はてなキーワード: うどん店とは
あちこちに讃岐うどんの店があるし、社食みたいなセルフサービスの形式だったのに驚いた。
うどんの値段も1玉300円というおやつ感覚で食べられる少量も売っていて地元の高校生やサラリーマンでにぎわっていた。
また地元のひとに「うどん文化すごいですねー」というと不思議な顔をされた。
「文化ってほどではないけど…」ということらしい。
たしかに。
例えば俺は大阪人だけど「笑いは大阪の文化」と言われると違和感がある。
大阪人からすると、ボケ・ツッコミの掛け合いやオチのある話というのは別に文化というほど高尚なものではない。ただの日常会話だ。
同じように香川の人からすると俺から見た特殊な形態のうどん店は当たり前にあるものなんだろう。
見る人によって文化に見えたりそうでなかったりするもの。それが文化なんだと思う。
俺が香川のうどんが特殊に見えたり、非大阪の人から大阪人のコミュニケーションが独特に見えたりそういうことが起こる。
一方で着物みたいに日本人からしても外国人からしても文化だとみなされるものもある。
また日本人から見ても着物は日常ではないだろう。夏のお祭りや成人式といったハレの日だけに着る文化だと思う。
日常から消えてしまいそうになって、それを大切にしようという意識が生まれた時が日常が文化に変わるときなのではないか。
そんなことを考えた。
月一でフレンチを食っていた生活から月一でうどん店にいくことへ切り替わることもあるだろう。
(おしゃれなところは幼児はお断りのお店も多いしね。そうして、それはお店を尊重すべし)
でもね、小さい子供が取り分け用の器から子供用フォークでチュルチュルと麺をすする姿は愛おしいんだ。
それをじっと見てたし、思い出しただけで泣きそうになる。
さらに大きくなれば、中学生になったりすれば「俺、うどんとカツ丼のセット」とか言うのだ。
この頼もしさに、またたまらなく感動する。
うどんを子供用フォークで口に運んでいた幼児と、ぶっきらぼうにガツガツとカツ丼をかき込んでうどんをすする青年が同一人物なのである。
それでも、生まれた日からすべての年代の子供が消えることなく胸にいる。
長いスパンでその子が生まれて、自分が死ぬまでずっと思える存在というのはなかなかないのだよ。
浅草キッドのどちらかが「娘を育てるということは、ずっとその子に恋をしているようなもの」と言ったことがあるが、これは名言であると思う。
子育ての環境など、みな違って同じものなど一つもないのだから、何を思い何を得られるか、失うかはその人次第ではある。
ただ、自分が幸せな家庭を築き、子供を愛するのだと強く心に誓えばそれを守るのは難くない。
少なくとも、私は幸福であったし、子供を持ててとてもよかった。
それは間違いないのです。
無頓着というか、奴らにとって空気みたいに自然にあり過ぎる、みたいな方が正確かもしれないけど。
何でかっていうと、うどん店があり過ぎて、家の近くにある店のうどんが=うどんそのものみたいな感じで、たまたまその店がイマイチだと
「讃岐うどんって大して美味くないよ」
とか言い出しがち。まあそう言う奴でも、じゃあうどん食ってないのかってなると、普通にめっちゃ食ってるんだけどね。
この20年くらい? の県主導の観光キャンペーンとかで、有名店に行くみたいな地元民もだいぶ増えたと思うけど、そうなる前に有名店に一々食べに行く奴なんてかなり珍しかった。
基本的には自宅の近くの店でうどんの玉を買ってきて家で食う、それが香川県民のスタイル。
まあ出勤・通学時に朝うどん食える店で食ってる人多いし、さも当然のように昼も職場や大学近くのうどん屋で食ってたりするけど。
だから「上手いうどんをわざわざ遠くまで食いに行く」という香川県民は珍しいし、他人の家で手打ちうどんを食うだなんて習慣は無いよ。
休みの日になると、よく午前中から友達の家に遊びに行き、友達のお母さんにお昼ごはんをご馳走になった。
