Posted in 12 2007
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山本周五郎『寝ぼけ署長』(新潮文庫)
山本周五郎という作家がいる。言うまでもなく『赤ひげ診療譚』や『青べか物語』をはじめとする膨大な傑作の数々を著した大衆作家である。
だが、そんな山本周五郎が探偵小説をいくつか残していたことは、知識としては持っていたものの、これまでその作品を読もうと思ったことはなかった。浅はかにも、山本周五郎にとっては探偵小説など余技に等しく、それほどの作品ではないのだろうとの、こちらの実に勝手なる思いこみからである。
ところが数ヶ月前、作品社から『山本周五郎探偵小説全集』が刊行されるというニュースを知って驚いたのなんの。あらためて調べてみたところ、少年小説などを中心に、けっこうな量の作品群を残していたのである。厚顔無知とは正にこのこと。心の中で山本周五郎にすまんすまんと謝りつつ、とりあえずは探偵小説全集を買うことでお詫びに代え、そして山本周五郎の探偵小説の中ではおそらく最も有名で、しかも手軽に入手できるものとして、『寝ぼけ署長』を読んでみることにしたわけである。
とまあ、一冊、本を読むのにここまでの言い訳は不要だとは思うが、ただ、「山本周五郎探偵小説全集」を買い続ける言い訳は絶対に必要なのだ(笑)。
ということで、本日の読了本は山本周五郎の『寝ぼけ署長』。
「寝ぼけ署長」という綽名を持つ某市の警察署長。綽名のごとくいつもウツラウツラしている非常にぼんやりした署長だが、実は凄腕の警官でもある。だが決してそれを表立って見せることはなく、庶民の味方として人情味溢れる解決を示し、市民の人気を博してゆく。これ、大岡政談のごとし。
『寝ぼけ署長』の初出はなんとあの『新青年』。しかも探偵小説色が薄くなった戦後の『新青年』に突如掲載され、絶大なる人気を誇ったらしい。確かに雰囲気としては、まんま大岡裁きで、非常に読んでいて心和むというか気持ちいい。また、小気味好くオチをつけているところなども、決して見様見真似で探偵小説を書いているわけではないことがわかる。
ただ、それでもこれが探偵小説かといわれると、ううむと首を捻らざるを得ない。いや、もっとミステリ色が薄いものでも、探偵小説といえる作品はあるのだ。例えば海野十三の書く『深夜の市長』とか『蠅男』などもミステリの基準ということであれば、かなりの疑問符がつくところだが、それでもその作品ははるかに探偵小説的である。
思うにこれは、山本周五郎が、その主題を探偵小説に依っていないところに原因があるのだろう。寝ぼけ署長の数々の名セリフに、その神髄はいくつも見ることができる。
「このなかに、ひょいと、躓いた人がいる。躓いただけで済んだ、怪我はしなかった、これに懲りて欲しい、これ以上は、云わなくとも、わかる筈だ、その人は、九日間、ずいぶん苦しんだ筈だから(中略)人生は苦しいものだ、お互いの友情と、授け合う愛だけが、生きてゆく者のちからです」
「不正を犯しながら法の裁きをまぬかれ、富み栄えているかに見える者も、必ずどこかで罰を受けるものだ。不正や悪は、それを為すことがすでにその人間にとって劫罰だ」
「法律の最も大きい欠点の一つは悪用を拒否する原則のないことだ、法律の知識の有る者は、知識の無い者を好むままに操縦する、法治国だからどうのということをよく聞くが、人間がこういう言を口にするのは人情をふみにじる時にきまっている、悪用だ、然も法律は彼に味方せざるを得ない」
要はそういうことだ。これらのセリフは探偵小説の演出として語られているのではなく、山本周五郎の目はしっかりとそういう点に据えられているのである。今であればこういう社会正義を訴えたり、人情ものを描いた警察ドラマは珍しくない。だが、戦後間もない頃にほぼ完璧なスタイルでこれを書いてのけたという点は、やはりさすがの一言。
繰り返すが、本作は決して探偵小説ではない。
