はてなキーワード: 祖父母とは
とっとと結婚して早く子供作った方が人生楽しいよ。金はあんまり貯まらないけど子供のイベントとか、保育園での作品とか、一緒にお風呂とか、一緒にゲームとか、もう金じゃ得られない喜びを与えてくれる。
あと、両親や他界した祖父母に孫やひ孫を見せたらそりゃあもう喜んでくれるよ。これはもう生物の本能だからね。
若いうちは自分が完成してないから他人に合わせることができるから、結婚とか他人と共同生活して子供という新しい他人が出来てもやっていけるけど、オトナになると自己が完成されて新しく他人との共同生活が無理になる。
ある調査では、祖母(特に母方祖母)が子育てを支援する割合は高く、全体ではおよそ50%以上の家族が祖父母から何らかの育児支援を受けているという結果が報告されています。
最近、また選択的夫婦別姓の議論が活発だけれど、少し冷静に整理してみたい。
先に断っておくけれど、私は別に「伝統的家族観を守るべきだ」なんて主張したいわけじゃない。
改姓に伴う行政手続きが煩雑極まりないことも理解しているし、銀行口座からパスポートまで書き換える手間は、生産性の観点からも損失でしかない。
現状、そのコストのほとんどを女性側が負担しているという非対称性が、フェアでないことも理解できる。
キャリアの分断やアイデンティティの問題も、至極もっともな話だと思う。
ただ、今の社会をドライに見ると、別姓導入という選択肢は、『自由』を手に入れる代わりに、全く釣り合わないような難題を新たに背負うように見えてくる。
なぜ「全く釣り合わないような難題を新たに背負う」のか。
少し書き残しておく。
現行の「結婚時にどちらかの姓に統一する」というルール。 これは人権や個人の尊厳という観点からは批判の対象になる。
だが、全体的な視点で見ると、実は「将来発生しうる対立を、初期段階で強制的に解決してしまうメカニズム」として機能している。
結婚という事象は、当人同士の「愛」の結合に見えて、その背後には「家(夫の実家)と家(妻の実家)」の力学が厳然として存在する。
同姓制度は、この潜在的な緊張関係に、婚姻届提出という入り口の時点である程度強制的に枠をはめる。
「姓を変える=相手の家に一旦合わせ、合流させる」 この理不尽なまでの強制力によって、その後の「子供の姓の帰属」や「お墓の問題」といった火種を、オートマチックに処理する。
多少の運用コストを強いる代わりに、難題の解決をスムーズに保っているとも言える。
これは、 「選択肢が増えて自由になる」という単純な話では終わらない。
日本社会の深層には、まだ「家」や「先祖」といった、成文化されていない土着の価値観が根強く残っているからだ。
今までは「法律で決まっていますので」という錦の御旗で沈黙させられていた親世代・親族たちが、夫婦別姓化によって交渉のステークホルダーとして浮上してくる。
「うちは代々続く家だから」 「一人娘なのだから、こちらの姓を残してほしい」 こうした要望が、夫側と妻側の双方から顕在化する。
つまり、結婚が「夫婦二人の合意」で完結せず、「夫の両親」対「妻の両親」という、多者間の調整フェーズへと大きく複雑化する。
夫婦間の意識や人間力、交渉スキルがいくら高くても、背後にいる親族の意向を完全に無視して関係を維持できるカップルが、今の日本にどれだけいるだろうか。
よく妥協案として出される「1人目は夫の姓、2人目は妻の姓にすれば平等だ」というロジック。
これは一見公平に見えるが、子供の視点に立つと「家庭内における代理戦争」の引き金になりかねない。
同じ家の中に「田中くん(兄)」と「鈴木くん(弟)」がいる状態を想像してほしい。
ここで起きるのは、単なる兄弟喧嘩ではない。背後にいる祖父母(スポンサー)を巻き込んだ「資源の争奪戦」だ。
田中家の祖父母は「自分の家の名を継ぐ孫」である兄を可愛がり、教育費や遺産を集中投下するかもしれない。
「お兄ちゃんはお父さんの家の子だから」「僕はママの家の子だから」 親や祖父母からの愛情やリソースが、子供自身の資質ではなく「どちらのラベルを貼られたか」によって偏るリスクがある。
「兄は出来が良いからウチの跡取りに」「弟はパッとしないから向こうへ」といった、能力に基づく選別(ドラフト会議)が行われないという保証はどこにもない。
子供を「家を存続させるための駒」として比較し、競争させ、評価する。
