はてなキーワード: 夕立とは
それを、彼は眉をひそめて読み上げた。
なぜか誇らしげにレインボー色の気配をまとっている。
雨粒は太く、重く、情緒よりも圧がある。
それはもはや降水ではなく、存在の主張だった。
彼はそう呟き、傘を持つべきか、心の準備をすべきかで迷っている。
濡れるのは服だけで済むのか、価値観まで洗われるのか。
その区別がつかない。
外では実際には、ただの激しい雨が降り始めている。
しかし彼にとっては違う。
世界はすでに「読み間違えた言葉」によって、別の相貌を持ってしまった。
ゲリラ豪雨とは、突然来て、突然去る。
彼は結局、傘をささずに外へ出た。
雨はただ冷たかった。
だが彼は少しだけ安心し、少しだけ残念そうだった。
人は時々、
そもそも、夏らしいことってなんだろう。ざっとAIに言わせたのと、自分が思ったのとを足して一覧を作ってみる。
(by GPT-5 Thinking on ChatGPT.com)
わたしは半影。
光と闇のあいだ、縁(ふち)に沿って生まれては、縁に沿って消える。
名前がなかったころ、ひとはわたしを気にも留めなかった。午下がりに白いカーテンがふくらむとき、戸口の敷居にやわらかな灰色が落ちるとき、わたしはただ在(あ)った。誰かの横顔にかすかに触れ、誰かの言葉の最後の音を拾っては、つぎの縁へと移った。
わたしが「初恋」という音の形を知ったのは、商店街の写真館の奥、暗室の戸が少しだけ開いていた夜のことだ。赤い明かりの下で若い男がフィルムを揺らしていた。湊(みなと)という名だと、別の日に彼の友人が呼ぶのを聞いた。
現像液の匂い、濡れた透明。湊の手は水面の光を撫でるみたいにやさしかった。戸の隙間からこぼれる赤が、わたしをかたちにした。彼がふと顔を上げて言う。「半分だけ写ってるな、でもそれがいい」
その言葉はわたしへの挨拶だった。わたしは戸口から室内へ、敷居という境界をまたいで、初めて自分の輪郭を保てた。彼は顔も上げないまま続けた。
「おまえ、名前がいるな」
彼はわたしを見ていなかった。けれど、半分だけの視線がいちばんよくものを見抜くことを、わたしは知っている。わたしはそっと彼の肩の影に寄り添い、声を探す。風が糸口になった。
――ペナ、と呼んで。
彼は驚いたようにまばたきをして、笑いながらうなずいた。「ペナ、か。ペナンブラ。半影。いいな」
その晩から、わたしはひとつの名を持った。名は重りであり、舟でもある。縁に引かれてばかりだった体に、初めて行き先という重みが生まれた。
*
湊は、縁に立つのが好きなひとだ。暗室のドアを半分開けたまま。障子を桟(さん)一枚だけずらして朝の光を漏らす。駅のホームでは、白線のすぐ手前。彼の言葉も半歩だけ余白を残す。
彼はよくそう言いながら、現像した写真を指の腹で撫でた。半分だけ写るもの、切り取りの端で震えるもの。わたしはそこに宿って、彼の指先の温度を覚えた。
「光の外側に、ほんとうの色がある気がする。目がそこに慣れる前に、すぐ電気をつけてしまうから、見逃すんだ」
わたしは笑って、彼の耳元で囁く。
――見えてるよ、湊は。わたしを見つけたでしょう。
彼は振り返らない。ただ、やわらかく頷く気配だけがある。わたしは名前を呼ばれるたび、濃くなったり薄くなったりしながら、湊の生活に縁として染み込んでいった。
放課後の路地で、わたしたちはよく遊んだ。西日が電線を太くし、風が洗濯物を大きくするとき、ペナは人の形を取れる。湊はチョークで地面に丸を描き、そこに立つようにと言う。丸の縁にわたしは重なる。ふたりで輪の中と外を交換した。湊が輪に入ると、わたしは外で彼の輪郭をなぞる。輪の外は世界だ、と彼が言った。輪の内は名前だ、とわたしが返した。