友達が私のうちに遊びに来た時に、私の母がうどんを振る舞うこともまたよくあった。
そして、誰の家のうどんが一番美味しいのかという話で盛り上がるのだ。
私の住んでいた地域では、親のうどんを作る腕前が子供の学校内での地位に影響を及ぼすことがしばしばあった。
しかし所詮は家庭で作るうどんであり、お店で出てくるようなレベルには及ばないような、あくまでささやかなランク付けだ。
隣のクラスのS君の家で出てくるうどんが途轍もなく美味しいという噂が学年中を駆け抜けたのだ。
それまでS君の家のうどんランクは精々上の下といったところだったのだが、なんとS君のお兄さんが作るうどんは彼の両親を遥かに凌ぐ味なのだという。
ぜひともその味を確かめたいと、何人もの人たちがS君に頼み込んだ。もちろん私もである。
5人くらいまでなら多分大丈夫とS君に言われた私達は、うどんを賭けた大じゃんけん大会を開き、見事私はその5人の中に選ばれた。
後日、手土産を持ってS君宅に上がったときお兄さんは既にうどんを作り始めており、挨拶を済ませた後慣れた手付きで人数分のうどんを作られていくのを私達はじっと見ていた。
S君の話では、お兄さんは1年ほど前からうどん店でアルバイトをしており、家族に振る舞うために店主からうどん作りを教えてもらっているうちにめきめきと上達していったのだそう。
そして出来上がったうどんを食べた私は仰天した。市販の材料から作られたとは思えないほど美味しく、間違いなくうどんランクの頂点に立つ味だった。
翌週、私達が噂は本当だったと触れ回ったことで、S君は一躍人気者となった。
休み時間になると大勢に取り囲まれ、誰もがあのうどんの話でもちきりだった。
まだ半信半疑の者も多少いたが、数週間後にS君宅に招かれた元うどんランク1位のK君や親戚がうどん店を営むN君らの証言もあり、徐々にS君を疑問視する声は無くなっていった。
この出来事によって、それまであまり目立たない方だったS君も少しづつ変わっていった。
以前よりも社交的になり、友達も増えたことでスクールカースト上位層、言ってしまえば陽キャとしての振る舞いが身についていったのだ。
その後中学校でも彼は人気者であり続け、私が親の都合で東京に引っ越すことになってからは会っていないが、元同級生からS君にとても美人の彼女が出来たという風のうわさを聞いた。
どうしようもなく疲れて有楽町駅のガード下のうどん屋へ。カレーうどんはお汁のカレーは出汁が効いてるしとっても美味しかったけど、麺がソフ麺っぽかったのが残念だった。むしろ今どき、どこで買えるのかわからないレベル。おなじゆるゆるなら、博多うどんのよかよかの方がいいかな。
交通会館、つけ蕎麦 恵比寿初代あるし(残念ながらそばだけだったけど)、水沢うどんが食べられる八重桜あるし、東京ナイズされてない博多うどんが美味しいよかよかあるし、気づいたらうどん店激戦区になってて草。
ただ、あそこのお店閉めるの早いから、そしたら銀座木屋で閉められるし、ちょっと歩けばひもかわうどんの花山うどんが食べられるし、有楽町-銀座間でご当地うどんに困らないでござるな。
丸亀製麺が神戸の企業であることは香川県民からの評判にあまり関係がない。 丸亀製麺は丸亀市のうどん店で研修することなど丸亀へのリスペクトを強調しているし香川県にあまり店を出さないのは遠慮してのこととも言っているが、完全に言い訳。 香川県民にとって「実際においしくない」という事実から評判が悪い。
伝統的な「讃岐うどん」は弾力がかなり強くて食べにくいしイリコ出汁は生臭みがどうしてもある。 でも、それが讃岐うどんだというのが地元民の認識で、地元民はそれがおいしいと思っている。 (若い人は必ずしもそうではないことも多いけど。)
