Category: 空花鳥風月雲
工事関係者だけが
ご存知のとおり昨年6月の岩手・宮城内陸地震以来、栗駒山周辺各地の被災地には、大量の重機と人材が投入され、復興のための工事が進んでいますが、道路は未だ不通の箇所がたくさん残っています。
県内でも有数の紅葉の名所、栗駒山のいわかがみ平へ向かう県道42号線は、8月の時点で、未だに7箇所が通行不能、何とか復旧できるのは1年後の予定です。
秋田県の小安峡へ抜ける国道398号線はだいぶ通行可能箇所が増え、宮城県側からは温湯ぬるゆ温泉まで、秋田県側からも、湯浜温泉まで通れるようになってはいますが、こちらも開通は来年秋の予定です。
今回は特別にちょっとだけ、通行止めの区間に入ることが出来ました。
旧花山村周辺では、いままさに紅葉が見頃なのですが、多くの地域が通行止め、美しい木々の多くも残念ながら一般の人の目に触れることはありません。
それでも、花山湖から温湯温泉までの間のお蕎麦屋さんや、豆腐屋さん、岩魚を食べさせる店等多くのお店が復活営業していたのには、嬉しくなりました。
此処もようやく、今月営業再開を果たした温湯山荘で昼食。駐車場はいっぱいでした。
地元食材をふんだんに使ったご膳です。素晴らしい。
こんなお土産までいただいてしまいました。
みずの実の醤油漬けです。
これからも、しっかり支援していきたいものですね。
Category: 美味いもん
球、切れちゃいました
話は変わって、カメラアシスタントに、今のところ唯一入っている女子の大学生バイトちゃんが、先日こんなお土産を持ってきました。
読めません。
かろうじてLOTTEと、右側の袋の"辛"が読めますが、それが無くても辛そうですね。
9月ごろに就職が決まったといっていたので、卒業旅行なのかな、ちょっと早いか。まだ3年生?
前の日に、バッテリーライトの球を貰いに来たので、2800円だぞと言ったのが効いたのかも。
そして三日連続、今朝の日の出。
毎日少しずつ位置が動いています。
そう言えば、志津川の神割崎の岩の割れ目から陽が昇るのは今の時期ですね。気仙沼支局が先日撮ってくれました。その日に限って16:9のカメラが故障中で、4:3、とほほ。
Category: 空花鳥風月雲
希望は捨てず前向きに
最近久しぶりに船釣りに出たこともあるかもしれませんが、本当に海は広いんですね。
あれだけの大きさの船が赤い腹を見せて転覆していても、発見されるまでに4日もかかったのが私の想像外。
何事も望みを失ってはいけないということでしょうか。
これは昨日の日の出です。
昨日の記事が、半月だったからというわけではないのですが、ミカンのようなお日様が綺麗だったので、ブログを読んでいただいている皆さんにおすそ分け。
なんて書き込んでいたら、今朝の日の出もビューチフルです。
この時期は駅前のアエルの隣から出てきます。
剥きかけの柿のようですね。
今日はドラフト会議。
プロ野球選手の卵たちにも明るい未来がありますように。
Category: 空花鳥風月雲
月と星と雁と鷺
昨日は駐車場に車を停めて空を見上げると、やや太目の半月と、赤い星が縦に整列して南中していました。
by K-x + 18-250mm Tamron A18
赤い星は火星でしょうか。
いろいろ露出を変えて撮ってみましたが、月面が綺麗に写るように調整すると、星が消えてしまいますね。
最近のカメラは感度がいいので、これは250mm(400mm相当) ISO-1600 F8 1/125秒です。
月のアップ。
by E-P1 + 500mm Tamron 55BB
こちらは500mm(1000mm相当) ISO-400 F8 1/100秒。
これくらいなら手持ちで撮れてしまいますね。三脚嫌いな私にはもってこいです。
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週末にちょっと物を受け取りに久しぶりに大学病院の奥へ侵入したのですが、びっくり。
病院の受付がある診療棟は昔ながらの古式豊かな雰囲気を残しているのですが、後に建った新入院棟の一階はもうホテルか、ショッピングセンターみたいなんです。
典型的な病院の売店の向こうに、パン屋さんやら
