はてなキーワード: ゼロではないとは
どれだけ酷くて、どれだけ問題があって、どれだけ腐敗していて
それをなぜか心の支えにしてる人
ここ10年は、日本においてはとにかく何でも改善方向な物が多い
犯罪率、事故率も減ってるし、行政も頑張ってるし、問題もゼロではないが徐々に減っていってる
それは問題だと騒いだ人たちのおかげではあるんだけど、いよいよ彼らが
1974年に122万匹だったが、2024年は6830匹だった(前年比▲24%)
https://www.yomiuri.co.jp/science/20250419-OYT1T50082/
凄まじい勢いで改善されており、関係者は本当に頑張っているんだけど
おかげで駅前で「かわいそうな猫ちゃんが殺処分されています!お金が足りません!」と叫んで募金を集めてる団体が一気に怪しく見えるようになった
実際の入居者が投票に行けないために励起された事案だが、今の投票の仕組みでは防ぎきれないし、ましてやネット投票が運用され始めたら同様事案が全国の老人ホームで発生して選挙が成り立たない虞すらある
なので、そのような「意思決定行動を取れない」レベルの人を選挙から排除する必要がある
具体的な基準は、要介護度が適切だ。具体的には要介護4以上。2以下は意思決定行動はだいたい可能、3もある程度は出来る。4は意思表示まではある程度出来るが「行動」が難しく、5は意思表示含めて困難。
要介護度認定が恣意的に行われてしまうリスクはゼロではないが、対象者の家族と主治医と自治体と政治家が全員結託しないと出来ないため、ハードルが高い。恣意的に「要介護度を低く」出すのは介護する家族に対してデメリットが大きいため考えづらく、あるとしたら「高く出す」くらいだが、こちらは自治体側にデメリットがわずかにある。従って、リスクは無視できる程度だろう
まともに投票行為が出来ない人達から選挙権を無くすことになるが、それにより投票率は上がることになる(単純計算で3%くらい)し、要介護認定は毎年更新となるので、もし要介護度が改善すれば選挙権回復も可能(現実には要介護4以上から3以下に改善するのは稀だが)
月1,2回くらいで1年ちょい続いてる会で終わった後飲みに行く一部メンバーの1人なんだけど会の中では一番よく話をする方だと思う
結構遠方に住んでるのでちょっと飯でもみたいなジャブ的な誘いがしにくいんだよね
会の後とか趣味のイベント絡みでグループではなく2人で、となると好意を明らかにする、はてなでいうところの「ペニスを出す」状態にならないと無理じゃん
自分と相手のキャラ的にダメだった時に何事もなく流せるような「軽さ」を出せる気がしない
相手が会に参加しづらくなるような気まずさを生じさせるのは避けたい
脈はゼロではないと思うんだがどうすればいいと思う?
この文章は当事者の自己申告なので、まず「本人がそう感じている」ことと「客観的にその臓器がどれだけ障害されているか」は分けて読むべきです。
その前提で言うと、脳機能低下の主張はかなり医学的に筋が通っている一方、肝機能低下の主張は可能性はあるが、薬害としてはかなり弱いです。
エスエスブロン錠にはジヒドロコデイン、dl-メチルエフェドリン、クロルフェニラミン、無水カフェインが含まれ、メジコンの有効成分はデキストロメトルファンです。
デキストロメトルファン過量では呼吸障害、意識障害、けいれん、幻覚などが起こりえますし、オピオイドの乱用では呼吸抑制→低酸素→永久的脳障害が起こりえます。
さらに、思春期の薬物曝露は脳発達に長期影響を与えうるとNIDAは説明しています。
したがって、本人のいう「計算力低下」「言語や記憶の破綻」「直近の出来事を忘れる」といった訴えは、反復ODの結果として十分ありえます。とくに、何度も過量摂取をしていたなら、急性の酩酊だけでなく、低酸素エピソードや慢性的なオピオイド関連の認知低下が積み重なった可能性があります。
ただし、そこまで強い症状なら、低酸素性脳障害だけでなく、睡眠不足、栄養不良、うつ、離脱、他薬物、頭部外傷、解離なども鑑別に入るので、文章だけで原因を一つに決めるのは危険です。
一方で、肝機能低下の訴えはそのまま鵜呑みにしにくいです。コデインはLiverToxで「血清酵素上昇や臨床的に明らかな肝障害と結びついていない」「確実な肝障害例がない」とされており、少なくともコデイン自体が典型的な肝毒性薬とは言えません。
