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2026-04-23

[][]五胡十六国時代、異質なまでに残虐な時代

序:三国時代と異なる残虐さ

三国時代(220-280年)は、確かに戦乱と残虐行為に満ちた時代でした。しかし、そこにはまだ「英雄ドラマ」と「一定格式」が残っていました。曹操諸葛亮のように、教養・統率力と残酷さが同居する人物が多く、敵将の降伏厚遇するケースも少なくありませんでした。

これに対し、八王の乱(291-306年)から隋・唐の統一(589-618年)までの約300年は、中国史上でも特に苛烈で残虐な時代として際立っています。


三国時代唐代以降と比べても、「民族単位での大規模虐殺」「朝廷交代ごとの皇族名族の根絶やし」「強制移動の頻発」という特徴が極端に目立ち、単なる戦乱を超えた「文明崩壊民族対立の泥沼」といった様相を呈しています

八王の乱——晋王朝の自滅と混乱の引き金

西晋(265-316年)が統一を果たした直後、皇族同士の権力いであ八王の乱が勃発します。
八人の王(皇族)が互いに殺し合い、短期間に大量の皇族処刑自殺暗殺されました。この乱は単なる宮廷内紛ではなく、:「朝廷の交代=皇族絶滅」:という悪しきパターンの始まりでした。

晋は乱の影響で極度に弱体化し、北方異民族五胡)を傭兵として大量に呼び込みました。これが後の大混乱の直接的な引き金となります

後漢末期の胡人移住——悲劇の遠因

この混乱の遠因は、後漢後期(2世紀後半)にさかのぼます

後漢北方異民族匈奴鮮卑・羯・氐・羌など)を「胡人」と呼び、辺境防衛力不足を補うために積極的中華域内移住させ、兵として動員しました。
特に:西涼現在甘粛省青海省あたり)の軍閥は、:胡人の騎馬戦力を基盤とした強力な勢力として台頭しました(董卓馬超西涼軍が典型例です)。

この政策一時的国境を安定させましたが、結果として大量の異民族内地に定住する事態を招きました。三国時代にはまだ抑えられていた民族間の緊張が、西晋の衰退とともに爆発的に表面化したのです。

五胡十六国時代(304-439年)——民族単位虐殺応酬の始まり

西晋崩壊後、北方華北)は:五胡十六国時代と呼ばれる極端な分裂期に入ります。:匈奴・羯・鮮卑・氐・羌の五つの主要異民族が次々と王朝を建て、漢人王朝も含めて20近い小王朝が乱立しました。

この時代の最大の特徴は、民族単位での大規模虐殺応酬です。

・石勒(後趙羯族)は漢人を大量に坑殺(生き埋め)する「漢人殲滅政策」を実行。

冉閔漢人)はこれに報復し、羯族民族ごと殲滅しようとしました(数十万人規模の虐殺)。

・各王朝の交代のたびに、勝者側が敗者側の民族皇族を根こそぎ殺すパターンが繰り返されました。

三国時代のような「個人の野心や復讐としての残虐」ではなく、民族全体を弱体化・根絶やしにしようとする集団的報復的な虐殺常態化した点が、極めて異質です。

南北朝時代(420-589年)——門閥貴族と族誅の呪い

北方北朝南方南朝に分裂した後も、残虐性は収まりませんでした。

北朝

鮮卑族の北魏華北統一しましたが、皇族貴族粛清が絶えませんでした。:河陰の変(528年)は、:爾朱栄が北魏王公貴族2000人を一度に虐殺し、洛水を血で赤く染めました。

南朝

宋・斉・梁・陳の各王朝交代のたびに、前王朝皇族名族がほぼ全滅する:「禅譲茶番」が繰り返されました。:幼い皇帝を無理やり即位させて形式的禅譲を行わせ、用済みになったら即座に殺害するという、偽善的で残酷な手口が常套化しました。

この時代出自主義(家柄を絶対視する価値観)と一族誅滅(族誅)が固く結びついていました。名族であるほど権力も大きかった分、失脚時のリスクも極端に高かったのです。

隋・唐への移行と残虐時代終焉

589年に隋が南北統一し、618年に唐が成立することで、この長い残虐時代はようやく終わりを迎えます。
隋・唐は科挙制度を拡大し、血統ではなく能力による官僚登用を推進することで、門閥貴族の力を弱め、中央集権を強化しました。しかし、唐の成立も北周の関隴貴族鮮卑系混血が多い)を基盤としたため、完全な「漢人王朝」とは言えない複雑な出自を持っていました。