観光客向けにクセを弱くしている店も多くて、地元民向けの店とは完全に棲み分けされていて、丸亀製麺のうどんはクセが弱められた店に分類される。 香川県民向けの店でもなく、香川県の店が観光客のためにクセを弱めているわけでもないという中途半端な立ち位置が香川県における丸亀製麺の立場なのである。
念のために述べておくがクセの強い讃岐うどんに慣れていると丸亀製麺はおいしくないということであって、全国的に平均的な「うどん」としてみれば丸亀製麺はまあそこそこなんだと思う。 ただやっぱり伝統的な讃岐うどんではないのも確か。
気付いたら日記を辞めていた。
辞めてから1年以上経って「そういえば辞めてしまったな」と気付き、ふわと宙に浮かぶ今まで書き上げてきた日記が、途端に愛おしく、このままインターネット上に残りつつ誰にも読まれないであろう我が子たちに対してやるせない気持ちが沸沸と湧き出てきたので、雑にコピーして増田にペーストすることにした。
キーボードを打ちながら10月もう半分終わったのかと驚く。なにもやらずとも日々はとめどなく続く。大学は3年も後期なので全然忙しくなくてポツンポツンと入っている講義に出席しつつ空き時間は家で寝ていたり何もしなかったりレポートを書いたりしている。今日の講義は2限目だけなので目を覚まして時計を見たら間に合っていなかった、休講ですね。そういう日もある。カーテンから見える空が青々としていていいなと思う。空が高いと涼しくて森林浴をしているみたいに身体が換気される感じだ。皮膚も夏用のシューズみたいに通気孔空いてたらもっと涼しいだろうなと思うけど洗うのだるくて不衛生になっちゃいそうか。夏にお世話になった実習先に支払うゴニョの代金を今日払おうと思ったのだけど結局大学行かないから払えないな。本当は月曜が支払期限なのだけどもう水曜だし、悪いことをしてしまったとか思うと体の芯がむず痒くなっていけない。やることねーとか思いつつ結局駅へ向かって大学行きの電車に乗りこむ。帰巣本能?休日にやることないから会社行く趣味のない社員みたいだ。途中の駅で降りる。母校の最寄駅なのだけど別にセンチメンたらないし何も感じず適当に歩いた。昼なので飯を探しているのだ。近くに大盛りアッサリ系の中華そば店あったなとか節約しないといけないからチェーンのうどんでいいなとか思いつつ適当に歩いているとまぜそばの看板が目に入る。
はい。
うまいけど量が少ない。800円とったくせに。
初めて入った店なのだけど入るやいなやちょっとすいませんと狭い店内を一度追い出される。入り口に設置してある食券機が壊れているみたいで店員がガチャガチャやりつつ無理っすねー注文は口頭でと言われ、カウンターの向かいにいる女性に何にしますと問われる。テストに例えると問題用紙が配られないままテストが始まる感じだ、もしくは虚の檻に向かって人参を差し出す感じ。なにを、なにが…?ううっと戸惑って、まぜゴニョとかウーとか言ってたら上の麺が来た、いいですね。まぜそば食べたことないのだけどまぜそばなどと銘打っているのだからおそらく混ぜて召し上がるのだろうと丁寧に盛られた具をグチャグチャと掘っては上に掘っては上に混ぜていく。天地返しだこれ。グチャグチャのなにかをズーッとやっているとカウンターの向かいで店員同士のささやきというかフフッとかいう笑が聴こえ頭が白くなる。僕たち誇り高きいじめられ経験者は笑い声の対象を常に自分だと捉えてしまうバグを搭載しているので不便だ。人生のストーリーに応じてアップデートされないし。結局よく分からなかった麺を平らげてそそくさと退散した。よく分からんうちに丼の麺は無くなり満腹中枢は刺激されたので不本意というかやるせなく、近所のチェーンうどん店に入ろうかと逡巡したのだけどぼくは賢いのでやめた。帰宅するかと駅に向かっている途中で古本屋に吸い込まれたので100円小説コーナーを回りマンガとか本とか買った。
大手ゼネコン企業 増田建設(本社:東京都新宿区)の五十代の課長含む男性社員七人が、スーツ姿のまま都内のうどん店に行き、昼食を取っていたことがわかった。
