はてなキーワード: 鬱屈とは
年末年始の休暇に入った。
今年は9日間。昔から1週間以上の休みが苦手だ。若い頃から日給月給の暮らしをしてきたので、長期休暇=収入減なのも憂鬱な理由の一つだが、最大の要因は時間を持て余すこと。
外に出かけて楽しいのは最初の1、2時間だけで、その後は帰りたい気持ちが強くなる。実際帰ることも少なくない。それで帰っても別に何もしない。TVつけてもちゃんとは見ないし、動画配信は何を見ていいかわからない。そもそも長時間の映画やドラマを家で見る事ができない。見てても途中でやめてしまう。15分くらい見て中断してる映画が何本もある。
若い頃は酒呑んで寝てたけど、ジジイになると飲み食いの分の体力もない。寝るにも体力がいるし、そうなると布団に入ってスマホいじるのが休みの大半になる。当然のように気は晴れない。SNSも面白くて見てるわけじゃなくて、他にすることないからしてるだけ。ずっと気分は灰色に近い。感情がほとんど動かない。
死に至る病は絶望である、と聞いたことがある。俺は鬱屈だと思う。自分から死にゃしねえけど、何も考えない世界に行けるならそれもいいと思う。
「漫才の相方にするなら、高市早苗か?それともダイアン津田か?」を議論して。
A:……あの、さっきの政治の話よりはるかに難解なテーマですよ、これは。漫才の相方を選ぶというのは、人生の伴侶を選ぶ以上の「技術的マッチング」の問題ですから。それを前提に言わせてもらえば、ダイアン津田さんを相方にするなんて、自殺行為に近いですよ。
B: ほう、面白い。なぜですか? 彼は今、日本で最も「何をやっても面白い」と言われる、いわば笑いの神に愛された存在の一人ですよ。
A: そこが問題なんです。彼は「素材」であって「調理師」じゃない。津田さんを相方にするということは、こちらが一生、彼の支離滅裂な叫びや、すぐキレる性格、そして時折見せる絶望的なまでの無知を全てリカバーし続けなきゃいけない。センターマイクの前で、猛獣使いになれと言うんですか?
B: まさにそれこそが漫才の醍醐味でしょう! 完璧な構成案をなぞるだけなら、AIにでもやらせればいい。高市早苗さんを相方にする自分を想像してみてくださいよ。彼女は喋りのプロです。滑舌も完璧、論理構成も隙がない。でも、彼女の隣に立って、あなたは「ツッコミ」を入れられますか?
A: できますよ。むしろ、高市氏のような「絶対に正論しか言わないキャラ」が、ちょっとした世間の常識からズレた瞬間にツッコむ。これほど快感なことはないでしょう。彼女のあの落ち着き払ったトーンで、とんでもない極論を言ってもらい、それをこちらが常識の側から引き戻す。非常に質の高い「インテリ漫才」が成立します。
B: 理屈ではそうですが、舞台上の「熱」はどうなるんですか? 漫才には、理屈を超えた「愛嬌」が必要なんです。高市さんの隣にいても、客は緊張して笑えない。「この人、後で本当に怒るんじゃないか」っていう恐怖が勝ってしまう。対して津田さんはどうですか。彼が「すぐ言う〜!」と叫んだ瞬間、劇場全体のガードが下がる。あの「圧倒的な隙」こそが、相方にとって最大の武器になるんです。
A: 「隙」といえば聞こえがいいですが、それは「予測不能な事故」のリスクと隣り合わせです。漫才は4分間という制限時間の中で、伏線を回収し、オチへ向かう建築物です。津田さんはその設計図を、本番中に破り捨てて叫び出すタイプでしょう。プロとして、そんな不安定なパートナーと組むのはストレスでしかない。一方で高市氏は、秒単位でネタの時間をコントロールできる。信頼関係の土台が違います。
B: その「設計図通り」が一番つまらないんですよ。高市氏と組んだら、それは漫才ではなく「政見放送」のパロディにしかならない。客が求めているのは、予定調和が崩れる瞬間です。津田さんがネタを飛ばし、顔を真っ赤にしてこちらを睨みつけ、わけのわからない造語を叫ぶ。その時、舞台には「生きた笑い」が宿るんです。そのカオスを乗りこなしてこそ、真の漫才師じゃないですか。
A: あなたが求めているのは「笑い」ではなく「ハプニング」だ。高市氏には、日本の伝統芸能に近い「話芸」の可能性があります。彼女のあの独特の抑揚、強調の仕方。あれを漫才の「ボケ」のシステムに組み込めば、新しい古典が生まれるかもしれない。津田さんのような「消耗される笑い」とは次元が違うんです。
B: 消耗される? 失礼な。あの「叫び」には、現代人が言いたくても言えない鬱屈を晴らすカタルシスがあるんです。高市氏の「正しさ」は人を正座させますが、津田氏の「おかしみ」は人を解放する。相方として、隣でその解放の瞬間に立ち会えるのは、表現者として至上の喜びだと思いませんか?
