ヨメトメ戦記

ヨメトメ戦記

2014年10月アルツと診断されて以来、独居を貫いたシュートメと、トメ嫌いな鬼嫁の毒吐き記録。約10年踏ん張ったが、2023年12月頃から急激に進行、ついに2024年6月認知症専門病棟に医療保護入院となる(現在入院中)

訃報はいつだって悲しい。

トメの義妹(トメ夫の末妹)が、突然、旅立ってしまった。

享年89歳。

先月のにゃんにゃんにゃんの日(2月22日)が88歳の誕生日で、

家族が入所先の施設に面会にいって、米寿のお祝いしたと聞いていたのに。

まだお別れには、早かった。

 

叔母の腰は、昔から腰は見事なまでに「く」の字状に曲がっていた。

ここ数年は、足もうまく動かせなくて、介助が必要だった。

若いころから夫と二人で行商の魚屋で懸命に働いてきたというから

ガタピシになった身体は、頑張った人生の証だったのかもしれない。

トメ宅に遊びにくると、玄関を上がるのも一苦労で

茶の間に上がったら上がったで正座できず、椅子に座らせていた。

でも逆に、頭はめっちゃしっかりしていて、認知症とはまるで無縁。

トメがニンチさんになって、会話がぜんぜん嚙み合わなくなってからも、

決して怒ったりイライラしたりせず

ニコニコ話し相手になってくれた優しい人だった。

 

デイケアやリハビリ通所を続けながら、自宅生活を続けてきたけれど

医師やケアマネから、もう自宅介護の限界にきているとアドバイスされて

老健に入所したのが、昨年10月末のこと。

その後、自分で身体を動かすことがいっそう難しくなっていたようで、

亡くなったのは、「血栓」が原因だったことを聞いた。

いわゆるエコノミークラス症候群みたいなもの? なのかな。

施設の職員さんたちも、リスクは重々承知していて

就寝中も都度、体位を変えたりしてくれたらしい。

「お医者からは、老衰みたいなものだと言われたし寿命だったのかなと思ってる」

と、長女のMちゃん。

「米寿のお祝いで、みんなで記念に撮った写真を届けに行くはずだったのに

その前に死んじゃうなんてね。でもお祝いできたからよかった、のかな」

 

通夜に参列したとき、叔母は少女のようにかわいらしい顔で眠っていた。

トメとは2歳しか違わないのに、とても若く見えた。

生前、「またトメに会いたい」と言われていたのに、結局

会わせてあげられなかったね。

ごめんなさい。と、口に出して謝ったら泣けた。

 

家族に惜しまれて亡くなる人は、幸せだ。

心を寄せ、泣いてくれる人がいるのも、ありがたいことだ。

いつかトメを見送る日が来たら、と思ってしまう。

私は彼女の死を悼むことができるだろうか?

どれだけ悲しむことができるだろうか?

長生きするのは尊いことのはずだけど、

素直にそうとは言い切れない私がいる。