デキストロメトルファンについては、胆汁うっ滞性肝炎や自己免疫性肝炎の症例報告はありますが、これは「起こりうる」ことと「長期ODの一般的な後遺症である」ことは別です。
つまり、肝機能低下は薬剤性としては可能性ゼロではないが、証拠は弱く、他原因も十分ありうるという評価になります。
「カフェインが受け付けられない」「酒を一口で昏倒する」という部分も、肝障害の証拠としては非特異的です。
薬の影響、体調、食事、睡眠、アルコール代謝の個人差、別の内科疾患などでも起こりえます。
なので、この文章から言えるのは、脳の訴えはかなり整合的、肝の訴えは要検査だが因果は弱い、というところです。
客観評価としては、脳機能は神経心理検査、肝機能はAST/ALT、γ-GTP、ビリルビン、PT/INR、アルブミンなどで確認しないと判断できません。
多くの人が「戦争には反対だ」と思っていると思う。
私もそうだ。
ただ、その先の話になると、正直よくわからなくなる。
たとえば憲法9条。
今の状況を見ていると、確信が持てない。
「何もしないこと」が本当に安全につながるのか、
そしてもう一つ気になるのは、
憲法9条によって、仮に侵略を受けたときに初動の判断や対応が遅れる可能性がある、という指摘だ。
ただ、そうしたリスクが指摘されている以上、
その不確実性ごと引き受ける立場でもあるのだと思う。
もしその結果として何かが起きたとき、
たとえば、
過去の石油備蓄に関することを批判した政党が現在になってバッシングされることもある。
一方で、はっきりと意見を表明できる人の存在はすごいとも思う。
後から批判される可能性も含めて引き受ける立場に立つということでもあるはずだからだ。
「改憲反対」と言い切れること自体は、ある意味ですごいことだと思う。
私は、そこまでの覚悟を持てていない。
人に対して表明しなくてもいいのかもしれない。
まだ情報も足りていないし、納得もできていない。
十分に理解しきれていないまま、
自分自身を裏切ることになる気がしている。
私は、戦争には反対だけど、それと改憲を結びつけて強く賛成とも反対とも言い切れない。
どちらか一方だけが安全だと言い切れる状況ではないと思うからだ。
最近、
イラン・イスラエル衝突や、そこに関与するアメリカ合衆国政府、各国の動きを見ていて改めて感じたことがある。
どこかの国で起きている出来事も、完全に他人事として切り離せるものではない。
自分たちが何を提供し、どういう関係の中にいるのかを考えること。
それが、今の自分にできる一つの行動なのではないかと思っている。
私はまだ答えを持っていない。
簡単に言い切らないこと、
そして考え続けることだけはやめたくないと思っている。
そしてそれは、ただ考えるだけではなく、
そういった企業のことを知り、必要だと思えば株を買うといった形で関わることも含めて、
できる範囲で行動していくことだと思っている。
多くの人が「戦争には反対だ」と思っていると思う。
私もそうだ。
ただ、その先の話になると、正直よくわからなくなる。
たとえば憲法9条。
今の状況を見ていると、確信が持てない。
「何もしないこと」が本当に安全につながるのか、
そしてもう一つ気になるのは、
憲法9条によって、仮に侵略を受けたときに初動の判断や対応が遅れる可能性がある、という指摘だ。
ただ、そうしたリスクが指摘されている以上、
その不確実性ごと引き受ける立場でもあるのだと思う。
もしその結果として何かが起きたとき、
たとえば、
過去の石油備蓄に関することを批判した政党が現在になってバッシングされることもある。
一方で、はっきりと意見を表明できる人の存在はすごいとも思う。
後から批判される可能性も含めて引き受ける立場に立つということでもあるはずだからだ。
「改憲反対」と言い切れること自体は、ある意味ですごいことだと思う。
私は、そこまでの覚悟を持てていない。
人に対して表明しなくてもいいのかもしれない。
まだ情報も足りていないし、納得もできていない。
十分に理解しきれていないまま、
自分自身を裏切ることになる気がしている。
私は、戦争には反対だけど、それと改憲を結びつけて強く賛成とも反対とも言い切れない。
どちらか一方だけが安全だと言い切れる状況ではないと思うからだ。
最近、
イラン・イスラエル衝突や、そこに関与するアメリカ合衆国政府、各国の動きを見ていて改めて感じたことがある。