話には聞いていましたが、なんと、タリーズまで。
病気になったら、こんなところに入院して、点滴をドリーしながら降りてきて、タリーズでカプチーノをいただきたいものです。
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23日の夕方の写真です。
先日、錦秋湖や十文字を回ってきた時、築館や金成付近の東北道上空にはガンの群れが、何十羽もまさに雁行していました。
今朝も先ほど目の前の広瀬川の上空を、大鷺と思われる十数羽が群舞していました。まさか朱鷺ではないですよね。
宮城は渡り鳥の季節を迎え、少しずつ寒くなってきます。
Category: 美味いもん
日曜日もいろいろ
近所の小学校で投票して来ました。
同日静岡と神奈川であった参院の補選は与野党対決色の濃いものでしたが、宮城は無風。
比較的実績を残している保守系現職が、70%以上の得票率で、民主党系の候補に圧勝。
私たちから見ても無風の戦いと思われたのに、投票率が前回より高かったのには少し驚きました。衆院選効果でしょうか。自分の一票が政治を動かせる、と感じてくれた人が増えたとしたら、素晴らしいと思いました。
昼飯は、二日町から国分町通りを流したのですが、休みのところが多く結局この日も「みたて」へ。前回の訪問はこちらです。
海鮮丼ランチ(そば付)850円。
みたては、土日は昼のみ営業とのことでした。祝日は休業。
蒲鉾や胡瓜のデコレーションは全く無い、刺身魚だけのミニ海鮮丼。
そしていつもながらの真っ白で冷えひえの十割更科蕎麦。濃い目の汁でささっとすすりこむのです。
写真で見るとまるで冷麦ですね。でも、こりコリッとした蕎麦なのですよ。
美味しゅうございました。
この日は全日本女子大学駅伝が市内で開催されており、某局と県警のヘリが上空を旋回中、市内も通行止めの札やパイロンを持った警備員がううろちょろ。
某局は24時間テレビも衆院選と重なって大変でしたが、数字は良かったんですよね、そのおかげで。
イーグルスの試合は前日で終わってしまっていましたが、そんな慌しい中、うちのマンションは防火訓練です。
どうも非常ベルがなったら階段で降りてくるという段取りだったらしいのですが、律儀な私は5分前にエレベーターで会場へ。
訓練になっていません。
それでも、発電機の回し方と、消火器の使い方を教わりました。知ってますけどね。
その後はLynx Clubガレージに行ってカメラ自慢。
美味しいコーヒーをいただき、2ヶ月の初孫さんに対面接触してきました。ちっちゃいちっちゃい。
その後出社し、軽く選挙取材体制をチェックしてきたのでした。
みんなご苦労さん。
Category: スポーツ
人は何を残せるか
どのチームも全くノーマークだったその選手は、野村の一声もあって、ドラフト3位でスワローズに入団。
まるで戦国武将のようなその選手の名前は、稲葉篤紀。
中学生時代は偶然イチローと同じバッティングセンターに通っていたそうです。
スワローズ時代は、レギュラーでしたが主に下位の打順を任され、それほど目立つという選手ではありませんでした。
野村監督がスワローズを退団した後、メジャーを目指すものの、夢は叶わず、ファイターズへ移籍、徐々に中心打者に成長し、なんと日本代表チームの4番まで登りつめたのでした。
もしあの日、野村が息子の応援に行かなかったら、日本代表はWBCで優勝できなかったかもしれないし、札幌でのあんな感動的な胴上げもなかったかも。
あの稲葉ジャンプの応援が無ければスタジアムの耐用年数は伸びるかも知れませんけど。
ちょっとおそくなりましたが、土曜日はそんな風に、しんみりとイーグルスの今シーズンの戦いを見納めたのでした。
カエデは紅葉?
会社に居ても、私が特に貢献できることもないのですが、ま、旅行中ではまずいかなぁ、という事で泊りがけはお預け。
近場をちょっくら走ることにしました。
まずは東北道を北上、岩手に入り北上JCTを秋田道に折れ、北上西ICを出て、国道107号です。
by EP-1
だいだい色に染まった山の間を、和賀川に沿って走ると、湯田ダム。
うちからちょうど2時間で到着です。150kmほど。
錦秋湖。この季節に行かずしていつ行くの?
