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はてなキーワード: クドカンとは

2024-12-14

大河ドラマ戦国戦国戦国戦国幕末幕末幕末室町!」

いい加減に明治末期とか大正時代を硬派にやってくれや。

でも戦闘シーンはどうせギャグみたいなCGギャグみたいなセットでしょぼくなるから無理して戦争という大きな物語を絡めなくてええで。

例えば山手本牧あたりの英語学校舞台にした外人教師と教え子たちの人生物語とかでも別にええやん。

あと登場人物が大声のセリフで何でもかんでも説明しまくりのクソアニメみたいな大河なっちゃうから朝ドラ脚本家クドカン三谷幸喜はナシで頼むわ。

2024-12-03

不適切にも程がある叩きにも程がある

なんでドラマ自体は何もしてないのに「知らない」、「おかしい」ってもらい事故じゃねぇか

面白く見てた人も全然フォローしないし

クドカンも久々の当たりだったのに・・・

見てる人は評価高かったのに視聴率は最悪だった「いだてん」思い出しちゃったよ。あんときオールナイトニッポンめっちゃ凹んでたぞ

2024-11-01

平成史上最も重要テレビドラマ10

本当のオールタイムは選べなかったため平成に絞って俺もやる。テレビドラマは消えものアーカイブされにくいジャンルで、時代をここ35年に絞ってみても網羅できないという問題はある。そのため、俺の観ていない重要作の話をどんどんしてほしい。1脚本家1作品に絞った。俺はテレビドラマ脚本家のものだと思っている。

 

 

1.坂元裕二東京ラブストーリー平成3年(1991年) フジテレビ

トレンディドラマ代表作の1つにして、トレンディドラマの終末期の傑作。フジ月9」枠の代表作でもある。「東京では誰もがラブストーリー主人公になる」をキャッチコピーに掲げ、等身大若者たちの姿を描き出した。2010年以降の坂元裕二の影響なども考えランクイン。

 

 

2.野島伸司101回目のプロポーズ平成3年(1991年) フジテレビ

こちらもトレンディドラマの終末期の傑作であり、お世辞にも男前とは言えない武田鉄矢叫びは、"トレンディ"の終わりを印象付けた。TBS高校教師』でも、好きな野島作品に入れ替えてもらって構わない。90年代には確かに野島伸司時代があった。

 

 

3.三谷幸喜古畑任三郎平成6年(1994年) フジテレビ

田村正和亡き今も、再放送され、パロディされ、やたら話題になる三谷幸喜コメディホームドラマ恋愛ドラマなど、会話による人間関係機微などを守備範囲にしていたテレビドラマが、ストーリーダイナミズムによる面白さにシフトしていったのは、アメリカコメディから影響を受けた三谷幸喜の功績がある。個人的には『王様のレストラン』のほうが好み。

 

 

4.深沢正樹ほか『金田一少年の事件簿平成7年(1995年) 日本テレビ

他のタイトルに合わせて脚本家クレジットしたが、今作を選出したのは何といっても堤幸彦出世作ということにすぎる。『ケイゾク』『池袋ウエストゲートパーク』につながる斬新な演出は一時代を築いた。「土曜グランド劇場」に旧ジャニーズの若手が主演していくのもこの頃からで、後の『透明人間』『ごくせん』『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』などにつながっていく。

 

 

5.君塚良一踊る大捜査線平成9年(1997年) フジテレビ

テレビドラマ」というフォーマット映画館拡張した功罪ある作品テレビドラマメディアミックスの先駆けといえ、映画館はこれ以降テレビ局製作作品であふれることとなった。『踊る大捜査線 THE MOVIE』は未だに実写の日本映画歴代興行収入1位に燦然と輝いている。今秋新作が公開された。

 

 

6.岡田惠和ちゅらさん平成13年(2001年) NHK

21世紀最初朝ドラシリーズ化され、現在再放送されている。『ちゅらさん』が描いた疑似家族によるホームドラマはその後も『すいか』『11人もいる!』『逃げ恥』『カルテット』と平成ドラマの1つのパターンとなった。岡田惠和の功績は膨大な作品数の作品を書いていることで、彼がいなければこの時代テレビドラマシーンは空洞化していたかもしれない。

