑞宝寺。

駐車場から来ると、瑞鳳殿の手前にあるせいか、そこそこの参拝客。

こちらの本堂も立派です。

鐘撞堂。

白躑躅にマルハナバチだ。

これは、飽きません、お互い。

もう夢中。

一旦自宅に戻ります。
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仙臺の村祭りかな
関東からやってきてくれた友人と、青葉まつりを見物しに行きました。

うちから歩いて、まずはメディアテーク。

ジャズフェスの時もそうですが、気楽に見られる場所ではあるものの、雰囲気がありませんね。

それでも、流し踊りと違い、移動しないので安心です。

すずめ踊りは、正面から見られるように、構成されていると思います。

静止画では表現しにくいのですが、

この扇子が、パッパッと同期して翻る絵がポイント。

どっちの祭連だったかな、最後にサンバダンスまでやってくれました。
やっぱり、表に出ます。
定禅寺通でも、稲荷小路や国分町通との交差点辺り。

雰囲気を出すために下の動画を再生してもらえれば、お囃子が流れます。
すずめ踊りのチームは、祭連、まづらと呼びます。

またウィキから

仙台・青葉まつり(せんだい・あおばまつり)は、毎年5月の第3日曜日とその前日の2日間、宮城県仙台市で開催される祭である。

伊達政宗没後350年にあたる1985年(昭和60年)に、過去に存在した祭りを復活する形で始まった。

江戸時代には「仙臺祭」(仙台祭)という仙台藩最大の祭りがあり、仙台東照宮の祭礼として行われていた。それが明治維新の影響で変容し、伊達政宗の命日(5月24日)に青葉神社の祭礼として開催される「青葉祭」に生まれ変わった。

「仙台・青葉まつり」は、系統が1つながら名称が異なる、これら2つの過去に開催されていた祭りの名称を合わせて命名された。

祭りの紹介文では「杜の都・仙台において、新緑が美しい時期に開催される」と書かれることが多いが、これが名称の由来ではない。

1985年(昭和60年)の伊達政宗没後350年に復活した祭りは、投資意欲の強かった石井亨仙台市長(在任期間:1984年12月23日 - 1993年7月3日)の時代に、バブル景気に加え、「独眼竜政宗」ブーム、仙台市営地下鉄開業、政令指定都市移行、市制100周年などを背景に拡充された。

現在の祭りの主な構成要素は、「仙台祭」「青葉祭」双方で行われていた山鉾巡行および神輿渡御、「大崎八幡宮大祭」(旧暦8月15日)で奉納されていた踊りをもとに新しく作られたすずめ踊り、そして、祭りの復活が政宗没後350年であることもあって武者行列が加わっている。

祭りは仙台市都心部で行われる。祭りの1週間前には一番町をすずめ踊りで流し踊りする「一番おどり」が行われ、水曜日から山鉾が中心部のアーケードに飾られる。

土曜日の「宵まつり」はすずめ踊りコンテストを中心に開催され、日曜日の「本まつり」では山鉾巡行・青葉神社神輿渡御・武者行列・すずめ踊りなどが開催される。

なお、「仙台・青葉まつり」は、政宗の命日に行われていた青葉神社の祭礼「青葉祭」と歴史的に関係があるため、青葉神社神輿渡御が行われるが、青葉神社では「仙台・青葉まつり」とは別に「春の大祭」を政宗の命日に行っている。

般若祭連。

ちょっと怖いです。

いろは祭連。

よく揃っていました。

上のウィキ引用文によれば、元々は徳川家康を祀った東照宮と、伊達政宗を祀った青葉神社のイベントが合体したものに、坂上田村麻呂にちなんだ大崎八幡近くから発生したすずめ踊りが絡むという、ある意味実に日本的なお祭りなのです。

