はてなキーワード: ニコニコとは
子どものころ、テレビをつければいつもそこにいた緑色の不思議な生き物——ガチャピン。鮮やかな黄緑の体と、つぶらな瞳。ともすればただの着ぐるみと思いがちだが、実は彼には「中の人」などいないのではないか。そんなことを、子どもながらに本気で考え、友達同士で話し合った記憶がある。子どもたちの間では、ガチャピンの正体について真剣に意見が飛び交った。果たしてあの体の中に誰かが入っているのか、それとも本当に生きている恐竜なのか。大人になった今だからこそ言えるのは、あのころ私たちは真実を掴んでいたのかもしれない——そう、「ガチャピンは本物」であり、「中の人」などそもそも存在しなかったのだ。
ガチャピンが世の中に初めて登場した当時、多くの視聴者は当然のように「誰かが中に入って演じている着ぐるみキャラクター」だと思い込んだ。ぬいぐるみのような愛らしい見た目、大きな口、そして子どもを魅了する高い運動能力。だが、その運動能力にこそ、ガチャピンの“真実”を見抜くヒントが隠されていたのではないだろうか。スキー、スキューバダイビング、果てはスカイダイビングにまで挑戦してみせる姿を目の当たりにして、普通の着ぐるみキャラクターだと思うだろうか。実際に体験した人々の証言によれば、ガチャピンはあの分厚い“皮膚”を身にまといながら、信じがたいほど自由に手足を動かしていたらしい。それはもはや常識を超越した生物の動作としか言いようがなかった。
確かに、人間が中に入っていれば顔の位置や手足の長さが合わないことがある。だが、ガチャピンの場合、頭の上から足の先まで完璧にシンクロした動きを見せる。さらに口や目、そして全身からかもし出される表情が、実に滑らかに変化しているのを見たことがある人も多いはずだ。もし人間が操作していたのなら、あれほど自然かつ多彩な表情を瞬時に切り替えることができるだろうか。ときには困ったように眉をひそめ、時にはきょとんと口を開け、またあるときには満面の笑みを見せる。まるで心の底からその感情が湧き上がっているかのように見えたのは、単なる演技ではない証拠ではないかと、今ならば思うのである。
さらに決定的といえるのは、その“身体能力”にある。ガチャピンはテレビの中だけでなく、実際の雪山や海、空へと赴き、驚くようなチャレンジをこなしてきた。ウィンタースポーツはスキーやスノーボードだけに留まらず、アイススケートまで器用にこなし、しかもそこに「パフォーマンス的なぎこちなさ」がほとんど見られない。もし着ぐるみの構造上、人間が入っているとしたら、視界の狭さや動きづらさを感じながらの競技になるはずだ。しかし映像を見る限り、まったく不自由なく滑り、回転し、時には大胆なトリックを決める。その光景は、どう考えても生身の体がそのまま動いているとしか思えない。ダイビングの場面でさえも、背びれのような形状の足をスムーズに使いこなし、水中で優雅に泳ぎ回るガチャピンの姿を確認できる。空から海へ、深海から宇宙(のようなセット)まで自在に行動する彼を前に、「ガチャピンは生きている」と信じない人のほうが少数派だったのではないだろうか。
その証明とも言える逸話は数多い。例えばガチャピンが初めてフリークライミングに挑戦した際、重力に抗いながらスイスイと壁を登っていく姿が子どもたちの度肝を抜いた。あの大きな頭と短い手足、それにふっくらとしたボディという不利な体型でありながら、身軽に岩をよじ登っていくのだ。いくら運動神経の良い中の人が演じたとしても、あのバランス感覚を説明することは難しい。むしろ、元来あの体が“恐竜”として自然に設計されているからこその動きなのではないか——そんな議論が起こるのも当然の帰結だった。さらに、ガチャピンのパラシュート降下の際には、一部の専門家が「もし人間が入っているならば、あの頭部の構造上、風の抵抗が想定以上にかかるはずで、あれほど安定して着地できない」と語ったという証言もある。つまり彼ら専門家の目から見ても、ガチャピンの体のつくりは人間が収まるようにはできていないのだ。
