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はてなキーワード: 明治時代とは

2025-01-09

anond:20250109210351

去勢のオス同士ならブタのほうが気になる人多いかもな

 

でも牛には牛独特の臭いがあるわ

明治時代の人はこの獣臭さに参ったわけだが(今とは何もかもが違うといってもさ)

 

この人も豚は平気で牛独特の臭いが苦手なんだろ

2025-01-02

anond:20250102114033

干禄字書では、坂は通字、阪が正字とされている

それぐらい古来から異体字だし、江戸時代から明治時代にかけては大坂大阪は混在してたらしい

その時代だと坂と阪が別字であるという意識がおそらく無い

それが明治ごろに徐々に大阪統一されていった、という流れだから、ある一時点で改名されたってわけではない

anond:20250102161405

年賀状歴史年代記風にまとめました。

平安時代794年〜1185年)

貴族公家の間で、新年の挨拶文書で交わす習慣が始まる

藤原明衡の『雲州消息(明衡往来)』に年賀手紙の例文が記載される

江戸時代(1603年〜1868年

飛脚の発達により、遠方の知人へ年賀書状を送る習慣が広まる

玄関に「名刺受け」を設置し、不在時に年賀挨拶を書いた名刺を入れる文化が生まれ

明治時代1868年1912年

1871年近代郵便制度確立

1873年官製はがきが発行され、年賀状の利用が徐々に広まる

1887年頃:年賀状を出すことが国民の間で年中行事として定着

1899年:一部の郵便局で「年賀郵便特別取扱」が開始

1905年:全国の郵便局で「年賀郵便特別取扱」が実施される

1906年:「年賀特別郵便規制」が公布され、年賀状文化が法的に確立

昭和時代1926年1989年

1935年年賀切手の発行が始まる

1941年戦時下年賀状特別取り扱いが廃止

1948年特別取扱と年賀切手の発行が再開

1949年お年玉付き年賀はがき(くじ付き年賀はがき)が初めて発行される

1982年寄付金付き年賀はがきの裏面に絵や賀詞が印刷されるようになる

平成時代1989年2019年

1989年:くじ付き年賀切手の発売が開始

2003年年賀はがきの発行枚数が過去最高の44億5936万枚を記録

この年代記から

年賀状文化平安時代から現代まで長い歴史を持ち、

時代とともに進化してきたことがわかります

郵便制度の発展や新しい技術の導入により、

年賀状はより多くの人々に親しまれる日本の伝統文化として定着しました。

2024-12-29

anond:20241229004208

これ、学生たちはもうすでに「I love you」を日本語でも言う感覚を身につけていたということになるんでねーの。漱石老害やん

明治時代に、夏目漱石が、学生に、I love you を、どう訳すか、質問した。学生は、明治時代から、我なんじを愛すというようなことを答えた。漱石は、怒って、一喝した。おまえら日本人か? 日本人は、そんな、いけ図図しいことは言わないんだ。I love you というのは、日本語では、月がとっても蒼いなあ、と、こう訳すものだ、って言ったろ。

「月が綺麗ですね」の歴史

以前「夏目漱石「月が綺麗ですね」の元ネタを遡る」という記事を書いたのだが、いろいろ追記することがあったので改めて整理しなおそうと思う。

大雑把に言えば、この「夏目漱石I love you を月が綺麗ですねと訳した」という話は、

に分解できる。ひとつずつ追っていこう。

I love youは訳せない」

まず、夏目漱石は「I love you日本語にない表現である」と書き残している。これは漱石イギリス留学時代である1901年から1902年にかけて書き留められたメモ書きの一つで、ジョージメレディスの『Vittoria』という小説言及したものである。ただし、この台詞はヴィットリア(Vittoria)がラウラ夫人(Signora Laura)に向けて言った台詞なので、恋愛の「I love you」ではなく親愛の「I love youである

formula ノ差西洋日本I will excuse myself to you another time,” said Vittoria. “I love you, Signora Laura.”――Vittoria p. 113. 此 I love you日本ニナキ formula ナリ.

dl.ndl.go.jp/pid/12443067/1/168


1908年の『明治学報』に掲載された、上田敏の「予の観たる欧米各国」という講演の書き起こしにも、同様に「I love youは訳せない」というような記述がある。上田敏は高名な英文学者で「山のあなたの空遠く幸住むと人のいふ」や「秋の日のヴィオロンためいきの」などの詩訳で知られる。漱石よりは年下だが、同時期に東京帝国大学で教鞭をとっていたこともあり、文学論を語り合う仲だった。

日本では「我汝を愛す」と云ふことは言へない、日本では何と云ふかと云ふと、「私アナタに惣れました」と云ふ、それでは「アイ、ラブ、ユー」と云ふことに当らない、「我汝を愛する俯仰天地に愧ず」それはどう云ふたら宜いか、(笑声起る)、所が「私はアナタに惣れました」といふことは日本語ではない、さういふ日本語は昔からないです、だから日本ではそれをパラフレーズするか、或はペリプラスチック、言廻はして、「誠にアナタはよい人だ」とか何とか云ふ工合に云ふより外言ひ方はない、「私はアナタが好です」と云ふと何だか芝居が好きだとか、御鮨が好だとか云ふやうになつて悪いです

dl.ndl.go.jp/pid/1890371/1/24


同じく1908年劇作家益田太郎冠者という人物も次のように書いている。

欧羅巴人にはアイ・ラブ・ユーといつた、美しい詞があり、此の詞の中には、女の身上を刺激する意味が十分に含まれて居るが、日本人には斯ういふ詞が無く、その上「言はぬは言ふにいや優る」などといふ事が古来から上品としてあつて、万事詞が引込み思案になつて居るのです。

dl.ndl.go.jp/pid/3545704/1/40


やや遅れるが、1922年刊行されて当時のベストセラーになったという厨川白村近代恋愛観』にも、同様の主張が書かれている。厨川白村漱石の教え子で、恋愛観について議論を交わしたこともあったという。

