はてなキーワード: 無縁社会とは
他人の子は「動くリスク爆弾」全くその通り
私たちのその場その場で「こうあるべし」と思った願望の積み重ねが、ポリコレ型無縁社会です。こんな冷たい社会は望んでないと思っても、一つ一つの事例はこうした冷徹な対応をするしかないのです。慣れますよ。@terrakei07 #note https://t.co/5tX58x28PC— NadegataPapa (@NadegataPapa) 2020年1月19日
今や他人の子供所か自分の子供すら動く地雷と化しているのだけどね(苦笑)
これも児童ポルノ禁止法や都条例から兆候があったけど、奴等が子供を盾にお気持ち規制のツールとして扱った結果、もはや子供に関わるだけで逮捕されかねない事態を招いたとも言えるんだけどね。
下手に子供に関われば、不審者扱いされるし、実際、迷子の子供を交番に届けたら、その届けた人がなぜか逮捕される様なふざけた事例まで起きれば、そりゃ誰も子供に関わりたくもなくなるよね。
しかしフェミや児童保護団体が子供を盾にしたお気持ちで何もかも規制をした結果、関わるだけでヤバい危険物と化したせいで、誰も子供に関わらなくなって、余計に子供が危険に晒される結果を招いたのだから、皮肉以外何者でもないよね。
そりゃ寛容性や人権や平等をお題目としてきたのに実際やっている事は人権屋が人権屋平等を盾にして、ポリコレ棒片手に規制ばかり推し進めると言う寛容生徒は真逆な不寛容な社会の構築ばかり行ってきたのだから、リベラルやフェミニストが社会から毛嫌いされるのは当たり前だよ。
前にアレな人がフェミやリベラルキリストカルトはアカ共の手先と言っていたけど、中国のひき逃げの例と現状の日本の結果を見れば、案外その説もあるかもなと思えてくるから怖いよね(笑)
実際、冷戦が終わった後、こいつらフェミやキリスト系が大暴れした結果、西側諸国がおかしくなったのは事実としてあるからな。
フェミ「不審者と間違えて父親を通報した女は悪くない。顔馴染みになってない方が悪い」
新海誠が押井守にクラスチェンジして、ワーナーブラザースが期待した攻殻機動隊の続編や似たような売れ線の物ではなく、誰も買わない売れない劇場にも足を運ばない、スカイクロラだとか天使の卵みたいなアングラでドロッドロのゴミばかり量産して、見切られたら弟子がre:サイボーグとかサイボーグ009対デビルマンみたいな、もっとすさまじいゴミを量産し始める。
新海監督はNTR属性と願望が強過ぎるので、幼馴染が東京に行っても大好きで、高校大学就職後も別の男と恋愛体験や性体験をタップリ済ませて、自分以外の男と何度も結ばれて別れて、都会の無縁社会とかパワハラセクハラレイプ被害にもあって、何なら男の幼馴染と幼馴染が結ばれていたり、離婚したり結婚前に家族計画に失敗して水子の霊がついたマジキズモノになった後で、「どれだけ汚れようとも、最後にワシの横におればよい」と言う、拳王様ぐらいの男前な恋愛観と価値観で、幼馴染の最期の男になろうとする話を作って、秒速とか約束の場所みたいに視聴者からドン引きされて最高に気持ち悪いNTRを劇場公開してしまい、以前の作品のようにキモすぎて見向きもされなくなる。
私の本年度の確定申告による還付金について
「差し押さえる」旨の通知が来ました。
私がそれを滞納していたのは、
2013年から収入が月収10万円以下に激減、生活に余裕がまったくなくなったからです。
そして、余裕がなくなった2013年以降、私の家はずっと非課税世帯です。
ここ数年の月収はずっと5~9万円くらいです。
そういう状態。
還付金は、もちろん当てにしていたとても大切な生活費です。
ギリギリの非課税世帯であることを知っているはずの新宿区長および新宿区税務課から
現在の無縁社会の貧困は、以前の日本社会の貧困とは、切迫の度合いがまるで違うのです。
そもそも男社会は部活で新人に全裸で自己紹介させたり、以前事件になった警察官が新人の陰毛を燃やしたりするレイプ文化は元々存在しているんだね。
こう言う犬社会レイプ社会が男社会の本質であってそもそも誰も不満には思ってない。むしろ勃起している。むしろそう言うAVは積極的に製作されてる。
川原でレイプされたらレイプし返して友情築くぐらいせんか!と言われることはあってもフェミ女のように意味不明な被害者意識満開で排除したりはしない。
他人を排除するような非道なことは善良な性である男性はしません。
ゆえにフェミ女がいくらホモレイプを叫んでも男がフェミニズムの味方をすることはあり得ない。
本当に男と言うのは人間の器が大きく優しくて他人を排除しない善良な人間ばかりだ。
それに引き換え女と言うのは「気持ち悪い」とか「吐き気がする」とか言って他人を平気で排除するような最低の人間だ。
