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はてなキーワード: フェアユースとは

2026-04-28

日本フェアユースパロディ条項があったら…

日本フェアユースパロディ条項があったら同人誌を堂々と(合法的に)有料頒布できるのに」

日本著作権法場合限定列挙方式による許諾。

「これに該当すればOK」という基準が明確で、予測可能性が高い。

事前に絶対安全が事前にわか安心感同人誌は事前条件に無いので現状、権利者の黙認という綱渡り状態

これに対して、フェアユースパロディ条項なら安全か?



パロディ条項場合

パロディ著作権侵害例外とて認められるためには条件がある。一番重要なのがパロディであること。

パロディ条項が求めるパロディとは?元の作品文体思想キャラクター性格などをあざ笑ったり、矛盾を突いたりして、「その作品自体を滑稽化、嘲笑する表現である必要

同人にあるようなリスペクトとは真反対の精神要求される。好きという気持ちの具体化は対象外

逆に作品アンチは割とパロディの条件を満たす。

多くの場合がその作品自体を滑稽化、嘲笑するに当たらない。

結果多くの場合裁判で負ける。つまり現状、権利者の黙認という綱渡り状態

フェアユース場合

フェアユースは好き勝手にしていいというルールではない。

日本限定列挙方式の反対。事後的に個別裁判して判断するというやり方。

訴えられたとき反論する武器が増えるだけであり

事前に列挙された安全が無い分、裁判されるリスク日本以上にやばい

そして、同人誌フェアユースか?が裁判で問われるが

フェアユースの4つの条件のうち著作物性質は完全にNG,また、有料で販売するとフェアユースさらに認められずらくなる。利用された量と質においてもキャラクターコンテンツに対する、キャラクターデザインは量と質においても不利になる。

一応、アメリカ法心臓である先例拘束性の原則があるが、ファンアート同人誌に関する拘束性をもって合法であるとする裁判例が現状無いため、まったく安全ではない。現状基本的日本と同じ。

また、裁判例ができても安心できない。先例と「同じ」であるかの判断は、やはり個別裁判した時点で判断される。事前に安全と決まるわけではない。結果、やはり裁判コストは常に追う必要はある。

一応勝つ可能性は無くは無いが、勝率は低い。膨大な弁護士費用を払って数年戦う余裕がある人だけが得られる自由

個人クリエータにとっては現状、権利者の黙認という綱渡り状態



フェアユースパロディ条項があっても期待する効果はない。日本著作権方式フェアユースも、パロディ条項もどの方式でも権利者の黙認にすがるしかない。




二次創作ガイドライン。現状多くのガイドラインはしてはいけないの列挙。

過去裁判例上、否定の列挙は許諾ではない。 黙認のライン(訴権の行使一時的留保する条件)を示しているだけで著作権法上の「許諾」を得ておらず、違法状態

一方ピアプロキャラクターライセンスちょっと違う。

PCLは、著作権法上の許諾を与えることを明記している。 合法

2026-04-18

AIが作った曲を、ひとりの作家作品として聴いていた

(※長文注意・要旨)

ある音楽家が、これまでのリリース作品がすべてAIベース制作環境で作られていたことを、その環境商品として販売開始することで明かした。

この記事は、それを告発するものではない。むしろ、その製品宣伝通り機能した場合にこそ私たちが直面する問い——「感動していた曲は、何によって作られていたのか」「作曲プロンプト設計に移るとき、聴き手は何を聴いているのか」——について、ひとりの聴き手/作り手として考えたことを書いておく。

1~4節はその商品分析がメインなので、ゴシップ的な話に興味のない人は5~7節だけ読めば十分。

長いので時間のあるときに読んでほしい。

1. ある製品との出会い

Twitterで、気にかけていたアカウントがあった。フォロワーは二千人規模だが、Hyperpop以降の日本のシーンで頭角を現している一人、という認識自分の中にあった。界隈の主要な音楽家たちからフォローされている、といえば規模感が伝わるだろうか。リリースされる曲には、たんに「いい音楽」と片付けるのは難しい構成の巧妙さと音選びの新しさがあって、追ってはいないまでも名前は頭にあった。

そのアカウント最近自分制作環境商品として販売し始めた。価格は14,900円、「AI音楽制作環境」として売り出されていて、製品ページの宣伝文句はこうなっている——「『気持ちよくて驚きのある曲を作って』——そのくらいの指示からコード進行歌詞・Sunoプロンプトまで一貫して出力します。」さらに、既発のアルバムEPは「全てこれを軸に制作されている」とも明記されていた。

最初に湧いた感情は、「ああ、そういう工程で作られていたのか」という、ある種の冷めの感情だった。AIを使っていることそのものへの反発ではない。SunoのようなAI音楽生成ツール進化については以前から耳にしていた。出力自体クオリティ否定するつもりもない。そうではなく、「何に対して感心していたのか」という、自分の受け取り方の根元が揺らぐ感覚、とでも言えばいいだろうか。

この感覚を、個人的がっかりエピソードとして飲み込んで済ませてもよかった。けれど製品ページを読み進めるうちに、これは自分一人の話ではなく、いま音楽聴く/作る側に共通してくる問題になっていくだろうと思い直した。以下はその整理になる。

2. その製品が何であるかの整理

製品ページから読み取れる範囲で、何が売られているのかをまず整理しておく。評価は後回しにする。

製品としての訴求は、おおむね三層からなる——(a)独自音楽生成エンジンであること、(b)感覚的な指示から完成物が自動生成されること、(c)学習ツールとしても機能すること。

3. 構造的に読み取れる疑問

実際に買って触ったわけではないので、以下は推測の域を出ない。ただ、製品説明を読み解くと、構造的にいくつかの疑問が浮かぶ

まず、''「Python疑似コード」という語の含意''について。「疑似コード」はPythonの形で書かれていても実行されないテキスト、つまり構造化されたプロンプト/参照資料のことを指すのが通例だ。Claudeプロジェクトに.zipアップロードする形式である以上、これはClaudeが読み込むルール文書群であって、独立して走る独自エンジンではない可能性が高い。MIDI出力部分などは実行可能コードだろうが、「コードを選ぶ」「歌詞を書く」といった音楽判断のコアは、Claude本体自然言語推論能力が上限になる。これ自体は悪いことではない。よく練られたプロンプトパックは、Claudeの出力の一貫性専門性を上げる。ただし「独自エンジン」という響きが含意するものとはかなりの距離がある。