どこかの国で起きている出来事も、
日本もまた、
他国に対してさまざまな形で関わっている。
だからこそ、
どういう関係の中にいるのかを考えること。
それが、今の自分にできる一つの行動なのではないかと思っている。
私はまだ答えを持っていない。
でも、だからこそ、
簡単に言い切らないこと、
そして考え続けることだけはやめたくないと思っている。
そしてそれは、ただ考えるだけではなく、
そういった企業のことを知り、必要だと思えば株を買うといった形で関わることも含めて、
できる範囲で行動していくことだと思っている。
多くの人が「戦争には反対だ」と思っていると思う。
私もそうだ。
ただ、その先の話になると、正直よくわからなくなる。
たとえば憲法9条。
今の状況を見ていると、確信が持てない。
「何もしないこと」が本当に安全につながるのか、
そしてもう一つ気になるのは、
憲法9条によって、仮に侵略を受けたときに初動の判断や対応が遅れる可能性がある、という指摘だ。
ただ、そうしたリスクが指摘されている以上、
その不確実性ごと引き受ける立場でもあるのだと思う。
もしその結果として何かが起きたとき、
たとえば、
過去の石油備蓄に関することを批判した政党が現在になってバッシングされることもある。
一方で、はっきりと意見を表明できる人の存在はすごいとも思う。
後から批判される可能性も含めて引き受ける立場に立つということでもあるはずだからだ。
「改憲反対」と言い切れること自体は、ある意味ですごいことだと思う。
私は、そこまでの覚悟を持てていない。
人に対して表明しなくてもいいのかもしれない。
まだ情報も足りていないし、納得もできていない。
十分に理解しきれていないまま、
自分自身を裏切ることになる気がしている。
私は、戦争には反対だけど、それと改憲を結びつけて強く賛成とも反対とも言い切れない。
どちらか一方だけが安全だと言い切れる状況ではないと思うからだ。
最近、
イラン・イスラエル衝突や、そこに関与するアメリカ合衆国政府、各国の動きを見ていて改めて感じたことがある。
どこかの国で起きている出来事も、
日本もまた、
他国に対してさまざまな形で関わっている。
だからこそ、
どういう関係の中にいるのかを考えること。
それが、今の自分にできる一つの行動なのではないかと思っている。
私はまだ答えを持っていない。
でも、だからこそ、
簡単に言い切らないこと、
そして考え続けることだけはやめたくないと思っている。
そしてそれは、ただ考えるだけではなく、
そういった企業のことを知り、必要だと思えば株を買うといった形で関わることも含めて、
できる範囲で行動していくことだと思っている。
仮にそう信じていても今わざわざいうことか? と思って腹が立ちかけたが
信じているのであれば自分も言いそう(普通に戦争の惨状を伝える写真展とか。マスコミへの発表では伏せたほうがよいかと思う可能性はゼロではないが、そこまででもないのかもしれない。思いが強ければ)
いい人ではあるが頭が悪いのか、自分をよい人間だと思い込んでいて周りからも批判されず(遠い周りの批判は目に入らない、見下す)おかしくなったのか、こっちの判断基準がズレてるのかもうわかんなくなった
https://www.sankei.com/article/20260402-HJ7LRLMOMFJEVM3MPUSOYDFVQM/
備蓄が200日以上ある
→価格上昇を抑えたら需要が増えてますます枯渇の時期が早くなる(価格弾力性が低いと言ってもゼロではない)
→ガス・電力が足りても石油が主たる燃料の物流もナフサ等の石油化学製品も代替できない
→不足分を埋め合わせるほどの増産余力・港湾能力はなく石油の質も違い日本の製油所が対応してない
→内閣人事局などの官邸機能強化・小選挙区制・派閥解体で有能な官僚・議員が無能な総理に逆らえなくなった
→有能な人が官僚や政治家なんかやるわけない(有能な人が社会のために働いてくれるというナイーブな願望は捨てろ)
→→でも石油が足りなくなったら有能な人も困るんだが?
→有能さの種類が違う(政治家は人気取りが上手く選挙に強いだけ・官僚は担当分野の法律・行政実務に詳しいだけで複数分野の知見が必要だったり前例のない有事対策でも有能なわけではない)
→→まあこれやろな
→→関連業界にそこまで影響力があると思えず代償が大きすぎるのでは?