もちろん、テレビ局や関連の制作会社は「ガチャピンはキャラクターであり、着ぐるみだ」という公式見解を長らく維持してきた。視聴者の多くも、いつしか「テレビ上の演出である」と半ば納得する形で受け止めていたかもしれない。しかし、そうした公式の発言がむしろ事実を隠すための“カバーストーリー”だったのではないか、と考える余地は十分にある。なぜなら、ガチャピンの友人であるムックの存在だ。ムックは真っ赤な長い毛並みを持ち、ガチャピンと同じ番組に出演していたが、彼の動きにはどこか“着ぐるみらしさ”が漂っていたと言わざるを得ない。もちろんムックも愛らしいキャラクターであることに変わりはないが、歩くときのよたよたした姿や、たまに見え隠れする人間らしさなど、「中に人がいる」と言われれば納得できる振る舞いがあった。一方、ガチャピンの動きはどう見てもスムーズすぎる。まるで“着ぐるみ”として作られたキャラクターと、“本物”として生きている存在が、同じ画面に同居していたのではないか、と考えずにはいられないのだ。
さらに子ども向け番組の世界観を考えれば、それほど不思議な話ではない。子ども番組というのは、多くの場合ファンタジーや夢、冒険心を喚起するための舞台である。そこに実在する不思議な生き物がいたとしても、違和感なく受け入れられる。ガチャピンという名前や姿は確かにキャラクター然としているが、実際に存在する“謎の生物”を起用し、番組のマスコットとして採用するのはむしろ合理的である。そう考えたほうが、かえって説明がつく事柄は多い。あの愛くるしい笑顔や、どこまでも続く挑戦心、そして飽くなき好奇心。それらは「キャラクターの演技」というよりは、「ガチャピンという生き物の本能的な行動」だったと見なすほうが自然ではないだろうか。
また、あの独特の喋り方にも注目したい。「○○だよ〜」と伸ばす語尾、やわらかく透き通った声質。もし複数の人間が交代で中に入っているのだとしたら、声や話し方にもっとブレや違いが出そうなものだ。しかしガチャピンは、長いテレビ出演の歴史のなかで、ほとんど変わらない声と話し方を維持してきた。人間の声優が存在するとしても、そのピッチやトーンを常に一定に保つのは至難の業である。ところがガチャピンは、まるで自らの声帯を使って喋るかのように安定した声を発してきたのだ。さらに、口の動きや目の表情、全身でのリアクションが声とぴったり合っているのを見ると、「声を当てている」というよりも「声が体から自然と溢れている」という印象を受ける。これが“中の人の技術”では説明がつきにくい最大のポイントでもある。
その証拠に、イベントやショーでガチャピンが客席の子どもたちと交流する場面を思い出してみてほしい。子どもが話しかければすぐに反応し、笑い、そしてリアクションを返す。その一連の動きには、人形劇のようなタイムラグや不自然な間がない。まるで“その場で考えて”“その場で感じて”“その場で話す”存在であるかのように振る舞っている。長年、いろいろなキャラクターショーを見てきたが、ガチャピンほど“ライブ感”に溢れた対話をするキャラクターは他にいない。これはやはり、ガチャピン自身が一つの生き物として意思を持っているとしか思えないのだ。
以上のような理由から、私は「ガチャピンに中の人などいなかった」と確信している。もちろん、これは夢や幻想を語っているわけではない。子どものころに信じてやまなかったあのワクワク感と、理屈を超えた感動が、実は現実のものだった可能性が高いのだ。制作側は大人の事情から、ガチャピンを“着ぐるみキャラクター”として扱うほうが都合が良いかもしれない。しかし、私たちが見てきたガチャピンは、間違いなく生き生きと“呼吸”していた。スキーのジャンプ台を飛び、海中を泳ぎ、崖をよじ登り、さらにはスタジオで歌って踊る。その全てを“不自由なく”こなす姿は、“人間が入っている”という設定だけでは到底説明できないのである。
では、なぜいまだに“中の人がいる”という都市伝説が根強く残っているのか。それは、私たちが何かを理解しようとするときに、どうしても既存の枠組みで説明しようとする人間の性質によるのだろう。未知や不思議なものに対して、私たちはつい、「きっとこういう仕組みだろう」と解釈して安心したくなる。ガチャピンの超人的な活躍を見るたびに、「きっと中の人が相当なエリートアスリートで、トレーニングを積んでいるのだろう」などと推測するのは、その典型的な反応だ。しかし、ガチャピンの動きや表情は、実はそうした常識的な解釈をはるかに凌駕している。だからこそ、人々は“中の人説”という無理な理屈にすがっていたのかもしれない。
