Category: 美味いもん
連休最終日 市内の牛たん屋はどこも行列
近所の洋食屋さん、小伊万里。
ランチタイムしか行ったことがありませんね、そう言えば。
特製オムライス、850円。解体前と解体後。
この日は出張の切符をゲットしに仙台駅まで行き、歩いて帰ってきたので、珍しく昼ビール呑んじゃいました。
Category: 生活
あまロスシンドローム
最近見ているドラマは、あまちゃんと八重の桜だけでした。
朝の連ドラというと、おしんの頃は日本にいなかったし、帰国した1990年以降、よく見たものは、ひまわり、ふたりっ子、天うらら、やんちゃくれ、すずらん、私の青空、オードリー、ちゅらさん。
それ以降は殆ど見たことがありませんでした。仙台が舞台のものもあったんですね。
一番記憶に残っているのは、すずらんとちゅらさん。
それからオードリーには、堺雅人が良い役で出ていましたね。
ちゅらさんの時の、セーラー服のベッキーも良かった。
ちゅらさんは、北の国からみたいに、後のエピソードが、単発の続編として制作されました。
あまちゃんも、まだまだいくらでも続編が作れる終わり方でしたね。
今後のエピソードはもとより、昔のエピソードでも派生ドラマは作れそうだし。
ただ国仲涼子は、ずいぶん長い間ちゅらさんのイメージを引きずり続けなければならなかったでしょうから、能年玲奈の場合もその辺りが、続編を作れるかどうかの鍵になるかもしれません。
Category: 美味いもん
いよいよ近所にも
河北ウィークリーだかにも載っていましたが、東北福祉大前駅そばに、手打蕎麦の店が出来ました。
もみじ野で修行した方が開くお店。 ひふみ野。この日はまだ開店前でしたが、26日に開店しています。
土橋通から貝ヶ森に向かい、仙山線をくぐる手前の三叉路を左に入ってすぐです。行き止まりの道。
もみじ野系といえば、西中田の「はしもと」、村田の蕎麦「玄」、八木山の「みずき」、秋保の
歩いていくのはちょっと遠いけど、週末にビーノで行ってみたいと思います。楽しみ。
駅にも近いし、蕎麦屋呑みもありかな。
で、昼飯は、山手町のしゃもへ。
いつも清潔な店内。
写真入りになった、お品書き。
醤油らーめん、700円。
中細ストレート麺に、様々な素材をミックスした出汁のスープ。醤油だけという潔さ。美味しい。
叉焼ごはん、茹でモヤシ付きで150円。
腹一杯になりました。
Category: 街角探検
町衆の心意気
とんぼ返りで、イーグルスの優勝対応でした。最初は負けていたので、翌日かなぁと思ったのですが、逆転。
おかげで深夜まで仕事でした。でもとりあえず終わってよかった。
村上に来るのは三回目。
昼飯処を探しつつ、目的地は此処。
越後の酒でも、一番好きな〆張鶴の宮尾酒造。
四合瓶二本と一合枡をお買い上げ。
あとは、バイパス沿いでらーめんでも食べて帰ろうかっと思ったら、気になるパンフ。
ちょうど町屋の屏風まつりが始まっていたのでした。
じゃ、ちょっと歩くか。
64軒の町屋が内部を公開、屏風飾りが見られるのです。
これは鮮魚店の、うおや。
奥で食事もできるというので、お邪魔します。家具も凄い。
お食事、彩、1500円。
私にはちょっと高級かな。
一杯呑みたくなりますね。
御菓子司、早撰堂。
資料
砂糖菓子の型。
そして、屏風。
前回お昼をいただいた、井筒屋。
芭蕉が宿泊した宿があった場所に建つ町屋。
屏風。
結局歩きまわってます。
毎回訪れる、喜っ川。
村上の街の象徴、大暖簾です。
此処にも屏風多数。
奥座敷にも。
漂う日本酒の薫り。
今は酒びたし生産の真っ最中。
中二階にも屏風。
鮭、また鮭。
何度来ても圧倒される場所です。
前々回2009年の訪問はこちら。前回2010年はこちら。
土蔵造りの浄念寺。
まだまだ暑い日でした。
村上に来たら、粋な黒塀通り。
新しい割烹がありました。
ランチも2000円くらいから。
毎回入れない、旧家。
どうしてだろう。
屏風まつりは、10/15まで。
10/12・13には、宵の竹灯篭まつりも開かれるとのこと。
宿泊も検討しましたが、結局小国経由で帰ってきました。
日帰り400km強の旅。堪能しました。
Category: ドライブ
意外と、なんてことなし
