はてなキーワード: デビューとは
カルーセル麻紀さんが芸能界デビュー前に務めていたクラブの名前「カルーゼル」からとっています。
「Carrousel(カルーゼル)」とは、フランス語で「(くるくる回って)次々に現れること、騎馬パレード」という意味があるそうですが、
本の著者が「新刊出ます」と言ったとき、それはその著者にとって二冊目以降なのだろう、と読み取る自分のクセがある
しかし単に「新刊」と言ったときそれは「新しく刊行した本」だろう、普通に著者にとって一冊目の本かもしれない
しかし、おそらく同人誌即売会で「新刊あります」と言ったときのニュアンスを考えると「(既刊ではない、この即売会で初出の)新刊があります」という意味を読み取るのも妥当だろう、とも思う
いや、どうだろうな……初参加サークルの人が「新刊あります」と言うのかな
普通に言っているのかも、私が知らないだけで
だとすると「二冊目以降」というニュアンスは私だけが勝手に感じ取っていた独自解釈ということになる
同人誌ではなく商業でデビュー作を出す人が「新刊出ます」と言うかなあ、言っているのかもなあ
短期集中的に調べるほどでもない、SNSでたまに流れてくる著者による刊行情報の投稿を眺めることで長期的に観測していくか
このように文章にまとめて書くことで脳の片隅に置いておく
おわり
首都圏も同じ流れなんだな。知らなかった。
別に何じんでもよくね?
【挑戦】インドネシア国籍のバス運転士 デビューを目指し奮闘【News Linkオンライン】
https://www.youtube.com/watch?v=UHY1VPAAhdw
2030年には3.6万人不足、都心でも進む「バス減便」に打ち出す「外国人人材」の育成【Nスタ解説】|TBS NEWS DIG
https://www.youtube.com/watch?v=7ba7FX4PHTA
2030年にはバスの運転手に国籍つけてたらキリがなくなるんだろうな。
今まで女性車掌とか珍しかったからメディアに取り上げられてたけど
https://www.youtube.com/watch?v=Te7fNzLeckY
ーー
自民党の最新方針(2026時点)「移民政策」はとらない: いわゆる「移民」の受け入れは推進しない方針を維持しています。受入上限の厳格化: 「特定技能」や新制度(育成就労制度)において、業界ごとの受入上限(見込み数)を厳格に設定し、不必要な増加を抑える方針です。
ーー
--
外国から必要とされて日本に来て働いているのに文句を言われて場合によっては差別されるのはおかしい。
日本社会に統合されることが目的のベトナムから来た人に対して「お前は外の国の人間だ!!」っていうのはどうかと思う。
今後多数の移民を受け入れてもいつまでも日本社会の外の人間という枠に入れられて分断が発生すると予想する。
いい加減「外国人」とか「○○人」という言葉を利用するのはやめるべきでは。
役所で使うなら手続き上区別が必要なんだろうけどバスの運転手を国籍で区別する必要はないだろう。
ーー
「ベトナム人だから、○○人だから不安」的なというコメントがあったが、これもベトナム人とタイトルに書いてあるから不安を煽ったのか!?
