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2024-12-15

anond:20241215151009

ネトウヨって2000年ごろに2chハングル板極東ニュースから出てきたイメージ。それまでの右翼ウヨクって言うと、いわゆる街宣右翼だったから。

 

1990年代なんてオールドメディアによる左翼全盛期で、そのあたりの有識者ネットというしょぼいメディア発を揶揄したこときっかけな気がする。

 

しか1990年代はすごい時代だったよなぁ。社会党総理大臣を筆頭に(地滑り的な就任だった点もあるが)、朝日新聞日本憎しで強制連行デマに飛びついたり、日中友好日韓友好、日朝友好の名の下に日本sageな識者の主張が飛び交ってた。

anond:20241214091203

お笑い好きでよく見てるんだけど、「アメトーークの雛壇みたいな話法」があまりピンとこない

最近お笑い界は高学歴陰キャネット民センス系といった属性を持つ平成生まれ若手芸人が爆増してるし、昭和セクハラオヤジといったイメージ特にない

宮迫がいた頃の話かな?というか宮迫の話?雛壇じゃなくてMCだけど

「(人のお喋りを遮って)ちょっと待って!……今噛んだやんな?w」とかそういう宮迫的なウザい絡みや弄りをするアラフォー男性が苦手ということだろうか

テレビ芸人関係なしにアラフォー体育会系上がりの男性特有の口調じゃないのか

anond:20241215082712

イラストだと作成段階が色々分かれる分、段階ごとにAI手書きを使い分けたりで効率化図れるだろうが、文章だとその辺の分業・細分化ができるイメージが持てねえな。

文章の方がAI使いづらいかもしれん。

2024-12-14

タトゥーブクマカ糾弾できる理由があれば死ぬほど攻撃する

https://anond.hatelabo.jp/20241214151650

 

俺もこの増田同意見なんだけど

何でこんなに親の仇みたいに叩くの?って、ただこれって似た現象よく見かけるんだよね

犯罪者に対して(特に性犯罪者に対して)

不倫した人に対して

炎上した人に対して

・不良に対して

ルール違反した人に対して

ハラスメントした人に対して

パチンコ関係に対して

・ヤニカス、酒カスに対して

移民に対して(在日韓国人ベトナム人クルド人

自転車乗りに対して

(あと人によっては、海外犯罪にあった女性、夜職、性病持ち、マナー違反者、病気持ち、勉強ができない人、貧乏人、情弱も、原作レイプ

まれつきなものはないのが特徴)

 

まり、「叩いて良いと判定すると死ぬまで叩く」って現象なんだよね

から興味深く観察している

一応言うとブクマカだけじゃなくて、ネット世論は大体そうで、いっそこれは日本人的な考え方だと言っていた人も見たことがある

 

個人的には性犯罪者が一番わかり易い、法律的に微罪であっても死刑去勢を求める人が居るじゃん?「◯◯した人には何でもしていい」となる

特徴としては

法律とは無関係、その人の判定基準がある

・罰に際限がない、無限攻撃するし死んで欲しいと願う

二元論的、白か黒かで中間がない

・「自分らが叩くのは彼らの自己責任」という主張をする

・その人個人ではなく、属性で叩く、属性責任個人に求める

 

たとえばタトゥーなら

温泉に入れないのは自業自得

・叩かれてもしょうがない、なぜなら〜

タトゥーイメージが悪いのはアウトローに言え

 

普通に考えたら「施設出禁」なんてペナルティーを負うほどの事って中々無いと思うんだが、それを言っても「自業自得」で片付けられる

(ちなみに世の中の温泉の半分は入れるが、それについても無視している)

判定に入ってない者(例えば温泉に慣れていない外国旅行者)には寛容

 

この現象がなぜ起きるのか、正直分かっていない

想像するに、正義感暴走なのではないかと思う

村人がそいつらをコミュニティから排斥しようとするような感じで

現代ホワイト社会がそれに拍車をかけていて、そういう属性を持ってる人が身内に居なくなり「彼ら」となることで排斥やすくなったのではないだろうか

実は同じような排斥オタクが昔受けていたんだけど、だからやめましょうとはならないらしい

双方向ではなく単方向であり、あくまで謎の判定がある

この現象が発現する人、しない人は明確に別れてると思うが、ネット世論の半分以上の人がこういう論調をやるので、いきなり攻撃的になってビックリする

こうなると言葉も通じない、「こいつらが悪い」「自己責任」を繰り返すマシーンとなる

これが行き過ぎると実際の行動・クレームになると思うんだよね

行動だけ見ると「アンチ」という状態に似てるかもしれない

 

あと、2chのような斜に構えてる、アウトロー集団はこれが発現しづらい傾向にあるのではないかと思う(あくましづらいだけ)

はてなーのように「自分善良な市民だ」と思ってる奴らほどこれが発症する

誰かもっと研究して欲しい、ひょっとしたら日本人特有病気かもしれん、もしくは人類皆そうなのかもしれんが

  

例えばだけど、これって関東大震災の時の在日韓国人殺害みたいな感じで

災害時に「タトゥーしてる集団が毒を流そうとしてるらしい」みたいな噂がたったら普通にしかねないよね?

