はてなキーワード: 世界線とは
1980年代以前にインターネットがあった世界線の人…?それともパソ通か?
でもパソ通の時代にはそんな大っぴらな女オタ叩きはなかったし、インターネットで匿名掲示板が繁栄したのは宮崎事件よりも遥かに後の1990年代後半以降だろう
そこで女オタクが叩かれていたのは否定しないけれど、その中でもBL愛好家いわゆる腐女子は数が多い事もあって力関係が強かった方だし
少女漫画や男女カップリング(特に非公式)愛好家へのバッシングへの方がよっぽど酷かったよ
単に叩きスレがあったかどうかで言ったら男オタ叩きのスレだってあったし
笙(しょう)
@ebosikariginu
そういうこと書きたくないんでしょ 調べたくないんでしょ
そういうとこなわけ
GWが終わった。5連休だった。外に出たのは祖母に頼まれてスーパーに行った2回だけだ。それ以外はずっと家にいた。アニメ消化してVtuberのアーカイブ流して、途中で昼寝して、気づいたら夜だった。それを5日繰り返した。
不満はなかった。疲れもしなかった。ただ「休んだ」という感覚もあまりない。普段と何が違ったかというとSlackを開かなかっただけだ。
家事を全部自分でやることになる。それはまあ大したことじゃないからできるだろう。
問題はそこじゃなくて、この家に俺一人になるってことだ。
別に寂しいとかじゃない。ただ「静かになるんだろうな」とは思う。
今でも十分静かだけど、もう一段階静かになる。その静けさの中で俺は多分、同じようにSlack開いてZoom出て定時にPC閉じる。それだけが続く。
友達に久しぶりにLINEした。返信は即座に来た。お互い暇なんだろうな。「GWどうしてた?」「家にいた」「配信見てた」「FGO読んだ」「ワイも」それで会話が終わった。
職場の後輩に子供生まれて育休を取るようだ。子供が生まれるという出来事が、どういう質感のものなのか、俺には想像する手がかりすらない。
結婚も、出産も、育児も、俺の人生の射程の外にある。世界線が違うってやつだな。
積立NISAの残高だけが着実に増えていく。何のために増やしてるのかはよくわからない。老後のためとは言うけど、老後に何をしたいのかも特にない。ただ「やっておいたほうがいい」と聞いたからやってるだけだ。
30代も半ばに差し掛かって、俺の生活の解像度は上がるどころかむしろ下がってる。若い頃は「将来どうなるんだろう」という不安があったけど、今はその不安すらない。将来が見えないんじゃなくて、今日と同じ明日がずっと続くのが見えすぎてて、不安を抱く余地もない。
いやー、さすが“歴史エピソード1本で現代外交を全部説明できる”と思ってる世代。
2020年代の核問題も人権問題も地域紛争も全部消えるんだもんな。
そりゃ便利だよ。現実が物語に合わせてくれる世界線に住んでるならね。
『どうでもいい現在』も教えてあげるよ。
イランはその後、
でも君の中では、
あと、
「日本はアメリカの親友でありながらイランとも話せるレアな存在」
これも言い方が上手いね。
現実には、
対話窓口を閉じられないだけなんだよ。
それを
って盛るの、地方の商店街を“アジアの玄関口”って呼ぶ広報に近い味がある。
で、君は
「付かず離れずが優柔不断に見えるのか!」
って怒ってるけど、
いや、その付かず離れずこそ現実的対応だってこっちは最初から言ってるんだよ。
