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はてなキーワード: リンゴとは

2024-12-31

ローカル食品だと知ってショックを受けたもの

関東10年以上いて

「あれ、あれ食べてないな?」

と思って、調べてローカル品だと気づくやつ

 

とんぶり

今日知った

とんぶりローカル品だった

とろろに混ぜてご飯にかけて食べるとめっちゃうまい

形状がキャビアに似てるけど野菜

 

津軽漬け、ねぶた

これは流石にローカルだと気づいていたけど

売って無いと知って悲しかった

アンテナショップ行って高くて二度悲しかった

食卓普通に存在してたのに

これもご飯にかけて食べる系(ご飯にかけて食べる系ってローカル品多いよね)

 

甘い赤飯

未だに全国区赤飯が許せない

甘い赤飯大好き

最近友人に作って食べさせたが子供バカ受けだった

(ちなみに婆ちゃんてんこ小豆から作ってたけど、これもドローカル、試したいけど炊飯器じゃできないんだよね)

 

甘い茶碗蒸し

茶碗蒸しには栗でしょ!

関東に来て茶碗蒸しスイーツじゃないと知ってショックを受けた

 

細いたけのこ(ねまがりたけ)

テレビで見るたけのこと、自分で取りに行くたけのこが別物でおかしいなと思ってて

あの太いたけのこ食べてみたいなあと思ってたんだけど

今は細い方を食べたい

スーパーに一応売ってるけど高い

味噌汁にしたい

 

じゅんさい

まあこれは別にきじゃないんだけど

物産展めっちゃ高額で売られててビビった

はいやいや食べてたぞこれ

父は沼で取ってきて食べてたらしい、自生してるのか?

→ 調べたらそりゃ高ぇわという代物だった(しかも準絶滅危惧種)、父が好きだから食卓にあったんだな

 

ミズ

これもローカル山菜

正直好きではないが以下略

 

ささぎ(ささげ)とにんじんの炒めもの

これはめっちゃ好きなんだけど、関東にないらしい

そもそもこの植物がさやえんどう?とどう違いのか未だに謎

今度作ってみなきゃと思ってるが夏のものなので毎年忘れている

(→ これです 

https://www.umai-aomori.jp/202310/27676.html

https://cookpad.com/jp/recipes/19836040-%E3%81%95%E3%81%95%E3%81%92%E3%81%AE%E6%B2%B9%E7%82%92%E3%82%81

 

いも、大王駄菓子

これもショックが大きかった

ローカル駄菓子(1社しか作ってない)

https://tsugaru-atemono.jp/service.html

ローカル駄菓子全国的めっちゃありそう(マイナーバージョンがたくさんありそうだけどね)

関東駄菓子屋に行って「あれ無いなあ」と思って調べたらコレだよ

めっちゃ好きなのに(かなり甘い)

 

いのちカスタードケーキ

最近ついに全国区になってきた、コンビニとかでたまに見かける

コンビニで「青森名産」って書いててローカルだと気づいた

ずっと仏壇に供えられてたか全国区かと思ってたけど、考えてみたらローカルからお土産になってたんだな

気になるリンゴリンゴしまローカルだろうなと思ってたんだけど

 

 

まだあった気がする

 

この時代になっても「アレが全国区じゃないなんて」って食品はたくさんあるもんだなあ

 

親が秋田北部、育ちが津軽です

 

___

 

逆にローカルじゃないんかよお前ってのは、フキわらびわらび全国区のくせに見かけないのなんで?

 

ローカル食品って売ってないことにまずショックを受けて

友人が「食べたことない」ってのでもう一度ショックを受けるんだよね

布教しなきゃって気持ちになる

(もしくは売ってるのにめっちゃ高くてショックを受ける、関税か?)