普通に恐いんだよなあ、いつかそういう奴らにターゲットにされたらと思うと

 

あとこの病気を患ってる人の言葉はもう信用できないんだよね

叩いて良い判定になると全く冷静さを失うから、今そのモードなのかどうかわからない

 

________

 

>おまえもブクマカで括っている

真面目に受け取るのであれば、自分の判定がソレなんだろうけど

ちょっと違うんだよね、俺は別に排除排斥したいとか、死ねとか、自業自得だと、人格否定だとか言ってないし思ってないからね?

一番大きいのは「お前らどうした?」という困惑だよ、「急に攻撃的になる」って元増田も言ってただろ?怖いし冷静だと思えないんだよ

これをずっと前から抱えている、まるでキレ散らかさない俺がおかしいみたいだ

 

あと、ここがはてなからそう書いたけど、上で言った通りネット世論の特徴か、日本人の特徴か、人間の特徴かまだ判別がついていない

こういうのはよくあることで、ある集団の特徴かと思ったら生物皆そうだったとかあるからね、だからこそ特徴を定義して他集団ではどうか観察すべきなんだが

 

________

 

ちょっと仮説思いついたんだけど

子供ルール違反者に対して糾弾するのにちょっと近い感じがするんだけどどうだろうか

まり自分たちはルール守ってるのに」の思いから「ズルした奴らは許されないべき」の気持ちに発展するみたいな

で、皆で攻撃することで自分らのルールを守っていこうという結束に繋がってるみたいな

要は村ルールに基づいた私刑一種なんだけど、自警団みたいな?

例えば犯罪者減刑されたりすると「死刑しろ」っていうようなタイプ

まあこれがタトゥー現象の要因かどうかは分からん

 

子供って純粋でさ

この「アウトローを許さない良い子ちゃん」と「故意アウトロー」と「自然体」に分かれない?

自然体は「たまたま良い子ちゃん」と、「たまたまアウトロー」に分かれる

委員長とか風紀を守りたい勢が、この許さない良い子ちゃんなのではないか

 

例えば俺なんかは自然体でさ、たまたまタトゥー入れてない陣営なんだけど

別にタトゥー入れる未来も無くはないんだよね、そうなると一番怖いのは「許さない良い子ちゃん」なんだよ

アウトローよりも怖い、てか日本アウトローそんな会わないし

ビジュアルシンカー』は馬鹿を誤摩化す言葉

言語化できないレベルの細かい技能3Dイメージなんかを身体化している職人みたいな人も世の中にはいるにはいるけど、それ以外の大抵の奴は単に「普通言語化できるレベルの話も言語化できない馬鹿」に過ぎない。

これを一緒くたにして、「言葉が下手」なだけのことを「言葉以外の何かがある」証拠だと論理をひっくり返しているだけの詐欺話法だよね。

 

本当にビジュアルシンカーって呼んで良いのは、「美大とか職人業界の間でも『天才肌』と呼ばれるくらい説明力と実行力が離れている人」に限るべき。

ネット自称ビジュアルシンカーはこれで99%消滅するだろうけど。

anond:20230311224417

単純に過労によるうつ症状では、、?

というか、中年って40代半ば以降のイメージだったので、自己紹介に30代半ばと書いてあり衝撃を受けました。

anond:20241214191217

別にええやんと思う一方で「イメージじゃない」という声には疑問

乃木坂なんか制服衣装ロリコンおじさん向けのグループからスク水もその延長でしかないだろ

anond:20241213235955

こういうイメージだけでデマを流す、自分が善良だと勘違いしてるデマ生産害悪インターネッターよりはタイミーの方がさすがにマシだと思う

ちゃん労働条件通知書または雇用契約書が必要である事を雇用主に対して明示しているし、それを守らなければ当然違法です

何ならタイミー関係なく田舎零細企業とかは守ってなさそうだよね

あと、まるでタイミー経由なら法のルールを抜けられるかのように喧伝するのはむしろそれこそ違法行為を幇助しているんじゃない?

アルバイト採用する際にも雇用契約書は必要?書き方や注意点を解説

https://timee.co.jp/business/blog/182

混浴

同人RPGによくある、男湯に女が1人入って来てみんなに乳首つつかれるイメージしか無いわ anond:20241214154238

光る君へも終わるし、道長に転生して世直しでもするか

---

背景設定:**

時は11世紀初頭。平安中期、摂関政治絶頂期を迎えようとしている頃、現代法律学と立憲的思想近代的な統治理論を身に着けた人物が、突如として藤原道長966-1027)の意識を獲得する。外祖父関係を巧みに利用し天皇後ろ盾に絶大な権勢を誇る道長。だが、中身は現代法学者であり、彼は当時の秩序と衝突しつつも、新たな政治手法を打ち出そうとする。

---

政治理念の変容:**

現代法学者としての道長は、専横的な外戚支配構造活用しながらも、より「持続的な統治基盤」を確立したいと考える。単なる外戚支配縁故人事ではなく、ある種の「法による秩序」や「規範の再整理」を志す。もっとも、当時は成文法典(律令)はあれど実効性が弱まりつつあり、慣習法が強く、荘園が乱立している。現代道長は、この状況に対して次のような施策を構想する。

1. **荘園整理と土地所有の安定化**:

従来、道長をはじめとする藤原摂関家は多くの荘園私有し、それらを権勢の基盤にしてきた。しかし、現代の法的知見を持つ道長は、「法的安定性」が経済発展をもたらすことを理解している。彼は、荘園境界画定や、重層的な領主権の整理を試みる。