しかしながら、大衆小説の何たるかを知っている著者が、あえて探偵小説の衣を借りて書いた物語でもある。ガチガチの謎解きやトリックなどはないけれど、探偵小説ファンなら、一度は読んでおいて損はない作品といえるだろう。
だが、そんな山本周五郎が探偵小説をいくつか残していたことは、知識としては持っていたものの、これまでその作品を読もうと思ったことはなかった。浅はかにも、山本周五郎にとっては探偵小説など余技に等しく、それほどの作品ではないのだろうとの、こちらの実に勝手なる思いこみからである。
ところが数ヶ月前、作品社から『山本周五郎探偵小説全集』が刊行されるというニュースを知って驚いたのなんの。あらためて調べてみたところ、少年小説などを中心に、けっこうな量の作品群を残していたのである。厚顔無知とは正にこのこと。心の中で山本周五郎にすまんすまんと謝りつつ、とりあえずは探偵小説全集を買うことでお詫びに代え、そして山本周五郎の探偵小説の中ではおそらく最も有名で、しかも手軽に入手できるものとして、『寝ぼけ署長』を読んでみることにしたわけである。
とまあ、一冊、本を読むのにここまでの言い訳は不要だとは思うが、ただ、「山本周五郎探偵小説全集」を買い続ける言い訳は絶対に必要なのだ(笑)。
ということで、本日の読了本は山本周五郎の『寝ぼけ署長』。
「寝ぼけ署長」という綽名を持つ某市の警察署長。綽名のごとくいつもウツラウツラしている非常にぼんやりした署長だが、実は凄腕の警官でもある。だが決してそれを表立って見せることはなく、庶民の味方として人情味溢れる解決を示し、市民の人気を博してゆく。これ、大岡政談のごとし。
『寝ぼけ署長』の初出はなんとあの『新青年』。しかも探偵小説色が薄くなった戦後の『新青年』に突如掲載され、絶大なる人気を誇ったらしい。確かに雰囲気としては、まんま大岡裁きで、非常に読んでいて心和むというか気持ちいい。また、小気味好くオチをつけているところなども、決して見様見真似で探偵小説を書いているわけではないことがわかる。
ただ、それでもこれが探偵小説かといわれると、ううむと首を捻らざるを得ない。いや、もっとミステリ色が薄いものでも、探偵小説といえる作品はあるのだ。例えば海野十三の書く『深夜の市長』とか『蠅男』などもミステリの基準ということであれば、かなりの疑問符がつくところだが、それでもその作品ははるかに探偵小説的である。
思うにこれは、山本周五郎が、その主題を探偵小説に依っていないところに原因があるのだろう。寝ぼけ署長の数々の名セリフに、その神髄はいくつも見ることができる。
「このなかに、ひょいと、躓いた人がいる。躓いただけで済んだ、怪我はしなかった、これに懲りて欲しい、これ以上は、云わなくとも、わかる筈だ、その人は、九日間、ずいぶん苦しんだ筈だから(中略)人生は苦しいものだ、お互いの友情と、授け合う愛だけが、生きてゆく者のちからです」
「不正を犯しながら法の裁きをまぬかれ、富み栄えているかに見える者も、必ずどこかで罰を受けるものだ。不正や悪は、それを為すことがすでにその人間にとって劫罰だ」
「法律の最も大きい欠点の一つは悪用を拒否する原則のないことだ、法律の知識の有る者は、知識の無い者を好むままに操縦する、法治国だからどうのということをよく聞くが、人間がこういう言を口にするのは人情をふみにじる時にきまっている、悪用だ、然も法律は彼に味方せざるを得ない」
要はそういうことだ。これらのセリフは探偵小説の演出として語られているのではなく、山本周五郎の目はしっかりとそういう点に据えられているのである。今であればこういう社会正義を訴えたり、人情ものを描いた警察ドラマは珍しくない。だが、戦後間もない頃にほぼ完璧なスタイルでこれを書いてのけたという点は、やはりさすがの一言。
繰り返すが、本作は決して探偵小説ではない。
しかしながら、大衆小説の何たるかを知っている著者が、あえて探偵小説の衣を借りて書いた物語でもある。ガチガチの謎解きやトリックなどはないけれど、探偵小説ファンなら、一度は読んでおいて損はない作品といえるだろう。