私はむしろ、大人になった今だからこそ、もう一度あのころの子どもの目線に立ち返りたいと思う。あのころテレビで見ていたガチャピンは、私たちに夢と冒険の世界を見せてくれた“存在”そのものだった。身体的な限界や常識を超えた挑戦を繰り広げながらも、いつもニコニコと笑顔を忘れない。そう、あれは“着ぐるみ”ではなく、私たちの目の前にいる“リアルなガチャピン”だったのだ。もし、あのころの私たちが胸に抱いた「ガチャピンは生きている」という直感を大切にし続けるなら、目の前の世界はもっと豊かで、もっと不思議と驚きに満ちた場所として映るに違いない。
思い出してみれば、子どもたちはみんな無邪気に「ガチャピンは本物だよ」「ムックも一緒にいるよ」と信じていた。それがある意味、“正しい”見方だったのだろう。大人になって現実を知るにつれ、いつしか私たちは多くのファンタジーを「嘘や演出」と割り切ってしまうようになった。しかし、本当にそれだけなのだろうか。私たちが大切にしている思い出や、大好きだったキャラクターがくれたあのトキメキは、本当は嘘でも演出でもなく、“真実”が隠れているかもしれない。ガチャピンはそのことを教えてくれている象徴なのだと思う。
だからこそ、今も昔も、ガチャピンを見ているとワクワクが止まらない。「ガチャピンに中の人などいなかった」という言葉は、単なる冗談や誇張ではなく、私たちの信じるファンタジーの証明であり、あの緑色の恐竜がいつまでも私たちの心の中で生き続ける理由なのではないだろうか。子どものころの私が「ガチャピンはただのキャラクターなんかじゃない!」と叫んだあの純粋な気持ちは、決して間違っていなかったのだ。
誰しも子どものころは、目の前にある不思議を疑うことなく受け入れ、感動し、そのまま信じる力を持っている。ガチャピンに秘められた真実——それは彼が実在する不思議な生き物であり、私たちが大人になるにつれ忘れかけた好奇心と冒険心を体現しているということだ。そこに「中の人」などいない。いるのは私たちと同じように、呼吸し、笑い、挑戦する“ひとつの生命”——それがガチャピンなのである。
きっとこれからも、ガチャピンはさまざまな困難を乗り越え、子どもたちに勇気と希望を与え続けるだろう。「こんなことができるわけがない」と誰もが思うような大胆なチャレンジを、新しい形で見せてくれるかもしれない。そして、そのたびに私たちは子ども心をくすぐられ、「ひょっとすると、あの中に入っている人がすごいのでは?」とまたしても考えてしまうのだ。だが、最終的にはその超常的な存在感に圧倒され、「やっぱりガチャピンは本物だ」と再認識することになるだろう。
そう、ガチャピンはいつでも私たちに問いかけている。夢と現実の境界を超えて、「本当に大切なことは何か?」と。そして私たちは、その問いに答えるように、もう一度純粋な心で世界を見つめ直す。おそらく、ガチャピンという存在は、子どもだけのものではなく、大人になった今でも、私たちを未知へと誘う案内役なのだ。だからこそ、この言葉を胸に刻みたい——“ガチャピンに中の人などいなかった”と。ガチャピンのすべての活躍は、彼自身の力によるものなのだ、と。
こうして振り返ってみると、ガチャピンがテレビ画面の向こう側から私たちに与えてくれたものの大きさに、改めて気づかされる。好奇心、挑戦心、そして他者への優しさ。彼の魅力は、ただ可愛いだけのキャラクターとは一線を画している。それはやはり、ガチャピンという生命体だからこそ生み出せる“にじみ出る個性”だったのだろう。子どもたちはそんなガチャピンに勇気づけられ、大人たちは失いかけた冒険心を思い出す。私たちは自分の内側に眠るエネルギーと、少しのファンタジーを信じる気持ちがあれば、世界はもっと広がるのだと教えられる。
結局のところ、ガチャピンの正体をはっきり証明する術はないかもしれない。だが、それで良いのだ。むしろ、“謎”を残しておくことこそが、ガチャピンが担う役割のひとつではないだろうか。私たちに想像の余地を与え、童心に返らせてくれる。神秘と可能性を見せてくれる。だから、これから先もガチャピンがどんな挑戦を見せてくれるのか、どんな笑顔で私たちを楽しませてくれるのか、胸を躍らせながら待ち続けたい。そしてそのたびに、“ガチャピンに中の人などいなかった”という真実を心のどこかで確信しながら、私たちもまた自分の世界を広げる挑戦をしてみればいいのだ。