 

 

7.宮藤官九郎木更津キャッツアイ平成14年(2002年) TBS

クドカン物語自体面白さに注目されがちだが、彼の功績は、若者たちがダラダラ話すという「日常ドラマ」を描いて見せたことにある。彼の脚本は、小ネタギャグストーリーに連結してゆく。木更津という周縁の田舎共同体風景ドラマになるということは革命出来事だった。大きな物語を失った後のゼロ年代的転換。

 

 

8.遊川和彦女王の教室平成17年(2005年) 日本テレビ

遊川が成し得た功績は『女王の教室』の真夜(天海祐希)のような強い、誇張されたキャラクターによるドラマを成立させたこと。それは後の『家政婦のミタ』の大ヒットにもつながった。彼の過剰な演出賛否が分かれるが、常に時代と向きあい続けるための一つの方法論なのかもしれない。

 

 

9.山本むつみゲゲゲの女房平成22年(2010年) NHK

2000年代後半に停滞していた朝ドラ復権は間違いなくこのドラマからで、この作品がなければ『あまちゃんブームもその後の『ごちそうさん』や『あさが来た』『ひよっこ』などの良作、令和の『カムカムブリバディ』のヒットも存在していなかったと過言しておきたい。そういう意味ハッシュタグなどでのTwitterなどの賑わいにも一役買っている。朝ドラ復権は同時にその後のNHKドラマ復権意味していた。

 

 

10.八津弘幸半沢直樹平成25年(2013年) TBS

TBSドラマ復権ということでいうと後述の『JIN-仁-』を挙げてもよいのだが、その後池井戸潤ドラマの隆盛という意味でも半沢直樹を。いうまでもなく『VIVANT』へと繋がる日曜劇場系譜である。主演の堺雅人は『リーガル・ハイ』や『真田丸』という傑作でも存在感を示した。

 

 

 

次点

 

木皿泉すいか平成15年(2003年) 日本テレビ

本当は問答無用に最重要作として今作を挙げたかったのだけど、視聴率知名度を考えて日和ってしまった。今作は『ちゅらさん』で描かれた疑似家族によるドラマ、『木更津キャッツアイ』で書かれた日常のやり取りのドラマを深化させた。そこに大島弓子ファンタジーブレンドさせ、ドラマ物語対象を変えてしまった傑作。

 

坂元裕二それでも、生きてゆく平成23年(2011年) 日本テレビ

90年代10年代の坂元裕二を別人とするなら10選にねじ込んでしまいたい。10年代の坂元裕二作品は、テレビドラマが扱えるダイアローグレベルを一段上へと引き上げた。10話における瑛太風間俊介の会話は他に代わるもののない名シーンだと思う。現在ドラマシーンは、坂元裕二フォロワーで溢れている。

 

鎌田敏夫29歳のクリスマス平成6年(1994年) 日本テレビ

これだけトレンディドラマの話をしているのに、鎌田敏夫の名を漏らしてしまい、それは平成以前になってしまうので、それ以降から一作挙げるなら『29歳のクリスマス』を強く推したい。元祖『9ボーダー』。取り巻く環境は変わっても、年齢を巡る憂いは不変のものなんだと。

 

野沢尚眠れる森平成10年(1998年) フジテレビ

坂元裕二と並び、この時代天才をもう1人挙げるなら、野沢尚を挙げてしまおう。野沢の深いキャラクター造形はその後の作品に影響を与えた。彼が存在し続けたら、この選も変わっていただろう。またキムタクドラマも1本を挙げていないというのも偏っている。それだけこの時代の彼の存在は異常だったのだ。挙げるならこの作品を挙げたい。

 

北川悦吏子ロングバケーション平成8年(1996年) フジテレビ

あるいは今作か。トレンディドラマ2000年代の間には間違いなく北川悦吏子時代があった。北川悦吏子は近作が色々言われることもあるが、それは(例えばミスチルがそうであるように)強烈に時代と寝た人物にだけ得られる特権だ。そのため、俺は何があっても今後北川悦吏子擁護し続けていきたいと思う。