日本語には英語の『ラブ』に相當する言葉が全く無い。『戀』とか『愛』とか云ふ字では感じがひどくちがう。" I love you" や "Je t'aime" に至つては、何としても之を日本語に譯すことが出來ない。さう云ふ英語や佛蘭西語にある言語感情が、全く日本語では出ないのある。『わたしあなたを愛してよ』、『わたしや、あなたいろはほの字よ』では、まるで成つて居ない。言葉が無いのは、それによつて現はさるべき思想が無いからだ。

dl.ndl.go.jp/pid/977872/1/11


以上からすると、夏目漱石最初に言い出したかどうかはともかく、この時期にさまざまな人が「I love you日本語に訳せない」と主張していたことは確かなようである

「月が綺麗ですね」

そしてこの「I love youは訳せない」という話から「月が綺麗ですね」が派生する。いまのところ見つけられたかぎりでは、1927年の『帝人タイムス』に掲載されたコラム東方へ」での記述が最も古かった。

西洋デハ人ノ表情ガ露骨デアツテ 例ヘバ恋ヲ囁クニモ 真正面カラ アイラヴユー ト斬込ムガ 日本デハ 良イお月デスネー ト言フ調子デ 後ハ眼ト素振リニ物ヲ言ハス

dl.ndl.go.jp/pid/2348792/1/6


1935年刊行笠間杲雄『沙漠の国』にもそうした表現がある。元になった記事雑誌掲載されたのは1926年ごろのようなので帝人タイムスの記事より早いかもしれない。

第一欧米人にとつては一生の浮沈を定める宿命的な宣言『アイ・ラヴ・ユウ』の同意語すら、日本語には無い。(中略)斯ういう意味外国人に答へると、然らばあなた日本人は、初めて男なり女なりを愛する場合に、どんな言葉意志を通ずるのかと、必ず二の矢の質問が飛ぶ。私は答へる。我々は「いい月ですね」と言つても、「海が静かね」といつても、時としては「アイ・ラブ・ユウ」の翻訳になるのだと。

dl.ndl.go.jp/pid/1155407/1/164


以降も「月が綺麗ですね」という話は散見される。たとえば1950年雑誌英語研究』。

月下に若い男女が語らい合つている. 男が女に愛の言葉をささやくとして, この場合の純日本的な表現は今夜はいい月ですねえ!ということであり, 女がほんとうにいい月ですこと!といつたとすれば, それは男の愛を受け入れたことになる.

dl.ndl.go.jp/pid/2331222


1957年雑誌産業産業人』の対談記事ニッポン居よいか住みよいか」。

三宅 その言葉が昔からないんだね。向うはアイ・ラブ・ユウ、実に簡単ですよ。ところが日本はそういう表現はない。「ああいい月ですな」というのが、ほれたと翻訳しなきゃならんのだ。(笑)

大山 「いい月ですね」ってそのくらいのことは言われたような気がしますけど……。(笑)

三宅 アイ・ラブ・ユウと直接には言わない。古来そういう文学表現方法日本にはない

dl.ndl.go.jp/pid/2234540/1/22


1961年早川東三『じゃぱん紳士周遊記』。こちらは「月が青いですね」である

ドイツ人学生日本女の子に夢中になった。日本語で愛の告白は何と言うのだい、と切なそうに聞くから、「われわれは皆んな詩人からね、イヒ・リーベ・ディヒ(わたしはお前を愛する)なんて散文的なことは言わない。月が青いですねと言うんだ」と教えてやったが、ご使用に及んだかどうかは知らない。

dl.ndl.go.jp/pid/2976285/1/110


1962年日本人の知恵』。これは朝日新聞に連載された記事をまとめたものらしい。

さらにいえば、日本の社交の基本は「見る」ことで成立する。若い男女の恋人同士が愛の告白をするとき西洋人のように、

「私はあなたを愛していますI love you)」

などとはけっしていわない。そんなことばを口に出さなくとも、満月を仰ぎ見て、

「いいお月さんですね」

そして、二人でじっと空を見上げるだけで、意思は十分通じるのだ。

dl.ndl.go.jp/pid/2985145/1/38


以上のように、戦後にも「I love youは訳せない」や「月が綺麗ですね」はそれなりに広まっていたと思われるが、しかし、この時点ではまだ夏目漱石とは結びついていなかった。

夏目漱石が訳した」

それらの話を夏目漱石と結びつけたのは、おそらくSF作家豊田有恒だろう。たとえば1978年の『SF文迷論入門』(雑誌掲載1977年)では以下のように書かれているが、他のいくつかの著作でも同様のことを書いており、いわゆる「持ちネタ」のようなものだったことが窺える。

明治時代に、夏目漱石が、学生に、I love you を、どう訳すか、質問した。学生は、明治時代から、我なんじを愛すというようなことを答えた。漱石は、怒って、一喝した。おまえら日本人か? 日本人は、そんな、いけ図図しいことは言わないんだ。I love you というのは、日本語では、月がとっても蒼いなあ、と、こう訳すものだ、って言ったろ。

dl.ndl.go.jp/pid/12564223/1/57


ほぼ同時期に、つかこうへい小田島雄平との対談で同様のエピソードを語っているが、こちらの記事の初出は1978年なので豊田有恒よりも後ではある。つかこうへい豊田有恒記述を読んだのか、それとも共通元ネタがまだどこかにあるのか。

古くは夏目漱石I love you はどう訳せるかって言ったという有名な話がありますよね。生徒たちがそれは「愛してます」って訳すると言ったら、夏目漱石が教壇からばかやろうとどなりつけて、「月がとっても青いから」って訳すのだと言った話がありますけど、そういう翻訳リアリティーっていいますか、それは、時代とともにいろいろ変わっていってるんでしょうね。

dl.ndl.go.jp/pid/12582572/1/121


以降の流れは「月が綺麗ですね・死んでもいいわ」検証に詳しい。

余談

ツルゲーネフの『片恋』における「Yours」という台詞二葉亭四迷が「死んでも可いわ…」と訳したという話を、「二葉亭四迷I love youを死んでもいいわと訳した」に変形させた犯人探しも行われているが、それはおそらく土岐善麿だろう。1957年の『ことば随筆』にこう書かれている。