国士交通省は三十日、増田建設の社長に対して口頭で注意を促した。近く文書で全ゼネコン企業にも呼びかける。
同省は、スーツは公共事業以外に使わないと国内のゼネコン企業と申し合わせている。
同省によると、二五日午前九時半から同省で公共事業に関する説明会があり、入札に参加予定のゼネコン企業社員五十人が参加。
このうち、同社の七人が終了後にスーツ姿でうどん店に立ち寄った。
国民が同日夜にメールで「税金で稼いだお金で買ったスーツ姿でうどん店に立ち寄っていた。おかしくないか」と写真付きで同省に指摘。
このため二十五日に「スーツ姿で飲食店に行くのは非常識」として社長に口頭注意した。
課長は同省の聞き取りに「次の打ち合わせがあり、このタイミングで昼食を取るしか無かった。軽率だった」と話したという。
この行為に対して評論家の増田二郎氏は「公共事業が遂行される体制が整っているかどうかではない。1億2000万人いる国民がそれぞれ抱く感情すべてに対応し、安心してもらうことが大事だ」と話した。
最近、『もんくもん』(読売テレビ)や『ちゃちゃ入れマンデー』(関西テレビ)、『VOICE』(MBS)などで「奈良5時くらいから店閉まるもん。全部そう」「年に一回くらいしか外食しないんか?」などと言われる。
これは昔からで、具体的な名前を出すと、関西人の謎ですねん!(河出書房新社)、月曜から夜ふかし(日テレ)、第1次さんま内閣!(フジ)、産経新聞、VOICE(MBS)、Nスタ(TBS)、All About News Dig、奈良あるある(TOブックス)、世にも不思議なランキング(TBS)、ten.(読売テレビ)、ロケットニュース24、日経新聞、おとな会(MBS)、まぐまぐニュース!、今ちゃんの「実は・・・」(朝日放送テレビ)、ならナビ(NHK奈良放送局)、ニュースほっと関西(NHK大阪放送局)、ちゃちゃ入れマンデーなどきりがない。
「だって奈良なんだから」と思われるかもしれないけど、土産物店と飲食店を一緒くたにしないでほしい。
過去に、産経新聞の「主要駅周辺の飲食店の多くが午後8時に閉店する」という記述に反論するために各メディアに文書が配布されたことがあるけれど、それによると
・ 東向商店街にあっては、31店舗のうち20時で閉店するものは喫茶4店舗、うどん2店舗、和食1店舗の7店舗のみで、多くの店の閉店時刻は22時となっていること。
・ 小西さくら通り商店街にあっては、30店舗のうち喫茶系6店舗、お好み焼き2店舗、和食2店舗が20時までの閉店であり、多くは22時から23時、場合によっては午前1時頃まで営業する店もあること。
・ 飲食店の少ない餅飯殿商店街においても、16店舗のうち20時までの閉店は、うどん店とレストランの各1店舗のみであり、多くは22時から24時が閉店となっていることがわかります。
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どこのスーパーマーケットでも買える食材を使ってうどんを作ります。ゆでうどんは安い。讃岐とか冷凍とか気取った枕詞が付いていないうどんはだいたい格安で買えます。どのくらい安いかというと近所のスーパーマーケットで確認した限りでは税抜きで18円です。税込みでも19円。とても安いです。
供給も安定している傾向があるけれども、閉店間際に行くと売り切れていることもある。とても安いがゆえに人気が高いことも事実です。年金生活の一人暮らしのじいさんやばあさんがこれを一つずつ買って売り切れたのではないかと思うと社会問題を提起したくなる。年金生活になったら、18円のうどんを毎日食べる日々。こんな世の中になることをみんな夢見て働いてきたのか。今を時めく政治家の方々にはスーパーマーケットのうどん売り場の前を一日中見張って、18円のうどん購買層の方々の悲哀を確認してみろ。と、気持ちの昂ぶりを抑えなくてはなりません。