マジックが2となり、パブリックビューイングも今日から。
祝勝会対応スタッフが大勢出かけていきます。
一発で決めてくれないと、残った方も人ぐりが火の車。
先週の土曜日は快晴でした。6時半前に出発。
東北道から山形道へ。
寒河江SAについたのは7:30。なんと食堂はまだ開いていませんでした。
表に立ち食いそばと玉コン、ソーセージはありましたが、やめて西川ICで下道へ。
コンビニで、サンドイッチとコーヒーを買います。
月山湖の展望駐車場で朝飯。
噴水も10時からだそうで、早起きオヤジは世間のペースに乗れません。
月山ICから月山道路。
雲ひとつ無い月山を眺めながら走ります。
湯殿山ICからは山形道に入らずに、ふたたび国道112号線。
庄内あさひIC近くの交差点を、藤島の方と反対方向に曲がります。
両側は刈り取り直前、黄金のカーペットが続きます。
県道44号線から349号線。鶴岡村上線。
すれ違い不可のトンネル。
途中に一時退避スペースがありました。
荒沢ダム。対面は摩耶山かな。
朝日屋旅館がある集落、大鳥池への登山口を過ぎると、一気に道幅が狭くなります。
時々ダートになったり、
また舗装に戻ったり。
しかし道は狭いまま。
枡形林道の入口。
まだ舗装されてますね。
県境の約10km手前からダート。
いよいよ朝日スーパーラインです。
路面はドライ。
アサヒスーパードライですね。
かなり砂利も入っていて、轍も気になりません。
狭いことはありますが、普通車でも走れると思います。
工事のトラックも走っていました。
いよいよ県境付近。
途中何度も停車して写真撮影したのを含めて、庄内あさひICそばの交差点から1時間10分。
オフロードバイク3台とすれ違いました。
だいたいいつも黄緑色のKAWASAKIが多いですね。
ずいぶんキックスタートに苦労していましたが、私が来た方向へ走り去って行きました。
朝日連峰が見渡せる峠の展望台です。特に名前はないようです。
ここからは前回走った道。
スーパーラインの方に行かないと、全線一気に走破したことにならないのですが、前回往復してるし、通行止だった林道の方に行くことに。
平床林道。
林道ですが、全線舗装でした。
無理の無いワインディングロードの下り。
これだけではつまらないので、途中から脇道へ。
また狭いダートです。
3-4km先で通行止。狭い駐車場がありました。
義経も眺めたという、滝があるというのです。
歩き始めます。
徒歩15分ということで、覚悟していたのですが、すぐに滝が見えてきました。鈴ヶ滝。
美しい滝です。落差38m。何だ近いじゃん。
と思ったらこっちは小滝。
大滝詠一さんはもっと先なのでした。
アップダウンが激しい道です。
吊り橋がありました。
結構細いです。
体重制限、超えてないでしょうか。
かなり揺れます。
まだまだアップダウン。
轟きが聴こえてきました。
鈴ヶ滝大滝です。見事。
巨大な岩の上から豪快に流れ落ちる落差は、55m。
鈴谷川。三面川の支流ですね。ここまで鮭は上がってこないでしょうが。
汗をだらだら、心臓バクバク、疲れました。ふたたび吊り橋をわたって、小滝。
片道20分だな。疲れました。
戻りの林道で、対向車が4-5台。すれ違いに苦労しました。
舗装の平床林道へ戻り、日本海方面へ。
村上市内へ向かいました。 つづく。
Category: 空花鳥風月雲
やっぱり、秋は寂しい
完璧に秋の空です。
そしてその夜。中秋の名月の日の満月。
かなりトリミングしています。
やはり私の眼には、蟹の手招きが見えますね。
その前日、18日の社員食堂、鶏肉と野菜の煮物定食かな。450円。
ちょっと前、12日の昼飯。
野羊山十八番の中華飯。700円。
そしてもうシーズンも終わり。9月20日。
800円の冷し中華です。今年は5回ぐらい食べたかな。
Category: ロコモーション
ずぶ濡れ風写
予定は、前日入らなかった美術館や郷土館、例幣使街道の町並みを見たあと宇都宮で餃子を食べる。
しかし、天気は最悪。
いったんフロントに荷物を預け、折りたたみ傘を開いて、美術館に向かおうとしたのですが、5秒でズボンがずぶ濡れ。
庇の下に戻り、雨の写真でも撮ろうと、スマホを出して、途方に暮れていたら、目の前をビュートが通過していきます。
ビュート??
