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リドリー・スコット『エイリアン:コヴェナント』
立川のCINEMA CITYへ出かけ、『エイリアン: コヴェナント』を観賞。
本作はエイリアン・シリーズの第六作にあたる作品だが、エイリアン・シリーズの第一作である『エイリアン』の前日譚『プロメテウス』の続編という位置付けであり、時系列的には二番目のエピソードである。
前作『プロメテウス』がエイリアンの起源に迫る内容だったことを踏まえ、本作はそこからさらに謎を掘り下げつつ、『エイリアン』第一作目につなげる試みがなされている。ただ、監督のリドリー・スコットによると、『エイリアン』と話をつなげるためにはもう一作必要とのことで、どうやら次作も予定されているとみて間違いないだろう。
まとめるとこんな流れである。
『プロメテウス』2012年公開:監督リドリー・スコット
『エイリアン: コヴェナント』2017年公開:監督リドリー・スコット
『次回作?』
『エイリアン』1979年公開:監督リドリー・スコット
『エイリアン2』1986年公開:監督ジェームズ・キャメロン
『エイリアン3』1992年公開:監督デイヴィッド・フィンチャー
『エイリアン4』1997年公開:監督ジャン=ピエール・ジュネ
さてお次はストーリー。
時は2104年。宇宙船コヴェナント号は冷凍休眠した二千人の入植者と千体以上の人間の胎芽を積み、人類の新天地となりうる惑星オリガエ6を目指していた。しかしニュートリノの衝撃波によって船は故障し、乗組員や入植者に被害が出てしまう。
乗組員たちが修理に取り組む中、突然、地球の歌らしき信号が受信された。発信源を調べるとそれは付近の惑星からのもので、しかもオリガエ6より地球に近い環境だと判明する。一行は急遽予定を変更し、未知の惑星に調査隊を派遣するが……。
ううむ、これはいかんなあ。やっていることが『エイリアン』と変わらないうえに、そこまでのサスペンスはないし、かといって『エイリアン2』のような爽快感もなし。結局は『プロメテウス』の補塡的な内容ということで、シリーズのピースを埋める程度の楽しみぐらいしかない。
このシリーズの肝は個人的には大きく二つあると思っている。
ひとつは完全生命体という圧倒的な存在のモンスターと、人間がどう戦っていくかというところ。これはシリーズの娯楽部分を占める部分であり、ストレートに観客に訴える部分でもある。
例えば『エイリアン』ではじわじわと真綿で首を絞められるような恐怖感と息詰まるサスペンスがメインであり、ラストの決着のつけ方はあの時点では最高であった。
また、『エイリアン2』ではハラハラドキドキのスリラー仕立て。エイリアンとの真っ向勝負であり、ラストもそうくるかという、エイリアンもびっくりの戦いを見せる。
一方、本作では基本的に一作目の『エイリアン』を踏まえた形である。ただ、一作目をなぞるのは良いとしても、それが一作目をまったく超えていないことが残念。そもそもエイリアンとの対決にそれほど重きを置いていない感すらある。
シリーズの肝の二つ目は、本シリーズの全体に流れるフェミニズム、あるいは母性というテーマである。
第一作の『エイリアン』がなぜあそこまで評価されたかというと、もちろんSFホラー映画、モンスター映画としてよくできていたこともあるが、加えて主人公に女性を起用したこと、そしてストーリーや設定に出産や妊娠といったメタファーのあったことが大きい。つまりフェミニズムという主題を非常に色濃く打ち出したところが斬新だったのだ。
それまでアクション映画のヒーローといえばほぼ男性だったのに対し、『エイリアン』では女性主人公が男性クルーと対等に渡り合い、エイリアン(これは男性のメタファーだろう)と真っ向から対決する。当時、欧米では女性の社会進出の動きが急激に高まった時期であり、この動きをいち早くSF映画に取り込んだことで、見る物に新鮮な驚きを与えてくれたのである。
『エイリアン2』や『エイリアン3』以降では、そこからさらに母性というイメージも強化され、エイリアンすらいつのまにか男性のメタファーというよりは母性のダークサイドを象徴するような存在となっていく。
そして肝心の本作では、女性主人公という伝統はかろうじて守ってはいるものの、この母性というテーマからは離れているように思うのである。ぶっちゃけると物語の背後に「人間とは何か、どこから来たのか」という哲学的な問いをもってきており、なんだかずいぶん普通のSFアクション映画になっちゃったねという印象である。
まあ、たかが娯楽映画を見るのにそんなこだわりが必要なのかという考えもあるだろう。いくつかケチをつけてはみたものの、普通のSFホラーとして見ればそこらの作品よりはまずまず楽しめるわけで。
とはいえ何の思い入れもない一見さんが本作を見る場合にも問題は少なくない。なんといっても『プロメテウス』を観ていないことには理解できない事柄が多いのは致命的だし、より楽しむためにはやはり『エイリアン』も観ておく必要はあるのだ。
ということで、最初にも書いたように、本作はシリーズを通して観ているファンが、ストーリーをつなげるための一作といってよい。リドリー・スコット本当にどうしたの?