 

中年になったらこういうの親から全部聞き出さないとまずいわ

 

___

 

とんぶり、調べたらクエン酸処理をしてるらしい

大館とんぶりは加工の際に雑菌予防のクエン酸処理をしており、新鮮でもかすかな酸味があります

開封の際、においが気になる場合は目の粗いザル等にキッチンペーパーなどをしいた上にとんぶりをあけ、軽く水に通してから使用ください。(長時間の水洗いはお避けください)

 

こういう品の困るところが、親がどこで買ってどう下処理してるかも聞かなきゃ分からないんだよね

家庭の味付けとかいう究極のローカルが発生してる可能性もある

 

___

 

金萬なつかしい

食ってねーな、これは類似品が沢山ありそうではあるけど、金萬じゃんって味は今のところ出会たことがない

 

ささげは、豆だけつかう地域結構あるんだけど、地元ではさやの方使うんだよね

その豆の方のささげとさやの方のささげが同じものかは不明、ここらへんの品種って近縁種が多いんだよな

 

え、筋子って北のものなの!?

たまにコンビニで見るから全国だと思った、考えてみればあまり見かけない

 

___

 

甘い赤飯はそこまでこだわらないなら簡単

3合に対して砂糖大さじ3、塩少々入れるだけ

2024-12-30

フリゲなんて「おま環」で良いのでは

アンズリンゴが公開停止になってしまった。ゲーム中に強制終了多発で原因が解決するまで公開停止にするとの事。作者環境では起こらないので結構難航しているとか。

むかし「傭兵冒険」ってツクールの有料ゲームがあって、これも強制終了多発で原因を究明すべく外部の会社に依頼したりなんやかんや3カ月ほど調べたけど

結局原因が見つからなくて作者の制作意欲が失われてしまった事があった事を知ってるので個人的には「おま環」で突っぱねてどんどん自分のやりたい事やってくべきだと思う。

有料ならともかくフリゲならそこまで労力使う事無いと思うけどね。俺なら作りっぱなしにして次回作に取り組む。

2024-12-25

家で焼き芋レシピ完成した

買ってきた芋を水洗いしてアルミホイルを一重で中が見えない程度に軽く包み、電子レンジオーブン機能デフォルト温度設定のままの180℃で予熱もせずに、2時間調理するだけ(最長設定が90分仕様なのでいったんタイマーがきれてからまた30分足した)

これで3回目だが、初回はビギナーズラックまぐれ当たりで60分調理まあまあ焼き加減(蒸かし芋気味の焼き芋具合)、2回目は芋の種類も状態もよくなかったみたいで生焼けだったので電子レンジ10分追加したが湿っぽい蒸かし芋という仕上りに、そこで

https://organic.co.jp/?p=14346#keni-toc20

を参照して120分調理することにして、買ってから日経ってしまった芋から出ていたヒゲ根がカビてきていたのでその直下まで先端から測って切断切除、断面の変色変質が無いのを確認してから調理した

焼き上がりで天板に接していた芋の下面は透きとおるようなカラメル色の汁が出てリンゴ飴のような堅さと光沢を持ち、また匂い鹿児島県民おなじみ「からいも飴」まんまの芳香を放ち糸を引くようにのびる(味も)

ヒマな休日、昼食のあとから調理すればオヤツに間に合うのでどうですか

調理時間はウチの環境と条件に合致したものなので失敗されたとき責任は負いません

m(_ _)m

2024-12-23

anond:20241222142408

TL;DR 薄っぺらミーハー人間になれ

中年仕事に打ち込んできたものタスク崩しは若手に委譲することになり、ふと周りを見ると家庭持ち。残された自分には何も無くて趣味だったコンテンツ消費(漫画ゲームアニメYouTube同人)も退屈に…みたいなパターンは何回も見た、そこでネットに何かい趣味無い?みたいな書き込みをする。

おっさんが今さらつの趣味に打ち込んだところで大成はしない、したところで誰も見向きもしない。年をとり経験を積んで賢く強くなったと思ったら大間違いだ。40過ぎた人間には何の力もない、ピアノを始めたとして5歳で修了するバイエルを終わらせることはできやしない。