そんな残酷な構造が、家庭という安らぎの場に持ち込まれてしまう。
では、その他の「条件付き運用」ならうまくいくのか。
「子供を持たないカップルに限ればいい」という意見もあるが、生殖は完全に制御可能なパラメータではないし、人間の価値観は可変だ。
数年後に子供が欲しくなった時、どうするのか。
ルール違反へのペナルティ設計(強制離婚?強制改姓?)など現実的ではないし、「この年齢ならOK」といった線引きは脱法行為の温床になる。
「結婚時に子供の姓をどちらかに統一することを義務付ける」という案。
論理的には一番筋が通っているが、これにも「家庭内に名目上のアウトサイダーを生み出す」という懸念がある。
夫だけ、妻だけが家の中で異なる姓を持つ状態は、結婚が本来持つ「新しい共同体の形成」という機能を毀損しないか。
いわゆる「ウォークイズム」的な議論は、個人の完全な自律と親和性の高い「最終的な理想地点」を設定し、そこに向けて「どう強制力を働かせるか」ばかりを議論しがちだ。
しかし、そこには「今を生きている人々の生活実感」への視点が欠落している。
でも、実際には多くの人が「家族みんな同じ名前であること」になんとなくの一体感や安心感を感じているのも事実だ。
その感覚を「古い」「遅れている」と切り捨てて、理想の型に嵌め込もうとするのは乱暴すぎる。
まずは現状の感覚を尊重しつつ、落としどころを慎重に探るべきだ。
何もしない、という選択肢や弥縫的な対処を短期・中期(50年程度を想定)的に模索することは、必ずしも悪ではない。
「進化すること」ありきで、現在の自分たちの感覚を否定して進むのは、社会実装の手順としてあまりに危うい。
結局のところ、選択的夫婦別姓という制度変更は、結婚の入り口にある「姓を変える負担」を取り除く代わりに、
その調整コストを「出産時」や「親の相続時」といった、より後段のライフステージへとタイムシフトさせているに過ぎない。
しかも、後になればなるほど、関係者は増え、状況は複雑化し、「譲れない条件」の争いとなり、解決の難易度は上がっていく。
いわば、「難問の先送り」だ。
今の日本社会の空気感、我々の内面化している価値観が、まだ「家」という引力に縛られている以上、この制度を「強力なリーダーシップで」実装するのはリスクが高すぎる。
結婚の自由度を高めるための制度が、皮肉にも調整コストへの忌避感から、結婚や出産そのものを躊躇させる要因になりかねない。
現状の過渡期においては、良かれと思ってトップダウンで線を引き直すと、より悪魔的な問題が噴出するようなことは起こりがちだ。
より大きなデメリットを解決するための、やる気もビジョンも実行力もないなら、法律的な措置は控えるのが筋だ。
活動家は「自分の主張に有利なこと」「つごうのいい事」を「今すぐやれ」と主張するだけで、デメリットやトレードオフは見て見ぬふりをする人間の集まりである。
左右どちらかに限った話ではない。
法律を通してさえしまえば、問題が起きても、「いいから法律に従え」としか言わなければいいので、どんなに卑怯でも法案成立だけを目指せばいいからだ。
活動家の主張を通した結果、新しく不幸な人が増えても、活動家は、まったく責任を取らないし、何もしないし、顧みることもないことは、始める前から明らかである(歴史はそれを証明している)。
【相談内容】
私は28歳、フルタイム事務職(年収約400万)で現在育休中のです。
36歳の夫と生後3ヶ月の子供と雪国で暮らしています。今、離婚してでもこの土地を離れるべきか、深刻に悩んでいます。
夫との出会いは私が19歳の学生、夫が27歳の社会人の時でした。若かった私は8歳上の彼がとても大人に見え、彼の住む雪国へ移住し結婚することに迷いはありませんでした。
しかし、交際中に夫は私に相談なく一軒家を購入していました。当時は「義両親が住むための家だから、私たちは住まない」という説明。ですが結婚直前(私が26歳の時)、夫の祖父母が他界したことで計画が狂い、「自分たちが住むしかない」と押し切られました。(義両親は祖父母宅をリフォームして住んでいます)世間知らずだった私は、受け入れる選択肢しかないと思い込み、その家に入りました。
【出産を経て、目が覚めた】