最近どこかで聞いたな。そうだkanokoが最近買い換えたはず。
帰宅してkanokoのブログで確認したら、なんと彼女でした。
同じホテルに泊まってて、たぶんチェックアウトも5分差ぐらいか。栃木は狭いです。
雨は全く上がりそうもなく、タクシーで新栃木へ。
日光行きの特急が通過していきました。
一時間に二本の東武宇都宮行きに予定通り乗車。
とっとと帰ることにしたのは、東武やJRが不通になるかもという心配から。
子供の頃に、カブトムシをバケツ一杯捕まえた、国谷、おもちゃのまち、安塚を通過、東武宇都宮駅です。
前回、kanokoのコンサートを見に来た時に見学した松が峰教会が見えました。
まだ昼食にはずいぶん早かったので、すでに開店していた餃子屋さんには入りませんでしたが、なんとなくオリオン通りのアーケードをぶらぶら、ちょっと離れてる、JR宇都宮駅まで。
仙台と似ていますよね、このアーケードでも結構大きな七夕祭りが開かれます。
そうしたら、アーケードは途中で切れて、結局下半身はずぶ濡れ。
ちっとも愉快じゃないよ。
こんなお土産。
芸がないですね。
やまびこ仙台行きに乗りました。
広瀬川。私が雨を連れてきたみたい。
♪低気圧にのぉって~ 北へーむーかーうわ~ ってやつ?
仙台駅一階の、ぱんだこぱんだによく出てくる「うどん・そば 萩」で昼飯。
座るスペースもある立ち食いそばで、野菜かき揚げ天そば。330円。
滅茶塩っぱかったです。汁と衣を大量に残して返却。
今度は仙台のアーケード街。
こっちも大雨。
電力ビル前のバス停、川のようになった道路、バスが来ると波が歩道まで。
駐車場に入る車と、発車するバスのせめぎ合いで大渋滞。
とにかく帰宅は出来ました。
Category: 美味いもん
なかなかたどり着けない〆
髪が乾いたら探索開始です。
地酒屋さん。
土蔵は多いけど、居酒屋は少ない街でした。
此処に決定。
地元では全くひとりでは呑みに出ないので、旅先ではの楽しみ。
ガランとした店内ですが、とても清潔。
冷酒をお願いしたら、菊水の升酒でした。
突き出しはポテトサラダと茄子。
焼鶏。
親方は、国内や外国まで飛び回ってた元サラリーマン。
52歳で脱サラして地元に戻ったそうです。
二杯目。
あん肝。
代々木の予備校に入って初めて上京したそうなのですが、休みに実家に帰る時、神谷バーで電氣ブランを呑んで東武線に乗ったそうです。東武線の車両にはトイレが付いていないので、ビールだと持たないと。
サービスで出してくれた、親方特製、チーズ揚げ煎餅。
それ以来常連で、栃木で独立する時にもらった、神谷バーのオリジナルグラスで頂いちゃいました。
親方ご馳走様です。
腹に余裕を残して店を出ます。
そう、居酒屋探しをしてた時に、気になる赤ちょうちんがあったからです。
支那そば。
居酒屋の向こうの支那そば屋かと思ったら、一軒の店でした。両刀使い。
そうなると、なかなからーめんだけというわけにはまいりません。冷や酒。
十和田に泊まった時と同じパターンだ。
齧りかけの突き出し。
サンマ揚げかな。
もつ煮込み。
酒の肴、どこへ行った時も、食べたことがないものを所望する癖があるのですが、此処にはありませんでした。
別に、それはそれで良いのだけれど。
こちらでも話が弾んで、二杯目の冷や酒。でも半分だけ。
そして〆。
栃木では、一応B級グルメ狙いで、夕顔ラーメンという試みが始まっているのです。
夕顔は、干瓢ですね。かんぴょうを練り込んだ麺。
これがそれだったか、記憶がありません。
おかぁさん、ご馳走様でした。
ネットで調べてみると、他の名物候補として、じゃがいも入り焼きそばというものもあるそうです。
隣にある佐野の、いもフライの影響かな。
千鳥足でホテルに戻る途中でもちょっとだけ撮影。
最初の店の親方の話では、宿泊客の少ない街なのだそうです。
はとバスも来るけど、日帰りで東京に戻っちゃう。一泊二日の団体客は、日光や鬼怒川まで行っちゃう。
だから、せっかくの川沿いも、ライトアップまではしていないそうです。
あした天気になぁれ。
Category: 街角探検