 

三木聡・ケラリーサンドロヴィッチら『時効警察平成16年(2006年) テレビ朝日

この10からは確実に存在していた深夜ドラマ文脈がごっそりと抜け落ちている。『孤独のグルメ』や『おっさんずラブ』に繋がっていくような深夜ドラマ系譜。『時効警察』はシティーボーイズ放送作家三木聡最高傑作である。近年では主演だったオダギリジョーが謎の力でそのパロディNHKドラマ映画化までさせているが、盛大にスベっている。

 

渡辺あやカーネーション平成23年(2011年) NHK

一部では「朝ドラ史上最高傑作」の呼び声もある今作。戦争もの・女の一代記としての朝ドラ岸和田の街に生まれ、生きて、老いて、死んでいく強いヒロイン渡辺あやは強烈な作家性を朝ドラにおいて発揮させ、それはこれ以降の朝ドラの指針が転換される契機にもなったのかもしれない。(だからこそ『純と愛』などが生まれしまったとも言える)

 

森下佳子JIN-仁-平成21年(2009年) TBS

坂元裕二岡田惠和宮藤官九郎遊川和彦木皿泉渡辺あやらの作品を挙げておいて、森下佳子名前を出さないわけにはいかない。構成力という点で彼女の右に出る者はいないのではないだろうか。森下佳子の手にかかれば、物語における伏線人生因果に映り、プロット運命へと変貌する。TBSドラマ復権きっかけとしても、今作を挙げておきたい。

 

野木亜紀子逃げるは恥だが役に立つ平成28年(2016年) TBS

野木亜紀子10から漏らしてしまったのは痛恨の極みであるが、令和の選が今後もし出来るなら1番に入る人であるのでご容赦いただきたい。社会的テーマをポップにテレビドラマ次元で取り扱い、ヒットさせてしまったのは見事。野木亜紀子はもともと原作もの実写化の手腕に定評があったが、『アンナチュラル』『MIU』とオリジナル作品もヒットさせている。

2024-08-22

anond:20240822194935

あ、あの…それは、ちょっと…。「クドカンドラマ」ってそんなに面白いですか…?わ、私なんて、特にドラマを見るのが怖くて…。犯人が雑だとか、そ、そんなこと考えたこともなくて…。読む本も、難しいし、全然からないし…。

その、なんていうか、森博嗣の本も…。読んだことないから、どうしてそんなに気になるのか、よくわからないです…。もしかして、その…私が読もうとしても、きっと理解できなくて余計に落ち込んじゃうと思うんです…。ご、ごめんなさい、なんか全然うまく話せなくて…。

クドカンドラマ毎回楽しく見てるけど今回はあまり犯人像の雑さに苦い顔になってしまった

焦点の当たる人物ではないし今回の話のテーマから外れてるし、どんな事情があろうとなにを考えていようとこんなことをするやつは社会ではこの程度の扱いだよ(だからやるな)、ということなんだろうけど

森博嗣馬鹿と嘘の弓を読んだあとではあの描写はさすがに考えこんでしま

2024-07-05

クドカンの新ドラマはてブでもよく見るなぜか経営者医者の側に立って弱者を見下したりしたり顔で決めつけるあの謎感覚やら自己責任論やら命の選別はしてもいいしすでにされているしだからするべきなのだというような考え方やり方へのどストレートアンチテーゼって感じでよかった

しかしそこからまれたいま現在の混乱や混沌やその渦中にいる人々、すなわちそこでがんじからめになっている人、追い詰められた人、助けたくない姿をしている人、異邦の人、愚かな人、泥にまみれた人、どうしようもできない人……たちを切り離して見下すんじゃなくて自分も同じくそこに含まれている違わない世界のこととして受け止めたり愛したりしたいのだなという感じでそれは季節の無い街でも不適切でもそうで、やっぱりこういう形で怒りや愛を持ってる作家作品が好きだなと思えた