引っ越してすぐ妊娠し、産休前まで必死に働いていた時は、忙しさで麻痺していました。しかし、産後、慣れない土地での孤立した育児、そして何より夫が「義両親の言われるがまま」で買った、私と子供の視点が一切ない家で過ごし目が覚めました。冬になれば過酷な雪かきに追われ、この家と土地に私の人生が吸い取られていく恐怖を感じるようになりました。
結婚前は、共働きで家計を組めばいいと思っていたし、稼ぎがどちらに寄っていても、家庭として回れば問題ない。少なくとも私はそう考えていた。
もちろん分かった上で結婚した。
それに婚約当時は、夫の年収は順調に年々増えていたし、まだ伸び代もあるように見えていた。
そんな折に妊娠した。
30代で、年齢的にもこれ以上待てないタイミングだった。
激戦区なのもあって、保育園は0歳4月入園、私は産後数ヶ月でフルタイム復帰。私が働かなければ家計が回らなかったから。
保育費だってまだ無料ではなかったから、月に5万円くらいかかった。
子供が生まれる前からマイナス15万円。それじゃ暮らしていけない。
ある程度の貯金はあったが、それを切り崩すのも怖かった。
いつ終わるか分からないコロナ禍で、底が見えない恐怖があった。減らした分を取り戻せる保証はない。
だからフルタイム復帰をして、時差勤務を活用して、朝早く出て早く帰った。
朝の送りは夫に担当してもらい、私がお迎え。
お迎えに間に合うようにするにはこれしかなかった。
これを産後数年続けた。
帝王切開の傷の痛みや、マミーブレインで動かない頭を引き摺りながら働いた。フルタイムで朝8時からから夕方17時まで。
正直、気が狂いそうだった。
それから数年。子供が年少の頃に、夫は転職大成功して年収が数百万円アップ。
私の年収をあっさり追い抜いた。
やっと私は、痛む身体を誤魔化しながらの大黒柱から降りられた。
今更時短勤務もできないので、フルタイム勤務のままだし、生活はほとんど変わらないが、背負っているものが全然違う。
アンチフェミニズムの文脈では上昇婚は批判されがちだけど、現実の論点はそこじゃない。
産後に大黒柱・稼ぎ頭として経済責任を背負う苦しさが少なからず発生する。それが下方婚だ。
出産ダメージを負いながら、家庭の経済的支柱を担い働き続けるのはとにかくしんどい。心身ともに休む暇がない。
産後の身体を十分に休ませる必要まで考えると、よほど人の何倍もの高年収だとか、有り余る資産や貯金がある等の余裕がない限り、下方婚は正直おすすめしない。
人によって合う仕事合わない仕事があって、性格や環境も違うのに、育児は産んだら最後辞められないから揉めるんだと思う。自衛隊や警察学校が厳しいのはみんな知ってるけど、やれると思って入ってダメそうだなとなった場合、別に辞められるじゃん?それができないから。
女だけじゃなくて男も。子育てに向かない人間は男女問わず、今も昔もどこにでもいるし、そういう人間たちが父母祖父母として組み合わさって構成されていく上に、子も動物じゃないから、習性じゃなくて性格がある。そんなこんなで一筋縄ではいかないのに、SNSで余計な言説が流れたり強い言葉で非難されたりするからやりづらさが増してる。子育てはもっと曖昧でいいし適当でいいと思う。
https://x.com/XU3F8wI1Csm5HQ2/status/2012419131182882930
月のうさぎ@XU3F8wI1Csm5HQ2
知らない内に親の財産を半分創価学会に寄付するという公正証書遺言を作られていた知人。
気付いてすぐ司法書士に連絡、撤回させ事なきを得た。この話、以前ポストしたらすごい攻撃を受けた。余程バラされたくなかったんだねwww
今でもこういう事やってるんだな…となり、思い出し怒りと憤りで横転した。
祖母が遺産を死後寄附するって遺言作られてて実際にほぼ全部、こちらからすれば見ず知らずの創価のカルトの糞連中に盗られたからね。
いくら近距離でちょこちょこ両親らも含めて様子見で通っていたとは言え、近距離別居で、祖父も亡くし、落ち込んでいた様子の祖母をどうするか、
父は同居しようかと話していたが母が反対し、膠着状態になっていた隙に付け込まれていた。
彼らが数十年かけて、子供である父と叔父、叔母、そして自分たち孫の為にと、貯めていた数千万の資産、ぜーんぶ盗られましたわ。
色々弁護士や警察にも相談したりと動いてたけど、警察は民事不介入、お婆さんの遺言があったんでしょ?と門前払い。
弁護士も、悪質ではあるが手続き自体は合法でやっているからどうしようもないと、結局白旗を上げた。