- 公領国衙領)の管理を強化し、名実ともに朝廷支配下に収めるための行政改革に着手。

- 荘園認定基準を明文化し、恣意的な安堵や寄進による権力争いを減らす試みを行う。

- 貴族や有力寺社に対しては、既得権益を即時奪うことは難しいが、中長期的な土地台帳(「古代不動産登記」)を整え、その正当性公的に認める代わり、租税労役義務明確化し、流通性ある土地制度志向

2. **立法執行体系の再構築**:

律令法が名ばかりの存在となり、令外官や慣習的措置が横行する世界で、道長現代的な法整備思想を導入する。

- 首都(京)における治安維持機関である検非違使権限組織を再編し、盗賊取締、秩序維持のための明確な司法手続を設ける。

- 公家社会内部で行われていた人事や地位継承に関して、記録主義(ある種の「公文書主義」)を徹底。昇任や叙位叙爵の基準をある程度定めることで、人事が完全な縁故に流れないよう微調整を図る。

3. **天皇家と摂関家の新たな関係性構築**:

道長外戚としての地位を最大限活用しつつ、天皇権威安定的な「象徴」に引き上げることを考える。天皇形式的な最高権威を担わせ、実務は「関白」の地位活用して円滑に処理するが、現代道長は「院政」的な発想を先取りするかもしれない。

- 天皇に幼少期は摂政、成年後は関白が補佐する原則を維持しつつも、天皇周辺に専門官僚を育成。

- 従来の「外戚依存から、より制度化された「最高法規」の存在感を醸成。例えば、改定版『令』をまとめ、これを朝廷全体の根拠規範として位置づけることで、朝廷藤原家を法的な結びつきで強固にする。

4. **社会制度の改良と学問振興**:

道長宮廷文化を愛し『紫式部』や『清少納言』ら文人たちとの交流を深める一方、現代的な行政手法を取り込むためにも知識人層の拡充を図る。

- 国司受領階層に対し、任地における法令遵守文書管理税制の透明化などを要求。できる限り審査厳格化し、違反者には適正な制裁を行う。

- 大学寮学問所に法制研究史料編纂部門を新設し、古代律令判例に相当する事案記録を蓄積。徐々に「法文化」を育む。

- 漢籍研究とともに、自身が知る社会契約合意原則に近い概念をそれとなく導入し、為政者と被統治者の関係を「力による支配から正当性による支配」へと移行させる試み。

5. **外交軍事制度化**:

北方蝦夷や、唐・宋との交流さらには大陸周辺国との海上貿易を法的に整理する。「道長改正律令」には、交易ルールの明記や関税的な仕組みを生み出し、国家財政を強化するとともに、軍事力を令外官頼みから一定法規範に沿った動員・統制へ転換。

- 軍事貴族地方武士層との契約関係を整え、「官」と「私」の軍事力を峻別した初期的な国軍組織化を図る(もちろん当時としては極めて斬新)。

- 貿易港での入港手続や国際通行ルールを整備し、財政基盤強化を狙う。

---

結末イメージ:**

もちろん、このような施策は周囲にとって奇異であり、保守的貴族からは激しい反発も受ける。しかし「藤原道長」という既に頂点に君臨する権力者の威光、そして自らが有する実務的手腕と知識によって、徐々に新しい秩序を「慣習法から合意された法」へと移し変えようとする。結果として、荘園の雑多な管理が少しずつ明確になり、暴力的権益争いは減少、都はある程度の治安維持機構で安定する。

やがて、次世代には「記録とルール」に基づく人事・土地管理が浸透し、法制を軸にした政治文化が醸成され、藤原家の権威は「道長改革」として後世に語り継がれることになるかもしれない。

日本人米国旅行で高いと感じていた食事代、現地人もそれなりにインフレを感じていたんだな

それでもトークショーの開始直後に冒頭で司会者「ピー」禁止用語を発するほどにはトランプ当選に落胆する米国人もたくさんいるということは当然のことだ。

選挙後の分析では、実際にはかなり接戦であったという数字も出ている。

激戦州と呼ばれていたところをすべてトランプが獲得したことなどで圧勝イメージが付いてしまったが。

SNS活用した選挙方法という面ではトランプが一枚上手であったということだ。

民主党も2度の敗北から学ぶべきことは多いだろう。

真面目なことだけ主張してても選挙には勝てない。

国民の歓心を買うことも必要なのだ

2期目のトランプは1期目のように手探り感が抜けているはずだ。

かなり明確に出来ることと出来ないことを理解しているだろう。

公約すべてを実現することは出来ない。

しかし、出来ることも多い。

カナダメキシコ中国関税を課していった場合、試算では米国経済は弱くなるとの分析が出ている。

関税により物価はより上がるだろう。

そのときに起こる不満のはけ口をトランプはどこに求めるのだろうか?

戦争に求めるようなタイプ人間ではないと思うが、権力は人を狂わす。

何も補償はない。

そして、何よりもその人事だ。

担当省庁を破壊する意欲に溢れている人々がそのラインナップに列を作っている。

米国医薬品関連の株価は下がるばかりだ。

すでに認可の下りワクチンの認可を取り下げるという話も出てきている。

おおよそ文明国が取るべき進路ではない。

このような社会ではますます人々は混乱し、富は偏在し、人は発散する何かを求めるだろう。

戦争でなければいいのだが。

お誂え向きに世界中には紛争火種だけは事欠かない。

核の抑止力のもとでも通常兵器戦争可能なのではないか

その抑止力故に。

エッチが上手い女性はどこに居るのか??