市内の様々な企業にとっても、社員旅行の代わりだったり、宣伝広報の一端だったり、社員研修の目的だったり、いろいろな意味で、うまく利用されているようにも感じます。

いやいやながらの人は、見ていれば大体わかりますが、概ね皆さん楽しんで参加していると思います。

若い人が多いのも何より。

これはメディアテークで見た祭連だな、一の座。

子どもたちにとっては部活みたいなものかもしれませんが、

地域の年配の方にいろいろなことを教わるチャンスでもありましょう。

来ました来ました、正調の祭連。

この扇子の使い方が決め手。

ぱっぱっ。

さっさっさ。

こっちは少人数。

いろいろです。

過去記事リンク: 2009年 2012年

市民広場の大舞台の前に座るスペースを確保するのが、踊りをじっくり楽しむにはベストのようでした。

昔は市民ホールのステージを使ったこともありましたよね。
このあとは、弟も呼んでプチ祖師谷同窓会。




稲荷小路の北の一です。酒は豊盃と秀よし。友人は烏龍茶なんですけど。

三年ぶりに昔話に花が咲きました。




もっとも呑んでた時間が、すずめ踊りのハイライトだったような気がします。
Category: 美味いもん
ありがとうございますx5
たしかに順当なのかもしれないけど、あのU20などで輝いていた若手選手たちは、どうなっちゃってるんだろう。
仙台・青葉まつりの週末は、栃木から今年も幼馴染が遊びに来てくれました。
震災の年は日本にいなかったこともあり、毎年被災地の訪問に来てくれるのです。
昨年は平泉経由で、陸前高田、気仙沼から大島、気仙沼バル、安波山から岩井崎、南三陸町を回りました。
一昨年は、東松島から石巻、女川、雄勝から大川小学校、神割崎から志津川、鳴子、細倉、栗原を、三年前は、村田と亘理、松島を訪れています。

今年は、午前中雨だったのにもかかわらず、鶴ヶ城と白石城を回ってきた友人と、まずは昼飯。

ラーメンにしょうということになり、郡山の広陽軒に行ったのですが休み、鹿又の大喜は行列、玄龍や勇気はハナから諦めで、それでバイパス沿いの京都ラーメン。
ワタシは和だしらーめん700円。

茹で玉子一個はサービスですが、ネギ升盛りは100円。何か野菜をと物色した結果です。

載せるとこんな感じ。

平打ち麺がいと美味し。

友人はなにか変わったものをということで、思いきって、天下一品土鍋チーズ850円。

チャレンジャーです。
その後ガレッジセール開催中の、竹やぶの郷へ。彼は二年ぶりかな。

今年は準備する時間が全くなく(旅行で忙しくて)出品できませんでした。
晴れてきました。

コーヒーを御馳走になり、しばし歓談。

市内に戻りました。
Category: 美味いもん
結局太る一方通行
河岸段丘の高度差が特に。
来る前に仙臺の高度差、研究しておきたいです。
そして桑子アナの笑い声とリアクションが抜群。好きです。
庶民的かつ天然の知性も兼ね備えています。スタッフに応援されるタイプか。
3年以内に、紅白の司会も夢ではないかも。
引き続き、備忘録。
呑み喰い画像です。
5/8はハーフマラソン中継のリハーサル日。久しぶりのスタッフ弁当です。

肉体労働者向けですね、ご飯が別添。
子平町の藤を見に行った9日の昼飯は、タイ料理。

木町通のサバイサバイです。

場末ですが、車も停めやすいし、いつもそこそこ若い客が入ってます。

ゲーン・マサマン。マッサンではありません。
タイ風の鶏肉じゃがいもカレー。

ちょい辛です。
翌10日はハーフマラソン本番。
あまりやることもなくて、ウロウロしているだけなんですが、中継終了後に、またガテン系スタッフ弁当です。

夜は打ち上げ。

ほとんど仕事をしていないので、周りほど盛り上がらないワタシ。

それでも食欲はありました。

近所の哲麺、メール会員登録していると、誕生月は一杯無料なんです。

太ります。
こちらは14日の山羊山やぎやま。

旨味噌つけ麺750円です。
とろっとろポタージュ系のスープが、麺によくまとわりつきます。

Category: 美味いもん
冷し中華の季節に
なんだか世界中からいじめられているみたいですが、この先5年10年で、きっと国内のイルカ繁殖技術は飛躍的に進歩するでしょう。優秀な若者がチャレンジさせてもらえそうだし。
ドライブ記事はひと休み。
溜まってる社食の画像です。
5/7のB定食は野菜いため、460円。