A: いいえ。隣で「ゴイゴイスー」と叫ばれるたびに、こちらの知性が削られていく気がするはずです。……しかし、確かに認めざるを得ないのは、高市氏を相方にした場合、こちら側の「ツッコミ」に圧倒的な力量が求められるという点ですね。彼女の威厳に負けず、いかに彼女を「可愛げのあるボケ」に転落させるか。これは至難の業だ。
B: そうでしょう? 高市氏を「笑いの対象」にするには、こちらの人間力が試される。でも、津田さんは勝手に転落してくれる(笑)。私たちはただ、その転落を優しく、あるいは激しく指摘するだけでいい。この「やりやすさ」こそが、相方選びの現実的な解ですよ。
A: ……ふむ。では、もう少し踏み込んでみましょうか。「技術としての漫才」と「生き様としての漫才」。私たちは相方に、完璧なリズムを求めているのか、それとも制御不能な爆発力を求めているのか。
(続き)
A: 先ほど、津田さんは「勝手に転落してくれるから楽だ」とおっしゃいましたね。でも、それは相方として「甘え」ではないですか? 漫才師というのは、お互いの知性を研磨し合って、誰も見たことがない景色を見せる存在であるべきです。高市氏という「最高精度の素材」をどう料理し、彼女の鉄の仮面を剥いで、一人の人間としての「ズレ」を露出させるか。これこそが、クリエイティブな挑戦ですよ。
B: 挑戦としては面白いでしょう。でも、漫才の舞台は実験室じゃない、戦場なんです。高市氏と組んだ場合、彼女の「正論の壁」があまりに高すぎて、客が笑う前に納得してしまう。客が「なるほど」と思った瞬間に、笑いは死ぬんですよ。一方で津田さんは、舞台に立った瞬間に「負けている」。あの「情けなさ」があるからこそ、客は安心して笑える。相方にとって、これほど頼もしい「敗北」はありません。
A: 負け芸、いじられ芸……確かにそれは一つの完成形です。しかし、津田さんの笑いは、常に「周囲の優しさ」に依存していませんか? 周りが彼を面白がってくれるという空気があって初めて成立する。対して高市氏は、アウェイの空気すら自分のペースに巻き込む圧倒的な「個」の力がある。もし、全く笑う気のない冷え切った客席に放り出されたら? 私は高市氏の「鋼のメンタル」と「計算された話術」の方に賭けますね。
B: 鋼のメンタル、ね……。でも、漫才における本当の強さって、鋼であることじゃなくて、柳のように「折れても戻ってくること」じゃないでしょうか。津田さんは、どれだけ滑っても、どれだけ相方に罵倒されても、最終的には「スーを差し上げます!」と叫んで無理やり着地させる。あの執念、あの泥臭い肯定感。あれこそが、客席の冷気を熱気に変える魔法なんですよ。
A: それを「魔法」と呼ぶか「ゴリ押し」と呼ぶか。……ただ、少し視点を変えてみましょうか。もし私が高市氏と組むなら、彼女に「完璧な理詰めのボケ」をやってもらいたい。例えば、コンビニのレジ袋の有料化について、国際法と経済安全保障の観点から3分間ノンストップで喋り倒してもらう。その横で私が「……で、袋いりますか?」と一言ツッコむ。この落差。
B: (笑)。それは確かに見てみたい。でも、それって一発屋の芸ですよね。2回目からは客も展開が分かってしまう。漫才の相方に必要なのは、飽きさせない「揺らぎ」です。津田さんは、同じネタをやっていても、その日の機嫌や体調で叫びのトーンが変わる。あの予測不能なリズムがあるからこそ、コンビとして何十年もやっていける。高市氏は、100回やったら100回とも同じ秒数で喋り終えてしまいそうで、パートナーとしては息が詰まりそうです。
A: 職人性を「息が詰まる」と言われては、漫才の伝統が泣きますよ。しかし、認めましょう。あなたの言う「可愛げ」や「人間臭さ」が、演芸の本質的な一部であることは。高市氏を相方にするということは、私が彼女の「完璧さ」を破壊する悪役にならなきゃいけない。一方、津田さんと組むということは、私が彼の「未完成さ」を愛でる保護者にならなきゃいけない。