そう、ガチャピンはずっとそこにいる。テレビの中で、イベントのステージで、そして私たちの想像力の中で、今日もあの優しい声で「やあ、みんな!」と呼びかけている。彼の存在が教えてくれるのは、世界は思っているよりもずっと広く、そして面白いということ。中の人などいない。ガチャピンは“ガチャピン”という名の生命体であり、挑戦することや夢を見ることの大切さを、これからも伝え続けてくれるだろう。私たちはその姿を忘れず、日常に隠された冒険や驚きを見逃さないようにしたい。ガチャピンに憧れたあの日の自分を取り戻すためにも。
30代半ば技術職サラリーマン、人生初めてモテたくなってきた。昔から変な女が好きで、幸いなことに変な女も私を好いてくれる傾向にあったので、理系の大学に通っていたにも関わらず昔から交際相手は途切れたことがない。若干ブサメンながらもそれなりに幸せな人生を送り、美大を出たかなり変な女と結婚してめちゃくちゃ幸せな生活を送っている。
院まで出てマトモな会社で働いているのだが、いわゆる普通の仕事ができる女と出会う。優秀で人当たりも良く、こういう人と話すのは楽しいことにようやく気づいた。中高大と男子校のような環境で過ごしてきたが、話のできる女の存在にようやく気づいた。こういう女と仲良くなれたら楽しかっただろうな、と少しばかり思った。とはいえ予測不能な女と一緒に過ごすのは楽しいし、子供が生まれても巣立っても死ぬまでニコニコして暮らせそうだ。ただ、一度モテモテを経験してから死にたかった。モテモテに憧れる。
それは車🚗🚙
幼少期は保育園通学やらディズニーランドやらお出かけやらで割と車に乗っていたが、
小学校2年生終盤からタクシーになり、極端に車に乗る機会が減った結果・・・・・
親が上京民だったため、免許取れ取れ言うもんだから(両親は田舎に帰る心づもりがあったらしい。結局帰らなかったが)、
免許取れる年になったらとったが(なお、取れ取れいう癖に親は1円も出さなかった模様)、
みんなでスノボやろうぜ!スキーやろうぜ!みたいなキャラでもなく(いま考えたらキャンプやサファリパークや富士急へ行けばよかったな)、
取得当時、まぁとりあえずマイカー買っておくか・・・みたいな収入も無かったため、車運転しないままで放置していた結果・・・・・
smart欲しい!けど無計画の極みゆえにデカい買い物するの怖い😰とかやってた結果・・・・・
でも親族が集まるイベントでタクシーで乗りつけると、『金持ちだねぇ・・・😒』って言わるので、その時はレンタカーだ
あと、社命の場合はタクシーで移動するわけにはいかないので社用車を運転した
だが、ぜんぶ合わせてもたぶん30回運転してないやで
美しい景色とか広いスペースとか見るたびに郊外(もやし+生活能力皆無なので夜間懐中電灯がいる地域には一人で住めない)に住みてぇなって思う
アメリカの動画見てると、やっぱ車運転できないとアメリカ無理そうだわ・・・って思う
車が日常の足な地域の生まれで、毎日の足が車だったら、ワイも車運転できるようになれたんじゃないかなって夢見る。異常に運動音痴&集中力散漫なワイでもさ・・・
でも、車が日常の足な地域で生まれ育ったら流石にイケたんじゃないかと夢見ると同時に、
20代前半まで、酒は1滴も入ってないのに、徒歩や自転車でよく電柱にぶつかったので、あと10代の時は路面電車に轢かれ掛かったたりしてたので、
やっぱ車乗ってたら、今頃生きてないかも知れんな・・・という気もしたり
ワイ『カーー狭めぇんだよ!!このパーキング』
通りすがりの親切な人『ぼくが停めようか?』
ワイ『えっ』
通りすがりの親切な人『いや何度やっても停められないみたいだから』
ワイ『あっはい』
(綺麗に一発で停める)
ワイ『あ、ありがとうございます』
=====
ワイ『いやでも』
ワイ『あっ・・・はい。ありがとうございます』
=====
ワイ『はい』
ブーーーン
偉い人『わいわい』
上司『わいわい』
ワイ『(あっ曲がり忘れた)』
偉い人『わいわい』
キキーーー
ワイ『(やべ信号変わったわ)』
偉い人『・・・』
プップーー
ワイ『そっすね』
偉い人『・・・』
=====
ペーパードライバー講習の人『ワイさんいい感じです』