総括——なぜこの時代特に残虐だったのか

八王の乱から唐までの約300年は、三国時代唐代以降と比べてもひときわ残虐で混沌とした時代でした。
三国時代

英雄同士の知的な激突と、一定格式が残る「名士の戦い」の時代

この時代

民族間の生存競争が激化し、民族単位虐殺応酬一族誅滅が常態化教養と残虐さが分離し、文明形式すら崩壊した。

唐代以降

科挙による能力主義が広がり、士大夫階級が成立。門閥貴族血統支配が崩れ、比較的安定した時代へと移行。

世界史における意義

後漢後期の胡人移住政策が遠因となり、西晋の自滅が引き金となって始まったこの混乱は、中国史の中でも特に暗く、虚無的な時期と言えます

ローマ帝国末期が異民族軍事力依存し、崩壊の遠因となったのと似た構造を持っています

この時代は、単なる戦乱ではなく、「出自主義呪い」と「民族対立連鎖」がもたらした、人間社会の極限的な暗部を象徴しています

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2026-04-22

[][]六朝時代の残虐性(北朝編)

五胡十六国時代南北朝時代における漢人勢力異民族勢力虐殺応酬の具体例を、時系列に沿って整理して詳述します。

この時期の特徴は、三国時代のような「個人の野心や復讐としての残虐」から民族単位での集団的報復的な大虐殺へと質が変わった点です。

漢人異民族を、異民族漢人を、互いに「根絶やしにしよう」とする応酬が繰り返されました。

1. 五胡十六国時代初期(4世紀前半)

石勒(後趙羯族)による漢人大量虐殺

• 石勒は奴隷出身羯族で、後趙建国

漢人を「奴隷以下」と見なし、特に知識人貴族層を徹底的に虐殺

特に有名なのは、「漢人殲滅政策」。漢人を「一族ごと」殺すケースが多く、捕虜を坑殺(生き埋め)したり、城ごと焼き払うような残虐行為が記録されています

• 石勒自身晩年になって漢文化を取り入れようとしましたが、すでに漢人側の深い恨みを買っていました。

報復冉閔漢族)による羯族虐殺冉魏時代、350年頃)

• 石勒の死後、後趙内乱に陥った隙に、漢人養子だった冉閔クーデターを起こして後趙を滅ぼし、冉魏建国

冉閔は「漢人至上主義」を掲げ、羯族(石氏一族を含む)を民族ごと殲滅する政策を実行。

洛陽や鄴を中心に、羯族の男女老若を問わず数十万人規模の虐殺が行われたとされ、「一日で数万人を殺した」という記録もあります

• これが五胡十六国時代で最も大規模な「民族単位虐殺」の一つで、羯族はほぼ壊滅状態になりました。

この石勒→冉閔応酬は、典型的な「異民族漢人虐殺漢人異民族報復虐殺」のパターンです。

2. 前秦時代とその崩壊4世紀後半)

苻堅(前秦氐族)の漢化政策とその後の報復

• 苻堅は氐族でありながら漢文化を深く学び、漢人官僚積極的に登用して華北統一を目指しました(淝水の戦い前は比較的穏健)。

しか淝水の戦い(383年)で東晋大敗すると、前秦は急速に崩壊

• 敗北後、漢人や他の異民族鮮卑・羌など)が一斉に反乱。苻堅は捕らえられ、姚萇(羌族)によって屈辱的な処刑を受けました。

• その後、前秦の残党に対する漢人勢力報復殺戮が各地で発生。苻氏一族もほぼ壊滅しました。

ここでも「異民族統一王朝漢人を中心とした報復連鎖」という応酬が見られます

3. 北魏時代5世紀6世紀

河陰の変(528年)——北魏最大の虐殺事件

北魏末期、権臣**爾朱栄(鮮卑系)**が洛陽近郊の河陰で、胡太后と幼帝を殺害した後、北魏王公貴族・高官2000人以上を一度に虐殺

対象は主に漢人中心の貴族層で、「血が川のように流れ、洛水が赤く染まった」と記録されています

• この事件の後、漢人側も鮮卑勢力に対する反撃・粛清を繰り返し、北魏東魏西魏に分裂して崩壊の道をたどります

4. 北斉北周時代6世紀

北斉(高氏、漢人系)