次に、''Sunoへの依存度''について。製品の主要アウトプットひとつが「Sunoプロンプト」である以上、最終的に音として鳴る部分——音色の質感、ミックスバランス演奏ニュアンス——を生成しているのは、この製品ではなくSunoのほうということになる。つまり、この製品価値の相当部分は「Sunoを上手く使うためのプロンプト設計職人技をパッケージしたもの」であって、Sunoが進化すればその層の価値は急速に目減りする。

三つ目に、''「all built by hand」の含意''について。86,000行という規模が、本当に人間が手で書いたものなのかは、製品説明から判別できない。ジャンル研究ノートやStyle語彙データベースといった文書は、AIに「このジャンルについて詳細なルール文書を書いて」と指示すれば相当量が出てくる種類のものである。骨格は人間が作っていたとしても、肉付けをAIに任せている可能性は十分ある(そしてその場合、「手作業で書いた」という説明の重みはかなり変わってくる)。

繰り返すが、これらは推測にすぎない。実際に買って開ければ印象が変わる可能性は十分ある。ただ製品ページの記述だけを根拠判断する限り、「独自音楽生成エンジン」「作編曲学習ツール」という訴求は、実態を控えめに言っても過剰包装しているように見える。

4. 機能しなかったら問題だが、機能したらもっと問題

ここがこの記事で一番考えたかったポイントになる。

この製品に対する考えられる反応は、「宣伝通りに動くのか?」という疑問だろう。

しかし、立ち止まって考えると、本当に問うべきは逆側であることがわかる。

仮にこの製品宣伝通りに機能するなら——「気持ちよくて驚きのある曲を作って」という指示一行からコード進行歌詞・Sunoプロンプト・MIDIMP3まで一貫して出力されるなら——自分が感心していた曲は、その程度の指示から出てきたものだった、ということになる。下準備としての疑似コード整備や、出力に対する微調整は当然あるにしても、一曲一曲制作工程の中心がそこにあったのなら、感心の源は作り手の耳ではなく、ツールの出力分布の中にあったことになる。たしか創作物は優れていたかもしれないが、「それが優れていたのは上手くSunoを使いこなしていたから」という、エンジニアリング問題だったということになる。

機能しないなら誇大広告問題で済む。機能するならば、「聴き手は何を聴いていたのか」という、より根本的な問いが立ち上がる。皮肉なことに、製品としての完成度が高いほど、この問いは重くなる。

ここで思い出しておきたい話がある。2023年ゲンロンのイベントで、音楽家tofubeatsが、Spotifyサジェストで流れてきた曲に心を動かされ、作曲者を調べたらAI生成曲だと知って深いショックを受けた、という経験を語っていた。彼自身がオートチューンで声を加工し、歌声から人間性を排して作曲するタイプ作家でありながら、である。「非人間的な曲が、本当に人間によって作られていないこと」が判明したとき空虚さを、彼は正直に語っていた。

この空虚さが何から来るものなのかは、6節でもう少し踏み込んで考えてみたい。ただ先に言っておくと、それは「AI音楽を作ってはいけない」という種類の話ではない。むしろ、「聴くとき自分は何と対面していたつもりだったのか」という自己認識問題になる。そしてそれは、作り手が工程を開示しないまま商品を売り始めた瞬間、聴き手の側で解決することが不可能になる種類の問いでもある。

5. AIを使うこと自体の話ではない

誤解されたくないので、はっきり書いておく。この文章は、AI音楽を作ることへの全面的否定ではない。

作曲歴史は、すべてを人間設計人間が作る歴史だけではなかった。偶然性、システム自動化、外部の力を取り込む試みは、ジョン・ケージからブライアン・イーノアルゴリズミック・コンポジションまで、20世紀以降の音楽史の重要な部分を形作ってきた。AIの導入はその系譜の延長にあって、それ自体否定するのは筋が悪い。

近年の例で言えば、菊地成孔自身主宰するギルド「新音楽制作工房」でAI活用していることを早くから公言している。NHKドラマ岸辺露伴は動かない』の劇伴ではMaxを用いたAI生成による弦楽四重奏が使われており、菊地本人が「作曲者のクレジットもないし、著作権のありかがわからない」という問題NHK出版経由でJASRAC協議し、「新音楽制作工房」名義のクレジットで処理することで決着させた、という経緯まで公にしている。つまり、どう使い、どう扱い、誰の名のもとに出すかを、彼は工程ごと開示している。

ここでの違いは、「AIを使うか使わないか」ではなく、「どう使い、どう開示し、何を自分の名のもとに出すか」にある。「AI使用は隠していない」という表明と、「どの工程AIに委ねたかを開示する」こととの間には、大きな距離がある。

そしてもうひとつ、避けて通れない論点がある。Sunoを含む音楽生成AIが、何を学習データにしているかという問題だ。2024年6月RIAA(全米レコード協会)はSony MusicUniversalWarner Music代表してSunoとUdioを著作権侵害で提訴した。Suno側は、レコード会社の著作権保護された録音物を使用したことを概ね認めた上で、フェアユースを主張している。2025年末にはWarner MusicとSunoがライセンス提携和解したが、訴訟全体はまだ決着していない。

まり、いまSunoで曲を作って発表することは、その学習データが何で、どのような経緯で集められたかが法的に争われている状態モデルを使うことを意味する。これは「使ってはいけない」と言いたいのではなく、「自分作品がどういう供給ラインの上に立っているか」を無自覚なままにはできない、ということだ。そして、そのモデルを使って生成した曲で「作曲者」を名乗り、その制作環境商品化して収益化する、という連鎖倫理性は、まだ業界全体として合意が取れていない。