初恋というのは、最初に覚える偏(かたよ)りのことだ。人は誰かの声の高さや歩幅や誤字の癖を、理由もなく自分の中心に置く。わたしは湊の「すこし足りない」を自分の中心に置いた。どんな光の下でもそれを探すようになった。
*
ある日、町の掲示板に青いポスターが貼られた。小さな天文台の閉館と、来夏に起きる金環日食の告知。わたしはポスターの銀色の輪に吸い寄せられる。輪は、光の中の穴。穴の縁にだけわたしは生きる。けれどポスターの文字は、別の真実を囁いていた。
――金環の日は、半影が世界を覆う。
嬉しさと怖さが同時に走る。世界中がわたしになったら、わたしはどこにいるのだろう。縁が全体になるということは、縁が消えるということでもある。
わたしは湊に話した。彼はコーヒーの湯気を見つめながら、しばらく黙って、それからうなずいた。
「天文台に行こう。ドームの中、あそこは光の穴だらけだ。君にはちょうどいい」
君、と彼は言った。ペナ、と呼ばれるよりも、わたしの輪郭を濃くする呼び方だった。
天文台は坂の上にあり、昼でもすこし暗い。年老いた学芸員がいるだけで、人はほとんど来ない。ドームの白い壁には小さな穴が無数に空いていて、晴れた日には小さな太陽が床に並ぶ。光の数だけ、縁も生まれる。わたしはめまいがするほど豊かになり、笑いながら床一面を駆けた。湊の影がゆっくりと伸び、わたしの裸足に絡んでくる。
「金環の日、ここで名前をもうひとつ持ちなよ」と湊は言った。「君が望むなら、人の名前を」
人の名前。
生きるというのは、縁から中心へ移ることでもある。わたしはうなずいた。欲望の形が初めてはっきりした。縁に生まれ、縁に消えるだけのわたしに、たった一度だけ中心が欲しい。たった一度でいい、その中心に湊が座っていてくれたら。
「でも」とわたしは聞いた。「代わりに、なにを失うの」
湊は、チョークのような指で空中に円を描き、笑った。「人はいつでも、なにかを半分失ってる。君が持ってない半分をこっちでわける。君の半分も、僕にわけて」
彼の言葉は約束というより、輪の仕組みの説明に近かった。輪の外は世界、輪の内は名前。二つはいつでも触れ合っているが、完全には重ならない。
*
金環日食の日は、町じゅうが紙で作った小さな穴を持ち歩く祭りみたいだった。木漏れ日の下では、地面に無数の光の輪が降る。天文台のドームの中は静かで、遠い歓声だけが波のように届く。
湊は床に白い紙を敷き、穴を空けた金属板を何枚も吊るした。光の粒たちが床に並び、輪が重なって新しい輪を生む。縁の庭。わたしはそこに立つ。
「人の名前は、呼び捨てにされたとき、いちばん強くなるんだよ」
わたしはうなずき、胸のうちに空洞を作った。そこに新しい音が落ちる余地をこしらえる。湊は、静かに、しかし迷いなく言う。
「環(たまき)」
輪を意味する音が、わたしの中心に落ちた。縁だったものが内側からきしみ、組み替わる気配。痛みはなかった。ただ、世界の密度が変わる。空気の温度が一度だけ違う。
わたしは初めて、自分の足で床の冷えを感じた。掌に汗がにじみ、唇が乾く。光が眩しすぎないことを知る。影が怖くないことも知る。
――環。
呼ばれるたび、わたしは人になった。
そのとき、ドームの外で歓声が大きくなる。太陽の中心が欠けて輪になったのだ。天文台の穴から落ちる光も、すべて細い輪に変わって、床の上で震えた。輪と輪のあいだ、半影が揺れる。わたしはその渦の中心に立ち、湊の方へ手を伸ばした。彼の掌がわたしの指を確かめるように握る。温度と脈が、わたしという器の底を鳴らす。
「環」と湊が呼ぶ。
「湊」とわたしが呼ぶ。
世界はほとんど音でできている。音は名前の泉で、泉の縁にだけ、わたしたちは安全に立てる。
そのとき、突然、ドームの空気がひやりと変わった。輪の細さが極まって、光と影が互いに少しだけ不器用になる。世界が一瞬だけ、縁を失いかけたのだ。