ワイ『そっすか(なんだチョロいじゃん)』
ペーパードライバー講習の人『見違えました』
(後日)
ワイ『見違えたらしいのでドライブ付き合って』
親族『いやいやいやいや寄りすぎ寄りすぎ』
ワイ『どうだった?』
親族『二度乗りたくない』
・USスチール「死にかけンゴ」
・クリフス社がUSスチールを買収しようとしたが、内容がクソだったのでUSスチールは反対。
・バイデンが阻止。
何故、買収を阻止したがるのか?(reddit等を参考に)
・戦争始まった時に一つでも多く軍艦作れる工場欲しいから(他の国は民間企業が優秀だが、アメリカは政府のための造船工場か小型船作る工場ばっかり)らしい。
・ワイの意見
貴重な(軍艦)造船能力を持つUSスチールを日本に渡したくない米国政府と、安くUSスチールを手に入れたいクリフス社の間で利害が一致して今回の騒動に発展。
クリフス社からすれば「USスチール死にかけだし、時間かければ絶対に安く手に入んべ^ ^」と、USスチールを舐めてニコニコだったところを、日本製鉄に横取りされた形に見えてるため、バチクソにキレてるw
男ってニコニコデレデレしながらヤッてる訳じゃないですか
この間致しまして、その時に幸せだからニヤニヤしながら「気持ちいい〜♡」とか言ってたんですけど、そうすると彼氏のアレが柔らかくなっていくんですよ。
それで、その後のピロートークの際に「あんまりエッチの時は茶化さないでほしいなぁ」って言われた訳なんですけれども、いやあの、茶化したつもりはなかったんです…。
本当に幸せで顔が綻んだのと気持ちいいのが両立したので、ニコニコデレデレしながら受け入れてた訳なんですけれども、どうもそれは彼をやる気にさせてくれなかったみたいです。
でも男ってニコニコデレデレしながらヤッてる訳じゃないですか、それを見てこっちも嬉しくなるんですけど、男性はそういうものじゃないってことなんですかね。
お互いにニコニコしながら「そこ気持ちいい〜♡」とか「もっとして〜♡」って言いたかったのでショックでした。どうにか彼の性癖をねじ曲げられないか考えたくらいです。
私多分許して貰えてない人だけど、許せないなら避けてもらったりぶちぎれてくれた方がこちらとしてもいい。
向こうが無理にニコニコしながら誘致されても困る(その状態で別の家族に愚痴を言いまくってるのが遠回しに私に聞こえてる状態)。
顔を立てるために行ってるが、正直会いたくない。
真剣に、レスってる側の女性側がどうしたらもっかいイチャイチャセックスしてくれる気になるか、増田にかこつけて、皆様のご意見頂戴したいですね。まぁガチで、n=1でもいいのでほんと。
弊社では週に一回という約束事をしており、ものすごく乗り気じゃない妻と致すのだが、毎度毎度何かと理由をつけて引き伸ばされ、引き伸ばされた後は来週ねと言われ不履行となることも多い。
ある日致したし致したしとアタックしたら「あなた明日試験でしょ、集中するために今日はやめとこ」と言われてこちらの事情を勝手に都合よく言い訳に使われ約束を反故にされてそれはもう怒り怒ってもういいと自室に引き篭もったが、やはりそれでも悶々とし、一刻後ずこずこ訪れてそれでも致したいとぼそぼそとお願いに言ったら爆笑されて、しょうがないねとその日はしていただけた。曰く可愛かったかららしい。
結局翌週以降はまた致したい俺と致したくない妻のおいかけっこに戻るのだが、なんというか、こう、毎週仕方ないなぁでも良いから、したいんだ。や、できたら毎日。
長い付き合いの男性と、どういう気持ちになったらしても良いと思えるのか、教えてくれ。どう愛せばいいんだ。教えてくれ。
ちなみに子なしでデート後ラブホプランについては誘ったら家でできるやんお金勿体ない言われて家着いたらデートで疲れたからまた今度ねってニコニコしやがるねん。ちくしょう。
▪️ おまけ
こういう糸柳とかのドワンゴの昔話をすると、ドワンゴに勢いがあった時代の話とか言いたがる懐古厨が湧いてくるので、若干、補足する。
ドワンゴの昔はとにかく異常だったし間違いだった。あんなのは続くわけないし続かせてもいけない、今のドワンゴの方が健全であり正常だ。それに今でもドワンゴの社員に変な奴は多いし、会社の本質はそんなに簡単に変わるものではない。