上手い女性、あとエロい女性って探すと意外と見つからないんだよね

風俗に行けよと思うかもしれないが、経験風俗嬢がエッチ上手い・エッチ好きということもない気がしている、平均的だと思う

そもそも上手い人・エロい人は需要がめちゃくちゃ高いので囲われてるんじゃないかと思う

たまに出会うことが出来ても定着しづらいイメージが有る、逆に定着しやすいのは興味まったくない人

anond:20241213155629

成城石井弁当

コンビニの1.5ー1.8倍くらいのイメージだったが、現在は1.2倍から1.5倍くらいの感覚で、具材を見ると相対的に安く感じる

例:高菜チャーハン539円 チャーシューチャーハン559円 (税別)

anond:20241213195210

子供がいるとかい理由仕事に穴あけまくってスキルアップ努力もしなかった人が地方移住してるイメージ。そうじゃない人は都内に住み続けてるかな。

anond:20241214045940

いや?あらゆるコンテンツにブチギレてるよ

日本代表負けて欲しいに始まり、車も常に日本車オワコンになれと願い何かあれば必ず日本の競合相手の味方をする

それがたとえ全く興味がないジャンルであっても

これが一般的リベラル習性であり長年ネット観測されてきた事実で、そのような人間リベラルイメージは強固に結びついている

「なんでも反対」って聞いたことない?あれ政策だけの話じゃないか

フルリモート事務職をやっている。PDF化された請求書とか決算書とか読んで色々計算するのが仕事

これ、あと数年でAIでできるようになるな。画面の向こうから結果だけが届くんだったら、画面の向こうが人間であるよりAIである方がいろいろ都合がいいよな。

とすると、AIじゃないから出社できますっていうのを売りにするのが無難作戦だけど、自分場合出社すると人間多くて気持ち悪くて、週5も働けないんだよな。

今の職場を辞めることがあっても、また別のリモートワークできる仕事探せばいいやと思ってたけど、儚い夢だったなあ。

10年後の労働市場全然イメージ湧かないや。

鬼滅のキャラ造形すごい

吾峠先生絶筆状態だとかの話を聞いて、ふと次回作みたいな〜って思っちゃった。鬼滅のあのキャラクターを思い返すと、あれは吾峠先生しか描けない何かがあると思って、それがまた見たくなっちゃ

まず炭治郎

主人公で間違いない行動はしてるしみんなから慕われてる、それはわかる。けど普通に長男から諦めないとか、心を開かない上司に付き纏うとか、おぉこわ。

あと絶対ネガティブなこと言わない。ずっと光として描かれてて闇堕ちする危なさは感じられなくて、だからこそ最後鬼になるのがキャラも読者もギャーーーー❗️って感じだったんだろうな。そこの高低差エグい、絶望感の演出

炭治郎ってリアルでは存在しなくない?炭治郎と考え方似てるねーとか言われてる人見たことない


・禰󠄀豆子

まず竹咥えてるヒロインたことないか

しかデザイン上とかではなく、マジで噛んだらヤバいからってちゃん理由あるのがさら

少年漫画ヒロインにある特有攻撃されて動けなくなるダメージ耐久の低さ(モンハンでいうひるみ)がなくて、足飛んでこうがまず目先の敵殺すで〜っていう姿がストレスなく見られる


・善逸

うるさいね。こんなうるさいキャラが育ての師匠兄弟子のせいで割腹してその仇取るために兄弟子殺すって展開が壮絶すぎるね。


・いのし

頭に猪被ってるキャラデザを主人公パーティに入れるセンスどうなってんだい


・冨岡義勇

問題の人。

ジャンプ読んでるなら分かる。見た目からしてこれはカカシポジだと。


違うし。

21歳。1番饒舌だったのは1話の炭治郎への説教、そのあとは喋ることがあまりなく、というか喋らなすぎて誤解を生みまくり、柱の間で浮いた存在になってたっていう事実。(しかもこれ15巻とかぐらいで判明する)

しかも柱じゃないか・・・メソってたのを15歳に励まされ、メンタル回復👈よかったね

そんな頼りなさも見えたところで無限からの怒涛の活躍でやっぱ強かったんかよーーー!😭✨で株の再上昇、最後まで戦い抜いて生き残る男。

読者の中でこの人は頼れる存在なのかなんなのかで定まらないまま意味不明言動をして混乱させるも、その実力で信頼を取り戻す男。

ていうかそもそも凪っていう守り特化のオリジナル技まで開発してる実力持ちなのに柱じゃない・・・😞でしてるのどうして。でも悪い人じゃないからね、言葉が足りなくて色々な誤解を生んだし嫌われてるとかあるけど、悪い人じゃないからね。

と思ってたらファンブックで判明した柱から好感度それぞれ大体ちゃんと低いのニヤニヤする

実力面と社会性への信頼の高低差すごすぎる

ナルトが火影に頼まれカカシのメンケアする回とかある?