当時は認知症の老人の責任能力についてそこまで問題視されていなかったし、そもそもまだ軽度で一人暮らし出来る程度だった祖母に適用される訳も無く。
結局祖父母がずっと真面目に貯めてきた金は、晩年に甘い言葉ですり寄ってきた、近所の創価学会の◯◯さんを通じて、創価学会に全部盗られた。
以来創価学会はオウムとか統一教会と同様のゴミクソカルト新興宗教だと認識している。一生絶対に許さない。
さて、そんな創価学会=公明党が、立憲民主党を吸収合併する様な形で新党を設立するという暴挙に出た。
ゴミみたいな現状に歯がゆい思いをしながらも、公明党と連立を組んでいるという点でアンチ自民であった自分は
民主党時代から投票をしていた事もあった。その応援が盛大に裏切られた形だ。
狂っているなと思うのが、あれだけ自民と公明=創価との連立を批判し、
自民と統一教会とかいう糞カルトとの癒着を批判していた左翼やリベラルの連中、そしてはてな民らが、
いやマジで何なの?
あれだけキチガイみたいに壺壺連呼していた連中が、創価とかいう同類の糞カルトなら良いんだ?
壺壺ツボってた連中はどこに行ったんだよ?仏なら良いってか?なら仏教ごと潰せよクソが。
結局アイツらやお前らは、「自民党アンチ」、つまる所多数派のアンチである自分達の思想に酔いしれて
世代間の分断煽る人がいるけど、あなたの親もしくは祖父母の代で恩恵は受けていたわけでそこで頑張らなかったから今君が大変なんだよと言いたい
うちの祖先たちは頑張らず、よく話題になる宗教にハマって何も残してなかったよ
まぁ煽るビジネスしてるだけかもな
今の40代前後からすると、演歌って「子どもの頃に祖父母が聴いてたやつ」ってイメージの象徴みたいなもんだったんだよな
あの独特のコブシ?曲調?が、昭和歌謡とか平成J-POPと全然別ジャンルで「はい、これが“昔の歌”です」って分かりやすかったのもデカい
で、今の10代から見て「老人世代の象徴みたいな曲」って何なんだろ?って考えると、これボカロがそれ枠なんじゃね?って思うわ
人間が明らかに無理な速度と高さで、機械っぽいノリで独特のリズム刻むじゃん
あれ、若者にとっては「うわ…親世代の文化きた…」みたいな“古さの象徴”になっててもおかしくない気がする
「見合い結婚はよくできた制度だった」という話があるけど似た話で昔のように親と同居して暮らすことのメリットも大きいよなと思う。
あとは親の老化に早く気付けるというのもデカイと思う。
こないだバズったブログで70の父親が突然認知症になって暴れ出したというのがあるけど、あれもひょっとして同居して日々変化を感じ取ってればもう少し穏当な解決があったかもしれないと思った。
うちの祖父母も同居してて96歳まで生きてたけど、最後まで頭シッカリしてたのは毎日誰かしら家族と話してて脳に刺激があったからでは?と思う。
結局老後・介護の問題というのは「怪我で死ぬ・病気でしぬ・無職でのたれ死ぬという悲劇を社会制度と医療改革で回避しまくってきた結果、そのツケが人生最後にやってくるみたいな話だと思う。
父が長男で、母は長女で、その長男である兄は両方の祖父母からそれはもう愛されて育てられた。
具体的には私とは養育費が数百万円違うくらいに愛されていた。
とはいえ実家はちょっと農地が多いだけの農家であって、富豪という訳ではない。
それでも勤勉な祖父母と両親はそれなりの資産が形成してくれたため、私と弟にも大学まで行かせてくれたのには感謝している。
とはいえ祖父母と両親は兄に期待を寄せていたのは間違いなく、遺す土地、家、墓、親戚等の情報は兄にのみ話を通しており私と弟には何も話が来なかった。
祖父母の法事にも両親は兄しか呼ばないし、その扱いは徹底していた。
私は「そういうものだ」と思っていたので特に文句はなかったのだが、内心では愛されないことに多少は不満はあったのだろう。
就職して稼いだ金は殆ど仕送りすることなく、結婚もせず、ある程度の貯金をしながらほぼ全て自分の娯楽のために費やしていた。
それほど優遇されていたという経緯があるため、数年前に母が亡くなり、先日父が亡くなった時も長男である兄が全て相続するものだと思っていた。
田舎だとはいえ東京ドームよりも広い土地を相続したら相続税がかなり発生するが、それでも遺された預金で賄って余りあるものだ。