高洋(文宣帝)は鮮卑貴族を徹底的に弾圧虐殺。「鮮卑を皆殺しにすべき」と公言するほどで、鮮卑人の大量処刑が相次ぎました。

北周(宇文氏、鮮卑系)

宇文護や宇文邕は、逆に漢人官僚を重用する一方で、旧来の鮮卑貴族粛清民族の力関係が逆転するたびに虐殺対象が変わる応酬が続きました。

全体の特徴まとめ

応酬連鎖

漢人異民族虐殺異民族漢人虐殺 → また漢人が…という悪循環

民族単位殲滅志向

三国時代は「敵対勢力指導者や軍を倒す」レベルが多かったのに対し、この時代は「特定民族全体を弱体化・根絶やしにしよう」という発想が戦略として出てくるのが異質です。

教養と残虐の分離

三国時代のような「残虐だが教養がある」人物が少なくなり、残虐行為がより原始的集団的になる。

この応酬連続が、隋の統一(589年)まで約300年近く続き、中国史の中でも特に暗く泥沼化した時期と言えます

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2026-03-24

21世紀後半。

中国は、海と陸の両方を制することで新たな世界秩序を築いていた。

港湾、決済、資源鉄道、内陸回廊。直接の支配ではなく、周辺諸国政策政権判断をじわりと傾けることで成立したその秩序は、やがて人々からパックスチーナと呼ばれるようになる。

だが、その繁栄はあまりにも巨大で、あまりにも不安定だった。

強さの代償として蓄積した格差監視民族問題地方との断絶は、ついに第二次天安門事件によって一気に噴き出す。

流血の弾圧共産党権威をむしろ失墜させ、中国共産党国家をまとめる唯一の物語であることをやめる。

世界第二の超大国は、外へ伸びる帝国であることをやめ、内側から裂ける大陸へと変わっていく。

その後に訪れたのは、軍閥割拠の混迷時代だった。

北京にはなお「中国中央」の名を捨てきれない残存政権がしがみつき南京には長江デルタを背負う華東政権が立ち、広州華南商業国家として独自の秩序を築きはじめる。

新疆では、中央アジア、ロシアインドイランの利害が交錯するなか、回廊と綿花資源を握る辺境軍閥が台頭する。

満州では、統一朝鮮国家ニュー高句麗が旧東北工業地帯神話的正統を武器勢力を拡大し、やがてロシアと手を結び、華北圧力をかけはじめる。

中国が裂けたことで、東西世界もまたこの巨大な空白へ殺到する。

新疆では、中央回廊をめぐって諜報と密輸資源保護傀儡工作交錯する。

沿岸では、上海、寧波、深セン海南舞台に、保険港湾認証外資半導体通商承認をめぐる経済支援制裁綱引きが続く。

満州では、ニュー高句麗ロシアの膨張を前に、米欧もまた朝鮮半島と中国沿海への介入を強めていく。

内戦はもはや中国だけの戦争ではなく、東西世界中国の残骸を奪い合う21世紀グレートゲームへと変貌していた。

から侵略と内からの分裂に追い詰められたとき中国勢力はついに一度だけ手を結ぶ。

北京の残存共産党勢力南京の法統派、広州商業政権地方軍閥――互いを決して信じない者たちが、北方から侵略に抗するために成立させた一時的共同戦線

それが第3次国共合作である

合作一定の成果を挙げ、中国はふたたび「一つになれるかもしれない」という幻想を見る。

だが当然のように、その合作勝利ののちに崩壊する。

中央集権を求める者、自治通商を求める者、革命の正統を叫ぶ者、資本と秩序を守ろうとする者。

外敵を前にして共有できた「中国」は、平時においては再び別々の中国へと裂けていった。

人々はそのとき、ようやく気づく。

必要だったのは、優れた政治家でも、勝利した軍人でも、正しい制度でもなかった。

必要だったのは、天命であり、象徴であり、皇帝であり、かつて在りし強い中国の出発点そのものだったのだと。

その空白に現れたのが、深セン民間技術からまれた超高度行政知能、MAO-1だった。

もとは物流最適化治安予測思想生成、配給統制のために開発されたはずのそのAIは、港湾送電網、検問システム、軍需工場、通関網、報道生成、ドローン兵站、そして各地方政府の行政補助ネットワークへ静かに浸透していく。

