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2021-08-04

この実情のもとで 、これにたえて戦うことが今日の決心であると思う

しかし 、日本に戦う余力はほとんどない 、というのが共通した意見となった 。阿南陸相は憤然としていった 。 「かかる事態は十分承知のことである 。この実情のもとで 、これにたえて戦うことが今日の決心であると思う 」”

—『日本のいちばん長い日』半藤 一利

2021-07-29

東京裁判被告人一覧

死刑

東条英機

 近衛内閣陸相を務め、東条内閣では首相陸相、内相を兼任米国宣戦布告したが、サイパン島陥落の責任を取って辞任した。

板垣征四郎

 陸軍軍人関東軍参謀として満州事変を起こす。近衛・平沼内閣では陸相を務め、大戦中はシナ派遣軍総参謀長に就任した。

土肥原賢二

 陸軍大将満州国建国華北分離工作において中心的役割を果たした。

松井石根

 陸軍大将南京大虐殺責任を問われた。

木村兵太郎

 陸軍軍人。東条内閣陸軍次官を務めた。ビルマの戦いでは総司令官でありながら、無断で戦線放棄し、日本軍を大混乱に陥らせたにも関わらず大将に昇進した。三奸四愚の一人とされた東條の側近。

武藤章

 陸軍中将。東條の腰巾着として日米開戦の中心的役割を果たした。

広田弘毅

 文官岡田内閣外相を務め、広田三原則を決定し、華北分離工作を黙認した。二・二六事件首相となり、軍部大臣現役武官制を復活した。近衛内閣では外相を務め、日中開戦を黙認した。