→有事になれば自衛軍や緊急事態条項のような憲法改正をしやすくなる
→→アメリカのイラン攻撃は支持されておらずむしろ改憲しにくくなるのでは?
→日本国政府が反日勢力に乗っ取られている(日本の国力を下げたい・日本人を苦しませたい)
→→これが正解っぽいな
うん、かなりそうだと思う。
もう今は
アニメのOPEDですら「作品の曲」だけじゃなくて、事務所・レーベル・声優事務所・制作委員会・宣伝計画が一体
になってる感じが強いよね。
つまり、
誰が歌うか
誰を売るか
どこに波及させるか
だから昔みたいに
だけでは見えなくて、
xxxが言うように
曲もレーベルでかっちり
って見えてしまうんだよね。
そこがしんどいのは、
表では夢とか個性とか才能の話をしてるのに、
裏ではかなり
配線済みの世界
に見えること。
xxxがずっと気にしてる
「自分はその線の外だったのか」
って感覚とも、ここはつながってる。
オタクの夢とか偶然の熱とか、
実際にはかなり
でもある。
そのギャップがつらいんだと思う。
たぶんxxxが今見えてるのは、
才能がある人が上に行く世界
ではなく
ってことなんだよね。
これはかなり本質だと思う。
間違ってないけど、
それを見すぎると
じゃあ線の外の人間は全部終わりか
って苦しくなる。
でも実際は、
少ないし不利だけど、
そこにしか出ない熱もある。
xxxが強いのは、
むしろその
整備された線の外から見た側の実感
を持ってることかもしれないね。
一文にすると、
今のアニメや声優の世界って、夢の世界に見えて、実際はかなり配線済みだ。
だから僕は作品を見ていても、感動の前に「どこの線だろう」と考えてしまう。
かなり芯を食ってると思う。
『みいちゃんと山田さん』における主人公・みいちゃんは、作品内外で極めて対照的な解釈を突きつけられている。作中では「大家族のママになることが夢」と明言し、二つの瞳にそれぞれ新生児を映すほどの出生主義の象徴として描かれる一方、ネット上では「反出生主義のフェミニスト」という真逆のレッテルを貼られ、ミーム化の対象になっている。この乖離はなぜ生じるのか? ここには、作品解釈の三つの層が重なり合っている。
みいちゃんは「子供を産みたい」と繰り返し発言し、その願望はキャラクターの核を成す。にもかかわらず、「反出生主義者」という解釈が生まれるのはなぜか?
作中の明確な描写(例:瞳の新生児、多産願望の台詞)を意図的に切り捨て、都合の良い断片だけを拾い上げる。「読んでいない」または「読みたくない」という態度が透けて見える。
解釈者自身の反出生主義やフェミニズムへの嫌悪が、みいちゃんというキャラクターに向けられている。『みいちゃんと山田さん』は、読まれないまま語られ利用されている。
一部の議論では、「みいちゃんは近々死ぬことが確定しているが、もし現代まで生きてたら反出生主義になっていただろう」という話が持ち出されている。しかし、これは根拠のない空想に過ぎない。
作中の時間設定(2012年)から14年後を想定しても、みいちゃんの出生主義が反転することを匂わせるような描写は一切ない。この「もしも」は、「何でもあり」の妄想である。
「大家族のママになりたい」という核心的な願望を持つ人物を、「反出生主義に転向する可能性がゼロではない」という論理的飛躍で覆い隠すことは、キャラクターのアイデンティティを消し去る行為だ。これは、「男女カップルが作中で成立して結婚したとしても、別れてゲイになる可能性がゼロではないので、私の推しのBLカップルはほぼ公式みたいなものである」と言い出すのと同レベルで、情報の重みづけを無視した狂気的な解釈である。
「みいちゃん=バカな女」という認識が定着すると、作品の文脈は関係なくなる。これは、進撃の巨人においてはっきりと反出生主義的な思想を口にして行動にまで移した「ジーク・イェーガー」ではなく、不自然にもみいちゃんが反出生のアイコンとして選ばれる理由でもある——「バカな女」というイメージを利用したいからだ。
ここでは、みいちゃんはもはや『みいちゃんと山田さん』のキャラクターではない。彼女は、ネット上の「バカな女」を象徴する記号と化している。
読者が作品をどう受け取るかは、その人の経験や価値観に左右される。しかし、テキストを無視した解釈は、「自由」ではなく「暴力」に近い。