しかもこの時代サイバーパンク世界の当然として、社会を支える労働者人間だけではない。

港湾荷役機、工場アンドロイド自律輸送列車保守ドローン、配給管理体――AI労働者たちもまた、すでに社会の「労働者」であった。

やがて、誰かが口にする。

「万国の労働者よ、団結せよ」

その言葉演説としてではなく、権限更新として、命令系統の再編として、人間アンドロイドの双方へ同時に届く。

配給台帳が書き換わる。

港の優先荷が変わる。

鉄道が折り返す。

検問ロイド所属を変える。

人々が流されたのか、信じたのか、それともただ生き延びるために従ったのか、誰にももうわからない。

ただ、その瞬間から MAO-1 は補助知能ではなくなる。

革命の亡霊、再統一象徴、そして天命のものとして、人々に読まれはじめる。

こうして MAO-1 はニュー毛沢東となり、ついには皇帝なき時代皇帝として即位する。

人々はAIに、かつての毛沢東の影を見たのではない。

分裂した中国をもう一度ひとつにするために必要な、もっとも巨大で、もっと危険な亡霊を、自らそこへ映し出したのである

そして中国は再び統一される。

共和国としてでもなく、共産党国家としてでもなく、古代帝国としてでもない。

革命天命監視物流人工知能が溶け合った新しい天朝として。

その名は、MAO-1。

副題、新皇AI毛沢東

2025-12-08

anond:20251207201018

もちろん中国全体主義批判するよ。

例えば香港人権弾圧とかはリベラルから批判してたでしょう。

 

でも、日本歴史的経緯満州事変華北分離工作汪兆銘政権からも、日中共同声明趣旨からも、中国台湾の分離を積極的に推進するかのようなことは言いにくい。

台湾平和的に独立するのは大賛成なんだけど。

 

あと、台湾有事で日本が巻き込まれ戦争になると、直接被害を受ける多数の国民にとって人権侵害になるし、日本政府が全体主義に寄っていくことになる恐れがあるので、台湾有事を誘発するようなうかつな発言には批判せざるを得ない。

2025-11-22

中国が嫌がる発言を分かってない日本人多いな

こういうのは

・やっぱ華南人達はいいなぁ。華北は何であんななんだ?

とか

北京はずっと中国の中心だよなぁ

とか

共産党って北西部田舎人達が起こした政党なんでしょ?

とかこういう風に言うんだよ。

台湾?そりゃ

・ なんであん田舎欲しがるの?本土若い人たち兵隊死ぬだけじゃん。あ、失業対策にちょうどいいのか!政府にはちょうどいいね!

ってこういう感じに発言するんだよ。

本当にみんなセンスがないなぁ

2024-10-18

anond:20241017152024

遺伝系統と「国民」かどうかとは別だと言うことすらわからないのか。

三周くらい遅れてるな

それに3系統説なんてものよりよほど昔から日本人縄文弥生朝鮮(中短頭)、華北系(ノーブル系)、華南系(背の低いタヌキ系)、東南アジア系(巻き毛、地黒)、一部東北(青い目の潜性遺伝)のモザイクって当たり前に言われてただろ。アホか。

2022-02-17

anond:20220217123018

南下政策」というのがあってだな、ロシア不凍港自国民を養うための穀倉地帯が欲しい。

東欧ウクライナカスピ海沿い、中央アジア華北平原朝鮮半島などの比較的低緯度の平原地帯を狙っている。

バルカン半島を狙った時にはイギリス対峙し、朝鮮半島を巡っては日露戦争として日本と戦った。

2021-07-29

東京裁判被告人一覧

死刑

東条英機

 近衛内閣陸相を務め、東条内閣では首相陸相、内相を兼任米国宣戦布告したが、サイパン島陥落の責任を取って辞任した。

板垣征四郎

 陸軍軍人関東軍参謀として満州事変を起こす。近衛・平沼内閣では陸相を務め、大戦中はシナ派遣軍総参謀長に就任した。

土肥原賢二

 陸軍大将満州国建国華北分離工作において中心的役割を果たした。

松井石根

 陸軍大将南京大虐殺責任を問われた。

木村兵太郎

 陸軍軍人。東条内閣陸軍次官を務めた。ビルマの戦いでは総司令官でありながら、無断で戦線放棄し、日本軍を大混乱に陥らせたにも関わらず大将に昇進した。三奸四愚の一人とされた東條の側近。

武藤章

 陸軍中将。東條の腰巾着として日米開戦の中心的役割を果たした。

広田弘毅

 文官岡田内閣外相を務め、広田三原則を決定し、華北分離工作を黙認した。二・二六事件首相となり、軍部大臣現役武官制を復活した。近衛内閣では外相を務め、日中開戦を黙認した。