B: 結局、自分が「破壊者」になりたいか、「保護者」になりたいか。その好みの問題かもしれませんね。高市氏という巨大な権威をステージ上で転がす背徳感か。あるいは、津田氏という制御不能なエネルギーに振り回されながら、一緒に崖から飛び込む疾走感か。
A: どちらにせよ、まともな神経では務まりませんね(笑)。高市氏の論理の刃で切り刻まれるか、津田さんの叫びで鼓膜を破られるか。究極の選択です。
B: でも、一つだけ確かなことがあります。どちらと組んでも、終わった後には「とんでもないところへ行ってしまった」という、心地よい疲労感だけは残るはずです。それが漫才という、言葉と人間が激突する芸能の正体なんですから。
日本政府、税金を使って、ウクライナに9000億円の財政支援。
岸田政権では日本はウクライナの借金の保証人に→「財源は?」「何人の日本の子ども救えるんや」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/posfie.com/@taimport/p/C09ysSw
tyouaniki
あくまで "借款" なのに、支援云々とかの言葉で過剰に煽って
繰り返すがこのコメントは人気1位。
糊塗するってのは「いい加減に誤魔化す」「うやむやにする」ってことなんだが
このブコメは明らかに「イメージを上塗りする」「言い張る」みたいな意味だと思って使ってるよな。
そして中高年ブクマカの誰一人突っ込んでない。
「トップコメは日本語おかしい」のような指摘のブコメが3個以上あれば許そうと思ったが
1個もなかったのでこんなコミュニティはもう硫黄と火で滅ぼされた方がいい。
だからはてなブックマークの自認善良市民たちは拭いきれない罪に汚れている。
まずこの自覚を持って欲しい。
「岸田は国内での失政を糊塗するために海外支援で善人アピールしている!」
これが糊塗の正しい用法。
「何かしらの落ち度や汚点」を「糊塗する」。
壊れたところにきちんとした部材を当てず糊でいい加減な補修をする
ってのが語源だろう。別のイメージを上塗りするのは糊塗じゃない。
これは別に国語クイズじゃなくてこいつらの頭の悪さの根本がこれだから。
言葉がボヤボヤーーっとしてる。
はてな民は雁首揃えてこの「糊塗する」の用法に違和感持てない程度に母国語が弱い。
だから頭が弱い。
仕事や家庭のことは何とかやってるんだろうよ。
言葉で空中戦しなきゃいけないのにその言葉の整備がガタガタだからだよ。
なんでこの程度の仕上がりの連中が大威張りで森羅万象に批判的コメント付けてるのかわからん。
tyouaniki
あくまで "借款" なのに、支援云々とかの言葉で過剰に煽って
「単純に純損」だの「純損するような印象を糊塗するような」だの
ヒップホップラップみたいなリズム作ろうとしてやってるライムならいいけど
こういうのも全部、もとをたどれば言葉がきちんと整備されてないせいなんだよ。
パーツが一個一個ぐにゃぐにゃしてるから構造もガシッとしてこない。
当たり前だよな。
でこういう脳みその締まりがいまいちなやつほど「(´・ω・`)」みたいな顔文字使いたがるのはなんなのか
また俺はどうしてこの手の顔文字見るとイライラするのかって考えてたんだけど
要するにこういうぐにゃぐにゃ文章書くやつって自分でもどっか気持ち悪いんだと思うよ。
自分がどれだけ強い思いをしたためてもどこもカチッとしたところのない曖昧ガバラップになるから。
思いを文字に尽くせぬ鬱屈が現れた「(´・ω・`)」だと思うんだけど
そして少しずつバカを治せ。
自分のツールにちょっとでも不安を感じたら都度辞書引いて確認する。
それをやるからなんとか思考力を維持、あわよくば少しずつ向上出来ると思ってるから。