この記事の射程は、その倫理のものを裁くところまでは届かない。ただ、「いい曲さえできれば制作過程はなんでもいい」という論法に、即座に頷くことはできない、という姿勢だけは明示しておきたい。

6. 創作者と鑑賞者の間の、暗黙の契約について

ここで、4節の末尾で保留にした問い——tofubeatsが味わった空虚さは何から来るのか——に戻ってくる。

創作物聴く側は、作り手の工程をつねに見ているわけではない。それでも、作品を受け取るときには「制作への真摯さと、出来上がった作品クオリティは、どこかで結びついている」という、いわば感覚的な信頼をもって聴いている。これは創作と鑑賞の間に長く存在してきた暗黙の契約のようなもので、あるシンガーソングライターが書いていた通り、手間暇掛けようが掛けまいが最後には一緒くたに扱われる時代でも、違いの分かる人はいるはずだと信じて丁寧に拵える——という姿勢を、作り手と受け手の双方が(明示的ではないにせよ)共有してきたから、音楽は単なる音の配列ではなく、作り手の痕跡を伴うものとして聴かれてきた。

AIが生成した音楽のものにも、それ独自の良さがある。これは繰り返し強調しておく。作品としての良さは、工程とは独立に成立し得る。ただし、AI生成された曲を「ひとりの作家が作った作品」として提示し、その仮構された人格のもとに人気を集めることは、この暗黙の契約を根元から破壊する。聴き手が「これを作った人は、たぶんこういう感受性の持ち主なのだろう」と想像しながら聴いていた対象が、実は大部分がプロンプトから生成された出力だったとしたら、その想像は宙に浮いてしまう。作品が悪かったわけではない。悪かったのは、作品と作り手の人格の間にあったはずの関係について、聴き手が抱いていた前提が、工程を開示されないまま利用されていたことにある。

tofubeatsが味わった空虚さは、たぶんこれに近い。「AIが作ったか価値がない」ではなく、「自分作品を通して誰かの感受性と向き合っていたつもりだったが、その『誰か』が自分想像していたものとは違っていた」という、受け手側の文脈の宙吊り。この宙吊りは、作り手の側がAI使用を大まかに表明するだけでは解消されない。「何を自分判断で選び、何をツールに委ねたか」という工程粒度での開示があってはじめて、聴き手は自分の感心の行き先を再設定できる。

この視点から見ると、今回の製品販売で起きたことの構造が少しはっきりする。14,900円という価格や、買った人にとっての有用性の問題はもちろんある。ただ、それ以上に大きかったのは、制作環境商品化するという行為が、既発の作品群を「この環境実例」として遡行的に位置づけ直してしまうことにある。以前から作品を聴いていた側から見れば、聴き手と作り手の間に結んでいたはずの暗黙の契約の内実が、後出しで書き換えられる感覚がある。

制作工程の開示は、法的義務ではない。ただ、制作環境商品として売り始めた瞬間、この暗黙の契約自分から前景化させたことになる。「この環境でこれだけの作品が作れる」という実例として既発のリリースが参照されているのなら、それぞれの作品がどの程度この環境の出力そのものなのか、どの程度は人間の介入によるものなのかは、買う人にとっても、これから聴く人にとっても、重要情報になる。

7. どこへ向かうのか

最後に、聴き手として、作り手として、これからどうするかを書いておきたい。

聴き手としては、tofubeatsが味わった種類の空虚さを、できれば避けたいと思うひとが大半だろう。しかtofubeatsAI生成だと気づくことができたのはクレジットにそう明記されていたからに他ならない。今回の私のケースのように、AI生成であることが明かされていなかったり、将来的に(遡及的に)AI生成であることが明かされるようなパターンますます増えていくだろう。私たちは、匿名性を保ったままクオリティ勝負して有名になっていくという同人音楽シーンの時代終焉を目の当たりにしているのかもしれない。作り手と受け取り手信頼関係が壊れていくなかで、聴き手側からできることはあまりにも少ない。界隈で有名なコンポーザーの多くも今回のアカウントフォローしていたことも考えれば、制作過程情報開示を積極的に求めていくこと、プロセスを明らかにしたうえでよいものを作っているひとを評価していくこと等も、その限界は大きいだろう。

作り手としては、自分がやりたいのは、プロンプト一行から出てくるものを受け取る側ではなく、一音ずつ選ぶ側である、とあらためて確認した。それはAIを使わないという意味ではなく、AIを使うにしても、どこで自分判断を通すかを意識的設計したい、ということになる。菊地成孔のやり方に近いと言えば近い。作編曲に限らず、これまであらゆるアートと呼ばれる領域について、過程を見せないことは作家神秘性を増すための重要な要素だった。しかし上にも書いたように、その限界はもうすでに見えてきているように思う。過程を明らかにしたうえで、自身武器がすべて明らかであるのにそれでも真似できない創造性を見せること。もちろん、あらゆる出力結果は機械学習の餌食になりうるという状況においてこれは綺麗事かもしれないが、成果物がいわゆるAIに食われうるのは変わらないのだとしたら、いか自身制作においては透明性を保ったうえでクオリティ受け手を納得させるか、こそが大事になってくるだろう。こうしたムードを作り手の側からも作っていくことが、今後の大きな課題になるのではないかと思う。

AIもっといいものを作れるのになぜあなたが作る必要があるのか?」は、「プロ作家がすでにこの世に五万と存在するのに、なぜあなた作品をつくろうと、その道を志したのか?」という問いと本質的には何も変わらない。作りたいから、作る。伝えたいから、それを形にする。そうした初期衝動が、欲望が、「創造性」という言葉本質であり、AI模倣することのできない、あなただけの、私だけの創作物につながるのだから