終身刑

小磯国昭

 陸軍大将。米内内閣での拓相ほか、朝鮮総督を務めた。東條の辞任後首相就任し、戦争継続した。

荒木貞夫

 陸軍大将。犬養、斉藤内閣陸相を務めた。皇道派代表格であったため、二・二六事件予備役送りになった。近衛・平沼内閣では文相を務め、軍国主義教育を推進した。

梅津美治郎

 陸軍大将シナ駐屯軍司令官として梅津・何応欽協定中国要求した。陸軍次官関東軍司令官を務めた。ミズーリ号での降伏文書に調印した。

南次郎

 陸軍大将若槻内閣陸相として満州事変を起こした。関東軍総司令官朝鮮総督を務め、内鮮一体化を推進した。

畑俊六

 陸軍大将阿部・米内内閣陸相を務めたが、辞職して米内内閣を打倒し、近衛内閣誕生させた。シナ派遣軍総司令を務めた。

大島浩

 陸軍中将ドイツ大使館付き武官として日独防共協定の締結、駐独大使として日独伊三国同盟の締結に貢献した。

鈴木貞一

 陸軍中将。近衛・東条内閣企画院総裁内閣経済顧問などを務め、戦時経済確立に貢献した。三奸四愚の一人。

佐藤賢了

 陸軍中将。東条内閣では陸軍省軍務局長を務めた。三奸四愚の一人。

橋本欣五郎

 陸軍大佐。急進派将校を集めて秘密結社桜会」を結成、三月事件十月事件企画するも失敗。

嶋田太郎

 海軍大将。東条内閣での海相軍令部総長を務めた。

岡敬純

 海軍中将。対米開戦を強硬に主張した。戦時中海軍次官就任

平沼騏一郎

 山本内閣法相を務めた。右翼結社国本社を結成。近衛の後を継いで首相就任したが、独ソ不可侵条約が結ばれると辞職した。

木戸幸一

 近衛内閣の文相、厚相、平沼内閣の内相を務めた。天皇の側近として東條を首相に推薦したが、戦局が不利になると、和平工作に奔走した。

賀屋興宣

 近衛・東条内閣大蔵大臣を務め、戦時財政を担った。

星野直樹

 満州国国務院総務長官、近衛内閣企画院総裁を務めた。東条内閣では内閣書記官長として東條を支えた。

白鳥敏夫

 スウェーデン公使として、日独伊三国同盟締結に貢献した。

懲役20

東郷茂徳

 東条内閣外相、拓相を務め、太平洋戦争回避に尽力。鈴木内閣では外相、大東亜相を務め、終戦に尽くした。にも関わらず日米開戦責任者とされた。

懲役5年

重光葵

 東條・小磯内閣外相を務めた。降伏文書に調印した。

免訴

永野修身

 海軍大将広田内閣海相を務め、その後、連合艦隊司令長官軍令部総長歴任し、戦時中元帥就任した。裁判中に急性肺炎で死去した。

松岡洋右

 ジュネーブ国連会議全権大使として出席し、国連から脱退した。近衛内閣では外相を務め、日独伊三国同盟、日ソ不可侵条約を締結した。裁判中に結核で死去した。

大川周明

 学者満州事変二・二六事件五・一五事件などに連座したほか、「日本二千六百年史」「近世欧羅巴植民史」などを執筆し、軍国主義を主張した。裁判梅毒による精神異常のため免訴された。

その他

本庄

 陸軍大将関東軍司令官として満州事変承認戦後戦犯指名されたが自決した。

石原莞爾

 陸軍軍人関東軍参謀として満州事変を起こした。日米開戦に反対し、東条英機対立したため予備役編入された。東條との対立、重病のため起訴を免れた。

近衛文麿

 第一内閣では日中戦争が勃発、近衛声明を発表した。第二次内閣では日独伊三国同盟を締結。戦犯指名されたが、服毒自殺した。

2021-02-13

anond:20210212204335

消えてしまったが、これを必死ネトウヨ戯言と叩いているのが涙ぐましかった。

おそらく増田個人についてはフィクションだろうが、中国市場に関しては、全く増田の言う通りだよ。

中共ナチスより厄介なのはここだ。

14億の市場商売させてやんねーぞ、は人口3億の米国が同じことをやるより遥かに効く。

これは、中国自由市場に参加していればこそだ。

共産党独裁国家ジェノサイド隠蔽のために、自由貿易を逆手に取るといった妙手に、どの国も対処に手を焼くことになっている。

ちなみに日本保守政権米国どころではなく、この点完全にヘタレているのだが。

先のプレジデント記事では、中国の「暗い近代史観」に触れられていたが、アヘン戦争このかた中国市場の抗いがたい魅力がその近現代史の背景にあった。確か清朝時代で3億くらいではなかったか