みず辺の散歩みち
母の両親は山梨がルーツなのですが、生まれたのは千葉の津田沼だったかな、1930年。
子供時代は群馬の太田で、その後宇都宮へ。結婚して東京。
産んでくれて、ありがとう。
栃木を紹介するサイトや雑誌を見て、一番見てみたかった風景が、この川沿いです。
巴波川、うずまがわ沿いの遊歩道。
塚田歴史伝説館です。
移設された土蔵群かとおもいきや、もともとこの場所に建つのだそうです。
江戸から明治期の豪商が建てた蔵は八棟。
中ではロボットが街の歴史を語っているようです。
三味線ばあさんロボット。怖いですね。
メガネ会計ばばあロボットはなし。
施設内の見学は、雨模様になりそうだった翌日に回し、この日は外部専門。
まだまだ歩けます。
これは大谷石の石蔵ですね。
ロマンチカ、懐かしい。
ふたたび巴波川。
お決まりのマンホール。
またまた立派な石蔵。
横山郷土館。こちらも明治の豪商の館です。
左半分が銀行、右半分が麻問屋だったそうです。
こんなカタチ、初めて見ました。
そして、巴波川に注ぐお堀伝いに歩いて行くと。
美しい洋館。旧栃木県庁舎だそうです。
今も現役ですが、もちろん県庁は宇都宮なので、市役所の一部。
県庁堀と呼ばれるお堀。
ドイツやスイスの郵便マーク付きポスト。
萬年筆の病院。
あれ、あの建物に、なんて書いてある?
ホワイト餃子がありました。
たしかにコッチのほうが本場かな。
そして、とちぎ蔵の街美術館。
こちらは、三連の土蔵です。
残念ながら、入館時刻を過ぎていました。
カフェ。
手造り家具屋さん。
お蕎麦屋さん。
くたくたになってホテルに戻り、生まれて初めて岩盤浴に入って一休み。
夜の部に備えます。
Category: 街角探検
くらくら街散歩
第一印象は、安っぽい。
東武線に乗って着いたのは栃木。栃木県栃木市です。
モノトーンのファミマの看板。
100円で乗れる循環バスは、ちょうど出たところだったので、プリウスのタクシーに乗って、ワンメータでホテルへ。
最近は無理しません。一日中は歩けない。
宇都宮生まれだし、栃木県には数え切れないほど行っているのですが、栃木市内を歩くのは初めて。
ホテルに荷物を置いて、早速歩き出します。
小京都と言うポスターもありましたが、街歩きのパンフに拠れば、小江戸。
いい加減です。江戸と京都はぜんぜん違う。
颱風が西日本に接近していて、翌日は雨になりそうだったので、できるだけ歩きまわることにしました。
これでもかっ、と言うほど蔵造りの家々が立ち並んでいます。
東北の蔵の街と比べると、喜多方並みでしょうか。
メインストリートは電線も埋設されていて、これからも蔵の街を盛り立てようという雰囲気が感じられます。
登録有形文化財も沢山。
古久磯提灯店は1845年建築だそうで、国内最古級の見世蔵。
歩道も広くて歩きやすい街です。
今回の機材は、X100。レンズが35mm換算35mm相当の固定焦点なので、寄り引きが出来ず、絵に変化が付きませんね。
だけど画質は抜群。
ほとんど下調べなしで来たのですが、想像以上の蔵の数。
古い土蔵達、上手に修理されつつ使われているようです。
もちろん蔵カフェもあり。
翌日の天気もあるので、のんびりする余裕はありません。
絵になる街です。
ただ観光客は少ないですね。
蔵以外の建物にも、色やデザイン高さ、様々な制限がかかっているのでしょう。
栃木市と言っても人口では県内4位、小さな地方都市なんですね。
コンパクトな街です。
普通の市民の生活が息づいています。
土蔵。
板蔵。
大火に合う前の喜多方にもこんな蔵が多かったのかもしれません。
貸蔵もありました。
古い映画館の看板。
これは観光客向けの喫茶店かな。
散歩はまだまだ続きます。
Category: 美味いもん
新ルート開拓
爽やかです。
これは一昨日の空。昼休みの屋上からです。
さて、旅の続き。
祖師ヶ谷大蔵駅から小田急線で、代々木上原。
東京メトロ千代田線に乗り換えて、北千住。私が子供の頃にはなかったルートです。
かつては、下北沢で、小田急線から井の頭線に乗り換えて、渋谷で地下鉄銀座線。