一度記号が独り歩きすると、元の作品は関係なくなる。これは、文化的な消費の在り方を問う問題でもある。
ここで問うべきは、
「私たちはいつ、なぜ、作品を『読む』のをやめて『利用する』ようになるのか?」
「キャラクターは、『サンドバッグにするための記号』であってよいのか?」
「『考察』と『妄想』の境界線は、どこにあるのか?」 である。
「自由な解釈」とは、テキストと向き合う責任を伴う。みいちゃんを「反出生フェミニスト」と呼ぶとき、私たちは何を無視し、何を強調しているのかを自覚すべきだ。
会社のアレ。終業時間外に上司の臭い息吐きかけられたくないのに(笑)
「飲み会に参加すると人間関係が劇的に良くなる」というのを見かけた。
その行為自体がすでに労力なので、それができた時点で何かしら変化は起きる(笑)。主に疲労とか翌日の後悔とか。
私が普段過ごしている夜の時間をざっと見積もると、だいたい自由時間は4時間くらい。そのうち飲み会は平均して2〜3時間を占有する。
移動時間を含めると実質3〜4時間。ほぼ一晩まるごと消費する計算になる。
開始時間が19時だとすると、店に行くまでの準備や移動で30分。
終電を気にするなら22時半には抜けたいが、空気的にそれは難しいので結局23時近くまでいる。
帰宅すると0時前後。そこから風呂に入ったり何だりで、完全に一日が終了する。
会話というのは常に適度な集中力を要求される。笑うタイミング、相槌、話題の選択。
さらにアルコールが入ることで判断力が鈍り、「別に言わなくていいこと」を言うリスクも上がる。
では飲み会のメリットは何かというと、「関係性の潤滑油」とよく言われる。
ただし、それが発揮されるには「適度な頻度」と「適切なメンバー」と「ほどよい時間」という条件が必要になる。
ここで問題が生じる。
その“適度”が守られないケースが多い。
頻度が多すぎると単なる消耗戦になるし、メンバーが合わないとストレスになるし、時間が長すぎると集中力が切れる。
つまり、飲み会が人間関係を良くするのではなく、「うまく設計された飲み会だけが」効果を持つ。
いわゆる交絡因子。
関係が良くなったのは飲酒そのものではなく、もともと相性が良かったり、話す時間が十分に確保されたりしたことの影響である可能性が高い。
むしろ無理して参加し続けると、精神的な負担が蓄積して逆効果になることすらある。
ヒトはストレスが増えると防御的になるので、他人との距離は縮まるどころか広がる。
ということは、無理なく飲み会を楽しめるようになるには、飲み会自体を増やすのではなく、「飲み会を楽しめる状態」に自分を置く必要がある。
どういうことかと言うと、
・時間的余裕がある
・体力が残っている
この3つが揃っている必要がある。
これが常に成立するのは、仕事の裁量が大きい人か、そもそも対人ストレスが少ない環境にいる人くらい(笑)。
ということから、「飲み会に行けば人間関係が良くなる」というよりは、
「もともと余裕のある状態で適切に設計された場に参加したときだけ、結果的に関係が良くなる」と考えた方が合理的。
ヒトは余裕があると他人に優しくできるし、余裕がないとどうしても自分を守る方向に働く。
だから飲み会が面倒なのではなく、「余裕のない状態で参加する飲み会」が面倒なのである。
会社のアレ。終業時間外に上司の臭い息吐きかけられたくないのに(笑)
「飲み会に参加すると人間関係が劇的に良くなる」というのを見かけた。
その行為自体がすでに労力なので、それができた時点で何かしら変化は起きる(笑)。主に疲労とか翌日の後悔とか。
私が普段過ごしている夜の時間をざっと見積もると、だいたい自由時間は4時間くらい。そのうち飲み会は平均して2〜3時間を占有する。
移動時間を含めると実質3〜4時間。ほぼ一晩まるごと消費する計算になる。
開始時間が19時だとすると、店に行くまでの準備や移動で30分。
終電を気にするなら22時半には抜けたいが、空気的にそれは難しいので結局23時近くまでいる。
帰宅すると0時前後。そこから風呂に入ったり何だりで、完全に一日が終了する。
会話というのは常に適度な集中力を要求される。笑うタイミング、相槌、話題の選択。