逮捕のマイクロバス運転手 なじみの飲食店で事故3日前「免許返納しようと」 2カ月前から数回事故 前日夜には飲酒か 磐越道21人死傷
https://news.yahoo.co.jp/articles/541de319feefe35d56ce8ae620c93283ef50dc64
日本で今までバスの運転で事故が一度も起きていないかというとそうではない。
必ず例に挙がるリゼロの作者
当人はなろう出身でなく普通に商業レーベルデビューが最初だったのでなろう作家とは出自が違うことを突っ込まれたらなろう信者は発狂する模様
鷹宮という女(め)がいる
2018年デビューなのでもうそろ9年目だ。一応まだ高校2年のテイでやっている。
そういう体でそういう衣装も多いので割とギャル扱いされることが多かったが、一貫してギャルではないと言い続けてきた
オタクはどんな衣装でもすぐギャル呼ばわりをし、鷹宮はどんな衣装の時もコレはギャルではないと言い続けてきた
今思えば東京都港区育ちの女なのでギャルの生き様にシンパシーを感じないのだろう
貫き通したのは立派だと思う
この界隈、どこかでハイハイギャルギャルってなってもおかしくなかった。
いや「いわゆるオタク認識ギャルっぽい」衣装をあえて出したことはあったが、あくまでギャル風で自認は違うと言い続けた。
鷹宮は折れなかった。
すごいと思う。
鷹宮はオタク自認も薄い女であった。
ソードアート・オンラインのキリトガチ勢夢女で、冗談でもアスナの名を出したらブロックされることもあったが、自認を広げることはなかった
自分が何者であるかは自分で決めて、ラベルを纏うのを好まなかったフシがある。
エロいイラストも普通に見ており、ニジエの本人アカウントもある。
「批判が無くなるとダメになる」「批評が無いと成長しなくなる」みたいな話、みんな好きだけど(anond:20260421182930 これとか)
プロ(編集者、同業者、プロの批評家)ならまだしも、一般の消費者の批判・批評がそこまで重要な意味をもつと思うのは、ちょっと流石に思い上がりじゃないかな?
「大衆」がどうの、「流行」がどうのと言うけど、君たちがそもそも「大衆」の一部でしょ(流石に「自分は大衆とは違うんだ、特別なんだ」みたいな自意識は中学生で卒業していると思いたい)
で、大抵の創作物は作る際にまずターゲットを想定するんだよ、そのターゲット層の感想や批判なら参考にする事は有るけど、君たちは本当にその作品のターゲットなの?
ターゲットの方を見ず、ターゲット外の批判や批評を気にして作品を曲げるのは基本的にやっちゃいけない事だよ
「誰かが批判して、それを作者が受け入れ、作品を改善する」という単純なストーリーを好んでいる人が多いようだけど、
それが成立するためにはまずその批判が適切で的を得ている必要がある、でも、そんな批判、批評、本当に出来てるつもりなの?
そもそも「正しい批判」「正しい批評」なんてあるのかな? それはどのようにして定義され、何によって基礎づけられる? ……みたいなこと考えたことある?
「誰かが批判して、それを作者が受け入れ、作品を改善する」という単純なストーリーを好む人ほど、実はそこまで深く考えたことが無いし、批判・批評に対するメタ意識が無かったりするんだよね(だからこそ単純化しすぎたストーリーを無邪気に信じられる、という話でもある)
あと実作者としての目線で言うと、そもそも作品制作のプロセスで「批判・批評」を参考にする工程が入る事ってやっぱりあんまり無いんだよね
例えば新人賞を取ってデビューする新人の作品って、そもそも君たちの目に入る前に完成してるよね。つまりその時点で批評・批判による改善のはいる余地は無いし、
つまり初心者からプロとしてデビューできるレベルまでに至る過程に君たちの批判・批評が入る余地はないわけだ
で、デビュー後にしても、正直あまりプロ以外の「批判・批評」を参考にする工程が入る事はあまりない、編集者の言う事は聞くし参考にするよ? でもそれはプロの意見だからだよね(勿論ここは人によるけど)
また、そもそも人気作であればあるほど、感想・批評は多くなる。例えば1000の感想・批評がある場合、あなたの感想・批評は全体の1/1000という事になるんだけど、これは意識できてるかな?