終点の浅草まで行って東武線でした。
または、小田急線で新宿、山手線と赤羽線で赤羽。赤羽から東北本線でした。
コッチのほうが早いけど、多分運賃が高かったと思います。
ここで昼飯。
多分初めて来る街です。
千住の老舗そば処 柏屋。
結構混んでいて、二階に通されました。
ひと口そば、850円。これはとってもひと口じゃ食えない。
やっぱり江戸の蕎麦は白いです。
北千住から東武線。複雑な駅でした。
急行で南栗橋まで。昔は東武動物公園なんて駅はありませんでしたね。スマホで調べると、杉戸でした。
小学校3年か4年の時、初めてひとりで宇都宮まで東武線の旅。
母が浅草まで付いてきて、心配なので北千住辺りまで一緒、そこからひとりで南宇都宮までで、祖母が迎えに来たなんてことを想い出します。
南栗橋から鈍行で渡良瀬遊水地の脇を通って、栃木へ。
旅は続きます。
Category: 昭和の香り
私の原点
物心が付いてから、高校一年の4月か5月まで、暮らしましたから、まさに私の故郷です。離れてからは41年。
小学生の頃、手打という野球もどきや、草野球をやった公園。
同じくその隣の広場。初めてたこ焼きというものを食べたのは、此処に来ていたワゴン車で。
一個5円だったと思います。
旧B3号棟。通称ビーサン。
かつては1階がピロティになっていて、雨の日はここで遊びました。
隣接する集会所。
母が幹事役だった、団地の「婦人のつどい」が、年に2回ぐらいバザーを開催したのを覚えています。
前日のわが家は商品の山。
集会所の屋根によじ登り、地上に飛び降りて、足を捻挫したこともありました。ちょうどこの辺り。
母の自転車の後ろに乗って学校に通ったときは情けない思いでした。
ここも、ちょっと狭いけど、草野球場でした。
小中高の一つ先輩で、ドラマーの渡嘉敷祐一さんの家はこの辺り。
給水塔はまだ現役のようです。
仙台に負けないケヤキ並木です。山田洋次監督や、ヴィレッジ・シンガーズの小松さんがこの辺りに住んでいました。
もちろん友達の家があった棟もあちらこちらに。全部で37棟あって、当時都内でも二番目に大きな団地でした。
ちなみに、仙台あたりで団地というと、郊外の丘陵地などを大規模に造成して、一戸建て用の土地区画に一斉に新築の家が立ち並んだようなイメージなんですが、私らの地域では、団地とはこのような鉄コン筋クリートの建物が、複数並んだ場所のことです。
そして私が通った幼稚園、祖師谷児童館があった場所。
今は立派な保育園が建っています。昔は周囲にヒイラギの生け垣がありました。
うちからもっとも近かった電話ボックス。
児童館の同級生は全てこの団地の子供でした。
私の両親のように、地方から出て来て、抽選にあたって、家に風呂がある文化的(?)な生活を始めた家族ばかり。
だから故郷もバラバラ。そして多くが長く定住することもなく、やがて再びバラバラに。
ここが私達の一番の遊び場。
遊具がほとんど失くなってしまいました。鉄棒は昔のまま。
滑り台やブランコ、雲梯、屋根付きの砂場。位置まで覚えています。
Yahooジャパンの元社長、Iくんの家はこの辺りだったと思います。
この団地は、かつて都の住宅供給公社が建設したものでしたが、都には都営住宅もあるし、公社は国の住宅公団に吸収されているようです。
様々な思い出が、蘇ります。
ヨシオの家族が住んでいた、旧D3。この辺りでちゃんばらをやったり、壁にボールをぶつけてひとりキャッチボールをしたり。
同じ場所ですが、向きは反対ですね。
ヨシオの話では、旧D5には一つ下の、うじきつよしさんが住んでいたらしいのですが、彼の記憶はありません。
私達が住んでいたのは、旧D4。何故か今は34号棟と名前が変わっています。
躑躅や紫陽花の他に、桜の木も多く、花見に出かける必要はありませんでした。
あの頃は停電が多くて、暗い夜表に出て、近所の人達といつまでもお喋りをしてました。
ここで花火をしていて、ロケット花火が斜めに飛んで、向かいの家の風呂場に飛び込んだことがありました。
ぶったまげた親父さんが、裸で飛び出してきて怒鳴ってました。