のたまうを「ほざく」みたいな意味で使ってる低知能は死んでくれということ。
一度も正しい意味・用法を知らずに辞書を引かずに誤用スタートしてるのはただの低能だから。
つまり
本を読めじゃなくて辞書を引けなんだよな本当は。
本を読めば辞書引く機会も増えるはずではあるが
圧倒的に沢山読めば(それらの本がバカの書いたものじゃなければ)辞書引かなくても言葉がわかるようにはなるが
その場合でも辞書引いた方がいいし、ほとんどのやつはどうせそんなに読まないんだし。
まあ楽しむのもいいことだが頭が良くなる可能性はあんまりないよな。
子供用のおもちゃの工具ぐらいにひどいツールだらけのゴミ並べた棚になってるわけ。
それできちんとした工作が出来るわけないだろ。
バカじゃなければ「脳の整備が進んだ!」「今日は儲けた!」と喜べる。
バカほど「細かいことを」「どうでもいいことを」みたいな反応になる。
やっぱ滅びたほうがいい。天の火をここへ。
一番は『ライ麦畑でつかまえて』だ。
そのときは正直微妙で、いまいち面白さが分からなかった。だってボンボンのガキが文句垂れ流しながら夜中をさ迷うだけの話だし。
で、今年十数年ぶりに読んでみた。
これがびっくりするほど面白かった。
何が面白いって、まずホールデンは嘘つきでとにかく大袈裟でなんでも誇張して言っているのがよく分かった。謂わば高田純次。まんま高田純次ばりに適当なこと言ってるわけ。こういうアイビーリーグ出身の阿保はもう百人以上見てきたね、みたいなことをさらりと言う。
現代の嘘松とやってることはまんま同じだし、注目を浴びたいがために、そして自分といった存在を大きく見せるための装飾。その飾りが大人になって読むとまぁよく分かるわけ!
大人になって分かった。
青春のモヤモヤや鬱屈さをユーモラスに描いた滑稽話。それを知れて本当によかったと思っている。
何より非常に面白かった。
正直、“たぬかなに一円も投げない勢”の心理がまったく理解できない。彼女が話題に上がるたび、「あーだこーだ」「これは問題だ」と批評だけは一人前にこねくり回し、退屈な日常でくすぶった鬱屈をたぬかなの名前で発散しているくせに、肝心の本人には一銭も払わない。
どう見てもフリーライドの極みだ。イベントに無料で潜り込んで「音響が微妙ですね」なんて批評しているようなもので、乞食根性にもほどがある。
「たぬかなは金持ってるからいいだろ」などと言うが、顔を出し、リスクを背負って、際どい話題を際どい層に向けて発信するというあのスタイルが、どれだけ神経をすり減らす仕事か少しは想像してほしい。あれは決して自動で金が湧く仕組みではないし、投げ銭はその対価としてはむしろ安いくらいだ。
それでも金は払わず、安全圏から石だけは投げつける野次馬が増えているのが嘆かわしい。社会がこれ以上「外野席の乞食評論家」で埋め尽くされる前に、せめて価値を享受したら価値の生産者に報いるという、最低限のマナーぐらいは思い出してほしいものだ。
このキャラがはてな匿名ダイアリーを書いてたらおもろいというフィクション人物と、その理由をロジカルに挙げる。
はてな匿名ダイアリーとの親和性が異常に高い。まず彼の性格特性として、①極度の観察癖、②自己顕示欲の欠如、③論理的記述への偏執がある。これらは「文体が散文的でありながら無駄に賢い」匿名ダイアリー文化と一致する。
さらに、Lは日常の社会的規範を軽視するため、匿名で心理分析・行動経済学風メモを書き散らし、読者は「絶対こいつ普通の人じゃない」と即座に察するはずで、結果として匿名なのに匿名になってないという面白さが発生する。
はてな匿名ダイアリーが本質的に抱える感情の過剰な自意識との共鳴が高い。
の連鎖を延々と書き続ける構造になる。これははてな匿名ダイアリーに頻出する陰性感情のメタ分析として完成度が高い。