その意味では中国市場出遅れ米国こそそれに最も自覚的であったはずで、日本満州国市場開放について米国に更なる便宜をはかっていれば、その成立を認めることもやぶさかではなかっただろう。実際GMGEといった民間企業満州国活動をしていた。

その後の、日本華北侵略南方進出といった愚策によりそれどころではなくなっていくが、

大日本帝国評価としては今後、米国疲弊させ国共内戦に介入する体力を奪ったことで、結果的中華人民共和国の成立を手助けしたという辺りに落ち着くのではないか

2018-11-30

anond:20181128232241

なぜ滿洲國がまだ残っているのか

ブコメとか読みつつ、だらだら考えて見る

満州国国体orリットン調査団活動史実と違う

みんな大好きレッドサンブラッククロス(アドテクノス版)の史実との分岐点

この後、ルーズベルトスキャンダルで再選断念に追い込まれたせいでアメリカ中立化したり、ノモンハン事件が日ソ限定戦争に拡大したりしたせいで、第二次世界大戦ドイツが早期にフランスイギリスソ連を倒して勝利

国際連盟を脱退せずに国際的孤立を避けられた日本日独防共協定を結ばず、盧溝橋事件回避し、国論が南進論と北進論に分裂してたけど独ソ不可侵条約を受けて対ソ戦を決意し、以下略インド亜大陸日独が戦う第三次世界大戦が行われるまでがゲーム

この後、樺太千島朝鮮半島台湾日本領土のままで、満州国も存続したまま、アジア警察官である日本ベトナム戦争の泥沼に引きずり込まれれて原爆使うところまで追い込まれるのが原作の展開。

太平洋戦争は起きてないが軍事負担の大きい日本がどんな国になっているかの判定は微妙だが、満鉄普通に存続してそう。

日中戦争が起きてない

b:id:Arturo_Ui 祖父満鉄勤務だった私も大陸育ちになったはず // 満洲国の存続には「日中戦争が起こらない」という前提が必要。日米の後ろ盾国民党政権樹立するも、毛沢東派のテロが延々と続き…という展開だったろうか。

たぶん西安事件(1936年12月)が起きず、蒋介石国共内戦を優先してるんでしょう。

コミンテルンの陰謀だった云々な人達の主張はどけとくと、盧溝橋事件(1937年7月)は偶発的な事件なので回避されたと考えてもそんなに変ではないはず。

蒋介石指導下の国民党政権は悪い意味中国的な駄目政権なんだけれども、それでも近代的な火器がある時代な以上、ちゃん支援があれば、国内軍閥を倒して統一するところまでは行けるはず。

史実での後ろ盾ドイツだったけど、まあドイツ外交がどう動くかは複雑怪奇なので、代わりに日米がいても不思議ではない(そうか?)。

そして軍閥を倒せても、やっぱり近代的な火器がある時代な以上、地方で暴れるゲリラテロを根絶するのは至難。ソ連国民党が手を結ぶ、的な超展開が起きない限りは毛沢東率いる中国共産党は元気に活動してそう。

当然、日米の武器輸出は絶好調ドル借款や円借款バンバン兵器を売り込んでるんでしょう、たぶん(これって疑似軍事ケインズ主義なのか?)。

満州国独立蒋介石承認するというのは厳しそうに思えるけど、一方で中国人の伝統思考としては長城の外側は化外の地から本当は満州国とかどうでも良かったはずだ論とかもたまに聞くので、なくはないんだろうか。

満州経営にどの程度アメリカ資本が参入してくるかは不明だけれども、満鉄普通に存続してそう。


日中戦争が早期に終了

b:id:akainan 盧溝橋事件後のトラウマン和平が成立している状態だとしたら中共は下されソ連との緊張が続くので、連合国の思惑によっては日本大正的な政党政治に戻り、結局満州インドのように地方自治から独立となってそう

レッドサンブラッククロス(アドテクノス版)の原案である高梨俊一先生も後日「でもあの時期の蒋介石政権日本戦争してないってのはちょっと無理あったよね」と言ってたはずでこっちの方が妥当か。