からもう色々やるしかないんだよ、アニメ漫画話題のやつは必ず見ろ。ゲームも全ハードだけ買って大作だけやればいい、マジックギャザリングルールだけ覚えて3ヶ月に一度のプレリリースだけ出ろ。

毎日本を読め、お気に入り作家を見つけようとか高尚なことはするな、平積み話題作だけ読め。毎日なんて絶対無理だ、週3回ジムに行き30分マシントレーニングだけしろ。帰ったら1品だけ料理を作って米だけ焚け。

終わったらデュオリンゴで30分勉強しろ仕事パソコンを使うならPythonVBA勉強しろ、間違ってもCやRustはやるな。

日経読売を読め、TOEICスコアを上げろ、チョコザップに入れ、大河ドラマを見ろ、鬼滅を見ろ、呪術を見ろ、ゼルダの伝説をやれ、大谷翔平を見ろ、ワールドカップ決勝戦を見ろ、スーパーボウルを見ろ、ジャイアント自転車で一番近い一級河川サイクリングに行け、富士五湖キャンプに行け、百名山を登れ、モーツァルトマイルスデイビスマイケルジャクソンを聞け、沖縄ダイビングに行け、北海道スキーに行け、CB400SFに乗れ、インテルCPUPC自作しろ金閣寺に行け、通天閣に行け、東京スカイツリーに行け、ソウルに行け、ニューヨークに行け、パリに行け。

JRの車内広告みたいだろ?俺も自分で書いてて吐きそうになる、でも何もない人生よりも薄っぺら人生の方がマシだよ。金がないなら良かったじゃないか会社で頑張って働いて同僚と語らう余地がある。

ドーパミン報酬系快楽には距離をとれ、TicTokはみるな、ソーシャルゲーム時間を区切れ、Twitterタイムラインは整理しろ、皆のウェルビーイングを祈る。

2024-12-16

anond:20241216162517

以下は「掛け算の順序を入れ替えてはいけない」派と「掛け算の順序を入れ替えてもいい」派のディベート形式構成した議論です。教育現場での観点を中心に、それぞれの立場の主張を明確に示します。


「掛け算の順序を入れ替えてはいけない」派の主張

1. 掛け算の具体的な意味を正しく理解させるため
  • 掛け算は「○個の△が△セットある」という具体的な状況を表します。この段階では、順序を固定することで、数式と現実対応関係を明確にすることが重要です。
    • 例:3個のリンゴが5箱ある → 3×5。

順序を入れ替えて 5×3 とすると、「5個のリンゴが3箱ある」という異なる場面を指すように見える可能性があります。これでは子どもが混乱します。

2. ルール一貫性を保つ
  • この段階で「順序を守る」というルールを徹底することで、算数の学びに一貫性を持たせます自由に順序を変えることを許すと、「ルールを守る」という習慣や考え方が身につかない恐れがあります
3. 可換法則を学ぶ土台を作る
  • 後の学びで「順序を入れ替えても結果が同じ」という可換法則を教える際に、初めて「順序を守らなくても良い」という拡張的な理解可能になります。それまでは、順序を固定することが具体的な計算イメージを深める助けになります

「掛け算の順序を入れ替えてもいい」派の主張

1. 数学事実を早期に尊重するべき
  • 数学的には、掛け算は可換性を持つ演算です。可換法則をまだ教えていないからといって、この事実無視するのは誤った印象を与える可能性があります。結果として、後で可換法則を教えた際に「どうして順序を守らなくてもいいの?」と混乱するリスクがあります
2. 順序の自由計算力を高める
3. 順序を固定するのは抽象的な理解を妨げる
  • 「順序を守らなければいけない」と教えることで、掛け算を具体的な状況だけに結びつけてしまい、抽象的な概念としての「数の関係」を理解する妨げになる可能性があります子どもが掛け算を「道具」として柔軟に使うためには、順序が固定されていないという考え方を早期に取り入れるべきです。