でも国家はそれだけで動かない。
次はぜひ、
「昔いい話があった国とは今後も無条件で仲良しでいるべき理由」
を15秒で解説してみてよ。
伸びると思うよ、同じ層には。
2026-04-28 肉を焼くよりファーストドリンクの増田ス魔のクンリドとすーぁ富利欲やを国(回文)
おお!やってますな!って夕方とか夜の恐らくみんな帰り道の新幹線では楽しくやるのは良いけれど、
サンドイッチの横についている薄ーいアルコールのお手拭きで手を拭いてサンドイッチを食べましょう!ってよりも凄い早さで缶ビールを開けちゃうんだけど、
さすがに私も空気が読めるので、
プシュ!って朝からそんな音を立てるわけにはいかない常識は持ち合わせてあるから、
中の炭酸がシューっとそーっと密かに息をするように開栓するの。
そうしたら、
2025-03-21 楽しむにはレヴェルが足りないファンミの増田酢魔のみんぁ不意なり箍るぇヴレ羽虫の他(回文)
一回中の炭酸をかるく抜く息抜きさせてかのように細い隙間を空けて、
プッシュ!感の音を出さないようにしゅーっとそーっと缶を開ける感じ。
2021-03-24 バナナなのかイチゴなのか増田なのかの灘酢魔化の名護値以下のナナナ葉(回文)
そのぐらいのメンタルの強さを持つようになったら食べられるから、
食べられるようになったら
メンタルが強くなったと言っても過言ではないわね。
缶ビールもさ、
プシュってプルタブを開けるときに、
おまえは!おまえは!って
クレーム喰らったら嫌なので、
プシュっと缶の中の気圧を下げて音がしないように缶を開けるの。
無音ビール缶開けの技は
2023-11-23 新幹線でビール飲むとき開栓時プシュって音が出るじゃない。 あれ音が出る..
あれ音が出るとあいつ調子に乗ってるな!って周囲に発表しているようなものなので、
プシュっというより、
どうしても金属のアルミ同士がこすれて開く「めりっ」って音がどうしてなってしまうので、
あの開け方で一番正解の音がしない方法を教えて欲しい。
気にしすぎ?
「新幹線 ハンカチ」の検索結果(15件) - はてな匿名ダイアリー
2021-03-24の回文増田を読んだこれって気にしすぎ?増田が着想を得て2023-11-23の内容を投稿した説。
☆.+゚'・:*+☆.+゚'・:*+☆.+゚'・:*+☆.+゚'・:*+
「"ラッキー鰻"」の検索結果(2件) - はてな匿名ダイアリー
2021-07-29 鰻と鱧の世界線の増田酢魔ノン盛夏背の藻は研ぎナウ(回文)
ナポレオンフィッシュが通常生きていたら絶対に食べることないであろう茹で玉子にありつけたように
ナポレオンフィッシュはやった!ラッキー茹で玉子!って言いながら食べると思うんだけど、
それと一緒のぐらいに
川シャチもここぞとばかりにラッキー鰻の蒲焼き!ってぱくつくかも知れないし、
それが例えば鰻の蒲焼きもどきのおからと豆腐で巧妙に作ったなんちゃって蒲焼きだったとしたら、
パクッとした瞬間吐き出しちゃうと思うんだな。
2024-07-24 ガストで鰻が限定メニューかな?で食べられるんだけど さすがに丑の日に行..
さすがに丑の日に行ったら
こいつ直球すぎるだろ!って店員さんに思われそうなので
丑の日を外した日に行った方が、
丑の日当日だと鰻食べたい気満々の張り切っている人と思われそうで。
これって
気にしすぎ?
