はてなキーワード: 撤回とは
BL(ボーイズラブ)文化は、男性同士の恋愛・性愛を描くフィクションを中心に発展してきた。しかし、その消費構造が実在のゲイ・バイセクシュアル男性を素材として搾取しているのではないかという批判は、当事者コミュニティから繰り返し提起されてきた。
具体的には以下の論点がある。
これらの主張には一定の妥当性がある。しかし、「フィクションだから無関係」という論理は、RPSや実在コミュニティへの侵入行為には適用できない。また、「理解の入口になった」という功利的正当化は、当事者が現に被る不快や搾取を帳消しにする根拠としては不十分である。
より深刻なのは、この問題が指摘されたとき、腐女子コミュニティの一部が「ホモフォビアと戦ってきたのは我々だ」という自己正当化に走り、当事者の批判を封殺する力学が働くことである。マジョリティ(異性愛女性)がマイノリティ(ゲイ男性)の表象を占有し、かつその批判に対して「我々こそ味方だ」と主張する構造は、植民地主義的な知の収奪と相似形をなしている。
『イナズマイレブン』(主要キャラクターは中学生)、『忍たま乱太郎』(忍術学園の生徒は10歳前後の設定)など、明確に未成年と設定されたキャラクターのR-18 BL二次創作は、pixiv・同人誌即売会・SNSなどで大量に流通している。
| 論点 | 現行法の状況 |
| 著作権侵害 | 二次創作は原著作物の翻案権・同一性保持権を侵害しうる。権利者が黙認しているに過ぎず、合法ではない。いわゆる「グレーゾーン」は法的に保護された領域ではなく、権利者の好意に依存した状態である。 |
| 児童ポルノ該当性 | 日本の「児童買春・児童ポルノ禁止法」は実在の児童を対象としており、創作物(絵・小説)は現行法上は児童ポルノに該当しない。ただし、国際的にはフィクションも規制対象とする国がある(豪州、カナダ等)。 |
| わいせつ物該当性 | 刑法175条のわいせつ物頒布罪の適用可能性は理論上残るが、同人誌に対する摘発例はほぼない。 |
法律上「違法ではない」としても、10歳や13歳に設定されたキャラクターの性行為を詳細に描写し、それを大量に流通させる行為が倫理的に問題ないと言えるかは別の問いである。
腐女子コミュニティ内では「キャラクターは絵であり実在しない」「被害者がいない」という論理で正当化されることが多いが、この論理は男性向けの「ロリコンもの」に対しても同様に適用されなければ一貫しない。にもかかわらず、後述するように、男性向けの未成年キャラクター性的表現には激しく反対しつつ、自陣営の同種の表現には寛容であるというダブルスタンダードが指摘されている。
一部の権利者はガイドラインで性的二次創作を明示的に禁止している。しかし多くの場合、個別の対応コストや炎上リスクを恐れて黙認しているに過ぎない。この黙認を「許可」と読み替える文化的慣習は、権利者に本来不要な負担を強いている。
近年、英語圏の社会正義運動(いわゆる「Woke」)の言説——特にジェンダー論、ポストコロニアル批評、インターセクショナリティなど——が、日本のSNS上で選択的に翻訳・引用され、特定の表現を攻撃するための武器として使用される事例が増加している。
Woke言説そのものが問題なのではない。ジェンダー論やポストコロニアル批評は学術的に重要な知的伝統である。問題は、それらの理論が本来持つ複雑さや内部批判を捨象し、自陣営に都合の良い部分だけを切り出して「正義の棍棒」として使用する態度にある。
