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2024-12-14

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

量子力学義務教育

 最近、「量子力学って不思議学問だよなあ」と考えることが増えた。正直、量子力学専門家向け、大学以上で初めて学ぶ高難易度な分野とみなされている。けれど、私はむしろこの「目に見えない世界を扱う学問」こそ、義務教育で触れさせる価値があると思っている。なぜなら、この学問には「人間は目に見えることを当たり前に信じているけど、それは本当に正しいの?」という重要な問いが詰まっているからだ。

 私たちの多くは、日常生活で「見たもの現実」として受け止めている。リンゴが転がっていたら「そこにリンゴがある」と疑わないし、机が固くて動かないのは当然のこととして受け入れている。光が差せばそこに物が見え、目の前にある風景世界のすべてだと思ってしまう。この「当たり前感覚」は便利ではある。私たちは、見える世界をそのまま理解し、そこに順応して毎日を過ごせる。だけど、よく考えてみると「見えるから信じる」って、本当に頼れる基準なのだろうか?

 量子力学は、この「当たり前感」を根本からさぶる。ミクロ世界では、粒子は同時に波であり、状態観測するまで決まらない、というまるでSFのような現実がある。これは「観測者が見ていないとき、物はどうなっているのか?」という奇妙な問いを突きつける。日常とはかけ離れた話のようだけど、「見ていないときに本当にそこにあるか?」なんて、普段は考えもしない。しか量子力学は「それが重要問題だよ」と言ってくる。

 もし子どもたちが、義務教育の早い段階でこうした不思議な考え方に触れたらどうなるだろう? 最初は「意味不明」「難しすぎ」と思うかもしれない。でも、わかりやす実験やたとえ話で、「物は見ていないとき確定していないかもしれない」といった発想を伝えることは、必ずしも不可能じゃない。たとえば、シュレーディンガーの猫という有名な例え話がある。箱の中の猫は、開けて見るまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なっている――そんな非日常的なイメージが、量子力学象徴している。

 これを子どもが聞けば、最初は戸惑うだろう。「見ていないときに、猫って何なの?」と混乱するかもしれない。でも、この混乱こそが大事だ。「見える世界がすべてだと思ってたのに、見ないとわからないなんて、どういうこと?」という疑問は、当たり前を疑う力になる。大人私たちですら、社会で日々目にする情報を「映像があるから本当だ」「写真があるから確実だ」と思い込みがちだ。だけど、量子力学的な発想があれば、目に映るものに対してもう少し慎重になれる。「観測自体が結果を左右することがあるなんて、実は不思議な話だ。見る側も、ただ受け取るのではなく、世界状態に影響を与えている。

 こうした「世界は実はそんなに単純じゃない」という感覚は、私たち人間中心の固定観念から抜け出す手がかりになる。人間はしばしば、自分が見た範囲こそが全世界だと思いがちだ。だが実際は、私たち宇宙のほんの片隅にへばりついた、ちっぽけな存在しかない。視界が及ぶ範囲なんて、全体のほんの一部にすぎない。量子力学を学ぶと、世界には人間感覚ではとらえ切れない不確定な要素が広がっていて、そのうちごく一部を「見ている」ときにだけ「確定的なもの」として捉えているにすぎない、という見方が芽生える。

 これを知ると、自分が大きな宇宙自然の中でいかに小さな存在か、深く感じられるはずだ。「今ここで見えるもの」に頼り切ってしまうと、「自分たちが一番」「ここが世界の中心」という錯覚に陥りがちだ。でも、量子レベル世界想像してみれば、私たち確信なんてあやふやもので、宇宙もっと広大で奇妙な場所なのだとわかる。すると、少し謙虚になれる。「自分が見ている世界は限られていて、実際にはもっと不思議なことがあるんだな」と。

 現代ネットメディアなどで大量の情報が目に入る時代だ。しかし、その情報鵜呑みにしてしまうと、知らないうちに操作される危険性がある。見えているか真実と信じるのではなく、そもそも「見える」ってどういうことか、観測とは何なのかを考え直す力が求められている。量子力学的な視点は、そんな思考訓練にもってこいだろう。子どもたちが若いうちから、この不思議世界観に触れていれば、「見た目がすべて」「映像真実」という単純な思い込みにとらわれず、批判的な目で物事判断できるようになるかもしれない。