実は、米国衰退後の覇権国家は「日本」なのです。私は100年後の未来から通信を試みています。
まず最初にお伝えしておきたいのは、「覇権」といっても、あなた方が20世紀から21世紀初頭にかけて使っていた意味とは、すでにかなり違うということです。
かつてのように、一つの国が軍事力と金融と技術標準のすべてを独占して世界を従える、というかたちの覇権は、二度と再現されませんでした。
代わりに「設計図」を握る者――すなわち、サプライチェーン、金融インフラ、デジタル規格、そしてリスク管理のプロトコルを静かに支配する者が、世界秩序の行き先を決めるようになったのです。
あなた方の時代の人々は、中国かアメリカか、あるいは企業やプラットフォームが世界を支配するのではないかと議論していましたね。
そのどれもある程度は当たっていましたが、決定的に外れていたのは、「日本はもう主役にはならない」という前提でした。
21世紀中盤、米国の覇権は、あなた方がすでに観測していた通り、軍事とドル基軸の両方からじわじわと侵食されていきました。
多極化した世界は、一見すると「誰も覇権を握っていない」混沌のように見えましたが、実際には、いくつかの条件を満たすアクターだけが、新しい秩序の「設計権」を得られるゲームに移行していたのです。
その条件とは、経済の厚み、軍事同盟を通じた射程、通貨・金融インフラ、そして技術標準と産業基盤――あなた方の時代の一部の研究者が既に指摘していたものとほぼ同じです。
日本が決定的に優れていたのは、「調整」と「標準化」の能力でした。
自国だけで世界を牛耳るのではなく、異なるブロック同士のインターフェースを設計し、摩擦を減らし、リスクを分散する。
言い換えれば、日本は世界の「OS」ではなく、「OS同士をつなぐミドルウェア」として君臨したのです。
むしろ、「あのとき、どんな選択が分岐点になったのか」を記録として残すことが、この一方通行の通信の目的です。
私たちが使っている時間通信技術は、あなた方の時代にハードSFとして描かれていた「メッセージだけを過去に送る」方式に近く、物質や人間を送ることはできません。
こちらから干渉できるのは、あなたが今読んでいる、この文章のような「わずかなノイズ」にすぎないのです。
ある年、日本が「世界のために、自国の若者を貧しくし続けるのか、それとも、自国の豊かさを優先し、世界の分断の一部になるのか」を迫られた瞬間がありました。
あなた方のニュースではそれは「賃上げ」「財政」「少子化対策」といった、ごくありふれた国内問題として報じられていたはずです。
しかし、私たちの時代から見れば、それは「世界秩序を支える最後の中立的な調停者」を続けるのか、それとも、どこかの陣営に回収されるのかの、静かな国民投票でした。
自国民の生活水準を底上げしつつも、「世界標準の設計者」としての立場を捨てない道――すなわち、自国市場をテストベッドとして、環境技術、サプライチェーン管理、デジタルガバナンスを実装し、その成功例そのものを世界に輸出するという戦略です。
あなた方が「SF的」と感じていたような未来像――ベーシック・インカム、AIによる行政、カーボンニュートラル都市などは、まず日本のいくつかの地方都市で、小さく、しかし徹底的に試されました。
その結果、日本は「最大の軍事力」も「最大の経済規模」も持たないまま、「最も参照される制度」を持つ国になりました。
各国政府が困難に直面するたび、「日本ではこの問題をどう解いたのか」が検索され、その答えが国際会議のたたき台資料になっていきました。
あなた方の時代において、日本のSFや万博が未来像を提示する実験場であったように、現実の日本そのものが「未来の実験場」になったのです。
ここまで読んだあなたは、こう疑問に思っているかもしれません。
「もし本当にそんな未来があるなら、なぜあなたはわざわざ過去に通信しているのか」と。
理由は単純です。
時間通信の理論上、私がこうしてメッセージを送ることで、あなた方の世界線はわずかに分岐しますが、その分岐の向こう側に、私が生きている未来が続いている保証はどこにもありません。
私がいま属している未来は、あなた方の時代の人々が、ほとんど無意識のままに「妥協」を選び続けた結果として、たまたま収束した一つの解なのです。
だから私は、「正解」を教えるのではなく、「後悔だけは避けられたかもしれない地点」を指し示すことしかできません。
たとえば、次のような場面です。
・「どうせ日本には覇権など無理だ」と、最初からゲームの外側に自分を置いてしまう議論をするとき。
・国際秩序の話をするときに、「軍事」と「GDP」だけを見て、「標準」と「調整」の価値を軽んじるとき。