窓のサッシ等は変更されていますが、建物自体は当時のまま。
築55年ぐらいでしょう。
家族4人で10年以上暮らした、1DKの部屋。ありました。
家賃は4500円くらいだったと思います。
昔はここに自転車を置いていましたね。
一階の玄関。小窓の向こうは、風呂場とトイレです。
南側のベランダ。
かつては仕事から帰ってきた父が、花畑を作ったり、池までこしらえてました。
柿や枇杷の木もありましたね。
この辺りでも野球もどきは出来ました。一度大雪の時にかまくらを作ったこともあります。
懐かしさいっぱいで、団地を離れます。
ずいぶんぼろくなってしまいましたが、団地はまだ現役。
住む人がいなくなってしまった山間地や、津波の被災地を故郷に持つ人に比べたら、ずっと幸せです。
団地の南側に広がる空き地。不思議なのですが、未だに空き地です。祖師ヶ谷大蔵駅から徒歩10分の場所ですよ。
ここで正月に凧揚げをした記憶があります。ヨシオは上手でした。
少し歩いて、祖師谷通りを越え、懐かしの学び舎へ。
祖師谷小学校です。卒業して45年。同窓会に出席した記憶はありません。
雲梯は昔のままかな。得意でした。
渡嘉敷さんや氏木さんはもとより、みのさんや坂本龍一さんが大先輩です。
卒業したときは5クラスありました。
木造で、床の油の臭いがした校舎はすっかり建て替えられていますが、銀杏や松の木、桜にヒマラヤ杉、体育館やプールの場所、鉄棒やはんとう棒、昔のままです。
はんとう棒はいつも一番でした。
そして驚いたのは野球用のバックネット。
これも昔のまんまです。
10分の休み時間でも校庭に飛び出して遊んだドッジボール。
だるまストーブや、くみ取り式のトイレの臭い。クラブ活動。
私の人生の原点への旅でした。
Category: 街角探検
ウルトラの父がいて
後ろが今の高架駅。昔は何があった辺りだろう。
駅の正面は花屋のHANAYA、昔からまんまのネーミング。
左の方は、西向き、成城方面。
一応対面交通ですが、激狭ですよね。
この先の方にあったジーンズショップ(生まれて初めて買ったジーンズは、28インチのBigJohn)や、釣具店、歯医者さんはありませんでした。
こちらは右側、更に狭い祖師谷通。北方向で、千歳烏山や芦花公園に行けます。
信じられない話ですが、子供の頃は対面交通で、路線バスまで走っていたのです。
電柱の位置なんか多分当時のまんま。
初め、一軒しかなかった書店。そのあと一文という当時としては大型店が出来ました。
電柱の広告はニシキヤ。これも多分一軒しかなかったケーキ屋さんです。よく通ったレコード屋は無くなってました。
この中華屋さんは、開店したのを覚えているような気がします。
でもわが家の御用達は、千歳船橋の方にある、高島屋(あっさり系)と、みやま(こってり系)でした。
そしてわが家で、なにか祝い事があると、必ずここの寿司でした。
今でも頑張っています。
そもそもお寿司屋さんもあと一軒あったかどうか。
祖師谷昇進会商店街。昔はなかったけど、街灯はウルトラマンやウルトラセブンをモチーフにしています。
文房具は此処。
自転車さんは駅の南に一軒、そしてちょっと離れた北の方にこの有名なお店があったのですが、どうも駅に近い方に移動したようです。
昔からここなら、憲武さんは私と同じ小中学校で、5年下になるのですが、前の店の場所だと、どちらも隣の学校です。
私が乗っていた、ブリジストンの白い26インチの五段変速、ドロップハンドルは南の方の店で買ってもらいました。
この古い塀、きっと当時からあるものでしょう。
風邪を引いた時に通った内科や、食堂をやっていた友人の家、どちらもアパートになり、名前だけが残っていました。
友人の家といえば、うなぎ屋とか、お菓子屋もあったような気がしますね。
当時の熱帯魚店や酒屋、米屋、写真屋まで含め、今はもうありませんでした。
この街がウルトラタウンになったのは、円谷家があったから。
この辺りかなあと思う場所の邸宅、TTがありましたが、表札の苗字は違っていました。
円谷英二さんの孫が、少し下の学年でした。連坊と同級か?