 もちろん、義務教育量子力学を教えるには工夫が必要だ。理論を詳細に教えるのは難しいだろうし、数学的にはかなり高度だ。だけど、基本的な考え方、世界観を絵本実験動画簡単ワークショップ体験することはできるのではないだろうか。たとえば、「観察されるまで色が決まらない玉」の実験モデルや、日常物のアナロジーを使って「結果が確定するのは私たちが見る瞬間」というイメージを伝えることは不可能じゃない。

 こんな教育がもし実現したら、子どもたちは「当たり前を疑う力」を身につけるはずだ。大人になればなるほど、人間自分の知っている感覚に閉じこもりがちだ。けれど、小さなから世界には不確定なものがある」「見ていないとき世界はどうなってる?」「物理学は単に落下や運動の話だけじゃない」という刺激を受ければ、将来、新しい発想やアイデアを生み出す土台になるかもしれない。さらには、ネット情報映像を見たときに「これって本当なの?」と問い直し、より多面的世界理解できる大人へと成長できるだろう。

 人間は、どうしても自分たちが中心で、自分たちが見える範囲世界が確定しているような気分に浸りやすい。でも、量子力学は「君たちが見ているのは、巨大な舞台のほんの一幕にすぎないんだよ」と教えてくれる。舞台裏では、目に見えない無数の可能性や不確実性が広がっているのだ。そう考えると、人間いかにちっぽけで、世界理解が限られているかがよくわかる。

 その「ちっぽけな存在である私たちが、自分たちなりに世界を知ろうとすることは悪いことじゃない。むしろ謙虚さと探究心を持って、見えない仕組みに目を向けることは、これから時代必要姿勢だ。量子力学は、私たちが当たり前と思っている感覚価値観を揺さぶり、「本当にそうなの?」と問いかける貴重な手段になる。だからこそ、義務教育量子力学エッセンスを伝えることは、子どもたちの未来にとって有益だと思う。

 見えている世界がすべてではない。そのことを早い段階で知れば知るほど、私たちはより柔軟な思考謙虚さを持って生きられるはずだ。人間は見ることに頼りすぎている。けれど、量子力学を学ぶことで「見えるもの」がいかに不完全で、小さなスケールに縛られた断片的な真実なのか、思い知ることができる。それは、人類が新しい知覚と理解を手に入れるための、初めの一歩だと思う。

2024-12-01

俺氏自称つよつよエンジニア

上司に「他の人に教えてあげて」って指示されたり同僚に「増田さんみたいになりたい」って言われる程度のITエンジニア俺氏本業の傍らまじめに教育に取り組んで心折れそうwww


基礎もまともに出来てないやつが多くて、本来なら1カ月は使ってがっつり知識仕込みたいところだけど本来業務があってそんな時間いから一時間エッセンスだけ教えてあとは自力で頑張ってね、ってせざるを得ないわけよ


作った資料→読んでこない

おすすめした本→読まない

Udemy→受講しない

休みの日にプログラミング勉強→やらない


やる気なくて心折れそうwww

新卒じゃねーんだからこれくらいやらないと追いつけないのに

やる気さえまともにあるならいくらでも教えてやるのになあ…副業申請とか確定申告とか面倒だから金も取らないし

けどそういうやつは自力で登ってくるんだよな

2024-11-20

anond:20241120215220

AKIRAに中身があるのかないのかは知らないけど(たぶんそれは大友さんにしかからない)

AKIRAという映画凄さというのは、

あの熱気だと思う。

俺達は新しいことをやるんだ!!

監督だけじゃなくて

クリエイターたち一人ひとりが持つあの熱量の噴出が

前編クライマックスとも呼ぶべき

異常なまでのテンション高さをあの映画の中で作り上げている。

それは時代の空気でもあったんだと思う。

バブル景気という狂乱の時代にあって

日本人一人ひとりが今よりずっと陽気だった。

決して順風満帆人生でなかったとしても

どこか

どうにかなるさ!!

そう思える楽天的雰囲気時代が満ち溢れていた。

そういう時代の空気真夏の夜に見る夢の如き時代エッセンスが多量に含まれているのがあの映画だ。

時代の空気クリエイターたちの圧倒的な熱量

そのふたつが映画という媒体で重なり合い凝縮して結合し、まるで原子が融合するかのようにエネルギーほとばしる。

その圧倒的な熱。

その「熱」がAKIRAだ。

知らんけど。

2024-11-15

ヲーターマーク克服メモ

主題解釈文脈理解

・線画抽出

抽出された線画のうち、主題にそぐわないもの排除エッセンス抽出)←手動で判定

エッセンス学習

・出力

2024-11-12

anond:20241030082752

ピキって崩壊した日本語曲解話題逸らしに精出してて草なんだ

本質じゃない腐女子の部分にやたら突っかかってるってことは図星だったのかな^^

ご自慢のボンゴレリングが後世にどう影響したのか教えてもらっていースか^^

NARUTO→カグラバチのように脈々と受け継がれるリボーンエッセンスソウルがあるんだよね、きっとね

じゃあ言ってほら、早く

リボーンは今どの作品の中で生きてる?