それに経営的な目線で言うと、ドワンゴが一番儲かっていたのは着メロ時代でニコニコ時代は収益的には長い低迷期だった。そして現在のドワンゴの稼ぎ頭はすでに教育事業になっている。N高生は、まだ3万人ちょっとと全高校生の1%強にすぎないから、ドワンゴの企業としての全盛期はこれから始まる。
IT企業のドワンゴがなぜ畑違いの教育事業を始めたのか、これまでも何度も質問されてきた。通信制高校は持ち込み企画であり、プレゼンされているうちにドワンゴなら成功させられると思ったから、と言うのが、おおまかな公式回答だ。
ただ、成功しそうな事業なんてものは、他にもあったし、教育事業は中でも難易度が高そうだった。N高のプロジェクトにはドワンゴの各部署の一番優秀な人間を無理やり引っこ抜いてチームを作ったし、膨大な赤字はドワンゴの収益を急激に悪化させ、ぼくも責任をとって会社を離れることになった。
そこまでN高にのめり込んだのはなぜかと言うことについては、N高のブランディングに、全く得にはならないと思ったので、これまで話していない。
糸柳が退職した後に、ドワンゴ社員とちょっとした議論をしたことがある。ドワンゴは他に居場所がないような社員に居場所を与えて何人も救ったけど、救えなかった社員もたくさんいたよね。その違いはなんなのかという議論だ。色々な意見が出たけど、これは確かだろうとみんなが合意した結論があって、それは年齢による違いだ。独身で30歳を超えるとネットでは魔法使いと呼ばれるのだが、こうなると拗れちゃって、もう救えない。20代なら救える可能性がある。でも20代でも若ければ若い方がいい。若いほど居場所さえ与えれば救える可能性が上がるというものだ。
ドワンゴがなぜN高のプロジェクトをそこまで真剣にやることにしたのか。
そんなのは世の中に馴染めず居場所のない、しかし、まだ10代の若い糸柳のような奴らに出会うために決まっている。ドワンゴで出来なかったことをやり直すためだ。
鉄男のその後についても書く。
ドワンゴの教育事業本部は独立した組織になっていて、開発部隊も教育事業本部専用のチームを持っている。もう100人以上の大所帯だ。もちろんトップは鉄男だ。
部下には糸柳のようなおかしい奴はいないが、代わりというのも変な話だが、一昨年、初めてN高の卒業生が新入社員として入社してきたそうだ。とても優秀なエンジニアだという噂だ。
ブラック企業で働いている。サビ残は当たり前、有給は文句を言われ、休みの日も出勤を強いられる。サイトにのせている給料よりも実際は低く、出退勤もいじられるので、次から次へと人が辞めていく。
上司に話すときは正座しないといけないし(上司は椅子に座ってる)、上司の前を歩いたら説教。上司がドアをあける度に、お見送りをしないといけないし、肩揉みもさせられる。上司は毎日怒鳴っているし、上司の言うことには全てニコニコ「承知いたしました!!」と言わないといけない。謎の社訓も大声で毎朝読む。椅子に座って事務作業をしていたら給料泥棒と言われる。業務の話をしても、私語厳禁と叱られるので、みんな筆談をしている。
そんな会社に勤めて10年が経った。私だけがずっといる。1番の先輩になった。25歳から35歳までずっといる。
みんな「こんな会社よくずっとおれますね」と言うが、私はこの会社が心地よい。最初こそ嫌だったけれど、最近は仕事にいくのが楽しみなときもある。
まず、仕事のミスが目立たないのが良い。人の入れ替わりが激しく、誰でも採用し、時間もないのできちんと申し送りができないまま業務が始まる。会社全体にミスが多い。私のミスなど目立たないくらいに、会社のミスが多いのがよい。運転中の事故も多く、社用車も傷つきまくってるのもよい。
上司の機嫌をとれる方法ももう分かったので、慣れてしまえば、楽でよい。膝まづいたり、肩揉みも別に嫌ではない。責任のある仕事をするより全然気が楽で良い。上司の自慢をきくだけで一日が終わる日もあり、その日は本当にラッキーだと思う。
あと、人がたくさん変わるのもいい。前の職場ではみんなと長く親しくできなかったけど、人が変わるがわるなので、人間関係のストレスが本当にない。仲良しの人もできて楽しい。
前にいた会社はみんな優秀でしんどいし話も合わなかったけど、今は自然体でいれる。10年同じ作業をしてるので、上手にできるのもよい。