11日は天ぷらうどん、300円。

12日は、麻婆豆腐丼、440円。

豆腐がデカイな。小鉢が冷奴でかぶってるし。
13日、野菜たっぷり醤油らーめん、450円。

最近の紀行ラーメン(曜日固定の日替りラーメン)の中では当たりです。
流行りのラーメン専門店にはあまりありませんね、こう言うの。
15日のA定食は、煮込みハンバーグ、500円。

18日のA定食は豚しょうが焼き、500円。

19日のB定食はスタートに戻って野菜いため、440円。

スマホを自宅に忘れた20日は、冷し担々麺、450円。
資料

そして昨日22日。打ち合わせが長引いて、14時過ぎに社食に行ったら、定食タイムが終わっていた代わりに、超久しぶりの、スパゲッティ・ナポリタン、420円。

昼時には注文できないメニューなのですが、ハムかベーコンでも入ってれば、もっと風味が上がるのに。
サラダと、なぜか揚げ出し豆腐は、おばちゃんのオマケ。
Category: ドライブ
旅の最後は画像少なし
目の片隅を何かが横切ったので、車を停めて目をやると、オスの記事でした。いや、雄の雉でした。

別の画像をトリミング。

物怖じしませんね、雉は。烏や鳩に近い。
なるべく国道を使わないで、県道306号や広域農道、水が入り始めた田んぼの間を走ります。
大曲。何度か来た、花火大会の会場付近です。

また来たいもんです。
その後、国道105号から県道36号で横手市内へ。旧大森町かな。
再び目の横手、片隅に異様な建造物。

林檎林の方へ右折して近づきます。

姫路城に似ているでしょうか。
姫路城の画像を無断引用

聞いたこと無いよ、こんなところに天守閣。

説明書きの看板も全くなく、個人のお宅なんでしょうね。すごいや。

林檎(ですよね?)御殿か。

しばらく走って、旧雄物川町。

ここは前にも来たことがある、木戸五郎兵衛村です。

村のHPから引用。
江戸がら大正時代の茅葺きの4棟の民家がならんでいるんしよ。

これはこの地区どが近隣の町さあったものを移築、復元したもんだんし。

中も見られるので、昔の人だぢの暮らしどが、昔のえ(家)の造りどがわかってためになるど~。

この民家はいろいろ利用でげるんし。結婚式でも会議でも…。つかってけれ。

まじ、来て見てたんしぇ。

隣接する公園で、なにか地域の催し物の準備が進んでいました。
再び平鹿や十文字、増田を通り抜け、国道342号で、東成瀬村へ。

昼飯は此処。

仙人の郷 手打ちそば やまと。

壁にはBLUE NOTEのボックスが並んでいましたが、BGMはテレビ。

結構メニューが多くて、初めての旅人は迷わされます。

三十食限定の仙人そばセット。
まずは揚げそば。外はサクサク、中はとろ~りです。

これも揚げそばか?

1100円。

二八らしいのですが、好みの透明感でした。

庭に池があり、客の子どもたちが、イワナに餌やりしていました。
何故かミニ温室にオーディオ。

美味しいお蕎麦屋さんでした。

早く仙台に戻るには、国道397号で大森山トンネル、東北道へ出る手もあったのですが、そのまま342号線を南へ。

ここも大好きなルートの一つなんですね。

今回はジムニーのんびり旅だったので、TTでヒルクライムできないのは残念なんですが、その分周りの景色を眺める余裕がありました。

季節の変化とは逆に、高度が上がるにつれて新緑の緑色が薄くなっていきます。

車の中は暑いぐらいなのですが、雪の壁が高くなっていきます。

栗駒山に近づいてきました。

お決まりの給水ポイント。

2009年に来た時には、こんなに派手派手で目立ったのに、今は質素。

立ち寄る車も少なく感じました。

それでも美味しい水です。
ひょっとしたらデコレーションは冬場一旦片付けられて、夏場に復活するのかもしれませんね。

雪の壁は更に高くなっていきました。

並行して花山峠を抜けるルート、国道398号との接続道路、県道282号の尾根道はまだ通行止めでした。(5/5)