リボーン終了後、リボーンの影響を明言した作家、または明らかに影響を受けた作風作家はいる?誰?

これだけ高尚にジャンプを語るということは現在定期購読していないわけがないだろう、当然、バックナンバーをめくって「好きな漫画」にリボーンを挙げる新人探せるよな

ほら早くかかれ、急げよ

それから、何か勘違いしてるみたいだけど私は元記事ランキングを作った増田じゃないんだよな

ピキりすぎてんのか増田仕様をわかってないのか、どっちでもいいけどほんと笑わせてくれるよ

2024-11-11

anond:20241110085525

ブコメありがとうございます

普段は爺の記憶を頼りに増田を書いたり消したりしておりますが、ここまで反応がもらえたのは初めてなのでとてもうれしいです。

いくつか言及したいこともあるのですが、あいにく徹夜明けで頭があまり回っていないため、ここで少しお返事します。頭回ってないので読みにくかったらすみません


カードダスについてコメントが欲しい。

カードダスについては2通りの遊び方があると承知しています

(1) お互いがデッキを持ち寄るか、1つの山を二人で分け合い、手持ちのカードを場に出し、ポイントが高いほうが勝ち。ゲームによってはポイントを増減できるカードを追加で出せる

単純なように思えますが、追加で出せるカードの方にポイントの増減やゲームのものスキップできるなどの特殊ルールがあって一定駆け引きポイントはあること、

スカウター使用して隠された能力を使ったり、モビルスーツに合わせて原作準拠キャラ出したりなど、原作フレイバーを感じやすい遊び方が多く結構楽しいです。

ただ、この追加効果についてはのちのシリーズで複雑化しすぎたため、か後年のスーパーバトルでは単純なポイント比べだけのバトルになってしまっています

(2) カードを集めて謎を解く(SDガンダム外伝シリーズ ジークジオン編~円卓の騎士編)

ナイトガンダム物語1~3などのゲーム版でカードダスバトルがフィーチャーされていて大人気だったので誤解されやすいのですが、SDガンダム外伝シリーズの円卓の騎士編まではカードを集めてセット内にいるボスに勝てる方法を見つける、という遊び方が公式ルールでした。

そのあと機兵バトルという遊び方も導入されたと思いますが、ルールは前述の遊び方と同じだったんじゃないかなと思います。(現物を見れば確認できるのですが、ちょっと倉庫から資料をあさる余裕が無くてすみません)


これらからわかる通り、カードダスの対戦ゲーム部分はめんこ遊びの延長線上のような「出して強い方が勝つ」「じゃんけん」を繰り返すゲーム性となっています。(ちなみに遊戯王カードダス版でも同じようなルールなので一貫しています

私としてはカードダスは広義の「TCG」ではあれど、歴史的には駄菓子屋文化から派生した「カードダス」というホビージャンル(このあとポケモンの最強シール列伝国産トレカブームにつながっていくライン)としてとらえるべきで、TCG歴史上「そういうものもあった」ぐらいの立ち位置なのではないかと思います



カルドセプトおじさんなんでそういうことも語っていいのですか?

ぜひ伺いたいです!SS版でパワーメモリが壊れてデータが飛んでもしまっても続けていたのですが、PSエキスパンションで大量破壊カード連打デッキを使う友達に勝てずにゲームを投げてしまったので、初代から3DS版に至るまでの話などあればぜひ読んでみたいです。