ダムに沿って紅葉を眺めながらずっと走ることが出来ますが、スノーシェッドが多いですね。
天気が今一なので、写真はあまり綺麗に写りません。
このあたり、秋田道はダムの南側、国道は北側を通っていますが、JR北上線はあっちへ行ったりこっちへ来たり。
水は少なめでした。
山を越えると秋田県横手ですが、国道13号を南下したところで昼飯です。
十文字の街の真ん中にある、丸竹食堂。
前回来た、マルタマと一文字違いなんですね、偶然かな。
3名店のもう一つは、三角そばなんです。丸がつかない。
ご存知十文字ラーメンの老舗です。
メニューもシンプル
おばぁちゃんがマスターで、娘さんかお嫁さんが数人でお手伝い。
麺を茹でて、熱い汁に入れる以外の具はすべて仕込み済みなら火を使わないものばかり。
麺も縮れ細麺なので、混んでいてもあっという間に出てきます。
リッチに一番高いチャーシュー麺の大盛り、700円。
こんなに細い海苔やメンマも珍しいですよね。
蒲鉾や麩も薄いし、麺も爪楊枝のように細い麺なんです。
魚だしで、チャーシューの脂もよく落としてあり、胃に優しく、私には最適。
でもやはり、麺がやわすぎかな。
最近好みがちょっと太麺系にシフトしてきているのかも。
前回の逆コースで、342号線そして397号線で岩手県に戻ります。
大森峠を登る前に、ちょっと道を曲がり、焼石岳方向へ。
このあたり、秋田県東成瀬村では、釣りキチ三平のロケ現場がそこかしこにあり、看板が立っています。
滝まで280mという距離につられて降りてみることに。
でも、行きはよいよい。
この滝壺で撮影が行われたようです。
機材の運搬は大変だったろうな。
帰りは大変でした。
心臓バクバク。
それでも景色は抜群、大森峠越えです。
一般にモミジと呼ぶ木はカエデで、モミジは紅葉と変換されますね。
葉が赤くなるこうようも、一般に紅葉と変換されます。
そうすると、紅葉って書くと、紅葉のことなのか、はたまた紅葉について言っているのか判りにくく、この時期はいつも悩むんです。
面白いことに山を越えると、樹種が違うのでしょうね。
雰囲気が変わります。
秋田側は、赤、橙、黄色、緑のパッチワークなのに、岩手側はほぼ赤一色。
胆沢川に沿って仙北街道を下り、再び巨大な胆沢ダム建設現場を通って東北道水沢ICへ。途中の農協アグリショップで買出しをして帰還しました。
胆沢ダムが完成すると、どうも石淵ダムは湖底に沈みそうです。どこかのダムと違って工事停止の話が出ないのは、ダム本体の完成が近いのか、O元代表の影響か。
オマケ画像
帰りの金成PA
ワンコインランチメニューですよ。
Category: Car & Bike
伝説の1000マイル
その名は、まんま1000マイル(イタリア語で mille miglia = ミッレ・ミリア)。
ウィキペディアによれば、
1927年から1957年の間に行われた伝説的な公道自動車レースで、イタリア北部の都市ブレシアを出発して南下しフェラーラ、サンマリノ共和国を経てローマへ。さらにローマから北上してブレシアへ戻るというルートでイタリア全土を1000マイル(イタリア語で mille miglia = ミッレ・ミリア)走ることから名づけられた。
当時はアルファ・ロメオ、ランチア、OM、スタンゲリーニ、マセラティ、フィアット、オスカ、ブガッティ、ルノー、アストンマーチン、ベントレー、MG、メルセデス・ベンツ、アウトウニオン(現在のアウディ)など、錚々たる自動車メーカーがワークスやプライベートで参戦した。特に第二次世界大戦前にはイタリアのベニート・ムッソリーニ率いるファシストや、ドイツのアドルフ・ヒトラー率いるナチスなどが国威発揚のためにこれらのメーカーを国を挙げて支援した。