これは理論の誠実な適用ではなく、権威の借用による言論封殺である。そして、この手法が最も頻繁に向かう先が、男性向けのオタクコンテンツである。
「マシュマロ」「Peing」などの匿名メッセージサービスを利用した攻撃的メッセージ(通称「毒マロ」)は、腐女子コミュニティにおいて深刻な問題となっている。内容は以下のようなものである。
毒マロや晒し(SNS上で特定の作者・作品を名指しで批判すること)の結果、創作者がアカウントを削除し作品を非公開にする「筆折り」は日常的に発生している。これはコミュニティ内部の表現弾圧に他ならない。
特に注目すべきは、加害者もまた女性であり、被害者もまた女性であるという点である。「女性が女性を潰す」構造は、フェミニズムの言説では説明しにくいため、しばしば不可視化される。
腐女子コミュニティでは、特定の行動規範(「検索避け」「鍵垢での運用」「R-18はワンクッション」等)について定期的に激しい議論が発生し、「学級会」と呼ばれる。これ自体はコミュニティの自治として機能しうるが、しばしば規範の押し付けと逸脱者への制裁に変質する。
腐女子コミュニティの一部には、以下のような暗黙の序列意識が存在するとの指摘がある。
この序列は、「BLは高尚なフィクションだが、夢小説や男女の恋愛は自己投影で低俗」という偏見に基づく。
ここに深刻な矛盾がある。腐女子コミュニティの一部は、自らの表現が社会から偏見を受けてきた歴史を語りつつ、同じ女性向け創作者コミュニティ内で別のジャンルを蔑視・攻撃している。被抑圧者が別の被抑圧者を踏みつける構造であり、「連帯」の理念とは正反対の実態である。
近年、以下のような事例が繰り返し報告されている。
これらの運動に共通するのは、主観的な不快感(「お気持ち」)を客観的な権利侵害であるかのように主張する論法である。「私が不快に思う」→「それは社会的に有害である」→「規制されるべきだ」という三段跳びは、法的な権利論としては成立しない。
しかし、SNS上の炎上は企業にとって実害をもたらすため、法的根拠がなくとも事実上の表現制限として機能している。これは私的検閲(private censorship)の問題である。
最も深刻な問題は、男性向けの性的表現を攻撃する主体が、自らは第2章で述べたような未成年キャラクターのR-18 BLを消費している場合があるという点である。
数日前話題になった「🇬🇧Vtuberが自作イラストで逮捕された」という件、真相が明らかになった。
・画像投稿サイトに入り浸り、Mimi Yanagiというキャラを作り出し、お金を払ってそのキャラの児童ポル ノイラストを作成させていた
・サイトでフォローし「お気に入り」登録をしている作品の対象には小学生、幼稚園児、赤ちゃん等も含まれる
・イラストでは飽き足らず、実在の少女俳優を使って描かれた児童ポ ルノも保持していた模様
Kiwifarmというアメリカのサイトが逮捕された"Mimi Yanagi"関連のアカウントを徹底的に洗いだし、過去の投稿やさまざまなサイトでどのような活動をしていたか洗いざらしにした。
これらの新情報により、当初は"Mimi Yanagi"を擁護していた英語圏のアカウントも次々と擁護を撤回している。
・「Vtuber」じゃない
・「自分が描いた絵を保持していただけ」ではなく人に描かせたものを保持
やっぱりね
なんかあちこちに「憲法改正に反対する奴は100%中国の資金を受けて工作に従事しているやつだ」みたいなこという奴がいるの何なん?