2026-04-16

海賊版についてなぜ日本海外永遠に噛み合わないのか

海賊版論争を見るたびに思うのだが、この話で人々が最初にやる間違いはだいたい同じだ。

それは、これを善人と悪人の戦いだと思い込むことである

日本側は「海賊版窃盗だ。作者に敬意がない」と言う。 海外側は「正規で読めないんだから仕方ない。供給しない側が悪い」と言う。

そして両者とも、自分けが現実を見ているつもりでいる。 もちろん、いつものことだ。インターネット論争というのは、だいたい自分の見ている半分の真実宇宙の全真理だと思い込んだ人たちが、残り半分を見ている人間野蛮人扱いすることで成立している。

だがこの件で本当に面白いのは、双方とも半分ずつ正しいということだ。 そして、半分ずつ正しい議論というのは、完全に間違った議論より始末が悪い。なにしろ本人たちは「自分は正しい経験」を実際に持っているので、相手が何を見てそう言っているのかを理解しようとしない。

その結果、海賊版論争はいつも道徳劇にされる。 盗人だの、既得権益だの、敬意がないだの、時代遅れだの。 気持ちはわかる。人は道徳劇が好きだ。構造の話より、悪人の話のほうがずっと気分がいいかである

しかし残念ながら、この問題の核心はモラルではない。 価格であり、供給であり、制度であり、インセンティブである

道徳は「海賊版はいけない」と言うことはできる。 だが「なぜ、いけないことがこれだけ大規模に起きるのか」は説明できない。 それを全部「モラルの低下」で説明するのは簡単だが、簡単であることと有能であることは違う。風邪を全部「気合いの不足」で説明する人間医者ではないのと同じだ。

海賊版が広がるのは、人々が特別邪悪からではない。 正規版より安く、速く、便利だからである。 まずこの当たり前の事実から出発しないと、議論最初の五分で終わる。

1.よくある説明は、だいたい半分だけ正しい

この手の論争には定番説明がいくつかある。

まず、「海外海賊版に寛容で、日本けが厳しすぎる」というやつ。 これが魅力的に見える理由はわかる。実際、日本では海賊版に対する嫌悪感がかなり強く、クリエイターの怒りも前面に出やすい。他方で海外では、違法視聴違法閲覧がかなりカジュアルに語られることがある。だから日本けが異常に神経質なんじゃないか」という印象が生まれる。

でも、ここで「海外自由進歩的日本は閉鎖的で遅れている」という、いかにもSNS向きの雑な物語に飛びつくとだいたい失敗する。 違うのは、著作権保護の有無というより、どこに責任を集中させるかという制度設計の差だ。日本権利者の感覚が強く前に出やすいし、英米圏はプラットフォーム責任フェアユース議論が混ざる。見え方が違うだけで、どこも別に著作権仙人のような寛容さで見守っているわけではない。

次に、日本側に多い「海賊版モラルの欠如だ」という説明。 これももちろん一理ある。違法コピーなのだから、悪いに決まっている。 だが、何百万人規模で繰り返し起きる行動を、ひたすら人々の人間性の腐敗で説明しようとするのは、説明というより願望である自分悪人を見抜いたつもりになれて気分はいいが、なぜその行動が再現されるのかは何一つ説明していない。

逆に海外側には、「正規供給が遅いのだから海賊版が広がるのは当然」という説明がある。 これもかなり正しい。とりわけ連載マンガや毎週更新アニメのようなコンテンツでは、内容そのものだけではなく、みんなと同時に消費すること自体価値になる。ネタバレは飛んでくるし、議論にも乗り遅れるし、数か月後に合法的に読めますと言われても、その頃には祭りは終わっている。

ただし、これも全てではない。 供給改善されても海賊版が消えないなら、問題タイムラグだけではない。そこには「ゼロ円」で「検索一発」で「広告で維持される違法供給」と、「固定費を回収しなければならない合法供給」の競争条件の差がある。

まり、よくある説明は全部、一理ある。 だが一理あることと、それで全体が説明できることは別だ。 SNSではこの区別がしばしば消える。なぜなら、一理ある話のほうが、複雑だがより正確な話より、ずっと気持ちよく怒れるからである

2.海賊版問題は、まずデジタル財の問題である

マンガアニメのようなデジタルコンテンツのやっかいなところは、作るのには金がかかるのに、複製するのにはほとんど金がかからないことだ。

1話作るのは大変だ。 1冊作るのも大変だ。 人件費がかかる。編集がいる。作画がいる。翻訳必要だ。監修もいる。配信網もいる。固定費は重い。

しかし、いったんできたものを、もう1人に読ませるコストはほぼゼロだ。 すると何が起きるか。 当然、固定費を払っていない側が圧倒的に有利になる。

正規事業者は、その固定費を回収しなければならない。だからゼロ円にはできない。 だが海賊版サイトは、その固定費負担していない。他人投資で生まれものコピーしているだけなので、極論すればほぼタダで配れる。 この時点で、「正規版が正しいのだからつべきだ」という願望は、経済学的にはかなり厳しい。正しさはコスト構造を変えないからだ。

そして国際市場では、さらに話がややこしくなる。

日本で700円が普通でも、別の国では高い。 英語圏では払えても、別の言語圏では厳しい。 なら国ごとに価格を変えればいいじゃないか、という話になるが、デジタル財は国境と相性が悪い。安い地域価格が高い地域に流れ込むのを完全には防ぎにくい。VPN時代に、地域価格理論上は正しくても、実務上は簡単に穴があく。

しか翻訳にはコストがかかる。 ライセンス交渉にも時間がかかる。 市場規模が小さい言語圏では、そもそも商売として成立しないこともある。

その結果として起きるのは、非常に単純なことだ。 ある国では合法的に安く速く読める。 別の国では高いか、遅いかそもそも存在しない。 その空白を埋めるのが海賊版である

ここで「海賊版利用者泥棒だ」とだけ叫んでも、たぶん何も起きない。 なぜなら、その人はたいてい、検索一発で読めるゼロ円の選択肢と、見つけるのも面倒で高くて遅い正規版を比べて行動しているからだ。 不快だろうが、それが現実だ。