「アイ・ラブ・ユウ」を日本語に直訳すれば「われ、なんじを愛す」であろうが、二葉亭四迷はそれを「死んでもいいわ」と表現したことがある。ツルゲーネフの「あいびき」の中にあるのを読んで、その訳しぶりのすばらしさにおどろいた記憶がある。

dl.ndl.go.jp/pid/2484010/1/109


この記述は、のちに金田一春彦がいくつかの著書で引用しており、そのあたりから広がっていったのだろう。たとえば金田一春彦1975年日本人の言語表現』ではこういった具合だ。

土岐善麿氏によると、二葉亭四迷は、トゥルゲーネフのある小説女性の言うI love you.を訳すのにはたと困ったそうだ。何でも相愛の男女が愛を確かめあうクライマックスの場面であるが、男がI love you.と言い、女もそれに答えてI love you.と言う。男のせりふの方は「ぼくはあなたが好きだ」で簡単だ。が女の方はそうはいかない。もし、「私もあなたが好きです」とでも言ったら、それは教養のないあばずれ女ということになる。女のI love you.を日本語で何と訳すべきか、二葉亭は、二日二晩考えた末、今も名訳として伝わっている日本語を思いついた。それは「死んでもいいわ」という文句という文句だという。

dl.ndl.go.jp/pid/12446973/1/120


いかがでしたか

2024-12-27

あのNHKETV特集「1000番地 土地人間に関するリポート」が再配信されてるぞ

地面師たち」とか「正直不動産」とか好きな奴は絶対おもしろいから見ろ。

札幌一等地土地再開発のために更地になるまでのドキュメンタリー

 

1000番地 土地人間に関するリポート - ETV特集 - NHK

https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/episode/te/8Q2XZWK77X/

札幌中心部、絶好の立地に810坪の真四角の土地がある。明治時代屯田兵が開墾し、「1000番地」と名づけられた土地。築98年の長屋駐車場の中にポツンと建つ。居酒屋などが入り、長年、酔客を迎え入れてきた。ただ不動産業界では“眠った土地”として有名だった。4月、再開発のため、更地となった。150年前は原生林だった土地。そこから始まった人間たちの数奇な運命土地をめぐる「有限であり無限価値」の物語

登場人物がみんなキャラクターがしっかりしてて面白いんだ。居酒屋ママ地元不動産屋の親父と二代目、東京のタワマンディベロッパー社員土地を開墾した開拓者の子孫まで取材する。

NHKプラスでは1月1日午前2時まで。あとは有料オンデマンド

2024-12-22

anond:20241222010601

ブクマの「自分or自分の親しい人が浮気されてとてもショックで自分に言い聞かせてる」ってのに一票だけども。自覚ありなしに関わらず。あえて違う面から「男は生物的に複数の女とセックスしても仕方がない」を否定してみる。

生物って意外と一夫一婦制動物多い。

鳥は一夫一婦制がとても多い。ペンギンとか。子育ても一緒が多い。

調べ直したら、日本オオカミもそうらしくて絶滅したらしい。なので人間という生き物が一夫一婦なのは大きな括りで見たら少数かもだけど別にそこまで不思議ではない。

②生き物という面で見たら同性愛は?

①の続き。実は羊などオス同士で番になる動物も以外と多い。ですが人間はとても愚かなので同性愛は不自然だなんだと怒ったり、バカにして笑いする。

反対に平安時代あたりは女とセックスするのは穢らわしいって文化僧侶達に流行って男同士なら平気♡などの戯言をのたまってショタコン生臭坊主だらけだった。てか戦国時代武将達も自分専用の小姓(美少年)を持つのは何ら不思議じゃなかった。

もうお解りだと思うが人間なんてものはその時の文化環境流行りでコロコロ言う事を変えます昭和の「男は生き物だから〜」なんて言い訳も、令和が終わる頃には「まじキモオジ概念時代遅れ」ってなっててもおかしくありません。(独身貴族とか貞操概念とか夜這いとか何でもそう)

そもそも一夫一婦はなぜあった?

戦国時代なんかは一夫多妻制でした。ではどうして一夫一婦になったのか?

女の人の人権向上のため?どうやら違うみたいです。

むかーしむかーし、戦国時代では男が駆り出されて武士(もののふ)として戦っていました。そうなると男は皆戦って〇にます。運良く生き残っても現代医学なんかはありません。怪我悪化してピーにます。そして残ったのは未亡人。このままでは生きていけないので、正妻のいる商人やら別の農夫に妾で嫁ぎ直します。お金を持ってるので、自分子どもが居た場合でも助かりますはい一夫多妻の完成。

もちろん、皆さんご存知の後継を残すための意味合いで殿様さんが最初から多妻な場合もあります現代医学はありませんので赤子は死にやすく、成人してもぽっくり死ぬ可能性もあります。殿様は子どもは何人居ても困らない、とか何とか言って大奥子どもを作りまくって財政難になりかけた家斉さんっていう方が既に居ます…。つまり、一夫多婦なのはその時代のそれなりの理由もあって男=皆好色では無いって事。

(当たり前ですが普通農夫達のお嫁さんはひとりだけです。失礼ながら増田さんは農夫ですか?殿様ですか?)

④じゃあなんで日本廃止になったの?

諸説ありますが。女性社会進出説と、質より量説があります。(廃止明治時代

社会進出一夫多妻制=男尊女卑の塊です。だけど女でも賢い人いるし、男女平等になればなるほどGDPが上がるって気づき始めた。(←わかりやす!)てか、人口の半分を蔑ろにするのはさすがに無理ある。

質より量…1家庭に子どもを含めて10人つくるより、2つの家庭で子どもを4人つくって、子育て資金を回して勉強させたほうが国家的にも家的にも利益率高い。一夫多妻制だと、1人のアラブ王に20人取られて男性弱者はしぬ。

たぶんこの辺は戦争に勝つために〜みたいなのもあるはず。

あとブーム説もあります。(鎖国解かれて津田梅子さん留学から欧米文化キリスト教輸入)

そもそも日本では血族よりも家の継続ほうが重きを置いているような気がする。養子めちゃとる)

⑤あと普通死ぬ

梅毒最後に鼻が取れてしぬ。こわい。

そもそも生き物だと自然から〜って好色だけいい所取りするな!!!