私は基礎控除分の600万円くらい貰えれば良いかな、と考えていたのだが…
ここへきて土壇場で兄が「長男にばかり負担が来るのは承服しかねる。お前か末弟が相続しろ。そうでないなら相続放棄の手続きをする」と言い出したのだ。
もう青天の霹靂である。母の葬儀の時に「自分が相続する」と言っていたのは何だったのか。
元より兄は自分の嫁と子供以外はどうでも良いという人間であるが、まさか今まで愛してくれていた両親祖父母の思いを裏切るとは思わなかった。
ちなみに両親祖父母に愛されて育った兄は根っからの陽キャであるが、逆に愛されてこなかった私はオタク趣味の陰キャである。
そのため私に対する兄の会話デッキは「罵倒」「嘲笑」「命令」でのみ構成されている。
子供時代にはこれに「暴力」という肉体言語が有ったのだが、大人になった今では封印されているのが唯一の救いだ。
陽キャな兄は逆玉をゲットして、社会的な成功も収めており金銭的には苦労していないため、農家の跡継ぎという育ちが嫌になっているのかもしれない。
とはいえ叔父叔母が存命なのに墓を相続放棄しようとするとは思いもしなかった。
私は叔父叔母にはよくしてもらってたので、彼等にとっての兄や両親の墓を放棄したいとは思わない。
幸いにも父は借金を残していないし、貯金もそれなりにあるので、金銭的な負担があるわけではなく、むしろ貯金が増えるくらいなのだが…
それでも相続の手続きだけでなく、今まで疎遠だった親族への挨拶もこれから熟さないといけないので心理的な負担は増えていくのが目に見えているので憂鬱ではある。
とはいえ、それを末弟に全て押し付けるのは兄として情けないし申し訳ないので、ここは兄として踏ん張らねばならない。
叔父叔母に根回しをしたり、税理士に依頼したり、やることはかなりある。
幸いにも親族は良い人ばかりなので、頼めば色々と助けてくれると思うし何とかなると思いたい。
子供に電話の掛け方を教えるときは、年齢に合った段階的な教え方と実践練習がとても大切です。以下の流れがおすすめです。
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• 遠くの人と話せる道具
• 困ったときに助けを呼べる
• 勝手に使わない理由(お金がかかる・相手の時間を使う など)
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② 基本操作を教える
• 電源の入れ方
• 数字の押し方
• 「かける」「切る」ボタン
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③ 話し方の型を教える
例:
• 「もしもし、〇〇です」
• 「いまお時間いいですか?」
• 「ありがとうございます。失礼します」
紙に書いて見えるところに貼るのもおすすめ。
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• 子供:かける側
✔ 慣れたらアドリブ
失敗しても絶対に叱らず、「今のよかったね」と良い点を褒めます。
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⑤ よくある場面で練習する
• 習い事を休む連絡
• 友だちの家に電話する
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• 知らない番号には出ない
• 親の許可なしにかけない(年齢による)
• 困ったらすぐ親に相談
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⑦ 年齢別のポイント
幼児(3〜5歳)
小学生低学年
小学生高学年
• 要件をまとめて話す
保育園行かない、と言って朝食も拒否し、行かないことを保育園に連絡したあたりから急に動き出してごはんを食べて着替えをする
本当なら休む日じゃないんだから、と家ではテレビをつけないしゲームもさせないけど、本人としては保育園に行くよりいいらしい
先日ASDの診断をされていて(知的な遅れはない)、保育園の生活になじめていないのは以前からあった
保育園に行きたくない理由を聞いてもはっきりせず、かと思えば夕方に「明日の予定を聞きに行く?」と言うと「行く!」と楽しそうに言う
訳が分からない どういうこと?