3.日本海外で噛み合わないのは、法だけではなく感覚が違うから

この問題さらにややこしくしているのは、単に値段や供給速度の違いだけではない。 著作権のものに対する感覚が、かなり違う。

日本では、作品比較的強く「作者のもの」だと感じられている。 これは単に収益権の話ではない。人格の延長として受け止められやすい。だから無断転載や無断翻訳に対して、単なる売上の損失以上の怒りが生まれる。

海外、とくに英米圏には、もちろん著作権保護はあるが、それと並行して「公表された作品議論や変形的利用の素材にもなる」という感覚日本より強い。フェアユース的な発想がその象徴だ。

ここでよくあるのが、「海外自由で、日本は古い」という雑な整理であるインターネットはこういう二元論が大好きだ。たぶん脳のカロリー消費を抑えられるからだろう。 だが現実はもう少し不快に複雑だ。

日本には日本なりの整合性がある。 作品同一性や作者の意思を重く見るのは、単なる後進性ではなく、一つの権利思想である英米には英米なりの整合性がある。 作品公共的な議論に開かれるべきだというのも、一つの思想である

問題は、両方が自分の前提を「普通」と思っていることだ。 そして普通同士がぶつかるとき、人は驚くほど簡単相手野蛮人だと思う。

このズレがもっと露骨に出るのが二次創作だと思う。

日本では、多くの二次創作は法的にはかなり危ういのに、実務上はかなり広く黙認されてきた。 これは綺麗な制度ではない。かなりいびつだ。 だが、そのいびつさの上でコミュニティが回ってきたのも事実である。 つまり日本では、明文化された一般ルールより、「権利者が最後統制権を持ったまま、周辺をお目こぼしする」という形で秩序ができている。

英米的な感覚からすると、これはかなり不透明に見えるだろう。 ルールがあるのかないのか、はっきりしろと思うはずだ。 そして「二次創作はよくて海賊版はなぜダメなんだ」という問いも出てくる。

だが日本側の感覚では、そこは全然同じではない。 前者は、少なくとも創造的な付け足しやコミュニティ内部の礼儀の中にある。 後者は、単なる無断コピー流通だ。 この差は、日本側には大きく見えるし、海外側にはしばしば曖昧に見える。

まり、ここでも両者は同じ単語を使いながら、別のゲームをしている。

4.古い建物の保存観に少し似ている

ここで話を少しずらす。

日本では、古い建物を壊して新しく建てることへの心理的抵抗比較的低い。 街は更新される。建物は入れ替わる。古いものをそのまま残すことより、機能的に更新することのほうに価値が置かれやすい。

一方、欧米では歴史的建造物物理的な形態のものに重い価値が置かれることが多い。 もちろん全部ではないが、「オリジナルを残すこと」自体道徳的含意を持つ。

これはそのまま著作権の話ではない。 建物マンガを同じにするのは乱暴だ。 だが、文化的な資産を誰のものとして、どう扱うかという深層の感覚には少し通底するものがある。

日本では、作品最後まで作者や権利者の意思に強く帰属するという感覚がある。 絶版にしたいなら絶版にする。再公開しないならしない。 乱暴に言えば「それは持ち主の権利だ」という発想だ。

他方で海外には、「公表された文化公共財的な性格をある程度帯びる」という感覚日本より強く存在する。 だから絶版作品アクセス可能にするのは文化保存だ」という理屈が出てくる。

この理屈は、気持ちはわかる。 実際、消えた作品や読めない作品があること自体を損失だと感じるのは自然だ。 だが、その理屈がそのまま海賊版免罪符になるかというと、そこはかなり怪しい。 文化保存は美しい言葉だが、翻訳配信アーカイブもタダではない。そして、そのコストを誰が負担するのかという最も不愉快問題になると、急にみんなロマン主義者になる。

まりここでも、対立善悪ではなく優先順位の違いだ。 統制を優先するのか。 アクセスを優先するのか。 作者の意思を重く見るのか。 文化の開放性を重く見るのか。

どちらかが完全に正しい、という話にしたがる人は多い。 たぶんそのほうが気持ちがいいからだ。 しかし残念ながら、社会はだいたい、気持ちさより面倒くささの上にできている。

5.結局これは、市場がまだ世界に追いついていない話だ

ここまでの話をものすごく乱暴にまとめると、こうなる。

海賊版蔓延は、モラル崩壊ではない。 デジタル財のコスト構造、国際市場の分断、価格差別の難しさ、翻訳ライセンスの遅さが合成された結果である

まりこれは、市場の失敗の話だ。

ここで「市場の失敗」と言うと、すぐ誰かの悪意の話だと思う人がいる。 いつものことだ。 だが市場の失敗というのは、必ずしも誰かが怠慢だったという意味ではない。 むしろ、全員がそれなりに合理的に動いた結果としても起こる。

日本権利者は、国内収益を守りつつ海外展開のリスク管理しようとする。 当たり前だ。 海外ユーザーは、手に入らない、遅い、高い、読めないという状況で、もっとも低コスト選択肢流れる。 これも当たり前だ。 海賊版サイトは、トラフィックが集まり広告収入が入るなら供給を続ける。 それも当たり前だ。

まり、全員がだいたい自分立場合理的に振る舞った結果、全体としてはひどい均衡ができる。 これが市場の失敗でなくて何なのか。

日本側が見落としがちなのは、「海賊版は悪い」と百万回言っても、便利さと価格で負けている限り、人の行動は変わらないということだ。 海外側が見落としがちなのは、「供給が不十分だから仕方ない」というのは説明にはなっても、正当化にはならないということだ。 権利者の投資回収が完全に崩れれば、長期的には供給のもの痩せる。当たり前の話である魔法のように作品が生えてくると思っているなら、それは経済学ではなく信仰だ。