栗駒山荘がある、栗駒山の登山口に到着。好天でしたが、鳥海山までは見えませんでした。

こちらは須川温泉、岩手県との県境になります。

まだ山開き前だったと思いますが、車多数。
山の向こうが宮城県です。

一関方面へ山を降ります。

再び、今度は季節に添って、新緑の変化を楽しめます。

秋田県側と比べると、道が狭いな。

岩手・宮城内陸地震のあと、栗駒山周辺の道路は、かなり拡幅やルート変更されたのですが、東側は傾斜も強いせいか、まだ狭い場所が残っています。

ピンぼけですが、緑が濃くなってきたのはわかりますね。
これも大好きな真湯温泉の辺り。

祭畤大橋の横を通り、県道49号線を右折して宮城県に入り、田園風景を眺めながら、のんびり栗駒、一迫、岩出山を通り、仙台に戻りました。
何度も通った道がほとんどでしたが、やはり青空の下、窓全開で風や匂いを感じながら走り回れる、最高の季節。
ラジオや好きな音楽を聴きながら、4日間ものんびりドライブできた、至福の時間でした。
Category: アウトドア
知らない人同士でHUGHUG
旅レポの続き。
田沢湖温泉を後にして、国道46号線を南へ。
JR田沢湖線に並行する部分なんですが、山間の単線区間を、突然E6系スーパーこまちが走ってくると、かなり驚かされます。
神代駅の手前で左に逸れて、県道50号、前日も少し走ったルートです。
玉川の手前をさらに左折すると、直にここに到着です。

初めて訪れた、抱返り渓谷。
抱返神社。

渓谷という名前から、勝手に峡谷を想像していたのですが、大河です。

玉川温泉から宝仙湖や田沢湖、夏瀬ダムなどを経由してきた水なんですね。

山奥の谷だと思ってた渓谷は、一級河川の通過点だったのでした。

ビックリマーク付きで、歩き始めます。

植物の宝庫でもありました。

途中に一か所だけ給水ポイント。

柱状節理もたくさん観られます。

水が少し碧いのは、玉川温泉の影響があるんでしょうか。

水量が多い上に急流なので、落ちたらひとたまりも無さそうです。

抱返り渓谷という名前は、地形が非常に急峻で狭隘なために、人がすれ違うときに、互いを抱き合って体を入れ替え、怖いので後ろを振り返ったことに因むそうです。

そうすると昔は、このルートが大曲と角館や盛岡間のメインルートだったのでしょうか。

新緑が爽やかですが、

紅葉の季節はもっと良いのかもしれません。

ほぼ平坦な散策道。

ふだんのスニーカーや通勤靴でも歩けますよ。

こう言う場所に来ると、すれ違う人と挨拶を交わすのは、ニッポン人の不思議。
かなりのだらだら歩きで、

ここまで30分くらい。通行止めがなければ、夏瀬ダムへ抜けれるはず。

回顧の滝です。みかえりの滝。

これは見返り美人。

フィトンチッド??? 布団ちいっと?