ここでうどんの食べ方を確認しておきます。お店でかけうどんといえば、なみなみと注がれた汁にうどんが入っているこれがうどん業界での常識です。飲むか飲まないかわからないうどんの汁を大量に用意しなくてはならないブルジョワ志向。たくさんのおいしい汁を潤沢に用意することは庶民には高いハードルです。
名前を言ってはいけない元グループのメンバーの一人が宣伝マンをしている昆布つゆという商品があります。昆布の成分のおかげで糸魚川静岡構造線よりも西側の味がする一品。この瓶の裏のラベルには、かけうどんには水で5倍に薄めよと書かれています。さらに冷やしうどんのつけ汁には3倍に薄めよとの助言がある。ところが5倍に薄めると少し上品すぎてパンチが足りないと脳の中枢からの叫びが発せられます。この問題点を改善するために3倍希釈の濃度でかけうどん用の汁を作ると塩辛く、飲み干せない。この汁を捨てるのがもったいないと感じとっておこうと思うのか、いらない汁は使い終わったら下水道へ一直線に捨てることができるのかが貧困線の一つと思うのです。残った汁を保管し、次の機会に使うという行為を始めると家の中に無数のペットボトルやヨーグルトの容器が増殖を始める。うどんの残り汁の入った容器は台所を占領し、そのほかの生活空間をも脅かしていきます。ゴミ屋敷まっしぐら。兎に角も希釈したうどんの汁はその場限りで使い切らないとより不幸になってしまうのです。
ここまでのお話で、うどんが安いこと、薄めたうどんの汁はできるだけ無駄なく利用することが心の安定のために望ましいことがわかります。次にうどんの茹で方と鍋の使い方を話します。
駅の立ち食いそばうどん店やセルフ形式のさぬきうどん店へ行くとカウンター越しに厨房の様子を見ることができます。せっかく見えるのだから、ここから学ばない手はない。この様式のお店では、席の回転を上げるためにできるだけ早くうどんを提供しなくてはなりません。うどんを茹でる鍋と汁の鍋が別になっている点に注目。これはうどんを茹でた濁った汁に汁の素を入れていたのでは汁がうどんから出た小麦粉成分で濁ってしまうことを防ぐために考えられたうどん業界伝統の手法です。しかしながら、家の台所で鍋を2つ使ってうどんを作ることは不経済の印象が拭えない。せっかく安価な18円のうどんを調理するのにお金がかかっては本末転倒です。一つの鍋で沸かしたお湯で経済的にうどんを作ることがジャスティス。一つの鍋で作ることを考えます。茹でうどんはすでに茹でてあるため、温まれば食べれる。この性質は鍋での茹で時間が大変短いということです。手順を説明すると、鍋にお湯を沸かす。お湯をお玉で2杯すくい、どんぶりに入れる。どんぶりが温まったところで、お湯を捨てる。お湯を捨てたどんぶりに昆布つゆを大匙で2杯入れる。大匙を用意するのがめんどうな人は大匙2のラインにマジックで線を描いておくとよい。鍋からお玉でお湯を1.5杯入れる。このお湯の量の加減はお玉の容量によるとところが大きいので、各自工夫してください。ここまでの手順で、汁を温める鍋を準備することが省略されました。手順も片付けも半分になり大変経済的です。鍋のお湯は沸騰したままですので、ここにゆでうどんを投入し、20秒ほど温める。この時間は立ち食いうどん店での店頭でプロの調理人がその時間で茹でていたことに由来します。カウンター越しの学習はとても役に立つ。カウンター席のあるお店は知見の宝庫です。お湯を捨て、うどんを汁の中へ入れます。洗い物が増えることをいとわないのならば、湯切用のテボを使ってもいいのですが、洗い物が増えることは経済的ではない。ゆえに地味に箸でどんぶりに移します。