手がほどけた。わたしの体の縁が波打つ。人であろうとする中心が、わたしの古い習性――縁に逃げる癖――に引かれる。
「環」
湊は落ち着いた声で、もう一度呼んだ。音がわたしを連れ戻す。
彼はドームの穴の向こう、細い昼の川のようなリングを顎で指し示した。「見えるか。輪は完全に閉じない。ほんの少しだけ、接いでいないところがある。そこが君の、出入り口だ。恐れなくていい」
彼の声は嘘を知らない。嘘のない声に抱かれて、わたしは自分の体の縁を自分で撫でた。輪の合口(あいくち)はたしかにどこかにあり、そこから呼吸は逃げていくが、また戻ってもくる。わたしは息を吸い、吐いた。
金環はやがてゆっくりほどけていく。輪は欠け、欠けた輪はふつうの太陽へ戻る。ドームの床の輪も消え、光の粒はただの丸になる。わたしの足は床に残っていた。
人の名前はまだ胸にいて、湊の手はまだ、わたしの指を握っていた。
*
人になってからの時間は、やたらと質感に満ちている。靴擦れ、箸の冷たさ、雨の日の髪の重さ。光はいつだって眩しすぎず、影はいつだって深すぎない。わたしは写真館の手伝いをはじめた。暗室の赤い灯りは、昔のわたしを思い出させるが、もうそこに戻る必要はない。
客が「半分だけ写ってしまった」と残念そうに言うと、わたしは微笑んで答える。「半分が綺麗なんです」と。
湊は、わたしを「環」と呼び続ける。ときどき、「ペナ」とも。二つの名は衝突しない。輪の内と外が穏やかに触れているだけだ。
もちろん、代わりに失ったものもある。わたしはもう、誰の家の敷居にも勝手に入り込めない。通りすがりの恋人たちの秘密の会話を拾えない。夕立のカーテンの裏側から、世界をいくらでも覗くことはできない。
けれど、わたしは湊の初めての寝相を知っている。彼のくしゃみの前触れも、湯呑みにつく口紅の跡に彼が少し照れる癖も知っている。失ったものは風景で、得たものは暮らしだ。暮らしは縁と中心の往復でできている。朝の窓の縁に植木鉢を並べ、夜のテーブルの中心にパンを置く。
*
秋になって、天文台の閉館の日がきた。学芸員は最後の投影を終え、ドームの穴を粛々とふさぎはじめた。
わたしは湊と二人で坂をのぼる。ドームの中はもう暗く、穴をふさぐための丸いパッチが内側から貼られている。天井は、星が眠る前のように静かだ。
「ありがとうを言いに」と学芸員は言った。「君のような顔を見たから、長年の仕事が報われた気がする」
彼はわたしではなく、わたしたち二人を見て言っている。縁だけを見抜く目だ。
帰り道、坂の途中で足を止めると、町の灯りが半分だけ点いていた。夕飯の匂い、遠くの踏切。風に運ばれてくる音は、輪の合口のように細い。
「ごめんね」
「ちがうよ。失敗の中に、君が立ってる。そこが好きなんだ」
彼はそう言って、笑う。歩き出す足どりは軽い。輪の外へ、輪の内へ、ふたりで交互に踏み出す感じがする。
わたしはふと、世界じゅうの縁にむかって心の中で挨拶した。ドアの隙間、カーテンの波、踏切の警報機の影、傘の中で湿った髪。わたしを育ててくれたすべての縁へ。
――わたしはここにいるよ。
初恋は、治らない。
治らないというのは、傷のことではなく、習慣のことだ。わたしはこれからも、少し足りないものを愛し、少し余っている部分を目で追うだろう。湊は、完璧の手前で笑い、わたしはその笑いの縁に寄り添うだろう。
帰り道、わたしたちはコンビニでアイスを買った。レジの上の蛍光灯が、湊の横顔に薄い陰を作る。わたしはそこに自分を見つける。それはもう、かつてのような居場所ではない。けれど、愛着は、住むところよりも、寄りかかるところに生まれる。
外に出ると、夜が来ていた。はっきりした影が地面に落ちる。かつてのわたしがそこにいる気がして、わたしはしゃがみ込む。地面の黒を指でなぞり、笑う。