自民党の草案がクソなまま(ラフに国民と国家の契約であるという前提だけでも共有されていれば、規模の大きい国家の方の行動に制約を掛けるのが重要なのは当然なのに、自民党草案は国家はフリーにして国民を縛る内容に変えていこうとしている内容なので有害そのもの)撤回されていない以上、火事場泥棒みたいなことをしない、必要な部分だけを改正する別草案が出てきて審議にかけられない限り反対するのは普通のこととしか言いようがない。
なのに何がどうなったら中国から資金が出ててバイトを雇ってネット工作しているみたいな妄想を抱える奴が出てくるの??バイトを雇ってネット工作してるなんて、いまどきどういう狙いでやる場合でもアホの所業だろうが。中国ならAIだけで完結させるから人件費なんか掛ける訳がない。バイト雇ってるとかマジで妄想の出発点がどうなってたらそんな風な結論に到達するのだ。。。
・女性幹部が「あんたのアジア妻はこんな“大砲”なんて持ってないでしょ?」と言いながら突然オフィスで胸を 露出し誘惑してきた
・さらに「あんたの運命は私が握ってる。あんたが私を今夜メチャメチャにしないなら、あなたのキャリアは終わりよ」と言われた
実際↓
経緯は以下
↓
米大手金融機関JPモルガン・チェースで、匿名の男性「ジョン・ドゥ」が女性上司から性的暴行を受けたと告発
↓
報酬を交換条件に性的行為を強要、薬物を混入された上で性交されたと主張
↓
しかし女性は別のチームにおり、男性の報酬に対する一切の権限を持っていなかった
↓
通話やメールの記録照会などの調査からは根拠となるものが何一つ見つからなかった
↓
社内聞き取り調査では同僚が男性に対し「社交性に問題があるが、一定の能力要件を満たしている人物」と述べた
一方、女性は「トップクラスの業績をあげる人材」と見なされていた
※ 余談だが、告発された女性は仕事の合間をぬって恵まれない若者の大学進学を支援する非営利団体「Minds Matter」にて精力的にボランティア活動している
↓
多くの社員が調査に協力する中、男性自身は一切協力せず、主張の核心となる根拠の提出も拒否
↓
男性は訴訟以前に穏便に済ませる条件として数百万ドルの退職金を要求していたことが判明
↓
↓
しかし、すでにデイリー・メール紙が撤回された裁判資料を報じてしまい、Twitter上で騒ぎが拡散してしまった
↓
https://b.hatena.ne.jp/entry/4786749132919760034/comment/zyzy
◎アレは要するにウヨミソの自他・真偽反転思考だと考えるとしっくりくる。
翻訳すると「俺達アンチリベラルは悪口で繫がるコミュニティであり
叩かれる人間を排除するいじめ加害マシンがアイデンティティだ」という意味
1926以前からのジェイ表記によるリベラルに対して「カスゴミクズ」を…だと…?
http://tenreeren.rentafree.net/entry/1018830
http://tenreeren.rentafree.net/entry/1020865
https://b.hatena.ne.jp/entry/4728596812178257764/comment/zyzy
実際捏造だったらしい
経緯は以下
↓
米大手金融機関JPモルガン・チェースで、匿名の男性「ジョン・ドゥ」が女性上司から性的暴行を受けたと告発
↓
報酬を交換条件に性的行為を強要、薬物を混入された上で性交されたと主張
↓
しかし女性は別のチームにおり、男性の報酬に対する一切の権限を持っていなかった
↓
通話やメールの記録照会などの調査からは根拠となるものが何一つ見つからなかった
↓
社内聞き取り調査では同僚が男性に対し「社交性に問題があるが、一定の能力要件を満たしている人物」と述べた
一方、女性は「トップクラスの業績をあげる人材」と見なされていた
※ 余談だが、告発された女性は仕事の合間をぬって恵まれない若者の大学進学を支援する非営利団体「Minds Matter」にて精力的にボランティア活動している
↓
多くの社員が調査に協力する中、男性自身は一切協力せず、主張の核心となる根拠の提出も拒否
↓
男性は訴訟以前に穏便に済ませる条件として数百万ドルの退職金を要求していたことが判明
↓
↓
しかし、すでにデイリー・メール紙が撤回された裁判資料を報じてしまい、Twitter上で騒ぎが拡散してしまった
↓
インドオスさぁ…
増田では今の所信じたカスは確認できないが、Xには「女による性加害事件だ!」とキャッキャしてるバカオスが大量発生してる模様
https://anond.hatelabo.jp/20260430114144#
昨日はすみませんでした。最初は対立する意見に対して自分の意見を返してみようと思ってみただけだったのですが、いつのまにか調子づいていました。
というよりたぶん私の知能では相手に意見するということ自体無理、向かないんだなと思いました。
いつのまにか舌禍になってしまう、そういう特性もあるのでしょう。
今後のトラバは、何かしら指摘をもらったときにだけお礼をするのと、明らかに肯定的トラバをもらった場合だけに限るように、よりいっそう努めます。
dorawiiより
https://anond.hatelabo.jp/20260501135543#
まあ元増田としてすら批判できないものがあるんじゃ意味ないからね。
森羅万象分け隔てなく批判することこそ意味があって、森羅万象には当然増田もはてなも含まれるからその悪口も言えないぐらいなら謝る意味もない。
dorawiiより
https://anond.hatelabo.jp/20260501135658#
つまり、嘘をついていたということか
嘘つき増田ってことか
https://anond.hatelabo.jp/20260501135817#
嘘かどうかって、当時は本心だったことも未来も含めて矛盾があるならその未来から遡って判定していいようなものなんか?