個人的には持っておられたら紙のカルドセプトプレイフィールなどもうかがえると嬉しいのですが。。。

カルドセプトにかかわらず、いろいろなカードゲーマーの語りを見てみたいです。





例の遊戯王10増田のせいでTCG雑語りするブコメ増田が増えて大変喜ばしいんですが、爺としてはいろいろ気になる部分はあるので都度追記をさせていただいてはおります

というわけでこの増田に対する補足を今回も。


からカードを使うボードゲームはあったやん。

流行ってるのだとドミニオンみたいなのが。

MtGの元になったゲームコズミックエンカウンターというボードゲームです。

あのゲームプレイヤーの使う異星人の組み合わせでいつでも斬新なゲーム体験ができることにMtGデザイナーとなる人物が着目したのが最初で、

その他 strat o matic baseballKing of the Tabletop、ビー玉遊びなどのエッセンスをもとにMtGが開発されました。

(MtGに初期にSF匂いのするカードがいくつか含まれていたり、すこしおふざけの入ったカードが含まれているのはこのためです。

高潔のあかし/Righteousnessイラストの上部にはスタートレックのカーク船長にとても良く似た人が描かれていたという話もあります)


MTGが本当に発明したのはカードゲームルールではなく、トレーディングカードゲームとして本格的に遊ぶというフォーマットぐらいなんだよ。

正しいです。ただ、かなり省略して書いている、というか雑かなと思います

トレーディングカードゲームとして」の部分はTCGとしての拡張セット概念発明であり、

「本格的に遊ぶ」という点は解釈揺れのない一貫したルール他人同士が遊べるゲームという発明となります


TCGとしての拡張セット概念

MTG最初拡張セットアラビアンナイト」は最初の基本セットとは別のデザインの裏面で発売される予定だったのを、印刷直前で今の同じ裏面に変更した、という話はとても有名です。

MtGはごく初期に「Magic」をゲーム正式名称としていて、Magicの後の「:」は、「The Gathering」が拡張セット名に置き換わる予定だったとか、そのあたりからも分かるのですが、

当初MTG拡張セットボードゲーム拡張製品のように、基本セットとは別の製品としての色が強いものでした。

元増田ドミニオン名前を出しましたが、これを例に考えるとわかりやすいと思います

ドミニオンは基本セットとカードを混ぜて管理したりはしません。基本セットだけで遊ぶこともあります

現代TCGはそのような遊び方はあまりしませんよね?

この変更こそが現代TCG拡張セットとしての考え方を決定づけた歴史的な決定だったと思いますし、発明ではないかと思います


解釈揺れのない一貫したルール他人同士が遊べるゲーム

MTG好きな方なら最近Rule 0という言葉を知られた人も多いと思いますアナログゲーム好きにも知っている方はいるんじゃないでしょうか。

アナログゲームではしばしばルール解釈プレイヤーごとに異なってゲーム自体に影響を与えることがあります

そのため、ゲーム開始前のインストで、ゲームルールに関する簡単説明質疑応答を行ったり、ゲームをしっかりルールに沿ってやるのか、カジュアルにやるのかのすり合わせをプレイヤー間で行います

こうしたやり取りを Rule 0 と呼ぶのですが、これは競技性の高いゲームと相性が悪く、トラブルの種にもなったりしていました。

なによりゲームをやりたいだけなのに、わざわざゲーム前に参加者とすり合わせをするなんて、今の時代からすると想像しづらいですよね。(麻雀をやっている人はもしかしたら頷いてくれるかもしれません)


対して、MTGルールを整備しジャッジングを導入することで、こういったあいまいさや齟齬をでどんどん取り払っていきました。

これにより他人と非常に遊びやすく、ルール理解齟齬が起きにくいという競技性の高いゲーム環境が生まれました。

MTG最初アナログゲームの待ち時間プレイする小さなゲーム意図して作られたことも、こういったインストの簡便さを追求する理由になったのかもしれません。

その後、WotC競技プレイプロモーションの一環として推進することで、コレクション競技プレイという2つの柱を持ったTCGという文化が生まれたわけですね。


参考文献:

テクニカルガイド for マジックギャザリング(新紀元社)

ラーマジックガイド(新紀元社)

https://mtg.fandom.com/wiki/Magic:_The_Gathering


そんなかんじです。

2024-10-30

僕の心のヤバイやつって

山田とくっついた後はただの恋愛少女漫画になってしまっていて微妙な気がする

君に届けこどものおもちゃエッセンス混ぜた感じ

2024-10-20

読み切り版のほうが面白い」ってどこの界隈でもある文化なんだろうな

エンダーのゲーム(著:オースン・スコット・カード)というシリーズを知っているか

映画にもなった有名な小説だ。

まあ簡単に言えば、宇宙戦争時代舞台に「あれ?また俺なんかやっちゃいました?」していく作品だ。

まれたのが50年近く前でまだなろうという文化も無かったため「これは画期的だ!」と滅茶苦茶評価され映画にもなったわけである

さて、コイツは実は元々短編小説だ。

今は無伴奏ソナタという短編集に収録されている。

わずか30ページ程度の中で何度も繰り出される「あれ?俺なんかやっちゃいました?」「ちょっと工夫しただけですよ?」「俺なんかにこんな大役を・・・」が楽しいハイスピードやっちゃいました系小説となっている。