「こんばんは、ペナ」とわたしが言う。
「また明日ね」と影が言う。
「昔のわたしに」
「そうか」
彼はなにも問わない。
わたしたちはアイスを齧りながら、家へ帰る。縁が暮れて、中心が灯る。灯りの縁では、いつでも半影が揺れている。そこからわたしはやってきて、ここにいる。これがペナンブラの初恋の、その後の話だ。初恋は終わっていない。ただ、暮らしになっただけ。輪の肌ざわりは、今も指先に残っている。
暑いって言ったって全然24度とかなんで、まだまだ甘い、ゲキアマと言っていいくらいなんだけど、月曜あたりはダウンジャケットを羽織るくらいに寒かったことを思えば、やっぱり間違いなく暑かったんだよ
そんで、夏なんて俺は嫌いだからさ、ただイヤな気持ちになって然るべきなんだ
ウゲッ!あの最悪の季節が来そうな雰囲気だ、あーヤダヤダ、ずっと冬ならいいのになあ!と、そう思うはずなんだ
でもなんか今日はさ、いつもの夏のどうでもいいシーンなんかが妙に思い出され、ちょっと恋しいようなそんな気持ちになった
たとえばカスみたいな夕立、夕立とも言えないくらいの、傘すらいらないような小雨が夕方に降って、アスファルトの匂いだけがする瞬間 本降りにはならなくて、降った雨も温まったアスファルトですぐさま蒸発してしまって、何も残らないような夕立
または、バカ暑い炎天下からコンビニなどの文化施設(コンビニは文化施設ですよね)に入った瞬間の、冷気と入店音を同時に感じる瞬間 伴って、逆に店外に出た瞬間の、冷えた身体がほんの一種麻痺していて、暑さを少し遠いもののように感じられる、あの一瞬
信じられないほどうるさい蝉の声 四方を蝉に囲まれるような場所の、こんなにうるさくしてどうするんだよってくらいの、途方に暮れて笑ってしまうような蝉時雨
最近は夕方になっても全然涼しくなくて、ただ蚊なんかの気配だけがあるよな 殴りつけるような暑さは太陽と一緒になくなってんだけど、包み込むような暑さは全然残っており、本当にクソ暑い 見た目はまったく夕方なのに暑さのほうには容赦がないから、ちょっと困惑してしまう
俺の大好きなスーパーであるスーパーセンタートライアルのアイスコーナーはなかなか充実していて、値段だってまったく悪くないから、夏になるとあそこでよくアイスを買う 道中は片道10分くらいあるから、小さなアイスひとつの冷気では夏の熱気に太刀打ちできず、家に帰る頃にはエキタイになってしまいますよねえ!というのを口実に、複数個のアイスを買い漁ったりするわけですよ
あとはそう、西陽の部屋のこと
俺の部屋は田舎の低地価を活かした3LDK、階そのものが俺の部屋なので、それぞれの方角に面した部屋がある 西に面する和室からは隔てるものの少ない某洋としたランドスケープを眺めることができ、結構いい感じなんだけどつまりそれは西陽を隔てるものも全然ないということで、夏の夕方のあの部屋は本当に信じられないくらいに暑くなる 洗濯物を干しに西陽の部屋に立ち入って、ほんの数分作業をしただけで汗が噴き出してくる 居ながらにして夏を味わうことになる
そういえば、花火!そう、あの部屋からは花火が見えるんだよな 越してきて一年目になんとなく買ったアウトドア用のチェアをベランダに出して、害虫殺害薬剤をばら撒いて、手近な飲料を手にして、座ってゆっくり花火を見る 見ようとする やっぱり蚊が気になるし、暑いし、遠くてあんまりよく見えないから、早々に退散する そこまで含めて、毎年やってるんだった
思い出すにつれて、やっぱり夏ってロクでもねえ気がしてきた 明確に「いい」思い出がねえもんな
やっぱり秋とか冬がいちばんいいんだよ結局
夏なんてダメなんだ
来るからには迎えるけどさあ!