ではどうするのか。 答えはあまりロマンチックではない。

もっと安くする。 もっと速くする。 もっと見つけやすくする。 もっと地域ごとの現実に合わせる。 そして違法供給資金源を断つ。

要するに、説教より設計である断罪より供給である。 徳の話より、インセンティブの話である

たぶんこれしかない。 なぜなら、人間インターネットで急に聖人にはならないからだ。

6.最後

インターネット国境を消した、とよく言われる。 実際には、消したのは国境のものではなく、国境が見えなくなるまでの時間だけだった。

法制度の差は残った。 所得の差は残った。 言語の差は残った。 権利処理の遅さも残った。 その上に、誰でも一瞬でコピーできる技術けが乗った。

だったら海賊版が広がるのは、むしろ当然である不道徳から広がったのではない。 広がるように世界ができていたから広がったのだ。

そして海賊版論争がいつまでたっても噛み合わないのも、同じ理由である。 人々は、自分道徳感情の話をしているつもりでいる。 だが実際には、価格表が未完成世界で起きている摩擦を、善悪物語翻訳しているだけなのだ

こういうと冷たいと言われるかもしれない。 しかし冷たいのは現実のほうである現実はしばしば、魂の堕落より、流通設計の不備で説明できてしまう。

人は悲劇道徳劇にしたがる。 だが今回の話はたぶん違う。 これは堕落物語ではない。 文明の衝突ですら、半分しか正しくない。

もっと地味で、もっと厄介で、そしてたぶんもっと本質的な話だ。

これは、世界市場がまだ作品にふさわしい値札を貼れていない、というだけの話なのである

2026-04-14

anond:20260414181208

日本も早くフェアユースが導入されるべきってずっと言われてるよな

海外フェアユース概念についての日本人外国人意識の違い

海外フェアユース概念についての日本人外国人意識の違いがXで話題になっている。

きっかけはNieR Reincarnationというゲームファン勝手サーバーを立ち上げたこ

https://x.com/Altret_KnW/status/2043398895833665687

海外勢は購入出来ないコンテンツ自由に展開して良いという概念

あと、アメリカファンメイド初音ミクライブが行われたんだけど、使用された3Dモデル日本製ゲームから無許諾で抽出されたもの使用されていた。

こちらもフェアユース概念ではOKらしい。

https://x.com/binqtopp/status/2042670042081333257

個人的には完全にNGで「デジタル泥棒」という認識。なので海外フェアユース概念が相容れないのだが、うまく考えがまとまらない。

増田達の見解を聞いてみたい。

追記

海外AI使用にはすごく厳しいよね。ここらへんの著作権への意識乖離ダブルスタンダード具合がいまいち理解が追いついていない。

日本には同人文化もあるけれど、本家本元の素材を利用してのコンテンツ利用についてはまた別な話ではとも思う。

2026-03-01

結局は商用利用制限フェアユースの組み合わせが落とし所じゃねーのかな

野良に関しては海賊版と同じ枠組みを適用すりゃいいでしょ

これを機に二次創作電子販売も撲滅されると良い

2025-10-22

アンディ・ウォーホルは確かにキャンベル缶やマリリン・モンロー写真などを無断でモチーフにして作品を作っている

 

1960年代という時代背景では、今日ほどに著作権画像使用に対する意識や法的規制が明確・厳格では無かったから、やり過ごしていた面もある

ウォーホル自身活動が「ポップアート」の文脈にあったから、既製品マスメディア画像の「引用」が芸術運動手法として考えられている面も確かにある

 

ただ、著作権侵害をめぐる訴訟も起きていて、最近では2023年5月に米最高裁が、ウォーホルが別の写真撮影プリンス写真を無許諾で用いた作品は「フェアユースではない」と判断されている

後の裁判でアウトになるケースもあるということだ

これは現代日本でも一緒だろう

2025-10-12

anond:20251012230949

欧米といっても欧と米ではずいぶん異なるよ

フェアユース概念米国しかなく、EUでは否定的

ただしフェアユースと言えど商用利用の場合使用目的商業である場合、その使用本来著作権者の独占的な権利侵害する可能性が高まるため、フェアユースの主張は通りにくくなる。

anond:20251012230222

欧米ではフェアユース権利として認められている。

非営利ならなんでもOKにしたほうが、文化は発展するという思想

2025-10-08

anond:20251008221644

データ投げ売りしたのが最悪

勝手学習していいから、ライセンス料がっつり取るべきだった

GPUNVIDIA死ぬほど儲けたけど、コンテンツ提供本来なら日本も潤った可能性はあった

バカからアメリカフェアユースがあるから仕方ないと言って抗議どころか交渉すらしない

国と国の関係勝手治外法権適用して自滅してる植民地マインド

2025-10-02

Sora2の件でディズニーが云々言ってるやつってディズニーとかは学習に対して文句言うのではなく出力に対して文句いうスタンスから

日本クリエイター()は学習に対して文句うから意味がない

学習に関しては普通にフェアユース判決出てるケースもあるぐらい現状曖昧から狙うなら出力に対して法整備要求すべき

実際EUも出力に対して制約かけてきてるし

2025-09-17

生成AIが出力した画像商標が描かれるのは合法かどうかを考えていて、

アンディウォーホル作『キャンベルスープ缶』は、アメリカ法律で考えれば、アートだし、フェアユース範疇か?とか、

アニメ作品マクドナルド商標をワクドナルドにするのが正しいのか?とか、

写真に写り込んだ商標はセーフなのか?とか、

考えてたんだけど、

増田に来たら、エロがどうのとか、ノイズがどうとかで盛り上がっていて、

日本平和だなーと思った次第。

2025-09-15

リプライ漫画コマ貼っ付けることへの批判

著作権侵害

コミュニケーションを借り物の言葉でやってる的な、人間的な話

の2つが批判されてることが多い。

でもなあ、まず著作権侵害に関しては、ニコニコ動画MAD文化とかを享受した俺がそんなこと言ってええんか? となる。

あと、漫画村とかと違って、1コマだけだから収益に影響することなんて無さそうだし、(日本にはないけど)フェアユース的に良くね? って思う面もある。

で、多分真に嫌われてる理由は2番目で、「アレをやってる人間は、自分言葉を作らないで何か言った気になってる、薄っぺら人間だ」って話なんだろうけど、教養があると言われるシェイクスピアとかの引用と何が違うのかって考えると結構難しい気がする。