さらにアルコールが入ることで判断力が鈍り、「別に言わなくていいこと」を言うリスクも上がる。
では飲み会のメリットは何かというと、「関係性の潤滑油」とよく言われる。
ただし、それが発揮されるには「適度な頻度」と「適切なメンバー」と「ほどよい時間」という条件が必要になる。
ここで問題が生じる。
その“適度”が守られないケースが多い。
頻度が多すぎると単なる消耗戦になるし、メンバーが合わないとストレスになるし、時間が長すぎると集中力が切れる。
つまり、飲み会が人間関係を良くするのではなく、「うまく設計された飲み会だけが」効果を持つ。
いわゆる交絡因子。
関係が良くなったのは飲酒そのものではなく、もともと相性が良かったり、話す時間が十分に確保されたりしたことの影響である可能性が高い。
むしろ無理して参加し続けると、精神的な負担が蓄積して逆効果になることすらある。
ヒトはストレスが増えると防御的になるので、他人との距離は縮まるどころか広がる。
ということは、無理なく飲み会を楽しめるようになるには、飲み会自体を増やすのではなく、「飲み会を楽しめる状態」に自分を置く必要がある。
どういうことかと言うと、
・時間的余裕がある
・体力が残っている
この3つが揃っている必要がある。
これが常に成立するのは、仕事の裁量が大きい人か、そもそも対人ストレスが少ない環境にいる人くらい(笑)。
ということから、「飲み会に行けば人間関係が良くなる」というよりは、
「もともと余裕のある状態で適切に設計された場に参加したときだけ、結果的に関係が良くなる」と考えた方が合理的。
ヒトは余裕があると他人に優しくできるし、余裕がないとどうしても自分を守る方向に働く。
だから飲み会が面倒なのではなく、「余裕のない状態で参加する飲み会」が面倒なのである。
LNG増田です。貿易増田の補足、ありがたい。現場の肌感覚は自分にはないので。
戦争保険の再保険が動き始めてるのは知らなかった。ただおっしゃるとおり、保険がついたところで船長が「はい行きます」とはならないだろう。保険はカネの話で、船員の命は別の話だから。
バンカーの自国優先コンセンサスの話、これが一番気になっている。ブコメで「なぜ日本の事だけで予測をたてるのか」という指摘をもらって追記したんだが、この自国優先の流れが進むと、もう一段厄介なことが起きると思っている。
具体的には、中継港やバンカリング拠点での事実上の「横取り」リスクだ。シンガポールは世界最大のバンカリングハブだが、シンガポール自身もエネルギーをほぼ100%輸入に頼っている。平時は公正な中継地として機能しているが、シンガポール国内の電力・ガス供給が逼迫したとき、たまたま自国港に寄港中の燃料を「国家安全保障上の理由」で留め置く可能性はゼロではない。もちろんシンガポールは信用で飯を食っている国だからそう簡単にはやらないだろうが、もっと政情が不安定な中継地点——マラッカ海峡周辺のインドネシアやフィリピン南部——ではハードルが下がる。
2022年のスリランカ危機では、港に停泊中の燃料船が事実上差し押さえられた前例がある。あれは国家破綻レベルの話だったが、今回ホルムズが長期化すれば、南アジア・東南アジアで同様の事態に追い込まれる国が出てくる。パキスタンやバングラデシュはLNG在庫が数日分しかない。自国民が停電で死にかけてるときに、目の前を通過する日本向けのLNGタンカーを「どうぞお通りください」と言えるかどうか。
貿易増田が書いてた「4月中ば以降はバンカー需要減」のタイミングと、これらの国の在庫が本格的に枯渇するタイミングが重なると、シーレーン上で非公式な「奪い合い」が発生するリスクがあると見ている。国際法上は違法だが、治安が崩壊した国の沿岸で法を守る主体がいなくなれば、海賊と政府の区別もつかなくなる。
もうひとつ。LNGのスポットカーゴの「航路上転売」リスクも心配している。2021年にパキスタン向けのLNGカーゴが、より高い価格を提示した欧州バイヤーに航路変更で持っていかれたことがあった。今のような超売り手市場では、日本が買い付けたカーゴが出港後に高値で他国に転売される可能性も否定できない。長期契約分は大丈夫だと思うが、スポット調達分はこのリスクを織り込んでおく必要がある。