しかも、ミサトやゲンドウの発言を文脈抜きで列挙し、読者が勝手に補完してしまうため、コメント欄が地獄になるという二次的な面白さがある。
匿名ダイアリーに必要な資質として、「社会規範を馬鹿にした冷笑的観察者」という条件がある。ハウスはそれをフル装備している。
彼が書くと、医療ケースの裏側を極端にドライに解剖しながら、同僚の行動をゲーム理論・行動心理・利己性で切り捨てるため、内容が完全にはてな村の闇の本物になってしまう。
また、痛み止め依存や自己破壊的行動の合理化を淡々と書くため、読者は「この匿名、確実に普通の医者ではない」と確信し、考察班が荒れる。
スネイプは「他者への鬱屈」「自己の正しさの無言の強制」「過去のトラウマの反芻」という、はてな匿名ダイアリーの三大テンプレを完璧に満たしている。
彼が匿名で書くと、
など、名指し回避の婉曲表現が増殖し、読者が勝手に人物特定して炎上する。しかもたまにポエム混じりになるため、「スネイプ本人説」がネタ化して拡散する。
ただ彼がはてな匿名ダイアリーを使えば、
を偏執的に追及し、読者は「はてな匿名ダイアリーの最終進化系か?」という錯覚に陥る。
内容があまりに重すぎるため、読者の精神状態まで地獄に引きずり込むのが逆に面白い。
匿名ダイアリーは「匿名性による自己正当化」を最大限に利用できる。ライトはこれを最も危険な方向に使う。
書く内容はだいたい、
の三点。
36歳男性ですが、いわゆるコンカフェやトー横にいるような地雷系と呼ばれる女の子が狂おしいほど好きだ。
何がいいのかっていうのは言葉にする作業が面倒に感じてしまうので記しません。
おそらくこのエントリーを目にしている人にとってもどうでもいいことでしょう。
恥や外聞を保持しながら言うのですが付き合いたいです。
そうなってくると私とは干支一回り以上の年齢差が出てきてしまい、これはあまりよくないことなのです。
ほとんど社会的には承認されません。また常識と照らし合わせても逸脱しています。
30代、40代で地雷系ですという方がいらっしゃるのであれば是非ともお目にかかりたいですがね。
私は単なるロリコン、年齢相応の成熟した性的嗜好を持てずにいる精神異常者なのでしょうか。
いや、それもあるだろうが、私が10代の青春時代を過ごした頃にあのような女性たちはいなかった。
自分の癖に刺さるトンチキなトレンドが今、やってきてしまった。
自分は40も手前になり人生の下り坂も見えようという、この時に……なんということだ。
あまりにも悲しい。
一生続きはしないだろうがいつ消えて無くなるのかもわからない。長い道のりだ。
パパカツでもトンカツなんでもすりゃいいだろうがと思われるかもしれないでしょうが
悲しむべきは私は年相応の財力も持ち合わせていない実家暮らしの中年男性なのです。
そうです。
改めて申し上げますが私は年相応の恋愛もできず、好みの若い女性を見かけようものならば目の端で捉えることをせざるを得ない、気色の悪い異常な成人男性なのです。
こんなパブリックエネミーが電車であなたの隣に平然と腰を下ろしているかもしれないなんて、恐ろしいことです。どうぞボコ殴りにしてください。
しかし、世の中とはそんなもので誰しもがみんな大なり小なりイカれたものを抱えて暮らしを営んでいるのかもしれません。
承認や正当性は得られないものとして、地雷系の女の子と付き合う方法をご存知の方、あるいは30代以上の地雷系の女の子はご一報くださいますと誠に幸甚です。
・デートしよう、映画館の前に横断歩道あるから一緒に渡ろうという彼女に「ごめんおれ横断歩道渡れない」といってしまった元増田
・デートしよう、映画館の前にすき焼き一緒にたべようという彼女に「ごめんおれ生卵を自分で割れない」と怯えた顔でいってしまった元増田
<頭を床に打ち付ける>
ふーん
で、オレ達は一体何をみせられたんだ?