いやまあ、俺も、古典引用する人と、漫画コマ貼っ付ける人だったら、前者の方が圧倒的に好印象になっちゃうけど、何が違うかの説明は意外と難しい。

後者の方が論破目的が多いとかかね。

2025-09-11

和解たから”AI学習フェアユース”は判例にならなくなった」

BARTZ et al. v. ANTHROPIC PBC

でAnthropicが略式判決申し立て


通常のアメリカ民事裁判の流れ

1. 訴訟の開始 (Pleading)

2. 証拠開示 (Discovery)

3. 審理 (Trial)

陪審員の選定 (Jury Selection)

冒頭陳述 (Opening Statements)

証拠提示 (Presentation of Evidence)

最終弁論 (Closing Arguments)

陪審評議 (Jury Deliberation)

4. 判決 (Judgment)

5. 控訴 (Appeal)


略式判決

事実関係に争いがなく、法的な問題だけで判決を下すことができる

裁判官がこの申し立てを認めれば、陪審による審理(Trial)を経ることなく、書面上の証拠と法的議論に基づいて判決が下される。

これは、裁判を迅速化し、当事者負担を減らすことを目的としている。



略式判決

略式判決

と略式判決命令がでた。

略式判決部分的承認

承認された部分: 裁判官事実の争いがないと判断した、被告の主張が認められた部分。この部分については、最終的な判決が確定し、それ以上審理されることはない。

却下された部分: 裁判官事実の争いがあると判断した、原告被告の主張が対立している部分。この部分は、引き続き陪審による審理に進む。

この段階では

AI学習フェアユース合法」は最終的な判決が確定

違法ダウンロードフェアユースでない」はまだ確定していない

12月違法ダウンロードフェアユースかどうかの審理に進む予定だった。

和解

審理に進む前にBartz と Anthropicが和解した。

和解内容はこれから審理に進む予定だった 違法ダウンロードフェアユースか否かの部分。

和解内容にはAI学習に関する項目は無い。

(和解で略式判決部分的承認を取り消すことが出来るけれど今回それをしなかった)

結果

AI学習フェアユース合法」は最終的な判決が確定のまま。 地裁のため法的拘束力は無いが、他法域や同格裁判所で引用可能

違法ダウンロードフェアユースでない」は審理そのものが無くなったので、地裁すらない。説得的権威も無くなった。

アメリカ判例法主義

垂直的先例拘束力上級裁判所判例は、下級裁判所を法的に拘束する。

水平的先例拘束力裁判所は、過去自身が下した判例尊重し、基本的にそれに従うべきだという原則

今回の裁判はまだ連邦地方裁判所

地方裁判所より下級の裁判所が無いので法的拘束力は無い。説得的権威 として他の裁判から参照される。 日本の下級の裁判所の裁判例に近い感じ。ただし日本裁判例より重い説得力を持ち、事実上の指針となる

拘束力を持つ裁判結果となるためには上級裁判所で審議して判決を受けないといけない。

上訴するうえで。

自身にとって不利な内容に対してのみ上訴出来る。

今回

AI学習フェアユース合法」はAnthropicにとって有利な判決のためAnthropicは上訴できない。

AI学習フェアユース合法」はBartzにとって不利な判決のためBartzは上訴できる。

違法ダウンロードフェアユースでないに関してはAnthropicにとって不利な判決のため上訴できたが、今回和解したので上訴できない。

仮に Anthropicが違法ダウンロードフェアユースでないに関して上訴しても、AI学習フェアユース合法上級裁判所では扱わないので地裁判断のままで拘束力を持つ裁判結果にはならない

和解たかAI学習フェアユース合法判例にならなかった」に関して

和解AI学習フェアユース合法を破棄していないのでAI学習フェアユースであるとの裁判結果は有効のままのため「和解たかAI学習フェアユース合法判例にならなかった」は間違い。

和解無意味になったのは違法ダウンロードフェアユースでないに関してのみ。

そもそも連邦地方裁判所命令から法的拘束力を持たない。

和解の結果拘束力を持たないのではなく

拘束力を持たせるためにはクリエータ側だけが上訴できるのにしていないから。

和解たかAI学習フェアユース合法判例にならなかった」は誤り。

(上訴できる期限は最終判決または命令登録されてから30日以内。まだ、和解裁判所が承認していないから、Bartzが上訴する可能性だけならある。)

2025-09-02

anond:20250902033621

そうなんだ、じゃあ不勉強な俺にフェアユースってどういうもの説明して欲しいな 煽りじゃなくて学びたいんだ 頼むよ

anond:20250902032013

Midjourny側はフェアユースで応答書を出してきたニュースも当然知ってるでしょ? つまり俺が言うそ精神もやっぱりあるんだよ

どこからそんな勘違いが?ってソース元は俺の海外の友人が直に俺へ言ったこ

海外フェアユース精神があって、人の能力神様から与えられたものから人そのものでなしえたものではない、この世にある絵や曲や文章などいかに優れた芸術成果物も元は神様のもの

よって皆で分かち合うことに倫理的瑕疵はない

そういう考えは日本ではあまりないのでそりゃぶつかるよなと生成AI

2025-08-30

ある意識高い系が鰻の心配をやめてしょっちゅう蒲焼きを食うようになるまで

昔の増田は割と意識高い系だった。高い割に何もしないあたりが完全に高い系だった。

そんな中、一つだけ一時期ガチ実践してたのが「鰻をなるべく食わないようにする」こと。

もちろん意識高い系から理由は単純で、鰻は絶滅危惧種から。元々鰻は大好物だったから、「子々孫々まで美味しい鰻を残さねば」と高い系な割にこれだけは頑張ってたと思う。大学時代から就職してしばらくの間は本当に買ってなかった。