dorawiiより
https://anond.hatelabo.jp/20260501140009#
そんな話はしてない
ほんそれ
またウチのはてリベが迷惑かけてるようで、、、、申し訳ない、、、
@HirokoKado
4/14火曜のAbemaにおいて、暴力革命を標榜する全学連の方々を諌める私の発言に対して、SNS上の切り取り動画により、私が「国民のデモを‘’ごっこ遊び‘’と言って揶揄した」旨の偽情報が回り、文脈を無視して扇動するメディア記事まで出ている状況です。私ならまだしも、家族への危害を匂わせるような投稿も出てきているため、改めて2点申し上げます。
1)発言について、謝罪も撤回も釈明も致しません。政治家として、暴力革命による政権交代を標榜する若者に対して、その目的(体制転覆)と手段(ペンライトのデモ)との間の論理矛盾を指摘(ごっこ遊び)し、 暴力革命ではなく、民主主義による政権交代を目指すべきと諭すことは当然のことです。
2)現在、偽情報に扇動された方々により、全く無関係の小4の娘、小2の息子を含めた家族や事務所スタッフへの危害を匂わせるような脅迫や無言電話等が発生しており、厳正に対処しております。私は政治家としてこうした卑劣な手段に屈しません。
①全学連矢嶋さんが
「社会を根本からかえるには暴力が必要」「高市政権を倒す」と主張される一方、実際にはペンライトを使ったデモ活動をしている、目的と手段が乖離している矛盾に対して、「ごっこ遊び」ではないか、そうではなく、政党を作って支持を広げて、政権交代を目指すべきと私は述べています。
②全学連の西村さんは、参加人数の主催者発表(3万人)と実態(頑張って見積もっても1万とか?)の乖離について、運動の指導部、主催者が共産党であるから、ご本人は具体的な数字がわからないものの、「数を盛っているのでは」「それじゃ信用されないよ」という他のゲストからの指摘を否定されていませんでした。
commentatorHeader
【視点】問題の背景や文脈は異なりますが、2017年、当時の稲田朋美防衛大臣が、自民党の都議選候補の集会に出席し、「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」と、防衛省、自衛隊が組織を挙げて自民党候補を後押ししているかのような発言をし、同日、「誤解を招きかねない発言だ」と撤回を表明しました。記事中、江藤さんが「(自衛隊員が)政治的に動いているという疑いが出るとシビリアンコントロール(文民統制)の観点からも大きな問題」と指摘していますが、そうした観点も踏まえ当時、何が問題で、何を繰り返してはならないのか、自民党内で十分に議論し、それを反映しようとしてきたのか疑問です。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4786010168833281506/comment/Gl17
◎個別具体策の話を絶対しなければ何でも無限に相対化できる、という態度と、
徹底的にミクロな観点に絞れば強引な擁護もできる、という両者の使い分けは詭弁術としてよくある。
さっすが御詳しい机上の空論に非ず乙めでてェ
所詮結局寧ろ最早「よくあるそっち」こそが正解と見受けるしか無いが
https://b.hatena.ne.jp/entry/4742477410485629295/comment/worris
◎最近は法華狼さんがエントリを上げると即座にブコメを付けに来る
ratepuroika さんの仲間がずいぶん増えたな。