具体的なディベート論点

論点1:具体性 vs 抽象
  • 「入れ替えてはいけない」派:掛け算の意味現実の具体的な場面に結びつけるには順序を固定するべき。
  • 「入れ替えてもいい」派:掛け算の抽象的な性質を早い段階で理解させるべき。
論点2:教育効率
論点3:計算力の育成
  • 「入れ替えてはいけない」派:順序を守ることで規律を育て、混乱を避ける。
  • 「入れ替えてもいい」派:順序を自由にすることで計算の工夫や応用力が育つ。

結論の導き方

このディベート結論は、教育現場目的方針によって異なります

この議論を通じて、どちらのアプローチにも利点があり、教育の段階や子ども理解度に応じて使い分ける必要があることを理解させることが重要です。

anond:20241216161415

では、教育現場で、可換法則をまだ教えておらず、ゆえに可換法則を使ってはいけないとするならば、掛け算の順序を入れ替えてはいけない、という解釈は成り立ちますか?

教育現場でまだ可換法則を教えておらず、それを前提としない場合、「掛け算の順序を入れ替えてはいけない」という指導方針理論的には成り立つと考えられます。以下に理由を詳しく説明します。

1. 可換法則を教えていない段階では順序を守る必要がある

掛け算の順序を守らせる理由として、以下のような教育観点があります

意味理解を優先する

小学校低学年などの段階では、掛け算を「具体的な場面」や「数のグループの集合」と結びつけて教えることが多いです。この場合、順序は具体的なイメージストーリーに密接に関連します。

例: 「3個のリンゴが5箱ある」という状況は 3×53×5 で表され、ここで「3個」が「5回」繰り返されるという順序が重要です。これを 5×35×3 に入れ替えると、「5個のリンゴが3箱ある」という異なる状況として解釈される可能性があります

構造的な理解を促す

可換法則がない段階では、「○個の△が△セット」という形式で順序を明確に示すことで、数式と現実対応関係直感的に理解させることが目的となります

2. 可換法則を教えていない段階で順序を入れ替えないのは一貫性のため

数学的には、もちろん 3×5=5×3 が成立しますが、可換法則概念が導入されていない段階でこれを許すと、生徒が混乱する可能性があります

  • ルール」を学ばせる段階では、順序を固定し「掛け算はこのように読む・解釈するものだ」と定着させることが大切です。
  • 可換法則を習った後に「順序を入れ替えても結果が同じ」という事実を教えることで、既存ルール拡張する形で学びが進みます

3. 教育的な意義

「順序を入れ替えない」という解釈は、教育的意義を踏まえると非常に合理的です。例えば:

  • 前後の順序が異なると意味が変わることもある」という実生活での感覚を育てること。
  • 順序を明示することで、将来的に可換法則を学ぶ際の「結果が同じになる理由」をより深く理解させる準備となること。

まとめ

可換法則をまだ教えていない段階で、「掛け算の順序を入れ替えてはいけない」という指導教育的に十分に意義があり、成り立ちます。この段階では、数学的な厳密性よりも、具体的な場面に基づいた順序の意味解釈を生徒が正しく理解することが重要です。

ただし、後の段階で可換法則を導入した際に、「実は結果が変わらない」ということを明確に説明することで、以前教えた順序のルールが学びの過程での一時的ものであることをきちんと伝える必要があります

2024-12-14

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

2024-12-13

タカシ君はスーパーへ買い物に行き、リンゴ3個とパイナップル1個を握り潰しながら言いました。「お前もこんな風にしてやろうか」

赤いリンゴに唇寄せて

行くが男のど根性

2024-12-12

たまたま日本語との相性が良いミュージシャン

リンゴスター

ザ・ビートルズドラマーである

ここでいうリンゴappleではなくring指輪)を指しているので、リンゴというキャッチー日本語名前となっているのは全くの偶然である

ボーイ・ジョージ

カルチャークラブボーカルで『カーマは気まぐれ(Karma Chameleon)』という曲が有名である

この曲のサビでは「カマカマカマカマ...」と連呼しており、当時の本人のニューロマンティックな見た目音も相まって、特定の印象を持って覚えた人が多いように思う。

もちろんKarmaのことを指しているので、オカマとは関係ない。

 