あとの柱

冨岡義勇が柱として初めて登場したので禰󠄀豆子を見逃す冨岡のイメージでいたら、普通にめちゃくちゃ責められました。

そりゃそうだよね、鬼殺隊に、鬼ィ⁉️だよ

よく考えればそうなんだけど、もう炭治郎チームの気持ちいるから読んでるときは禰󠄀豆子のこと刺さんでもええじゃないですか?そんな炭治郎のこといじめんでもいいじゃないですか?と思って自分自身「柱・・・コイツら後で裏切るな?」と勝手に疑いをかけていた。

読者的に禰󠄀豆子の弾劾回で柱のイメージマイナスだったはず。

からの、心を燃やせ!だったり、祭り〜!だったり、無一郎の無は無限の無、温泉回などがあって柱・・・、いいヤツじゃん・・・😊に持ってく吾峠パワー、恐すっげ。

でもいや待て、蛇と風はどうすんだ口悪いし人相も、😠と思ってるところで無限城編、

怒涛の風と蛇の活躍ぶり、やっぱ柱すげ〜っの気持ち

涙あり、てかデカ涙ありで今までの全ての気持ちをひっくり返すのが凄すぎる。

風の話考えた作者酷くないですか?

蛇はマジで口が裂けてたっていうのが衝撃やったね

あとおばみつがダメそうってところらへんのハラハラ感、緊張感ヤバくなかった?自分のことも鬼殺隊だと思ってた、臨場感感じすぎて



鬼滅は敵キャラへの作り込みの熱意がすごいっていうか、会議場面を除いて無惨、猗窩座以外は基本出てきたらそのまま倒されるから敵が爪痕を残すのって相当難しいと思うんだけど、キャラ立ちすぎていたっけそんなん?みたいなのがない気がする

そもそもデザインがまず敵すぎる、倒さなきゃいかんね...っていう人外デザインしてる

目6個あるとかそりゃ倒さなきゃでしょ

TikTokでたまにおすすめAIで上弦の実写化してみましたみたいな動画が流れてくるけど普通にいや怖いー

になる、あの分身する上弦の鬼とか顔怒りすぎててこっちがキレそうになった


だけどさ、猗窩座の話衝撃すぎて敵キャラで出していい湿り気ではない

猗窩座はこのやろー!おれの煉獄さんを〜❗️から

実は過去家族が死んでどん底だった自分を救ってくれた師匠とその娘さんに出会い結婚まで行った矢先、井戸に毒を盛られて不在中に2人とも死んでしまい、その後仇を取ったはいいけど、無惨に鬼にされて目的もないのにずっと生き続けてましたってどう、?どう?

何よりこの猗窩座は今から救われることはないんだ、人間ときにすでに仇は取ってるから

ただなんの目的もないまま鬼になってたっていうのがさ、しかもその記憶も忘れて強さを求め続けてたっていうのがさ、もう全てやるせないし。この人はすでに戦う意味をなくしたまま戦ってたっていうのが虚しすぎる。よくある敵の仇とか世界を壊したい、死にたくないとか明確な理由がないまま戦って何があるっていうんすか、虚しいんだよ猗窩座って。

だけど猗窩座自身が忘れていた過去が猗窩座の入れ墨だったり戦い方だったり、技の名前だったり、強いやつがどうたらって言う口癖に出てるのが〜

いまこれで全部今繋がってるの分かりますか?星座見えますか?猗窩座っていう星座みえますか?

やっぱり猗窩座ってキャラクターとしての完成度高すぎるよね。みんな創作するときお手本にしていこうぜレベルだと思うんだけど、マジで真似されてこんなキャラぽんぽん出されたら、みんな学校とか会社こなくなっちゃう?



あとの鬼もすごいのいっぱい、いる。

鬼兄妹も、お兄ちゃんと妹で竈門兄妹との対比になってて、だけど兄妹同士の絆は鬼も人間も変わんなかったんだよねー、フー....


逆に無惨って同情するとこ大してなくて、早く殺しましょう!殺しましょう!いけー!!!!!ドンドン

って応援状態クラス対抗リレーめっちゃ応援する気持ちで腕とかぐるぐる回してる男児熱量で討伐応援できちゃう、これもまた、無惨のカリスマってヤツかもね




次回作見たいよー

鬼滅のキャラ造形すごい

吾峠先生絶筆状態だとかの話を聞いて、ふと次回作みたいな〜って思っちゃった。鬼滅のあのキャラクターを思い返すと、あれは吾峠先生しか描けない何かがあると思って、それがまた見たくなっちゃ

まず炭治郎

主人公で間違いない行動はしてるしみんなから慕われてる、それはわかる。けど普通に長男から諦めないとか、心を開かない上司に付き纏うとか、おぉこわ。

あと絶対ネガティブなこと言わない。ずっと光として描かれてて闇堕ちする危なさは感じられなくて、だからこそ最後鬼になるのがキャラも読者もギャーーーー❗️って感じだったんだろうな。そこの高低差エグい、絶望感の演出

炭治郎ってリアルでは存在しなくない?炭治郎と考え方似てるねーとか言われてる人見たことない


・禰󠄀豆子

まず竹咥えてるヒロインたことないか

しかデザイン上とかではなく、マジで噛んだらヤバいからってちゃん理由あるのがさら

少年漫画ヒロインにある特有攻撃されて動けなくなるダメージ耐久の低さ(モンハンでいうひるみ)がなくて、足飛んでこうがまず目先の敵殺すで〜っていう姿がストレスなく見られる