本作はエイリアン・シリーズの第六作にあたる作品だが、エイリアン・シリーズの第一作である『エイリアン』の前日譚『プロメテウス』の続編という位置付けであり、時系列的には二番目のエピソードである。
前作『プロメテウス』がエイリアンの起源に迫る内容だったことを踏まえ、本作はそこからさらに謎を掘り下げつつ、『エイリアン』第一作目につなげる試みがなされている。ただ、監督のリドリー・スコットによると、『エイリアン』と話をつなげるためにはもう一作必要とのことで、どうやら次作も予定されているとみて間違いないだろう。
まとめるとこんな流れである。
『プロメテウス』2012年公開:監督リドリー・スコット
『エイリアン: コヴェナント』2017年公開:監督リドリー・スコット
『次回作?』
『エイリアン』1979年公開:監督リドリー・スコット
『エイリアン2』1986年公開:監督ジェームズ・キャメロン
『エイリアン3』1992年公開:監督デイヴィッド・フィンチャー
『エイリアン4』1997年公開:監督ジャン=ピエール・ジュネ
さてお次はストーリー。
時は2104年。宇宙船コヴェナント号は冷凍休眠した二千人の入植者と千体以上の人間の胎芽を積み、人類の新天地となりうる惑星オリガエ6を目指していた。しかしニュートリノの衝撃波によって船は故障し、乗組員や入植者に被害が出てしまう。
乗組員たちが修理に取り組む中、突然、地球の歌らしき信号が受信された。発信源を調べるとそれは付近の惑星からのもので、しかもオリガエ6より地球に近い環境だと判明する。一行は急遽予定を変更し、未知の惑星に調査隊を派遣するが……。
ううむ、これはいかんなあ。やっていることが『エイリアン』と変わらないうえに、そこまでのサスペンスはないし、かといって『エイリアン2』のような爽快感もなし。結局は『プロメテウス』の補塡的な内容ということで、シリーズのピースを埋める程度の楽しみぐらいしかない。
このシリーズの肝は個人的には大きく二つあると思っている。
ひとつは完全生命体という圧倒的な存在のモンスターと、人間がどう戦っていくかというところ。これはシリーズの娯楽部分を占める部分であり、ストレートに観客に訴える部分でもある。
例えば『エイリアン』ではじわじわと真綿で首を絞められるような恐怖感と息詰まるサスペンスがメインであり、ラストの決着のつけ方はあの時点では最高であった。
また、『エイリアン2』ではハラハラドキドキのスリラー仕立て。エイリアンとの真っ向勝負であり、ラストもそうくるかという、エイリアンもびっくりの戦いを見せる。
一方、本作では基本的に一作目の『エイリアン』を踏まえた形である。ただ、一作目をなぞるのは良いとしても、それが一作目をまったく超えていないことが残念。そもそもエイリアンとの対決にそれほど重きを置いていない感すらある。
シリーズの肝の二つ目は、本シリーズの全体に流れるフェミニズム、あるいは母性というテーマである。
第一作の『エイリアン』がなぜあそこまで評価されたかというと、もちろんSFホラー映画、モンスター映画としてよくできていたこともあるが、加えて主人公に女性を起用したこと、そしてストーリーや設定に出産や妊娠といったメタファーのあったことが大きい。つまりフェミニズムという主題を非常に色濃く打ち出したところが斬新だったのだ。
それまでアクション映画のヒーローといえばほぼ男性だったのに対し、『エイリアン』では女性主人公が男性クルーと対等に渡り合い、エイリアン(これは男性のメタファーだろう)と真っ向から対決する。当時、欧米では女性の社会進出の動きが急激に高まった時期であり、この動きをいち早くSF映画に取り込んだことで、見る物に新鮮な驚きを与えてくれたのである。
『エイリアン2』や『エイリアン3』以降では、そこからさらに母性というイメージも強化され、エイリアンすらいつのまにか男性のメタファーというよりは母性のダークサイドを象徴するような存在となっていく。
そして肝心の本作では、女性主人公という伝統はかろうじて守ってはいるものの、この母性というテーマからは離れているように思うのである。ぶっちゃけると物語の背後に「人間とは何か、どこから来たのか」という哲学的な問いをもってきており、なんだかずいぶん普通のSFアクション映画になっちゃったねという印象である。
まあ、たかが娯楽映画を見るのにそんなこだわりが必要なのかという考えもあるだろう。いくつかケチをつけてはみたものの、普通のSFホラーとして見ればそこらの作品よりはまずまず楽しめるわけで。
とはいえ何の思い入れもない一見さんが本作を見る場合にも問題は少なくない。なんといっても『プロメテウス』を観ていないことには理解できない事柄が多いのは致命的だし、より楽しむためにはやはり『エイリアン』も観ておく必要はあるのだ。
ということで、最初にも書いたように、本作はシリーズを通して観ているファンが、ストーリーをつなげるための一作といってよい。リドリー・スコット本当にどうしたの?
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