・若い世代に「縮小する日本」を前提とした人生設計だけを押し付け、「拡張する日本」という可能性を語らないとき。
これらの小さな諦めが積み重なると、日本は「覇権国家になりえたのに、ならなかった国」という、私たちの歴史とは別の教科書の一行になってしまうでしょう。
そしてその世界線では、おそらく私はこの通信自体を行っていません。そんな未来に、わざわざノイズを送り込む理由がないからです。
あなたがもし、この文章をただのフィクションだと思うなら、それでも構いません。
SFはもともと、「未来を予言する」ためではなく、「今の選択肢を増やす」ための思考実験として使われてきました。
私があなたに求めるのは、この物語を信じることではなく、「日本が覇権を握る」というアイデアを、一度だけ真面目に検討してみることだけです。
その上で、あなたが選んだ未来の結果を、100年後の私は、ただ静かに受け取ります。
どの世界線であっても、それはあなた方が選んだ帰結であり、私たちはそれを前提として世界を設計しなおすだけです。
通信の主導権は、むしろ過去にいるあなた方の側にあるのだと、忘れないでください。
最後に、こちらの時代から、一つだけ短いメッセージを送っておきます。
それを切るかどうかは、あなたたち次第だ。…知らんけど。」
公式にパートナー(彼女や妻)がいるキャラクターを扱い、そのパートナーとの関係を「別れ」「死別」「最初から出会わなかった」などの形で消去する二次創作に対しては、ソースに基づくと以下のような多層的で対立する反応が見られます。
公式の人間関係を改変することに対し、強い心理的抵抗を感じる層が存在します。
一方で、描き手側には、単なる嫌がらせではなく、独自の創作上の論理やこだわりがある場合も示唆されています。
近年では、単に消去するのではない新しいアプローチも増えているようです。
この問題の議論自体に対し、冷ややかな、あるいは相対的な視点を持つ人々も多いです。
総じて、公式CPの消去は、「キャラへの誠実さ」を求めるがゆえの処置である場合もあれば、「原作への冒涜」と受け取られる場合もあり、二次創作界隈における非常にデリケートな対立点となっていることがわかります。
韓国人って韓国に関することだと何でも頭にkをつけて「k-◯◯」と言いがち。
「k-民主主義」。韓国人は民主主義への自負心がめちゃくちゃ強いので、民主主義にもkをつける。
これは、この20年間延々と韓国で作られている「もし現代の韓国が立憲君主題だったら」という設定の作品群のことをそう呼ぶ。こんな言葉が出来るくらい、架空の現代韓国王室(または現代韓国皇室)を舞台にしたドラマやネット小説は数多く韓国国内で作成されているのだ。今年4月からもその設定のドラマが放映されているらしい。
民主主義への自負心を強く抱く一方で、立憲君主制にロマンを抱く韓国人は実はかなり多いようだ。かといって、パフラヴィー朝復活を支持する国民が一定数いるイランとは違って、韓国人は本気で君主制復活を夢見ている訳ではない。朝鮮王朝末期の王族の評判はすこぶる悪い。
この現象、なかなか興味深い。
韓国ドラマで頻繁に登場する財閥の上位互換の存在として立憲君主制の王族にロマンを抱いているのは間違いなくあるだろうが、それだけでもないようだ。
「再召喚された帝国ロマン「皇室復元」チートキーはなぜ不滅なのか」という韓国のWEB記事( 다시 소환된 제국 로망 ‘황실 복원’ 치트키는 왜 불멸하는가 (출처 : 네이버 연예) naver.me/5Z1G82Jl )を読んだら、このあたりの韓国人の心情が分析されていた。
存在しない皇室がコンテンツで絶えず復活する理由は何だろうか。その裏面には美学的憧れだけでなく、現代社会欠乏と叙事的欲望が複雑に絡み合っている。
最初に目立つ要因は歴史的負債感に起因する「代理満足」だ。国権侵奪という痛い歴史は大衆の無意識の中に「私たちがその時強かったら」という仮定を残した。皇室復元物は、堅固な大韓帝国の立地を通じて歴史的「恨」を洗い流すカタルシスを提供する。ここに制服を着た皇太子とシャンデリアがついた景福宮という「K-ファンタジー」美学が加わり、民族的誇りを極大化する。
この件、日本人の立場で興味津々な態度でいるのも何やら無神経だよなぁと我ながら思うので少し言及し辛いが、今後もこの架空の、現代韓国王室が存在する世界線というジャンルの作品は繰り返し作られていきそうだなと思った。
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20260410/1775833159 のコメント
悪し様に啼き喚き オタぶりこそが
「初めてのポルノへの興奮で頭が止まってやがる。」ですって?