ハッキリ言う。エンダーシリーズの中で一番面白いのはこの短編だ。

エンダーの基本となるエッセンスが混ぜモノなしでそのまま味わえるからだ。

こういった「短編読み切り版の方が面白い」ということはどこの界隈にだってある。

ジャンプの新連載なんてしょっちゅう読み切りでは面白かったのにね。1話が読み切りリメイクで2話~20話まで全部蛇足は笑っちゃうよ」みたいに言われて消えていく。

ゴールデン移籍して枠を増やした結果つまらなくなった深夜番組の如くである

はいったものの、俺は小説漫画ぐらいでしかこういうのを知らんのよな。

たとえば「特別版2時間スペシャルで評判が良かったので1クールドラマシリーズにしたらクッソ評判悪かった」みたいなのが沢山あるはずなんだよ。

なんなら「20分のショート動画として受けたので2時間映画にしたら、蛇足まみれでゴミになった」みたいなのとかもさ。

音楽世界にもあるのかな?まあ「一発屋大成功で上がった評価アルバムのしょーもなさでバブル崩壊」みたいなのは結構起きてるか。

まりだな、そういうことだ。

書き出してからオチを考えるとオチが上手くつかんことがあるから困るな。

もういいや、お前らの好きな「読み切り版の方が面白かった的な奴」を教えてくれればそれでいいよ。

2024-10-04

定理: 俺たちは🐙でしたが人間です。ゆえに超人可能性があります

サイヤ人化できる可能性が極めて微量に存在します。その微量さは面倒くささを中和するためのエッセンスなのです。

なお超人化したい場合人類に対して先に良い人とならなければなりません。これは善人競争です

超人となったあとに善人をやめることもできますが、その場合は、株式市場のように売り手買い手の売買になります

超人となったあとに善人を続けることのインセンティブがないと感じる場合あなた超人になれません。

これは身勝手の極意と名付けられており、私が名付け親の親です。またこれは真理の一部であり、超人の上に無限の上位存在存在する可能性があったりなかったりとさ、めでたしめでたしおつおつo2o2.

2024-10-01

anond:20240930162102

有間しのぶ作品かな

作者自身が食に興味がある人だと食が重要かつ自然エッセンスになってること多い気がする

2024-09-11

恋の仕方

恋愛のやり方なんて興味のあるなしで身についたりつかなかったりするのに、ある年齢以上になると身につけるチャンスさえなくなるのは大変なことだなと思ったので、増田なりの恋愛の仕方を以下に書く。参考になれば嬉しいな

①「気になる」人を見つける。できれば複数

恋愛感情が薄い人は「好き!」という感情他人に持ちにくいんじゃないかと思う。それでいい。「この人、ちょっと素敵だな」「他の人より少しだけ気になるな」この程度の温度感を感じる相手がいればOK。更に言うとこの相手複数いるとリスクヘッジの点で非常に良い。

②「興味がある」という言葉を使わずに「興味がある」ということを示す

僕は/私は、あなたのことをもっと知りたいと思っています。ということを態度で示す。言葉では明言しない。好きなもの、嫌いなもの、街で目に付くもの、大切にしているもの……気になる相手なら知りたいことがあるはず。それを自然に会話の中で聞いて覚える。覚えていることが多いほど特別に見てる感は伝わる。「そういえば◯◯なんですよね」「〇〇好きでしたよね」「〇〇が苦手なら〇〇もですか?」と、どんどん相手を深掘りしていこう。もちろん一度にじゃなく、日々少しずつ

距離を置かれたら深追いしないし、「なんか違うかも?」と思ったら引く

あなたのことが気になっていますアピールしまくると、反応は3つに分かれる。一つは距離を置かれる、一つは相手こちらに興味を示す、そして全くこちらの意図に気づいてくれない。このどれかだ

距離を置かれるとは例えば「付き合っている人がいます」と明言されたり、相手内面について聞いた時にはぐらかされたりと、「これ以上近づかないで」というサインが出た時。この時は察してただの友人や同僚の距離感に戻ろう。相手についての深堀りはやめること