若さ故の鬱屈をみせびらかして娯楽になるのは碇シンジをつくりだした庵野監督からだとおもうぞ
楽しくも可哀想でもなくなんか……こう……
ま た か
という気持ち
怒鳴りもせず殴りもせず(少なくとも周囲から目立つほど過剰には)
でも小さな子供がどんな相談をしても、「そんなことで悩んでるの面白いなあ」みたいな感想しか言わない。
子供の問題に寄り添って共感を示したり手助けをするという脳の回路が存在しない。
そしてそれを「正しい大人の余裕」のように見せかける。
本人も心から信じているのかもしれない。
見えない負担が子供に積み重なり、みんなこんなに辛いのかと不安と不信で人生が鬱屈する。
正しいアドバイスを得られないので、普通の人が失敗しないところで失敗する。
すべて本人が足りないせいであるかのように扱われる。
ちゃんとした親が、ちゃんとした人間のふるまい方を子供に一切ヒントすら伝えてないとは誰も思わない。
自分は映画版しか見ていないので、原作から同じ描写なのかはわからない。
全然前情報なく見始めたんだけど、殺し屋が企業化されていて~大手が仕切ってて~という説明から始まって「ふーん、だいぶ昔に見たキル・ボクスンみたいな話やなぁ」と思って見てたらキル・ボクスンの名前が出てきてスピンオフやないか!となった。
点数は甘くつけて57点くらい。
2時間退屈はしないけどすげーよかったって感じもなく。アクションも正直退屈な部類だった。
まぁ最近はアクションの質がインフレしてるからね、しょうがないね。
それでもいい点はアクションを頑張っているところで、悪い点はぼやけたテーマ性と今となっては凡庸な設定。
殺し屋企業説という設定自体に面白みはあるものの、そもそも2年前の映画のキル・ボクスンのスピンオフなのでこっちとしては「知ってるよ」となるので面白みが減じられている。前回はトップ企業のKM内部の話だったけど今回はその外の殺し屋中小企業、殺し屋MBO的な話になっていて、より「殺し屋はつらいよ」味は増しているが、コント「殺し屋が普通の企業だったら」の拡張版でしかないし。
今回のテーマとして「才能の残酷さ」が掲げられていて、実力至上主義の教室で傍に圧倒的な才能を持つトップがいたら私たちどうなっちゃうの~~!?という話が世代を超えて語られる。
1組は前世代で最強殺し屋(だったがボクスンに殺害された)のKMのトップと、その二番手だったが才能の差が認められず決闘を挑み破れて業界を去ったトッコ爺。
もう1組はトッコ爺の弟子でKMの練習生だったカマキリとジェイ。KM正社員への昇格戦でジェイはカマキリに僅差で勝利するも上層部はカマキリとジェイの才能の差を見切りカマキリを昇格させ、ジェイにはKMを去るように諭す。
これは「圧倒的才能の傍にいる事の辛さ」を身にしみて感じていたトッコ爺なりの優しさであったと考えられるが、ジェイは心の中ではカマキリを恨み、カマキリは才能ゆえにそれが理解できない。ジェイはKMを去った後自分で起業するもKMの締め上げを食らって廃業。カマキリ、KMへの暗い思いを募らせる。
ジェイに恋心を抱くカマキリはKMを去ってジェイと会社を興すが結局「カマキリがトップで自分が2番手」であることへの鬱屈が爆発、ジェイはカマキリの元を去り、なんやかんやあって軽薄なテック企業の元、新しい殺し屋企業を立ち上げ自分を追い出したトッコがトップに立ったKMを破壊するために暗躍を始める。
最終的にカマキリとジェイは反目しながらも最終的には協力してトッコ爺を殺して、ジェイはトップがいなくなったKMを買収して潰し、テック企業のトップをカマキリに殺しを依頼して終わる。
トッコがカマキリに負けるのは「才能で負けていたから」としか思えないし、ジェイがカマキリを認めるのも正直よくわからない。これも見方によってはトッコを圧倒したカマキリを見て「あ、才能ってあるんや。この話はこれでおしまい!」みたいな感じになっちゃってるのがすげーモヤモヤする。結局「才能あるやつが最強」って話なの?
もちろん最終的にジェイは新企業の社長としてKMを買収するっていう「本来欲しかったものとは違う才能=プレイヤーではなくマネジメントの才能」を開花させたと思われる結末を迎えるわけだけど、でもテック企業の超財力って後ろ盾があっての話だしなぁとやっぱりモヤモヤ。そもそも過程にそんな描写なかったし。
もろちん「KM追い出されて自分で起業したけどKMに潰された」ことの意趣返しなのはわかるけど、でもだったら、そこは独力でやんないと意趣返しになんなくない?