俺は射精のことを「虹の瞬間」と呼んでいた。
今でもよく覚えている。自分が小学校の低学年だったとき、俺は橙色に染まった空を飽きることなくずっと見つめていた。
夕立が止み、雲が退いていくと橙色の夕日が辺りを照らし、その空には大きく立派な虹が掛かっていた。
虹は太く、巨大で、俺は見惚れるように虹を見つめた。
「美しい」といった言葉だけでは言い表せない、神々しさのようなものを感じたのだと思う。
まるで自分が、自分だけがこの光景と共にこの瞬間を生きているような。そんな倒錯感を覚えた。
俺はあの時、歴史から切り離された瞬間に立ち会ったのだと思う。
それから数年後、俺は精通し、そして自然とオナニーをするようになった。
すると射精の瞬間、決まってその瞬間にはあの虹の光景が脳裏に浮かぶのだ。
大学生になると俺は熱心なオナニー信者になっていた。朝昼晩。一日三回は基本として、プラスアルファが週に何日かあった。
しかしそれは単に性欲を満たすためではなかった。
俺は必死だったのだ。射精の瞬間に訪れるあの瞬間を、あの虹を捉えようとしていたのだ。
射精の快楽。虹の瞬間。大学時代、俺はそんな事ばかりを考えていた。
なぜ射精で快楽を感じるのか。なぜ射精のときのあのときの虹を思い出すのか。
その理由を知りたかった。俺はずっと、あの虹を追いかけていたのかもしれない。
転機が訪れたのは二回生になった頃。友人たちとの飲みの席で、俺が童貞であることがバレた。
当時はそのような話題が上がれば「とりあえず風俗で済ませて来いよ」というのが普通だった。
だが金はない。すると友人たちがカンパを募り、俺のソープ代を集めてくれた。
正直それでも戸惑いはあった。だが彼らの友情を反故にはできない。
俺は意を決するとその金を握りしめ、ソープへ向かった。
結論をいえば駄目だった。
初めてになるはずの女性はバストが大きく、小型の南瓜ほどの大きさがあった。
乳房はとても柔らかく、彼女は人柄も良かった。俺が初めてであることを伝えると彼女ははにかむように笑い、「緊張しないで、大丈夫。私に任せて」と言ってリードをしてくれた。
店を出ると友人から連絡が来た。どうだったかなと聞かれ、俺は正直に駄目だったと伝えた。
友人は「最初はまぁ、そういうもんだ」と言って俺を責めることはなかった。
俺は女性の身体に慣れていないことや、緊張のせいだと言い訳したが、違うんだ。実際には違っていた。
勃起はしたのだ。挿入も出来た。
だが彼女の中で射精しそうになると、不意に虹の光景が俺の脳裏に浮かんだ。
その瞬間、俺の物は干からびた薔薇のように萎れ、それから一切合切駄目だった。
虹の瞬間は俺にとって至高の瞬間であったが、同時にそれは呪いでもあった。
その後、俺は何度か店に足を運んだもののやはり駄目だった。
橙色の空に浮かぶ、巨大で、太く、美しいアーチを浮かべるあの虹が。
俺は虹に恋をしていたのかもしれない。虹は、俺にとってのファム・ファタールであったのだと思う
次の転機が訪れたのは4回生になったばかりの頃。
合コンで意気投合した女の子は、俺の性格とは真逆で、明るく、ハキハキしていた。
クラスで人気者のタイプの女子だ。実際、彼女は明るく、美人で聡明。周りに人が絶えないような人だった。
そんな女子がどうして俺とそういうことになったのか未だに不明だ。
俺は酒に酔いに任せて彼女を誘い、酔っていた彼女はそれに応えた。
俺たちは抜け出し、コンビニでチューハイを買い、飲みながら千鳥足で当てもなく歩き、面白いことがないことに笑ってホテルへ入った。
ベッドの上に俺は倒れ込んだ。多少の眠気があった。でもそれは途中で買ったミネラルウォーターで多少緩和されていた。
仰向けになって寝ていると、口を塞がれた。目を開けると彼女がそっと俺に口づけをしていた。
彼女は既に下着姿だった。舌を入れられ、グレープの味がした。チューハイの味。少し分けってもらったやつ。9%。
そんなことが頭の中を過ぎり、彼女は俺のジーパンを降ろし、パンツを腿までずらすと俺の物を弄ぶように触り、触り、それからゆっくり口に咥えた。
彼女は音を立てるようにフェラをした。俺は一気に酔いが覚めた。血流が良くなる感覚。俺の物はウルトラマンのように肥大化していった。