次に相手こちらに興味を持ってくれた時だが、その時の距離の詰められ方によっては「この人、なんか好きになれないかも…」と思ってしまうこともある。そんな時は逆に自分自身が壁を作って距離を置こう。それは悪いことじゃない

距離を置くのも置かれるのも、「好き!大好き!」な相手だとしんどいが「ちょっと気になるな」くらいの相手だとそんなにしんどくないので良い。気になる人を複数見つけるのはそういうリスクヘッジにもなる

上記をやっていくうちに距離感や釣り合いというものが分かってくる

あなた内面に興味があります、という態度で他人に接していくうちに、どこまで踏み込んでいいかやどこまで踏み込まれてもいいかが分かってくる。それが距離感というもの

興味を持つことは別に恋愛関係を目指さなくても、あらゆる人付き合いに必要エッセンス

で、恋愛成就と長続きに重要なのは相手自分釣り合いが取れているかどうかということ。釣り合いとは所属するコミュニティでの立場だったり、接している時の我慢の量だったりする。派手なタイプと地味なタイプはよほどの繋がりがない限り辛くなるし、どちらか片方が我慢して片方が好き放題やる関係も長続きしない。お互いに程よく相手を気遣えて、しかも気遣うことが苦にならない関係性が理想である。相性がいいとはこのこと

職場での相手探しはオススメしない

上記のように、恋愛的な距離の詰め方にはかなりプライベートな話が必要になる。不慣れな人間職場で知り合った人とそういう話をするのはハードルが高いと思うので、恋愛相手探しはやめよう。相手に興味を持つということの練習くらいなら職場の人相手でもOK

以上。ツッコミどころがあったらブクマカ増田が補足してくれるって信じてる

2024-09-06

はてなのおぢさんたちと信長の野望武将風雲録の話で盛り上がりたいよ

信長の野望シリーズ人気投票トップにくる作品なんよ。

リアルタイムとかAIとか3Dマップとかもいいけど、風雲録くらいの抽象度がちょうどええんよ。

iOS版の風雲録は新要素も加わってて面白いよ。

同じくシリーズで人気の天翔記エッセンスが入ってるよね。

オリジナルの風雲録にはなかった、戦闘中に発動する技とか、武将兵科適正とか。

言われてみれば天翔記って要するに風雲録だよなあって気づきがあった。

どっちも人気作品だしね。

風雲録に天翔記風味を加えてさらパワーアップしてるのすごい。

通常の遊びに加えて、詰将棋みたいに特定シチュエーションで戦うモードも加わってて、手軽に遊べる感じになってた。

動力上げて山地を一気に詰めたり、火力バフかけてモリモリ相手を削ったり、歩兵が弓兵に変身したり、メリハリがついて楽しい

今の風雲録がこんな新要素ついてるなんて、もっと早く教えて欲しかった。

2024-09-05

限界アラフィフ女のずぼらな清潔ルーチン

限界アラフィフ女のずぼらな清潔ルーチンと使用製品書いておくね。

ずぼら女子限界清潔ルーチンが知りたいので我こそはって方は是非ブコメトラバをしてくれると嬉しい。

特にメンズ用でもないし、割と限界まで削ったルーチンなので参考程度にどうぞ。

増田の肌は普通だと思うのでアトピー気味の方とか参考にならないかも。

ケアルーチン、全体的な流れ

昔はビタミンCセラムとかビタミンEセラムとかコエンザイムとかレチノールとかいい感じのカタカナワードが並ぶ製品をiherbで買ったりして色々使ったんだけどワセリンが最強なことに気付いてしまってからはずっとワセリン

たつきが気になるけど冬の暖房かけまくって加湿を忘れてうっかり湿度20%のやばい乾燥にも耐えた実績があるのでワセリンが不動の地位をモノにした。ワセリンについては後述する。