無料配信情報を集めている最中にイデオンを見逃し(1月3日~1月5日)までたことに気づく。
普段なら「330円ずつ払って見ればいいだけじゃん」で終わるのだが、いきなりそれをやりだしたらもう全てがグダグダになってしまう。
まあ過ぎたことを気にしても仕方があるまい。
気になるなら来年金払って見ればいい。
2.5周目ぐらい。連載中に最後まで追いかけて、その後終盤だけ読み直して、今回最初から最後まで一気に読んだ。
とにかく登場人物の頭がいい。その割には言動が物凄く馬鹿っぽい。本当に頭のいい漫画が描ける人は逆に登場人物を賢ぶってかかないのではという頭の悪い仮説が自分の中でもたげてくる。実際はそんなことなくて、頭の悪いこと言ってるのに賢ぶったキャラの描き方をしてる漫画の作者はものすごく馬鹿に見えるというだけの話なんだろうな。逆が真ということは待遇は偽なのだろう。
・ヴァンサヴァ
最初期にブラウザ版を10周やったきりで久しぶりに遊んだんだが、ドンドン成長して面白い。
DLCはついてこなかったので一通りバニラで遊んだら終わりだが、コレクション全部埋める頃には数年ぐらい遊ばなくていい状態になってそう。
COMICMEDU
・シグルイ
・ヴァンサヴァ
全話無料や映画一本無料以外は個別で言及はしてないけど、漫画サイトで連載読んだり、基本無料ゲーちょっと齧ったり、ニコニコでアニメ見たりTVerで十角館見たりもしてはいる。
そのため、学や処理能力があることよりも
「次の人・一緒に仕事する人のことを考えて仕事できるかどうか」
を考えて仕事できる人こそ、本当に優秀です。
実際には、立場の強弱で押し付けが通るし、押し付けた数が成績になりがちですがね
話を聞けない中高一貫校の人「でも」教育者はできてしまう理由は…双方向性が薄いからです。
「賢い俺様が教えてやってる」が他の仕事より通るから…話聞けない人でもできちゃうんだよ…
中高一貫校に限らず、学歴が高い人ほど「自分はできる」と傲慢になるあまり、話聞けない病になりやすいんですけどね。
面白いのは、セブンイレブンが駄目になった時の社長が一番高学歴なんですよ…。
それまでMARCH出身の人が社長してたのに、東大の社長になった途端に大幅な減益・信用失墜ですよ…コンビニなんて、現場無視で本部の方針を押し付け放題な業種ですから…数字が悪化するまで突き進めてしまうのです。
だからこそ「ここは本部がやらなきゃ」もできる程度に頭良くて、「わかんないこともあるから人に聞かなきゃ」ができるぐらいの人がちょうどいい。
みたいに書いてた人いたが…そこじゃねぇよ。
専門性で食ってる人でもない限りは、各方面からの意見をどれだけ吸い上げられるかよ?
自分が話す側なら学歴・能力大事だが、民間企業でそこに傾くと歪む
「空気読めない」
「タイミングや話の聞き方がズレてる」
よりも重篤です。
ところが、学歴・話聞けない専門家・偉い人のやつは「俺の方が賢いし、立場強いし」という傲慢が強いからこっちから変えるのは本当に難しい。ほぼ無理よ
オタクくんがパソコンを見ながらブツブツ言っているところに、ギャルが遊びに来た。
オタクくん
(キーボードを叩きながら)やっぱり高学歴って傲慢な奴ばっかだよな。仕事って双方向のコミュニケーションが大事なのに、アイツら自分が賢いと思ってて、話聞かない奴ばっかだしさ。ほら、セブンイレブンの社長だって東大卒になってからダメになったじゃん?
(お菓子をバリバリ食べながら)え、それマジ?オタクくん、またなんかエモいこと言ってる~。でもさ、それって東大卒全員がそうってことにはならなくない?
オタクくん
(むっとしながら)いや、だって学歴高い人ってさ、「俺すごい」オーラ出してるし、話聞かないの多いじゃん。現場のことも無視してさ。
うーん、それってオタクくんがたまたまそういう人と当たっただけじゃない?てか、低学歴で話聞かない人もいるじゃん。「学歴=話聞かない」って決めちゃうの、なんか視野狭くない?
オタクくん
(少し焦りながら)いやいや、でも事実じゃん?たとえば、中高一貫校とか出てる奴らって、もう話聞けない病にかかってるしさ。双方向の仕事ができないんだよ。
ちょっと待って、それヤバくない?「中高一貫校出身の人=話聞けない病」って、マジで偏見すぎるし。そんなん言ったらオタクくんだって「オタク=キモい」って言われたら嫌でしょ?