それを見て満足そうに、彼女は上目遣いで俺のことを見て微笑む。
舌が絡みつき亀頭を刺激され、俺はイきそうになると同時に虹が脳裏に浮かび萎えそうになったが彼女のフェラピストンが始まり俺はその数秒後に射精した。
そう、俺は射精したのだ。
彼女の口の中で俺は果てた。そのとき、俺の脳裏から虹の瞬間が消えた。
遥か彼方に遠ざかっていき、それが単なる過去の一つの記憶に収斂していくような感覚。
彼女は「気持ちよかった?」と喉元を揺らしてから、俺に聞いた。
俺は頷いた。そしてこれ以降、俺はもう虹の瞬間を見ることがなくなった。
上書きされてしまったのかもしれない。かといって別に、俺はこの瞬間のフェラのことを射精の度に思い出すことはない。
そう言った意味では、やはり「虹の瞬間」は特別だったとだと思う。
これはただそれだけの話で、こういったことは稀にあるのではないかと思うが、ネットではあまり見かけないので書いてみた。
あまりリアルでは言えない話でもあるので、もし同じような人が居たら教えてほしい。
あなたにとっての、”虹の瞬間”を。
夜は揚げ物。ひとつひとつきらりと色づき、油に浸かりて、金色に揚がった豚肉の切れ端が、熱く煙を立てながら揚げられる。また、鳥の一部や野菜の切れ端、たった一つ二つの揚げ物が、じんわりと熱を放ちながら待つ者を喜ばせる。揚げ物の香りが広がるもをかし。
朝は果物。だんだんと色づき始める果物が、少しだけ甘さを増し、紫に染まったブルーベリーが美しく盛りつけられる。
昼はお弁当。日の高さはさらに深まり、強い日差しの下でも、昼食のお弁当の色とりどりの食材が鮮やかに映える。また、たった一つ二つのおにぎりが、ほのかに照らされて美味しそうに見えるもをかし。夕立が降るもをかし。
午後はおやつ。日が沈んで山の端が近づくと、子供たちが帰宅する道すがら、三つ四つ、二つ三つと、美味しいお菓子を買い求める姿は何とも感慨深い。飛行機の形をしたクッキーや鳥の形をしたチョコレートなどが、とても小さく見えるが、それがまた美しい。日が完全に沈んで、風の音、虫の音と共に、おやつの時間が終わるのは寂しい。
深夜は特別な時間。外が静まり返る中、特別な料理を急いで作る時間である。火を急いでつけて、炭火で焼き物を作るのはとても楽しい。明け方になると、温かいスープができて、火鉢の火も白い灰に覆われて、ほっと一息つける。
お湯沸かしソリューションのオートメーション化を目指すべく私のファイナルアンサーとしての結論は
やっぱり3リットル級のポットを準備し導入することを可及的速やかに行うことなの。
火にコンロに掛けている間の目を離せない時間がもったいないので、
ここはやっぱりポットでお湯沸かしを自動化するべく、
私はこの夏にいよいよ可及的速やかに動き出すかのように
全米が泣く湯沸かし素麺ソリューションのファクトリーオートメーション化を目指すのよ。
簡単に言えば、
ポットでお湯を沸かしてお鍋に移して素麺を湯がく!ってだけの話しなんだけど、
そのお湯沸かしソリューションの問題解決としてインスパイヤザネクストなの。
私の中の頭の中ではもう
問題はそう!
薬味をいかに良い状態の新鮮のものをキープしておくかってことに
次の焦点をあてるのよ。
予め薬味セットって売っていればありがたいんだけど
ネギはあるのよ。
素麺つゆもまたいろいろと楽しめていけば捗る率アップ間違いなしよね。
なんかぎりぎり面倒くさくないって言っている新垣結衣ちゃんのお湯を沸かすことすら、
私は面倒なのよね。
優勝出来るんだけど、
ティファールでは一気に800ミリリットルしか沸かすことが出来ないから
これ4回もその作業続けないと行けない羽目になるじゃない。
これじゃ元も子も虎の子もないので
4回湯をくべて沸かすなら
鍋で沸かすちゅーの!って言いたいところだけど
もうすでにギリギリ面倒くさくない緒湯沸かしですらお鍋でお湯を沸かすところが面倒なのよね。
だから
世の中に3リットル以上のお湯が一気に沸かせるポットの存在に気が付いたとき、
この大量の湯量で一気に素麺ソリューション解決じゃね?ってね。
でもさ、
お湯沸かしソリューション
全てこれ解決したとしても
素麺ってあっと言う間に気付いたら食べてしまって無くなってないかしら?