この街には他に、マグマ大使を特殊撮影していた、栄スタジオもありました。
江木俊夫さんを何度か見かけた記憶もあります。
昔はなかった温泉。誰かが掘り当てたんだな。
そして、毎年楽しみだったお祭り。
ずらっと出店が並んだ風景が、蘇ります。一度だけノリで子供神輿も担ぎました。
梅ジャム、薄荷、くじ引き。
パチンコ台もあったな。
子連れの阿吽は珍しくないですか?
そして私達が住んでいた、祖師谷住宅。
祖師谷通りに面した入り口に、10軒ほどの小さな店が並んでいました。
肉屋、魚屋、パンとお菓子屋、八百屋、薬屋、床屋、あとは何があっただろう。お茶屋? 文房具の昇仙堂もこっちにあったのかな?
当時は平屋だった長屋も今は三階建て。
魚屋では飽きもせず鰻の開きや、泥鰌のバケツを眺めたもんです。
つづく
Category: ロコモーション
地元に帰ろう
こちらは渋谷方向、静止画だとわかりにくいのですが、高速道路の上を一晩中車が行き交っています。
1Q84の最初と最後に出てくる、あの渋滞と、青豆がミニスカートで越えた、フェンスや非常階段はこの先の池尻の手前ですね。
私が高校生の頃、中学の同級生だったTくんが、開通したばかりの高速下の246号線で、500ccのバイクで転倒、命を落としました。中3の時の運動会、徒競走の最速グループ、彼が一位で私が二位だったのです。走るのも死ぬのも速かった奴。
この首都高3号線、用賀から渋谷、六本木の先まで、歩道を歩く人の視界を遮り、排気ガスと騒音の渦。
日本の大都市の最悪の風景の一つです。
1964年にオリンピックが開かれていなかったら、首都高なんてものは出来なかったかもしれないし、今も日本橋からは、日本晴の青空が望めたかもしれません。
東京の住環境が良かったら、ますます人が集まっちゃうかな。
前夜も歩いた呑み屋街。何故か関西風の看板。
ホテルの朝食は予約していなかったので、朝飯処を探します。
朝ラーの店というか、朝までやってるラーメン屋さん多数。
ここなんか朝8時までやってる居酒屋ですよ。
そんな中、朝5時から開いている食堂を発見。と言うか朝5時からは朝食メニューで、実際は24時間営業かも。
東北では見かけないチェーン店のようです、やよい軒。
ピンぼけの目玉焼き定食、420円。
案の定、大声で会話する酔っぱらい集団多し。
ネットで調べたら、あのなでしこリーグのメインスポンサー、プレナスがこの食堂を展開する会社でした。
食呑み生活的には便利そうな街です。
いったんホテルに戻り、出発です。
現在の世田谷線三軒茶屋駅は、こんなビルの下にありました。
ウィキから引用すると、玉川線(たまがわせん)は、東京都渋谷区の渋谷駅と、世田谷区の二子玉川園駅(現二子玉川駅)、および途中の世田谷区の三軒茶屋駅と下高井戸駅を結んでいた、東京急行電鉄(東急)の鉄道路線(軌道線)である。通称「玉電」「玉川電車」。
1907年(明治40年)に道玄坂上を起点に部分開業後、主に玉川通り(国道246号)を中心に砂利輸送、地域輸送を行っていた。路線の延伸、支線の開設、譲渡を経て、1969年(昭和44年)に、一部区間(現在の世田谷線)を除いて廃止された。
新玉川線が開通したのは1977年ですから、渋谷二子玉間は、8年間代行バスだったんですね。
SUICAが使える自動改札まであります、当然か。
レンガ造りの駅とはアンバランスなデザインの車両。
ワンマンバスと同じ、支払機の箱が微妙な角度で設置してあります。
三茶と下高井戸以外は、これで払うようです。もちろんSUICAも使えます。
やはり環七の踏切では一旦停止、赤信号待ちでした。
昔よく行ったボロ市の上町を通過。
降りるときはどこにSUICAをタッチするのか、ドキドキしてましたが、それは不要。
140円の均一料金、乗るときだけのタッチでOKだったのです。
山下で下車、小田急線に乗り換えます。
昔の面影もない豪徳寺駅。すぐ隣にあるのに、全く異なる駅名。
複々線で、まるで新幹線の駅です。
