■ スター軍団だった松木ヴェルディ名解説者の松木安太郎監督の下、リーグ連覇を達成した1993年と1994年のヴェルディ川崎は強力なチームだった。1994年の途中にエースのFW三浦知がイタリアのジェノアに移籍したが、FW武田、MFラモス瑠偉、MFビスマルク、MF北沢、MF柱谷、DFペレイラ、DF都並などなどスター選手が目白押しで、強さと華麗さを兼ね備えたチームだった。
黄金時代のジュビロ磐田も忘れがたいチームである。隊長のFW中山が引っ張ったチームはMFドゥンガがチームを離れた後はほとんど外国人助っ人の力を借りることなく幾多のタイトルを獲得した。特に際立ったのはMF名波、MF藤田、MF奥、MF西、MF服部、MF福西らで構成された中盤である。流れるようなパスワークで多くの観衆を魅了した。
当然、Jリーグ史上唯一のリーグ3連覇を果たしたオリベイラ監督時代の鹿島アントラーズも強力なチームだった。ただ、鹿島というクラブは停滞したシーズンがほとんどないため、どこがクラブとしての頂点なのか?については意見が分かれるところである。史上初となる3冠を成し遂げた2000年シーズンもオリベイラ時代に匹敵するチームだった。
■ 憎たらしいほどの強さを誇った浦和レッズ2006年にJリーグを初制覇して、その翌年はアジアも制覇した浦和レッズも強かった。「負けたことが大きな話題になる。」というチームは創生期のヴェルディ川崎と、このときの浦和レッズくらいである。非常にアンチも多かったが、FWワシントンやMFポンテやMF長谷部やDF闘莉王を中心に憎たらしいほどの強さを誇ったタレント軍団だった。
ピークの時期が長かったので、どこがクラブとして最強だったのか?の判断は難しいが、西野監督時代のガンバ大阪も強かった。中心となったのはMF遠藤であるが、毎年のようにストライカーが変わっても得点力は落ちなかった。失点も多かったが、それをはるかに上回る得点力があった。「浦和とG大阪の2強」と称えられた時期もあった。
近年では2連覇を果たしたサンフレッチェ広島である。いずれのシーズンも優勝候補ではなかったが、ペトロヴィッチ監督のときから築き上げたパスサッカーに森保監督がアレンジを加えて、前監督時代には不足していた安定感と勝負強さを身に付けた。この2年間はエースストライカーのFW佐藤寿が1トップの位置でゴールを量産した。
■ 強かった岡田監督率いるマリノス歴史を振り返ってみて、Jリーグが誕生してから「強かったなあ。」と思うチームをいくつか挙げてみたが、2003年と2004年にリーグ連覇を果たした横浜Fマリノスも非常に強かった。2003年には1stステージと2ndステージを制覇して完全優勝を果たしたが、特に岡田武史監督の就任1年目となる2003年シーズンの横浜FMは強かった。
GK榎本哲、DF柳想鐵、DF中澤、DF松田直、DFドゥトラ、MF那須、MF遠藤彰、MF佐藤由、MF奥、FWマルキーニョス、FW久保といったメンバーがこの年の主力だったが、FWマルキーニョスとFW久保の2トップは強力で、中盤はタイプの異なる4人がそれぞれの持ち場で個性を発揮して、最終ラインもJリーグでトップレベルの選手ばかりだった。
この年は本来であれば軸となるべき存在だったDF松田直のパフォーマンスがあまり良くなかったが、DF中澤が急激に存在感を高めた。2003年に自身2度目となるJリーグのベストイレブンに輝いて、翌年の2004年にはリーグMVPに選ばれた。ジーコジャパンに完全に定着したのも2003年シーズンである。DF中澤にとっては飛躍の年となった。
2003年シーズンは両ステージとも混戦になった。1stステージはオシム監督が就任したジェフ市原が予想外の快進撃を見せてリーグの主役となったが、最後の最後に逆転して横浜FMが久々のステージ優勝を果たした。2ndステージはさらに混戦となったが、横浜FMのFW久保、そして、浦和のFWエメルソンのゴールが横浜FMに完全優勝をもたらした。
■ 早すぎる・・・。名将がチームを率いていたこと、勝負強かったこと、守備が強力だったこと、圧倒的な高さがあったこと、様々な選手が点を獲れたが絶対的なエースであるFW久保も擁していたこと等を総合すると、(あまり賛同してくれる人はいないが、)この年の横浜FMというのはJリーグ史上もっとも強かったチームと言えるのではないか?と個人的には思う。
「年間王者が一同に集まってトーナメントを行って優勝チームを決める。」というルールになった時は対抗できるチームが他にいくつかあると思うが、「長丁場のリーグ戦を行って優勝チームを決める。」というルールになった時は2003年の横浜FMが優勝候補の筆頭に挙げられるのではないかと思う。(あまり賛同してくれる人はいないが・・・。)
このチームで攻撃に変化を加えていたのは、いうまでもなく、MF奥である。磐田時代から日本代表に名を連ねており、磐田の黄金時代を支えた名選手だったが、磐田の時は同じ中盤にMF名波とMF藤田がいたのでメインキャストではなかった。「贅沢な脇役の1人」といえたが、横浜FMに移籍してからは攻撃の中心としてタクトをふるった。
キレ味鋭いドリブルがウリだったが、運動量も多くて、キックの精度も非常に高かった。磐田のときは他にもキッカーがいたので、プレイスキックの名手というイメージはあまりなかったが、横浜FMには高さと強さを持った選手がたくさんいたこともあって、その右足が多くのゴールを演出した。「早すぎる・・・。」という言葉しか出ない。
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