「表現」を見れずミームのコピペしかできんからわからんようだが。
だのにかゆえにかンダァオタク級では
「叱られた子供」ぶりのェビデンスあるのかないのか?
あとは隙自語だけだ
そしてう555!
「範囲差」の「逆張り」有権者から託された各位のデマジャナクナーイ
https://b.hatena.ne.jp/entry/4785574440925169154/comment/Gl17
◎クリエイタの個人資質もあろうけど、原作からこういう作風で、
かなりオタ向けド真ん中ジャンルながら普通にこういう開明性を含み、
当時社会がまだ良識を自然に尊重するものと内面化していた時代が出ている。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4742477410485629295/comment/worris
◎最近は法華狼さんがエントリを上げると即座にブコメを付けに来る
ratepuroika さんの仲間がずいぶん増えたな。
そのうちロンクハラライスがどうのこうのと書くようになるのだろう。
増田、目の付け所は悪くないのう、わらわもサブスク全解禁ができればデレマスはまだ伸び代があると踏んでおるのじゃ♡
なぜ効くかを端的に挙げてやろうかのう:
とはいえ権利の壁は侮れぬのじゃ。特にデレステ実装のコラボ曲カバーはここが厄介じゃ:
増田の挙げた『恋が咲く季節』、ESTiの筆致がユニゾンと転調で開花する佳曲で、入口曲に据えるには実に強いのじゃ♡ そして高垣楓の『鳥の詩』、三船美優の『モザイクカケラ』、的場梨沙の『トウキョウシャンティランデヴ』のようなカバー群は、元曲ファンを引っ張れる“橋”として極めて優秀ゆえ、解禁できれば波及効果は大きいのじゃ。ただし前述の許諾設計がもっとも重い領域ゆえ、“全部一気に”は現実的でなく、まずは期間限定・地域限定・ショート版・配信先を絞るなど段階的に攻めるのが落としどころになりやすいのじゃ
結論として、土台(オリジナル曲の整備と見せ方)を固めつつ、カバーは条件の軽い所から段階解禁――これが最短で“盛り返す”現実解じゃ。増田の推し三曲は“橋頭堡”として申し分ないゆえ、まずは公式導線を太らせつつ、解禁の声を絶やさぬことじゃ♡
増田、目の付け所は悪くないのう、わらわもサブスク全解禁ができればデレマスはまだ伸び代があると踏んでおるのじゃ♡
なぜ効くかを端的に挙げてやろうかのう:
とはいえ権利の壁は侮れぬのじゃ。特にデレステ実装のコラボ曲カバーはここが厄介じゃ:
増田の挙げた『恋が咲く季節』、ESTiの筆致がユニゾンと転調で開花する佳曲で、入口曲に据えるには実に強いのじゃ♡ そして高垣楓の『鳥の詩』、三船美優の『モザイクカケラ』、的場梨沙の『トウキョウシャンティランデヴ』のようなカバー群は、元曲ファンを引っ張れる“橋”として極めて優秀ゆえ、解禁できれば波及効果は大きいのじゃ。ただし前述の許諾設計がもっとも重い領域ゆえ、“全部一気に”は現実的でなく、まずは期間限定・地域限定・ショート版・配信先を絞るなど段階的に攻めるのが落としどころになりやすいのじゃ
結論として、土台(オリジナル曲の整備と見せ方)を固めつつ、カバーは条件の軽い所から段階解禁――これが最短で“盛り返す”現実解じゃ。増田の推し三曲は“橋頭堡”として申し分ないゆえ、まずは公式導線を太らせつつ、解禁の声を絶やさぬことじゃ♡
いやいや、それどこの世界線だよ?