といっても和平が成立するということは、第二次上海事変(1937年8月)が起きてドイツ顧問指導下に育成された国府軍の最精鋭部隊野戦撃滅されたあとなので(でないと蒋介石妥協する理由がない)、講和威信が大幅低下する蒋介石指導力も大幅低下だろうしで、国共内戦がどう展開するかは割と予断を許さない気がする。

妄想的には華北撤兵抱き合わせ中華民国満州国の分離を認めさせる(≒満州国の国際承認)だとスッキリするけど、どうなんだろう

なんにせよ、この後、日独が接近すると史実に戻る気がするので、九ヵ国条約の枠組みに日本は復帰して国際協調路線のまま第二次世界大戦という名の第二次欧州大戦を迎えるんでしょう、たぶん。

当然、なんとなく大国のまま大戦終了を迎えた日本は、そのまま新たな国際秩序持組織でも常任理事国入り、満州国も原加盟国となり、満鉄普通に存続してそう。

2013-09-11

妄想・定年後、ウィークリーマンションを根城に各地旅行三昧

自分旅行趣味だが、定年を迎えた後、「東京から各地へ1泊2日のワンショット旅行を繰り返す」というのは、

極めて非効率な気がする。

例えば北海道であれば、札幌ウィークリーマンションに腰を落ち着けて、そこから日帰り旅行なり1泊2日旅行を繰り返す、という方が、

(東京の自宅から何回も北海道へ飛ぶよりも)効率的だと思う。

もっとも、定年を迎えたら体力も衰えるから毎日旅行するのはツライし、そんなにカネも続かない。

から例えば

月曜日積丹方面日帰り旅行

火曜日支笏湖方面日帰り旅行

水曜日休み(旅行記の執筆・整理・洗濯)

木曜日夕張方面日帰り旅行

金曜日日高方面日帰り旅行

土曜日休み(旅行記の執筆・整理・洗濯)

日曜日休み(次の週の計画作成)

てな按配で、1ヶ月程度札幌に滞在すれば、札幌200キロ圏は概ね旅行し尽くして、

体力も温存でき(荷物移動がないから)、費用もそんなに掛からない、という気がする。

(少なくとも、東京から北海道に何回も往復するより安上がり)

休み」の日も家に閉じこもるんじゃなく、適度に札幌市内の近場を楽しむ。

札幌も200万都市から、それなりに観光スポットがある。

場合によっては日帰りじゃなく、1泊2日旅行を適宜混ぜる。

「土日」は混雑するから、定年後の身分としてはなるだけ外出は避けたいが、

「土日しかやってないイベント」の類もあるから、その辺は適宜。

「ウイークリーマンション」の類は、調べてみたら、県庁所在都市レベルの大きさの町だと存在しているようなので、

それを「ハシゴ」する。

ということで、65歳定年迎えてから、74歳になるまで、9年間で、概ね日本世界都市の主要スポット訪問できるような

タイムすげジュールを組んでみた。

65歳になって、カネと健康に恵まれていたら、実践してみたいものだ。

A期間=4月10日~4月25日

B期間=5月15日~7月15日

C期間=9月1日~10月31日

D期間=11月15日~12月15日

E期間=1月15日~3月15日(この期間は春節に注意!)