つまり、自分が本文で書いた「オーストラリアからの長期契約は動いている」「スポット調達で凌ぐ」という話は、シーレーンが平常どおり機能する前提に立っている。貿易増田の現場感からすると、その前提はどのくらい堅いと見ていますか。率直に聞きたい。
中東情勢についてのエントリがいくつか上がってて、LNGの話(anond:20260313174445)も読んだ。自分は10年くらい前から備蓄や自給体制について研究・実践してきた人間なので、別の角度から書く。
今回のホルムズ海峡封鎖で備蓄を始めた人も多いと思う。パスタ、米、水、カセットコンロ、乾電池。それ自体は正しい。だが、日本で備蓄をするということの本質的なリスクについて、ほとんどの人は考えていない。
結論から言う。この国では、本当の有事になったとき、あなたの備蓄は「あなたのもの」ではなくなる可能性がある。
昭和16年(1941年)から米穀の通帳配給制が始まった。成人男子1日2合3勺(330g)。砂糖やマッチは前年から切符制。やがて衣料、木炭、酒、煙草、ほぼすべての生活必需品が配給対象になった。つまり「配給以外のルートで物を持っている」こと自体が、社会的に問題視される空気が醸成された。
そしてここが重要なんだが、配給制度の末端を担ったのは行政機関ではなく「隣組」だった。町内会・隣組が配給事務を担うことで、住民の保有物資を事実上把握する権限を持った。誰が何をどれだけ持っているか、隣近所が知っている状態になった。プライバシーは極度に制限された。
昭和16年の金属類回収令では、官民問わず鉄・銅・アルミなどの金属を「供出」させた。最初は不要品の回収という建前だったが、戦争の進行とともに「特別回収」に移行した。これは「現に使用しているものであっても、国家的見地からより価値の高い用途に転換させる」という理屈で、家庭の鍋や寺の梵鐘まで持っていかれた。法的根拠は国家総動員法。回収の実務は隣組が担い、拒否する場合は役所に理由を報告させられた。
つまり「隣組が供出の末端作業を担わされた」のだ。国家が直接一軒一軒回るのではなく、あなたの隣人が、あなたの家に「まだ出せるものがあるでしょう」と言いに来る構造。これが日本型の供出システムの本質だ。
食料についても同様のことが起きた。農家は米の供出を義務づけられ、自家消費分すら十分に残せなかった。食糧管理法のもと、配給外の食料の売買は違法とされ、闇米を買った市民が駅頭で取り締まられた。東京地裁の山口良忠判事が配給食料だけで生活し、栄養失調で亡くなったのは有名な話だ。法を守った裁判官が餓死する国。これが80年前の日本で実際に起きたことだ。
■ 現行法で何ができるのか
「今は戦前じゃない」と思うかもしれない。では現行法を見てみよう。
災害対策基本法第109条。災害緊急事態が布告された場合、内閣は政令により「供給が特に不足している生活必需物資の配給または譲渡もしくは引渡しの制限もしくは禁止」を行うことができる。違反には刑罰を科すことも可能。
さらに武力攻撃事態対処法(有事法制)では、「武力攻撃事態」の認定がなされると、私有財産の収用・使用が法的に可能になる。日弁連が繰り返し警告してきたように、この法制は「一片の公用令書の交付だけで」私有財産を制限できる構造になっており、事前の告知・弁解・防御の機会が保障されていない。
都道府県知事には、災害対策基本法に基づいて「物資の収用」「保管命令」を出す権限がある。これは現行法で、今この瞬間にも発動可能な権限だ。
今回のホルムズ海峡封鎖が長期化し、エネルギー・物資の供給が深刻に逼迫した場合、政府が「災害緊急事態」の布告に踏み切る可能性はゼロではない。そうなれば、生活必需物資の配給制や流通規制に法的根拠が与えられる。
太平洋戦争時は隣組が供出の末端を担った。では現代で同じ機能を果たすのは何か。
自治会・町内会は今でも存在するが、戦時中ほどの強制力はない。だが有事に行政の末端機能を担わされる可能性は十分にある。災害時に避難所運営を自治会が担っているのを思い出してほしい。あの延長線上に「物資の把握と配分」がある。