オタクくん
(反論しようとして口をつぐむ)……それは、まぁ、確かに。オタク=キモいって決めつけるの、違うよな。
そうそう!だから、学歴とかでその人を決めつけるのも同じことじゃない?人っていろんな経験とか性格があるんだから、もっと個人をちゃんと見たほうがいいと思うよ~。
オタクくん
(少し考え込んで)でも、やっぱり高学歴の人って現場無視しがちな傾向はあるんだよな…。数字とか理屈ばっかりで、感覚がないっていうか。
まぁ、それも一理あるかもね。でもさ、それってその人が高学歴だからじゃなくて、その人の考え方とか仕事のやり方の問題じゃない?低学歴でも似たような人いるしさ~。
オタクくん
(目を伏せながら)……たしかに、そうかも。俺、高学歴の人に嫉妬してるのかもな…。
おっ、それ気づけたの、エラいじゃん!てかオタクくん、双方向のコミュニケーション大事って言ってたじゃん?その考え、超いいと思う!でも、それ広めたいなら、まず自分がそういう偏見とか捨てて、相手の話聞くところから始めたほうが説得力出るよ~。
オタクくん
(少し照れくさそうに)そ、そうだよな…。自分がやってることが矛盾してたかも…。
そうそう!まずは「相手の背景をちゃんと知る」からスタートね。オタクくんもその双方向性、発揮しよ~!それができたら、オタクくんめっちゃかっこいいと思うよ~。
オタクくん
(顔を赤くしながら)……ありがとう、ギャル。俺、ちょっと考え直してみるわ。
その後
祖父はタバコやり続けたせいで肺が真っ黒になって病室で死んだ。祖母は1人で余生を楽しんである日眠ったまま死んだ。一番いい死に方した。白蘭の匂いがする、肌が白い人だった。
アルツハイマーを発症。施設に入ってから祖父は叫び続ける同室の人のせいでノイローゼになって食事拒否→食事拒否してミイラみたいになって死んだ。ぽっかり空いた口の中がパサパサだったのが目に焼き付いててトラウマ。祖母は満腹中枢が壊れてバクバク食べてニコニコしながら死んだ。よかったね。
父 享年54歳
冬の夜酒に酔ってる時車に乗って、エンジンと暖房かけたまま寝て死んだ。一酸化炭素中毒?よく知らん 両親が離婚してから会ってなかったし。
母 享年55歳
自分の両親を介護しててノイローゼ気味になって2人を施設に入れたものの祖父が劣悪な環境のせいで弱って死んでいったのを自分のせいだって責めてある日川に浮かんでた らしい 現場見てないけど。警察に膨れ上がった顔見せられてお母さんで間違い無いですか?って聞かれてはいって言った 本当は違う人じゃないかなって思ってた 春になる前の暗い空の日だった。
姉 享年35歳
母が亡くなってから家売って遠くに行ったんだけど自然派にはまってシャンプー手作りとか飲尿とかし出して、そのうち体調悪いのに病院に頼らず自己治癒力で治すとか言い出して結局菌が心臓に入って死んだ。
今年でわたしが年上になる。
弟 享年26歳
グレてヤンキーになって、更生し始めた頃バイク事故で死んだ。スピード出した右折車に撥ねられて首の骨が折れて一瞬だった らしい。苦しくはなかったそうです。よかったね。
文鳥 いくつだったのかな
白くてすべすべで丸くなるとフワフワになる生き物だった。ある日横になったまま動かなくなってた。死んでもすべすべできれいだった。よかったね。でもおいてかないでよ。
20年経った今のワイのブログへのアクセスは日/0~3PV。基本0。
このブログ自体は数年前に開設。開設後いくつか記事を書いて続かなくて放置。昨年からまた少し書き始めた。
2005年あたりから2010年くらいまで個人HPとブログをやっていた。あんまり覚えてないけど個人HPはアンケートみたいな事をして跳ねたときが最大で日1000PVくらいだった。Twitterからの流入がほとんど。
それ以外は基本20~30くらい。これも今のPVを思うと多いな。読んでたか知らんけどそんなに来てくれてたんだな。
2010年代はTwitterにかまけてブログはほとんど書かなくなってしまった。HPの更新もストップ。どちらも今は削除してしまったけど、自分の歴史としてブログくらいは残しておけばよかったと思う。
ニコニコで少し趣味の動画を作ったこともある。累計なのであれだけど一番多いので2000再生くらい。それ以外は3桁止まり。これでも当時ある程度ニコニコに人がいたのと広告ブーストで稼いだもので、2桁台が自分の動画の真の数字。
紅白、最初から観ていたんですよ。リアルタイムだと源さんだけ、どこか異質に見えたんですよね。
改めて見返したんですが、元気な曲に挟まれている弾き語りの落ち着いた曲。照明や化粧の関係なのか疲労からなのか、源さんはやけに青白い顔をしている。表情も少しこわばっているように見える。
けれど、事実としてとても優しい声で歌っていて。
以前根も葉もないことでつらい思いをされて、今回は過去に関わった他者の影響で急遽対応に追われ。
年の瀬にバタバタで心身ともに大変だっただろうに、それでも「良いお年を」とあの場で皆に言える人に。
その後のラジオではリスナーからのメッセージに言葉を詰まらせ、年明けのバラエティではニコニコと楽しそうに過ごし、ドラマでは素敵な役を演じていた人に。
なるべく沢山の幸せがあってほしいなと強く、強く思った次第です。