法体の滝と同じく、何段にも分かれているようでした。

下の方は複雑に離合集散を繰り返しています。

たぶん、孔雀羊歯。

合成写真を創ってみました。

豪快です。

別の羊歯。

先は通行止めだったので、元来た道に戻ります。

変わった柱状節理だなぁと思ったのですが、人工ですね。

考えてみると、この遊歩道自体、崖を削って造られたもの、自然ではないのです。

橋もそうなんですが、なんとなく自然にうまく調和するというか、上手なアクセントになっている建造物を見ると、自然は制するものと言うキリスト教的な哲学とは異なる、日本的なバランス感覚に包まれるのです。

橋を紅く塗るのは、東洋の美学だと思います。

結界を越える気分。

ちなみに玉川の南側、左岸側にも駐車場があり、そちら側からアプローチすると、神社のところからこの橋を渡る分だけ、歩く距離を短縮できます。

予想を完全に覆された場所。
河原で石を拾って来ました。

紅葉の季節に通りかかったら、また寄ってみたいと思います。
Category: 温泉三昧
濃厚芳醇
Vサインを出して通過しました。
昼ニュースを見たら、朝方なんと熊が歩いていたそうなんです。ホントかよ。
ジムニーが走り去るシーン、使われていました。
小雨の下、田沢湖はあっさり後にして、秋田駒ケ岳に向かってジムニーを走らせます。

八幡平方面へ向かう、国道341号との交差点、小先達で渋滞。

なにか私には縁が無さそうなショップが、原因のようです。

山のはちみつ屋?? ここを出て田沢湖駅方面に右折する車多数。
その小先達を直進して、県道127号を山へ。
田沢湖温泉に到着です。

この日のお宿は民宿でした。

ペンションみたいなフローリングの部屋。

まだ雨が降ってましたが、うっすらと駒ケ岳らしき山が、部屋の窓から見えました。

早速温泉なんですが、これが濃厚。
私の記憶でも、こんなに濃い硫黄温泉は初めて。やや熱めで好みの湯温。

目には沁みるは、体毛に湯の花がからみまくりです。
田沢湖温泉は、さらに先にある、乳頭温泉などから引湯しているそうなんですが、そっちはどんだけ濃いのでしょう。
出たり入ったり。日焼けした右腕だけは、なかなか漬けられません。
居心地のいい部屋(ただし隣の部屋の音は聞こえまくり)で、自動販売機のビールでぷはーーしたあと食堂で夕食。

冷酒はにごり酒と、これだけのようでした。

がっことジュンサイ、なぜか手羽先、そしてきりたんぽ鍋。




野菜もそこそこで、〆はおじや。
腹一杯です。
少し休んで、また温泉。

この後着た服には半月くらい硫黄泉の香りがまとわりついていました。
日をまたいで、結構降ったようでしたが、翌朝は晴れて、部屋から駒ケ岳も見えました。

温泉に浸かったあと、散歩します。

駒ケ岳に向かった丘にちょっとだけ登る、お散歩コース。

高原の朝です。

漂う雲が、なんとも良い雰囲気。

体は硫黄臭じなくて、硫黄香たっぷりなんですけど。
これから晴れ上がるぞーーなんて楽天家は思います。

田沢湖温泉は10年ぶりぐらいでした。

閉まっている施設もあります。

次回は乳頭温泉にも、行ってみたいものです。
民宿らしい、普通の朝飯。

コーヒーをいただいて、出発です。
こちらは駐車場の向かいにあった、別の民宿。

まずは、秋田駒ケ岳の八合目に上がるルートに挑戦。

通行止めでした。もう雪なんて殆ど無いと思うのですが、山開きの6月1日まではダメだそうです。

山開き以降も、週末はマイカー規制ですから、自分の車で走れるのは、引退後ですね。

山を降りる途中の展望台。

田沢湖を望めるポイントがあります。

まだ桜も咲いていました。

ここからやっと、仙台に戻る方向へ。
Category: 昭和の香り
佇んでみてください
角館はそこそこにして、さらに北へ。国道105号から県道60号。

あっという間に田沢湖に着きます。

八重桜と枝垂桜は、まだ見頃でした。(5月4日)

この辺りの主峰は、秋田駒ケ岳。

雪は少ないですね。
田沢湖に来たら、必ず立ち寄りたいのは此処。

最近は湖畔道路に、何ヶ所も案内板が出ています。

校庭の桜は、大山桜でしょうか?