他にこういう例があったら教えてほしい。

2024-12-10

anond:20241210005622

すりおろしてあるミックス野菜ジュース飲めば良いじゃん

普通野菜ジュースリンゴ多めなので成分表をみて一位がトマトとかのやつを選ぶこと。

2024-12-09

anond:20241209161314

分かる。俺もintelに原因があると思っている。

この時期のIntelの持病というかなんというか、使い続けていると段々遅くなり

最終的にはリンゴマークで5分止まったりクリーンインストールするまで治らない症状を発する

2024-12-08

美味しいケーキランキング

【前置き】

はてな匿名で書く内容なのかというのはともかく、私が美味しいと思うケーキ屋・パティシエを書き出して、順に並べてみた。私は製菓料理について専門的な教育を受けたこともないし、生業としてフードライターをやっているわけでもない。仕事柄、堅い文章を書くことにはある程度慣れているけれど、エッセーのような柔らかい文章を書いた経験ほとんどない。

このランキングを作ってみようと思ったのは、怪我をして外を歩く気になれず暇だったからというのが一番の動機だけれど、ランキング作成過程で「あの時のあのケーキは本当においしかったな」と幸せな思い出を振り返ることができたし、「自分はこういうケーキを美味しいと思っているのか」という傾向を何となく知ることができて面白かった。

このランキングは、私の個人的な好みに基づいて、偏差値表のような形で作成している(もちろん偏差値のものは表していない。)。偏差値50を超えるケーキ基本的にどれも文句なく美味しいし、そこまで確固たる優劣があるとは思わない。特に偏差値60-65のレンジはその日の気分によって順番が変わるだろうと思う。比較的趣向が近い友人に意見を聞いても、結構な食い違いがあったので、本当にその人の好み次第ということなのだと思う。また、日頃からメモを取っているわけでもなく、思い出した順に書きだしただけなので、ランキングに載っていて当然なのに書き落としているものもたくさんあると思う。

そんな感じで免責みたいなものを書き連ねたところで、ランキングをご覧ください。

【美味しいケーキランキング

80: Maxime Frédéric (Le Tout-Paris, Maxime Frédéric chez Louis Vuitton) (Paris)

79: Matthieu Carlin (Butterfly Pâtisserie at Hôtel de Crillon) (Paris), François Perret (Ritz Paris Le Comptoir) (Paris)

78:

77:

76:

75: Mori Yoshida (Paris), Cedric Grolet (Paris)

74:

73: [xxxxxxxxxxxx] (京橋)

71:

70: LESS (恵比寿)

69: ASSEMBLAGES KAKIMOTO (京都), pàtisserie Tendresse (京都)

68:

67:

66: FOBS (蔵前), Les Alternatives (東小金井), Pâtisserie K-Vincent (神楽坂)

65: La Pâtisserie Cyril Lignac (Paris), Equal (幡ヶ谷), LE CAFE DU BONBON (代々木八幡)

64: Libertable(赤坂), grains de vanille (京都), Ryoura (用賀), Dining 33 Pâtisserie à la maison (麻布台), おかしうっちー (北参道)

63: Yann Couvreur Pâtisserie (Paris), La Pâtisserie Ryoco (高輪), Fleurs d’été (代々木上原), Harmonika Kyoto (京都), sweets garden YUJI AJIKI (神奈川), Sweet Rehab (NY)

62: PIERRE HERMÉ PARIS, AU BON VIEUX TEMPS (尾山台), Paris S'éveille (自由が丘), AIGRE DOUCE (目白), CONFECT-CONCEPT (稲荷町), Paris S'éveille (自由が丘), AIGRE DOUCE (目白),

61: équilibre (不動前), Pâtisserie ease (日本橋), 銀座和光 (銀座), Palace Hotel Tokyo (大手町),その他美味しいホテル系, Asterisque (代々木上原), a tes souhaits! (吉祥寺), N'importe quoi (京都)

60: Avranches Guesnay (春日), Taisuke Endo (学芸大学), Préférence (新中野), feuquiage (調布), PÂTISSERIE ASAKO IWAYANAGI (等々力)

[...]