例えば。

クマのメスは発情期になると、オスから種を貰い、その後メスがひとりで妊娠(冬篭り)と子育てする。父親クマ自分の種をばら撒くため別のメスを探しに離れる。

小熊が無事生まれても、父親じゃない雄クマに狙われて小熊を殺される事がある。子どもを殺せば母親が子孫を残すために目の前にいる自分の種を貰おうとするからね。

なあ、これが人間なら非道って思わないか??少しでも思ったならそれが人間生物との違いだよ。

繁殖のためが全てじゃないんだよ人間は。

こんな文明が発展してるんだからうそう滅びるわけないし。繁殖のために生まれつき目の悪いやつは結婚するなって言われて納得できる?男性恐怖症の女の人に生物的に将来は男の人と絶対結婚しなさいって言える?できないっしょ?

私は彼氏浮気したらキモイ罪や不快罪を適用するよ。そんで自分絶対浮気しない。それでいいじゃん。生物的に正しい正しくないじゃない。それが人間のいい所で悪いところだよ。

結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私はあなた結婚したいのです」 このゼクシィ言葉素敵じゃない?

ふーん。例えが極端だって

じゃあそこら辺で糞尿してろよ。コンビニとか絶対探すな。自然な事だろ!!だけどな!!!インドはそれで不衛生だから平均寿命短けーーんだよ!!!

人間が長年かけて作り上げた文化!!!知恵の集合を!!!!都合いいように否定すんな!!!先進国に生まれたんだから!!先進国の人として真っ当に理性保って受け入れて生きろ!!!

以上。

まあ、私だったら①だけ採用して、自分は生き物でも鳥タイプ!鶏みたいに3歩歩いたらすぐ忘れるしーw、とか冗談混じりに言い切って「僕は君とおしどり夫婦になりたいの!!!」とか上手い風にプロポーズしますね。

2024-12-06

死者の声

金烏臨西舎

鼓声催短命

泉路無賓主

此夕離家向


夕陽が沈む。

寺では鐘が鳴っている。私の命はきわまった。

冥府には主もなく客も来るまい。

この夕暮れに家を離れ、私はそこへと向かうのだ。

懐風藻大津皇子辞世六朝体の流麗な韻律を維持し乱れない。後世の仮託とされるが詩にあるとおり皇子は夕刻に連行され翌日処刑された。遺体近江二上山に葬られた。望まぬ争いに巻き込まれ継母によって殺される二十三歳の青年最期の声が聞こえるだろうか。

最初に声を聞いたのは古い時代歌人詩人だった。いつのころから伝承が生まれた。曰く「皇子は無実」と。沈潜する伝承に形をあたえたのは明治時代折口信夫だった。しかしこの時代、『日本書紀』を疑うことは禁じられていた。折口は『死者の書』という不気味な小説を著わしこれを表象した。戦後歴史学者がそれを受けた。『日本書紀』の詳細な解読が始まったのだ。暗喩に満ちた断片的な記述が発掘で得られた傍証史料とあわせて詳細に検討された。緊迫した皇位争い、持統女帝のすさまじい性格が浮かび上がっていく。考古学者は近江朝における二上山位置意味検討し、それが反逆者にふさわしくない手厚い葬礼であることを指摘した。不比等のかけた封印が解かれた。皇位争いは、皇子意志はるかに超えた次元で、大津、草壁それぞれを擁立しようとする天智系、天武系という巨大な勢力うしの闘争として行なわれていた。このとき国家の中枢では、ふたたび「壬申の乱」のような状況におちいることとシンボルの1人が犠牲になることの費用対効果が、非情にも計量されたのだった。皇子政治的犠牲として殺害され、そこには後の持統天皇が関与していた可能性が高いという現代学説はこうして築かれた。そのために費やされた時間は1000年を超えている。微細な記録の断片から何らかのメッセージを読み取り忘却の彼方に沈んだ記憶に光をあてる歴史学は、ときにはこのような作業に信じがたいほどの労力を傾注する。それを可能としたのは懐風藻なのか、それとも後世の歌人研究者なのか。答えは両方であろう。

アーカイブはただ記録する。その声を聞けとまでは言わない。聞くかどうかは閲覧者にゆだねられる。アーカイブ価値基本的にはその編纂手法によって決定されるのだが、より厳密には、その価値は送り手と受け手関係性の中に存在する。アーカイブはそれを、ときには時空を越えて繋ぐ。

 

2024-11-26

anond:20241122221707

明治時代日帝人が気が狂ったように2字熟語同音異義語)つくりまくったので、そろそろ整理するころだとおもう

まり使わない同音異義語FEP候補から出ないようにしてほしい

人名とか本当うっとうしい

anond:20241126105624

調べてみると意外に「耳触り」って歴史が古いな

少なくとも明治時代には普通に使われている

もの音の耳触りよし今朝の春

なんて俳句もあった

2024-11-24

早押しクイズ化する日本

日本で一番大きいやm/」(日本アクセントが付いている)

エベレスト

クイズ王たちの早押しのテクニック想像を絶する。

まず山の「や」の時点で押し「ま」の始まり「m」の口を読み取る、所謂読ませ押しと口読みのテクニック

さらに金龍読みと呼ばれるクイズを早く答えてもらうための読み手テクニックにより、日本の部分にアクセントが付いていることから、先の続く文章では「では世界で一番目に大きい山はなんでしょう」になること予想する。