もう半分散ってました。

誰もが懐かしくなる、小学校の校舎が、ここに残されているのです。

想い出の潟分校。

小雨が降ってきました。

今年のゴールデンウィークで、唯一雨が降ったタイミング。

この校舎前の桜、なにか別の木と合体している不思議な樹形。

風が吹いてきました。

この木なんの木。

大きな木。

モミジなんですね、デカイ。

子どもたちを見守ってきた大木なんです。

今回は外回りだけの撮影です。

前回のレポートはこちら。
のんびり旅のレポートを綴っていると、また出かけたくなります。
Category: 街角探検
いつもの通りでゴメンナサイ

往々にして、国道と山並みの間に挟まるように並行に走る道路。

広域農道だったりするのですが、金の出所は置いておいて、良い道を通してくれるのはありがたいことです。

残念ながら角館の手前で県道に合流し、美しく蒼き玉川を渡ります。

角館市内に入り、昼食です。

今時珍しい、サービスエリアのレストランか、デパートの大食堂のようなラインナップ。

鮨からラーメン、蕎麦にドリア、何でもありです。

私の発注は、うな丼そば、1200円。

秋田名物いぶりがっこは、硬くて苦手です。
鰻なんて、実に久しぶりですが、なんとなく社員食堂風だな。

何度も来ているので、寄ってみようか迷いながら、武家屋敷通りの周りを流していたら、偶然空いている駐車場もあったし、少し歩くことにしました。

完全に桜が散った直後の角館。

平年ならまだ残っている頃だし、ゴールデンウィークだから、早くから予約してた観光客も多いだろうし、結構な人でした。

ただ、テレビでよく見る外国人観光客の嵐前線は、まだこの地域には到達していないように感じます。

寂しいことでもあり、一方では良いことでもあり、複雑です。

そぞろ歩きます。

何度も紹介している通り、いつもいつも同じような画像で申し訳ありません。

ついついシャッターをたくさん押してしまいます。

私の休みの過ごし方を総括すると、シャッターを押したくなる場所に行くのが好きなんですね。

何を今更。

これは花モモではありませんね、何の花ですか?

葉っぱだけになってしまった、枝垂桜の向こうに異様なものが。

ご当地キャラです。こんな街には要らないだろう、お役所仕事だな。

しかし桜で有名な街に、なぜかお梅ちゃん。

私の母方の祖母が、お梅ちゃんでした、そう言えば。

梅の花も見に来てほしいということなのかな。

天敵。

刺さない蜂だと知ったので、最近は天然ドローンだと思っています。

またまた、源平咲きのハナモモ。

もし庭のある家に住んだら、是非植えたい花です。

幸せそうに、大勢の観光客が歩く通り。

これも大好きな、モミジの若葉。

モミジも花を咲かせているみたいです。

この場所の画像、三回目ですね。すみません。

これまた毎度おなじみの、誰が使うか、郵便ポスト。

人が写らない、チャンスも有ります。

武家屋敷通りだからかな、神社仏閣はありません。

行き交う車椅子、じゃなくて人力車。

ちょっと気になって英語でなんて言うのか調べてみました。

車椅子は、wheelchairなんですが、人力車は、jinrikisyaなんだそうです。

外国にはない文化なんですね。
のんびり旅は続きます。以前の角館はこちら。
Category: ドライブ
3-4年に一度くらいの
今回唯一有料道路を使い、湯沢横手道路で横手の街を通り抜けます。