ここもすげー惜しいんだけどテック企業のトップは単なる感じが悪い成金のボンボンでしかなくて、KMと敵対する同期が弱い。トッコのところに(多分KMの買収に)行って断られて怒ってるって話だけど、普通はそうなるだろ。
これが例えばボンボン自身も「エンジニアとして絶対に勝てない相手がいたけど金稼ぎの才能は自分のほうがあったのでそいつのテック企業を金で潰して業界でトップになった」みたいな「本当は勝ちたい才能では勝てなかったけど別の方法で相手を潰してしまったことで歪んだ」みたいな設定にしとけばより最後の展開に深みを遺したのになと思わんでもない。
ボンボンと同じ道を進んだと思われたジェイだけど、才能を認めたカマキリにボンボンを殺させることで自分はその道を進まないと意思を示した、みたいな。
この辺をちゃんと整理して描けてればアクション以外でも見るべきところができてもうちょっと「面白い」と思えたのに。
そもそもこの「圧倒的な才能をもつトップとそれに嫉妬し認められず離反する二番手」という話自体手あかまみれだし。見ててなんかすげーNARUTOを思い出してたわ。
よかったアクションも近年で言えば「ジョン・ウィック」「イコライザー」、日本でも「ベイビーわるきゅーれ」と異種格闘系本格アクションの深掘りが進んでいる中、「普通にいい」程度のアクション(それでも普通にはよかった)に、ガバガバのストーリーを添えてお出しされてもちょっとしんどい感じはした。
よくある話だが、進学先が北陸で、在学中のある年に冬季鬱(季節性情動障害)になった。それに関しては治療というか、医者の方針で睡眠リズムだけ整えながら自然治癒をした。要するに春を待った。
それからは秋めいて来たら朝は決まった時間に日光を浴び、サプリでもビタミンDを摂るように注意するなどしておそらく回避しているが、毎年お盆を過ぎた頃に空気が秋めくとゾッとする。バナナやナッツなどセロトニンが作られ易いとされる物をなるべく食べている。アボカドは高い。
明確に冬季鬱になる以前も、自分は秋冬が苦手だった。それは寒さが苦痛なせいだと思い込んでいたけど、何もうまくいかず全体的に行き詰まっていくような感覚があり鬱屈としていた。小学生の頃にはそれを言葉にして友人や家族に話していた覚えがある。
一度冬季鬱になってからは余計、涼しさや寒さを直接寂しさとして感じるようになった気がする。
頭の上にガツンと絶望感のようなのムードが乗っかっていて、世界が閉塞していく予感がする。切なさで情緒がぐちゃぐちゃっと乱れそうになる。
子供の頃も寒い季節が好きだと言って元気になる友達を見て、確かに夏より体は楽だが、こんなに暗くて悲しいのにどうして明るくいられるんだろうと思っていた。
人よりビタミンDやセロトニンが生成されにくい体質などがあるのだろうか。日本人の6割はセロトニントランスポーターのs型とか聞くし
関係あるかわからないけど子供の頃はほとんどをスタジオで撮影してるっぽい番組を見るのも苦手だった。照明で明るい場所になっているけど本来暗い室内なんだろうな…というのを見ていると何故か落ち込んでしまってダメだった。天てれとか。それはさすがに徐々に気にならなくなったけど。
そういうのを見てると俺も何かやらなきゃな~とは思うんだけど、めんどくささが結局勝っちゃうんだよね。
→あなたのためになにかするのめんどいです、という人はまずモテない
他人にコストをかけない人はよほど光る人じゃないとまず魅力が下がる
逆にいうとそれができる、やろうとするだけでモテる可能性は高まる
発達障害持ちの非モテアラサー素人童貞なんだけど、俺以上のスペックの人たちが彼女作るのに四苦八苦してる時点で俺にはダメそうだし、やるべきことを見てるだけでめんどくせ~だり~ってなって読むのをやめてしまう。
俺自身はぶっちゃけ「若くてかわいくてエロい女の子とヤりたい」程度で止まってるから、恋愛も結婚もノーサンキューではあるんだけども、この頃の増田のアレコレを見てると恋愛くらいはした方が後悔しないのかなあとか悩んじゃうのも事実。
→めんどくせ〜だり〜で読まないし行動もしない
若くて(これはまず無理、現実を理解してない)かわいくてエロい女の子とやりたい は 恋愛じゃないのはわかってて、ノーサンキューとかいいつつしたほうがいいのかなあと悩み、何もしない
モテる要素あるか?
ただ俺が頑張ったところで出来る彼女は中高年の性格も外見も難ありの障害者女性だろうし、それすら分相応ではないかもしれない。
→なぜかわからんが分相応ではないかもと言いつつ基本上から目線
常に人をジャッジする癖がついてない?
あと外見や属性にこだわりすぎ
それなら画面の向こうの性的消費コンテンツの幻想に溺れさせてくれた方がマシかもしれない。
→これは別にいいと思う
ただ行動したくない・楽したいを追求した結果なら、やはりモテる可能性低いと言わざるを得ない
そもそも彼女が出来たところで、他者と上手く関われない人間にとってそれが本当にいいことなのか?