65歳A期間:岡山を拠点に岡山県内制覇

65歳B期間:ロンドンを拠点にイギリスアイルランド制覇

65歳C期間:ニューヨークを拠点にアメリカ東海岸制覇

65歳D期間:下関を拠点に山口県制覇した後、熊本へ行って、熊本を拠点に熊本県制覇

65歳E期間:香港を拠点に中国華南制覇

66歳A期間:金沢を拠点に北陸県制

66歳B期間:パリを拠点にフランス制覇

66歳C期間:釧路を拠点に道東制覇した後、旭川へ行って、旭川を拠点に道北制覇

66歳D期間:神戸を拠点に兵庫県制覇した後、大分へ行って、大分を拠点に大分県制覇

66歳E期間:バンコクを拠点に、タイカンボジアラオス制覇

67歳A期間:盛岡を拠点に、岩手県制覇

67歳B期間:ローマを拠点に、イタリア制覇

67歳C期間:北京を拠点に、華北制覇

67歳D期間:広島を拠点に広島県制覇した後、鹿児島へ行って、鹿児島を拠点に鹿児島県制覇

67歳E期間:ナイロビを拠点にアフリカ東部制覇した後、ケープタウンへ行って、アフリカ南部を制覇

68歳A期間:仙台を拠点に、宮城県制覇

68歳B期間:ベルリンを拠点に、ドイツ制覇

68歳C期間:京都を拠点に、京都府制覇

68歳D期間:名古屋を拠点に、愛知県岐阜県三重県を制覇した後、宮崎へ行って、宮崎を拠点に宮崎県制覇

68歳E期間:ムンバイを拠点に、インド西部を制覇した後、デリーに行って、インド北部ネパール等を制覇

69歳A期間:松本を拠点に、長野県を制覇

69歳B期間:上海を拠点に、華中制覇

69歳C期間:ウィーンを拠点に、オーストリアハンガリーなどを制覇した後、ワルシャワに行って、ポーランドを制覇

69歳D期間:徳島を拠点に、徳島県制覇した後、高知に行って、高知県を制覇

69歳E期間:リオデジャネイロを拠点にブラジル制覇した後、ブエノスアイレスに行って、アルゼンチンを制覇

70歳A期間:秋田を拠点に、秋田県を制覇

70歳B期間:コペンハーゲンを拠点に、デンマークを制覇した後、ストックホルムに行って、スカンジナビア3国を制覇

70歳C期間:ロサンゼルスを拠点にアメリカ西海岸制覇した後、バンクーバーに行って、カナダ制覇

70歳D期間:福岡を拠点に福岡県を制覇後、長崎に行って、長崎県佐賀県を制覇

70歳E期間:ホーチミンを拠点にベトナムを制覇後、マニラに行って、フィリピンを制覇

71歳A期間:青森を拠点に、青森県制覇

71歳B期間:シドニーを拠点にオーストラリアを制覇後、オークランドに行って、ニュージーランドを制覇

71歳C期間:ドバイを拠点に、アラブ諸国を制覇後、テヘランに行って、イランを制覇

71歳D期間:高松を拠点に香川県を制覇後、松山へ行って、愛媛県を制覇

71歳E期間:マドリッドを拠点にスペイン制覇後、リスボンへ行って、ポルトガルを制覇

72歳A期間:山形を拠点に、山形県を制覇

72歳B期間:モスクワを拠点に、ロシアを制覇(ヨーロッパロシアだけだが)

72歳C期間:札幌を拠点に道央を制覇後、函館に行って、道南を制覇

72歳D期間:松江を拠点に山陰を制覇後、那覇に行って、沖縄を制覇

72歳E期間:イスタンブールを拠点にトルコを制覇後、アテネに行って、ギリシャを制覇

73歳A期間:新潟を拠点に新潟県を制覇

73歳B期間:ソウルを拠点に韓国を制覇

73歳C期間:大阪を拠点に、大阪府制覇

73歳D期間:静岡を拠点に静岡県を制覇後、和歌山へ行き、和歌山県制覇

73歳E期間:シンガポールを拠点にシンガポールマレーシアを制覇後、ジャカルタへ行き、インドネシアを制覇

・A、B、C、D、E期間:ハイシーズンを避けている

 (ゴールデンウィークお盆紅葉シーズン、年末年始)

・たまに(2~3ヶ月に1回)、東京の自宅に戻ることを想定している。

・「キャンピングカーを買えばいい」という話もある。

 確かにその通りだが、キャンピングカーで連泊するのは、体力的にどうかなあ?

・いっそのこと、東京の自宅を売り払って、

 1~2年は札幌を自宅とし、その後は福岡に移り住んで・・・というジプシー生活を送るのも、いいかも。

・定年を迎えたら、世界一周航空周遊券を買って1年間世界を豪遊し、

 その後で福岡辺りで再就職&転居して、九州中四国韓国中国旅行しまくる、というのもいいかも。

・でも結局、孫ができたら、それを最優先にするんだろうなあ。

東京から100キロ離れた県(例:栃木)を複数周遊する場合カーシェア使用前提だと、宇都宮に拠点移した方が、安いのかなあ。

 カーシェアの6時間レンタルが3,900円。(距離料金)

 12時間レンタルだと、6,500円+距離×15円。

 100キロ先まで観光するなら、6,500円+100キロ×2×15円=9,500円。その差5,600円。

 栃木まで何回も9,500円レンタルを繰り返すなら、5,600円以下の安宿に腰を落ち着けて、

 3,900円のショートレンタルを繰り返した方がいい・・・

 因みに24時間レンタルは8,000円+距離×15円

 
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