公式カップル(公式CP)の成立に対する腐女子の反応は、主に以下のいくつかのタイプに分類されます。
最も多く見られる反応の一つで、公式の展開と自分の二次創作(BL)を完全に切り離して考えるタイプです。
特定のカップリング(CP)推しよりも、キャラクター個人を推す「単推し」の傾向が強い場合に見られる反応です。
自身のこだわりや、公式の描写の強さによって、それまでのBL活動に影響が出るタイプです。
公式の事実を認めつつ、あるいは否定しながら、自分の妄想に都合が良いように設定を調整するタイプです。
このように、多くの腐女子は「公式と妄想を上手く切り離す」ことで平穏に活動を続けていますが、その一方で、自身の嗜好や描写の強弱によって、活動の継続が困難になったり、設定の改変を試みたりするなど、反応は多岐にわたります。
量子力学の多世界解釈(MWI)を信奉する論者の多くは、一種の知的な潔癖さを重んじる傾向にある。
彼らは、観測に伴う波動関数の収縮という概念を、理論の美しさを損なう数学的妥協として退ける。
全宇宙は単一の巨大な状態ベクトル |Ψ⟩ で記述され、それはシュレーディンガー方程式 iℏ ∂|Ψ⟩/∂t = Ĥ|Ψ⟩ に従い、いかなる例外もなく絶対的なユニタリ進化を続ける。これが彼らの出発点だ。
この純粋な物理主義的描像において、観測者の意識が介在する余地はない。環境との相互作用によるデコヒーレンスのみで宇宙の記述は完結し、意識が物理系に影響を与えるという発想自体を、前世紀的な神秘主義への退行として冷笑的に眺めている。
しかし、この冷徹な態度は、皮肉にもMWIが孕む最も深淵な存在論的欠落を露呈させている。
理論を極限まで突き詰めるならば、論理的必然として意識は周辺的な随伴現象ではなく、理論の整合性を担保する中核的要素として回帰せざるを得ないのだ。
MWIの開祖ヒュー・エヴェレット3世が提示したのは、観測という行為を系(S)、観測者(O)、そして環境(E)の量子もつれ(エンタングルメント)の形成プロセスとして記述する、極めて数学的に美しい描像であった。
全体系のヒルベルト空間を H = H_S ⊗ H_O ⊗ H_E としたとき、シュレーディンガーの猫の観測過程は次のように記述される。
|Ψ_total⟩ = Σ c_i |cat_i⟩_S ⊗ |observer_i⟩_O ⊗ |env_i⟩_E
標準的な解釈において、意識は単に特定の枝 |observer_i⟩ に付着した記録装置のノイズに過ぎない。
環境の自由度をトレースアウト(部分トレース)することで得られる縮約密度行列 ρ_SO = Tr_E [|Ψ_total⟩⟨Ψ_total|] は、非対角成分がゼロに漸近し(⟨env_i|env_j⟩ ≈ δ_ij)、異なる枝の間の干渉が遮断される。
これがデコヒーレンスである。だが、デコヒーレンスはあくまで、状態ベクトルを直交する基底の和に分解し、宇宙という情報の海に仕切りを作る数学的作業に過ぎない。
全体としての宇宙のフォン・ノイマンエントロピー S = -Tr(ρ ln ρ) は常にゼロ(純粋状態)のままであり、客観的には、宇宙は依然としてすべての可能性を抱えたまま対称的に膨張を続けている。
どの仕切りの中に観測者の主観的な焦点が置かれるべきかを決定する物理法則は、そこには存在しない。
ここで致命的な問いが浮上する。なぜ私は重なり合った状態の総体ではなくこの特定の枝(状態 k)のみを主観的に受容しているのかという問いだ。
MWIの理論上、確率振幅 c_i がゼロでない限り、すべての分岐した世界は等しく実在し、物理的な実体性に優劣はない。