弱者女性は強者男が守ってやらねばならないし実際そうしているが、弱者を切り捨てる存在=強者女性は徹底的に叩き潰さねばならない。ならないし、実際人類社会はそうしてきた。雌鳥鳴いて国滅ぶ。いつの時代もそうやって強者女性は滅んできた。呂昂、北条政子、これからもそれは変わらない。
現代の人々は悩みの多くを「個人で解決」しようとするから疲弊する。
「子育ての問題」は家族全体で負担すれば軽減できる。若い親が未熟でも、ベテランの両親がいる。
「住居の問題」は皆で一緒に住めばよく
「介護の問題」は一族全体の総数が多く子供の多い人口ピラミッドを家族で形成していれば問題ない。
「仕事のやりがい」は儲からなくても楽しく使命感のある仕事をし、収益化できるまで家族の世話になればよい。
物質的には豊かになった現代の日本社会は幸福を感じにくい仕組みになっている。
若くして子を産み、儲からない楽しい仕事をし、家族一緒に事業を経営して暮らし、子が育ち儲からない仕事が認められ、親が老いたら皆で面倒をみたらよい。
人工的な理念である核家族、都市部集住の無縁社会もまた失敗しているのだ。
最近何に価値があるかわからなくなってきてしまったのです。もしかしたら、何にも価値がないかもしれないですし、あらゆること、は価値があるかもしれないとも考えています。倫理的でないこと-例えば、人を殺す。しかも、特に理由なく。それすらも価値があり、また価値がないとも考えています。
また今、体調を崩していまして、仕事をしていません。働かない理由の一つにすることもしないことにも価値を見出せないことが一つかもしれません。
また、生きることについて、死ぬことについても考えています。まあ、これは在学時、また、それ以前からも考え続けたことでありますが。「社会的」(社会という単語もここでは自分は日本語以外の言語が使用できないので日本社会のことを指します)に意味があるとされていることは本当に意味があるのか、建前は意味があると装っていて、実はそこまで辛い思いをしてまで建前を貫き通すことが出来ない人が増えている。そのように、私(のみているパースペクティブ)としてはそう思います。それがニートであり、そこからさらに抑制された状態で、いわゆる「無敵の人」なのだと考えています。
彼らは社会のハイコンテキストな空気に適応出来ず、社会の無言の圧力に抑制された存在なのだと思います。社会の倫理に虐げられた人間に今更、社会の倫理で説得しようとするのは無駄なことでしょう。しかしながら、刑罰という面において従順なのが不思議なのです。それは、おそらく、日本の教育、〜しなければならない(must be)が蔓延している結果なのでしょう
最近、永井均や中島義道に興味を持っています。私がその気になれば、すこしくらいなら直接話ができるくらいの距離にいます。
彼らになぜ興味を持っているかと言うと、恐らく彼らも、哲学という手法を用いて意味や価値、生、死について問いづづけた人だからでしょう
今、自分自身がどうしたらいいかわからないのです。社会的には休養して仕事をするという回答をえられるでしょうが、今の仕事は、マニュアル化しコンサルタントによる効率化によって、(世界的も含み)社会がコモディティ化されている。それを経営者はわかっているので、マスメディア的にも経済社会的にも、現在の若者をゆとり世代といい、多くの問題を最近の若者的な問題にすり替えて押し付けている。俺たちの時代もそうだったと昭和世代はいうのだけれど、無縁社会化、監視社会化、昭和的なあなあさの消失、失われた10年、年金問題等々、当時の社会とは違い成長や豊かさという大きな物語が失われたのに関わらずのに同じもの、いやそれ以上のものを求められている。
また、就職活動においてもビジネス化が進み、自分の世代もそうだったが、もはや、通過儀礼(イニシエーション)ともいえるものを乗り越えなければならない。しかも、この通過儀礼は文化人類学的な単純なものではなく、ホンネとタテマエが入り混じり、時にはそれが入れ替わる。欲望、または純粋な希望。そう言ったものが入り混じりそれを通過するにも。とてつもない精神的苦悩のあるものである。
その通過儀礼を通過したとしても、ビジネスモデルとしての使い捨て、いわゆるブラック企業が跋扈している。厳しい競争を勝ち抜いても、その後に、さらに厳しい社会へと放り込まれるのだ。
今の会社はグローバルな競争に向かわざるをえず、主要企業の行っていたビジネスモデルが一年たらずで崩れてしまう。
企業倒産による、失業、リストラ、些細なミスによる解雇、これらは社会においては自己責任であり、手を差し伸べるものでは無くなってしまった。