一番にアクセントが付いていれば「では日本で二番目に大きい山」になる、

山にアクセントが付いていれば「では日本で一番長い川」になり、

大きいにアクセントが付いていれば、と金龍読みはこの後に続くパラレル問題の先を読み方から示唆する。

クイズ王とは、膨大な知識を持った知恵人という側面だけでなく、競技クイズの仕組みをハックし適合している側面もあるのだ。

そんなクイズ王たちは今や地上波クイズ番組だけでなくYoutubeや各種謎解きイベントで大活躍するタレント業でもある。

私はこういう奴らに我らがミステリオタク達が屈したせいで、地雷グリコでないと平成のエラリークイーンが賞を取れなかったんだと現代日本本格ミステリ界隈の凋落を明らかにしたい。

そもそもクイズミステリは近似ジャンルではあるかのように振る舞っているが、全く異なる別ジャンルである

炒飯チキンライスはどちらも米に味を付けて炒めたからと言って同じ料理ではないように、材料調理過程に似た部分はあるが、異なる。

(カレーウンコに例えたら流石にダメか? ダメだわな)

文章がまとまらないので以下はただの愚痴

もうさあ、これはミステリ界隈が小さくなることへの怯えなんすよ、なんで「東兄弟わーきゃーオタク」がミステリ読まないんすか?

あい知的活動無垢少年さがおり混じった態度に興奮するオタクミステリ大事な読者層だろ。

あいオタクはふた昔前なら御手洗×石岡で興奮ってたじゃねえかよ。

何をタレント浮気させとるんじゃ。

有栖川京極が後輩に「オタクが好きなエロい名探偵仕草」を伝授しないのが悪い。

あじ最近ミステリエロくない。

もっと下品エロいシーンを入れてわーきゃーさせろよ。

「火村有栖でジュンジュンのジュワワワー」だった日々を取り戻せよ。

俺はとにかく、昨今の早押しクイズ的な文化迎合しようとする奴らが気に食わないんだ。

もっとミステリミステリである原点に立ち戻ろうぜ。

俺は恥ずかしい。

ホームズワトスンジュンジュワーしてた真面目で一般的明治時代日本人の顔向けできない。

服装や化粧や髪型は垢抜けてるけどジャニーズぐらい選別はされてない手の届く感があり、知的で話が面白く、無邪気で少年のような側面もあるタレントで興奮しますって、日本のために働いた祖父祖母遺影にいえますか? 言えないですよねえ!?

今までなら言えたよ。

「おじいちゃんが教えてくれた都筑道夫のなめくじ長屋捕物さわぎ大変エッチでございました」

と言えたわ。

表現の自由を手に入れ、容易に出版が出来るように政治技術が発展したのに、肝心の人間としての倫理感が退化してる。

古き良き日本を取り戻すために僕は今日からまず乱歩自慰するところからやり直す。

俺はタレントなんかに負けない、小説を楽しむんだ!!!

うおおおおお、ほかほかおにぎり倶楽部で、やすみの×マンスーン!?!? オモコロライター関係妄想するのたのちいよおおおおお、かまみくのことだけ考えてたいよおおおおおお、匿ラの二人がオモチャンで独自世界を作る回大好きだよおおおおお。

私はモンゴルナイフさんになりたい、そう思いながら、今日もバキ童筆下ろし夢小説を書き連ねるのだった。(所要時間48分)

2024-11-16

減税しようとすると必ず財務省がやってきて妨害してくるんだよな

これって、まるで歴史の中で繰り返されてきた、権力者たちが自分たち特権を守るために、

民衆の声をかき消すあの「政治の闇」そのものだよ。

なんでこんな話をするかっていうと、実際に減税って言葉には希望が宿ってるんだよな。

税金が減ったら、私たち生活が少しでも楽になる、なんて思っちゃうわけよ。

でも、それを実現しようとすると、必ず現れるのが財務省

日本財政政策を取り仕切るあの官僚機構、まさに歴史を彩る陰の支配者って感じだよ。

明治時代富国強兵政策を引き継いだ、この官僚組織が、何十年も経ってもその力を失わず税金の使い道を握り続けている。

例えば、税制改革をしようとすると、必ず「財政健全化」が口にされるんだよな。

あの口先だけの「財政健全化」ってのも、実は「税収を減らすな、予算を減らすな」っていう

権力側の保身の一環なんだろうな。

これって、例えば、江戸時代幕府財政危機に直面したとき、税を軽減しようとする大名たちを抑え込んで、

支配を維持しようとしたのと似てるよね。上司権力者が「民衆のためにやってるんだ」って言うけど、

その裏にはいだって自分の首が危なくならないように」という本音がある。

それに、財務省の連中ってさ、まるで古代ローマ政治家みたいだよ。表向きは国のためだって言ってるけど、

その実、裏では必死自分たち権力を守ろうとしてる。

例えば、聖書にも「富を守る者は、失われることを恐れる」って教えがあるけど、

財務省にとってその「富」ってのは金だけじゃなく、権力も含まれてるんだよね。

で、さらにタチが悪いのは、財務省いくら言っても、減税が実現すると、

実際にはその効果最前線で感じるのは一般市民なんだよな。

特に地方の人々や、経済的に厳しい状況にある人たち。

減税で少しでも生活が楽になるってのに、それすらも奪われる。

それなのに、財務省が言う「財政健全化」を盾にして、どうしても「減税=国の危機」って言い続ける。

まるで中国の「過剰な中央集権」のようなものだ。

トップダウンで「これが正しい」って押し付けて、実際に現場で何が起きてるかを無視する。

かつての古代ギリシャローマでも、民衆の声を聞くことな支配していた支配者たちの末路がどうなったか歴史を見ればわかるだろう。

結局、政治家たちもその声に迎合ちゃうんだよね。支持率が下がったら恐いから、財務省に逆らえない。

どれだけ有能な政治家が出てきたとしても、その背後に控えているのが、あの恐ろしい「官僚制度」ってわけ。

民間の声や、国民意見よりも、どれだけ長年温存された既得権益の方が強いのかってこと。

から、最終的に減税は遠のいて、また一歩政治の泥沼に足を取られるんだよ。

なんかさ、時折ふと思うんだよね。減税の話って、本当に民衆のための話なのか?