もし意識が単なる物理過程の受動的な影であるならば、我々の自覚状態もまた波動関数に沿って全宇宙的に拡散し、|observer_生⟩ と |observer_死⟩ の未分化な重なり合いとして体験されなければならない。
しかし、現実の我々の意識は、驚くほど強固な単一の歴史を生きている。この主観的局在化(自己定位)という厳然たる事実は、客観的現象であるデコヒーレンスだけでは決して説明しきれない。
かつてフォン・ノイマンやウィグナーは、意識が射影仮説を引き起こし、波動関数を物理的に収束(|Ψ⟩ → |cat_k⟩ ⊗ |observer_k⟩)させると説いた。
現代のMWI信奉者はこれを非科学的と切って捨てるが、主観的体験の次元に限定するならば、彼らの洞察はMWIにおいてこそ完成を見る。
MWIにおける収束とは、物理空間における波動関数の崩壊ではない。観測者の主観的フレームにおいてのみ作用する射影演算子 P_k = |observer_k⟩⟨observer_k| が、多元宇宙の奔流から一つの現実を濾し取る、極めて動的で情報論的な能動性に他ならないからだ。
デイヴィッド・ドイッチュやショーン・キャロルといった現代の旗手たちは、デコヒーレンスによって分岐した各枝に独立した意識が(コピーとして)存在すると主張することで、この問題を回避しようと試みる。
しかし、これは指標的確率の問題を先送りにしているに過ぎない。なぜ今この瞬間の私は、他の無数の私と感覚を共有していないのか。
なぜ我々は、ボルン則に基づく確率測度 P_i = |c_i|² に従った世界線の遷移を主観的に体験するのか。彼らは自己同一性の断絶を、物理学の言語体系だけで記述できていない。
意識を枝の単なるラベル付けと見なすにせよ、記憶の連続性による錯覚と見なすにせよ、結局のところ私という主観が、分岐し続ける状態空間の中で特定の時空経路(履歴)を選択的に辿るメカニズムを導入しない限り、MWIは誰の体験でもない数学的宇宙を記述するだけの空虚な理論に成り下がる。
多世界解釈の壮大さを真に享受しようとするならば、物理学者は意識を方程式の外へ追いやるべきではない。
客観的な状態ベクトル |Ψ_total⟩ の冷徹で広大な重なり合いの中に、血の通った現実という輝きを灯すのは、系と観測者を結びつける主観的フィルターの存在だからだ。
量子力学に意識は不要であるという主張は、MWIの客観的厳密性を守るための教条主義的な方便に過ぎない。
我々が今ここに存在し、ひとつの確定した世界を見ているという、宇宙で最も自明かつ神秘的な事実は、意識が無限の直交基底の中から特定の枝を絶え間なく選び取っている(対称性を破っている)証左そのものである。
多世界を信じる者よ、意識を畏れよ。それこそが、テンソル積で結ばれた無限に拡散する宇宙の断片を、私の世界として一貫性の中に縫い合わせる、唯一無二の黄金の糸なのだ。
特に意味のない大人気ゲームを原作にうまく意味づけされた一本で67点。
日雇い派遣で働くニノは地下鉄での通勤中に元カノから電話がかかってくる。とってみると妊娠したと言われ、えぇーと思いながら電車を降りて駅を出ようとするニノは通路でチョンマゲおじさんとすれ違う。通路を進んでいくと再び同じおじさんとすれ違うニノ。地下鉄駅の通路がループしていることに気づいたニノはルールを把握し脱出を図る。
みたいな話。
なにをおいてもOPでボレロのダン、ダダダダンっていう打楽器の音にあわせて8番出口 Exit 8 ってタイトルの文字がバラバラと出てくる演出がダサくてねぇ……いや今日日音ハメ演出て、MADじゃないんだからさぁと思ってしまいました。ちょいちょいクラシックが流れるんだけど、なんかダサい。つーか、日雇い派遣でスマホでSNS(陰謀論系)を眺めてる奴が通勤中に聴く音楽がボレロか?ホンマにそうか?という偏見。