上澄みだけが飲みたいとすくいとるだけのドラマより

2024-06-17

見たら死ぬ縛りなのかもしれない

クドカンドラマドランクドラゴン塚地が「男か女か分からない」絶妙容姿と表情の看護師を演じることが話題になった

「こういうおばちゃん看護師いる!注射つの上手いから当たりの看護師」 「病院に一人はいる頼もしい上司、こういう看護師を味方につけられるかが勝負なんだよね」と、病院あるある看護師あるあるを楽しく語る人もいる中で

LGBTを笑い者にするのはやめろ、クドカンはやはりアップデートできていない」と猛抗議している人も一部で存在している

まずこのドラマ放送前で塚地が演じる登場人物のパーソナルな部分はまだ判明していないしどう描かれるか分かっていない

周りの登場人物彼女(彼?)をバカにしているなどという情報ももちろん存在していない

SNSで草を生やしたり笑顔絵文字で反応した人も塚地を見下したりいるわけではなく、「こういう人いる!凄い!」と、共感賞賛コメントをしているだけだ


これについては「まだ放送前なのになぜ“笑い者にされている”と決めつけるのですか?」というツッコミが多数寄せられていた

ドラマファン芸人ファンにとって塚地は「コント師であり、俳優としても実力があって、親しみのある笑顔が素敵な塚っちゃん」だが、

差別だ」と言う奴は塚地に対して「不細工なおじさんで気持ちが悪い」 「芸人なんてみんな河原乞食だ、敬意なんて一切払う必要がない、笑うとしてもポジティブ意味ではなく侮蔑を込めた嘲笑をぶつける相手だ」という差別偏見を持っているか嫌悪感が先立って叩いてしまったのだと思う

自分が笑い者にしているから「笑い者にされているに違いない」と思い込んだ

日頃被差別階級のように扱っている存在特権階級であるLGBT様を演じることが耐えられなかったのだろう


本当に、「見てもいないのにジャッジする」があの手の界隈で常態化しすぎているなと思う

やられたのがクドカン作品から今回は特別ファンネル飛ばして庇う声が大きかったがほとんどの場合雑に火つけされてそのままほったらかしだ


先週は別件でこんなこともあった

オリラジ中田キングコング西野が出演したこともある某番組で、後輩の芸人が「自分はあの人たちとは別の道を行きたい」という意図発言をして、

両名のことを「思想芸人」と称していた

ここでいう思想西野の「ディズニーを超えたい」発言だとか彼らがお笑いを離れ自己啓発セミナー的な活動に注力していることを指していて、

あの人たちのようにマルチ活動の幅を広げるのではなく自分お笑い一本で行きたい派なんですよね、という軽い雑談ひとつに過ぎないのだが

それについて文脈をあまりよく分かっていない人が「思想系」の「思想」を「フェミニズムガザ紛争LGBT差別支持政党などについて何かしらの意見を持つこと」という意味だと勘違いして