・善逸

うるさいね。こんなうるさいキャラが育ての師匠兄弟子のせいで割腹してその仇取るために兄弟子殺すって展開が壮絶すぎるね。


・いのし

頭に猪被ってるキャラデザを主人公パーティに入れるセンスどうなってんだい


・冨岡義勇

問題の人。

ジャンプ読んでるなら分かる。見た目からしてこれはカカシポジだと。


違うし。

21歳。1番饒舌だったのは1話の炭治郎への説教、そのあとは喋ることがあまりなく、というか喋らなすぎて誤解を生みまくり、柱の間で浮いた存在になってたっていう事実。(しかもこれ15巻とかぐらいで判明する)

しかも柱じゃないか・・・メソってたのを15歳に励まされ、メンタル回復👈よかったね

そんな頼りなさも見えたところで無限からの怒涛の活躍でやっぱ強かったんかよーーー!😭✨で株の再上昇、最後まで戦い抜いて生き残る男。

読者の中でこの人は頼れる存在なのかなんなのかで定まらないまま意味不明言動をして混乱させるも、その実力で信頼を取り戻す男。

ていうかそもそも凪っていう守り特化のオリジナル技まで開発してる実力持ちなのに柱じゃない・・・😞でしてるのどうして。でも悪い人じゃないからね、言葉が足りなくて色々な誤解を生んだし嫌われてるとかあるけど、悪い人じゃないからね。

と思ってたらファンブックで判明した柱から好感度それぞれ大体ちゃんと低いのニヤニヤする

実力面と社会性への信頼の高低差すごすぎる

ナルトが火影に頼まれカカシのメンケアする回とかある?


あとの柱

冨岡義勇が柱として初めて登場したので禰󠄀豆子を見逃す冨岡のイメージでいたら、普通にめちゃくちゃ責められました。

そりゃそうだよね、鬼殺隊に、鬼ィ⁉️だよ

よく考えればそうなんだけど、もう炭治郎チームの気持ちいるから読んでるときは禰󠄀豆子のこと刺さんでもええじゃないですか?そんな炭治郎のこといじめんでもいいじゃないですか?と思って自分自身「柱・・・コイツら後で裏切るな?」と勝手に疑いをかけていた。

読者的に禰󠄀豆子の弾劾回で柱のイメージマイナスだったはず。

からの、心を燃やせ!だったり、祭り〜!だったり、無一郎の無は無限の無、温泉回などがあって柱・・・、いいヤツじゃん・・・😊に持ってく吾峠パワー、恐すっげ。

でもいや待て、蛇と風はどうすんだ口悪いし人相も、😠と思ってるところで無限城編、

怒涛の風と蛇の活躍ぶり、やっぱ柱すげ〜っの気持ち

涙あり、てかデカ涙ありで今までの全ての気持ちをひっくり返すのが凄すぎる。

風の話考えた作者酷くないですか?

蛇はマジで口が裂けてたっていうのが衝撃やったね

あとおばみつがダメそうってところらへんのハラハラ感、緊張感ヤバくなかった?自分のことも鬼殺隊だと思ってた、臨場感感じすぎて



鬼滅は敵キャラへの作り込みの熱意がすごいっていうか、会議場面を除いて無惨、猗窩座以外は基本出てきたらそのまま倒されるから敵が爪痕を残すのって相当難しいと思うんだけど、キャラ立ちすぎていたっけそんなん?みたいなのがない気がする

そもそもデザインがまず敵すぎる、倒さなきゃいかんね...っていう人外デザインしてる

目6個あるとかそりゃ倒さなきゃでしょ

TikTokでたまにおすすめAIで上弦の実写化してみましたみたいな動画が流れてくるけど普通にいや怖いー

になる、あの分身する上弦の鬼とか顔怒りすぎててこっちがキレそうになった


だけどさ、猗窩座の話衝撃すぎて敵キャラで出していい湿り気ではない

猗窩座はこのやろー!おれの煉獄さんを〜❗️から

実は過去家族が死んでどん底だった自分を救ってくれた師匠とその娘さんに出会い結婚まで行った矢先、井戸に毒を盛られて不在中に2人とも死んでしまい、その後仇を取ったはいいけど、無惨に鬼にされて目的もないのにずっと生き続けてましたってどう、?どう?

何よりこの猗窩座は今から救われることはないんだ、人間ときにすでに仇は取ってるから

ただなんの目的もないまま鬼になってたっていうのがさ、しかもその記憶も忘れて強さを求め続けてたっていうのがさ、もう全てやるせないし。この人はすでに戦う意味をなくしたまま戦ってたっていうのが虚しすぎる。よくある敵の仇とか世界を壊したい、死にたくないとか明確な理由がないまま戦って何があるっていうんすか、虚しいんだよ猗窩座って。

だけど猗窩座自身が忘れていた過去が猗窩座の入れ墨だったり戦い方だったり、技の名前だったり、強いやつがどうたらって言う口癖に出てるのが〜

いまこれで全部今繋がってるの分かりますか?星座見えますか?猗窩座っていう星座みえますか?

やっぱり猗窩座ってキャラクターとしての完成度高すぎるよね。みんな創作するときお手本にしていこうぜレベルだと思うんだけど、マジで真似されてこんなキャラぽんぽん出されたら、みんな学校とか会社こなくなっちゃう?