55: 千疋屋総本店, Henri Charpentier, その他デパ地下系・工場

[...]

50: LAWSON, Lady M (NY)

[...]

45: Lysee (NY)

[...]

40: Whole Foods Market

【いくつか補足】

パリには複数回行ったことがあるが、パリケーキは本当に美味しく感じた。もちろん遠路はるばる補正思い出補正もあるのだと思うけれど、単純に値段がとても高いので、惜しむことなく良い材料を使えているのではないかと思う。パティシエ社会的地位が高いらしいので、その結果パティシエが制約なしで好きなようにケーキを作れる、ということもあるのかもしれない。

Maxime Frédéricは有名人だし、本当にどのケーキ(あと、ややテーマ外だけれど、レストランデザートも)も美味しい。いつかホテルシグネチャーレストランにも行ってみたい。Matthieu CarlinやFrançois Perretは、少なくとも私のアンテナでは情報がたくさん入ってくる感じではないけれど、複数ケーキで感動した。

Cedric GroletはMaxime Frédéricよりも有名人で、逆張りしてみたくはなるのだけれど、フルーツの使い方が独創的で、まあ確かに美味しい。あの値段であれだけの人を集められるのは、SNS映えだけでは説明できないと思う。

[xxxxxxxxxxxx]は、フルーツ真摯に向き合っていることや高い洋菓子基礎力に裏打ちされていることが素人の私にも伝わってくるような気がする。接客は独特で毎回緊張するけれど、敬意をもって謙虚に臨めば、丁寧に遇してくれるし、嫌な思いをしたことはない。職人ってそういうものなのかな、と思っている。

LESSは、以前はnomaやINUAみたいな雰囲気実験的なケーキが多くて毎回面白かったのだけれど、最近はそれよりは分かりやすケーキが多くなった。もちろん、それらもとても美味しい。たまに昔のLESSを食べてみたくなるときもある。

タンドレスは、もともと酒やムースとかのイデミスギノ的なものがあまり得意ではない私でも、これは凄いと感じる何かがある。私では理解が及ばないというか、置いて行かれている感じもする。

FOBSは一般的にはすごく高く評価されている感じはしないものの(ゴーフレットはとても有名)、ここのショートケーキ特に美味しいと思う。卵や牛乳などの素材がシンプルによくまとまっている感じがする。判官贔屓的なものが入っているかもしれないけれど。

Alternativeは夏の焼き菓子イベントタルト類が全て美味しい。Equalチーズケーキは瑞々しくてチーズ香りがよく整っていて、これより美味しいチーズケーキはなかなかないと思う。「フランス菓子道」の真ん中・正当を通ってきたかはよく分からないけれど、個人的な好みに合っている。

Ryouraは街のケーキ範疇で、傑出して美味しい。うっちーシグネチャーショートケーキ生クリームミルク感は特徴的。

リョーコは(伝統的という意味ではなく)ちょっと古い感じがするけれど、分かりやすく美味しいと思う。セブンイレブンとのコラボレーションは。。カーヴァンソンやリベルターブルも私の中では同じような枠に入っているのだけれど、こちらの方が個人的な好みに合っている(何でだろう)。

étéをどう位置づけるかは難しかった。テンションの上がる見た目だし確かに美味しいのだけれど、洋菓子としての工夫・洗練を感じるかというと、そういうことを目指して作られたものでもないような気がする。

ピエールエルメのイスパハンは、なんだかんだといってやっぱり名作だと思う。ホテル系のちゃんと作られたケーキは、やや割高な感じはするものの、総じてしっかり美味しい。

easeは個人的な好みにはあまりハマらないけれど、美味しいし評価されていることもわかる。アステリスクアテスウェイ家族で食べるのにとてもよいと思う。ナンポルトクワリンゴタルトは一つの発明だと思う(別途元祖があるのかな)。パリヴェイユフランス菓子の正当という感じで間違いなく美味しいのだけれど、個人的に好きなケーキとは少し違う(パン焼き菓子はすごく好み)。