うちはフルタイム共働きでこれまでやってきて、まさかまさかこんなことになるとは思っていなかった
不登校問題は知ってたけど登園しぶりて 保育園のうちから集団生活拒否て
体の成長は止められないのに、生きてる限り歳をとって成人してしまうのに
ASDの特性もあるのに、この子は大人になれるんだろうか 学校なんてとても無理じゃないか
それに登園しぶりのせいでまともに働けない
祖父母は遠方で頼れない
もしかしなくても詰んだ?詰んだな ローンどうすんだよ せっかく建てた家売りたくないよ
大卒フルタイムで15年以上働いてきたけどここでリタイアなのか
子供を持つってやっぱりリスクなんだなということを思い知らされている
産んだら働けなくなることもあるよ、の一例になってしまった
本当にどうしよう リスクへの備えが甘かったのはもちろんのこと、それなりに順調だったから転落の予感にずっと心が落ち着かない
少なくとも今の生活はできなさそう
どうしたらいいんだろう
私は30歳既婚なんだけど、うちの両親は田舎から東京出た同士で結婚して離婚してる。オマケに爺ちゃん婆ちゃんも(本当にありがたいことに)健在なので、盆正月に顔出す先が
・母の家
・父の家
・母実家(母方爺婆)
・父実家(父方爺婆)
の4択になる。
まあ母と父がそれぞれの実家に帰省したタイミングに合わせて私も行くので、実際は母実家or父実家になるんだが。
夫の方は、両親は離婚してない&祖父母も両方お亡くなりになっているので1箇所で済んでる。
でもきっと夫婦揃って私みたいに帰省先いっぱいある夫婦もいるよね。
核家族化、親の離婚、祖父母の高齢化がいっぺんに押し寄せてるのが今の2〜30代かなって思うんだけどどうなんだろう?
大変すぎないか?