創作の経験がない人にありがちな誤解だけど、プラスしかない「改善」なんてほぼあり得ないし、作品にある要素を付け加える「だけ」ということはほぼ無いんだよ
あるものを加えることはあるものを捨てることになる。ただ要素を増やすだけでも「要素が多い」というのがマイナスに作用する事は多いから実質上そこでは何かを捨ててる
つまりあなたの考える「こうしたらいいのに」って改善案にも何かしらのデメリットはあるし、それを選ばない理由もあるかもしれない、ということ
では何を基準にどう「改善」するか選べばいいのか? その指針のひとつが「ターゲット」だ
その作品は誰に向けたものなのか? 誰にどう思って欲しい作品なのか? そこが重要な基準になる。だからこそ「ターゲット」を踏まえない非プロの意見はそのままでは利用できないんだよ
そもそも、君たちは君たちの批判・批評が作品にどの位影響し、作品の何%くらいを占めることになると思う? 滅茶苦茶大雑把でいいから具体的に考えてみて欲しい
自分の実感としては1%くらいじゃないかなぁ? と思う。もちろんこれは人によるし、もっと多い作者も居ると思う
で、改めて考えて欲しいんだけど、「批判が無くなるとダメになる」「批評が無いと成長しなくなる」みたいなのって、これ何%を想定してるの?
どう考えても1%とか5%の寄与率の話じゃないよね? その程度の寄与率で「ダメになる」「成長しなくなる」はいくらなんでも大袈裟すぎだよ
かといって寄与率が50%とか考えてるとしたら、まぁ思い上がり過ぎだってのは今までの話で分かるよね
要するにこういう物言いは、自分達の批判・批評の作品に対する寄与率を具体的に考えたことがないから言えるんだよ
まとめると、君たちが「批判が無くなるとダメになる」「批評が無いと成長しなくなる」みたいな事を何でいえるかって言うと、
よく考えず、雰囲気で口当たりのいい言葉、自分にとって気持ちのいい言葉、自分に都合のいい言葉(大衆、流行、媚び、数(という他者の矮小化とそれによる自己の特別化)、等々)に耽溺しているから言えることなんだよ
作品のターゲットや、批判・批評に対するメタ視点、具体的な「創作」や「改善」のプロセス、全体の中の割合、具体的な寄与率、そして「あなたは特別ではない」という現実などを考えていればぶつかるはずの壁にぶつかったことがないから言えてるんだよ
ま、もしそれでも「批判を受け入れて、改善する」というプロセスを信じたいなら、
まずはこの文章を受け入れて自分を「改善」してみたらいいんじゃないかな?
(ちなみに蛇足だけど、プロの批判・批評は参考にすると書いたけど、プロの批評家の場合は微妙な場合もあるね。というのはプロの批評家の批評というのはそれ自体一つの作品であり、そこには作為や色々な「工夫」が含まれてたりするからね。
批評家は批評の中である「ストーリー」を構築し、それに沿うように話を作ったりする(その中で沿わないものは捨象したり曲げたりする事もある)し、まず批評家は批評の中で自身をブランディングする必要もあったりする。
そういう訳で意外と「批評」というのは純粋な「批評」ではないし、それらを踏まえた上である程度距離をとって加工して受け止める必要があったりする)
「1970年代の少女マンガはどれも皆恐ろしくレベルが高くて、当時の少年誌青年誌のマンガがみんな子供っぽく見えた」とり・みき先生のポストに漫画家や読者から共感の声
https://togetter.com/li/2688253
タイトル通り。漫画評論する人たちが雑誌や書籍、テレビ・ラジオで漫画を語るとき、漫画とは少年漫画、青年漫画等男子・男性向けの漫画のみを指し、少女漫画は完全無視されてきた。あるいは現在もほぼ無視。
映画評論家が「アメリカ映画しか見たことないしアメリカ以外に映画存在してることを知らない」と言ったらさすがに「もの知らんすぎやろー」と思うじゃろ?マジでそんな感じでお偉い先生が「漫画話」をする時は少女漫画は完全スルーじゃった。今もじゃ。