あとの鬼もすごいのいっぱい、いる。

鬼兄妹も、お兄ちゃんと妹で竈門兄妹との対比になってて、だけど兄妹同士の絆は鬼も人間も変わんなかったんだよねー、フー....


逆に無惨って同情するとこ大してなくて、早く殺しましょう!殺しましょう!いけー!!!!!ドンドン

って応援状態クラス対抗リレーめっちゃ応援する気持ちで腕とかぐるぐる回してる男児熱量で討伐応援できちゃう、これもまた、無惨のカリスマってヤツかもね




次回作見たいよー

鬼滅のキャラ造形すごい

吾峠先生絶筆状態だとかの話を聞いて、ふと次回作みたいな〜って思っちゃった。鬼滅のあのキャラクターを思い返すと、あれは吾峠先生しか描けない何かがあると思って、それがまた見たくなっちゃ

まず炭治郎

主人公で間違いない行動はしてるしみんなから慕われてる、それはわかる。けど普通に長男から諦めないとか、心を開かない上司に付き纏うとか、おぉこわ。

あと絶対ネガティブなこと言わない。ずっと光として描かれてて闇堕ちする危なさは感じられなくて、だからこそ最後鬼になるのがキャラも読者もギャーーーー❗️って感じだったんだろうな。そこの高低差エグい、絶望感の演出

炭治郎ってリアルでは存在しなくない?炭治郎と考え方似てるねーとか言われてる人見たことない


・禰󠄀豆子

まず竹咥えてるヒロインたことないか

しかデザイン上とかではなく、マジで噛んだらヤバいからってちゃん理由あるのがさら

少年漫画ヒロインにある特有攻撃されて動けなくなるダメージ耐久の低さ(モンハンでいうひるみ)がなくて、足飛んでこうがまず目先の敵殺すで〜っていう姿がストレスなく見られる


・善逸

うるさいね。こんなうるさいキャラが育ての師匠兄弟子のせいで割腹してその仇取るために兄弟子殺すって展開が壮絶すぎるね。


・いのし

頭に猪被ってるキャラデザを主人公パーティに入れるセンスどうなってんだい


・冨岡義勇

問題の人。

ジャンプ読んでるなら分かる。見た目からしてこれはカカシポジだと。


違うし。

21歳。1番饒舌だったのは1話の炭治郎への説教、そのあとは喋ることがあまりなく、というか喋らなすぎて誤解を生みまくり、柱の間で浮いた存在になってたっていう事実。(しかもこれ15巻とかぐらいで判明する)

しかも柱じゃないか・・・メソってたのを15歳に励まされ、メンタル回復👈よかったね

そんな頼りなさも見えたところで無限からの怒涛の活躍でやっぱ強かったんかよーーー!😭✨で株の再上昇、最後まで戦い抜いて生き残る男。

読者の中でこの人は頼れる存在なのかなんなのかで定まらないまま意味不明言動をして混乱させるも、その実力で信頼を取り戻す男。

ていうかそもそも凪っていう守り特化のオリジナル技まで開発してる実力持ちなのに柱じゃない・・・😞でしてるのどうして。でも悪い人じゃないからね、言葉が足りなくて色々な誤解を生んだし嫌われてるとかあるけど、悪い人じゃないからね。

と思ってたらファンブックで判明した柱から好感度それぞれ大体ちゃんと低いのニヤニヤする

実力面と社会性への信頼の高低差すごすぎる

ナルトが火影に頼まれカカシのメンケアする回とかある?


あとの柱

冨岡義勇が柱として初めて登場したので禰󠄀豆子を見逃す冨岡のイメージでいたら、普通にめちゃくちゃ責められました。

そりゃそうだよね、鬼殺隊に、鬼ィ⁉️だよ

よく考えればそうなんだけど、もう炭治郎チームの気持ちいるから読んでるときは禰󠄀豆子のこと刺さんでもええじゃないですか?そんな炭治郎のこといじめんでもいいじゃないですか?と思って自分自身「柱・・・コイツら後で裏切るな?」と勝手に疑いをかけていた。

読者的に禰󠄀豆子の弾劾回で柱のイメージマイナスだったはず。

からの、心を燃やせ!だったり、祭り〜!だったり、無一郎の無は無限の無、温泉回などがあって柱・・・、いいヤツじゃん・・・😊に持ってく吾峠パワー、恐すっげ。

でもいや待て、蛇と風はどうすんだ口悪いし人相も、😠と思ってるところで無限城編、

怒涛の風と蛇の活躍ぶり、やっぱ柱すげ〜っの気持ち

涙あり、てかデカ涙ありで今までの全ての気持ちをひっくり返すのが凄すぎる。

風の話考えた作者酷くないですか?