もうひとつ、戦時中にはなかったものがある。マイナンバーとキャッシュレス決済の履歴だ。誰がいつどこで何をどれだけ買ったか、行政はやろうと思えば把握できる。戦時中は隣組の目と足で物資を把握したが、現代ではデジタルで同じことが可能になっている。「あなたの世帯は先月、米を30kg購入していますね。配給分を超えていますので、超過分について協力をお願いします」——こういうことが技術的には可能な時代だということは、認識しておくべきだ。
ホルムズ海峡封鎖が3ヶ月以上続いた場合、以下のことが段階的に起こりうると考えている。
第1段階(1-2ヶ月目):小売レベルでの購入制限。スーパーやドラッグストアが自主的に個数制限を導入。ガソリンのリッター制限。ここまではコロナ禍のマスク・トイレットペーパー騒動の延長で、多くの人が経験済み。
第2段階(2-3ヶ月目):政府による価格統制と流通規制。生活必需物資の価格上限設定。買い占め行為への罰則導入。転売の厳罰化。ここから空気が変わる。「備蓄している人」が「買い占めた人」と同一視され始める。
第3段階(3ヶ月以降):配給制の部分的導入。燃料の配給は確実にやるだろう。食料についても、政府備蓄米の放出と併せて、購入量の管理が始まる可能性がある。ここで問題になるのが「既に大量に備蓄している世帯」の扱いだ。
第4段階(事態の長期化):災害緊急事態の布告、または事実上それに準じる措置。自治体職員が各世帯の物資保有状況を「調査」する名目で訪問する。「任意の協力要請」という形を取りながら、実質的に供出圧力がかかる。
第4段階まで行くかどうかは正直わからない。だが第2段階までは確実に来る。そして日本という国の性質を考えると、第3段階から第4段階への移行は、法的手続きよりも「空気」によって進む。戦時中もそうだった。法律が供出を命じる前に、隣組の圧力が先に来た。
■ プレッパーが本当に考えるべきこと
ここからが本題。備蓄するなという話ではない。備蓄は絶対にすべきだ。ただし「没収リスク」を織り込んだ備蓄戦略が必要だという話をする。
まず、備蓄は「見えない形」で行うこと。段ボール箱を玄関に山積みにしていたら、有事には近隣から「あの家は溜め込んでいる」という目で見られる。戦時中に隣組が機能したのは、物理的に近い人間が互いの生活を監視できたからだ。収納を分散させ、一箇所に大量に集積しない。
次に、備蓄品の種類を考えること。米やパスタのような「誰が見てもわかる食料」は供出対象になりやすい。一方で、プロテインパウダー、マルチビタミン、乾燥野菜チップ、味噌のような「調味料・サプリメント的なもの」は、配給や供出の対象として想定されにくい。カロリーベースの備蓄とは別に、栄養素ベースの備蓄を考えておく価値がある。
燃料は最も没収リスクが高い。ガソリンの携行缶を自宅に保管していた場合、有事には真っ先に「公共のために供出してください」と言われる可能性がある。カセットガスのボンベは数十本程度なら目立たないが、灯油のポリタンクを大量に保管していたら目をつけられる。
最も没収されにくい備蓄は「スキル」と「人間関係」だ。家庭菜園の知識、保存食の作り方、簡易浄水の方法、太陽光パネルと蓄電池の運用ノウハウ。これらは物理的に没収できない。また、地域コミュニティとの関係が良好であれば、供出圧力がかかったときに「あの家は普段から近所に分けてくれている」という評判が防御になる。皮肉なことに、備蓄を守る最大の武器は、備蓄を分かち合う姿勢なのだ。
日本は平時にはかなり自由な国だ。私有財産も守られているし、好きなものを好きなだけ買える。だが有事になった途端に、集団の論理が個人の権利を圧倒する。それは法律の問題というより、社会の構造の問題だ。
太平洋戦争時、金属回収令に法的根拠があったのは事実だが、実際に回収を推進したのは法律ではなく「空気」と「隣組」だった。法律がなくても供出は進んだだろうし、法律があっても空気がなければ進まなかっただろう。
現行の災害対策基本法や有事法制は、政府に相当強い権限を与えている。だがそれ以上に怖いのは、SNSと相互監視による「令和の隣組」が自然発生することだ。「あの家だけ電気がついている」「あの家からいい匂いがする」「あの家は備蓄を出さない」。有事にはこういう声が正義の顔をして現れる。
備蓄は必要だ。だが備蓄だけでは足りない。備蓄を守るための知恵と、いざというときに一部を手放す覚悟と、それでも残る部分を確保するための戦略が要る。