よく「面白い漫画100選」とかやってる人いるけど少女漫画が1本も入ってないことはよくある。
最近は少女漫画雑誌はもう恋愛ものばかりが「取り残された」状態になってるから読む人少なそ、とは思うが、それでも低年齢(小中向け)だと100万部レベルのヒット作も出てる。
この4月に終わったらしい「ハニーレモンソーダ」なんて1600万部売れてっからな。漫画評論やってる人は誰も言及しないけど。
最後に少女漫画界の動向こんな感じじゃね、という体感書いとく。
「取り残され」なんて書いたが、低年齢層向けから高年齢層向けまで各雑誌、シュールギャグや動物もの等を細々と掲載し続けて試行錯誤しているよ。売上落ちてて、漫画評論界隈から完全無視されても。でもコミックス1600万部売れる作品出せてたらもうそれでもええかもな。
それから、高年齢層向けの少女(?)漫画雑誌だと昔みたいに色々載ってるね。FlowersやWingsは昔の少女漫画雑誌っぽさがある。
ごちゃまぜ時代。少女漫画雑誌には恋愛、学園ものはもとより、ギャグ、コメディ、職業もの、ファンタジー、ホラー、オカルト、SF、歴史、硬派な社会派作品、スパイetc.ありとあらゆるジャンルがあった。
少年・青年漫画雑誌の女性読者が増え(読んでいる人は昔から大勢いたが)、少女漫画家が少年・青年誌に進出し始める。ジャンルは恋愛もの以外で。
読者の方も、恋愛もの以外が読みたい人は少年・青年漫画を選ぶようになってきた。少女漫画雑誌に恋愛ものばかりが「取り残され」るようになった。
女性漫画家でも最初から少年誌・青年誌でデビューする人が増えてくる。
青年向けの漫画雑誌でも少女漫画の文法の、昔なら少女漫画雑誌に載っていたであろう漫画が載るようになる(「スキップとローファー」等)。少女漫画雑誌はほぼ女性しか買わないが、青年漫画雑誌だと男女ともに読者がいるので読者数、売上的にもそちらの方が良い。漫画評論家先生の目にも入ることですし。
ありえないだろ、マジで。
「そういう気分だった」「どうせVtuberだから画面に載らないし」「ちょっとやってみたくて」
俺が真顔で「ちょっと家族から電話来たからミュートするね」って言えたからよかったものの、少しでもエロい声でも出してみろよ。
間違いなく切り抜きが作られるわ、「配信中にパートナーと前戯したVtuber」呼ばわりされるわで2度とまともな配信者人生歩めなくなるだろ。
イケメン系でやってんだから急にそんな方向転換できるわけないし、転生(アバターと名前を変えて再デビュー)をしても昨今のVtuberは声や特徴からすぐに過去の活動歴を掘られてしまい、過去に何が起きたかなんてのは即バレる。
こんな重大インシデント抱えて生活できるわけがないので、当然別れを告げて同棲も解消。
泣かれたけど、泣きたいのはこっちだっつの。好きな人が俺の人生壊しかけたなんて信じたくねえよ。
次はやらないでね、で済む話かもしれないけど「Vtuberだし映らないから〜」は看過できなかった。
世界にその名をある意味轟かせたpayokuは、文章構成力が著しく欠如していることがよく見受けられる
彼らの作るハッシュタグを見たことがある人の大半はこう思ったはずだ
そもそもハッシュタグとは「分かりやすく目に付く」ことで効果を発揮するもので、ただ#をつけてその後にダラダラと長文を披露するのは、いつものお気持ち表明と大差がない
つまり、彼らは他人の言葉に頼らなければ文を紡ぐことも出来ないと自白しているようなものである
そのような烏合の衆を世間が両腕を広げて歓迎すると思っているのだろうか?
『君たちの思想が正しい、こちらが間違っていた』と本気で言うと思っているのだろうか?
本気でそう思っているとしたら頭が悪いが、そう思っていないのならその思想とやらは彼らにとって金になる程度のものであろう
『平和を願い国家権力に抗っている輝かしい自分』が好きなだけである
本当に平和を願っているわけではない、むしろ本当の平和が訪れたら自分が目立たなくなるから困るとすら思っているかもしれない