それが就職後に「一人のやれることとかたかが知れててバカバカしい」となるまでの思い出が以下の通り。

山のような冷凍

増田意識高い系ありがちな通りそこまで頭はよろしくなく、就職活動は普通に難航して一般職として内定式直前くらいの時期に何とか滑り込み地方倉庫に配属された。

その業務はあるスーパーチェーンへの冷蔵商品輸送。日々肉魚野菜その他を地域の店向けに送り出す。その庫内作業担当だった。

というわけで、当然「土用の丑の日」にかち合う。

土用の丑の日スーパー側の熱の入れようは凄かった。お陰で倉庫下請けしてたうちにも予約販売の紙がまわり、うちの糞上司は頼まれてもないのに支店管内の倉庫No.1の予約数を目指せとか言い出し、増田は更に下請けの各社にまで鰻買いませんかの案内とか集金支払等々をやらされた恨み辛みは取り敢えず置いておく。

当然、土用の丑の日に合わせて文字通り山程の鰻が入荷する。冷凍品なんだが、自重で下の方の箱は潰れてたし、「冷凍で出荷してるから中身は問題ない」との判断が下され無心で各スーパーにばら撒いていた。

間中はそんな毎日が続くと、高かった意識も箱のように潰れていく。しかも、このスーパーチェーン店は他県にもあるからこの山の数倍は鰻が流通してるわけだ。しかもうちの倉庫支店内で最小規模だからこの推定でさえ最低値であるしかも当然、競合スーパーというものはそこら辺に多くある。

そんな中で増田一人が鰻を食わないからってどうなるのか。いや、例え意識高い系が一万人集まって鰻にNO!を突きつけてもどうなるのか。この鰻たちは既に死んで蒲焼きになってるから、我々が食わなくとも生殖することもなく、ただ廃棄されるだけである。いや、たとえ全国民が食わなくなったとしても、冷凍保存されてるから時間的猶予がある。何か別種の製品に加工されて知らぬ間に流通するのが関の山だろう。スーパー商売熱は凄まじいし、国民全員が意識高くなってもそれをすり抜ける商品を出してくる。理屈抜きにその確信が出来てしまった。

そんなもの物見る前に気づけよだから意識高い系なんだよ、というお言葉には正直ぐうの音も出ないが、言い訳させてもらえばこう言うのは現実を突き付けられないと実感は持てないと思う。あの雑に積み上げられた鰻の山は本当にインパクトがあった。ついでに言えば、予約の職場窓口をさせられたのも良くない。買っちゃいけないと思っていたもの自爆営業で買わされ、二桁単位で舞い込むオーダーを集計すると感覚が狂う。

その後

増田は鰻について心配をやめた。厳密に言うと、流通してる分についての心配はしなくなったし、普通に鰻は買っている。

未だに鰻の漁獲規制とかそのへんの大きな政策には賛成してるが、小さな抵抗とかフェアユースがどうしたとかは消費者レベルでやってもどうしようもないと思う。どうせ大資本商品開発力に比べれば微々たる力だし、鰻が生き返るわけでもない。どうせ店頭に並んでる鰻は食われるか捨てられるかの二択なのだ。意地張ってたらそのうち鰻は絶滅し、増田絶滅以前から鰻を食えずに終わる。もっと根本的なところで政策が変わらない限り結果は一緒なのだ。なら食ってたほうが得である。食えなくなったら100年前から鰻乱獲に反対してた顔すりゃ良い。

そんな事鰻漁獲規制ニュースを見て思い返していた。鰻いっぱい食っといて良かったぁ! これで心置きなく鰻のない日々を過ごせる。いや、何か抜け道が発生しなければ、の話だが。

2025-08-24

個人的意見としては、この件私は、YOSHIKIさん側の国内外の何らかの権利侵害していると考えています」と表明。

相変わらず、ネットで上がってくる弁護士バカばっかり。

YouTubeとかを国際基準と仮にするならアメリカフェアユースって考えからもっと緩いよ

日本アニメリアクション動画とか上げてて

日本アニメ制作会社は権利にうるさすぎる!

とか言われてるのが国際基準だが?

DJリミックスとかも基本無許可よね

それで世界スターかになってるけど?って感じ

2025-08-14

RiJと日本ゲーム配信著作権問題

 RTA in Japan任天堂の許諾を取っていないので今回(RiJ2025Summer)は任天堂ソフト採用はなし、絶賛イベント中だ。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/rtain.jp/rtaij/nintendo/

 許諾取れなかったニュースブコメで「アメリカの同種イベントでは非営利使えるのに」「任天堂ってやつはよぉ」(増田による意訳)というコメントを見かけたので、昔に読んだ著作権法知識と突き合わせて Copilot に聞いてみた。

 フェアユースって日本でできたっけ?

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https://keiyaku-watch.jp/media/kisochishiki/fair-use/

📝 ページの要約:「フェアユースとは?米国における法理や日本における取り扱いなどを分かりやす解説!」

このページでは、著作権に関する「フェアユース(Fair Use)」の概念について、米国日本法制度の違いを中心に解説しています

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🇺🇸 米国におけるフェアユースの法理

1. 利用の目的性格営利非営利か、教育目的かなど)

2. 著作物性質事実創作か)

3. 利用された部分の量と重要

4. 利用が著作物市場価値に与える影響

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🇯🇵 日本における取り扱い

- 私的使用目的の複製

- 図書館等での複製・提供

- 引用一定の条件を満たす必要あり)

- 教育目的での掲載・複製・送信

- 時事問題に関する報道・論評

- 公開された政治的演説の利用

- 障害者支援のための複製

- 行政司法目的の内部資料としての利用 など

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💡 補足ポイント

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はえー。

イベントマリオ使わせてちょーだい」

 

アメリカ任「フェアユース範囲勝手にやって良いよ」

アメリカインディーズ「上に同じ」

 

日本任「書類作るから待ってね~ハンコ押してね〜」

日本企業「いちいち面倒くさいかガイドライン見て!!!

 

というのが現状なのか。

インディーズ作者は規模によってパンクしそう。

 

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ほんなら、RTA配信見たい側のやることは、日本任天堂ケチやわぁ…じゃなくて、日本フェアユースを作れ、のロビー活動なのかな。

 

くりした先生、やりませんか!?

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