「ある番組である出演者思想することを揶揄していた!」と番組名等の詳細を伏せつつ喧伝して火つけしたのだ

取り巻きの人たちは「反知性を推奨するプロバガンダ!」 「国民政治に関心を持つことを阻止しようとしている!」などと大激怒していたが

「なんの番組?実際にはどのような文脈で語られた発言だったのだろう?見逃し配信で見られるなら確認しよう」と知ろうとするどころか

具体的な番組名やプロデューサー名、発言者の名前にすら関心がなく誰もそれを確認しないまま大激怒し続けていたのだ

「これだからテレビは」と唱え、世界が狂っていることを再確認して安心したいだけでそれ以外のことはどうでもいいし何でもいいんだなと思った

ネット配信限定のABEMAの番組スクショを見て「このようなものテレビで垂れ流しているのか!」って怒ってる人もしょっちゅう見かけるし

ソース確認したら負けなのだろうか?そこに思想はあるんか?ソースを出さない奴やソースをよく読まない奴をバカにしていた昔の2chの方がまだまともなのではないだろうか

もしVIPに勢いがあれば「架空炎上案件作ってツイフェミ釣ろうぜ!」などという企画が持ち上がっていたのかもしれない

訂正ツイートを見ようとしないから釣られたことにも気がつかないんじゃないだろうか

2024-06-12

原作レイプダメなんじゃないのは池袋ウエストゲートパーク証明してる

ドラマIWGPを大絶賛してる連中が、

原作に愛のないドラマ化はダメだよね~とかしたり顔で言ってるのホンマむかつく。

原作読んでたら「別物として楽しい部分はあるけどドラマ化としては30点」くらいの評価になる。

マコトも別人、タカシ(キング)も別人、オリキャラ盛沢山。

シヴィルウォー(カラーギャング同士の抗争)の展開も顛末原作の見る影もない。

俺はサンシャイン通り内戦(シヴィルウォー)がめっちゃ好きなエピソードだったので

あの意味分からん浪花節でなし崩し的に内戦が終了するエンドは全く評価してない。ゴミオブゴミ

 

ちなみにタカシをあのキャラにしたのは窪塚洋介

当初、クドカン原作キャラのままのタカシをそのまま脚本に落とし込んでいたが、

原作タカシそのままを今の俺では演れない、だからこういうキャラにしてくれないかと窪塚が堤監督に直訴した。

堤は「いや原作はそうじゃないから」と固辞したが結局押し切られてああなった。

まりドラマ脚本っていうのはそういういろいろがあって現場で変質していくものだということ。

ちなみに窪塚は原作を一切読んでない。なんなら今でも読んでない。

原作愛がまったく一切ないキャラ変更だったということ。

でも、窪塚が演じたタカシ――キングを叩く人はいないよねぇ。原作厨の俺は叩いてるけど。

 

結局、愛があるとかないとかそんなことは関係ないんだよね。

だってそんなもんインタビューでも出てこない限り見てる側には全くわからんことだし、

インタビューだって本心かどうかなんか誰にもわかんねーんだからさ。

結局、それが面白かったのかどうか、んで原作者が死んだかどうか。それだけが問題なんだよね。

 

IWGPアニメ版原作小説にかなり忠実に作られてたけど「ドラマと違うドラマと違う」と叩かれまくった。

その程度のもんだよ、"原作愛"なんてのはさ。

2024-06-08

anond:20230204124621

必要としてる人や作者自身の願望や信念に応じたり基づいたりしてそういう物語や描き方もちろんあっていいけどあんなに素敵だと思っていたドラマ大豆田とわ子を久しぶりに見たときのあれ……って感情に近い増田

都合よく思える部分とか構造結構近いと感じる

とわ子や夫たちの造形とか性格容姿関係性とか社会的立場とか諸々

社会不適合的な親友(違国日記の姪や他登場人物との関係性に近しい)の存在関係

音楽は今でも最高と思うけど

今見ると主人公たちを追い詰める側が大分舞台装置というか、主人公たち以外には誰も人生人格がないようにわざと扱いたいのかなという醜い描き方というか……

結局まるごと共感できる、自分は屈託なくこっち側なんだと素直に感じられて、自分もしかして醜いがために舞台に登場させられない側の人間かも、もしくは舞台装置のごとく描かれる側のように自分も誰かを傷つけているかも…とは間違っても思わずに受け止められる人のための物語なんだと思えば気が楽かもよ

次作?で警察ミステリものときに生きづらさの中心地にいるが同時に他者を傷つけてもいる人物を書いててそれはよかったけど、結局美しい世界事情の上での話だなとは思ったの増田読んで思い出した

昨日最終話だったクドカンの季節のない街で描かれてる世界の方が優しいと思うし自分の認められないきれいでないもの排除したい感覚やそうするとき同時に巻き込んでスポイルしているだろう人やものがあることすでにそれをしてることに自覚的でないといけないと思った

クドカンはそういうものを描いたんだと思ったけど本当に全話見てその感想?みたいなやつもいっぱい見たわ

排除されるべきと思われているものを愛して抱えているがかつ一方では街で他者排除を実行する自身も十分に異物(自身挫折経験からしまさんにとって立ち退きは排除というより心底自立の促しなのかもしれない)でありながら社会的成功しているしまさんの存在がその二分された価値観対立というか、現在ポリコレとそうでないとされるものの間での人間の揺れ動きを表現しているようでよかった