それとも、あくま権力者たちが「安定した社会」とか「財政健全化」って名目で、

自分たちを守ろうとしてるだけなんじゃないのか?

実際に、財務省政治家たちが言う「財政危機」って、かなりの部分が作られた危機だったりするわけで、

それを盾にしてどんどん増税することが、本当に社会のためになるのか、って気がしてしょうがないんだよな。

正直言って、こういう状況がずっと続く限り、私たち未来希望があるなんて信じられないよ。

でも、歴史の中で何度も民衆が立ち上がってきたように、

いつかは、この腐敗したシステムを変える力が現れることを願ってる。

anond:20241116023523

国会議事録って誰でも無料ネットで見れるのね、知ってる?

明治時代帝国議会議事録電子化されてて検索できる。これもタダ。会員登録とか無し、簡単自由に使える。

敗戦国」で検索してみ

くっそほど出てくるから

 

特に日本が勝った戦争日露戦争日清戦争なんかのあとの議事録見てみ。

普通に相手国を「敗戦国」と言うてるから

 

太平洋戦争終戦後しばらくは自国を「敗戦国」と言うてたんだけど、いつからか言わなくなったんだよね。

2024-11-13

私文院生地主一人っ子アイコス吸ってる25歳イケメン

何回か海外留学経験があってパーソナルトレーニング通っててサウナには否定的で。

酒好きアイコス(アイコスじゃないやつかも。あれ区別つかない)好きで、学部時代に一瞬インターンしたことあるけどバイトみたいなことは一回もしたことないって言ってた。

富裕層ってヤツ、なんだろうなと思う。でも本当に不思議なんだけどイケメンなのに性的な魅力を一切感じなくて、話してる間何度も「この人は男より女に生まれてたほうが絶対モテた」って繰り返し思った。

明治時代大正時代貴族階級女性無職家事お手伝いさんやらせていたけど、男性資産で食っていけたとしても職があることが多かった。

自力で歩けないほど足が小さい女が最も性的とされた纏足のこととか、「戦争は女の顔をしていない」に出てきた兵隊として国のために戦った女性復員後に男性から女性から忌避されたエピソードを思い出した。

小学生の頃に通ってた自宅教室型のピアノ先生のことも思い出した。今思うと、音大を出て自宅に有孔ボードが貼られた防音室作って良いピアノを置いて、安い月謝とって、単体で生活成り立つわけがなかった。

こういう人って、強者男性奥さんしかいない。強者男性自身が、お姫様とかお嬢様かいう、高貴な生まれ教養だけをやっている女性に魅力を感じる傾向でもないとこうはならない。

女は金で男を選ぶ!みたいに言われるけど、稼ぐ能力があって男性から認められている男性性的に反応するのであって、仕事ができなさそうな相続人だと違うんじゃないかって思ってしまう。

金持ちイケメンなのにこんなに何も感じないとは、って思った。叩き上げ的なバックボーンを持つ人に対してのほうが反応してしまう。

2024-11-12

オレンジ色はなぜ橙(だいだい)色なのか、なぜ蜜柑色ではないのか、みたいな話の調べものメモを書きましょうね。

1862年文久2年)に堀達之助が編集した辞書であり、日本における最初英和辞書といわれている『英和対訳袖珍辞書』で「Orange」をひいてみる。

Orange, s. 橙柑橘ノ類

Orange, adj. 橙ノ

Orange-peel, s. 橙ノ皮

Orangery, s. 橙ヲ育テル園

Orange-tree, s. 橙樹

Orange-woman, s. 橙ヲ賣ル女

オレンジ以外の柑橘系の見出し語で見つけたものは以下となる。

Citrine, adj. 佛手柑又橙色

Citron, s. 佛手柑ノ類

Lemon, s. 橙ノ類

Lime, s. 黐石灰

Slacked lime. 消サレタル石灰.柑ノ類.菩提樹石灰ニテ肥シタル

Lime-tree, s.菩提樹.柑樹ノ類

Pomeron, s. 香リ良キ橙ノ類

Shaddock, s. 橙ノ類

なお余談だが、

Bergamot, s. 梨子一種

という見出し語もあったが誤訳だろうか?ベルガモットは梨ではなく柑橘という認識だけれど……。wikipediaによるとBergamotの語源は「トルコ語で「梨の王」を意味するBeg armudiが語源とする説が有る」らしいからそれが原因かもしれない。

さて、これを見ると「橙」と「柑」がはっきり区別して書かれているように感じる。

時代は後になるが1900年に書かれた『果樹蔬菜』には著者の私見ではあるが当時の柑橘類の分類が書かれていて興味深い。

皮が分厚く酸っぱい橙と、皮を手で向けて甘い柑は区別されていたのだろう。

オレンジ色に注目していく。この辞書ではOrangeではなくCitrineが「橙色の」と訳されている。

現代人の感覚だとCitrineはほとんど黄色に感じる。江戸末期~明治の人々の感覚でも同じだったのだろうか?

少なくとも『英和対訳袖珍辞書』が書かれた1862年前後では、ほとんど黄のような色も橙色表現していたかもしれない。

一つ目の根拠がCitrineのもう一つの意味、佛手柑(ブッシュカン)の色が黄色~濃い黄色ということ。

二つ目根拠1860年に書かれた『Familiar method for those who begin to learn the English language』という資料だ。

これは英蘭対訳のための参考書で、OrangeGreenyellowなどの他の色と並べられて書かれている。

この参考書単語の部を抜粋して対応する和訳を付記したのが1870年に書かれた『英吉利単語篇』になるのだが、そこでorangeという項は「orange」と「orange-yellow」という二つの項に分けて書かれている。

単なるorangepeachなどと並べて書かれ、色名の側にはorange-yellowが列挙されている。

このことから、当時のorange colour橙色はかなり黄色味が強かった可能性がある。

では、橙色が#f39800のようないわゆるオレンジ色になったのはいなのだろうか?