駅だけかと思ったら、その先もずっと複々線、東京はどれだけの労働力を中央に必要としているのか。
祖師ヶ谷大蔵駅で降ります。ここも、新幹線の駅そっくり。
住所は祖師谷ですが、駅は祖師ヶ谷大蔵。
榴岡と榴ヶ岡、一関と一ノ関、原町と原ノ町に似ています。駅名は様々な政治的圧力で決まるので、いったん決めると、なかなか変えられないんですね。
昔、良く会社帰りの父を迎えに来た駅、子供時代の私にとって、駅といえば、この祖師ケ谷大蔵でした。
ここも全く昔の面影はありません。
かつては典型的な私鉄の駅、地上で相対式、改札口は上り側だけで、下りホームからは跨線橋。
確か前から三両目の二つ目のドアから降りると、ちょうど階段の前でした。
そんな故郷の街を散歩するのが、今回の目的でした。
Category: 美味いもん
ミヤコではどうしても非海鮮系
敵は常に罵倒する対象であるタイガースファンが、ともに祝福してくれてたのが印象的でした。
優勝争いでもしてれば、別でしょうが。
ヒーローインタには出てこなかったけど、ルーキー小川もすごかった、三度目の完封でハーラーダービートップの14勝目。もはや風格を感じます。
これで最下位なんだから、監督は交代でしょうか。
某日は、東北新幹線で上京。
仙台の新市民病院、順調に工事が進んでいるようです。
今の市民病院の跡地は何に使われるのだろう。市役所が移転するのかな。
そして、同じあすと長町には、仮設住宅も。
ほんとうに悲しい。
郡山の日大。小さな風車は停まっていました。
東京駅の新しい丸屋根の天井。
たかが駅だけど、ゴージャス。美術館もありました。
地下鉄への通路に、楽しい貼り紙。
昼飯は赤坂です。居酒屋ね。
麦屋。
ビールと麦焼酎の店かと思いきや、麦とろもありました。
麦とろ定食、天ぷらつき1000円。
具沢山のなめこ汁が、抜群に美味し。盛りの良い麦飯。
女性客が多い店で、店員さんたちは、女性ご飯、男性ご飯という言い方をしてました。
お盆サイズの関係か、天ぷらは最初からタレと同居。
夜は、地下鉄でホテルに移動したのですが、途中でこの夜は神宮で試合があったのを思い出しました。
でも地下鉄は混んでるし、タイガース戦だし、結局あきらめ。
地上に出たのは三軒茶屋。
ここは昔、玉電の駅があった辺りかな。
ホテルは茶沢通り沿い。
チェックインして、ネット接続を確認してから、街を歩きます、暑い。
昔住んでいた、祖師谷から渋谷に行く時、小田急線と井の頭線を乗り継ぐよりも、直通バスのほうが安かったので、よくここを通りました。
酒呑むようになった頃には、祖師谷を離れていたし、三茶で夜に飲食したことはなかったかも。
近くの下北沢よりは上品と言われているようですが、入りやすそうな良い感じの店が多数。
ぐるぐる、行ったり来たりした挙句、ここに決定。
赤坂にある光楽亭という老舗の系列店らしいのですが、いたって入りやすい、コの字型の綺麗なカウンターだけのお店。BGMは液晶テレビ放送。
串揚げ処 三茶喜楽堂。
一本80円からですね。
突き出しの生キャベツと、生ビール。
最初に野菜を食えば、揚げ物のカロリー吸収を減少させるというわけでしょうか。
長ねぎ、鶏つくね、豚ひれ、ヤングコーンで、490円。
アッツアツの揚げたて。
二杯目は、鹿児島の芋焼酎、富乃宝山のロック。おっきめの冷奴は250円。
きす、ししとう、のどくろ、うずら玉子、しいたけで、640円。
嬉しい事に、置いてある日本酒は山形と新潟のもの。
だけど三杯目も富乃宝山。くらのわにも来ていたしね。
鶏もも、長いも、玉ねぎで、420円。
やっぱり揚げ物は美味いです。これで終了。
腹一杯で〆らーめんもなし。
今回の機材は、FUJIFILMの、X-100 Limitedと、iPhone5です。
ホテルの部屋に戻ったら、スワローズ戦、BSでやってました。田中将大の試合はどこもやってなかったけど。
バレンティンの56号は出ず。もし出てたら一生モンの後悔だったな。
そう言えば、一時期一緒にCM出演までしていたマー君パパ、最近出ませんね。