最後にワイフに助け出されるのも

リリコ最高だった

全話も最終話も見事だったな

全話を通じて、特にがんもどき後編の勝手ハモんないでよから明確にオカベが一番嫌いな人物になったのでかっちゃんそんなただ「かわいそうな女の子に恋して助けてる自分のこと」が大好きなだけの男でええんか?と思っていたか最終話本当にあれでよかったと思った

よくも悪くも自身が選んだことでない状況や環境に人は左右されるもので、かっちゃん場合は本当はあったけどないように扱われていたし自分でも諦めていた意思や才(あの美しいハモり!)があの街から去ることで表に出てきたのだからよかったし、オカベが跡地でしょんぼりしているのもむべなるかなという感じ

それ以前にも叔母がかつこに言ってもしょうがいか……って言うとこも好き

の子は暗愚だから…という考えがあったのだとしても、起こってしまたこと、しかも箕打が起こしたことでそちらを守らず被害を受けた側を悪く思ったり責めることを飲み込む描写、すごいと思う

街の女同士の連帯不器用に描かれており、起こった事象の表面のえぐみや醜さだけ見てあの編集者がはっきと言ったように

「こんな人たちいるわけないしw」と捨て去ることは、その内側にいる本当は連帯すべき弱い人に起こったことや事情感情生命すら無感情に、あるいは憎みながら捨て去ることなのだとあのラストではっきり思わされた

こういう描き方もあるんだよね

この辺を見たはずなのに「クドカンポリコレを憎んでいる」って結論になってた人、口当たりのよい気持ちのいいドラマに感化されるあまり対立構造に巻き込まれすぎていると思ったな

そんなこと増田みて考えた

2024-05-04

anond:20240504180148

不適切にもほどがある!」も結構楽しめた。「俺の家の話」の方が出来はいいと思うが、やっぱクドカン面白いわと思った。それでもクドカン最高傑作は「いだてん〜東京オリムピック噺〜」だと思うけどね。「季節のない街」も観ているよ。

あと普通に「光る君へ」も楽しんでいる。

今期のドラマでは、「アンメット ある脳外科医の日記」が一番楽しみ。

2024-03-29

高嶋政伸NHKドラマで娘に手をかける父親役を演じるにあたって現場相手の子役を見て自分に娘がいたら演じられないと思ったというインティマシーコーディネーターの重要性の話と、

インティマシーコーディネートのシーンを茶化すクドカンドラマ不適切にはほどがある』のメッセージが「女性に対してどこからダメかは、みんな相手自分の娘だと思って考えればいいんじゃない自分の娘が嫌がることをしなければいいんだ」っていうものだったのと、

今月連続して報じられた、娘への過去性的虐待逮捕されてる父親たちのニュースという

この三題噺で何か書けそうな感じがあるが何もまとまらない

2024-03-14

anond:20240314054715

それ『推しの子』の141話でやったばかりの展開やで

男児の性虐待の話を前に、女性キャラ私たちは性虐待を受けて~と男児について語るではなく自分語り

それ見て編集部も多くの読者も『何も思わない』みたいだから精神子どもとか以前の割と根深問題だと思う

 

つーか『推しの子』ヤベーわ作者&編集部も読者も

推しの子の作者&編集部もはクドカンや四半世紀前のマイケル・ベイみたいに

『気取ったインテリ向けには作っていない、大衆には大ウケだ』ってやってるんかなぁ

2024-03-10

[] クドカン日本TVマンの亡霊が言っていることって23年前のハリウッドと同じ

まりにひどい軍事考証、史実捏造、1950ー1960年あたりのステレオタイプ描写などで

しこたま叩かれたマイケル・ベイの『パールハーバー』って2001年映画なんですよ

Michael Bay Should Never Have MadePearl Harbor’

https://collider.com/pearl-harbor-movie-michael-bay/

 