平安時代に東北人たちが大和朝廷と戦いを繰り広げた地域。
後三年の役の舞台になった場所に、後三年の駅がありました。

ごさんねん、ちょっと入力しにくい文字列です。

藤原清衡が頭角を現し、八幡太郎義家とともに戦った後三年の役。炎立つを想い出します。

源義家が、雁行の乱れから、敵が潜むのを知った西沼周辺は、平安の風わたる公園になっています。

里山を走り抜け、その後三年の役の中心になった、金沢柵を初めて訪れます。

郊外の城山には、金沢八幡宮。

太平洋戦争での供出要請を免れた神馬像。

八幡太郎ゆかりの八幡様ですが、東北の八幡宮はある意味、蝦夷にとっては占領者である源氏の象徴ですよね。

違うかな。

北の丸に土俵がありました。

秋田に多いな、土俵。

こちらが本丸跡です。

宮様手植えの記念樹がありました。
ところでこの金沢柵、納豆発祥の地なんだそうです。

源氏側が金沢柵を兵糧攻めした時に、兵隊が持ってた煮豆が発酵していたというもの。
すごいな。
みずほの里ロードを北上し、美郷町。
六郷へ左折。

此処はお馴染み、湧水の里です。

水が多いけど、それ以外はなんてことはない街。

国道沿いなので、前の日の大竹よりはずいぶん広く、金山や、金ケ崎ぐらいの規模です。

にかほと比べると涼しいせいかな、菜の花は咲いていますが、

藤はまだでした。

ツツジは満開。

こんな湧き水が何十ヶ所もあり、地図をもらって、ひとつひとつ尋ねるのが楽しい街なんです。

歩いて回るには広すぎるし、車やバイクで走り回るほどではない。

今回は積み忘れましたが、自転車がちょうど良いと思います。

花々が咲き、一番良い季節かもしれません。

前回は、こんな洒落た看板はありませんでしたね。

多少、観光客も入っていました。

私は湧水群の真ん中あたりに新しく出来ていた、広場に車を停めて、徒歩です。

此処がいちばん六郷らしい、生活のための水汲み場。

ここも花に囲まれていました。

芝桜とハナモモ。

花専門の公園もいいけど、人の生活の場に近いところのほうが絵になります。

今回ちょっと驚いたのは、枯れている湧き水があること。枯山水みたいな湧水。

おばちゃんに聞いてみたら、田植え前の時期には時々あるみたい。

地図を見ると東のほうに、六郷湧水群源水と言うちょっと不思議な名前の場所があるのですが、此処の湧水は全くの天然の産物ではなく、水田のための用水路を開発したら、集落のあちこちに池が出没してしまったのか、それともあとから人が集まって来たのか、人の力が自然に影響を与えた産物なのでした。

花のある良い季節ではあるわけですが、湧水を詣でるには良くない季節なのかも。

宝門清水を訪問。

ここの清水もちょっと干からび気味です。

満天星。

駐車場があるせいか、いちばん観光客が集まる、ニテコ清水。

レストランや土産物店もあります。

このポンプには、石が詰まっていました。

私の尿道みたい。
前回の訪問レポはこちら。より詳しい説明があります。

前回訪れなかった、ちょっと離れた湧水たち。

ここもちょっと、水が停滞気味です。

青空と、菜の花。

またちょっと移動して別の湧水。

こちらは結構こんこんと湧いています。

散った花と咲いた花。

これはこれで綺麗なもんです。

仕事の合間でも、こんな場所で弁当を広げられたら、午後の営業も捗るでしょう。

でも、誰も居ないゴールデンウィーク。

清水は、田植え前の周辺へ、流れ出していました。

みずほの里ロードを再び北上します。

車旅の楽しみの一つは、道端の看板に招かれる寄り道。

裏道である、みずほの里ロードにも、ラベンダー園ここ曲がれの看板がありました。

ラベンダー好きな読者のために、寄ってみます。

もちろんまだ早い。土も乾き切っています。

花なんて関係ない子どもたちが、暑い中遊んでいます。

秋田では、もうこのおばさんたちのシーズンですね。

宴会の〆に出てくるデザートは、二回に一回ぐらいは食べますが、自分で買って食べるのは3-4年に一度くらい。

ババヘラアイス、まぁブログネタですね。

ツーリングと、ラベンダーと、ババじゃなくてアイスが好きな方、来月辺りにぜひ立ち寄ってください。

更にみずほの里ロードを走っていたら

美しい沼。

永代沼かな。

カワセミが棲んでいるらしいので、静かにしてしばらく眺めます。

出ません。

餌になる魚は結構居そうなんですけど。

さらに走ります。