クレンジング

化粧品石鹸だと基本的には落ちてくれないのでクレンジングという特殊洗剤(?)で化粧を落とす必要がある。

化粧しない人や化粧をしない日はこのフェイズが消える。

コールドクリーム、ジェルタイプバータイプ洗顔と一緒にできるタイプなど色々ある。

今はアテニア使用中。詰め替えボトルが楽でいい。

洗顔しなくていい(って書いてあった)のでそこそこ使い続けてる。

クレンジング消耗品でそんなにお金かけたくないのでオススメクレンジング情報お待ちしてます

洗顔洗顔料や石鹸などで洗う場合

どうして洗顔をするかというと、顔の汚れを落とすためです。

洗顔料は実は未だに迷子でこれといったものがない。みんなのオススメを知りたい。

今使ってるのはちふれ洗顔 フォーム しっとりタイプ資生堂のばら園ローズエッセンスソープ RXの2つ。

バルクオムの泡立てネットがあるけど泡立ては面倒なのでもう使ってない。

ばら園の石鹸は泡立ちがいいので手だけで泡立てられる。ネットかいらない。便利。泡もふわふわ

洗い上がりもつっぱらない。しばらく薔薇香りにつつまれる。

ちふれはよくある感じの洗顔。もうばら園石鹸のみでいいんじゃないかなって気もしてくるけど、よりよいものがあったら知りたい。皆のオススメ洗顔を教えて…。

洗顔(ふきとり化粧水で終わらす場合

コットンふきとり系の化粧水は、基本的洗面所までいくのがだるい時用。リモートとかリモートとかリモート時が多い。作業用のデスク椅子に座ったらもう動きたくない、そんな時用。

コットンはレイヤーコットンを使ってる。5枚ぐらい層状になってるのを数を調整して使ってる。

最初はビオデルサンシビオエイチツーオー Dを使ってたけど、ビオデルマはお値段のわりにガバガバ使わないといけないのがコスパとしては微妙気持ちで、どうせ洗顔用だからちふれで良くね?って囁きが聞こえたのでちふれのふきとり化粧水使用中。

なお、クレンジング用途としても使えるビオデルサンシビオの方が使用後のすっきり感がある。ただ洗顔用なんでね…もうちふれでいいよ…。

サンシビオをクレンジングとして使うと落ちはイマイチだしコスパは悪いしで使用頻度が落ちていった。

余談(成分表について)

ちふれは安いしサイトに成分表載ってるのが良いです。

化粧品以外のシャンプー歯磨き粉などもそうなんだけど、商品に書いてある成分表示エリアは成分の多い順に表記されてることが多いです。(※確約はできない)

ちふれの珍しいところは、ここの成分表で配合の割合まで書いてくれてるところ。ちふれ限定になるけど成分に不安がある人は成分表を見るといいです。各メーカー全部これやってほしい。コピー品にまみれそうだけど。

ふきとり化粧水出会う前はサボリーノ使ってた。洗顔+スキンケア+保湿を1シートでやってくれる。

化粧水

化粧水はキュレル 潤浸保湿 化粧水 Ⅲとてもしっとり使用

キュレルがいいっていう理由特になくて液を出すプッシュ機構が衛生的な気がするからぐらいの理由で使ってる。

香り特にないのと、そこらへんのドラッグストアで詰め替えが買えるのがよい。

化粧水で違いを感じたことってのはあまりないのでちふれとかハトムギでも良いような気がする。

あと、最近そもそも化粧水っているのかな?という気持ちにもなってる。保水かな…??一応何かいい感じの成分があるかもしれんし…みたいな頭働いてない感じで使用してる。本当は無くても良いのかもしれない。化粧水の是非については有益トラバとかブコメもらえると嬉しい。

保湿(ワセリン

化粧水をしても水分ってのは蒸発して飛んでいくので肌にとどめておくようにカバー必要なわけで、そんな時に一番保湿力が高くカバーしてくれるのがワセリン

よくある流れだと化粧水乳液というパターンが多いと思うんですが、乳液だと冬の湿度20%の世界に耐えられなくて色々試した結果ワセリンに落ち着きました。皮剥けとか一切なくなった。

プロペト ピュアベールをメインで使用中。冬の寒い時期でも硬くならずのびがいい(ここ重要

夏場は暑くてワセリンがゆるくなるので夏場は白色ワセリンとか硬めのやつでもいいかも。

なお、硬い白色ワセリンも温めればゆるくなるので、大量に使いたい時は白色ワセリンを温めて使うのもアリ。

私は年間通してワセリン使用してるけど、冬の乾燥やすい時期だけワセリンを使うというのもアリ。

夏場は湿度が高いので乳液で済ませるのも大いにアリ。

以上です。

参考になれば幸いです!

2024-08-23

anond:20240823104559

ちゃん教義旧約聖書も織り込んでるからユダヤ教フリーライドしているわけではないんじゃない?