ほんで、彼は当時こう言ったんです

『気取ったインテリ向けに映画を作っていない、大衆には大ウケだ』ってね

まぁ実際、アルマゲドンタイタニック級のヒットにはならずとも、赤字にはならなかった($449,220,945) わけなんですけど、

ゴールデン・ラズベリー賞各部門全てノミネートされるわ、当時もネット民に叩かれるわでした

 

でもこれ、ほぼ四半世紀前のお話なのですわ、2001年作品から

 

隙あらばアジア系へのヘイトクライムが起こるお国柄(COVID-19然り)、扱っているテーマの重さなど、

『世に与える影響が段違いだろ』はありつつも、

 

2024年、令和においても、『気取ったインテリ向けには作っていない、大衆には大ウケだ』ってやってる、
クドカン日本TVマンの亡霊って、失われた日本の何ちゃらシリーズひとつなんですかね?
時が止まりすぎじゃないですかね?それらに同調する人もね

 

 

世の中は、人種でも、お金でも、道徳でも、好みでもなく、『知能』で分断されている

anond:20240310094629

クドカンワード登録されてんだから文字リンク押せば見れるじゃん

https://anond.hatelabo.jp/keyword/%E3%82%AF%E3%83%89%E3%82%AB%E3%83%B3

 

 

 

ワイは下記のように思いました。

でもまぁ、たとえ一部であったとしても、ちゃん批判が起きているなら、TVの影響力はまだ完全には死んでないのかもね

増田や5chや𝕏の個人垢が呟いてるくらいだと思ったわ、今どきTVなんて誰も見ねぇだろって思ってたし

クドカンさんは1970年まれなので1986年には既に物心はついていたと思うのですが、クドカンさんの出身1986年宮城県あんな感じだったんですか?

少なくともドラマ舞台になっている1986年東京は違いました。

というか長距離・中距離バスならともかく(このバスもかなり限られている)路線バスってタバコどこも吸えなかったと思いますよ、

宮城県1986年は違ったんですか?教師タバコ吸ったり信じられない言動する教師もそうです。

TVが大好きでたまらないなら1986年当時の女児向けアニメを観て男女観が明確に変わっていることを確認してほしいです。

今どきTV観てるのはネット親和性低い情弱(ネットやっていても検索すらろくに出来ないし、反AIやってるかAIって何?って層)か

普段から自分の目の前のことに全力コミットであらゆることに興味ない人は、単なる事実

 

増田でも謝らないが正解(https://anond.hatelabo.jp/20230103181631#)がバズったろ?

実際、ナチス大学教授はしれっと復活してますジャニーズ吉本セクシー田中さんの件もクソやばかったですよね

 

やりたい放題やってたそして今もやりたいというTVマンの熱い魂を感じさせる

平成少年ダン並みに昭和エアプで時代考証めちゃくちゃで差別オンパレード

クドカンの『不適切にもほどがある!』だって悪い意味話題になっていない

やっぱTVは終わったのだと思います

 

別にメリケン韓国ドラマ恋愛バラエティ(笑)などのリアリティショーが高尚とは言いませんけど、

どう考えても終わったのだと思います

 

しかナチス大学教授がしれっと復活しているのもほんとスゲーーーーなって

 

社会人種ではなく知能で分断されている

やりたい放題してたのはどの時代においてもクレームついてます

クドカン時代考証メチャクチャの「不適切にもほどがある!」と同じような

ネットがなかった時代のようにやりたい放題したいTVマン怨念を感じる

 

つかクドカン時代考証メチャクチャドラマにも言いたいんですけど、

やりたい放題していたのは、TVマン一部メディア(雑誌等の文業)の人間あって、一般人ではないです

 

おそらく、クドカンが『好』の感情を持っているだろう、ビートたけし氏も言ってましたよね?

『(熱湯に対するリアクション芸いじり芸に対して) やらせじゃなかったら大変なことだよ』ってね

 

一般人ガチTVみたいなことしたらおまわりさんに逮捕されるだけです

文業の人はオリンピックの時に少しだけ断罪されました(小山田圭吾氏の件)

不適切にもほどがある!の批判はどこで起きているのか?