終身刑

小磯国昭

 陸軍大将。米内内閣での拓相ほか、朝鮮総督を務めた。東條の辞任後首相就任し、戦争継続した。

荒木貞夫

 陸軍大将。犬養、斉藤内閣陸相を務めた。皇道派代表格であったため、二・二六事件予備役送りになった。近衛・平沼内閣では文相を務め、軍国主義教育を推進した。

梅津美治郎

 陸軍大将シナ駐屯軍司令官として梅津・何応欽協定中国要求した。陸軍次官関東軍司令官を務めた。ミズーリ号での降伏文書に調印した。

南次郎

 陸軍大将若槻内閣陸相として満州事変を起こした。関東軍総司令官朝鮮総督を務め、内鮮一体化を推進した。

畑俊六

 陸軍大将阿部・米内内閣陸相を務めたが、辞職して米内内閣を打倒し、近衛内閣誕生させた。シナ派遣軍総司令を務めた。

大島浩

 陸軍中将ドイツ大使館付き武官として日独防共協定の締結、駐独大使として日独伊三国同盟の締結に貢献した。

鈴木貞一

 陸軍中将。近衛・東条内閣企画院総裁内閣経済顧問などを務め、戦時経済確立に貢献した。三奸四愚の一人。

佐藤賢了

 陸軍中将。東条内閣では陸軍省軍務局長を務めた。三奸四愚の一人。

橋本欣五郎

 陸軍大佐。急進派将校を集めて秘密結社桜会」を結成、三月事件十月事件企画するも失敗。

嶋田太郎

 海軍大将。東条内閣での海相軍令部総長を務めた。

岡敬純

 海軍中将。対米開戦を強硬に主張した。戦時中海軍次官就任

平沼騏一郎

 山本内閣法相を務めた。右翼結社国本社を結成。近衛の後を継いで首相就任したが、独ソ不可侵条約が結ばれると辞職した。

木戸幸一

 近衛内閣の文相、厚相、平沼内閣の内相を務めた。天皇の側近として東條を首相に推薦したが、戦局が不利になると、和平工作に奔走した。

賀屋興宣

 近衛・東条内閣大蔵大臣を務め、戦時財政を担った。

星野直樹

 満州国国務院総務長官、近衛内閣企画院総裁を務めた。東条内閣では内閣書記官長として東條を支えた。

白鳥敏夫

 スウェーデン公使として、日独伊三国同盟締結に貢献した。

懲役20

東郷茂徳

 東条内閣外相、拓相を務め、太平洋戦争回避に尽力。鈴木内閣では外相、大東亜相を務め、終戦に尽くした。にも関わらず日米開戦責任者とされた。

懲役5年

重光葵

 東條・小磯内閣外相を務めた。降伏文書に調印した。

免訴

永野修身

 海軍大将広田内閣海相を務め、その後、連合艦隊司令長官軍令部総長歴任し、戦時中元帥就任した。裁判中に急性肺炎で死去した。

松岡洋右

 ジュネーブ国連会議全権大使として出席し、国連から脱退した。近衛内閣では外相を務め、日独伊三国同盟、日ソ不可侵条約を締結した。裁判中に結核で死去した。

大川周明

 学者満州事変二・二六事件五・一五事件などに連座したほか、「日本二千六百年史」「近世欧羅巴植民史」などを執筆し、軍国主義を主張した。裁判梅毒による精神異常のため免訴された。

その他

本庄

 陸軍大将関東軍司令官として満州事変承認戦後戦犯指名されたが自決した。

石原莞爾

 陸軍軍人関東軍参謀として満州事変を起こした。日米開戦に反対し、東条英機対立したため予備役編入された。東條との対立、重病のため起訴を免れた。

近衛文麿

 第一内閣では日中戦争が勃発、近衛声明を発表した。第二次内閣では日独伊三国同盟を締結。戦犯指名されたが、服毒自殺した。

2021-03-06

anond:20210306100858

軍人戦争法案を賛美する茶番

 戦前内閣では陸軍海軍からそれぞれ陸相海相閣僚就任していたため、軍服姿が国会に登場するのが常。さらに、現役の軍人国会の壇上に立ち、政党政治家を威圧していたのが当時の実情。武断主義で国を動かした結果が、昭和20年敗戦である

 こうした状況を二度と再現させてはいけなかったはずだが、戦後70年の節目にテレビ国会中継で映し出されているのは、軍人政治家戦争法案を賛美する光景だ。

 14日、参院平和安全法制特別委員会自民党代表して質問に立ったのは佐藤正久参院議員(下の写真左)。「ヒゲ隊長」として知られる元自衛官だ。答弁する防衛大臣はといえば中谷元氏。こちらも元自衛官である

2020-08-21

シュンちゃんTweet炎上しててワロ。

あれ読んで朝鮮人め!という気持ちになる人おるんだろな、多分。まじかよ、とは思うが。

一郎さんの阿南陸相自決への怒りのツイートを今の政治に結びつけて一緒に怒ってる人は見たし。

自分は一連の東へ向かうツイートは、敗戦の混乱を感じることができてよかったと思う。なんもかんもカツカツでみんな余裕がないから、不寛容。優しい人は優しいけども、みんながそうはできない。でも起きた出来事ショッキング記憶に残りやすい。

全く存在しない出来事を新たに作り出す事は無いと思うので、多分日記以外の根拠があるか、インタビューとか取材した結果のツイートだろう。

いや、軍関係奉仕に行った先で日本は負けるって煽ってきた朝鮮人口喧嘩して負けた事ゼロから作らないでしょ、普通創作ならすごいよ。私だったら、ひよっ苛烈環境で働いていた人達への連帯感とか哀れみのエピソードにしちゃいそうだもん。

自分広島市義務教育課程を卒業して20年近く経ってるから参考にはならないかもだけど、急に教育右翼化したとかじゃない限り、ダム建設徴用された朝鮮人など差別の話、日本植民地へしてきた事への反省教育はされてるはず。