第二次世界大戦の勃発により1941年-1946年の間は開催が中止されたものの、終戦後わずか2年の1947年に再開され、ジャガーやペガソ、フェラーリ、ポルシェ、サーブ、チシタリアなどの戦後勃興してきた新興メーカーが多数参戦したものの、1957年にスペインのアルフォンソ・デ・ポルターゴ侯爵がドライブするフェラーリが観客を巻き込む大事故を起こし(デ・ポルターゴ侯爵自身も死亡した)ため、やむなくイタリア政府は以降のレースの開催の中止を命じ、30年間の輝かしい歴史に幕を閉じた。
1967年に、当時参戦した実車とその同型車のみが参加できるタイムトライアル方式のクラシックカーレース「ミッレミリア・ストーリカ(Mille Miglia Storica)」として10年ぶりに復活し、以降ジャッキー・イクスやクレイ・レガッツォーニ、ミカ・ハッキネンなどの元F1ドライバーや、スターリング・モスなどの初代ミッレミリアに参加したドライバーも多数参戦する、お祭り的なレースとして毎年5月に開催され人気を博している。
また、公式スポンサーのひとつである宝石商のショパールが参加者に寄贈する同名の腕時計は、コレクターズアイテムとして時計マニアのみならず自動車マニアにも人気である。
1992年にはフジテレビジョンが日本へレースごと招き、日本版ミッレミリアである「La Festa Mille Miglia」を開催した。
レース自体は50台のクラシックカーをヨーロッパとアメリカから空輸し、日本からの参加の10台を合わせた60台で行なわれた。明治神宮外苑の聖徳記念絵画館前に展示した後、鈴鹿サーキットまでの往復区間の国内の一般道を、本家同様1000マイルに渡り走らせるという大々的なものであった。
その後数年間の空白期間の後、フジテレビジョンから独立した初回の日本版のプロデューサーで、ヴェテランカークラブ東京の事務局長の増田晴男が、1997年より、日本で唯一国際クラシックカー連盟から公認を受けた本格的なクラシックカーレースとして「La Festa Mille Miglia」を毎年秋に開催することになった(主催はテレビ朝日など)。
初回と違い基本的に日本国内からの出場者を中心とし、堺正章や近藤真彦、東儀秀樹、保坂尚輝、パンツェッタ・ジローラモ、西田ひかるなどの著名人が毎回参戦するなど本国同様の高い人気を博している。
全日程3泊4日で10月初旬~中旬の開催。ルートは、東京都の原宿をスタート地点として北上し、裏磐梯で2泊しながら南東北を周遊して南下。ツインリンクもてぎで1泊し、横浜市の元町をゴール地点とする場合が多い。
上の3枚の写真は昨年の様子をLYNX☆さんに送っていただいたものなんですが、毎年2日目に白石から七ヶ宿を通るのですね。
公式ホームページはこちら(音楽が鳴ります)。
今年は誘われていたのですが、結局行かず。
事後承諾承認で、LYNX☆さんのブログ「山猫の棲家Ⅱ」から画像を借用です。
宮城の自然の中を、いにしえの車がのんびり走り抜けていく雰囲気が良いですね。
なんと毎度コメントをいただいているkazuさんから、ゴールの写真も送ってもらえました。
東儀さんですね。
このレース、金持ちの道楽なんですが、交通遺児を援助するチャリティという一面もあるんです。
それで私もプチ参加。
ステッカーとネクタイをおとりよせです。チャリティグッズ販売はこちら。
来年は是非見に行きたいものですね。
Category: 電脳生活
おとりよせ31
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風写の黙示録BBS
掲示板、画像も投稿可能です。
久しぶりというか、ブログを移行して初めてのおとりよせネタ。
前のブログの、おとりよせはこちらをどうぞ。
amazonからです。