生活保護を受けるのは非国民のような扱いを受ける。そもそも生活保護を受けるのも役人によるしぶとい駆け引きに勝たなければならない。
しぶとく、適応性があり、あらゆることに精通しており、強く、人に従い、文句を言わず、逆らわず、なんでもやってくれ、生活できればどんな安い賃金でも耐えられる人間をどの会社も欲している
障害を持つものも、内臓疾患であれば甘えと言われ、精神疾患も同じく。足がなくとも、同じ状況にある人間ががんばっているんだといい、目の前にいる人間の言葉を無視する。
たとえ儲けが出なくても、働かざるは食うべからずという圧力で仕事が作られる。
駅でお菓子を売っている障碍者たちは働かざるは食うべからずの精神で駆りだされ売っている。全く売れなくても「そうしなければならない」のだ。
彼らの中にはそういった欺瞞性に気付くものもいるが、どうすることもできない。運営してる福祉ですら、その欺瞞性を飲み込んでいかなければならない。
初めは人を救うという意志があったものの、欺瞞性や政治の結果、福祉の人として道を外れてしまい、いわゆる「腐った福祉」になってしまう
しぶとく、適応性があり、あらゆることに精通しており、強く、人に従い、文句を言わず、逆らわず、なんでもやってくれ、生活できればどんな安い賃金でも耐えられる人間をどの会社も欲している
朝。そこには雀の気持ちいい鳴き声すら気づかない。
昨日の疲れが取れなかった苦しみだけが残る。
痴漢冤罪にならないことを恐れなければならない。
全部自分が悪い訳だけど今そんな状況にいる。一生懸命に生きてきたつもりだったけど、何も残らなかった。自殺なんてしないけど、でもこの先どんなに頑張っても食べることで精一杯な暮らしだけしかもう残っていないと思う。交友関係も全部途切れた。人はみんな離れていった。
無能で何もできない自分には価値なんてこれっぽっちもないのはもう十分に分かった。この先どうやっていこうかなんて考える余地もない。細々と仕事をして、自分には大して見返りのない税金を納めて、残ったお金でひっそりと小さく暮らしていくだけだ。「無縁社会」だったっけ。正にそれに当てはまる。自分も同じようにいつかひっそりと死ぬのだろうと思う。
一度落ちるともうやり直せない。やろうと思えばやれないわけじゃない。でも、道を外れた人間を喜んで受け入れてくれる場所はない。「正しい道」をずっと歩んできた人たちに馬鹿にされ、居場所がない中で放り出される。何度もそれを経験した。
今自分にできることは、この道をかき分けて一つの道を作ること。できなきゃ本当にただひっそりと死ぬだけだ。やり直しがきかないと言われるこの社会で、やり直すための道を作ること。同じように失敗した人が今後絶望して死んでいくだけの社会に誰も気付かないような風穴を空けること。ひっそりと、それだけを目指して生きていこうと思う。
オッサンにとっては昔の暮らしがゼロで(いやむしろマイナスか?)、今の「俺らオッサン世代のおかげで作ってきたんやで」な恵まれた暮らしが当たり前でない「オッサンさまさま」でプラスに見ているのだろう。
若者にとっては今の暮らしが当たり前のゼロであって、オッサンの語る昔の暮らしはマイナスに見えるんだろうけど、そんな暮らししたこと無いから知らんがな。ってなる。
次の世代の、今よりもより良い当たり前のインフラを作るのが今の世代の大仕事だと思うんだけど、そこにハクをつけてドヤ顔で感謝しろとか言われても困るわけで。むしろお前らのオッサン世代は俺らの世代に対してそんな恩着せがましくするために頑張ってきたの?くだらねー!って見方になる。そりゃあ、家庭の幸せよりもモノ・カネ・ステータスを得る幸せといった、平穏系よりも刺激系の価値観、いわゆる「肉食系」で邁進してきた世代だからそうなるんだろうなあ。その結果が熟年離婚に無縁社会に孤独死ですよ。役満ですよ。
今の若者世代がなすべきことは、いまの日本のマジョリティであるオッサン世代が残した、色んな意味での「放射性廃棄物」をなるべく無害化して次の世代に渡すことだろう。尻拭い。先を見ても絶望しかないこの国だけど、あるとしたら、そういうことにしか未来の希望が見えないもん。
まあ、そのウンコ廃棄物のニオイがきつすぎて、果たして耐えられるのかこの国は?って感じがするけど。アニメやマンガもなくなりそうだし。
http://anond.hatelabo.jp/20130501124727
そうだね~
困ったら助けてくれる。
いろいろと便宜も図ってくれる。お互い様だけどね。
でも、多分無縁社会の方が気楽だと思うよ。
このエントリの趣旨は「稼いでいる奴は儲けようとして実行に移している」ということだよね。
それはその通りだ。
「短絡的」