いったんここまで。

メモ

しかし「orange-yellow」の訳を橙色として、ふりがなに「カバイロ」(樺色、だいたい#C5591Aみたいな色)と書いてある資料1887年通俗英吉利単語篇』)もある。前述の論の反証だよね。

明治とかの輸入オレンジしわしわになっていて、皮の色はほとんど赤茶色だったらしいという未確認情報もある。これも反証になる。

橙色概念が生まれ最初期は黄色っぽくて、概念が普及するにつれて茶色みが強まったんじゃない?知らんけど。

・↑ありえなくはない。学術文脈以外で細かな色名が必要になるシーンは着物の色と絵画の色くらいしかない。当時の着物茶色灰色ばっかりだし

・↑これを裏付け調査がまだ出来ていないんだよな~

明治時代理科教育で分光を取り扱う際にorange橙色と訳したのが定着したようだ。

・↑「橙色が#f39800のようないわゆるオレンジ色になったのはいなのだろうか?」のアンサーはほぼこれでしょ、推測でしかないけど

明治後期には小学校の図工の時間カラーサークル概念を学んでいたらしい。その際に教科書には「だいだいいろ」と書かれている。

明治初期に数年だけ色彩教育を行っていたらしいのだが、そこではカラーサークルの赤と黄色の間の色は「柑色」「樺色」と記載された教科書もある(1875年『色図解 : 改正掛図』) 柑色には「だいだいいろ」とルビがあるようにもみえる 崩し字よめない……調べる事

英和辞書見出し語のorange橙色と訳されるが、和英辞書見出し語に橙色が登場するのはかなり後の時代

・「樺茶色」「鳶色」「柿色」「柑子色」「蜜柑色」「山吹色」「銅色」「飴色」「海老色」「渋色」などの見出し語はあるのだが…… 現代感覚だと茶色味が強いものが多い

・染色業界では「orange」を「樺色」と訳しているところもあったようだ(1895『染料乃栞』)(cf. 四十八茶百鼠)

大正4年(1915)と大正13年(1924)にオレンジ色流行色となった。おそらく化学染料の発展が影響 樺色、樺茶色はおそらくこれが決定打となり使用されなくなる

・冒頭に書いた「オレンジ色はなぜ橙(だいだい)色なのか、なぜ蜜柑色ではないのか」について言及してなくない?

・↑「オレンジ色はなぜ橙(だいだい)色なのか、なぜ蜜柑色ではないのか」のアンサーは江戸末期~明治の人はちゃん「橙」と「柑(みかん)」を区別していて、orange……いわゆるsweet orangeは皮が分厚く手で向けないから柑でなく橙の訳語をあてたからでファイナルアンサーじゃない?

・↑日本における果物類、柑橘類の歴史ちゃんと調べていないから、一応それを見てからじゃないとファイナルアンサーしたくない

・↑「オレンジ色はなぜ古い時代から存在する柑子色という訳語があてられなかったのか」のほうが問としてはいいかもしれん

児童向けクレヨンとかだと「オレンジ」でなく「だいだい」と表記されている率が高い

図書館に行って『日本の色彩百科 明治大正昭和平成』と『色の名前はどこからたか―その意味文化』を読むこと。

・この調べものは「現代においてだいだい色は外来語由来のオレンジ色と呼ぶことの方が多いのは何故?歴史をつぶさに追っていくぞ」の一環なのでまだ先は長い

・未調査:お坊さんの袈裟の色、あれは鮮やかなオレンジ色イメージがあるが色名、和名はついていたんだったか

・未調査サフランイエローインド国旗オレンジ色)は江戸末期~明治ごろの日本にないのかしら

・未調査:当時のにんじんかぼちゃの色をなんと表現していたか京野菜にんじん赤色かぼちゃ黄色な気がするけれど)

Twitterとかでイラストを描く人はWIPと称して描きかけイラストアップロードするが、調べもの日記においてもWIPと称して書きかけ日記アップロードしてよい。自由だ。

ライムが柑扱いされているのが腑に落ちなくなってきた、ライムって手で皮をむけないし酸っぱいよな……

実のサイズで呼び分けていた?うーん、当時の橙柑橘の呼び分けがどのようになっていたかを調べないといけない

「橙 柑 区别」でgoogle検索すると中国語圏サイトが沢山引っ掛かる 何かヒントがありそうな気配を感じる

『近現代英和対訳辞書における訳語変遷に関する研究─ ‘Giraffe訳語問題を中心に ─』という論文を見つけた

これを参考にして英和辞書をひたすら調べるのも面白そうだ

狭義のorangeスイートオレンジアマダイダイ(←未調査:この和名はいつ出来たんだ?)を指す

広義のorangeは橙柑橘類を指す(citrusよりも狭い範囲←この認識は正確?ちょっと怪しい)

その一方で日本語で「オレンジ」というと狭義のスイートオレンジ(甘橙)のみを指すことが多い

色名のorange訳語で「橙の色」となるか「橙柑橘類の色」「(橙以外の例えば)蜜柑色、柑子色」となるかどっちに転んでもよさそうな時期が江戸末期~明治期にあったような気配を感じている

その歴史の流れを追うのが楽しい

2024-11-08

ETV特集「1000番地 土地人間に関するリポート」が凄い感動するドキュメンタリーから見ろ

1000番地 土地人間に関するリポート - ETV特集 - NHK

https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/episode/te/8Q2XZWK77X/

札幌中心部、絶好の立地に810坪の真四角の土地がある。明治時代屯田兵が開墾し、「1000番地」と名づけられた土地。築98年の長屋駐車場の中にポツンと建つ。居酒屋などが入り、長年、酔客を迎え入れてきた。ただ不動産業界では“眠った土地”として有名だった。4月、再開発のため、更地となった。150年前は原生林だった土地。そこから始まった人間たちの数奇な運命土地をめぐる「有限であり無限価値」の物語