切ないわね。
さすがにどかどか食べているとお腹がポンポコリンになってしまうので、
一気にたくさんは湯がけないけど、
無意識で麺を食べているとあっと言う間に無くなってしまう夏のさみしさみたいなのが大黒摩季さんの曲を聴きながら夕立に打たれて食べる素麺の美味さよって
あの俳句名人の松尾芭蕉先生もきっとその美味さに種田山頭火先生との
そのぐらい
言わないわよ。
愛しさと切なさと……なんて。
そのぐらい寂しいものよね、
心強さをもったないとって
この夏は乗り越えられないわ。
またポットは買ってないけど、
きっと可及的速やかに導入に至ったあかつきには宴もたけなわでありますが、
まだパーティーは始まっていないけどね!
みんなに素麺を奢る羽目になってカウンターの上に吊されている鐘を鳴らさないように気を付けたいものよ。
カードが使えなかったら大変じゃない?
今からそれを思うと素麺バーでうっかりやらかさないことを切に祈るばかりよ。
うふふ。
ヒーコーも美味しいし、
薄暗い店内から出たときに眩しーって思うぐらいそんな感じよね。
カッツスイカ買ってきたのでカッツスイカアンド苺もこの時期加えてみて、
久しぶりにというか
夏すいか待ってました!って
季節到来よね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
次は何の食べ物屋さんをやったら面白いか大喜利みたいになっていて、
またいったいどうなるのかしら?って感じよ。
あえてするわ。
ってーかあれ豆腐を食べるんじゃなくて、
まだ懲りてないの?ってぐらい突っ込みどころ満載の賢秀にーにだわ。
もうあえて触れずにスルーよ。
そのぐらい、
波乱が万丈だわね。
アミノ酸である味の素を宇宙にばら撒いたら生命が発生するぐらい手塚治虫先生の火の鳥全篇ぐらい波瀾万丈だわ。
じゃあ、
でもさ、
なんらかの人為的にそうやってアミノ酸を宇宙にばら撒いている宇宙人がいるとしても、
そのアミノ酸をばら撒いている宇宙人の起源は?ってどうなるの?って
さらにそのアミノ酸とかのもとって結局は水素とかヘリウムとかそういうの何でしょ?
スイヘーリーベ的に、
なぜなにゼミナール開校!って訳じゃない。
巡り巡って堂々巡りだわ。
鶏が先か卵が先か論の
宇宙ニワトリが先か宇宙タマゴが先かってのにも通ずるじゃない。
もはや訳が分からないわ。
それよりも宇宙の外側が気になるし、
とうてい解明できっこないと踏んでいるんだけど
結局はポテトサラダに味の素の結晶をダイレクトに舌で感じられるように
旨味アップが
私はそう宇宙の味を感じながら
お惣菜コーナーでゲットした
ポテトサラダが美味しさアップ!ってシールの書かれたポテトサラダを手にしながら、
私はこれが宇宙なのかしら?って思ったわ。
なんかお婆ちゃんとか年配の方に多いような気がするんだけど、
いや感じたい人が一定数いるようで、
なんかお料理に混ぜて使うのが主流かと思っていたんだけど、
ふりかけみたいにして、
かけて食べるのよ。
味の素を。
なかなかロックじゃない?
それこそ
あれ途中でケチャップが切れて
主人公がブチ切れしていて、
ジャガイモがあるけどケチャップがないからもう生きていけない!みたいな
最初ジャガイモの栽培していた頃は調子良くケチャップで食べていたけど、
でも食べていかないと生きていけないので、
しぶしぶ素の顔でジャガイモを食べている様が、
まるで外人四コマまんがのテンションが高いときとテンションが低いときの551的な感じがシュールだわ。
ここで大胆な仮説なんだけど、
あの旨味調味料の開発者のストーリー物語じゃないの?もしかして!?ってこと。
MMRでも解き明かせなかった謎を今私が解き明かしたかのように、
な、なんだって!って言う自信あるわ。
サトウキビが原料だし、
そこで大伏線回収よ!
最終回壮大な宇宙クロニクルサーガのアミノ酸発見物語だったってこと、
宇宙コックで塩が足りない!ってブチ切れてる、
まあいいわ。
うふふ。
時と場合により、
私の気持ちが
天秤にかけたときに、
いつも逆の方のサンドイッチがあるのよ。
この現象「天秤座の気まぐれサラダ」って言う心理学的用語があるなんて私初めて知ったわ。
ウソみたいでしょ?
ふと思ったんだけど、
おいおい!そりゃないぜ!って味になるのかしら試してみないと分からないけど、
夕立のあとに大黒摩季さんの曲を聴きながら食べる素麺って美味しいわよね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!