品数が豊富で、送料も安く、納期も早いので最近は会社で使うものもamazon経由が増えてきました。でももっと地元のお店で買い物しないとね。
昨日到着といえばこれしかありませんね。
前の日に着いちゃったらしい、従妹のKANOKOに報告は先を越されてしまいました。
宮城より栃木のほうが有利だったのかな。
新しモン好きな従兄妹どうし。
どちらも数量限定優待パッケージです。
フロッピーだったWindows3.1から、95、98、ME、2000、XP、Vistaともうずいぶんマイクロソフトに貢いできたものです。
VistaからはメディアもDVDになり、パッケージも小さめになりましたね。
現在使用しているマシンにインストールするか、その前に組み上げた予備機で試しに使うか、悩みどころです。
Category: 空花鳥風月雲
空を見上げて
でかいクレーン車が入っています。
そうでした、SDのSNGの運用が終了。基地局の撤去が今週なのでした。
衛星のトラポンがまた空く事になりました。
昨日もいろいろあった一日ですが、イーグルスファンにとっては疲れる夜でした。
福盛!! 空を見上げても、駄目だ。
天はみずから助くるものを助くのだぞ。
そして今朝。
4時半に目が覚めたので、とりあえずベランダへ。
室内用の中近メガネを、遠近メガネに掛け替え空を眺めます。
冬の大三角形と、オリオン座は確認できますが、さすがに流星は見えません。
一番最近買ったデジカメはISO6400まで感度が上がるので、手持ち撮影してみましたが、映るもんですね。
F3.5、1/4秒、無補正です。縦方向に若干手振れしていますね。
一番明るいシリウスと、左上のプロキオン、その右のペテルギウスが美しい正三角形を描いています。ペテルギウスと同じオリオン座のリゲルも含め、全て一等星です。三つ星は二等星。航空機のトライスターの語源ですか。
プロキオンをはずして、シリウスとオリオン座に寄ってみました。
F4、1/10秒で、フォトショップでコントラストとレベルを補正したもの。
肉眼(実際は遠近両用メガネ経由だけど)では、はっきりと赤く見えるペテルギウスが白くなってしまいましたが、手持ちでこんな簡単に星が撮影できるなんて、カメラは進化しているんですね。
次回はしっかり三脚を使って撮ってみることにしましょう。
夜が明けて来ました。
星を見た後の夜明け、五島プラネタリウムのエンディングを想い出すのは私だけでしょうか。
ここで訂正、私はずっとPで始まるペテルギウスだと信じていたのですが、ウイキペディアによるとBで始まるベテルギウスのようです。知らなかった。
Category: Car & Bike
クラシックヒストリックアンティーク
仙台の市民広場にも毎年桜が咲くころに会場いっぱいのクラシックカーが集結します。
今年のミーティング 昨年のミーティング 一昨年のミーティング
それぞれクリックすればそのときの記事にジャンプします。並べて展示するだけでなく、菅生のサーキットで走行会もあるんです。
昔の車は、クラシックカーとか、ヒストリックカー、旧車とかQ車とも呼ばれるようですが、それぞれ何らかの定義があるのでしょうね。
アンティークというのは100年以上前の骨董品という意味ですが、そろそろアンティークカーも見られるようになってくるのでしょう。
LYNX☆さんから写真を送ってもらったのですが、先日石巻で開かれたミーティングでは、私が大好きなルノーアルピーヌA110が来ていました。
1973年に初代WRCチャンピオンに輝いた車なんです。
私も2台持っています。
ノーマル車と、ラリーヴァージョン。
1/16モデルなので、乗れないんですけど。
ポルシェやビートルと同じリアエンジン車です。
Category: 美味いもん
エクステリアも台湾風?