今年のコミケは盛況だったらしい。
参加した人たちの、楽しそうな様子がタイムラインに流れてくる。
今年も、実家の畳に寝っ転がりながら、画面越しにそれを眺めていた。
コミケには行ったことがない。盆と正月には実家にいることになっているからだ。
僕の実家は京都の隣町にある。最寄りの駅から車で10分、バスで15分。そういうところで生まれ育った。子供だけで行ける範囲にはスーパーと、酒屋と、ちょっとした店がいくつか。そういうところだ。
それ以外の場所、たとえば映画館だとか、大きな本屋だとか、そういう場所へ行こうと思ったら、親に車を出してもらわないといけなかった。ましてや、子供だけでゲームセンターへ行くなんて、夢のまた夢だ。
盆暮れには、親戚回りでいとこの元を訪れるのが常であった。いとこは僕よりもう少しだけ街中に住んでいて、子供たちだけで駅前まで遊びに行けるみたいだった。
それが少し羨ましかったということもあり、あと地元の中学が少し荒れてたということもあったので、小学四年生のときに外の中学を受けようということになった。
駅前の進学塾に途中入会して、親に車で送ってもらいながら通った。帰り際にコンビニで買ったおにぎりやサンドイッチは、少しだけ自由の味がした。
そんなこんなで、街中の私立の学校へ通えるようになった。学校の近くには大きめの商業施設などもあり、帰り道に友達とファミレスで駄弁ってから帰ることもあった。
その頃から僕は、いわゆるオタク文化にハマるようになっていた。ちょうどゼロの使い魔などラノベが流行っていた頃で、クラスのオタク仲間で新刊を回し読みしたり、ときには寺町のアニメイトまで足を運んだりしていた。お小遣いはみるみるうちに減っていった。
そのうち、同人や二次創作を読むようになった。主にネット上で、作家の人たちの近況を追い続けていたら、年末にコミケというイベントに参加するようなことを話していた。
コミケ。一年に二回、日本中の同人作家が東京に集まって自分たちの作品を頒布する、日本最大のオタクイベント。
そういうイベントがあるというのは知っていたが、自分が追いかけていた作家たちが、コミケへの参加を楽しそうに話しているのは心底うらやましかった。
なにせ、高校生のお小遣いでは新幹線代はあまりにも高額だし、夜行バスに一人で乗って行くことを親が許してくれるはずもなかった。地方の高校生にとって、東京はあまりにも遠かった。
そして何より、お盆とお正月に実家を離れることが許されるとは思えなかった。毎年、祖父母や親戚に元気な顔を見せるのが通例になっていた。東京へ遊びに行くから、という理由が通るとは思えなかった。
それで、大学も結局地元の国公立を選んだ。東京の大学への進学も考えたものの、やっぱり実家から通える方が楽だし、地元で就職するならむしろ有利だろうということで選んだ。
入学してからは塾講師のバイトも始めて、少しずつお金を貯めた。その頃は東方projectにハマっていて、同人誌への寄稿のようなこともやっていたので、手伝いがてら東京のオンリーイベントへ参加した。
とはいえ新幹線は高すぎるから、夜行バスで東京まで往復した。4列シートに揺られて痛む背中を、さすりながら売り子を手伝った。
空いた時間で、他のサークルを見て回った。何百ものサークル、さらにその何倍もの参加者が、ただ一つの作品のファンとして交流していた。会場全体が、それまで味わったことのない、巨大な祝祭の雰囲気に包まれていた。
だからこそ、そこに参加できていなかったことに、ひどく悲しくなった。高校生らしき参加者が、明らかに普段着で参加していた。おそらくこれまで何度もこういうイベントに参加してきたのだろう。数千円と一晩かけてやってきた自分とは雲泥の差だ。
そのあとも、何度か東京のイベントに参加した。同人イベントは楽しかったが、やはり移動だけでも費用がかかり、やがて就活が忙しくなってきたこともあってイベントには参加しなくなってしまった。
そして、コミケにはついに参加しないままとなった。
結局、就職先も地元の企業を選んだ。そこそこの大企業でもあり、わりと休暇は取りやすい方ではあったものの、入社して数年後にコロナ禍に見舞われたこともあって、長距離の移動自体が自粛となった。
それで、今年もコミケの賑わいを画面越しに眺めながら、実家の畳に寝っ転がっていた。別にオタクを辞めたわけではない。今期のアニメは何本か追っているし、ソシャゲも一応続けてはいる。ただ、リアルイベントへ足が向かなくなってしまっただけだ。
それでも、もしも地方でなく東京に生まれていれば、もっと違った人生があったのかもしれないと思うことがある。東京に生まれて、リアルな経験を気軽に積むことができていれば。