とか考えちゃう。
考えるだけでやっぱり動かない
これについては恋愛や結婚を望む増田諸兄や非モテに発破をかける増田諸兄にもしっかり思案してもらった方がいいと思う。
→みんな恋愛経験してる人は通過してきて自分なりの結論を出してる内容
こんなところかなあ
ちなみに俺は別にモテる必要はないと思ってるしモテなきゃいけないとか容姿が悪い奴が悪とも思ってない
誰かと無理して付き合わなくてもいいと思ってる
ただモテたいのに行動できない奴がその鬱屈した気持ちを他人下げして解消しようとするのはどうかと思う
(これはあなたのことではないよ)
そいつは卒業後数年経った今でも連絡が途切れていない、かつ高校時代(自分にとっては)かなり親交の深かった、数少ない人間のひとりである。ありがたい。
ひたすら飯食ってだべってとても楽しかった。
そこには卒業式の時のキラキラとした投稿がピン留めされている。
「え、お前写ってるじゃん、いいなー俺この時めっちゃ病んでたから写真とか1枚も残ってないわ」
「草、別に僕も病んでたよ、ただ友達といるのが楽しかっただけで」
ちなみに俺のメンタルがどのくらいやばかったかというと、卒アルの10年後の自分へのメッセージを書こうコーナーに「生きてる?」と書くレベル。恥ずかしすぎて発狂ものである。
そんなこんなで中高6年間の話題になった。
受験してこの学校に入ってお互い友人には恵まれたけど、失ったもの(キラキラした青春、一般常識、精神衛生)や代償(歪んだ学歴観、若干の異性不信)がデカすぎると言い合ってやけに盛り上がった。
改めて思い返すと、高校時代の記憶で真っ先に思い浮かぶのが「病んでたなあ」「受験やばかったなあ」だし、何ならそれ以外の記憶が朧げである。
世間では「青春」と言われ、人生で最も楽しい時期とされるが、自分にとってはただただ終わりの見えない鬱屈とした箱庭の日々だった。おまけに自分自身についての理解も及ばなかったし。
それでもどうして卒業できたんだろうと考えると、やはり今日遊んだ奴のような数少ない友人が偉大だったのと、あとやっぱり自分の場合は恋だったのかなと思う。
別学だったけど、かれこれ5年くらいクラスメートに片想いをしていた。(今日会った友人ではない)
告白も進展もクソもねえような、誰にも言わない完全自己完結型の恋愛(なのか?)だったし、正直自覚してしばらくはアイデンティティクライシスの方面で精神崩壊してたけど、高校生になり受験の足音が近づき学校生活全体が鬱々としていく中においては、何も起こらない、ある意味凪いだ穏やかな恋情こそが通学の原動力で、心の支えだったのかもしれない。
心のなかではきっと彼女欲しいとかセックスしたいとかでも現実の女はクソまじビッチ死ねとか、まあある種こういった人種特有(といっていいのか分かりませんが)の鬱屈とした感情を抱えつつもいろいろ否定して生きてきた。
いやまあ話の中ではよく見るし切ないって感情も解ってたつもりだったけどね。体験してみると違うもんだ。
キモいけど自分かわいくてしょうがない傷つきたくないATフィールドばりの鉄壁を張り巡らしていた自分だったけど、それをぶちこわす奴がいた。
バイト先の後輩だった。
毎日LINEするようになって、一日100メッセを超えたあたりかなあ。
呑み行ったときかなあ。
俺にはちょっと分かんないけど、気づいたら好きになってたなあ。
最初はそうでもなかったけど、ほんと可愛く見えてしょうがないよね。話するのとか楽しくてしょうがないし。
いつでも会いたくなるってのもわかる。LINEの返信が返ってこないと不安でしょうがない。
夜寝る前に必ず彼女のことを考えてたなあ。夢に出てこられると会うとき恥ずかしいよね。
でも、彼氏いたんだよね。まあ最初からなんだけど。知ってたけど。
なんで彼氏いんのに毎日LINE送ってくんのかな。おはようからおやすみまで。
なんで送ってけっていつも言うの。好きだといか気楽に言わないでよ。
だいたい夜中に電話って卑怯じゃない?寂しいとか、ただ声が聞きたかったとか。
そんなん、俺のこと好きなんじゃないの。気にかけてくれてるんじゃないの。
ばかだよね。そんなんあるはずないのに。
女友達にこの話したら、「ただ遊ばれてるだけだったんじゃない?キープ的な?」ことを言われた。
まあほんとそのとおりかもね。いや何もしてないけど。
でもその子、間違いなく自覚ないんだよなあ。まあ自覚ないからこそ厄介、って話なんだけど。
あーつらいなあ。しにたいなあ。
まあ前に比べると随分気持ちも落ち着いて楽になったんだけどね。
でもこれだけは言いたいんだけど、「恋」という感情を知れたことにはすごい感謝してる。
少し、人間に近づいた気がした。