五年前、義母が腎臓移植を必要としていて、家族の中で私だけが適合するドナーが見つかりました。私は夫への愛のためにそれを受け入れました。先月、夫は「新しいことを経験したい」と、もっと若い女性との関係を理由に私に離婚を申し込んできました。今では私が移植のおかげで完璧な健康状態を楽しんでいる義母は、「人生ってそういうものよ」と私に言い、私自身がお金を出し合って支払った家から出て行けと命じました。なぜなら、法的にはその家は義母の名義だからです。
私は怒鳴ったりしませんでした。ただ病院と保険基金に連絡しただけです。移植は「家族支援」の合意のもとで行われ、私が家族のプレミアム健康保険ポリシーに残ることになっていたので、私は術後の維持薬をカバーする追加の福利厚生に対する私の同意を撤回しました。今、彼らは毎月2,000ドルを自腹で支払わなければならず、そうしないと彼女の体が臓器を拒絶してしまうのです。
クィアのメディア批評には、どのような表象が生まれても最終的な批判の矛先が「シスヘテロ的欲望」に向けられるシスヘテロの悪魔化が定着しつつある。
問題の核心は、「性的すぎる」批判と「性的でなさすぎる」批判が、まったく逆の現象を対象にしながら、同一の犯人(シスヘテロ的まなざし)を指名する点にある。
アブデラティフ・ケシシュ監督の本作(2013)は、カンヌでパルム・ドールを受賞した一方で、レズビアンコミュニティから激しい批判を受けた。主な論点は、約10分に及ぶ性描写シーンが「実際のレズビアンの経験というより、ヘテロ男性のポルノグラフィー的ファンタジーに近い」というものであり 、監督の男性的なまなざしがレズビアンの身体を対象化・フェチ化しているという指摘だった。
原作コミックの作者であるジュル・マロ自身も、その性描写を「滑稽で過度」と批判した。これは正当な批評である。しかし注目すべきは、批判の着地点が常に「男性視線がレズビアニズムを搾取した」という一点に収束し、その他の解釈——たとえば監督の美学的選択、フランス映画の身体表現の伝統、あるいは原作との差異——がほとんど議論されないことだ。
一方、2018年のハリウッドメジャー初のゲイ主人公ティーン映画『Love, Simon』は、性描写をほぼ排除し、恋愛とカミングアウトの感情的側面を中心に据えた。だがこれもまた批判された——今度は「ストレートに受け入れやすくするため、クィアのセクシュアリティを無害化・消毒している」という理由で。
批評家のジェイコブ・トビアは、「男性的なゲイ男性は魅力的な主人公になれるが、フェミニン・ジェンダーノンコンフォーミングなゲイ男性はコメディリリーフに追いやられる」と指摘した。『Love, Simon』が「ホモノーマティビティ(heteronormative assumptions を内面化したゲイ規範性)」を再生産しているという分析は学術的にも支持されている 。しかしここでも「ストレートへの媚び」という説明図式が優先される。
| 表象の特徴 | 批判の内容 | 帰責先 |
|---|---|---|
| 性描写が露骨・長い | 男性の視線でレズビアンをフェチ化 | シスヘテロ男性の欲望 |
| 性描写がない・少ない | クィアのセクシュアリティを脱性化し、ストレート視聴者に媚びる | シスヘテロ社会への同化欲求 |
| 同性カップルを登場させる | 「キスがあるだけ」では不十分、中心的物語として描くべき | シスヘテロ的周縁化 |
この表が示すのは、結論(シスヘテロが悪い)が先にあり、証拠(表象の内容)が後から当てはめられるという推論の倒置だ。「非反証可能な命題」であり、いかなる反例も体制側の隠蔽として吸収できてしまう。
ハリウッドがクィアカップルを描く際の「ハードル上昇」も同様の論理で動いている。米ハリウッド系ケーブル局 Hallmark Channel は2019年、同性カップルのキスシーンを含む広告を一時撤回して批判を受けた。その後方針を転換し同性カップルを番組に登場させたが、今度は「単に登場させるだけでは足りない、物語の主軸として描くべきだ」という要求が生まれた。