びーえむあいさんのブログ、「んまいもん!inみちのく」を読んで、あわてて此処に行ってきました。
台湾屋台「香菜Shyantsai」 台湾伝来名物支那麵と酒楼、とありますね。
ど派手ですが、これが台湾標準なのでしょうか。
歩いて行けるところにあって、超時々行くんですが、この週末は開店16周年記念、麺類半額セール。食堂でセールって言うかな。
15人ぐらいしか入れないお店なんですが、親方シェフと若手がもうひとり、お姐さん2人の4人でてんてこ舞いしてました。
ハナちゃんは上戸彩似。
留学生にも好評という、元祖台湾風だそうです。
ものすごい数のメニューがあって、しかもあっという間に出てくるのがすごい店なんですが、お奨めは壁に貼紙があって詳しい説明つき。
これらを読み始めるといつまでたっても注文できません。
そうそう、この日は麺類、麺類。
焼きそばは対象外なんです、注意注意と思っていたら、後で焼きそばを注文したあにぃは、親方に半額じゃないよと言われ、修正してました。
かと思ったら、となりの医学部で模試の最中の学生が飛び込んできて、満員の店内で「何分待ちですかぁー? 模試の最中なんですぅ」なんて言うもんだから、お姐さんたちがカウンターの端っこを片付けて開放してあげてましたね。
私が頼んだのはさっぱり系、蒸鶏そば750円÷2。
でっかい蒸し鶏をスライスしてからレンジでチン。
薬膳って言うのかな、さっぱりだけどこくがある塩味。美味いですよ。
香菜は入っていませんでした。残念。
軽くそばを一杯と言うよりは、じっくり食べるタイプの店だと思うのですが、この日は皆さん軽く行ってました。
ところでスワローズは、昨晩、花と散りました。インフルエンザ負け。
モダンカメラマンⅩⅧ
疾風の通り径での、手持ちのクラシックカメラの紹介は72回、オートフォーカスが登場する1985年あたりを境にそれ以降のカメラは、モダンカメラマンというシリーズで、17回記事にしています。
我が家のカメラは、かつての勢いこそ無い(置き場所が無い)ものの未だにじわじわ増殖しており、今後もこの新しいブログサイトで、引き続き紹介を続けることにします。
総合カメラINDEXはこちらです。
昨年、マイクロフォーサーズマウントが発表されて以来、このレンズマウントこそが、レンズ交換式デジカメの主流になるかもしれない、理想のシステムに近いのではないか、熱く語ってきました。
最初のμフォーサーズ、 オリンパスからも出るか? ついに登場EP-1
使いやすいカメラの大きさと、センサーサイズというのは、手持ちで撮影できる程好いヴォリュームと、必要十分な画質のトレードオフ。
フィルムを使用するカメラでは、長い間にさまざまなサイズが試されたわけですが、結局35mmが生き残ったわけです。
デジタル一眼レフカメラの世界は、主にレンズの遺産をフィルム時代から引き継いでおり、広角撮影がメインのカメラマンは、小さいセンサーのカメラに移行するためには、新たにレンズを買い揃えなければならないという、問題があるんですね。
レンズは機械的、電気的に互換性を持たせられるのですが、大きなセンサー用のカメラを、小さなセンサーを持つカメラに装着すると、1.5倍から2倍の望遠寄りになってしまうし、その逆では、四隅が蹴られたりするんです。
つまり光学的に完全互換ではないのです。
上下の図でもわかると思うのですが、実際のセンサーサイズを比較すると、35mmフルサイズと、コンデジの1/2.5インチの間にはかなりの開きがあることがわかります。
センサーの性能、特に感度を上げるには、面積が大きな方が良いのですが、ご存知のように35mmフルサイズのカメラは高価、恐らくセンサーの原価が全体の半分前後になっていると思われます。
一方20倍とか30倍の固定ズームレンズが搭載されているアマチュア用のカメラが、1/2.5インチのセンサーを使用していることからわかるように、倍率という点では、センサーが小さいほうが、高倍率のレンズが作れるわけです。
それでトレードオフバランスが一番良いのが、フォーサーズかAPS-C程度のサイズではないかといわれているんですね。
さらにマイクロフォーサーズは、一眼レフ用のプリズムファインダー系を使用しない前提で、フランジバックを従来の半分に縮めた規格。