蛇はマジで口が裂けてたっていうのが衝撃やったね

あとおばみつがダメそうってところらへんのハラハラ感、緊張感ヤバくなかった?自分のことも鬼殺隊だと思ってた、臨場感感じすぎて



鬼滅は敵キャラへの作り込みの熱意がすごいっていうか、会議場面を除いて無惨、猗窩座以外は基本出てきたらそのまま倒されるから敵が爪痕を残すのって相当難しいと思うんだけど、キャラ立ちすぎていたっけそんなん?みたいなのがない気がする

そもそもデザインがまず敵すぎる、倒さなきゃいかんね...っていう人外デザインしてる

目6個あるとかそりゃ倒さなきゃでしょ

TikTokでたまにおすすめAIで上弦の実写化してみましたみたいな動画が流れてくるけど普通にいや怖いー

になる、あの分身する上弦の鬼とか顔怒りすぎててこっちがキレそうになった


だけどさ、猗窩座の話衝撃すぎて敵キャラで出していい湿り気ではない

猗窩座はこのやろー!おれの煉獄さんを〜❗️から

実は過去家族が死んでどん底だった自分を救ってくれた師匠とその娘さんに出会い結婚まで行った矢先、井戸に毒を盛られて不在中に2人とも死んでしまい、その後仇を取ったはいいけど、無惨に鬼にされて目的もないのにずっと生き続けてましたってどう、?どう?

何よりこの猗窩座は今から救われることはないんだ、人間ときにすでに仇は取ってるから

ただなんの目的もないまま鬼になってたっていうのがさ、しかもその記憶も忘れて強さを求め続けてたっていうのがさ、もう全てやるせないし。この人はすでに戦う意味をなくしたまま戦ってたっていうのが虚しすぎる。よくある敵の仇とか世界を壊したい、死にたくないとか明確な理由がないまま戦って何があるっていうんすか、虚しいんだよ猗窩座って。

だけど猗窩座自身が忘れていた過去が猗窩座の入れ墨だったり戦い方だったり、技の名前だったり、強いやつがどうたらって言う口癖に出てるのが〜

いまこれで全部今繋がってるの分かりますか?星座見えますか?猗窩座っていう星座みえますか?

やっぱり猗窩座ってキャラクターとしての完成度高すぎるよね。みんな創作するときお手本にしていこうぜレベルだと思うんだけど、マジで真似されてこんなキャラぽんぽん出されたら、みんな学校とか会社こなくなっちゃう?



あとの鬼もすごいのいっぱい、いる。

鬼兄妹も、お兄ちゃんと妹で竈門兄妹との対比になってて、だけど兄妹同士の絆は鬼も人間も変わんなかったんだよねー、フー....


逆に無惨って同情するとこ大してなくて、早く殺しましょう!殺しましょう!いけー!!!!!ドンドン

って応援状態クラス対抗リレーめっちゃ応援する気持ちで腕とかぐるぐる回してる男児熱量で討伐応援できちゃう、これもまた、無惨のカリスマってヤツかもね




次回作見たいよー

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

すごくおばさんだった

生成AI(※)嫌いが多い

たまたまSNSで見知らぬ人とちょっと絡みが発生しそうになって、プロフ見に行ったらAI嫌いの人だった

配信とかもやってる人みたいで、ちょっとアーカイブ再生してみたら、おばさんとしか思えない声、喋り方だった

いや、おばさんが悪いんじゃないけど、自分の中のおばさん(とかおばさん入口女子)って、一番、自然でないものを拒むイメージがある

ほとんどがうちの母と母に影響受けまくった姉の印象だけど

母は早逝したので姉のそれは別口かもしれないが

しかったのもでかいとおもうが、変な宗教っぽやつ、プラッチックの密封容器、洗剤とか色々ハマりつつ

旨味調味料を嫌い(そのくせ昆布かつお節もケチるので旨味が無い料理を作る。塩も控える)、無農薬に惹かれ(売ってなかったり高かったら普通に野菜買う)、肉より魚を選びがち(そのくせ生協合鴨とかは買う。魚に関しては今自分も魚好きなので子供時代自分との相性)。自然っぽさがあればそれでよく、夏場はそうめんばっかりで(好きだからいいけど)、めんつゆ普通に売ってるやつ。(こだわりのやつとか売ってなかったか見つけれなかったか

馬鹿しかないとは思うが、自分も何か否定的情報が流れてくると、自然ぽさが少ないものは他と比べて避けようと思ってしまうし(コーヒーは避けないが、甘味料とかはだめかなと思ってしまう)、

自然信仰みたいなのはあるのだろうなと思う。ポッと出のものよりも何千年と人類が使って来たもののほうが信頼度が高い気がする。(実際気がするだけで、検証すらしてないもののほうが多かったりするのだろうが)

自分たまたま仕事コンピュータに関連深い業種で、学部化学とか(触りだけ)つまんでて、避けようと思った時に、ちょっと考えることが出来るので、変なこだわりは少ないほうだとは思うけど、

わかった上で気休めでも根拠がないけど安心っぽいとか、逆に根拠はないが体にいいっぽいに倒れることは多いし、よほどのことでないかぎりは、そういう気休めとかもあったほうが生きていきやすいんだろうなと思うし、話のネタが他にあんまりなかったりするのもでかいのかもなぁ




※ 生成AIって言い方もよくないのかもしれない

AIなんてそもそも何かは作るもので、コンピュータもそんな感じだ。出力がないと意味がないんだし、動いたら何かは出るんだし。

賢そう、怖そうみたいなイメージついちゃってんのかも。はちみつとか(作ってるわけじゃないけど)ハチの巣とか(作ってるけど何に使えるか知らない)みたいにもっと人間使役してるとか、人が強奪してるみたいなニュアンスだったら嫌悪感減るのかも?

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