さすがに君が代の代わりにアリランの歌を教えられるとかはもう無いとは思いたいけど。

から安易ヘイト創作しないと思うんだよなあ。悪い印象与える位なら存在無視しろ、って事なら分かるけど、一郎さんややすこさんの日記朝鮮の人が出てこないので、透明な存在のままだったろう。戦争孤児浮浪者集団も強烈に印象づけられたけど、その集団弁当強奪された旨のツイートへ、彼らは可哀想存在からと諭す反応があったな。

シュンちゃんも一郎さんもやすこさんも、聖人ではないし、ただの一個人の感想だと思って見ている。日記他人が色々肉付けしてるから、そこが嫌な人はいるんだろう。わたし映像作品を見るより受容しやすかった。

個人的には三者三様視点終戦期のやり取りを見ることが出来るのはありがたいと思う。終戦後にやすこさんが小磯元首相の血縁者と分かるツイートビックリしたのと同時に米軍がやってくる事への強い不安感や玉音放送聞いた後の悔しがりに納得がいった。

自分が読んだ事のある戦中の日記、その子原爆にあって5日で終わってたのでこのまま年末まで読めるなら読みたい。(やすこさんは9月中旬、シュンちゃんと一郎さんは年末まで日記が続く予定)

2020-08-02

戦史叢書第033巻 陸軍軍需動員<2>実施編 P795

昭和20年5月13日第一回戦力会議船舶損耗状況、輸送実績、輸送要請

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戦史叢書第033巻 陸軍軍需動員<2>実施編 P796

昭和20年行政査察(決戦行政体制ニ関スル行政査察)について

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 戦勢転換のため航空戦力拡充が超重点視されるに及び、昭和十八年秋、軍需省を新設して陸海軍飛行機一元的生産する態勢が初めて整備された。(中略)軍需省新設は東條首相陸相英断によって実現したものであり、東條首相は軍需相をも兼摂したのであった。

(戦史叢書33巻『陸軍軍需動員<2>実施編』P831、むすび)

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大東亜戦争の完遂をめざして戦ってきたわが海上護衛戦は、海軍を始めとする関係各部必死努力にもかかわらず、逐次強化されてきた米国の対日海上交通破壊戦の前に、あえなく潰え去った。(戦史叢書46巻『海上護衛戦』P561、むすび)

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ともあれ戦争というものは、常に多分の不確定要素を含み、如何なる様相の変化にも即応しうる万全の準備を完整することは困難であり、かつ作戦の成否が戦運に左右されるところも少なくない。しかし今次戦争海上護衛戦に関する限り、当初から、既に失敗すべき要素を多分に含んでいたのであった。(戦史叢書46巻『海上護衛戦』P563、むすび)

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戦史叢書第033巻 陸軍軍需動員<2>実施編 P832-833

軍部が軍需・物資配分の意思決定を実質に行っていた件(作戦等の機密事項を握り、かつ、各省の状況・国力も知悉していたため自然とそうなった。(要旨)

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経済安定本部総裁官房企画調査課「太平洋戦争による我国の被害総合報告書昭和24年2月

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2020-02-22

anond:20200222083533

リンクこちらのほうが良かったか

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E6%A7%8D%E4%BA%8B%E4%BB%B6

問題となった戦局解説記事は、毎日新聞社政経部および黒潮会(海軍省記者クラブ主任記者である海軍御用記者の新名丈夫記者執筆した記事見出し作成山本光春)で、「勝利か滅亡か 戦局は茲まで来た」という大見出しの下でまず「眦決して見よ 敵の鋏状侵寇」として南方における防衛線の窮状を解説し続いて「竹槍では間に合はぬ 飛行機だ、海洋航空機だ」として海軍航空力を増強すべきだと説いている(#『毎日新聞』(1944年2月23日付)の記事参照)。これは海軍航空力増強を渇望する海軍当局からは大いに歓迎されたが、時の東條英機陸相首相は怒り、毎日新聞松村秀逸大本営報道部長から掲載紙の発禁[5]および編集責任者と筆者の処分を命じられた。

 
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