アメリカでウケているケーキは、個人的にはそこまでヒットしなかった。Sweet Rehabは見た目もきれいですごく高く評価されているけれど、高額すぎる点を措いても、評価に見合うほどではない気がする。

店名が大文字だったり小文字だったり「pàtisserie」が付いたり付かなかったりするのは、適当google検索した結果をそのまま引き写しているだけなので、正確ではないかもしれない。

こういう番付モノは、それ自体批評対象として「それは違う、こっちの方が上だ」等々とケチをつけることに楽しさがあると思う。コメントをいただけたら嬉しい。

追記1209】

記事を公開した後、思ってもいなかった程たくさんの方に見ていただいて、色々なコメントをいただいた。一つ一つどれもありがたいと思っている。

書き忘れていたお店を何個か思い出したので、適宜ランキングに追加してみた(Asako Iwayanagi, AU BON VIEUX TEMPS, CONFECT-CONCEPT, Dining 33 Pâtisserie à la maison, équilibre, Libertable, sweets garden YUJI AJIKI, Patisserie Porte Bonheur)。また、説明部分にもいくつか加筆をした。加筆するにあたっても、既に順番を書き換えた方がいいのではないかという気がしてくるから、やっぱりその時の気分次第の順に過ぎないんだなと分かった。

偏差値表のような形」というのが分かりにくいというコメントがあった。イメージしていた偏差値表は、例えばこんな感じのものだった。

https://www.syutoken-mosi.co.jp/application/hensachi/upload/dansi202412.pdf

もちろん、今回は母集団正規分布かもよく分からないし平均や分散を求めて何かしているわけではない。あくま偏差値「風」ということでご容赦いただきたい。今回は、偏差値50の重責をローソンに担ってもらった。個人的偏差値(風)60以下かなと思ったものは、角が立つの基本的には取り上げなかった(NYいくら角が立っても大丈夫。)。

神奈川千葉埼玉などの郊外大阪神戸のような別の都市圏はあまり開拓できていないので、いつか掘り下げてみたい。

中野のMORI YOSHIDAについては、どう取り上げるか迷った。例えば、パリで食べたババトロピックミルクが入ったスポイトのようなものが刺さっていて、それを注入して食べるのがとても美味しかった記憶がある。中野の方はそうはなっていなくて、少なくとも何らかの「違い」はあるのだと思う(見た目に明らかに分かるもの以外も多分。)。ただ、だからといって劣るとかいうわけでもないし、でもそうすると今度は、中野のMORI YOSHIDAとLESSに大きな差があるかのようになるけれど、本当にそうなのかというとよく分からない。突き詰めていくと、遠路はるばる補正思い出補正を数値化することにもつながりそうで、それは楽しい思い出のためにも止めておいた方がよいかなと思い、取り上げないことにしていた。

2024-12-07

anond:20241207195336

🍛「リンゴハチミツとろーりとけてる♬」

🐻「蜂蜜はいってないし!」

anond:20241206230313

リンゴを一緒に買いに行くことまでは学習できてないようだな

所詮AIはそのレベル

2024-12-06

anond:20241206185458

ふたりえっちって漫画の有名なセリフからググってみてくれ

正解は「女はそのリンゴをどこで買ったか聞いて欲しいくて、今度は一緒に買いに行くよう提案して欲しい」だそうだ

anond:20241206145301

最初リンゴが3個あります

あと2個リンゴを買ったらいくつになるでしょう

anond:20241206085341

生でも煮でもいいから、野菜食えマジで。40すぎたらすぐ尿路結石で石をチンコから出産するまで激痛入院になるぞ。これ以上の鎮痛剤は馬用しかありませんっていわれるぞ。

野菜ジュースでもリンゴ少なめならギリギリセーフにするけど。

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