教えて欲しいな。

その手の記事を書いたライターさんを調べると先進的なのか偏った人なのかは判断しかねるので。

クドカンを何かの象徴として捉えて先進的なデファクトとは違うみたいな描き方が違和感ある。

ドラマ感想思想的なところを絡めて書いてるライターがこんなにいることには驚いたけど、映画批評家とかもそれなりに思想は偏ってるからそう言う業界なんだろうね。

2024-02-28

anond:20240228091450

やりたい放題してたのはどの時代においてもクレームついてます

クドカン時代考証メチャクチャの「不適切にもほどがある!」と同じような

ネットがなかった時代のようにやりたい放題したいTVマン怨念を感じる

 

つかクドカン時代考証メチャクチャドラマにも言いたいんですけど、

やりたい放題していたのは、TVマン一部メディア(雑誌等の文業)の人間あって、一般人ではないです

 

おそらく、クドカンが『好』の感情を持っているだろう、ビートたけし氏も言ってましたよね?

『(熱湯に対するリアクション芸いじり芸に対して) やらせじゃなかったら大変なことだよ』ってね

 

一般人ガチTVみたいなことしたらおまわりさんに逮捕されるだけです

文業の人はオリンピックの時に少しだけ断罪されました(小山田圭吾氏の件)

2024-02-26

不適切にもほどがある!で吹き上がってるフェミいるじゃん?

その状況含めてクドカン意図が当たってるんだよなあ

ドラマだよ?フィクションだよ?でも吹き上がるんだという

2024-02-24

アニメ漫画を作っている人たちは、ただポリコレに「無関心」というだけでボロクソに人格否定されて、挙句ヒトラーに喩えられるけど、クドカンが実写ドラマを作ると、ポリコレを「茶化して冷笑して」も、まずは一言褒めてもらえるんだなぁ。

クドカンから何か一言褒めなきゃいけない縛りでもあるのかね。

そんなに酷いドラマなら、「面白い」のは要するにプロパガンダとして成功してるってだけじゃん。

いつもみたいにもっと制作スタッフ人格否定から入れよ。アニメ漫画二次元キャラクターに対してやってるみたいに。

2024-02-07

anond:20240207084205

今どきTV観てるのはネット親和性低い情弱(ネットやっていても検索すらろくに出来ないし、反AIやってるかAIって何?って層)か

普段から自分の目の前のことに全力コミットであらゆることに興味ない人は、単なる事実

 

増田でも謝らないが正解(https://anond.hatelabo.jp/20230103181631#)がバズったろ?

実際、ナチス大学教授はしれっと復活してますジャニーズ吉本セクシー田中さんの件もクソやばかったですよね

 

やりたい放題やってたそして今もやりたいというTVマンの熱い魂を感じさせる

平成少年ダン並みに昭和エアプで時代考証めちゃくちゃで差別オンパレード

クドカンの『不適切にもほどがある!』だって悪い意味話題になっていない

やっぱTVは終わったのだと思います

 

別にメリケン韓国ドラマ恋愛バラエティ(笑)などのリアリティショーが高尚とは言いませんけど、

どう考えても終わったのだと思います

 

しかナチス大学教授がしれっと復活しているのもほんとスゲーーーーなって

 

社会人種ではなく知能で分断されている

2024-02-03

これはマジレスなんですけど

やりたい放題やってたそして今もやりたいというTVマンの熱い魂を感じさせる

平成少年ダン並みに昭和エアプで時代考証めちゃくちゃで差別オンパレード

クドカンの『不適切にもほどがある!』が悪い意味話題になっていないということは

やっぱTVは終わったのだと思います

 

別にメリケン韓国ドラマ恋愛バラエティ(笑)などのリアリティショーが高尚とは言いませんけど、

どう考えても終わったのだと思います

 

あとナチス大学教授がしれっと復活しているのもほんとスゲーーーーなって

 

社会人種ではなく知能で分断されている

anond:20240203093740

2024-02-02

anond:20240202125151

クドカン

宮藤官九郎でーすーよーねー?

こ、と、ば、は、

正確に書こうね

モアイ約束だ🗿

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