キリスト教徒ユダヤ教エッセンス布教されることになるから

日本宗教フリーライド宗教エッセンスすら布教されないのよ

本当何考えてるかわからんけど御利益だけもらいたいって感じ

論破フレームワーク [増田アイディア]

まず、Twitter(現Twitter)で交互にリプつけるの愚すぎる。両者の「論」を左右に離して並べ、指摘・弁護関係を矢印で示すのが正しい構造

全ての相手からの指摘(こちらに向かってくる矢印)を弁護しきれば論理武装<ロジカリーフォーナイト>が成立するし、こちらの指摘(こちから送り出す矢印)が1つでも通れば部分論破ロジックアタック>が成功していると言える。

そして何より大事なのが「前提<ジ・オリジン>」「定義<ザ・エッセンス>」を書き留めること。これを無視した「論破射(「論」間にある任意の矢印をこう呼ぶ)」は「詭弁」であり矢印の主にはペナルティが課される。

なお、「論」は自然言語で書かれるが、「論破射」には証明文<マスマティカルプルーフ>みたいなほんのり形式言語っぽい説明文が乗っててほしい。

[増田アイディア]

2024-08-13

口語より文語の方が同音異義語に対する制限がなく、解釈が不確かな場合簡単プレイバックできる分、表現を豊かにする余地が大きいと思うんだけど、積極的オーディオブックリーディングしたがる人はエッセンスの少ない簡単な本しか読んでないんか?

2024-08-08

anond:20240808112103

貧富の差が拡大する資本主義に反対して平等を目指そうという人たちが登場した(社会主義

なかでも「労働者独裁者になればいい」という過激派武力革命によって自国政権を握ったがやがて失敗した(共産主義

共産主義に反対して民主主義のもとで平等を達成しようとした社会主義者は一定成功を収めた(社会民主主義

一方で資本主義国も市場原理を重視しすぎて貧富の差を拡大させてしまった(新自由主義

新自由主義に反発して「市場に任せすぎると弱者不自由になるから政府が介入せよ」と主張する人たちが出てきた(社会自由主義リベラル

かつて左翼と呼ばれたのは共産主義者だったがそれはもう衰退したので、

いま左翼と呼ばれているのは社会自由主義であることが多い。

しか社会自由主義ベースにあるのはあくま資本主義であって、

そこに社会主義的な平等エッセンスを取り込んでいるにすぎない。

左翼」と呼ばれる集団思想コロコロと変えているのではなく、

時代の変化によって「左翼」と呼ばれる対象コロコロと変わっている、

と考えたほうがわかりやすいぞ。

2024-08-07

anond:20240807115605

元の設定だけじゃふわふわしすぎて、発想としても凡百だし、盛り上がるためのフックもない

芸人の発想」というブーストだけもらうために、受けたに決まってるだろ

漫画家が本気でアイデア詰め込んだら、あんなのエッセンスレベエルまで希釈されるのは当然

2024-08-06

anond:20240806140133

ハリウッドマネーでド派手なアクションシーンが見えて面白い

ってことなんだろうな

ドラマのものエッセンスレベルも入ってない

つまんねーなろう系作品に似た匂いがした

2024-08-03

映画インサイド・ヘッド2

・4,5回涙溢れた

・つまりセルフラブ…ってコト…

・もう最初試合シーンでインサイド・ヘッドの続編を観れるという事実に感涙した

トイ・ストーリーとかシュガー・ラッシュとかここ最近ディズニー続編にガッカリしかしてないから恐る恐るでみたけどハチャメチャに良かった

・昔のFF草 的確にエッセンス捉えすぎやろ

と思ってたら日本人クリエイターさんが制作メイン?やった 

スパイダーバースみたいな色んな画風のキャラが同じ画面に映ったり手書風エフェクトシーンので「ディズニーピクサーは追われる側から追う側になったんだな」と思った 

・出、出出〜最近ディズニー好好強姉御肌〜〜〜

・「大人になると…楽しいが少なくなるんだ…」それは…ほんまにそう

・毎回奢り高ぶりをわからせられるヨロコビ

でも「ヨロコビは何度も間違ってきたけど〜お前がいなきゃどうすればいいかからない」的な台詞に泣いた 目茶苦茶落ち込んでる時にコンテンツとか交流楽しい感情になって前向きになる時あるよね…ってなった

不安試合シーンでパニクって嵐みたくなるところめちゃわか…って泣いた 

不安暴走するとそうなる

・たまに「おっ台詞キャラに話させてるな」という場面はあったが台詞が良すぎるので泣いちゃう

・それにしてもライリーちゃんちょいちょいヤバいムーブしてる…親のクレカを盗む…?

・懐かしの出場シーン指定的確

・目茶苦茶よかったがこれキッズついてこれるんか…?と思った

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