コンパクトで高性能なレンズが作れるはずなんです。
それで、もちろん入手してしまったわけ。
Panasonic LUMIX DMC-G1です。
今は動画も撮れるGH1という機種にモデルチェンジしているのですが、私のG1は、GH1には無いブルーボディ。
Panasonicの社風なのかもしれませんが、世界初のマイクロフォーサーズのカメラだというのに、まるで光学式ファインダーを持ってる一眼レフスタイルなんですね。潔くない。歴史を作ろうという意気込みも無い。
ファインダーののぞき窓の右側にセンサーがついていて、顔が近づくと、自動的に液晶モニターから表示がファインダーに切り替わるのが、このカメラならではの一番。
ファインダーの切れも文句無く、初めてこれを見たときには、もう光学ファインダーは要らなくなるかもとさえ思いました。
液晶モニターはフリーアングルなので、自分撮り(しないけど)にも使えます。
質感はコンパクトカメラ並みで、持つ喜びはあまり感じられませんが、とても使いやすいカメラなんです。
大きさというと、
標準的な一眼レフサイズともいえる、Pentax K10よりはふたまわり小さい感じ。
Leica M3と較べても、一回り小さいかな、厚いけど。
強いて同じくらいのサイズのカメラを探すと、
Leitz minolta CLか、Contax G1が近いようです。
撮像素子、つまりセンサーは、通常露光しています。
光学ファインダーがありませんから、液晶モニターで表示するにしても、ファインダーで見るにしても、常にライブビュー動作。
つまりセンサーは、常時絵をモニターかファインダーに表示するために動作していて、シャッターを押すと一旦フォーカルプレーンシャッターが閉まり、再び撮影のためにシャッターが開くのですね。
なので、シャッターを押すと一旦モニターとファインダーは、1秒ほどブラックアウト、その後撮れた画像を2-3秒ほど表示して元に戻ります。この画像レビューはオフすることも出来ました。
この方が使いやすいように思います。
あとはこの二回開閉を繰り返すシャッター音が実に安っぽいです。何とかして欲しい。電子音じゃ困るけど。
そしてこのカメラシステムの最大の遊びどころ。
フランジバックが短い規格なので、原理的にはこれまでのほとんどのレンズマウント用のアダプターが作れるんです。
いろいろと入手してしまいました。 病膏肓。
まずは、Leica Mマウント用。
Mマウントのフランジバックは27.8mm。マイクロフォーサーズは20mmなので、7.8mm下駄を履かせることになります。
続いて、Nikon Fマウント。FBは46.5mmです。
そして、FB=45.46mmのPentax Kマウント。
さらに、FB=47.0mmのLeica Rマウントです。
異種レンズを装着する場合、もちろんオートフォーカスや絞りの制御は働きませんが、"A"モード、絞り優先オートで使用することが出来ます。
食欲とスポーツの.........秋
イーグルス、野村監督解任の話は、島田社長と一緒に仕組んだ大きな嘘ではないか、と思わせるほどの効果を生んで、仙台は大きく盛り上がっています。
選手たちの集中力も、監督を胴上げするという目的に向かって高まっていて、横綱相撲で二連勝。ホークスをまさに蹴散らしました。
ダルビッシュを欠いたファイターズとの日本シリーズ出場チーム決定戦は、ファイターズに一ゲームのアドヴァンテージがあるにもかかわらず、イーグルス優勢を伝える論評が多いようです。
今年のパリーグは、結局関東関西のチームが全てBクラス。
プロ野球にとっては新天地であった札幌と仙台のチームが雌雄を決する戦いに臨む事で、まだまだ日本の野球も捨てた物ではない、メジャーリーグに負けない魅力があるということを感じているところです。
そしてスワローズ。
とても横綱相撲が出来る戦力ではありませんが、チームを何とかAクラス入りさせた投手力が戻ってきました。あとは外人の一発頼みと思ったら、昨日はそのとおりの展開で、ドラゴンズに辛勝です。
この二十年ほど、球界を代表する名打者だった、野村克也、落合博満、若松勉が創り上げてきた両チームは本当によく似ていて、ジャイアンツやタイガースに対抗するチームの理想的なスタイルを追い続けています。