かけうどんの完成です。このまま食べても昆布つゆの開発者の研究心のおかげで家庭でもとてもおいしい汁のうどんとなります。味に変化をつけたいときは、「わさび」「からし」「七味」を使って刺激を与える。わさびとからしは、粉末タイプをおちょこで溶いて都度生成するのがおすすめです。「うどんにからし」に抵抗感がある人がいるかもしれませんが、豪雪のニュースで名前が出てくる越後の一地方ではからしでそばを食べています。そばに使える薬味をうどんに使わない手はない。ということでからしも薬味に加わった次第です。
さて、冒頭の見出しでは納豆うどんと銘打っているのに納豆が出てこない。ここまでの長文を読ませておいて、これはどういうことだと気が付いた読者は賢明です。納豆はなくてもこのかけうどんは完成する。完成するけれども、栄養面でこころもとない。このうどんをたべても野菜350グラムを摂取することができない不完全食です。できるだけ完全食に近づけるべく納豆を入れる。この時点でできているうどんもすでにおいしい領域に達しています。かけうどんと薬味で半分食べたところで、納豆を入れると食味が変わって、一粒で2度おいしい状態になる。うどんに納豆を入れるときは、汁が多すぎると納豆の粒を箸で拾いにくくなるので、あまり都合がよくありません。半分食べたところで汁を少なめにして納豆を入れるとうどんの中で納豆の濃度をとても高めることができより経済的に納豆うどんを味わうことができます。
ここまでで最低限の納豆うどんの説明はおしまいです。これだけの自炊行為で最低限の命をつなぐことができる。政府関係者から格安うどんをよりおいしく食べる方法として広報されてもいいと思います。
etc-etc先生にプライベートモードを解除してはてなに戻ってきてもらいたいので
先生にわかって頂きたいのは、住所と職種が特定されても恐れる必要はないということです。
>幸い、僕はその職業に従事していないのですが、実はそこに関連のある職業についています。
「その職業」とはおそらく税や社会保障に関する職業であると思います。
先生は税関係の専門的なブコメを多数されてていますし、『経営分析の基本がハッキリわかる本―「会社の数字」がわかれば一生食うに困らない!』という書籍にもブクマされていました。
また、税理士タグで137件ブクマされていたことからもこれは推測されます。
>直近に起きた事件の記事に近所で起きた旨コメントしてたので、こういう危ない人に「職種と住所は分かってるよ」と言われた怖さといえば分かるでしょうか。
これはキャッシュが残っていました。
名古屋市名東区八前二、うどん店「めん工房むらかみ」の経営者、村上幸徳さんが公園にうどんをまきちらした事件にブコメされています。
以上から、etc-etc先生は名古屋市名東区に住む税関連の職種の方だということが推測できます。
これらは先生が自ら付けられたブコメから判断できることであり、プライベートモードを解除されればさらに絞り込める可能性はあります。
ただ、それだけで正確な住所氏名職場まで特定することは困難ですし、仮に番地まで特定されても先生本人が認めでもしない限り100%確定にはなりません。
住所と本名が特定されても元気に活動している方々もネットにはいらっしゃられます。
第一、ポリコレの棍棒云々のブコメをしただけで特定しようとする人はいないと思います。
先生はポリコレ支持者やはてサが特定して嫌がらせてくるのではないかとおそれているようですが、ブコメで異論を書いた者全員にそんなことをしていればキリがありません。
仮にそのような嫌がらせをされた場合は弁護士や警察に相談されればいいと思います。
先生はビビりすぎです。もし特定されるとしたら先生の主義主張が原因ではなく、ビビりっぷりが面白かったためではないかと思います。
はてなは半匿名ですので、ブクマ傾向やブコメを紐づけして人物像を推測することは可能です。
しかし、だからと言って萎縮する必要はありません。正確な個人情報を特定するのは困難ですし、思想の違い程度で拡散や嫌がらせを受けるようなことはほぼないでしょう。