注目すべきは、批判の基準が常に現状より一段上に設定され、達成されるたびに次の「不十分さ」が告発されるという無限後退の構造だ。この構造のもとでは、どれほど努力したコンテンツも必ず「ストレートの論理に回収されている」と断罪される余地が生まれる。このお決まりの展開が繰り返されたことに、クィアへの加害欲求など持たないのに敵視され続けたストレートたちは疲れ切っている。
クィアからの要求が累積・エスカレーションするにつれ、シスヘテロ側からの反発もまた組織化・激化してきた。重要なのはこの反発が均質ではなく、正当な批評的懸念・疲労感・政治的操作・むき出しの差別が入り混じった複合体であるという点だ。
最も象徴的な事例がDisneyとスター・ウォーズ・フランチャイズをめぐる論争だ。Disney+ の The Acolyte(2024)はレズビアン監督レスリー・ヘドランドによるスター・ウォーズ初の女性クリエイター主導作品だったが、低視聴率を理由にキャンセルされ、イーロン・マスクは「Go Woke, Go Broke(ウォークになれば潰れる)」と投稿して祝意を示した 。保守派ファン層から「LGBTQアジェンダを押しつけている」という批判が噴出し、あるアンケートでは米国人の52%超が「Disneyはファミリー向けエンタメへのLGBTQ+促進をやめるべきだ」と回答したとも報告されている。
2023年のバドライト=ディラン・マルバニー事件は、二重拘束の地獄を如実に示した事件だ。トランス女性インフルエンサーとのスポンサー契約への保守派ボイコットで、ABインベフの米国売上は10%超下落し、バドライトは20年以上守ってきた「米国最多販売ビール」の座を失った。Kid Rockはバドライトの箱を銃で撃つ動画を投稿し、フロリダ州知事ロン・デサンティスも公式批判した。
同時に、LGBTQ+コミュニティからもバドライトは批判された。今度は「マルバニーへの支持が不十分だった」「声明が曖昧」という理由で。企業がトランスインクルージョンに動けば保守派が離れ、クィア側は生ぬるいと批判する。ブランドは文字通り、どちらに動いても批判される二重拘束に陥った。
問題は、「同性愛の存在そのものへの(宗教的・生理的な)否定」という差別と、「政治的意図が作品の完成度を損なっている」という批判、「クィアをどう表現してもLGBTQ+コミュニティから"まだ足りない"と批判される」という消耗感、クィア側の言説がこの三類型を区別せず、すべてを「シスヘテロ的抑圧」として均質化する傾向があることだ。差別と、正当な美学的批評と、「要求の際限ない上昇に疲れた」という感覚をひとまとめにすることで、本来なら対話可能だった穏健層は「敵」に分類されてしまう。
要求がエスカレートし続け、かつどのような表象も必ず「不十分」か「間違っている」と判定される構造が固定化すると、実際に損するのはクィア当事者自身だ。
「シスヘテロが悪い」という枠組みへの依存は、結果としてクィア表象の場そのものを消耗させるリスクを持っている。DEIへの政治的逆風が強まる中、広告主はLGBTQ+メディアから撤退し始めており、「ゴールドラッシュは終わった」と編集者たちは述べている。この撤退が差別によるものか、要求の非現実的なエスカレーションへの疲労によるものか──個人的には後者の色が濃く──クィアは無駄に敵を増やす愚行で自滅したと私は感じている。そして確信しているのは、今後どれだけLGBTQ+メディアやコミュニティへの逆風が強まろうと、クィアが自分たちのやり方(シスヘテロの悪魔化、ダブルバインド、エスカレーション)が間違っていたのではないか、度が過ぎていたのでは、と反省する可能性は『ゼロ』だということである。悪いのは100%、"悪魔のようなシスヘテロのヘイターども"に決まっているのである。