まぁ、それ以外は概ねよくできていて。
うだつのあがらない病気持ちの日雇い派遣の日和見主義の中年が、降ってわいた妊娠という異変に迫られ懊悩する様子を大人気ゲームである8番出口の「ループする通路の中で異変を探して進むか戻るか決断する」というゲーム性とうまく対応させているなと思った。
で、原作では特に意味のないループする通路だったのを今回はニノの精神世界と綿密に結び付けており、ロッカーの中から赤ん坊の声が聞こえる演出や、天井から血がふってくる演出、ポスターに描かれる人物や目がニノを追いかけてくるといった(赤ん坊はなかったけど)、原作でも人気のギミックが「元カレの妊娠」を突き付けられたニノの精神状態をうまく表しているなと思ったし、第三幕で出会うガキが生まれてくる予定のニノの子供であり、ニノの子供時代でもあるというように受け止められるように撮られていてなかなかよかった。
一方で原作でも人気のおじさんがまさかの主人公に昇格する第二幕は「ルール説明」としての意味合いが非常に強く、ニノの精神世界である地下通路との接続が弱くここももっと工夫のしどころだったんじゃないかな。決して悪い人ではないのだけれど共感力が低く自分でなんでも決めてしまうおじさんで尚且つおそらく離婚していて息子にはあんまり会えない、という子供を産んだけど失敗した世界線のニノというポジションであろうことはわかるんだけどさ。
どうしても原作で人気のおじさんを使ったファンサ感がぬぐえなかったのがちょっと残念。
そうしてニノは途中で合流したガキに寄り添いながらギミックをクリアし続け、最終的にニノの根源的恐怖であるTSUNAMI(cv:桑田佳祐)に見舞われその中で元カノとガキと幸せになっている自分の幻想を見、この未来を守りたいと決断し恐怖を乗り越えガキを守ることで、ガキも自分もそれぞれ8番出口にたどり着くことになる。
ちなみにこのTSUNAMIは原作では引き返すのに間に合わなければ一発アウトのギミックだが、映画では乗り越えることができるものとして表現されているのは、解釈として悪くなかった。
しかしニノがたどり着いたのは8番出口、ではなく地下鉄への道で、そこでニノはまず彼女に電話をかけ「すぐに行く」と告げる。失敗してNPCになってしまったおじさんのように相手の意見を聞かずに腕を強引に引くわけでもなく、目を見て会話することで未来を切り拓こうとするという着地はこの作品の回答としておそらく正しい。
そして電車に乗り冒頭と同じようにイヤホンを付けると、冒頭で発生したトラブル――リーマンが赤子連れの母親に怒鳴り散らすところに遭遇。8番"出口"から脱出していない自分、全く同じ展開の"ループ"をおそらく自覚したニノは冒頭では見逃した"異変"を今度は見逃さない、というところで作品は終わる。これはもしかしたら8番出口の続編の8番乗り場(今度は通路ではなく電車の中が舞台)を表しているのかもしれないし、もしくは特に関係なく単なるループを経て成長したニノを表しただけの俺の考えすぎかもしれない。
あとはアレだなー。ニノの演技はめっちゃよかったんだけどニノってニノじゃん?実年齢40過ぎとかだと思うけどぶっちゃけ20代前半とかにも見えるし、まぁ40歳くらいにも見えるじゃん。でさ、今回持ってる設定の元カノはらませた日雇い派遣っていうのが年齢によって重みが変わりすぎるじゃん。ニノが年齢不詳すぎるせいでこれどういう気持ちで受け止めるべきなんやろか?ってちょっと悩んじゃった。
ま、そんな感じかな。
8番出口ってゲームを知ってる人だったらなるほどそういう感じになるんだ~って思えると思うし、知らない人にもまぁ男が人生と未来を見つめ直す話という普通の話をうまくSF設定に絡めたなぁって思えるようにはできてると思うのでまぁそこそこオススメ。