東京を訪れたときに、少し足を伸ばして、秋葉原までいってみたことがある。東京生まれの高校生が、まるで自分たちの庭を歩くように闊歩していた。新宿、渋谷、どこにいっても東京生まれの子供たちが普段着で歩き回っている。
僕たちが、どこにでもありそうな地方のイオンモールの、どこにでもありそうなチェーン店で駄弁ってる間に、彼らは東京でしか味わえない体験を積んでいたのだ。
結局地元での就職を選んだのも、彼ら東京生まれには勝てない、という劣等感がどこかにあったからかもしれない。
いずれ僕に家族ができて、子供が生まれたら。子供たちからそう聞かれる日が来るのだろうか。東京から逃げた僕に、この問いが突き刺さる日が来るのだろうか。
実家の畳の上で、そんなことを考えていた。
なんか俺、記憶ないくらい幼少期に、「母親は俺のことが嫌いだ」って本気で思ってたんだよね。なにか決定的なきっかけとかは何にも覚えてないんだけど、漠然とずっとそう思ってた。
未就学児の頃はおばあちゃんっ子で、基本祖父母家で寝泊まりしてたんだけど、当時祖父が入院してて、「おばあちゃんが寂しいだろうから」という大義名分を見つけて、言うなれば母親と別居状態だったわけで。その頃の俺は本気で「お互いのためにこれがベストだよね」と感じていた、言葉にはできないけど。
「離婚をしている人間は、共同生活に失敗した人間」という言葉を見たことがあるが、本当にそうだと思う。夫婦も上手くいかず、親子関係(母親が子)もぐだぐだ、親子(俺が子)も子がこんなこと言い出す関係値だ。生まれた時から一緒に居るはずなのに、生まれたときから一緒にいる感じがしない。こんなもんなのだろうか。
父親は当時のことを寂しそうに話す。俺の感覚を理解できなかったんだろうし、未だに思い残すことがあるのかもしれない。申し訳ない。
小学校低学年頃の、家庭環境が最悪に終わっていた頃は父親の言動が理解できない時期もあったが、その頃の父親も俺と同じで、母親の言いように対してどうもこうも無くなっていたんだろう。今では唯一家族間で家族に対する愚痴が言える存在だ。
母親は、「いつでもあなたの味方だからね」と言う割には味方になって欲しいときは敵になる。人として苦手に感じるし、こんな存在が母親で恥もあるが、どうにか折り合いを付けて生きていくしかない。
皆が母親に合わせて生きてくれていることを、きっと母親は知らないまま、「来年生きてるかな〜」と言う。本気で自殺したいとか思ってんだろうか。
親戚は悪い人ではない
[増田]
[実家]
二世帯。一階が丸々祖父母の家、2階が増田の両親と弟が住んでるとこ 台所は別々
[来てる親戚と住人]
2年前くらいに実母の脳みそにできものができ、身体が動きづらくなり性格はかなりマイペースになった。
父方の祖父母と二世帯で生活する中でも、祖父母の譲歩やらなんやかんやがあって祖父母の補助役という役割を持ちつつやっていけている。(祖父母もコロナでめっきり衰えたので、生活力が母とそんなに隔たることがないというのもある)
いつも通り、祖母を助けるつもりで母が祖母宅の台所にたつ。これが困る。巻き込まれる人が多いからだ。
分担はできるだろうと思って強く止めなかったらずっと1人でやってた。
手伝おうかと言っても自分でできると言って何でも自分でやろうとするし、食器も多いし、叔母と祖母と自分とで台所の周りに所在なくウロウロすることになって辛い。
さすがにその状況をほっぽってゲームしてるいとこに混ざれるほど若いわけでもないから台所に行って見守ったけど、他人が台所いじくりまわしてて(しかもかなり危なっかしい手つきで、)落ち着かない祖母の気持ちもわかるので正直やめてほしい。からすきを見て声をかけるけどやめない。娘のくせに申し訳なくて叔母の顔を見られなかった。
結局止められず、母は存分祖母のために動いてやり、残った3人は後で洗い残ったそばをざるからほじくり出した。
何か動けた訳でもないし、自分だって結局祖母と叔母からしてみれば台所にいると気を使う人だし、母に近い人間なのに母を止められなかったし、でもここで2階にそのまま行けるわけもないしで本当に居心地が悪かった。
よく考えたら母が一階の台所に立った時点で詰んでいる。
どうしようもない。
母といっても年に2回しか会ってないから会うたびに症状の酷さを思い知るのが辛いし、いつもはいない人が沢山いる家で母が(自分からも含め)腫れ物扱いされながら過ごすのを見るのが辛い。
酷いけど、同居して扱いをわかってる人だけに囲まれて一生過ごして欲しいなと思ってしまう。
明日はこんなことにならないといいな。