立ち退かされる居酒屋視点だけでなく立ち退かせる不動産屋やタワマン建てる開発業者視点も入る。

さらには屯田兵時代まで遡って原生林を開墾した人の人生を追いか台湾にまで飛ぶ。

そして更地になった後の驚愕ラスト

必見だわ

NHKプラスで9日まで

2024-11-07

anond:20241107152837

現代における名字明治時代に姓、氏、苗字悪魔合体して出来上がったものなので

由来が家だったり血筋だったり地名だったりとちぐはぐです

苗字に由来と結婚意味に応じて適切な名字選択しましょう

2024-11-06

anond:20241106130325

明治時代保険業雑誌には甲の記号がついているよ

通達に甲をつけるのは警察

天下り先なんだろうなあ

2024-11-03

🙋‍♀️「文化の日って何の日ですか?」

🙋‍♀️「はーい、質問でーす!文化の日って何の日ですか?」

👨‍🦳「それはのう、明治時代に、文明開花を記念して作られた祝日なんじゃよ」

🙅‍♀️「ブーッ!違いまーす!」

👨‍🦳「えっ!?違うのかい?」

🙆‍♀️「正解は、明治天皇誕生日でーす!」

👨‍🦳「そうなんだ!知らなかった。ワシ、物知り博士じゃなくてただのおじさんだから適当ぶっこいちまったよ」

🙍‍♀️「いいんですよ。文化の日明治時代天長節昭和初期では明治節といって祝日だったの。

その後、1946年11月3日日本国憲法公布され、日本国憲法文化平和を重視してるとして、1948年祝日として定められたの」

👨‍🦳「へぇ〜。ということは、明治天皇誕生日日本国憲法公布されたってことかい?」

🙎‍♀️「そうなの!まあ色々あったみたいだけど、今まで11月3日祝日だったから、それを続けたかったのかもしれないわね」

👨‍🦳「そうなんだ〜。教えてくれてありがとう

💁‍♀️「また何でも聞いてくださいね!」

2024-11-01

anond:20241101151909

これは『日本名乗史探究』の著者で歴史学者である佐藤光隆による説に基づいて否定するべき内容です。佐藤氏の著書には、以下のような異なる見解が示されています


1. **「姓」「氏」「名字」の区別について**

 佐藤光隆氏は「姓」「氏」「名字」の区別について、よく知られている理解とは異なる見解を示しています。彼によれば、「姓」(かばね)は実際には古代身分階級を示すものではなく、むしろ特定土地職能に基づく称号として利用されていた可能性が高いと述べています。また、「氏」(うじ)も血縁的な関係を示すというよりは、共同体を表す名前として使われていたとしています。したがって、投稿説明佐藤氏の見解とは異なります

2. **農民と姓について**

 佐藤氏は、「姓」が朝廷から与えられるもの一般農民には存在しなかった、という主張にも異を唱えています佐藤氏の調査によると、地方の村落にも「姓」に相当する称号を持つ農民存在し、その地位は村内の役職職務に応じて変わることがあったとされています。この点で、農民が「姓」を一切持たなかったという主張は、佐藤氏の研究に基づくと必ずしも正確ではありません。

3. **明治期の改革について**

 明治時代の姓氏不称令や苗字必称義務についても、佐藤光隆氏はこの説明に異議を唱えています。彼の見解では、「姓氏不称令」は制度上の変革を明確に指し示すものではなく、むしろ一時的文書上の措置に過ぎないとしています。また、1875年太政官布告1876年苗字必称義務も、実際には広範な周知が不十分で、地域によっては無視されていた例が多かったと述べています。したがって、これらの政策が即座に「公文書での姓の廃止」と結びつけるのは、過大評価であると指摘しています

4. **近世農民苗字について**

 さら佐藤氏は、江戸時代農民苗字の扱いについても異なる見解を持っています。彼によると、江戸時代寺院宗門帳で記載されていた名前は、必ずしも苗字ではなく、集団内でのあだ名仮称であったとしています。これらは法的な家系名とは異なり、通称一種に過ぎなかったと佐藤氏は述べており、この点でも投稿内容とは矛盾が生じます

以上のように、佐藤光隆氏の著書『日本名乗史探究』によれば、この説明歴史的事実と異なるとされています

anond:20241101151145

「姓」と「氏」と「名字」を語ると混迷するよね。

ただひとつ明らかなのは、それらは個人につけるものじゃなくて、「家」(家系)につけるものなんだよな。

それを個人を示すものとして運用しようとしたのが間違いの始まり明治時代はなんとかなってたけど、大正昭和でガタガタに。

anond:20241101145655

この投稿はいくつもの誤解と歴史的な誤りが含まれています

1. **「姓」と「氏」と「名字」の違いについて**

 確かに「姓」(かばね)、「氏」(うじ)、そして「名字」(苗字)は異なるものですが、その関係性や成り立ちは複雑で、簡単に整理できるものではありません。姓は古代天皇家貴族における血統地位を示すために与えられ、氏も同様に氏族を示す役割がありましたが、時代を経る中で意味合いや使われ方が変わっていきました。名字苗字武士階級を中心に広まったもので、農民が持っていなかったわけではありません。

2. **農民が持っていなかったのは「姓」という主張**

 この点も間違いです。農民が「姓」だけを持っていなかったという単純な説明では歴史の複雑さを捉えられません。農民庶民がどのように名前を名乗り、どのような役割果たしてたか時代地域によって異なり、一概に「姓」だけを持っていなかったという説明不正確です。

3. **「明治政府農民苗字をつけた」という点**

 「明治政府農民苗字をつけた」というのは一般的に正しい理解です。明治時代以前には農民苗字を持っていなかった場合も多く、名乗ることが禁止されていたケースもありました。明治政府国民統一的な制度として苗字を与える政策を進めました。よって、「明治政府農民苗字を与えた」という認識基本的には正しく、この投稿は誤解を招く表現となっています

4. **「姓尸不称令」について**

 「姓尸不称令」は「公用文書に姓を用いない」という布告であり、これは「姓」の廃止意味するものではありません。また、当時の日本社会における氏名制度の変遷は多岐にわたるものであり、単純に「廃止した」と表現するのは誤解を招くものです。


このように、この投稿には歴史的背景や制度の複雑さを無視した、誤解を招きやす説明が多く含まれています

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