このエントリの趣旨は、「事業はカネだけではない」だよね。だから、論点が違っているだけであって、親エントリの批判にはなっていない。
ちなみに、結論としては正しい。しかしこのエントリの2行じゃあ、世間で言われている有り体のことばのコピペみたいで、なんか負け犬の遠吠えみたいな印象すらあるね。
また、たとえがよくない。震災とか言われても、それは説得力がない。災害対策のためにミクシィつくったのではない。たまたまの結果論でしかないよね。
けどともかく、世の中、カネだけがすべてではない。カネだけですべてが計れたら、公益法人もNPO法人も要らない。国家さえ要らない。自由主義の原点のレベルの話で、夜警国家っていうやつだ。
現実には、そういうものではない。多くの人間にとっては、カネよりも、生きること自体の方が大切なんでしょ。さらに人間の立場から言うと根本的には、カネなんかより人類が滅亡しないことの方が大切だよ。
だから正直に言って、そこまでしてカネ儲けすることなんか、目先のニンジン追いかける未満だと思っている。カネは食えないから、ニンジン未満だよ。
いまはカネのしくみが失敗しているから生きづらくて、不景気だだのなんだのといって、苦しい苦しいとあえいでいるんじゃないか。
いま、なにがなんでも稼いでやろうと思ったら、生活が苦しい奴からも、病んでいる奴からも、むしりとればいいんだよ。
私だって、悪魔に魂売ったみたいにしてなにがなんでもカネを稼ごうと思ったら、いくらでも稼げるよ(笑)。それこそマジで、「ブラック企業なめんな」ってそういうことだよ(笑)。
けどさ、私は、それはしたくないわけさ。
ちなみに、「ルールにさえ反していなければ」という理屈だったら、「焼肉酒家えびす」みたいになるんだよね。
あるいは、かつてのライブドアもそんな感じだったのさ。金儲けはゲームだったわけさ。書いていないルールがあったら困るよね。
ちなみに、かつてのライブドアはさ、「ホリエモン」はどっちかというと、夢想家であって、生粋のエンジニアの類なんだよ。だから、金儲けよりかは、なにやったら面白いかっていうことを考えている。それに対して、とりまきのほうが、その面白い夢がビジネスとして機能する、金儲けとして機能する理屈を装飾してやるわけ。
本来のビジネスっていうやつは、人間の生活のためにあるんだからさ、金儲けの理屈が後付けで来るはずなんだよ。たいがいは、誰かの生活に役立ったら、その誰かから対価を受け取っていい。そういうしくみだよね。
現実にはそのしくみが失敗しているからさ、対価が受け取れなかったりして潰れる企業があったりさ、たいしたこともしてないのにたかってむしり取るブラック企業があるわけさ。たとえば、サラ金とかだってそうだよね。最近は銀行までサラ金やっているけどさ(笑)。無縁社会だからサラ金から借りる奴は増えているのだろうけど、借りてもそれを元手に儲かんなきゃあ、利子は返せるのかい?
先日、クリプトン・フューチャー・メディアのひとがTwitterで電通に対して嘆いていたけれど、クリプトンって結局は、なにがなんでも稼ごうとは思っていなくて、音楽づくりの支援をすること自体が本望なんだろうね。自分とこで出した道具で、音楽がつくられて、それで感動したら、それが本望なんだろうね。初音ミクをダシにして稼ぎまくってやろうとは、あんまし思っていないんだろうね。
「初音ミク開発者がTwitterで電通に激怒 - NAVER まとめ」
けれど、「カネを稼ごうと思うのが当たり前」「ビッグになりたいと思うのが当たり前」って思っている人間からすれば、そういう想いをもっている人間のことはわからないわな。
結局いきつくべきジンテーゼはやっぱり、世の中カネではない、って結論にはなると思う。その結論に行き着いていないから、みんなカネのしくみにとらわれてばかりで、いまの日本人は生きづらくなっているんだよね。
ところで、だいたい、固定観念にとらわれずに、生活に役に立つことを見つけ出してビジネスにすりゃあいいんだよ。
「vs元ライブドア取締役・熊谷史人氏(4) もし、フジテレビの買収が成功していたら|藤沢数希の金融対談日記|ダイヤモンド・オンライン」
↑この記事みて思ったんだけど、やっぱり、固定観念にとらわれていて発想が柔軟でなかったら、儲けられない奴になるか、しくみを利用して儲ける奴どまりなんだと思う。
すんげー発想をする俗に言う「天才」みたいな人間がいて、そこに、その発想を収益化するための裏付けをする人間がいて、はじめて画期的かつまともなビジネスとして回るのだと思う。
ちなみにふと思ったが、M&Aのデューデリも、買収者の買収するという結論が先にありきで、コンサルが後付けでペーパーを書いていることも多い。それと似ているかもしれないな、となんとなく思った。