そして、イーグルスやファイターズも、同類。
世界一になったWBCの日本チームもそうでした。
イーグルスが二連勝で札幌行きを決めてしまったのは、仙台の野球ファンにとっては贅沢な、ある意味残念な出来事で、今日の第三戦は試合がなくなってしまいました。
しかしスワロースは今日も名古屋で大手戦。
一生懸命応援しているチームが二つもある私は幸せです。
でもまさか、日本シリーズで、まさかね。まさかですよね。
そんな大盛り上がりの週末。
そっと職場を離れ、私はクラブの合宿へ。
会社からだと車で45分ほどで、仙台の奥座敷、秋保温泉に行けるんですね。
あまりにも近いので、忘年会や歓送迎会を平日に行って、翌日出勤というスタイルも、仙台に来て始めて見聞しました。
時間の関係で、温泉に入る前に夕食。
宴会部屋には、テレビが無いとのことだったので、ワンセグテレビを持ち込みましたが、映らず、岩隈の熱投を見ることは出来ませんでした。
秋保温泉。あきう、と読むのですが、ウィキペディアによると、
開湯時期は不明だが、古墳時代にはすでに存在したとする説も存在する。秋保温泉が歴史に登場するのは、第29代欽明天皇の代である。在位中(531年~539年)に小瘡(皮膚病)に感染し、八方手を尽くして治療を行ったが一向に治らなかったが、秋保温泉の湯を搬送させ沐浴したところ数日で全快したとされ、天皇はその喜びを歌に詠んだ。
“覚束な雲の上まで見てしかな鳥のみゆけば跡はかもなし”(な鳥のみゆ=名取の御湯)
以後、秋保温泉は皇室の御料温泉の一つとして位置づけられ「御湯」の称号を賜り、別所温泉(信濃御湯)、野沢温泉(犬養御湯)(あるいはいわき湯本温泉(三函御湯))と共に「日本三御湯」と称せられるようになった。「名取の御湯」は、「拾遺集」「大和物語」などにも歌われている。御湯であるが、日本三古湯(有馬・道後・白浜)ではない。
平安時代から戦国時代にかけて、秋保温泉の「湯守役」を勤めていたのが佐藤家である。伊達政宗の仙台入府後、秋保温泉に藩主の御殿湯が整備されたが、この管理も佐藤家に任せられた(現在のホテル佐勘の祖)。
江戸時代初期までは、秋保温泉の源泉は一つで入浴場も一箇所のみであった。この入浴場の周りに宿泊所が設けられていた。当初、この宿泊所も佐藤家だけが管理していたが、1625年(寛永2年)に岩沼屋が、また元禄年間には水戸屋が、佐藤家と縁を結ぶ形で旅籠を開設する。武家はもちろん庶民の利用も活発となり、広く親しまれる湯治場の一つとして賑わうようになった。
大正時代に入ると秋保温泉と長町との間に、秋保石の採掘運搬を目的とした馬車軌道が開通した。しかし、所要時間は約2時間20分であり、徒歩での所要時間と大差なかった。その後、秋保石材軌道、秋保電気鉄道へと発展し、所要時間は約1時間に短縮された。さらに、長町駅では国鉄東北本線や仙台市電と接続し、戦後にかけ湯治客の輸送に大きく寄与した(鉄道は1961年(昭和36年)に廃止されている)。
というわけで、この日のお宿は「ニュー水戸屋」
広くて綺麗で立派な温泉旅館です。
食事は刺し盛その他、撮り忘れたものはありますが、肉も多いし満足です。
温泉は仄かな塩素臭が気になりますが、適温の湯。何度も入るうちに肌がぬるぬるしてきます。
結局夕食後、起きがけ、朝食後にのんびり温泉を楽しむことが出来ました。
朝食はバイキング。
しかし、この合宿は、温泉倶楽部ではありません。
名取川に沿って少し山形方面に上がります。
紅葉が始まった河原に、芋煮会場なんかもある「木の家」というアウトドア施設があるのですが、
ちょっとぼろいけど、テニスコートがあるのでした。
私は一応テニス部員。
昨年はウェルサンピア仙台という厚生年金施設を使用したのですが、そこが昨今のごたごたで閉鎖。
今回はこちらで練習なのでした。
OBの皆さんも含め、7人で3時間練習。
年間のイベントはこの合宿と、部員の歓送会しかなかったりする倶楽部ですが、もっと練習しなきゃね。
昼飯は会場内のお蕎麦屋さん。
天ぷら定食をいただいてお開きでした。
次回も此処でやるなら、大滝のほうまで足を伸ばした方が良いかも。
帰宅してマー君を応援しました。